岡山県内神社巡り(メイン)

片っぱしらからの神社巡り

岡山市近郊西方向神社巡り

前回の岡山市南方向の続くではあるのだが、どうも西方向の方が妥当に思える。
方向としてはJR山陽線より南側にあるが続きとして白鬚宮を参拝。適当に行ったがメイン道路のすぐ近く。神社が見えてUターンして行きつく。

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鎮座地:岡山市北区中仙道182
由緒:当社は後小松天皇の応永8年近江の白髭宮を勧請し、中仙道松之島に創建した。文亀・永正の大洪水に、社殿が辰巳村に流され、昌林寺に祀っていたが、寛永13年中仙道地区に再建した。
御蔡神:猿田彦命

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続いてJR山陽本線を越えて北側に、最近できた新駅、北長瀬駅付近へ。
駅に車を止めそこから見える神社へ歩いて参拝。小じんまりした神社ではある。

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鎮座地:岡山市北区北長瀬本町14-31
由緒:創建年月等不詳。江州日吉大神宮の御祭神を勧請したと、池田家蔵神社明細帳にある
御蔡神:大山咋命

旧跨線橋の北側に向かうと白鬚宮は直ぐに分る場所にあり。

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鎮座地:岡山市北区北長瀬本町27-6
由緒:安元2年(1176年)岡山県津高郡一の宮、吉備津宮から御遷宮した。旧号は御崎宮と称していた。
御蔡神:大山咋命

本日の最後の参拝は天満宮へ。この神社も道沿い(旧幹線道路)にあり、分かりやす。それにしても、車が増えたせいか新しい道がどんどん出来ている。新しい道(岡山西バイパス)を通ると解かりにくいかも。

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鎮座地:岡山市北区野殿東町53
由緒:当宮は延喜元年(901年)、右大臣菅原道真公が筑紫に左遷の時、この所に立ち寄り、沢辺に上陸された故事によって祭祀を執り行ったという。
御蔡神:菅原神、天照大神、誉田別命、天児屋根命

お寺さんと違って規模が小さいものが多いので、今後もお参りする場所には事欠かない印象である。

岡山市近郊、南方向神社巡りその2

黒住教の関係で有名な大元宗忠神社へ

黒住教の教祖生誕の地に建てられた。昔、会社時代に先代社長の社葬を

行った場所、市内を舞台にした行事があり、敢えて、何も言うことは無いのか。

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鎮座地:岡山市北区上中野1-3-10

由来を簡単に記すと、大元 宗忠神社は、宗忠神(黒住教の教祖 黒住宗忠)をおまつりし、ご祭神のご生誕地である岡山市北区上中野(通称・大元)に、明治18年(1885年)にご鎮座なりました。
大元 宗忠神社:明治天皇の御父君・孝明天皇が仰せ出された唯一の勅願所である京都の神楽岡・宗忠神社(文久2年-1862年-ご鎮座)に続いて建立されました。
ご祭神のお徳から、学徳向上、家内円満、病気平癒、事業繁栄の【開運の神様】として、多くの方々がご神徳をいただかれています。
ご祭神 黒住宗忠は、安永9年(1780年)11月26日(旧暦)の冬至の日の朝、代々今村宮(岡山市)の神職をつとめる家に生まれました。


と言う訳で今村宮に進む!

結構雰囲気のある神社、入り口付近に池や東屋ぽいのが配置されこれまでの神社と何か違う感じ

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鎮座地:岡山市北区今4-3-5

由緒:当宮は建武元年(1334)の創建で、岡山市の中心部である内山下の榎の馬場(現在の岡山県庁前)に、奥州白川の城主である菖蒲七郎左衛門の子・正寿が勧請した。
 天照大御神、八幡大神、春日大神の三神を奉祀したので、「三社明神」または、「三社宮」と称し、約250年にわたり、岡山市の中心部の産土神として崇敬された。
 天正8年(1580)岡山開府の祖といわれる宇喜多直家が岡山城城郭を拡張するにあたり、付近の土地を整理・移転した。そこで、三社明神は今野村に祀られている八幡宮に御遷宮され、二つの神社は合祀されて現在の今村宮となった。
 今村宮はこのような歴史の為、二つの大きな地域に氏子がある。三社宮、三社明神といわれていた当時からの氏子は、岡山市中心部である内山下(水の手、相生、元町)大炊殿(現在の川崎町)、橋本町、荒神町、中之町、下之町、栄町、紙屋町、西大寺町、新西大寺町、細堀、千日前、天瀬、中山下、高砂町、仁王町、常盤町、中央町、柳町、田町、下出石、下石井、下西川、桑田町などである。 多少の変化はあるが、今日でもなお今村宮の氏子である。また、急速に開け発展しようとする今、竹通、大野辻、上中野、下中野、野崎、新中野町内の鎮守でもある。
明治16年、県社に列格し、昭和30年3月、本殿が岡山県重要文化財に指定された。
御蔡神:天照大御神、春日大神、八幡大神

