どうも気楽に参詣できる近くの神社はほぼ終了、どうしても遠くになり出かける前に効率的なコースを考えるべきだと思いながらも果たせてない。
今日も急遽思い立ち成羽方面へ出かけることにする。R180号、R313号を南へ折れて川上町から299号を進み、川上小先のY字路を右手に進み、前方交差点を右方向へV字に坂道を進んで行く予定だったが前方山際に神社らしき建物が、前方川を渡った先未舗装の道を進み、左折して民家の前に車を停め前方の神社を目指す-引き返しは民家の前の舗装道路を進んだが狭く、早めに車を停めた方が賢明!
不明神社
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鎮座地:高梁市川上町地頭
由緒、御祭神共に不明

先ほどの処まで引き返し、今度は当初予定の反対側の道を進んで行くと(かなり曲がりくねっている)左手に
荒神社
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鎮座地:高梁市川上町七地
由緒、御祭神共に不明

神社前の道を北へ進んで行き、前方Y字路を右手に、西へカーブしながら進み、前方Y字路を左折し、その先の左手奥
伏尾荒神社
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鎮座地:高梁市川上町七地
由緒、御祭神共に不明

神社前の道を北へ進んで行き、北集会所の先、前方Y字路を右手に進んだ山頂にあり、参道は分からないので南側に石灯篭ここから右手の山道を登って行くが途中から全く道がなくなる。ここまで来たら強引に山頂を目指して登って行くと神社が。
金比羅神社
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鎮座地:高梁市川上町七地
由緒、御祭神共に不明
参詣して分かった参道は北側へ進み、西側の民家の近くに至るが、南へ下って墓地の近くへ、防護柵があり厄介、しかも車まで引き返す。

元へ引き返し、「伏尾荒神社」前から出た道を南方向へ、前方の広い処の先を左手に、『改善センター』先の左手
亀石八幡宮
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鎮座地:高梁市川上町七地776
由緒、御祭神共に不明
この神社の写真違うのでは?

この近くに八幡神社が別にある可能性も、東側を重点的に探すが見当たらない、坂道を少し下った先左手に祠と近くに何かの址?
不明祠
 
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鎮座地:高梁市川上町七地
由緒、御祭神共に不明
 
 八幡宮西の道を南へ進んで行くと右手に
豊富神社
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鎮座地:高梁市川上町七地
由緒、御祭神共に不明

先ほどの広い処まで引き返し、前方左手の道を西方向へ進み、南方向へ進んだ先、十字路を右折して進み、すぐ先の未舗装の道を進み、前方のY字路を左手進んだ奥、手前に車を停め歩いて結構長い参道を
宇佐八幡神社
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鎮座地:高梁市川上町七地1767
由緒、御祭神共に不明

元の道を南方向へかなり進んで行くと、前方右手に『岩窟渓』の標識、右折して進んだ左手
荒神社
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鎮座地:高梁市川上町七地
由緒、御祭神共に不明

荒神社前の道を北へ進み『いわやであいの里』を目指し、その手前の右手-坂を登りきった先下った先に
天磐窟神社
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鎮座地:高梁市川上町七地3350
由緒、御祭神共に不明
更に下った先に『岩窟渓』へ下る道-現在は休業中

最初のT字路まで引き返し、どちらでも良いが東を廻って299号へ、少し進んだ2つ目のT字路を左折して進み前方十字路へ車を停め左手の神社へ
戎脇荒神社
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鎮座地:高梁市川上町下大竹
由緒、御祭神共に不明

交差点から右手の道の先に神社?、行ってみると仏子堂、代わりに右手丘の上に神社、近くに居た人に聞くと太宰様とのこと
不明神社(太宰様)
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鎮座地:高梁市川上町下大竹
由緒、御祭神共に不明

十字路まで引き返し今度は東側へ、前方左手に階段、すぐ先で工事を行っており急いで参詣したため、工事個所の先にある『岡吉神社』を忘れる
清實八幡神社
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鎮座地:高梁市川上町下大竹186
由緒:当社は霊元天皇の御代、延宝8年(1680)8月16日、領主山崎勘解由豊治の命によって、松室六右衛門常康が大願主となり、庄屋および村民と協議し、上大竹鎮座の榊山八幡宮の御分霊を奉斎して社殿を造営し今日に及んでいる。 この間、棟札によると明和、安永、天保の年に本殿、幣殿、拝殿等を再建した。
御祭神:応神天皇

先ほどの十字路を南へ進んで行くと(かなり曲りくねって)77号へ、帰り道を考えてなかったので坂道を東に下って行き左手の神社へ
天満神社
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鎮座地:高梁市川上町大竹781
由緒、御祭神共に不明
九割方この道を通ると思われるが広目の下り坂、意識して参詣した方が無難!(見過ごして通り過ぎる)

77号を引き返して更に進み、前方左手に299号、反対側を右折して進んだ先、突き当りを左折して進み、前方Y字路を右側に進んだ右手
虹八幡神社
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鎮座地:高梁市川上町高山995
由緒、御祭神共に不明

