先日に続き同様に東山線を通り新永安橋へ、最初の信号を左折し進むと土手下の道をブルーライン橋の東端直ぐ北側、神社の南側に空き地あり
春日神社
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鎮座地:岡山市東区西大寺新15・16
由緒:文和3年の頃、大和国カスガジンジャから勧請したものと伝えられている。往古は田村字大明神に鎮座せられたが、その後、同村字大仏に、また寛仁7年3月に現在の社地に遷された。旧御神号を春日大明神と称し、今なおその遺跡が存している。
御祭神:天兒屋根命、武甕槌命、齋主命、比賣神

土手下の道を南へ道なりに進んで行くと前方左手に小高い丘、乙子城址の表示と鳥居と階段、そして上に神社らしき建物、稲荷っぽい鳥居もある。
大国主神(乙子城址)
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鎮座地:岡山市東区乙子
由緒、御祭神共に不明

勘違いで乙子城址にあると思い、シンドイ思いをして山頂まで登るが神社らしきもの無し。よく見ると東にある墓地の先、更に間違えて下まで降り、歩いて参詣(乙子城址の南、最初の道を左折して川へ出る手前の突き当り奥に)
乙子神社(乙子大明神)
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鎮座地:岡山市東区乙子237
由緒:当社は乙子城山に鎮座する神社である。創立は詳かではないが本殿内に乙子大明神、延喜4年(904)4月22日御内陣新調の記載がある。御鎮座の山は往古角岬と称え、西南とも入海になっており、東方から4キロメートル余り突出している。若御毛沼命は五瀬命(安仁神社)の御末弟であって、乙子大明神と尊称し奉った。「備陽国誌」に乙子村若宮大明神として見えるが同一神と思われる。また、神武天皇が御東征の際、御登臨されたとも伝えられている。近くに安仁神社や御東征の際海路を御嚮導された珍彦命が祀られている神前神社などがあるのはこれに係わりが深いと思われる。浮田直家が岡山城を築いた時、社領田を奉納し、大いに崇敬した。また、備前藩主池田公も社領5斗を献じた。
御祭神:若御毛沼命(神武天皇)、猿田彦命、夏之賣神、秋比女神

城址前の道を南へ進むと右手土手に神社
木野山神社
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鎮座地:岡山市東区乙子
由緒、御祭神共に不明

更に南下、橋を渡って直ぐ
祇園神社
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鎮座地:岡山市東区乙子
由緒、御祭神共に不明

上記神社前の道を川沿いに登って行き橋の処を右折して進んで行くと鳥居、近くの広めの処へ車停め登って行くと先に神崎梅園が神社の前に、しかして梅の消毒か手前の椿の木が真っ白、口をふさいで急いで通り抜ける。
神前神社
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鎮座地:岡山市東区神崎町2466
由緒:当社の創建年代は不詳であるが、備前国神名帳(総社本)に神前神社7、山本氏本に従3位神前明神と記してある旧社である。中古社号を神崎大明神と称し、御祭神は猿田彦命であったが、明治2年社号を旧号の神前神社に復し、明治9年9月15日珍彦命を祭神として奉斎した。神武天皇の御東征の海路を御嚮導された神であるので例祭の相嘗に高島神を祀り、36台の神饌を献ずる例がある。明治44年12月神饌幣帛料供進神社に指定された。本神社から南方の海岸に亀石という亀に似た岩があり、珍彦命の乗った亀の化石であると尊崇し、亀石神社と称している。また、付近には神武天皇を祭神とする乙子神社や、神武天皇の三兄を祭神とする安仁神社が鎮座している。
御祭神:珍彦命

