岡山県内神社巡り(メイン)

片っぱしらからの神社巡り

旭川東岸神社巡り

やはり暑い日が続いている。暑さを避け県北の方へ行くのはまだ先として、近所で車で行ける平地の旭川東岸を目指す。
まずは、後楽園東、旧山陽道を少し入った木野山神社を探す。路地を少し入った処にひっそりと鎮座している。

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鎮座地:岡山市中区森下町
由緒、御蔡神ともに不明


山陽道を少し南に進み、旭川からの引き込み水路の旭川より右岸に源九郎稲荷神社が、橋を渡った袂のすぐそばに稲荷神社が見られる。
源九郎稲荷神社

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鎮座地:岡山市中区古京町1丁目
由緒、御蔡神ともに不明

名称不明な稲荷神社

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鎮座地:岡山市中区中納言町2
由緒、御蔡神ともに不明

続いて旭川土手にでて、東山中学校南にある三神社を目指す。
現在、住宅の建て替えと道路工事中?間違った道へ入る

楠龍稲荷神社

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小さな公園の一角にあり、なぜか鳥居と祠が離れているのは元は大きな境内だったのか?
鎮座地:岡山市中区さくら住座
由緒、御蔡神ともに不明

水神宮
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住宅の一角に溶け込んで存在する
鎮座地:岡山市中区旭東町1丁目
由緒、御蔡神ともに不明

七家神社

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どうも、地図に表示されている位置と違うのでは?
鎮座地:岡山市中区旭東町1丁目5-9
由緒、御蔡神ともに不明


桜橋線の南にある荒神社を目指す。45号線の一本西内側の道。対向車がいると困る道幅である。
荒神社

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鎮座地:岡山市中区桜橋2丁目18-18
由緒、御蔡神ともに不明
屋根の修繕中であった。

今回は近いというだけで参拝した。岡山県神社庁にも全て記載なし。

岡山近辺の神社廻り庭瀬近辺

梅雨もまだ開けず、非常に暑く、さらに蒸し暑い。やはり山際にある階段を登って行く神社を避ける。
以前、180号線廻り帰りに参拝した三十番神社の続きととして、今回は庭瀬方面へ向かう。
まず最初としては続きとし須佐之男神社を目指す。大体の位置は分かっているし、神社らしき繁みが西に見えるが、どの道を西に入って行くのか分からない。車を止めて附近を歩くが用水路に阻まれる。最初の川入の交差点を南に入り進んでいくと三玉宮(腰折様)へ行き着く。これは全く予定に入ってないというか、知らなかった。

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由緒、御蔡神:昔、このあたりの戦いで、腰を痛めて休んでいた武士が敵兵に討ち果たされた場所で、その霊を祭ったと言われている。
神社と言うより祠である。

取敢えず南下して広い道にでて西へ、そして北上、しばらくすると神社が見えてくる。強引に狭い道を走る。少し広めな路肩に車を止め歩いて行く。
最初に須佐之男神社 通称名 疫神様が田んぼの中に見える。

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鎮座地 岡山市北区中撫川502

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由緒:往昔、吉備中山に大吉備津彦命鎮座後、十握剣を宝物として彼の社に納めた。寛喜年中(1229?32)に彼の社が回禄の際、御剣を此の地に遷して奉斎した。御剣は彼の社に奉遷後、御剣の縁に依って須佐之男命・天照大御神を跡地に祭った。後、須佐之男神・櫛稲田姫神・大穴牟遅神を祭って上社とした。寛永年中(1624?44)社号を疫神社とし明治2年現在の社名とした。社殿は寛永6年(1629)、元禄3年(1690)9月、天保6年(1835)8月に夫々再興している。昭和31年8月、本殿炎上。同54年6月に本殿を改築した。
御蔡神:建速須佐之男命

