近所廻りの神社を再度参拝し、写真に残してきました。
最初は岡山駅の近く東口を北に少し行ったところにある道通神社です。
岡山駅の北側はあまり馴染みのないところなので。
鎮座地:岡山市北区岩田町1-2
由緒、御蔡神共に不明
次も岡山駅東側に位置する子守神社です。
最初、場所分からず。少し通りから中に入るので、非常に分かりにくく、昔の記憶もあいまいなので苦労しました。
鎮座地:岡山市北区野田屋町71
由緒:当社は、藩主池田光政公が御治世の承応2年(1653)岡山に大洪水があって当地に不審な石が流れ着き童(わらべ)らがこれを軽々ともてあそぶの母親が見て危ないと思い石を取り上げようとしても、その石は盤石のように微動だにしなかったので、人々は驚愕した。
夜半に神様が夢枕に立って「汝、その石を奉斎すれば童子たちを守護し、疫病、災難を除くべし」とのお告げがあり、たちまち消えてしまった。早速、御霊石を子供荒神様と崇めて手厚く奉斎した。
寛文年間に付近の川が氾濫したとき、童子が誤って濁流に落ちたが、流れて来た御霊石につかまり一命を取り留めた。
その後、上下の崇敬が厚くなり、御神徳は近郷まで広まった。
現在も子供の守り神としてまた、子授け、安産、子育て、学業成就、交通安全を祈り参詣する参拝者が多い。
御蔡神:阿須波神、波比伎神
次は後楽園の方向にあり、奥まったところにある稲荷神社(甚九郎稲荷)です。
鎮座地:岡山市北区天神町9-41
由緒:当社は、宇喜多家再興のため岡山に潜入した佐久間甚九郎が当地を視察中、多数の暴漢に襲われ危機に陥った際、天から霊光が燦然と輝き、白狐の声が轟いたため暴漢等はその場にひれ伏したので、甚九郎は九死に一生を得て脱出することができた。
町民はこの白狐は当地にあった稲荷神社の神であろうというようになり、それ以来甚九郎稲荷として大切に祀って来た。
以来、この上之町に異変が起こるときは前もって白狐が鳴き、異変を町民に知らせるという。
現在も上之町に火災など災難が無いのも当社のお陰と、町民の深い崇敬を集めている。
御蔡神:倉稻魂命、菅原道眞
ざっと近場一気に廻りました。
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