今日は曇り空で涼しそうなので急遽出かける。東岡山以東の旧山陽道沿いを目指す。通常通り旧R2号線(R250号)長岡の先、赤穂線を越えた直ぐ先を左折、新幹線を潜った少し先を右折(斜めに北東へ-山陽道)、小山に至ると廻り込んで東へ、神社の近くに車を止める
すさのお神社
鎮座地:岡山市東区藤井658
由緒、御蔡神共に不明
先ほどの神社を起点に、北方1km程度なので北に向かって歩く、途中で先生と呼ばれていた人に尋ねる。こちら側からは草に埋もれて行くのは無理。西側の宿から行けば道が付いているとのこと、車では無理のようであり、今回は中止(北側96号から廻り込む)岡屋八幡宮
旧山陽道を少し東に進むと左手に鳥居が見える(170m程度)
總社八幡宮
鎮座地:岡山市東区藤井929
由緒:創建年代、由緒等不詳。
御蔡神:仲哀天皇、応神天皇、神功皇后
總社宮にしては意外と小さい神社である。
山陽道を東へ進んでいき医光院を探すが、先にある三角寺の石碑を左手に見つける。行き過ぎているので少し北西方向へ広い道を進むと目的地より西方向の墓地へ出る。近くにいた人に神社の位置を聞く、牛神社の由来等を知っているらしいが長くなりそうなので、お礼を言って進むと、池の土手下側に見える。
牛神社
鎮座地:岡山市東区上道北方1334
由緒、御蔡神共に不明
来た道(牛神社の北側に広い道)を引き返し、脇道をとらずしばらくそのまま進み、池の土手を越えて突き当たると三角形の土地が道路に囲まれている。ここに駐車スペースあり。(田舎から菊山経由で帰る道際)
熱田八幡宮
鎮座地:岡山市東区中尾805
由緒:当社は延宝8年(1680)中尾宮山(岡山市中尾)に中尾、上道北方、鉄(くろがね)の鎮守神(氏神)として建立された。宝暦2年(1752)火災で社殿を全焼したが、宝暦12年(1762)再建された。六社大明神の1之社と称され、社領八石の寄進を受けた。本殿の屋根は昭和のはじめ桧皮葺から銅板葺に替えられたほか、しばしば社殿の補修が行なわれた。秋季大祭には6社の神輿が神幸され1之社として先頭に宮司が乗馬し、2之社、3之社と次々に並んで総社宮(藤井)に東西に別れ3基ずつ並んだ。昭和21年まで6基の神輿の神幸があったが、現在は神輿の神幸は別々に行われている。
御蔡神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、産土大神
白い塀に囲まれた、結構立派な神社。
北に進みデイサービスセンター隣池の北に派手なピンク色の鳥居が見える。
日月神社
鎮座地:岡山市東区中尾
由緒、御蔡神共に不明
よく分からない神社である。
田舎方向へ進んでいくと途中、道側左手に鳥居が見える。道に車を停め、脇道を歩いて進むと神社がある
不明神社(菊山)
鎮座地:岡山市東区瀬戸町菊山
由緒、御蔡神共に不明
廻りに人家もないので名称等も聞けず、地図上でも名称確認できず。
道を西方向へ進んでいくと左手に池の土手と神社が見える。X路の広めの道路に車を停め、池の土手方向を目指す。意外と広い境内である。
春日宮、春日神社
鎮座地:岡山市東区瀬戸町宿奥1049
由緒:創建は不詳であるが、第107代後陽成天皇の文禄4年12月、御津郡金山寺古記録、備前48寺領及大社領目録に「畠一反上道郡宿奥村大明神領」と記してある。ご神体は束帯の座像で、第109代光格天皇の寛政の頃に、子供数名が社壇に上り扉を開き、ご神体を持ち出して弄んだために、手足が膀腫して、傍らに転んだのを神職が認め、祓い清めて神殿に祀り、罪を謝したので、神の怒りが静まったのは奇特であると伝えている。
御蔡神:武甕槌命、經津主命、天兒屋根命、比賣神