更に南東方向へに神社らしきものが見えるので徒歩で進む。どうも地図で見る時芳神社と八幡神社が同じ境内にあるようである。

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時芳神社と八幡神社

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鎮座地:岡山市北区中撫川551
由緒:往昔、吉備中山に大吉備津彦命鎮座後、十握剣を宝物として彼の杜に納めた。寛喜年中(1229?32)に彼の社が回禄の際、御剣を此の地に遷して奉斎した。御剣は彼の社に奉遷後、御剣の縁に依って天照大御神・須佐之男命を跡地に祭った。後、天照大御神を祀り下社とした。寛永年間(1624?44)に八幡神・春日神を勧請して八幡神社と改号した。慶長の頃(1600年前後)再興し、元禄15年(1703)にも再興し現在に至っている。
御蔡神:品陀和気命、天照大御神、天児屋根命

次にこの近くと思われる若宮八幡宮へ、この辺りは農業用水路が多く思い通りの方向へ行きにくい。一旦旧国道へでて、中国短期大学の西側を目指して進むと若宮八幡宮にたどり着く。

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鎮座地:岡山市北区庭瀬34

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由緒、御蔡神共に不明
全てではないのだがこの辺りの神社は釣鐘が多いような気がする。

次に旧2号線南側の庭瀬城址、撫川城址近辺の神社を目指す。
この近辺は庭瀬撫川陣屋町地区 街なみ整備として整備されているようである。最初車を止めたお寺さんの隣に見えた神社へ。鳥居に八幡大菩薩の標識がある。

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由緒、御蔡神共に不明。

まずは、堀沿いに庭瀬城趾の八幡宮、清山神社を目指す。堀には大賀ハスが見られる。
八幡宮から清山神社へと順に参拝する。

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鎮座地:岡山市北区庭瀬827

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清山神社 鎮座地 岡山市北区庭瀬828
由緒:本神社の創建は、寛政6年(1794)9月15日である。旧庭瀬藩主の祖を奉祀したものである。明治14年9月24日村社に列格、明治40年10月2日神饌幣帛料供進神社に指定せられた。
御蔡神:板倉重昌、板倉重矩

次に説明標識によって撫川城址にある三神社を目指す。

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鎮座地:岡山市北区撫川423
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由緒、御蔡神共に不明。
こちらの城跡は城壁(石垣)が少し立派?


少し北側にある瀬戸稲荷神社、住吉宮を廻る。
道が狭く水路等が入り組んでいそうなので広い道に車を止め歩いて瀬戸稲荷神社を探す。見落としそうな神社である。
通称:瀬戸稲荷神社DSCF4345
鎮座地:岡山市北区庭瀬776
由緒:創建は延喜年間(901?23)である。この地は海で浅瀬となっていたので、航行の船舶は難航していた。醍醐天皇の延喜年間に、この地に祠を建て稲荷神社を奉斎した。この地の浅瀬は新しい瀬であるから新瀬で、庭瀬の地名の発祥である。
御蔡神:稲倉魂命、大土祖命、水分命

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案内板に載っていた住吉宮の参拝を最後に帰宅する。暑いので結構疲れる。

旭川西岸南方神社巡り

台風は問題なく通り過ぎたが、非常に暑い日が続いている。山の上にある神社を避けるため平野部の神社を目指す。旭川西岸で南方向へ。はっきりした場所は覚えてないが。
最初30号線を通り、岡山国際スケートリンクの先にある岡南小学校から東にある春日神社を目指す。旭川の土手手前に神社らしき木立が見える。
昔からの色々な木々があり、結構涼しげである。

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鎮座地 岡山市北区七日市西町4-13

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由緒:当社の創建は寛和年間である。古くは春日大明神と称えたが、明治2年に春日神社と改称した。同6年9月29日に郷社に、同15年8月30日に県社に列せられ、同41年5月22日神饌幣帛料共進神社に指定された。
 大和の春日大社から御神霊を勧請したものと思われる。一説に「何時の頃にや南都春日の神鹿、神額をもって、備前国に奔り社前の額ヶ瀬で斃れいたりしかばその神額を奉じて此の地に勧請し奉る額ヶ瀬の地名は慈に由来す」とある。よって本神社を中心に一帯の地名を往昔「鹿田庄春日村」と名付けられたと伝えられている。
 御本殿は春日造、灯籠は春日型、鳥居は春日鳥居である。岡山城主の宇喜多直家は天正年間に岡山城築城の祭に、城の南方の鎮守とし、社頭に鵲松を植え崇敬した。備前藩主池田氏も累代社領高10石を寄進した。
御蔡神:天兒屋根命、姫大神、經津主命、武甕槌命

