岡山県内神社巡り(メイン)

片っぱしらからの神社巡り

神社廻り-福山北西方面

寒くて出かける気があまり起きない、去年はどうしていたのだろう?意を決して広島県府中市方面へ-『府中』は国府所在地を表す一般名詞であり現在備後へ進出中なのでここは避けて通れない!
これまで通りR486号等で井原へ進み、その先R313号を進んで『御領』先『国分寺前』信号で右折して181号を進み府中へ、前方小さな川の所で工事で通行止め、右折して北へ進み前方左折して進んで行くと『小山池』へ、左手に
中条八幡神社(元宮)
720-2103_中条八幡神社(元宮)page
鎮座地:広島県福山市神辺町西中条
由緒、御祭神共に不明
(更に西へ進んだ先390号を北上した処に外宮があるが今回はあくまで府中へ、ここも工事での通行止めが無ければパスした処)

池沿いに進んで181号へ、更に181号進んで行って池の真ん中を進んだ先『道上小学校入口』信号を左折して215号を南へ進んだ左手に鳥居
岡山神社
721-0000_岡山神社page
鎮座地:広島県福山市神辺町道上981
由緒:大同元年(八〇六年)備中国一宮・吉備津宮の御分霊を備後国宮内へ勧請の節、この地に一宿あり、その跡に宮を建て一宮大明神と崇め奉る。此節村中の民家三十六軒あり…
宝暦九年(一七五九年)神社書付差上の節「岡山大明神護国寺別当」と書上、以後「岡山社」と改唱す。 明治四年(一八七一年)七月四日道上村社に列せられる、岡山神社と号するは明治六年以後なり。大正二年、村内の小社を合祀し、同三年十九軒屋田中神社を合祀す。-詳細は境内石碑に記述
御祭神:大吉備津彦命
神社は亀山公園と並立している小丘上に鎮座して、この場所は弥生時代の遺跡・亀山弥生式遺跡のよう-名称の由来は分からない、地元に居ながら岡山の由来が分かってないので!
南北にも鳥居が有り、表参道の南に車参道が有り、駐車場を含め車でも可能だが歩いた方が!

南へ進んで行くと前方にR486号、右折して西方向へ進んで行くと左手に
十三軒屋荒神社
721-0000_十三軒屋荒神社page
鎮座地:広島県福山市神辺町十三軒屋3-147
由緒、元禄十二年(1699年)に勧請とのみ記載(広島県神社誌)、創建以来十三軒屋の村社となり、今日まで氏神として崇敬
御祭神:火之加具土神

R486号を更に西へ進み、右手ハローズの先『万能倉南』信号を左折して392号、396号と直進し、芦田川を渡って右折して進み、土手下の道へ下りて進んで行った左手(前に空地あり)
當島八幡神社(多理比理神社)
720-1142_當島八幡神社(多理比理神社)page
鎮座地:広島県福山市駅家町大字上山守1183
由緒:当社は、大同二年(807年)豊後の国宇佐八幡宮の御分霊を勧請して祀られたと伝えられている。その後延元元年(一三三六年)延喜式の式内社に列記されております多理比理神社を合祀し現在地に社殿を再建して以後當島八幡神社として祭祀執り行われています。創始は古く品治郡東南部の十三カ村の総氏神として崇拝、明治五年村社、明治二十一年郷社に昇格される。
御祭神:誉田別神 足仲彦神 息長足姫神、多理比理神

神社の裏にグラウンド、その南側の道を西へ向かって進み左折して進んだ直ぐの右手
谷荒神社
720-1142_谷荒神社page
鎮座地:広島県福山市駅家町大字上山守1175
由緒、御祭神共に不明

グランドの右手の坂道を下り右手の細い道をカーブしながら進んで行った右手奥-実際は車を置いた処から南奥へ進んで行った
松浦荒神社2
720-1142_松浦荒神社2page
鎮座地:広島県福山市駅家町大字上山守1229
由緒、御祭神共に不明

