岡山県内神社巡り(メイン)

片っぱしらからの神社巡り

神社廻り-矢掛から鴨方へ

昨日まで風が強く寒かったのでずっと家にいたが、今日は風も無く、明日からは天気が悪くなりそうなので急遽出掛けることに、R180号、270号、R486号で矢掛方向へ、『東三成』信号で左折して282号で南へ、前方35号と出会った交差点右手に-例によって深く考えない
青木大師堂(祠)
x1839_青木大師堂(祠)page
鎮座地:小田郡矢掛町横谷
由緒、御祭神共に不明

直進して進んで行くと左手に池、その先右手に『観照寺』、更にその先の右手の道を進むと右手に-右折した処に車を置いて
カゴツキ神社(柏木荒神社)
x1840_カゴツキ神社(柏木荒神社)page
鎮座地:小田郡矢掛町横谷
由緒、御祭神共に不明
古木があり名の由来、側には冬桜?

先に進んで64号へ、南へ進み坂道を登って行くと前方にT字路、左折して遥照山方面へ、曲がりくねって進んで行くと矢掛町から浅口市へ、その先の十字路を左折して382号へ、進んで行くと右手に公園、左手に
日月水火神社
x1841_日月水火神社page
鎮座地:浅口市鴨方町益坂1867-33
由緒:大元皇大神様ー大宇宙を創造され、運営される無限絶対無始無終の垠之神です。国常立大神様ー大元皇大神様の分神として、大地の修理固成をされ、日月星辰を生み出された神様です。神社名の日月は、天の陰陽を、水火(きび)は地の陰陽を意味します。天地が一体となり陰陽が融合して完全な力動を発揮され、三界の大草正を司宰される神が素戔嗚大神様です。なお水火(きび)と読むのは、神業の機微に通じ、神代より秘められた天地を救う一厘の仕組み-吉備経綸ーを意味すると共に、神秘な言霊によるものです。
御祭神:大元皇大神様、国常立大神様、神素戔嗚大神様
日月龍神様:大宇宙を創造された宇宙の元の神様。
大元皇大神様が、宇宙を動かし、地球を動かし、すべてを動かして世界のやり直しをされるために五柱の龍体のお姿をもって顕現されたのが日月龍神様です。宇宙の元の神様が陽、日月龍神様が陰で、陰陽和合の偉大なお力によって、宇宙の大浄化が行われます。

神社側の道を東へ進んで行って『遥照山』へ(一度間違えて前方右手を下りキャンプ場方向へ、直ぐ引き返し問題なし)遥照山と展望台へは寄らず東へ進んで行くと展望台が、みちなりに進んで行く前方左手に未舗装の道(道幅は広いが、真ん中が高くなっており車では難しい)歩いて進んで行くと前方にY字路、左手の道が倒木で塞がれていたので右手へ進むが違ったので、引き返し左手の道へ、何も考えずに下って行くと池の側へ、更に進んで行くと登って行った先に
木野山神社
x1842_木野山神社page
鎮座地:浅口市金光町上竹
由緒、御祭神共に不明

下って行くと山陽自動車道の上?、ぐるっと回って広い道に、トンネルを通って西へ進んで行くと前方左手に『益坂』の標識、右折して進み、適当な場所に車を停め歩いて
牛王荒神
x1843_牛王荒神page
鎮座地:浅口市鴨方町益坂
由緒、御祭神共に不明
南の道際に見えたのは太子堂

西へ進んで行って64号へ、少し進んだ先右手に日吉神社:浅口市鴨方町地頭上319の車参道右折して北へ進み大きくUカーブした右手に石柱と石段-手前の池の所に車を停め北側の山道を進んだ先(右手の山道を登って行くと東側の参道-西側にも)
住吉宮
x1844_住吉宮page
鎮座地:浅口市鴨方町地頭上
由緒、御祭神共に不明

西へ進み286号へ、南西方向へ進んで行くと左手に『(株)カワカミ』の少し先左手に坂道、Uカーブして登って行った右手-良く分からないので手前に車を置いたが、石段下までは可能、路肩広い
金毘羅神社
x1845_金毘羅神社page
鎮座地:浅口市鴨方町小坂東
由緒、御祭神共に不明