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藤棚の参詣路と赤い鳥居の稲荷神社がなぜか目を引く。

次いで旭川土手沿いの道(213号線)を南へ、豊成へ出る道を目指すと小さな橋の袂に天満宮、通称子安天満宮がある。遠慮しながら路肩に車を止め、参拝する。

 
天満宮 通称名 子安天満宮or十日市天満宮

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鎮座地 岡山市北区十日市東町2-28

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由緒:創建は延喜元年(901年)頃と伝えられている。社伝に菅原道真公が筑紫に御左遷の砌、当地に仮泊せられた時に、海女が難産で苦しんでいるのを不憫に思召されて、一首の歌を与えられたら忽ち安産したと云う。よって御腰をかけられた石を腰懸石と言い瓦祠で道真様と唱え奉った。天喜元年(1053年)に天満天神と改め御社殿を造営した。寛政3年(1791年)に天満宮と改称した。昭和20年6月29日に空襲で御社殿を全焼したが、同年10月1日仮本殿を建立した。昭和25年5月5日に幣殿・拝殿を新築した。俗称子安天満宮とも奉称する
御蔡神:菅原道真


続いて、岡山製紙の西隣と言うことで南東を目指す。何とか発見できたのが内宮 通称:吉備国内宮

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鎮座地 岡山市南区浜野1-3-8

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由緒:当社の御祭神である天照大神は、かつて皇居の内にまつられていたが、やがて第10代崇神天皇の御代に皇居と神居とが別けられることになり、まず倭の笠縫邑に遷しまつられ、その後、丹波国(京都)、倭国(奈良)、木国(和歌山)、吉備国(岡山)を経て再び倭国へ、そしてさらに伊賀国(三重)、淡海国(滋賀)、美濃国(岐阜)、尾張国(愛知)を経て第11代垂仁天皇の26年(紀元前4年)に伊勢国(三重)へ御遷幸になられ、その地を永遠の宮地(現在の伊勢神宮)として鎮座された。
 天照大御神が皇居を出られてからこの伊勢に至るまでの御遷幸経路については、日本書紀や皇大神宮儀式帳、倭姫命世記などの古文書に見られる。
 中でも神道5部書の1つに数えられる倭姫命世記の中には「垂仁天皇54年丁丑、吉備国名方浜宮に遷し4年斎奉る」と記されており、これが当社「内宮」の創始となっている。また、江戸時代に土肥経平が著した寸簸の塵(きびのちり 吉備の地理の意)という書物の中に「外宮は出石郡にあり。内宮は鹿田庄浜野村にありて式内の神なり。皇大神宮即ち是なり。」とあり、その当時の様子が詳しく記されている。
 当社の、創祀は伊勢の内宮鎮座の40年前にあたる。また大正2年には、付近の野々宮と日吉神社が当社に合祀された。
御蔡神:天照大御神、倭姫命、大己貴命

再度旭川の土手道へ出て、ひたすら南へ河原の神社、住吉宮を目指す。
土曜日のせいか、祭の準備らしきことを行っていた。近隣でも住吉宮の旗が見られた。

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鎮座地 岡山市南区福島1-8先

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由緒:元禄(1688年?1704年)の頃、源義経が八嶋へ渡海の節、邑久郡藤井村に勧請したのを、寛文12年(1672年)8月15日国主池田光政が当地に移転勧請したと伝えている。 
御蔡神:底筒男命、中筒男命、表筒男命、神功皇后

最後に全く知らなかったが、天満屋ハピータウン近くの岡南神社を目指す。
街中の神社で新しそうで、今日は表面に輪は供えられ、屋台も出てかなりの人数が集まっていた。早々に退散する。

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鎮座地 岡山市南区あけぼの町14-16
由緒、に関しては分からないが創建が昭和三十一年と新しい
御蔡神:天照皇大神、豊受大神

車のクーラーで冷やされ楽な参拝でした。街中は神社の木立が目立ち、探すのも楽だし、神社の前まで車で行けるので楽である。最も車の駐車場所は注意が必要である。

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