神前神社前の道を一直線に南下、突き当りの手前を右折すると左手の丘の上に神社、どうも裏道で登り難いが登り、参詣後、南側表参道より降りる
大國神社
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鎮座地:岡山市東区西幸西
由緒:寿永三(一一八四)年十二月七日源平藤戸の合戦で敗れた平氏の落武者不破槙之介と伸之介の兄弟は馬にて児島湾沿に東へ敗走した。弟の伸之介は、この近くの巨岩(鞍掛岩)で馬の鞍を掛け直し上寺方面へ逃れたが、兄の槙之介はここ鍋島で息絶え大國神社通称大國殿として祀られるようになったと、地元では言い伝えられている。その後、天和四(一六八四)年には幸島新田の開拓事業が行われ入植者が移住し住民も増えると享和四(一八〇四)年には両幸西三〇〇戸の氏子によって石祠・石燈籠が建立された。さらに天保十四(一八四三)年には石鳥居と社も建立された。その後、昭和三(一九二八)年と平成十二(二〇〇〇)年に改築されている。
御祭神:不明

東方向へ進み、千町川を越え、近くに車停め歩いて参詣する
幸島稲荷神社
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鎮座地:岡山市東区水門町715
由緒:氏神勧請の縁起によれば、新田に移り住む人々が増加するにつれ、氏神がない住民の間には、他地へ参る難儀を憂える声が高くなり、宝永6年(1709年)7月23日、名主(村役人)6名が連名のうえ、大庄屋土師治兵衛と共に、当時の郡奉行渡辺助左衛門に氏神勧請願いを差し出した。同年9月3日に藩主池田綱政から許可され、ご神体は邑久郡土師村(長船町)木鍋山鎮座の稲荷神社より御分霊を遷し、宮地は東幸島山の林の内と決定した。
喜びに沸く住民は早速準備万端整えて、幸島新田開拓から25年後の宝永6年9月11日めでたくご遷宮を終え、翌12日には奉祝祭を行った。この時、神崎から築渡までの千町川東堤(長さ16町)はご遷宮を祝う幟で埋まり、村民こぞってご神幸の行列をお迎えしたと伝えられている。幟土手の呼称は、登堤とも書き示されているのは、これに由来する。
本殿の造立は正徳2年(1712年)12月5日、石鳥居は正徳3年、随神門は正徳4年、今日の社地の石垣・石段は天保2年(1831年)10月造成である。明治13年3月社殿改築。昭和52年10月には、本殿、幣殿、拝殿は檜皮葺の屋根から、氏子崇敬者の浄財により銅板葺の屋根に大改修され避雷塔も建ち、面目を一新した。なお境内の御厩(神馬舎)は文久2年(1862年)3月、南幸田村の片岡大右衛門源泰の寄進によるものである。
御祭神:高おかみ神、倉稲魂命、瓊々杵命

前記神社の参道口の少し北側に
稲荷神社
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鎮座地:岡山市東区水門町
由緒、御祭神共に不明

232号川沿いに南下、海手前に
亀石神社
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鎮座地:岡山市東区水門町
由緒:ここは、神武天皇の水先案内をした神が乗った大亀の化身(亀岩)を祀った神社で、毎年旧暦6月15日には、ちょうちんを飾った美しいシャギリ船が湾内を巡回する古式豊かな満潮祭が催されます。
御祭神:不明

八嶋稲荷
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鎮座地:岡山市東区水門町
由緒、御祭神共に不明

232号を南下、南水門町で233号へ430m南下右折し突き当たりに250m
宇賀神社
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鎮座地:岡山市東区正儀
由緒、御祭神共に不明

233号へ戻り、山の中を進んで行くと
神山・清浄苑
鎮座地:岡山市東区西片岡990
由緒、御祭神:新興宗教

233号を南へ進んで行くと海へ突き当る、233号を東へ左折して進んだ直ぐ左手に鳥居
金比羅宮
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鎮座地:岡山市東区久々井
由緒、御祭神共に不明

233号を東へ進んで行くと232号へ、南へ進んで行くと宝伝の港へ至る。232号が海に突き当たった左手に赤い鳥居
稲荷神社
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鎮座地:岡山市東区宝伝
由緒、御祭神共に不明