77号まで引き返し77号を西へ、前方T字路をから473号へ進み、坂道を下り始めた右手を右折して『浄明寺』方向へ進み、お寺前の路肩へ車を停め参道を探す。神社の南側から強引に山の中へ、全く道が無いが強引に進み神社へ、一旦辿り着くと参道は分かる-山に入る手前の墓地の反対側の竹藪の間の山道を進むと小さな池を回り込んで神社へ-意外と歩き易い山道?登ることが無いせいか
諏訪神社
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鎮座地:高梁市川上町高山4058
由緒、御祭神共に不明
地図上の表記は「須和神社」間違いか

473号まで引き返し、右折して進み前方T字路を右折して進み、2本目の道を左折して進んだ左手、近くに車を停め歩いて参詣-東側に車用の裏参道-帰り道
旭神社
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鎮座地:高梁市川上町高山3677
由緒、御祭神共に不明
順路は他にも在りそうだが、今後も広い道からが分かり易い

77号まで戻り、77号を少し進み、前方左手に299号、左折して進んだ直ぐ先右手、広場の奥
宮山八幡神社
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鎮座地:高梁市川上町高山2978
由緒:当社は、川上郡川上町高山の中心部、旧高山小学校の東側の小山である宮山の頂上に祀られており、正徳4年(1714)午9月25日に鎮祭されたと伝えられている。現在の本殿は享保2年(1717)8月の建築といわれ、3間四方の大きなものである。その後、天保10年(1839)亥10月、明治2年巳8月に再建、改修が行われている。昭和15年には、皇紀2600年記念事業として、本殿、幣殿の大改修工事が行われた。昭和34年9月参道改修工事、昭和51年3月幣殿、拝殿の瓦屋根葺き替え、昭和57年本殿屋根銅板葺き替え工事を行い、現在に至っている。宮山八幡神社は、旧村社で川上町高山地区の氏神様として地域の信仰は篤く、特に秋季例大祭には高山地区の若者による渡り拍子が各氏子をまわった午後、当神社に集合し、御輿と共に御旅所への御神幸が盛大に行われる。また、前夜祭には備中神代神楽が奉納される。
御祭神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后

神社前の299号を進み前方Y字路を左手(間の道)に、道なりに進んだ右手-意外と道幅があり、基本的に広い道を進んで行く
亀石八幡神社
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鎮座地:高梁市川上町大原
由緒、御祭神共に不明

先ほどの神社の手前まではストリートビューがあるので安心だったが、この先は分からない、北を目指して覚悟を決めて進む、前方広い道に合流して進んだ右手
大地八幡宮
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鎮座地:高梁市備中町布賀
由緒、御祭神共に不明
ここまで北コースが非常に通り難い道だったので、南から東へ回り込んで299号へ、ひたすら南へ進んで行くが「こんな狭い県道ってありか?」と云った感じ、しかし、車を交わす場所は意外と多い気はしたが、とにかく77号へ

77号を西へ進み、右手に大鳥居が見える処を目指して右折して進んで行く、ひたすら狭い道を下って行くと神社前の広場へ-殆ど山の中、不安を覚えないでもなかったが、さすが苦労してここまで来た感じは十分味わえた。
穴門山神社
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鎮座地:高梁市川上町高山市1035
式内社とは、延喜式の巻9および巻10の「神名帳」に列する神社のことで、社格を権威づける官社となっている。延喜式は平安後期の延長5年(927)に撰上され、50巻から成り、朝廷の儀式、行政の実施に関する規範である。当社は延喜式巻10に、備中国18社の中にその名があげられ、朝廷崇敬の神社であったことは事実である。当社の創立は崇神天皇54年と言われているが、延喜、延長の時代この神社は、備中国下道郡長田山と記されており、その地名にまつわる神々の伝説も多い。倭姫世記という古書によると、崇神天皇から、天照大神のご神体である御鏡を、「何処へおまつりしたらよいかさがしてきなさい」という命を受けた豐鋤入姫命が、紀伊国奈久佐浜宮から備中国名方浜宮(現在の穴門山神社)へ奉遷し、4年間奉斎したと記されている。朝廷の当社に対する崇敬の篤かったことがうかがえる。祭神は、天照大神、倉稲魂大神(豊受大神ともいう)、そして日本武尊の第2皇子足仲彦命、吉備武彦の娘で日本武尊の妃である穴門武姫命の4柱を併祀している。社殿は寛永9年(1632)秋焼失したものを、備中松山城主の池田出雲守長常が、寛永14年(1637)再建寄進した。権現造りの建築様式で、特に本殿妻側は懸魚、虹梁、支輪、斗きょう組(斗組)で装飾性が高く、余り県下にその例がなく県指定文化財である。周囲の社叢は、県指定の天然記念物であり、昭和5年10月、京都大学、田代善太郎先生の調査によると、438種の植物が記録されており、その種類の多いことで注目されている。神木のカツラは、樹齢推定700年、株周囲8.93メートル、樹高30メートルである。神木は本門そばの石段上の大杉と、境内崖下のカツラである。
御祭神:天照皇大神、倉稻魂神、穴門武姫命、足仲彦命

今日も意外と時間がかかった、やはり高梁経由で帰宅、本日は道なき山中の歩き、狭い山道の通行と結構しんどいことの連続、のんびりと帰宅する。