更に進んだ先、右折して155号を北へ、Uカーブする手前右手に石灯籠、先にある『鴨方町の加工場』の前に車を停め-『滑石の石文』の側
不明祠
x1846_不明祠page
鎮座地:浅口市鴨方町小坂東
由緒、御祭神共に不明
前方ダムの下にあった民家の人に『天津神社:浅口市鴨方町小坂東1006』を聞くがこの附近にはない様子、諦めて

155号を更に進んで行くと右手に『安部晴明ゆかりの地』があるが、何か疲れた感じ、帰ることに
南へ向かい60号を進んで金光の西でR2号へ、意外とスムースに進んだが早島の先で渋滞、コンベックス方向へ進み、更に北へ、新幹線沿いの道を東に進むがスムースではない!
やはりどのコースを選択しても同じか!

神社廻り-福山北

前回に続き備後の国へ、山陽道の近くを通りながら福山へ-R486号で井原へ、そしてR313号から神辺へ、R313号を進み前方右手で393号と出会う交差点を左折して進み、前方突き当りを右折して進み前方交差点を山際を左折して進んで行くと左手に石柱
艮神社
720-2124_艮神社page
鎮座地:広島県福山市神辺町大字川南
由緒、御祭神共に不明

更に先へ進んで行くと左手に石灯籠、少し先の民家の左手の道を南方向へ登って行くと左手に
丙谷荒神社
720-2124_丙谷荒神社page
鎮座地:広島県福山市神辺町大字川南
由緒、御祭神共に不明

池まで引き返し左折して南へ、三叉路を左折して坂道を登り、曲りくねって進んで行き、前方十字路(集落)へ、勘違いして直進してまた坂道を登って行くと登りきった附近に『千田浄水場』、下って行った右手に空地と、境内に至る坂道、空地に車を停め歩いて参詣
千田八幡神社
720-0013_千田八幡神社page
鎮座地:広島県福山市千田町大字千田
由緒:明応年間(1492-1501)、神辺領安那郡(やすな)宇山村に鎮座していた八幡宮が大地震で倒壊し、天文元年(1532)8月、宇山村から千田村向谷に遷座し宇山八幡宮と称した。その後、弘治2年(1556)に千田村白石(現在地)に分霊を勧請し創祀された神社だ。この神社の本社となる宇山八幡宮を調べてみると大地震で倒壊したという時事は記されていないが京都男山八幡宮(石清水八幡宮)より勧請したと言い伝えられている。祭神は千田、宇山八幡共に神功皇后、応神天皇、宗像三女神で、これは石清水の八幡神と一致する。千田にはもう一つ宇山八幡神社が鎮座している。 
千田八幡神社の社地の一部が平成4年に千田浄水場建設用地の一部となり、この工事に併せて本殿、拝殿の新築、および、境内整備が行われ、平成8年に完成している。新築された本殿は一間社流造で、前面背面共に繁垂木の二軒。身舎柱は正規の円柱を使い頭貫の下は長押が打たれる。妻飾りは頭貫の柱間は蟇股が虹梁大瓶束を支える。縁は三方を廻り、奥は脇障子で止まる。向拝柱は虹梁型の頭貫で固め木鼻には彫刻が施され、柱間は蟇股。軒の垂木は手挟みが支える。 
御祭神:無記載
石段を下り、西方向へ進んで行くと右手に、その先に『宝寿院』行くと
荒神社
720-0013-1_荒神社page
鎮座地:広島県福山市千田町大字千田
由緒、御祭神共に不明

参詣し忘れに気が付き先程の十字路まで引き返し
左折して進んだ直ぐ先、あけぼの会館の道をはさんだ北側
不明祠
720-2124_不明祠page
鎮座地:広島県福山市神辺町大字川南
由緒、御祭神共に不明