さすが、県の重要文化財と言うところか?

今回の続きと言うことで、岡山市西側の小さな神社

岡山市近郊、南方向神社巡りその1

今回は南方向の市街地を目的にする。
まずは、地図を見、更に、大きな家具・インテリア販売の「ニトリ」のすぐ南側を確認。
昔の通勤路のすぐ近くであることも確認。最初つまずくと面白くないので。
下校時の小学生に道を邪魔されながらも問題なく到着。トラックが鳥居の前に止めてあり邪魔だが仕方ないか。

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鎮座地:岡山市北区奥田南町4-48

由緒は境内の案内板に記載あり、下記の内容?
石門別神社の由来
この神社は、近世には石神宮・石神社と呼ばれていたが、寛延三年(一七五〇年)十二月大守肥後守を 中心とする 式内社再興運動が展開されたとき、この宮が古来から延喜式内社であり、祭神は従二位天 津石門別神であることから、当時の国司が岡山平野に石門別神社と改号し、こゝ田住と大供に祭られた と伝えられる。
  天孫降臨にあたり天岩屋に神こもりし天照大神を、天児屋命が神楽を奏し、天鈿女命が舞楽をなし、 天津石門別神や手力男命などがおつれ申したと伝えられる。また、元明天皇が和銅五年(七一二年)大 安麻呂に命じつくられた 我が国最古の古典「古事記」には、光華明彩・六合照徹と云われ、その御威 光は広大無辺で宇宙万物を生成化育する御本源であらせられる大日霎貴別名天照大神が天孫降臨に際し、 「 天津石門別神など 」の功績が記され、古くからの伝説にもされている。
  神は、人間にとって超越的な存在とされるあるもので、宗教的信仰の対象として、原始時代から人々 が何らかの不可知なものゝ存在に気づいたときに発する。
  この氏神は、八世紀以前の時代から、地域の血縁・地縁的な集団の精神的統合と社会的連帯の強化の 中心として、人々から鎮守さま(別名産土神)として信仰され、祭られて参りました。
  人々は自己の神性をとり戻し(ご利益を蒙るの意)、社会生活の意義を確め、神威を畏こみ神の恵み を仰いで、神の御加護によって(神の顕現発揮という)生きることの喜びをかみしめ、明日の生産・生 活に希望を力を得る源泉としてきました。
  また、境内地の中には、武甕槌命を祭神とする石神と呼ばれる石及び「あしおうさん」と呼ばれる足 の病を治して下さる石神のほか、末社として若宮・荒神社、注連神社、愛宕神社がある。
  いづれも簡素な建物ながら、その時代その時代の地域住民の連帯意識の拠所として引継がれている。
  こゝに由来を記して、あらたかな御神徳を偲ぶと共に、広く地域の方々の信仰の拠りどころにして戴 きたいと念じます。

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御蔡神:天石門別神

続いて日赤裏の天野天満宮へ、以前日赤に行ったとき見覚えあり。ここも神社庁には記載無し
やはり基準がよく分からない。

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鎮座地:岡山市北区青江3丁目2-1
由緒は不明
境内の掲示から御蔡神:仲哀天皇、応神天皇、神宮皇后、高皇産霊神、若日女神、神皇産霊神

続いて新保八幡宮へ進む

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鎮座地:岡山市南区新保830


由緒:創建は元和元年(1615年)9月17日である。青江八幡宮の御分霊を勧請した。往古は8月26日に青江八幡宮に神幸式があった。

御蔡神:仲哀天皇、応神天皇、神宮皇后

続けて参拝しているがちょっと休憩、続きは次回に
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