今日の天気は県北で不安定らしいが偶の夕立も一興か?赤磐市の北部での未参詣神社を目指す。
砂川沿いに27号を溯り、以前分からなかった愛宕神社をまずは目指す。笹岡駐在所は不在で駄目、笹岡郵便局で尋ねる。局長が親切に対応、御存じの方に連絡して教えてくれる。山頂にあった神社は現在は参詣するのは無理のよう、麓へ降ろしているいるようで、その場所へ参詣(郵便局前を橋を渡って西方向へ進み、前方三叉路を左折して道なりに進むと右手に『赤磐市赤坂教育集会所』-ここに大勢集まっていたので確認すると、前を右折して川沿いに進むと大師堂の隣に)
愛宕神社(遷座)
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鎮座地:赤磐市小原1749
由緒:創建は文化5年5月である。昭和20年12月1日村社に列格した。
御祭神:軻遇突智神

27号へ引き返し、郵便局の先の信号を左折して257号を進み、前方山手の標識を右折し、道なりに進んで行くと『福市八幡宮』、『正満寺』先で左側山手方向へ、三叉路を右折、次を左折して進むと前方左手に山道、またはそのまま進むと左手に山道(参道へ)少し進むとまた左手に山道(神社裏に)舗装されてなく道が悪いので路肩へ車を停め歩いて参詣
湯山神社
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鎮座地:赤磐市山手600
由緒:創建年代は不詳であるが、総社神明帳に湯山神社、山本氏本に従四位下湯山神社と記載してある。この神社は昔湯山部落の御祭神であったが、中古、津野尾八幡宮に合併し湯山神社と称して、村の東方に御社殿を建立した。社殿は南西面に、流造銅板葺である。御本殿の建立は嘉永元年である。
御祭神:大己貴命

少し進んだ前方三叉路右手を進んだ先
二宮神社
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鎮座地:和気郡和気町小坂
由緒、御祭神共に不明

神社前の道を少し東へそして北方向へ道なりに進んで行くと最初の三叉路を北へ進んだ道と出会い、更に北方向へ進んで行くと257号へ、右折して進み直ぐ右折して道なりに進んで行くと前方に『八島田コミュニティーハウス』路肩へ車を停め、少し引き返し右折して進むと前方に墓地、右折して進んで行くと左手に坂道、登って行った先に(十分車で可能)-二宮神社前の三叉路を北へ進むべき
素戔鳴神社
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鎮座地:赤磐市八島田
由緒、御祭神共に不明

前方へ進み道なりに北方向へ進んで行くと前方で257号へ、257号を進んで行くと前方『光本』信号でR484号へ、何時も忘れるので左折し進んで行くと『JAあかいわ吉井低温倉庫』先の右手奥に、路肩へ車を停め参詣(この道は何回か通っているが目立たないせいと、坂道のため寄り忘れる)
鴨新田神社
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鎮座地:赤磐市塩木299
由緒、御祭神共に不明

引き返してR484号を進み、吉井川手前でR374号を右折して少し南へ進み、橋の手前を右折して417号を進み、右折して道なりに進み、集落を過ぎた先、前方右手に坂道がある手前の路肩へ車を停め、歩いて坂道を進んで行くと右手に-少し距離があるが坂道で苔で滑りやすい感じなので歩いた方が賢明) - (妙見宮)鳥居が二つあり『妙見宮』と『八幡宮』の扁額
高星神社(妙見宮)
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鎮座地:赤磐市稲蒔480
由緒、御祭神共に不明

R484号の合流点まで引き返し、更に北方向へR374号を進み、周匝の街中を過ぎた先、再度吉井川に出会う手前を左折して351号を進んで行き、前方Y字路を左手に進み、内側の道を進んで行くと左手山際に階段と鳥居
草生八幡宮
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鎮座地:赤磐市草生383
由緒、御祭神共に不明

津山方向が工事中のため全面通行止めの表示、とにかく進んで行く、通行止めの手前に左手に進む道、ここまでで十分なので進んで行くと直ぐに中国自然歩道案内図、全く勘違いして『宗形神社』まで車道が通じていると勘違い、気がつかないまま進んで行くと前方右手に鳥居
熊野神社
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鎮座地:赤磐市河原屋287
由緒:本神社は口碑によると此の熊野神社の神霊御遷座の時字先の谷の路傍に岩があるのを幸ひ、其の岩の上に御輿を据へて休んだ、其の記念の石は何時か一段下に落ちて今は墓の台石となって居る。此の説によって旧神社を物色すると部落の下の山上に山神様を祀った処がある。此の處が第一候補地である。
御祭神:伊弉册命

ここからが今日の失敗、先ほどの案内図の勘違いと神社前の道が広いので先へ進んで行くと『宗形神社』への道へ繋がると思い進むが駄目、引き返すかと思っていると側を軽トラックが前方左手坂道を登って行くのを見かけ、同じ方向へ進む突き当りを左折して目的神社方向へ、通行がほとんどない山道、後悔するが先へ進むしか方法が思いつかず、道を塞いだ枯木を乗り越えて進むとやっと前方に広い道、右折して進んで行くと前方右にカーブ処に前方に伸びる山道、此の先が秋葉神社、少し悩むが進んで行くがやはりほとんど車が通って無いのかひどい道、やはり後悔(車が頻繁に通っていれば問題ないのだろうが)
秋葉神社
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鎮座地:久米郡美咲町高城
由緒、御祭神共に不明

