元旦に出かけただけで寒いので家に籠って過去の参詣の整理を、基本的に無料で大量のデータを整理して活用するか、と言う事を目的にしているが現時点でこれと言う物が無い。今後のことを考えGoogleフォトでオンライン上にアルバムで、そしてExcelとAccessでデータ操作と検索を
少し飽きてきたので久しぶりに出かけるが、残った処は辺鄙な所と北方が多いので少し悩んだが出かける時間が遅いのと、久しぶりと言う事で久米郡方向へ、R53号で北へ久米南町に入って前方375号を左折して進む(初めての道)
全く神社は見られず進んで行って行くと前方に池、池の畔、に参道が、『曩祖神変大菩薩』流石に神社と見なすのは少し無理か?、直進すると『久米南美しい森キャンプ場』、前方左折して375号を進み、前方Y字路を右手に取り375号を進み、更に前方右折して同様に375号を進み、前方の交差点を左手V字に進み直ぐ前方のY字路を左手方向へ下って行くと、前方左手に未舗装の山道、手前に車を停め歩いて参詣。
籾山神社
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鎮座地:久米郡久米南町下籾922
由緒:当社は、和銅5年(712)肩野物部(弓削建物部)乙麿が建立したと伝えられる。もとは王子宮又は王子権現と称していた。龍王山城主岸備前守氏秀の祈願所として、志呂神社と共に弓削庄内の信仰を集めていた。明治6年に下籾神社、同8年10月籾山神社と改称した。明治10年村社に列格した。
御祭神:大穴牟遅尊
ゴミ当番の立ち合いで朝早く、そして久しぶりのせいか初っ端から勘違い、右手ぎんなん園への右手未舗装の山道を走り突き当りで気付き引き返す、そして神社への道も未舗装だが十分通行可能、落葉、枯木等が綺麗に清掃されている。また、直進した456号から北側へ登った方法もあるようだが、防護柵等厄介か?

375号まで引き返し北方向へ進んで行くと、前方375号が右折する処を左手に、直ぐのY字路を右手に進んで行くと右手に、手前に車を停めたが、神社前に空地有、
河島神社
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鎮座地:久米郡久米南町中籾
由緒、御祭神共に不明
源氏河島の城(上殿城)跡に建てられた神社のようである

375号へ引き返し北へ進み、前方『久保田』バス停附近に車を停め左手山の中腹の民家を示し、民家の横の山道を登って行くと、途中防護柵があるが開けられるので山道を登って行くと神社の裏側横手に、西から車で可能なようだが未確認(東側からは信じて山道を登って行く勇気が必要?)
八幡神社
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鎮座地:久米郡久米南町中籾184
由緒、御祭神共に不明

375号を北へ進んで行くと前方左手坂上に-よくは知らないが黒住教の教会?
忠春神社
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鎮座地:久米郡久米南町中籾
由緒、御祭神共に不明

375号を更に北へ進んで行くと右手に、
上籾神社
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鎮座地:久米郡久米南町上籾849
由緒、御祭神共に不明

375号を更に進んで行くと前方に373号、右折して373号を南へ進み、前方左折して376号を進むと直ぐ左手に
久米南天満宮
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鎮座地:久米郡久米南町上籾
由緒、御祭神共に不明

70号へ出るつもりで373号へ戻り、北西方向へと進んで行く、県道にもかかわらず非常に細い山道、かなりの距離対向車に出会うとどうにもならない感じの処がかなり長く続く、冬なので有名な棚田も侘しい限り、二度とこの道は通らないと思いながら進んで行きやっと70号へ、出会った処は神社前
境神社
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鎮座地:久米郡美咲町境1373
由緒:当社の創建年月は不詳であるが、寛永15年再建と伝われている。上古より今宮大明神後に今宮牛頭天王と号した。天保6年亀山天王と称し、明治2年4月今宮神社と改称し、更に明治6年2月境神社と改称した。往古より神威炳然として氏子の尊崇篤く例祭には元境他末社御親神社古地への神幸を例とする。帰途馬場に於いて流鏑馬を行う。これは慶長年間津山藩主森忠政公が金田(神田)及び馬を献じ、自ら馬上より弓をもって並木松に掛けた的を射て神前に奉納したことによる。御神幸の途中で奉納される獅子舞は県の無形文化財。棒仕いはこの地方独特のもので、その淵源は当地鶴田に現存する日本最古の古武道竹内流にある。
御祭神:素盞嗚命

70号を北へ進み、前方山の手前の道を左折して進んで行くと右手に、先で境内へ入れる
宮代神社
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鎮座地:久米郡美咲町打穴上1667
由緒、御祭神共に不明

70号を北へ進んで行くと右手に『二上温泉』右折して、交差点を直進して坂道を登って行き、前方T字路を左折して登って行く、坂の上の民家の前に車を停めて歩いた参詣したが、神社前まで道は狭いが車で可能
興津神社
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鎮座地:久米郡美咲町打穴里225
由緒:当社の創建年代は定かではないが、口碑によると氏子内の國宗、菅、友定氏等の祖先が勧請したと伝えられている。古来から鎮火守護の神として霊験あらたかである。現在の社殿は、國宗氏の祖である山崎友三郎が火難消除の立願をし、自力で建立した。当人一代に著しい御加護を蒙った事実は、今なお古老の伝えるところである。以来、地方住民が篤く崇敬する神社となった。
御祭神:須佐之男命、奥津彦神、奥津姫命

70号へ戻り、北へ進んで行くと小さな川の左手に神社、少し入った処に車を停め参詣
白山神社
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鎮座地:久米郡美咲町打穴里1765
由緒:当社は、一条天皇の御代に打穴太郎重長が加賀国白山権現から御分霊をこの地に奉祀したと伝えられており、王子白山権現宮と称した。文安年間火災に罹り、社殿を全て焼失したが、御神体のみ難を免れた。その後、宝暦年間に社殿を現在の地に移し、再建した。明治6年村社に列格した。昭和5年神饌幣帛料供進神社に指定された。
御祭神:伊邪那岐命、伊邪那美命

更に70号を北へ進んで行くと左手に
榊葉神社
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鎮座地:久米郡美咲町打穴西634
由緒:当社の創建は景行天皇の御代といわれている。もと、下打穴数村の大産土神である。天正年間、原田貞佐が造営した。安政3年卜部良煕から榊葉八頭大明神の下し文を受けた。明治6年7月郷社に列格。明治42年から43年にわたり荒神社9社、境外神社9社、無格社36社を合祀した。同44年神饌幣帛料供進神社に指定された。拝殿は昭和5年改築。昭和52年に社務所を改築した。
御祭神:天兒屋根命、須佐之男命、大地主神、菅原神

時間的には少し早いが久しぶりなので帰宅、少し北へ進み、右折して159号、前方右折してR53号で!