少し232号を引き返し、広めの処へ車停め、道から南側に見える神社を歩いて目指す
宝神社
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鎮座地:岡山市東区宝伝3803
由緒:創立年月日不詳。往昔、海神宮より帰登せられし時、お乗せ申した龍がこの地を這迷えり、そこでこの地を龍這浜と言う。延喜中(901〜923年)、菅原道真公この沖を御通船の時、当社の松に龍燈上りしと言伝えあり、社辺の樹木悉く幡龍の形を見せる。
又、建武3年(1336年)足利尊氏公御通船の時も龍燈上り、軍船大いに喜んで暫く停船するなど、御神徳の発揚、氏人の尊信誠に篤かりしに、明治42年7月3日、岡山県訓令22条により、多額の基本財産の造成・常住神職の奉仕等の条項にて、当時の氏子としては負担に堪え難きにより、同年9月25日、東片岡鎮座八幡宮へ合紀することとなり、以来、里人は恰かも赤子の慈母に遠ざかる念に耐えて、日夜敬慕し、旧の如く御還御を祈りて止めることがなく、その赤心、神慮に通じ衆議愈々熟し、御玉垣の内外に老松高く茂る旧社域を清浄にし、新たに社殿を造営することに決す。そこで、郷民挙げて浄財を奉献し、男女悉く工役に仕え奉り、旧の社殿に増して尊厳にして、神威を長久に輝かすべき社殿麗しく落成す。時に昭和2年のことである。
例祭・諸祭祀等厳修しながら、昭和24年宗教法人令第3条により形式上の分祀還御の認可を得て現在に至る。
御祭神:彦火火出見尊

港にある案内で金比羅神社を目指す。232号を東へ進んで隣の港の側
金比羅神社
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鎮座地:岡山市東区宝伝
由緒、御祭神共に不明

232号を北へ引き返し、どんどん北へ進み232号が左折して西へ進む処を直進し前方突き当りを右に、次の突き当りを右にとり東方向へ進んで行くと池に出会うので、山際の道を引き返す感じでV字ターンして進み広めの場所へ車を停め、近くの人に聞くと写真を見せて前方に見えると教えられる。西側から廻り込めば車でも可能だが現在工事中で通行は無理とのこと、田んぼ道を強引に歩いて目指す。
伊登美宮
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鎮座地岡山市東区東片岡1190
由緒:創建年月日不詳、伊登美宮は屯集宮の義で、神武天皇の御東遷の時、従い奉った将士の駐屯した処で、幾多の神を祭る社である。昔より安仁神社の摂社として地方民の崇敬が厚い。
御祭神:幾多神

先ほどお聞きした人が牛神社が近くにあると教えられる。案内してくれるのでお長いした。非常に簡単な祠、同じ場所に先祖の碑らしきものもありよく分からない
牛神神社
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鎮座地:岡山市東区東片岡
由緒、御祭神共に不明

元の池の処まで引き返し、池に沿って更に西へ進んで行くと前方右手高い処に神社が見えるので目指す。(途中道が狭く大変、神社の前には駐車スペース有))
天神社
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鎮座地:岡山市東区東片岡1593
由緒:創建年月日不詳、安仁神社の境外末社で、老朽化が激しく昭和58年10月、氏子の浄財を以って幣殿・拝殿を再建する。古道里近郊の崇敬が厚い。
御祭神:菅原道真、天御中主神

少し引き返し、東方向へ下る感じで進むと、小さい川に突き当るので右折して進んで行き、少し離れた空地へ車を停め歩いて参詣。方向は見当つけているが、ナビが無いと少し難しい。参詣道も整備されてなく、距離、勾配ともシンドイ。
綱掛石神社
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鎮座地:岡山市東区東片岡1695
由緒:創建年月日不詳。神武天皇東遷の時、御船の纜を掛けられたという大きな石がある。この石の下に奉斎されている社であって、安仁神社の末社として地方民の崇敬が厚い。周辺には環状列石らしい磐境(いわさか)があり古代の祭祀跡とみられている。この地より高島が一望できる。
御祭神:田心姫命、狭依姫命、瑞津姫命

元へ引き返し川沿いに北へ進んで行くと前方右手に神社が
咳神宮
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鎮座地:岡山市東区西大寺一宮1470
由緒、御祭神共に不明