更に東へ進んで行、前方Y字路付近に車を停め左手に進んでいった奥に鳥居
木花開耶姫神社
720-2124_木花開耶姫神社page
鎮座地:広島県福山市神辺町大字川南
由緒:創建は不明だが貞享五年(1688年)、野上八幡宮(福山八幡宮の西御宮)の旧社殿を移築して本殿を再建したとある。
御祭神:木花開耶姫

先程の十字路まで引き返し、左折して『千田八幡神社』横まで進み、更に坂を下りその先右にカーブした先、右手の狭い道を進んで行った右手に-大きな銀杏の木があるが殆ど散っていて残念、特に銀杏を狙ってはいないが何か時期が微妙に違う気がする
荒神社
720-0004-2_荒神社
鎮座地:広島県福山市千田町大字千田
由緒、御祭神共に不明

前方へ進んでR182号を進み、前方『千田幹線東』信号の左手に車を停め歩いて-歩道に停車
大迫荒神社
720-0013_大迫荒神社page
鎮座地:広島県福山市千田町大字千田
由緒、御祭神共に不明

引き返しR182号を横切り西へ進んだ右手
艮神社
720-0013_艮神社page
鎮座地:広島県福山市千田町大字千田
由緒、御祭神共に不明
予定として参詣順に番号をふっていたが、やはり(天神社:広島県福山市蔵王町)を忘れている-R182号を挟んだ直ぐの反対側

更に西へ進んで行った右手
宇山八幡神社
720-0013_宇山八幡神社
鎮座地:広島県福山市千田町大字千田
由緒、御祭神共に不明

更に進んで行った右手-手前が天満宮
天満宮(荒神社)
720-0013_天満宮(荒神社)page
鎮座地:広島県福山市千田町大字千田
由緒、御祭神共に不明

更に西へ進んで行くと『千田ガード北』信号でR313号、南へ進んで直ぐ右折して進んで行った、右手の車止めのあるガードの先
明神社
720-0014_明神社page
鎮座地:広島県福山市千田町大字藪路
由緒、御祭神共に不明

先に進んで行って右にカーブした先を左折して前方の坂道を登っていた右手石段のの先-下側から鳥居が確認できる
荒神社
720-0015_荒神社page
鎮座地:広島県福山市千田町大字坂田601
由緒、御祭神共に不明
神社の裏側の道を登って行くと-整備された参道-清掃を期待するのは無理
石鎚神社
720-0015_石鎚神社page
鎮座地:広島県福山市千田町大字坂田
由緒、御祭神共に不明

引き返して北へ進んだ前方十字路の左手角-お堂の隣りに地神碑があるだけ
地神社
720-0017_地神社page
鎮座地:広島県福山市千田町坂田北48
由緒、御祭神共に不明

東へ進んで行くと坂田公園、小さな川の向こうに『北村景松園』の駐車場、その先の山道を進んで行くと前方に石段-かなりシンドイが登りきった尾根の北側に
藪路八幡宮
720-0014_藪路八幡宮page
鎮座地:広島県福山市千田町大字藪路
由緒、御祭神共に不明

東側の石段を下って行った左手
三軒家淀坂稲荷神社
720-0014_三軒家淀坂稲荷神社page
鎮座地:広島県福山市千田町大字藪路
由緒、御祭神共に不明

北側に
三軒家荒神社
720-0014_三軒家荒神社page
鎮座地:広島県福山市千田町大字藪路40
由緒、御祭神共に不明
東側からの方が少し登りやすいか?-道路が南方向への一方通行、駐車場所に困るのでは?

手前の十字路まで引き返し、右折して北へ進んで行き『中津原浄水場』の北東、手前の空地へ駐車して
荒神社
720-0004-1_荒神社
鎮座地:広島県福山市御幸町大字中津原225
由緒、御祭神共に不明
手前の舗装された坂道を登った先石段が-車止めが有り車は無理
小山八幡神社
720-0004_小山八幡神社
鎮座地:広島県福山市御幸町大字中津原
由緒:天正13年(1585)羽賀弾正中津三郎が羽賀茶臼山城主となり、羽賀八幡宮を城の鎮守として羽賀に奉祀したので、翌年に羽賀八幡宮より勧請し現在地である小山に創建したとある。その後、安永3年(1774)に本殿を修造している。
御祭神:記載なし

