まずは道順として山際を西から東へ、当然備前総社宮から。
大体の場所の見当がつけば、意外と簡単に行ける。広い道三叉路の間の狭い道を行けばよい、注意すれば道路から見える。
しかし、今回は改修中、完成はまだ先の感じ、もう一度参拝する必要がある。
鎮座地:岡山市中区祇園596
裏側からの写真で本殿は全くの工事中、残念。
由緒:総社とは多くの神社のご祭神を合祀した神社。古代律令制下、国司が朝廷の命で任国に派遣され、国府でその国を治めた頃のこと、当時は祭政一致の頃で、国司は国内の神社を巡拝しなければなりませんでした。ところが、広範囲の地域に点在する神杜を全部巡拝するとなると、大変なことだったろうと想像出来ます。そこで、考えついたのが国内の神社のご祭神を一ケ所に集めてお祭りすることでした。これによって、巡拝のてまを省いたわけです。この国内の神社のご祭神を一ケ所に集めたお宮を総社といいます。したがって、国府のそばにはかならず総社があります。総社は発祥の由来からして、その国一番のお宮であったことが想像できます。岡山県には、備前、備中、美作の三つの国がありましたので、総社も三社あります。県内にはこの他に総社とよばれるお宮はありますが、それは郡や村単位の総社です。当宮は備前国の総社で通称備前国総社宮といわれています。創建年代は不祥ですが、平安時代の初期と推定されています。備前国庁の祭典の場所として設けられ、備前国内(北は赤磐郡吉井町、東は和気郡・邑久郡、南は玉野市・小豆島、西は岡山市一宮)128神社のご祭神が合祀されています。そのことから当宮へお参りすると一度に128の神社にお参りしたことと同じといわれております。現在の建物は江戸中期の再建で、往時の面影はありませんが、江戸時代当時の一般的な神社建築の形態をよく残しています。昭和5年11月、陸軍大演習の際に昭和天皇陛下が玉歩を進め遊ばされた神社です。
主な合祀神社:八幡雄島神社、吉備津彦神社、安仁神社、神根神社、布勢神社、片山日子神社、石門別神社、高蔵神社、深田神社
御蔡神:大己貴命、須勢理比売命、神社宮八神
次は少し南に下がり素盞鳴神社、通称名:お祇園さま(オギオンサマ)を目指す。
平野部の真ん中で解かり難そうな場所だったので、カーナビ使用で問題無く到着できた。メインの道路から中に入っているが分かりやすい道順である。駐車場も完備し、境内も広い。
鎮座地:岡山市中区祇園168
由緒:本神社は岡山城の丑寅鬼門に当るので、城主池田綱政公が造営せられたものである。
正徳2年(1712年)に京都八坂社から御分霊を奉斎した。池田家の崇敬が厚く、献額も数面現存している。大東亜戦争終了まで、夏祭りは7日間連続し盛況であったが、現在は年に3度、学区内町内会長が集合し祭典を行っている。
御蔡神:素盞鳴命、稻田姫命、豊玉姫命
また、山際に戻り、全く知識のない高島神社を目指す。
非常に判り難かった。たまたま出会ったお婆さんに聞くとすぐ傍だったので、すぐ着く。メイン道路から少し入った処、山の上にあるのだが、麓にしめ縄をはった柱が立っている。そこから山道を登ると頂上に社がある。神社廻りなので基本的には鳥居を目標にするが、今後、問題がある可能性を認識する。
鎮座地:岡山市中区賞田295
由緒:よくは知らないが、神武天皇が日向から大和への東征途上で、吉備国に営んだとされる行宮(かりみや)に建てられた宮か?
吉備高島宮址の石碑あり(後世建てられたもの)。
伝説が出処なので他にもあり。何か遺跡跡地のような感じ。
御蔡神:不明
この近辺に日吉神社が二ヶ所あるはずなので西側から巡る。
山の中のせいか、場所が分からず、カーナビも全く役に立たず。場所を確認し、再挑戦
次もよく調べていなかったせいか場所探しに苦労する。結果からすると湯迫温泉白雲閣の裏(山側)であった。
古代はこの辺りまで海だったのか史跡あり(賞田廃寺跡等)附近を探索すれば他にも色々と出てくるかも。
鎮座地:岡山市中区湯迫695
由緒:創建年代は不詳である。上古近江国の日枝の山から、大山咋神を奉遷して、産土神したと社記にある。
御蔡神:大山咋命