少し引き返し集落の間の道を東へ進み橋の東側の道を南へ進んだ正面
松浦荒神社
720-1142_松浦荒神社page
鎮座地:広島県福山市駅家町大字上山守1413
由緒、御祭神共に不明

先に進み前方を左折(大蔵宮の案内板)、左折、左折して進んだ先-石柱の間を進んだ先に駐車場(手前にも、坂道を登った先にも駐車可能)
大藏神社
720-1145_大藏神社page
鎮座地:広島県福山市駅家町大字今岡36
由緒、御祭神共に不明

引き返し前方、橋を渡って左折して進んで行く予定だったが侵入禁止の表示(後で確認すると大型車のみ)だったので前方を左折して395号で西へと進んで行くと前方にR486号、更に進んで行くと『戸手』駅の少し先、『戸手川橋東詰』信号を右折して進み、『上戸手』駅先の『神社入口』信号右折して進んだ左手-非常に狭い道、一度通り過ぎる
備後国一之宮 素盞嗚神社
729-3101_備後国一之宮 素盞嗚神社page
鎮座地:広島県福山市新市町大字戸手1-1
由緒:昔、北海に坐します武塔神……南海に出でまし しに日暮れぬ。その所に将来二人ありき、兄 の蘇民将来、甚く貧しく弟の巨旦将来、富 みて屋倉一百ありき……(備後風土記逸文)より、この附近一帯を疫の隈という。
蘇民将来「茅の輪」伝承発祥の地として、文 献上最古の記録を残すほか「疫の隈国社」として 延喜式神明帳にみえる古い歴史をもっている。素盞嗚尊は武塔天神あるいは祇園牛頭天王とも称され出雲神話の祖である。本社は備後三祇園の一社で七月の祇園 祭りは備後地方の夏祭りとして有名であり 祭り終了日の深夜、吉備津神社よりの「無言 神事」が今も行われている。明治初期までの神仏習合の一時期「早苗山 天龍院天王寺祇園社」と呼ばれた事もあり、早苗の 松の伝承を残した。
建造物のうち道路側の楼門は相方城(天正 年間・一五八〇年ごろ)の城門を移築している。
茅の輪くぐり:(旧暦六月三十日、直径約二メートル の茅の輪をつくり無病息災・厄除けを願って 茅の輪をくぐる行事をいう)
御祭神:素盞嗚尊、稲田姫命、八王子

神社前の駐車場を北へ進み、左折して用水路沿いに進んだ先、左手の神社の駐車場の先を右折して坂道を登って行った先、墓地の反対側-空地在り
向市天神社
729-3103_向市天神社page
鎮座地:広島県福山市新市町大字新市
由緒、御祭神共に不明

更に進んで行き、『大佐山運動公園』の北、駐車場の右手に鳥居-山の中腹、道、参道ともかなりな坂道
大山大神社
729-3103_大山大神社page
鎮座地:広島県福山市新市町大字新市
由緒、御祭神共に不明

引き返し、西へ進み左折して進み前方『神谷川橋東詰』で左折、土手沿いの細い道(一方通行)進み線路を越えた先のY字路を左手に進んだ左手-左手の車が多く難しく、左折して広い道を進み、先にある『FamiyMart』に車を置き横の道を通って南から廻り込んで-帰りは運送会社の構内を通って
恵比須神社
729-3103_恵比須神社page
鎮座地:広島県福山市新市町大字新市
由緒、御祭神共に不明

入って行った所まで引き返し左折して川を渡って進んだ先『新市支所』信号で26号、進んで行って『新市駅前』信号で右折して進んだ左手、適当な駐車場が無かったので近くの『小野医院』の駐車場へ車を置かしてもらい歩いて参詣
穴荒神社
729-3103_穴荒神社page
鎮座地:広島県福山市新市町大字新市1120
由緒、御祭神共に不明
隣りに豊瀧稲荷がある

