今日も天気は良さそう!久しぶりになるがR486号で矢掛方面を目指す。前回はまきび公園附近までだったのでその続き!
これまでと同様R180号から270号で清音、高梁川でR486号へ、前方54号で左折して進み小田川を渡り進んだ先の信号を右折して前方三叉路近辺に車停め、前方に見える神社を目指す。(歩いて三叉路を左手に進んで神社に至ったが、三叉路を右手に進むと左手に大鳥居、前に空地そして鳥居を潜って車で可能-駐車場も)
八幡神社
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鎮座地:倉敷市真備町服部703
由緒、御祭神共に不明

54号へ戻り、南へ進み橋を渡った先の左手の道を左折する所を行き過ぎる。(広い道から脇道へ入るのはスピードが出ていると曲がるのが難しい)先を左折し直ぐの広い処へ車停め山際を歩いて北側に進むと前方左手に鳥居が-最初の処で左折していると簡単だった
疫神宮
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鎮座地:倉敷市玉島服部
由緒、御祭神共に不明

54号を横切り、突き当り附近に車を停め歩いて南側の右手の奥に
若宮神社
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鎮座地:倉敷市玉島服部
由緒、御祭神共に不明
これ以上の南は玉島に近くなるので元のR486号へ戻る

R486号まで引き返し、畑岡の信号先、西へ右手奥に、神社の前にに1台分は駐車可能、道は確認してないが西側から車で廻り込んでいけるが未確認、東側にも鳥居と参道が見られる。
態野神社
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鎮座地:倉敷市真備町尾崎682
由緒、御祭神共に不明
神社の奥に『八幡宮』が、感じとしては境内末社ではなく独立した感じだが、ここにある黒宮大塚古墳は態野神社の所有?

R486号を進む、山陽化成手前を右折、北上、突き当たり附近に車を停め右折し、次に左折して進んで行くと右手に、奥の山頂付近に毘沙門天像があるようだが近くの人に聞くと20分程度は山道を登る必要があり今回は中止
荒神社
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鎮座地:倉敷市真備町尾崎
由緒、御祭神共に不明

国道の手前の広い道まで引き返し右折、直進していくと直ぐの右手に神社らしきものが見られる。路肩に車停め参詣、
不明神社
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鎮座地:倉敷市真備町尾崎
由緒、御祭神共に不明

前の広い道を直進し、小学校先を右折、北上、川が見える辺りに車停め、歩いて北へ、先の橋をわたり山側へ
荒神社
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鎮座地:倉敷市真備町尾崎
由緒、御祭神共に不明

前記神社から北側の池の土手の側に神社らしき物が見える。出会った人に聞くと『荒神社』とのこと、近くまで行くと車を停める空地が
荒神社
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鎮座地:倉敷市真備町妹
由緒、御祭神共に不明

小学校まで引き返し、西へ進み最初の川沿いの道の左手に赤い鳥居、『穴門山神社』の鳥居と分かっているが今回はトライしない予定だが右折し北上、道が左折し次に右折する辺りに車を停め左手奥にある『和霊神社』を目指す。一番可能性のある角から西奥へ道を進むが、途中で『私有地に付き立入禁止』の表示、距離にして100m程度と思われるがとても進める状態では無い。少し南の墓地が分からの道を探すが、途中神社を見つけるが位置が違う。
厄神様
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鎮座地:倉敷市真備町妹
由緒、御祭神共に不明
南東にある民家からトライするが距離は離れているし、道らしきものは見当たらない、運よく出会った婦人に聞くが、昔は屋根等が見えていたが今は全く見えない、道(参道)も全く分からないとのこと、諦める

元の道を北上すると正面に石垣の上の神社が見られる、手前の広い路肩に車停め歩いて参詣
荒神社
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鎮座地:倉敷市真備町妹
由緒、御祭神共に不明

小学校通りまで引き返し、西へ、川に出るので右折し進んで行くと前方に鳥居が右折し直ぐの広めの路肩に車停め歩いて参詣-前に空地あり-思った以上に遠くて高い位置にあり
善覺稲荷
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鎮座地:倉敷市真備町妹
由緒、御祭神共に不明

川沿いに北へ突き当たりに石灯篭、この辺りにくるを停め右手奥の民家方向へ、前を通り横の道を進んで行くと竹藪の先に-竹が倒れて通行し難い、北側の池の土手から車で参詣出来そうだがあまり整備されてなく不安
速達神社
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鎮座地:倉敷市真備町妹
由緒、御祭神共に不明

少し南下して、大武生活共同利用センター前で地元の人に出会ったので神社の件を聞くと地区の竹下一族の神社とのこと-出会った人はやはり竹下氏、右手の山道を登っても行けるがUターンする場所は無いとのこと、南側下った先の竹下氏の小屋に車停め西側の山際を目指すと山裾を走る道が、道に沿って北に向かって進むと右手に、前の道を進んで行き突き当りにも神社があるとのことだが地図上で見当たらず、Uターンも無理らしいので中止-いずれにしても車は通れるが軽トラックでないと難しいらしい
竹下神社
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鎮座地:倉敷市真備町妹
由緒、御祭神共に不明

ここから東側に先ほど参詣した稲荷の近くに建物が見えるがこれも神社で渡辺神社と言ったと思うが確かではないとのこと
不明神社
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鎮座地:倉敷市真備町妹
由緒、御祭神共に不明

南へ進み、右折してR486号を西へ進むと右側に『吉備真備公園』の案内右折して進むと前方に、駐車場は前に十分ある
吉備大臣宮
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鎮座地:小田郡矢掛町東三成3864
由緒:不明
御祭神:吉備大臣の神(吉備真備公)
倉敷市側にはまきび公園があったが、これも御当地争い?囲碁発祥の地がミソか?

