また来週から天気が悪そう、午後七時から町内会だが六時半帰宅を目標に高梁北西部へ早めに出発、今日はワンコも一緒だが準備万端。
R180号からR313号へ、前方『井谷』信号で右折して坂道を登って行くが意外と広い道、前方T字路を左折して西へ進み、キャンプ場を南へ下る処を更に西方向へ進み、前方『原田コミュニティハウス』前を左折して進んで行き-この先で田植え用の苗を積んだ軽トラの母娘に出会い、親切に案内して頂く、感謝・感謝-前方Uカーブした先Y字路を右手V字に進んで行った先に石柱、更に進んで行くと神社の裏側(西側)に-東側に鳥居が
諏訪神社
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鎮座地:高梁市落合町原田1205
由緒、御祭神共に不明
12月に深夜まで備中神楽の奉納が行われているらしい。(神社庁の写真違うのでは)
11076_天神社:高梁市落合町原田1751-の位置は未確認

神社横の道を東へ進んで行くと前方に302号、左折して進んで行くと前方右手に
不明神社
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鎮座地:高梁市松原町神原
由緒、御祭神共に不明

302号を更に北へ進んで行くと左手に坂道、その少し先に『神原集出荷場』此処の広場に車を停め参詣
神原八幡神社
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鎮座地:高梁市松原町神原1358
由緒:当社は平安時代中期の寛弘元年(1004)花山天皇が諸国を御巡行の砌り、川上郡阿部村に駐御され、山城国男山八幡の大神(石清水八幡宮)を近似村に奉遷せられ、近似村、阿部、玉村、下切村、原田村、川乱村、春木村、神原村、田井村、肉谷村の大氏神として、大元八幡宮を創建し、村民らは厚く尊崇した。時代の変遷に伴い、御霊を分ち、鎌倉時代初期の建久元年(1190)此の地に勧請、創建され村の氏神として崇敬した。
 江戸時代に至り、松山城主池田備中守長幸公が寛永2年(1625)に社領6斗を寄進した。又、城主水谷伊勢守勝隆公は承応4年(1655)、祈願信仰の為、良材、好木を寄進し社殿が再建された。明治39年村社に指定され以後連錦として崇敬されている。
御祭神:応神天皇
更に進んで行くと『松山城を望む見晴らし台』が-ちょっと遠すぎて無理か-此処で道がかなり交わっている

直進して302号を進み、そのままみちなりに進んで行くと松原小に(三桁の県道を走るより目についた広い道を走った方が賢明か-今回なら『松山城を望む見晴らし台』の処を左手にとり西へ進む)小学校先を右折して301号を北へ進む、此処はもっと狭い道、対向車があるとどうにもならない道!
不明神社
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鎮座地:高梁市松原町春木
由緒、御祭神共に不明

更に進んで行くと右手下方に、前方Uカーブした先、鎖が張られ境内侵入不可、前方でかろうじてUターンみちなりに進み、前方右折して301号-この道も二度と走りたくない!
五社神社
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鎮座地:高梁市松原町春木907
由緒、御祭神共に不明
先へ進み、北側の神社を参詣し西方向へ進みたい気もするが、同様な狭い道、やはり不安を感じ急いで引き返す

先ほどの処からし、302号を西へ、前方交差点傍に鳥居
磐裂神社
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鎮座地:高梁市松原町松岡884
由緒、御祭神共に不明

南西方向、前方を右にカーブして進み、『円福寺』方向へ進み、前方Y字路右手北側を(狭い坂道で注意が必要)進んで行くと右手に鳥居、手前の空地に車を停め参詣
天満神社(國司大明神)
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鎮座地:高梁市松原町松岡1628
由緒、御祭神共に不明
扁額は『國司大明神』となっており、神社庁HPの写真と違う、地元の人に会えなかったので不明

元へ引き返し『磐裂神社』西側の302号を北へ進み302号が左にカーブした処で訪ねると、「すぐ先右にカーブした先右手の未舗装の道を進んだ奥-間にある坂道を下るとダメ」-枯れ木で通り難いが道幅は十分、表参道は南側のようだが未確認、イメージでは道幅狭く、無理
八幡神社
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鎮座地:高梁市松原町松岡2101
由緒、御祭神共に不明
この神社も神楽の奉納が行われるようだ!

302号を更に北へ進んだ正面みぎての上に
深見荒神社
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鎮座地:高梁市松原町松岡
由緒、御祭神共に不明

ここからが今日の大失敗、予定通り302号を進んで85号に出ればよかったのだが、カーナビが『杵築神社』を表示し、細い道と思われるが行けそう、つい進んでしまうが近くまでたどり着いたが参道が全く分からない、歩けないワンコをバッグに歩くが分からない、此処で諦めるのは問題ないが、少し引き返したところから85号に出る処、前に進んだため曲りくねった山道を散々進み、最後は大きく南へカーブした後、高梁川沿いのR180号近くで85号に合流、毎度のことながらUターン嫌いか!!(50分程度のロス?)

85号を西へ進み、『遠原公会堂』先の右手
御前神社(御前六社大明神)
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鎮座地:高梁市宇治町遠原2470
由緒、御祭神共に不明

更に進み、『元仲田邸くらやしき』先を85号で北上し吹屋ふるさと村へ、入って直ぐの西側『吹屋バイパス』の右手に目新しい神社?
天開道大神宮
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鎮座地:高梁市成羽町吹屋241
由緒、御祭神共に不明
岡山は何か新興宗教が多い気がする?、田舎とはいえ結構お金も掛かるだろうに?-コンクリート製は案外安上がり?