前方の橋を渡り北へ進んで行くと右手に7&11、左折して進み前方橋へ至る378号の手前を右折して突き当り付近の路肩へ車を停め歩いて土手下の道を北東に進んで行った右手-道は色々有りそうだが無難な道を、そして土手下の道は狭いと思っていたが意外と広いので車で行くべき!
荒神社
720-0004-2_荒神社
鎮座地:広島県福山市御幸町大字中津原
由緒、御祭神共に不明

手前まで引き返し右折して進んで378号で橋を渡り直ぐ右折した土手の下附近に車を停め左手の391号の下横を進み、右にカーブして坂道を登った左手に辻堂
井ノ端竈神社(辻堂)
720-0093_井ノ端竈神社(辻堂)page
鎮座地:広島県福山市郷分町
由緒、御祭神共に不明

陸橋を渡って進んだ右にカーブして進んだ左手に、陸橋の所で通行止め
石原山之神
720-0093_石原山之神page
鎮座地:広島県福山市郷分町
由緒、御祭神共に不明

左手の山の上、結構な階段
石鎚神社
720-0093_石鎚神社page
鎮座地:広島県福山市郷分町
由緒、御祭神共に不明

車まで引き返し、土手下の道を北東方向に進んで行くと左手山裾に、歩いて
石原日和神社(乗弘大明神)
720-0093_石原日和神社(乗弘大明神)page
鎮座地:広島県福山市郷分町560-1
由緒:弘治元年(1555)の創建。昔は「石原大明神」と云われていたが、鳥居には「乗弘大明神」の額もかかっている。
御祭神:彦火々出見命

先へ進むと川沿いの道へ、途中で出会った人に確認、車で通行可能で、神社下に駐車場が有り、そこまでは車で可能との事、対岸のゴルフ場への橋の手前、やはり不安で川の側に車を置いたが、十分可能
荒神社(謹念堂)
720-0004_荒神社(謹念堂)
鎮座地:広島県福山市御幸町大字中津原
由緒、御祭神共に不明
右手の坂道を登って行った先、ここも駐車場先に車両止め
羽賀八幡神社
720-0004_羽賀八幡神社
鎮座地:広島県福山市御幸町大字中津原
由緒、御祭神共に不明

車で行ける処を歩いたりとチグハグな所が多かった気がするが、今日一番の失敗行為、引き返そうとも思ったが、地図上で道幅も問題なさそうなので先へ進んで行ったが、大きな水たまりがうんざりするほど、スピード少しでも上げると完全にハンドルを取られる感じ、やっと381号へ、右折して橋を渡り土手沿いの道を進んで行く、目的の神社は391号の側、土手下の道へ下りるタイミングを外し、殆ど最初渡った橋近くまで進んでやっと土手下の道へ、中学校の手前で右折して進み391号の手前に車を停め、通りを渡って
土手沿いに南西へ進んで行った左手
正膳稲荷神社
720-0004_正膳稲荷神社
鎮座地:広島県福山市御幸町大字中津原
由緒、御祭神共に不明

時間も遅くなったので帰宅することに、391号を南へ、前方左折してR313号を東へ進み、R182号に乗りたいが立体交差、潜った先左折して線路を越え、川沿いの処を左折して川沿いに進み、R182号を越えて突き当りを右折、先にある『片山集会所』に車を置き、山際の道を進んで行った左手
荒神社
720-2124_荒神社page
鎮座地:広島県福山市神辺町大字川南
由緒、御祭神共に不明
その奥の道を進んで行くと
正一位稲荷神社
720-2124_正一位稲荷神社page
鎮座地:広島県福山市神辺町大字川南
由緒、御祭神共に不明

これ以上立ち寄ることも難しいので帰宅、ほぼ北コースを引き返すことにするが、時間が少し遅いせいか意外とスムースに、このコースも西からの帰りには有か?