手前の石段の先に
不明神社
726-0012_新市神社page
鎮座地:広島県府中市中須町
由緒、御祭神共に不明

医院の側の坂道を登った先、車で通行できる広さであるが急な坂道であり、最初は駐車場の位置も分からないので歩いた方が賢明
新市神社
726-0012_新市神社page
鎮座地:広島県府中市中須町
由緒:この社は往時新市町に固有の氏神様が無いことから町内の有志より神社建立の気運が高まり、昭和12・3年に出原安太郎翁が町民の健康と繁栄を祈念し、私財を投じて町内が一望できるこの地(お旅山)に現社殿を建立した事に始まります。その後、昭和37年、62年に社殿の修復工事をしました。
御祭神:天照大神、宮島大明神、黄蕃大明神
更に上に登った先に何かありそうだがシンドイので中止-大黒様と経営羅針盤が

更に26号を北へ進み左手『ハート新市店』の駐車場へ車を停め、手前の道を進み、前方左手に進んで行った右奥
五社稲荷神社
729-3103_五社稲荷神社page
鎮座地:広島県福山市新市町大字新市
由緒、御祭神共に不明

引き返し北へ進んだ左手
古市荒神社
729-3103_古市荒神社page
鎮座地:広島県福山市新市町大字新市
由緒、御祭神共に不明

26号を更に北へ進み、今日の目的である吉備津神社を目指す。右手に池、反対側に鳥居、池の北側の駐車場へ車を停め先ずはいけの周囲を半周
厳島神社
729-3104_厳島神社page
鎮座地:広島県福山市新市町大字宮内419
由緒、御祭神共に不明

池の反対側に
胡神社
729-3104_胡神社page
鎮座地:広島県福山市新市町大字宮内
由緒、御祭神共に不明

鳥居を潜って奥に
備後国一之宮 吉備津神社
729-3104_備後国一之宮 吉備津神社page
鎮座地:広島県福山市新市町大字宮内400
由緒:御創建は平城天皇の御代、大同元(806)年3月、備中中山吉備津神社より分祀されたと伝えられ、古い記録を見ると「備後国吉備津宮八講之縁起」には、長和3(1014)年法華八講が始められたとされています。また、京都祇園社(八坂神社)の「社家條々記録」には、久安4(1148)年、法華八講会の御八講料所として当社が宛てられたことが記されています。鎌倉時代に入り、「百錬抄」には、寛喜元(1229)年11月27日、備後国吉備津宮焼失とあり、その後、再建ののち、時宗を開いた一遍上人が弘安10(1287)年、当社を参詣し、その様子は国宝「一遍上人絵伝(一遍聖絵)」(鎌倉・清浄光寺蔵)に描かれています。そして、永仁5(1298)年、京都六波羅より神領壱万六千貫を受け、当時の繁栄ぶりがうかがわれます。南北朝の争乱期、「太平記」には、元弘元(1331)年9月、桜山茲俊公が楠木正成公と東西相呼応し、ここ一宮で倒幕の兵を挙げたことがでてきます。楠木公の赤坂城落城の誤報を受け、もはやこれまでと、元弘2年正月21日、妻子一族郎党と共に自刃され、兵火は一宮まで及んだと伝えられています。「吉備津宮勘合略記」には、永和2(1376)年、小野宮左近将監により本殿が再建され、この時、三宮を正宮一宮とし、南北の二宮は正宮に合祀したことが記されています。
御祭神:大吉備津彦命、大日本根子彦太瓊命、細比売命、稚武吉備津彦命
やはりこれ位の規模の神社では境内社を確認しながら廻らないと見落としがある可能性が!
境内図を参照しながら参詣したので見落としはないが、ほぼ終わりに近づいた頃、バッテリー切れ、車で充電しようと思ったが殆どできない、タブレットのバッテリーが良くないのか、長距離移動でバッテリーの消耗が激しいのか色々問題があるような気がする。それとシガーソケットUSBアダプターで充電するには最低2A以上が必須のよう、今回1Aの物では30分でも3%程度の充電、立ち上げて 写真を撮ろうとすると0%に

