黒住教の関係で有名な大元宗忠神社へ

黒住教の教祖生誕の地に建てられた。昔、会社時代に先代社長の社葬を

行った場所、市内を舞台にした行事があり、敢えて、何も言うことは無いのか。

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鎮座地:岡山市北区上中野1-3-10

由来を簡単に記すと、大元 宗忠神社は、宗忠神(黒住教の教祖 黒住宗忠)をおまつりし、ご祭神のご生誕地である岡山市北区上中野(通称・大元)に、明治18年(1885年)にご鎮座なりました。
大元 宗忠神社:明治天皇の御父君・孝明天皇が仰せ出された唯一の勅願所である京都の神楽岡・宗忠神社(文久2年-1862年-ご鎮座)に続いて建立されました。
ご祭神のお徳から、学徳向上、家内円満、病気平癒、事業繁栄の【開運の神様】として、多くの方々がご神徳をいただかれています。
ご祭神 黒住宗忠は、安永9年(1780年)11月26日(旧暦)の冬至の日の朝、代々今村宮(岡山市)の神職をつとめる家に生まれました。


と言う訳で今村宮に進む!

結構雰囲気のある神社、入り口付近に池や東屋ぽいのが配置されこれまでの神社と何か違う感じ

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鎮座地:岡山市北区今4-3-5

由緒:当宮は建武元年(1334)の創建で、岡山市の中心部である内山下の榎の馬場(現在の岡山県庁前)に、奥州白川の城主である菖蒲七郎左衛門の子・正寿が勧請した。
 天照大御神、八幡大神、春日大神の三神を奉祀したので、「三社明神」または、「三社宮」と称し、約250年にわたり、岡山市の中心部の産土神として崇敬された。
 天正8年(1580)岡山開府の祖といわれる宇喜多直家が岡山城城郭を拡張するにあたり、付近の土地を整理・移転した。そこで、三社明神は今野村に祀られている八幡宮に御遷宮され、二つの神社は合祀されて現在の今村宮となった。
 今村宮はこのような歴史の為、二つの大きな地域に氏子がある。三社宮、三社明神といわれていた当時からの氏子は、岡山市中心部である内山下(水の手、相生、元町)大炊殿(現在の川崎町)、橋本町、荒神町、中之町、下之町、栄町、紙屋町、西大寺町、新西大寺町、細堀、千日前、天瀬、中山下、高砂町、仁王町、常盤町、中央町、柳町、田町、下出石、下石井、下西川、桑田町などである。 多少の変化はあるが、今日でもなお今村宮の氏子である。また、急速に開け発展しようとする今、竹通、大野辻、上中野、下中野、野崎、新中野町内の鎮守でもある。
明治16年、県社に列格し、昭和30年3月、本殿が岡山県重要文化財に指定された。
御蔡神:天照大御神、春日大神、八幡大神

さすが、県の重要文化財と言うところか?

今回の続きと言うことで、岡山市西側の小さな神社