神社廻り-鞆の浦・備後

播磨の国が続いたので、今回は備後の国『鞆の浦』へ、R2号から左折して244号、右手7&11の先(入江大橋北詰信号)を左折して進み『手城大橋西』信号を右折して進んだ突き当りを左折した直ぐ先
天當神社
721-0962page
鎮座地:広島県福山市東手城町2丁目17
由緒:「天當神社」はもと天神山に鎮座していたが、天正(1573~92)の頃天神山の城主茂野(滋野)孫四郎盛久が旧引野村字沖浦に遷座した。後に明治8年1月に古城山に遷座。海の守り神として祀られていたという。ご祭神は大己貴命(大国主命 --- おおなむちのみこと)。また「天神(てんじん)さん」として親しまれている菅原道真は災害除けの神として農業神としても信仰されており、焼失した通安寺より移設され、天当神社ではこの両神が合祀され、天神(てんしん)が天神(てんじん)となり、現在は道真の人となりから学問の神となっているそうです。毎年10月第1土・日がご例祭とされている。「天當神社」が祀られている天当山は当時は海に浮かぶ小さな小嶋でした。福山の歴史に思いを馳せることが出来る、不思議な空間です。(平井 隆夫 著・「おもしろ ふくやま史」より)
御祭神:大己貴命、菅原道真
西側に荒神社と天神社が

橋を渡る手前を西へ進んだ左手
塩崎神社
721-0962age
鎮座地:広島県福山市東手城町2丁目11
由緒:縁起としての石碑あり
御祭神:記述特に無し
隣りに正一位藤島稲荷大明神が、福山市下水道ポンプ場排水機増設に伴い移転

北へ進み244号へ、西へ進み前方左折して380号を南へ進み入江大橋を渡り、更に進んで芦田川大橋を渡った先へ進んで行くと22号に、更に先に進み鞆の浦に近づいた手前、前方にY字路、右手『中川美術館』方向へ進んで行き坂道を登りきって少し下った右手に石段
荒神社
720-0202page
鎮座地:広島県福山市鞆町後地
由緒、御祭神共に不明

更に進んだ突き当りを右折して坂道を登って行くと前方右折した左手、公園に後ろに
熊野宮秋見神社
720-0202page
鎮座地:広島県福山市鞆町後地
由緒、御祭神共に不明

坂を少し下った右手に『沼名前神社』の境内に入れるところが-右折して境内に駐車
沼名前神社(鞆祇園宮)
720-0202page
鎮座地:広島県福山市鞆町後地1225
由緒:沼名前神社(ぬなくまじんじゃ)は、鞆祇園宮(ともぎおんぐう)とも称され、大綿津見命(おおわたつみのみこと)、須佐之男命(すさのおのみこと)をお祀りしています。 今から千八百数十年前、第十四代仲哀天皇の二年、神功皇后が西国へ御下向の際、この浦に御寄泊になり、この地に社の無きことを知り、斎場を設け、この浦の海中より涌出た霊石を神璽として、綿津見命を祀り、海路の安全をお祈りになられたのが、当社の始まりです。さらに、神功皇后御還幸の折、再びこの浦にお寄りになり、綿津見神の大前に稜威の高鞆(いづのたかとも:弓を射る時に使った武具の一種)を納め、お礼をされたところから、この地が鞆と呼ばれるようになりました。須佐之男命は、鞆祇園宮と称され、元は鞆町内の関町に鎮座していたが、慶長四年の火災で焼失し、草谷(現在地)に遷座の後、明治九年綿津見神を合祀し、相殿として奉斎されています。残念ながら、この祇園宮の創建については不詳です。旧社格は国幣小社。また延喜式内社です。現在は神社本庁所属の別表神社です。海上安全・漁業繁栄・家内安全・病気平癒・学業成就・安産等のご神徳があります。
御祭神:綿津見命、須佐之男命