無駄に時間を費やし、遅くなったのでほぼ来たコースの逆で帰宅、少し遅くなったので空いていると思ったが渋滞、今回は吉備津神社から吉備津彦神社の脇を通ってスムースに行った思ったが、岡山駅西口付近で大渋滞?、通常通りR180号で帰宅した方が良かったか?

神社廻り-未参詣東方

姉の処へ女房に頼まれ犬のカレンダーと土産を届けに行く事に、ついでに県東部の未参詣神社を廻ることに
R2号を東に進み、吉井川の渡った先、『香登駅』の先『香登』信号で左折して進み、前方突き当りの山陽道を右折して進んで行く、大ケ池の先に進んだ交差点を直進し、突き当り(小川)の手前で右折、左折して川を渡り左折して北方向へ登って行き、池の先、付近の案内板のある空地に車を停め歩いて登って行くと砂防ダムの先、左手に下る道-入口に案内-前方に屏風岩風の山
高倉稲荷
x1847_高倉稲荷page
鎮座地:備前市伊部
由緒、御祭神共に不明

南へ引き返し、更に川沿いに進み、前方を左折して進んで行くと『伊部駅前』へ左折してR2号を進み前方右折してR250号を進んだ少し先の左手、路肩へ車を停め
お染正一位稲荷大明神
x1848_お染正一位稲荷大明神page
鎮座地:備前市伊部
由緒、御祭神共に不明

引き返し、R2号を横切り、R374号を北へ『伊部越え』先を更に進んで行くと右手にゴルフクラブの案内(現在は潰れている?)右折して進んで行った突き当りの右手
大根太明神
x1849_大根太明神page
鎮座地:備前市西片上
由緒、御祭神共に不明

R373号を進んで行き右手山の上に『天王神社』が見える先、橋を渡った先の『衣笠』信号を右手に、その先を右手斜めに進んで行くと踏切、突き当りに旧大國家住宅(国指定重要文化財)、右折して263号をみちなりに進んで行くと前方に橋、橋を渡り右折して96号を東方向へ進み前方右折して日笠川を渡って左手児童公園の先を左折して山陽本線のガードをくぐった先左手に
大内社
x1850_大内社page
鎮座地:和気郡和気町藤野
由緒、御祭神共に不明
道を挟んだ東側に『坂本大師堂』

先へ進んだ十字路付近に車を停め歩いて北へ、突き当りを右手斜めに進んだ左手に
不明祠
x1851_不明祠page
鎮座地:和気郡和気町藤野
由緒、御祭神共に不明

引き返して、先ほどの突き当りの右手奥に鳥居、山道が続き、その先左手に石段
不明神社
x1852_不明神社page
鎮座地:和気郡和気町藤野
由緒、御祭神共に不明

引き返し96号へ、左折して西方向へ、吉井川を渡り更に南西へと進み熊山、万富と進んで行った先、『宗堂』信号を左折して広目の道を南方向へ進んで行き、右にカーブする処を直進して細めの道を進んで行った左手に
不明神社
x1853_不明神社page
鎮座地:岡山市東区瀬戸町坂根
由緒、御祭神共に不明

今日は遠出する予定では無いので帰ろうかと思ったが、以前参詣し忘れた赤磐市の西を目指すことに
西へ進み『瀬戸橋』で右折して37号、27号で北へ、『下市』先の橋を左折して渡り、直ぐ右折して250号で北西へ、250号が右折する処を直進して六座神社の先を左折して、前方X路を右手にさせつ、右折して坂道を登って行くと『地蔵院』の下側へ-ここで今回の目的の普門院でないことに気が付いたが、非常に苦労してここまで来たので参詣することに、参道を登って行くと右手に空地
地蔵院:赤磐市上仁保561
何も考えずに右手へ下って行くと先程のX路に自然と出れる(下った先右手に進むと山門)、登るときは右手にとったので民家の間の直角に曲がる道をとったので非常に苦労(何回も車を降りて確認しつつ進む)
途中、07031_鴨布勢神社(六座神社):赤磐市上仁保699
DSC_1412_1514462026912