元の道を引き返し、表面の山際の道を左折(東方向へ)、広めの道を進んで行くと池に出る。池の右側の道が広そうなので進むと、池の土手左手に鳥居が見える。池の下に広い駐車場があるので停めて、歩いて鳥居を目指す。
立河神社
鎮座地:岡山市東区草ケ部1747
由緒、御蔡神共に不明
東方向へ進み、220号へ、瀬戸方向へ進み、山陽本線と近づく手前に車を停め、谷尻公会堂を探して山際へ進むと神社が見える。この辺りにも高校の同級生の家があったと思う。
武部神社
鎮座地:岡山市東区谷尻39
由緒:当社の創建年代は不詳である。社殿は明暦3年(1657)丁酉年12月29日夜怪火のため炎上。翌明暦4年4月萱葺き本殿を建立。寛文11年2月瓦葺本殿を造営した。その後営繕は数次に及んでいる。明治維新前は武部八幡宮と称したが、明治2年に武部の二字を除き八幡宮と改称し、明治6年村社に列した。明治13年5月15日に武部神社と改称した。旧藩政時代の社領は7斗5升であった。
御蔡神:稲依別王
白塀で仕切られた神社
220号を引き返し、先ほどこの道へ出た少し先の左手にこんもりした丘が路肩に車を停め歩いて行く。
森神社
鎮座地:岡山市東区草ケ部
由緒、御蔡神共に不明
220号を更に進み新幹線の手前を西へ、山際の狭い道が続く、坂道でありバックで引き返す不安に苛まれながら進むと神社の前に空き地がほっとする。
青津八幡宮
鎮座地:岡山市東区沼1519
由緒:文暦元年(1234年)の創建。若宮を寛元年間(1243年〜1247年)に合祀し、素盞嗚尊を勧請した。新幹線を施設するときに遷座し、現在地に昭和45年12月20日に新築し奉斎した。
御蔡神:仲哀天皇、神功皇后、応神天皇
元の場所は知らないが、新幹線を見下ろす位置にある。
220号から山陽本線踏切、新幹線下を潜り浮田小学校へ、東側の広めの場所に車を停め、歩いて神社を探す。亀山城跡の表示版が見える。
弁天神社
鎮座地:岡山市東区沼1801
由緒、御蔡神共に不明
亀山城(沼城)についての説明は見られるが、神社に関しては何も見当たらない。
真っ直ぐ進むと直ぐにR250号へ出るので、平島方向へ進み、手前の南古都の信号を左折し、突き当たりを右折、マルナカの駐車場へ車を置き、直ぐ前の神社を目指す。
北居都神社
鎮座地 岡山市東区東平島1468
由緒:創建年月不詳。社伝によると八束水臣津奴命は築杵等手留比古命とご兄弟で、素盞嗚命の御子である。八束水臣津奴命が真銕吹く吉備の国に到リましたところ、遠い昔の上津道居都の辺りは海であったが、築杵等手留比古命と力を協せ、殖産興業の道を教え給い、漣波寄せる平島居都の御山に鎮り給うた。(北居都神社縁記)上代は八束水臣津奴命を北居都、南居都の両神社に分祀し、築杵等手留比古命を西平島築杵神社に奉斎した。神功皇后が三韓征伐の時この津に碇泊せられ、帰途にも船寄し給うたと伝えている。この縁で、住吉三神・神功皇后・仲哀天皇を配祀するようになった。明治43年5月9日に本宮北居都神社に、築杵神社・南居都八幡宮・帆負八幡宮を合祀し今日に至っている。神階は従五位上で、延喜式外社、神饌幣帛料供進神社に指定せられた。
御蔡神:八束水臣津奴命、築桙等乎留比古命
高校時代は南側に行かなかったせいもあるが、全く知らなかった。昔の旧道からでは全く見えなかった。新しい道、スーパー等が出来て分かりやすくなっている。これだけ広い境内が山頂にあるとは思っていなかった。
R250号の反対側の神社を目指す、近くのはるやま等の駐車場からはフェンスがあり進めない。はるやまの東側の道を入り、廻り込み、小山の南側を目指す
貴船神社
鎮座地:岡山市東区南古都389
由緒、御蔡神共に不明
よく手入れがされているこぎれいな神社である。
曇り空でpm5時近くなり暗くなってきたので本日も途中で帰宅する。