神社に居た人に下にある鳥居近辺に車は停めれるが停めない方がいいと言われたの近辺を歩いてみることに、一の鳥居を東へ進んで行くと左手に鳥居
小烏神社
720-0202page
鎮座地:広島県福山市鞆町後地
由緒:小烏神社は、地元の人たちから「こがらっさん」の愛称で親しまれている神社。福島正則が鞆の浦の城下町を整備した際に、鍛冶工をこの地域に集めて鍛冶屋町を造りました。その中心にあるのが小烏神社です。創建の年代はよくわかっていませんが、室町時代の後期に、鍛冶を生業とする人たちが、氏神様として祀ったのが起源ではないかといわれています。
御祭神:小烏大神、天目一箇神

『小烏神社』の北東の鳥居を出て北へ進んで行くと右手に
胡神社2
720-0201page
鎮座地:広島県福山市鞆町鞆
由緒、御祭神共に不明

車へ戻り、坂道を下り前方道が狭くなっているので右折、その先を左折して『小烏神社』の鳥居の前を東へ進んで行くと海沿いの22号へ、右折して進んで行き、前方突き当りを左折した辺りへ車を停め、南へ歩いて行くと左手丘の上に鳥居、鳥居を潜り進んで行くと円福寺
円福寺と祠
720-0201page
鎮座地:広島県福山市鞆町鞆10
由緒、御祭神共に不明
南側の『舟番所』へ行こうと思ったが戸が閉まっていて駄目、他に道があるのかもしれないが分からない、引き返して海側を南から廻って
陸奥稲荷神社
720-0201page
鎮座地:広島県福山市鞆町鞆
由緒、御祭神共に不明

引き返し海沿いに北へ進んで行くと右手に
不明祠
720-0201page
鎮座地:広島県福山市鞆町鞆
由緒、御祭神共に不明
鞆ノ津の力石が三個置かれているよう、二〇個は沼名前神社に

先へ進み右手の非常に狭い道を進むと47号、横切って進むと石段突き当りに鞆城跡、手前の左手に
稲荷神社
720-0202page
鎮座地:広島県福山市鞆町後地
由緒、御祭神共に不明
突き当りを右折して城跡へ、少し西方向へ進むと
早毛利稲荷神社
720-0202page
鎮座地:広島県福山市鞆町後地
由緒、御祭神共に不明

海沿いに進むと直ぐ前方に一方通行の標識、右折して進み、その先左折して47号を西へ進み前方突き当りを左折して進み、その先の突き当りを右折して進んだ直ぐの左手、隣の空地に停め
渡守神社 御旅所
720-0201page
鎮座地:広島県福山市鞆町鞆
由緒:渡守神社御旅所は神功皇后が上陸された地で、綿津見大神が最初に祀られた地。棟札には「舟玉神を祀り渡守大明神と号す」と記されており、神功皇后伝説にちなんで、また同じ(沼名前神社)境内に鎮座する八幡神社の縁起もからみ諸説あるよう。
御祭神:綿津見大神
神社は自体は『沼名前神社』境内へ

道が狭いのは港町で仕方ないとして、観光地のせいもあるが交通量が多い、歩く方が無難なので、東方向へ進んだ右手
胡神社
720-0201page
鎮座地:広島県福山市鞆町鞆
由緒、御祭神共に不明

47号を少し引き返し北へ、直ぐ左折して医王寺方向へ途中の坂道の左手に
舘神社
720-0202page
鎮座地:広島県福山市鞆町後地
由緒、御祭神共に不明
ほぼ完全に廃社?草木に覆われ良く分からない

47号を進んで行くと右手に47号の広い道、直進した先に信号、非常に長いので不安になるが、前方の狭い道で対向車に出会っても困るので待っていると後ろに2台の車が、安心して待っているとやっと信号が青に、進んで行くと右手に鳥居、横の集会所に車を停め石段を-側にある駐車場は駐車禁止?、出会った人に断り駐車
淀媛神社
720-0202page
鎮座地:広島県福山市鞆町後地
由緒:平町の高台に位置する淀媛神社。石段を上りきった先、丘の頂上に拝殿があります。この神社の祭神は淀姫命(よどひめのみこと)。三韓征伐を行った神功(じんぐう)皇后の妹君で、はじめは、海神・大綿津見命(おおわたつみのみこと)を祀った沼名前神社(渡守神社)の祭主を務める身でした。
しかし、後世、その徳が偲ばれて氏神として奉斎され、鞆湾の入口を守護する守り神となりました。以降、この高台に鎮座し続け、現在に至っています。
現在の社殿は大正3年に建立されたもので、平成13年に修復されています。
御祭神:淀姫命