神社前を北へ進み、突き当りを左折して進むみ、突き当りを左折して西へ進むと左手に神社、進んで行き左折して進むと駐車場に至る。車道はあるが歩いて参詣する。さすが有名な神社、境内は綺麗に掃き清められている。
安仁神社
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鎮座地:岡山市東区西大寺一宮895
由緒:当社の創立年月日は不詳である。「続日本後紀」の承和8年(841)2月8日の条に『安仁神預名神焉(あにのかみみょうじんにあづかる)』とあるのが初見で、「延喜式神名帳」に備前国名神大社とある。古くは「兄神社」又は「久方宮(ひさかたのみや)」と称したとも伝えられている。御祭神は五瀬命・稲氷命・御毛沼命等である。この社地は、宮城山(みやしろやま)、別名鶴山といい、元宮は標高80メートル位の頂上にあった。その後、備前藩主池田家の祈願所として現在の地に鎮座した。明治4年国幣中社に列せられ勅使の御参向があった。大正15年皇太子殿下が行啓され、祈年祭・新嘗祭・例大祭には幣帛供進使の参向などがあり、戦前(大東亜戦争まで)は荘厳で隆盛な神域であった。昔はこの鶴山の麓まで海であり、入江の奥の良港だった。後方の山には磐座や列石があり、古代の祭祀跡と見られるところに、神武東征の船の「ともづな」を掛けたといわれる「綱掛石神社」などがある。
御祭神:五瀬命、稻氷命、御毛沼命

安仁神社の北側の参詣口を確かめるため北へ進み、235号へ、右折して進むと前方川を渡った直ぐに
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金刀比羅神社
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鎮座地:岡山市東区西大寺一宮
由緒、御祭神共に不明

235号に従い北へ、右に曲がっている処を直進し、広めの場所に車停め、歩いて北東を目指す(歩いて探すと意外と見つけやすい)
荒神社
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鎮座地:岡山市東区西大寺一宮1657
由緒:創建年月日不詳、往昔より瀧神社の末社としても地方民の崇敬が篤い。
御祭神:火産霊神、國津比古神、奥津比売神

車を停めた辺りから坂道を進み少し進むと左下へ降りる道が見えるので手前に車を停め歩いて
牛神神社
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鎮座地:岡山市東区西大寺一宮
由緒、御祭神共に不明

235号へ戻り235号を西へ進むと234号に突き当る、十字路の南西の角に祠がある
不明祠
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鎮座地:岡山市東区東幸崎
由緒、御祭神共に不明

234号を南へ進んで行くと左手に階段が見えるので、近くに車を停め歩いて参詣する。結構長い参道の途中左手に牛神神社が、最初見落とし、帰り慎重に探しながら帰る
妹岡八幡宮
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鎮座地:岡山市東区東片岡980
由緒:文治2年(1186年)8月山城の国男山八幡宮より勧請する。片岡八郎常春の居住(大着山城内)より5〜6町離れ丑寅の方角に当たる入賀の郷、妹岡山に守護神として奉斎。片岡弾正常明より社領、田畑八町二反を寄付、嫡子片岡主計常清を社司として、次男玄蕃之助常胤に武家を相続させた。常清子孫代々神務に励むが、国司金吾中納言の時、社領を召し上げられ、宝物も多数紛失したらしい。その後、当主池田輝政公より御高一石二斗の寄付を明治4年まで社納していたが、同年廃止される。 常春の末流片岡浅治の家より注連竹6本を献ずるのが例になっていた。
明治42年12月、近郷の村社(片岡別宮天神・宝伝神社・天津神社・宇賀神社・山神社・飯盛神社)を合祀する。しかし、数年を経て、それぞれの村民の要望により各所に還御され奉斎されている。明治45年1月1日神饌幣帛料供進神社に指定される。
御祭神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后

牛神神社
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鎮座地:岡山市東区東片岡
由緒、御祭神共に不明

234号を南へ通る時左手見えた石柱を探しながら北へ、路肩へ車を停め参詣
太経神社
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鎮座地:岡山市東区東片岡
由緒、御祭神共に不明

帰り路の途中に寄るべき神社がまだ結構あるが時間が遅いので中止、28号からブルーライン経由で帰宅