R486号を進んで行くと右に大きくカーブして北方向へ進む途中に右折する斜めの道が、これを進んで行くと前方右手に、手前に車停め歩いて参詣-進んで行くと駐車場有
矢掛神社
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鎮座地:小田郡矢掛町矢掛157
由緒:当社は元丑寅大明神と称し、主祭神は吉備津彦命外3柱を奉斎し、備中一宮吉備津神社の72社の1社である。創建は大化元年(645)字中山に本殿主小坂太良左衛門兼次の勧請と伝えられている。天正3年(1575)毛利氏猿掛入城の際、矢掛神社の大修理を行い奉行の将神刀を奉納する。天正10年(1582)毛利元清公が茶臼山入城にあたり城下鎮守のため、鳥居を寄進し上下の崇敬者一時に加わる。慶長2年(1597)三輪検地に際し、御除地の黒印を賜る。慶安年中に大火災に罹り慶安3年再建する。元禄12年(1679)に庭瀬藩の板倉氏の領地となり御陣屋鎮守として鳥居を寄進し、しばしば幣帛の供進があった。寛政13年(1801)代官浦野氏から常夜燈一対を奉献される。文化14年(1817)領主が隋神門を建立する。大正元年字小林の元村社である鵜江神社を合祀して現在の矢掛神社と改称する。大正6年に神饌幣帛料供進神社に指定される。昭和11年から3ヶ年の長きに亘り「昭和の大改善」を行い社務所、神饌所、神輿庫、回廊、神井戸、手水舎の建立、更には参道、玉垣の整備をし近郷まれなる産土神社となり、昭和17年3月17日郷社に昇格する。
御祭神:吉備津彦命

矢掛駅を目指して進み駅前を右折して進み、線路を潜って左折して進んで直ぐの左手-神社横の道を南へ進むと直ぐ駅横
内神荒神社
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鎮座地:小田郡矢掛町矢掛
由緒、御祭神共に不明

駅前へ戻り、西方向へ進み、矢掛小の少し先を左折して進んで行くと右手に(道が狭いので曲がりそこなう、前方信号突き当りを左折し、その先の信号手前に車停め)
荒神社
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鎮座地:小田郡矢掛町小林
由緒、御祭神共に不明

前方の道408号を西へ進み、火の見櫓の手前を右折して進むと(工事中通行止めとあったが問題なし)池の土手に突き当るので左折して池の西端へ-一度車を停めて歩いてみるが道も良く遠そう-池の西端を進み、三叉路を左手、次の池の土手下を右手に進み、池の土手の空地へ車停め、前方の坂道を登って行くと神社-十分な道幅と神社横の駐車場、車で行くべき
大元鵜江神社
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鎮座地:小田郡矢掛町東川面1806
由緒:延喜式神名帳には小田郡小社三座とあるが、西隣の西川面にも鵜江神社があるので記述が分明でない。口碑によれば吉備津彦命を中山の南峯に斂葬した時、お棺が鳴動して鵜が一羽飛び出し西方に翔った。その止った処を鵜江神社とひろく伝えている。往古の火災によって宝物・旧書を失っている。明治4年大元鵜江神社と改め村社に列格した。
御祭神:吉備津彦命、宇良御玉神

元の方へ引き返し、最初の池の前の道を西へ進んで行くと、408号へ、西へ進み前方橋と学校が見える手前に車停め、右折して進むと右手に-神社下に駐車場
木野山神社
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鎮座地:小田郡矢掛町東川面
由緒、御祭神共に不明

前方に神社が見えるので前の道を進み、橋を渡って南へ進むと左手に路肩に車停め参詣-左折して神社前を進んだ先に駐車場
鵜江神社
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鎮座地:小田郡矢掛町西川面1334
由緒:本神社は延喜式内社で文徳実録所載の神社であり、従五位下に叙された。仁徳天皇の勅令により吉備津神社の5社の神殿が創建されたその1社として建立され、創建は1600年以前とされ特に別宮と称せられた。現在の本殿は、永禄7年(1564)西川面城山城主渡邊河内守藤原資家の寄進により再建される。(棟札現有)また、仁徳天皇が当神社に立ち寄られたことが小田郡誌に見える。明治40年1月神饌幣帛料供進神社に指定された。本殿は創建以降11回の屋根葺き替えを行っている。鵜江の由来は吉備津彦命が崩御され、御体を中山の南峰に埋葬するとき、御棺が鳴動し1羽の鵜(荒魂)が西方に飛び出て、その止まる所(当地)を鵜の里と称し、吉備津彦命の荒魂を鎮め奉らんと神社を建立した事による。古くは流鏑馬の神事があり、名残りとして、鎌倉時代とされる弓矢等が奉納されている。また、昭和初期までは、秋の大祭に近隣(笠岡、井原、金光、鴨方、美星、真備)の大人が集って大相撲の奉納があった。秋の大祭(4日間)では初日御波解(おはげ)祭があり大当番屋宅の庭に棟より高く竹組みを立て降神の目印として神迎えの神事を行う。大祭最終日に昇神の神事の後この竹を氏子の当番組が倒して持ち帰る。この竹を農耕に使用すれば五穀豊作となると伝えられている。
御祭神:吉備津彦命

まだ時間的には早いが、家までやはり時間がかかるので中断して帰宅-朝と同じコースで帰宅、意外とスムースに帰れたがやはり万成で渋滞-今後夕方この場所を通る際どうするか!