に参詣して250号を北上して目的の場所を目指す。
前方53号との交点を左折して進み前方Y字路を右手に川沿いに進んで行くと前方T字路に案内の石柱(何方に進んでもいい)前回右手に進み神社を目指したので今回は左手に、広い道ではないが問題なく山門に到着、上まで車で行けそうだが歩いて参詣、
普門院:赤磐市山口990
正面石段を登った先右手奥に
鎮守堂三王社(普門院)
x1854_鎮守堂三王社(普門院)page
鎮座地:赤磐市山口
由緒、御祭神共に不明
右手の道の方が良かったようである、途中パン菓子と柿を買って帰宅、意外と時間がかかっていた。

神社廻り-福山中心部

県内の神社は巡ると言うより単発の神社参詣?、どうも他国進出になる傾向。
R2号が便利が良いと思うが何か渋滞していると言うイメージが、新幹線に沿って倉敷方面へ、高梁川手前の信号を左折して進んで行くと前方にR2号右折して合流しR2号で福山へ、途中少し寄り道をすればまだ未参詣の神社はあるのだが今回も無し!
R2号を進んで行き東福山を過ぎ、R182号を横切って進んだ先、右手に直進していくと左手に参道-近くに車を停めれるか、その先左折して進んだ左手に参道-付近に駐車は?
『千間土手西』信号で右折する処を間違えて『千間土手中』信号で右折北へ進み陸橋手前の『東部陸橋南』信号で下側の側道を進み、前方を左折して進んで行き突き当りを右折し、線路の手前に
艮神社
721-0974_艮神社page
鎮座地:広島県福山市東深津町4丁目6
由緒、御祭神共に不明
備後一宮の吉備津神社に分祀されていたものをこの地へ遷移したもののよう-由緒を記した石版あり

神社西の道を南西に進んで行くと前方の小山の上に神社-当初予定の『パチンコハリウッド』の先を右折して進んだX路に-付近は駐車スペースがありそうで意外と無く車の通行も多いのでパチンコ屋の駐車場へ車を停めて歩くことに-北側か西側か悩んだが西側へ-川沿いに南側から廻り込み、途中狭い道を右折して進み再度川沿いに、その先右手に狭い参道、進んで行くと稲荷神社跡、その先左手手前に稲荷神社、その奥に
深津王子神社
721-0974_深津王子神社page
鎮座地:広島県福山市東深津町5丁目15
由緒:備後国風土記によれば、須佐之男命が朝鮮より八王子と共に帰朝し、吾等を信仰すれば、その子孫を疫病から守ると申されたので、深津郡の人々はこの深津島山に王子神社を建て、以て広く当地方の人々の崇敬するところとなる。 式内社研究者、元京都学芸大学教授・文学博士・志都剛氏の説によると、延喜式神名帳に載せられている備後国深津郡須佐能袁能神社は当社であると断定されている 昭和57年3月」とあるが諸説あり深くは考慮しない
御祭神:須佐之男命、八王子
稲荷神社
721-0974_稲荷神社page
鎮座地:広島県福山市東深津町5丁目18−20
由緒、御祭神共に不明
両神社の間に北からの参道(ここが表参道)付近一帯住宅地であり何か駐車し難い雰囲気-境内は広いが最初に階段が有り車は無理