狭い道を更に進んで行くと海岸近くに広い処、ここの路肩に車を置いて、防波堤先の手前に車を置き防波堤を進み玉津島の山頂を目指す。
少し進んだ『平二会館』裏に祠
不明祠
720-0202page
鎮座地:広島県福山市鞆町後地
由緒、御祭神共に不明

防波堤を目指して進むが、手前空地は広いがロープで立ち入れないようにしている、島にたどり着くと最初の岩場は何とか登れその先は島の北側に参道が、その先も尾根に沿って道が付けられている-むしろ東側の階段の方が未整備?
玉津島神社
720-0202page
鎮座地:広島県福山市鞆町後地
由緒、御祭神共に不明

先程の『平二会館』に荒神社の祭りの案内が、近くの人に聞いたが場所の要領をえない、山の中腹を走る47号の近くにあるということなので行ってみたが分からない、幟でもあると思っていたので詳しく聞かなかったのが失敗か?

時間的には今日も早いが帰宅することに、ほぼ同じルートで引き返して行く途中、『田尻郵便局』の先新旧22号に分かれる処右手に進み、直進する処を間違えて北上、直ぐ先『ローソン』先を右折、左折して神社横へ、駐車場所が無かったので幼稚園前の空地に車を停め、結構な石段を登って参詣-右手から廻り込む車参道があるがロープで侵入禁止に
武ノ宮八幡宮(田尻八幡神社)
720-0203page
鎮座地:広島県福山市田尻町2423
由緒:王ケ峯の山腹に在り、神武天皇を始め仲哀天皇・応神天皇・神功皇后の四柱を祀っています。この社はもと「武の御宮」と称し、創祀はすこぶる古いのですが、永禄3年(1560)の再興以前の詳細は不明です。神武天皇の高島宮址は田尻村の奥頭なので、東征解覧の後住民が誠意を表して社殿を営み遺蹟を称えたと思われます。社殿は永禄3年(1560)慶長17年(1612)万治元年(1658)元禄4年(1691)天明元年(1781)大正5年(1916)の再建を経て今日に至りますが、明治45年(1912)本殿拝殿ともに焼失してしまいました。大正5年(1916)本殿を、昭和3年(1928)幣殿・拝殿を造営しました。この社が八幡宮と称するに至ったのは永禄以降で、口碑によると長和八幡宮を分霊。
御祭神:神武天皇、仲哀天皇・応神天皇・神功皇后

川沿いに進んで行くと『風呂の鼻お旅所』、その先を登って行くと『神恵院-お札所』その先に赤い手摺と石段
風呂神社
720-0203page
鎮座地:広島県福山市田尻町
由緒:寛永二〇年(一六四三)水野勝成が疝を病み、東西の崖下に唐風呂を設けて治療した。今も当時の柱穴・梁穴などが風浪にたえて残り、黒く焦げた崖膚とともに往時を追懐させる。その時頂上に風呂明神がまつられ、それ以来この地も風呂が鼻と呼ばれるようになった。
御祭神:記述無し

同じルートで帰宅するが、金光、高梁川手前で渋滞、倉敷を抜けた先でも何か所か渋滞、西に行った時の帰宅時のルートは考える必要
鞆の浦の道は狭く対向車が多いのに疲れたのか、このことを気にして歩いたのが疲れたか!多分両方であろう!
ギャラリー
  • 神社廻り-福山北西方面
  • 神社廻り-福山北西方面
  • 神社廻り-福山北西方面
  • 神社廻り-福山北西方面
  • 神社廻り-福山北西方面
  • 神社廻り-福山北西方面
  • 神社廻り-福山北西方面
  • 神社廻り-福山北西方面
  • 神社廻り-福山北西方面