更に進み坂を登りきって降りた左手、右手に無料駐車場
高草八幡神社
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鎮座地:高梁市成羽町吹屋14
由緒:当社は、旧記によると第49代光仁天皇宝亀2年(772)辛亥年に創建された。もとは、吹屋の高草山に鎮座しており、坂本村、矢田羅村、関東村、中野村の4ヶ村の大氏神として四宮高草八幡宮と称されていた。
 その後、第112代霊元天皇延宝2年6月12日拝殿にて僧禅門が死去したので、これを忌みて社地移転の論争が起こり、村人が混乱したため松山藩の調定により字横路の百姓吉三郎の山林4反有余を境内地として移転遷座することとなった。この時、北方大河治部介は弟刑部を別家して奉仕した。大正3年に舟敷の山神社、中町の恵比須神社、下町の秋葉神社、下川の稲荷神社、大深の荒神社、長屋の荒神社を合祀する。
御祭神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、大山祇命、金山比古命、木花咲耶姫命、大己貴命、事代主命、倉稻魂命、軻遇突智神、菅原神

駐車場から北へ進み『べんがら屋』前を左手に進んだ右手に
本山山神社
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鎮座地:高梁市成羽町吹屋
由緒:本山山神社の創建の年は判然としないが、大塚氏吉岡銅山稼業の歴史の中で、明和二年(一七六五)水抜きが完成し盛業したといわれ、境内にある手洗鉢の寄進が明和七年(一七七〇)と刻まれていることから、その間に創建されたと思われる。現在の本殿は伝承によると、江戸末期本島(丸亀市)の長尾林蔵という宮大工が来吹して建てたと伝えられ、総欅造りで巧緻を極めている。銅山の守護神として長い間手厚く祭られていたが、昭和四十七年(一九七二)の廃山により次第に過疎化が進み、祭りごとも意の如くならず、ご神体は現在高草八幡神社に合祀されている。
御祭神:記載なし

『べんがら屋』前を右手に、直ぐの道を左折し、真っ直ぐ進む感じで北へ進んで行き、坂を下った右手に石柱と坂道、その奥に
清杉八幡神社
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鎮座地:高梁市成羽町吹屋1903
由緒:当社は和銅年中癸丑の年に創建した。吹屋の北方地区並に宇治村笹尾地区の氏神として崇敬され、現在は北方地区の氏子の守護神として崇敬されている。大正2年境内外の摂末社を合祀した。
御祭神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后
少し先に鳥居が見えたが近付いてみると個人の墓地?

85号へ引き返し、左にカーブする処を直進し南へ進み『笹畝坑道』方向へ進み前方T字路右折して『広兼邸』方向へ進んだ右手
金精神社
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鎮座地:高梁市成羽町中野2241
由緒、御祭神共に不明
誰が創ったか分からないが民間伝承の神、深くは考慮しない?
一応『広兼邸』へ立ち寄り(一応八つ墓村を思い出しながら)

『広兼邸』前の坂道を下れば問題なかったのだが、東側の坂道を下ったため全く分からず、近くの人に聞いても坂道を下った右側にあるとのこと、他に出会った人に再度聞き、西側の道と気付く
中野神社
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鎮座地:高梁市成羽町中野1981
由緒、御祭神共に不明

東へ進み85号へ、南へ進み300号、前方宇治高前を右折して435号を進んで行くと『丸山城』の標識、左手に進んだ先Y字路をV字に右手に進んだ奥」、境内に入ったが少し進んだ先は正面、空地在り
若宮八幡神社
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鎮座地:高梁市宇治町穴田719
由緒、御祭神共に不明
前回此処の宇治地区に来たとき竹林の城跡の処と教えられたが時間的な都合でよく探してなかった。

先ほどの『宇治高』まで引き返し右折して300号で南へ、やはり山中へ入り川沿いに進むとやはりしんどい道、前方のトンネルを潜って思い出し、トンネルの手前を左手に進んで行くと前方南へカーブして進んだ坂道の途中左手に
磐戸山神社
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鎮座地:高梁市成羽町羽根856
由緒:当社は近江の国から勧請とあるが、年代その他は不詳である。
御祭神:大山咋命、素盞嗚命

『羽山渓』を通って進むことも考えたが、多分これまでと同様の狭い川沿いの道と思い神社前の広目の道を進んで行くと、前方に『小泉憩の家』、その隣に神社
天満神社
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鎮座地:高梁市成羽町小泉288
由緒:当社は、延文年間に疫病が流行し、里人が悉くその惨害に斃れようとした時、筑紫の太宰府天満宮から祭神を勧請したところ、不思議な御神徳により、病勢は鎮圧し、悲惨の境を免れることを得たと伝えられている。寛文8年に社殿が炎上し縁起書、宝物等を焼失した。寛文10年11月に再建した。大正6年8月国司神社を合祀した。同年11月、神饌幣帛料供進神社に指定せられた。
御祭神:菅原道眞、大己貴神、少彦名神

前方の436号を進んで行くと左手に神社、出会った人に尋ねると『國司神社』とのこと
國司神社
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鎮座地:高梁市成羽町小泉
由緒、御祭神共に不明

時間も遅くなったので436号で一気に成羽川迄、橋の手前右手の神社に立ち寄り帰宅
稲荷神社
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鎮座地:高梁市成羽町成羽3078
由緒、御祭神共に不明

予定の神社を残した割には遅くなった、そんなに混ではなかったが意外と時間が掛かり、町内会は欠席