最初の神社まで引き返し、線路を渡って北東へ進んだ左手-境内へはストリートビューで車止めが見られたが今回は無かったし、側の路肩は広い
深津塩崎神社
721-0974_深津塩崎神社page
鎮座地:広島県福山市東深津町6丁目15
由緒:創立代は正保三年、前領主水野勝成公によって再建されたと伝えられる。難航する干拓事業の成就を祈願してからは千間土手が決壊しなくなった経緯は数々の歴史書に記されている。
御祭神:住吉三神(底筒男命、中筒男命、表筒男命)

曲りくねっている道が多く道幅も良く分からない先に進んで前方広目の道を左折して進むと右手に保育所の駐車場、園児を遊ばしている先生に断り歩いて神社を探すことに!
先に進んで行き、左手の狭い道を進んで行くと少し広い道に右折して進んで行くと左手丘の上に石灯篭、先に進んだ突き当りの左手に石段、先に先ほど見えた『金比羅宮の常夜灯』と石碑、その先に
辻の坂稲荷神社
721-0974_辻の坂稲荷神社page
鎮座地:広島県福山市東深津町6丁目10-10
由緒、御祭神共に不明
(新幹線を潜った先を線路沿いに西へ進み、坂を登った先の東側)この道は広い

前の道を北へ進み、T字路の先へ進んで行った左手3本目の道の奥
西荒神社
721-0974_西荒神社page
鎮座地:広島県福山市東深津町6丁目3
由緒、御祭神共に不明

引き返して線路沿いを西へ進むとR313号を突っ切り進んで行くと右手に公園と『水野勝成墓』此処に車会を停め歩いて北へ進み、前方左折、直ぐ右折して進んだ左手
森島稲荷神社
720-0052_森島稲荷神社page
鎮座地:広島県福山市東町3丁目7
由緒、御祭神共に不明

更に線路沿いに西へ進み『東5番』の信号を右折して進んだ左手(レンガ造りの車道)
大黒神社
720-0053_大黒神社page
鎮座地:広島県福山市大黒町1
由緒、御祭神共に不明

線路沿いに進んで行くと正面に福山城跡、右折して北へ進み、前方左折して進み『蓮池東』信号を右折、左折して進み左手に
福山八幡宮
720-0073_福山八幡宮page
鎮座地:広島県福山市北吉津町1丁目2-16
由緒:当地方を「穴の海」と呼ばれていた頃、後に福山城地となった深津島山に2つの八幡宮が奉祀されていました。その後天文年中(1532-55)に杉原播磨守が社殿を新に造営、毛利輝元、福島正則等の為政者も信仰厚く報賽されていたと伝えられています。元和5年(1619)水野勝成公が備後国主として赴任されるや、新しい居城として福山城を造営される事となり、2つのお社は夫々延広小路、野上口へと遷されました。天和3年(1683)第4代藩主水野勝慶公の時、今の松廼尾山に改めて福山総鎮守のお社として本殿、幣殿、拝殿、随神門、鳥居、惣門など東西に同一規模、同一形式にて並び建てられ、一般に両社八幡とも呼ばれ、広く崇敬せられてきました。昭和44年(1969)両社の法人格を合併、社名も旧に復し福山八幡宮とし、神社本庁の別表神社として新たに発足しました。
御祭神:応神天皇、神功皇后、比売大神
奥に鍛治神社、聰敏神社等が

神社前の道の東側から南側の福山城跡へ-東側から-前方に鳥居、今回は左手に取り東側から-八幡宮に車を置いてきたがここにも駐車場、場内も結構広く路肩に結構車を停めている
三蔵稲荷神社
720-0061_三蔵稲荷神社page
鎮座地:広島県福山市丸之内1丁目8-7
由緒:三蔵稲荷神社は、福山の開祖、水野勝成公が福山城を築城する時に、守護神として祀った神社です。勝成公は二十一歳の時、三河国刈屋の城より放浪と武者修行の旅に出ました。その際に、祖父、忠政公が京都伏見稲荷大社より受けられたご神体を授かりました。勝成公は、四国・九州での戦においてもご神体を肌身離さず持ち続け、お稲荷さんのご加護を受けることができました。元和五年(1619年)、この福山の地に城を築き、城内の北側(鬼門)に備後の国の守護神としてお祀りしたのが、三蔵稲荷神社の起源です。以来、代々の福山城主が直祭し、藩内には多くのご分社がありました。
御祭神:宇賀魂大神、猿田彦大神、大宮女大神