元の道を引き返すのが簡単だが狭く整理されて無い道が嫌で神社前を北方向へ進み集落の先で広い道に、右折して曲がりくねりながら進んで行くと、先ほどの神社へ至る少し手前の左手に入った先(神社前に空地有)
高山神社
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鎮座地:久米郡美咲町高城889
由緒:本社は元奥宮と称し中古_山宮と號し素盞嗚尊を祭る。創立年月日不詳なりと雖も元備前赤磐郡山方村是里式内宗形神社の摂社なり、元明天皇の御宇和同六年備作分国の際本社の宮山及社殿は両國境界線に位せるを以て其何れに属するかを定め難かりしも本宮宗形神社は是里村の氏神なるを以て当社を美作山之上村の氏神とせり、慶長八年森忠政入国後本社を崇敬し社領若干を寄附し、後幕領となり天明八年ヒノ木山一ケ所免租の地となる、明治初年高山神社と改称し仝六年村社列せらる。
御祭神:素盞嗚尊

広い道を道なりに南東へ進んで行くと右手に
宗形神社
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鎮座地:赤磐市是里3235
由緒:当社は人皇十代崇神天皇の御宇勧請にして式内の旧社なり人皇十六代仁徳天皇吉備國海部直女黒比費を寵し本國山方に幸行さるるや黒比費帝を当社に奉迎し方物を採り敬饗し奉る帝欣然御製にrやまかたにまけるあをなもきびびとともにしっめばたぬしくもあるか」と詠し給へり、是より以降今に至るまで諸人挙げて山方の大宮と称する所以なり、当時帝より宗形神社神領として神地三四町神月若干を附置かる、依て今に其の地名を京免及神戸と呼ぶ、後世慶長八年池田忠継公備前に封せらるるや深く当社を崇敬し全九年検地の節本村の内中田二反高三石弐斗社領として附置かれ明治四年玉りて止む、加之歴代の皇室御崇敬の余り神付従四位上に叙せられ後正一位に昇進贈位に預かる、現今の社殿は貞享四年八月世八日着手全五年五月十六日落成(棟札)の建築にして氏子及大氏人民の協力造営に係り当時の国主池田綱政公より再建費として玄米捨石下賜せられたり、往古氏子は七十五ケ村ありて其区域西南は旧赤磐群島月村(現岡山市)大字牟佐に至り東北は旧久米南條郡福岡村(現津山市)大字小布に至れりと云ふ、故を以て古へより古式祭には社家より神酒七十五樽・神韻1七十五膳・神餅七十五台・甘酒弐瓶を献供す、(現在は神酒二斗五弁・神僕七十五膳・神餅は分五合とし七斗を餅投げとしている)、明治十四年縣社に昇格せらる。(現在一般的には社格は不問)
・鳥居岡山県指定重要文化財(建造物)・本殿赤磐市指定重要文化財(建造物)
御祭神:多紀理毘賣命、市寸嶋比賣命、田心比賣命、大己貴命、大日霎命、豊宇氣比賣命、須佐之男命、菅原神、速玉男命、伊邪那美命、事解男命、大山咋命
せっかくだから南西にある『是里ワイン記念館』に立ち寄って麓まで2車線の広い道を下って行く-265号滝山川に出会うので左折して進み中村橋でR374号へ、左折して北東へ進む

左折して26号にて柳原方面へ、橋を渡った先にある神社にチュックが入ってなかったので参詣するが、やはり一度参詣している
飯岡神社
鎮座地:久米郡美咲町飯岡469

26号を吉井川沿いに進んで行くと『柵原鉱山資料館』の表示、左折して駐車場へ、歩いて山際にある神社を目指す。
荒神社
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鎮座地:久米郡美咲町吉ケ原
由緒、御祭神共に不明

資料館前の道を西へ進み、郵便局先を右折して進んだ突き当り(前に空地-境内へは施錠)
吉ヶ原八幡神社
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鎮座地:久米郡美咲町吉ケ原
由緒:勧請年月日不詳と雖ども傳説によれば吉ヶ原五社の窪と称する所に勧請なせしものの其の社殿火災のため焼失す。火災永禄二年(一五五九)二月その御神体は飛び西南約八〇〇米離れたる大杉の根元に避難御座せられているを村人が拝しその地に社殿を建立す是れ現今の地御神体現存す。杉の大木は老木となり現存す。其節の社殿寄進者は飯岡村鷲山の城主保志賀藤内と棟札にあり・・・
御祭神:天照大神、大兒屋根命、品陀和気命

26号を進み橋を渡らずに349号を北上すると左手に神社、路肩に車を停め参詣
八大龍王神社
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鎮座地:久米郡美咲町休石
由緒、御祭神共に不明

349号を引き返し、前方の三叉路の坂道を道なりに進んで行くと前方左手に神社、西福寺先を直進して進んだ先-駐車スペース有
大洗神社
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鎮座地:久米郡美咲町休石245
由緒、御祭神共に不明

今回も集落を外れた神社はコースを考えないと苦労する、今後最悪は立ち往生か?
少し早いが暑さにやられている?通常のコースで帰宅