西川の石段を下りた右手に阿部神社、武道館、その先に-
備後護国神社
720-0061_備後護国神社page
鎮座地:広島県福山市丸之内1丁目9-2
由緒:旧社格は内務大臣指定護国神社で、戦後別表神社となっています。明治元年、福山藩主・阿部正桓が、石見益田の役と函館戦争での戦死者の霊を祀るために、旧深津郡吉津村に招魂社を創立したのに始まり、明治26年に福山公園(現在の福山城)の本丸人質櫓跡に遷座し、明治34年に官祭福山招魂社に改称しました。昭和14年(1939年)に内務大臣の指定を受けて福山護國神社と改称しました。昭和15年(1940年)の紀元2600年を機に、芦田川河畔に新たに広大な境内と運動場を有する神社として建立されることになり、第二次世界大戦(太平洋戦争)中も工事が続けられていましたが、完成目前の昭和20年(1945年)8月8日の福山大空襲によって焼失してしまいました。この敷地は現在、福山市体育館として使われています。戦後福山藩主の阿部氏が建立した阿部神社と昭和32年(1957年)に合併して、備後護国神社に改称しました。尚、阿部神社は文化10年(1813年)に時の福山藩主が、歴代の祖霊を祀ったのが始まりです。
御祭神:阿部家の祖神、四道将軍の大彦命、武沼河別命と豊韓別命及び阿部正弘公など歴代備後福山藩主、備後国出身の護国の英霊 

城の西側を南へ、少し西側の『西2番ガード』を潜り更に南へ進みR2号を越えて更に南へ進み、突き当りを左折して次を右折して進むと『地吹町東』信号、その先を進んだ右手に-信号前で停め難いので少し東へ
地吹荒神社
720-0816_地吹荒神社page
鎮座地:広島県福山市地吹町9
由緒、御祭神共に不明

先程の『地吹町東』信号まで引き返し、右折して東へ進むと『道三町』信号の先南側に
恵美須神社
720-0813_恵美須神社page
鎮座地:広島県福山市道三町8-16
由緒、御祭神共に不明
北側に
最上稲荷山福山支院
720-0813_最上稲荷山福山支院page
鎮座地:広島県福山市道三町7-8
由緒、御祭神共に不明

少し引き返し『道三町』信号を南へ進み5本目の道を左折して進んだ『野上町新屋公園先の左手』
清滝稲荷神社
720-0815_清滝稲荷神社page
鎮座地:広島県福山市野上町1丁目6
由緒:清滝神社は文政2年(1819年)頃せつりつされたと推測される。当初(深安郡野上村字新屋)境内に社殿・石鳥居・常夜灯・石の太鼓橋・神木楠木があった。明治の大飢饉・大正の水害を受け、村民の天災地変の徐滅・繁栄・護国豊穣を祈願する為、秋祭りなどに神楽奉納していた。昭和20年8月8日の福山大空襲で焼失し、復興都市計画により現在地(野上町)を代替地として昭和30年(1955年)頃焼失残り神木楠木を使い、祠を再建した。・・・・・
御祭神:大宮乃女神、神大市姫命、猿田彦神等
掲示物あり

少し早いが帰宅することに、R2号で帰るが何か全体的に混んでいる感じ、いつもの『玉島IC』入口付近で渋滞した感じ、54号、60号で高梁川を越え倉敷の北側を進み、新幹線沿いのルートで帰宅、ここも意外と混んでいた!本当にスムースなルートは!
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