前回の続き!?、同じコースを辿り播磨の国、赤穂市へ、前回の参詣忘れをカバーしつつ相合方面へ、主としてR2号を中心に神社巡り。
R2号を東へ進み、前方『閑谷』手前で右折して261号、少し先のY字路を左手細い道を進んで右手の新幹線を潜った処を左折して進んで行くと前方に262号、左折して進んで行くと前方に260号、右折して進み、その先を左にカーブしてみちなりに進んで行くと前方に397号、直進して進んで行くと前方にR250号、左折して進んで行くと県境、播磨の国へ、-寄り道がないだけでほとんど同じコース!

250号を進んで行き、右手に工場群を見ながら進んで行くと前方右手正面に赤い鳥居、路肩に車を停め墓地を通って神社へ(恵照院の南側)
稲荷神社
678-0254_稲荷神社page
鎮座地:兵庫県赤穂市折方1448
由緒、御祭神共に不明

更に250号を進んで行くと90号との分岐点の『新田』信号を進み、前方『新田歩道橋』先の路肩に車を停め、左折して進んだ奥、西側に境内に入る道があるが全体的に道が狭いので、歩いた方が無難
日吉神社
678-0255_日吉神社page
鎮座地:兵庫県赤穂市新田174
由緒:承応元年赤穂城主浅野長直当社を創立し山王権現と称し新田の氏神と定め金米を献じ田3反歩を寄進す。延宝6年(1678)浅野長直、長友、長矩の3人より社殿を建立す。この年大石良雄大願成就の報賽として白画の絵馬を奉献せり。領主は森氏に至りて初代長直は宝永7年(1710)本殿、拝殿並びに鳥居を再興し且つ金米を寄進す。森忠哲は文化3年(1806)幣殿、拝殿を再興す。明治7年(1874)2月村社に列せらる。之より先、明治維新の際、山王権現の社号日吉神社と改称す。同40年(1907)神饌所を新築し、昭和6年(1931)3月郷社に列せらる
御祭神:大山咋神、羽山戸神、香山戸神

250号を進んで行き、前方橋を渡って左折して川沿いに進んだ左手、路肩に停車-境内広く駐車可能
荒神社
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鎮座地:兵庫県赤穂市塩屋2943
由緒:当神社の創建は定かではないが、かつて当村塩屋村の大庄屋であった濱野屋の古文書には、次のように記されている。「当神社ハ兵庫県赤穂郡塩屋村字荒神ニ鎮座セル無資格ニシテ皇極天皇ノ御宇秦河勝公自ラ素盞鳴尊ノ神像ヲ造リ五穀ノ神トシ勧請セラレタル古社ニシテ延宝三乙卯年四月社再社頭一宇再興シ寛政十二庚申年三月荒神社一宇再興セリ」当社に奉納された石造物の多くは、江戸中期以降の銘が見受けられ、塩屋村の大庄屋、庄屋、さらに氏子の人たちによって神社として形体が整えられた。
当社の主な年中行事は、1月15日直近の土日に行う「とんど祭り」水無月晦日の「夏越大祓式」、7月15日の「境内神社夏季例祭」、そして10月に斎行される「秋季例大祭」などである。 特に秋季例大祭は、西播磨地方最後の秋祭りとして、近隣の市長から大勢の参拝者がおとずれます。大屋台・子供屋台合わせて9台の「屋台錬り」と舞い方が大変荒々しい一方、子供が扮する唐子と一緒に舞う獅子舞は、秋祭りの圧巻と評され、参拝者から大きな歓声が湧き上がる。この地方では、昔から6月30日は田植えの終了と慰労を兼ねる「足洗い」という風習があり、丁度水無月晦日の「夏越大祓式」は、この日に当たり大勢の氏子が参拝する。
御祭神:素盞鳴大神、天照皇大神

神社前を右折して進むと前方侵入禁止、左折して進んで行くと前方に赤穂線、左折して少し進み右折して線路を渡りその先を左折して250号をしばらく進み前方右手の橋を渡り、右折して川沿いに南へ、前方左手のY字路をV字に右折して進んだ右手、路肩に車を停め
荒神社
678-0172_荒神社page
鎮座地:兵庫県赤穂市坂越
由緒、御祭神共に不明

山際の道を先に進んで行くと前方に32号、左折して進んで行くと前方に250号、右折して進んで行き、前方直進して459号を進み、赤穂線を潜って少し進んだ右手の道を下り、左折して進んだ先『高野集会所』に車を停め、前方へ進み左折して進むと『誓教寺』右折して山際へ進んで行くと前方に
尼子神社
678-0171_尼子神社page
鎮座地:兵庫県赤穂市高野302
由緒:不詳、無格社(兵庫県神社誌)
御祭神:尼子将監義久
こんな処に尼子氏の山城、そして毛利氏との攻防があったとは?、鳥居の左手に尼子山城登山口の表示が在り、山頂にも尼子神社があるらしい!

459号まで引き返し北へ進んで行き、山陽道、新幹線と潜って進んだ先前方に鳥居、参道横の空地に車を停め参詣、鳥居を潜り境内まで車で可能
八幡神社
678-0162_八幡神社page
鎮座地:兵庫県赤穂市周世1067
由緒:不詳
御祭神:応神天皇、神功皇后、仲哀天皇、素盞鳴尊、倉稲魂命

更に北へ進んで行くと山道に、やはり兵庫県の県道も3桁の大きな番号の道は対向車があるとぞっとする感じ、山道をのぼり下って行って集落の始まりの左手に、路肩に車を停め左手に見える神社を目指す-十分車で可能、境内へも
横尾山王神社
678-1184_横尾山王神社page
鎮座地:兵庫県赤穂市横尾803
由緒:不詳、無格社(兵庫県神社誌)
御祭神:素盞鳴之命

少し進むと前方にR2号、左折して少し西へ進み、前方右折してR373号を北へ進と右手に、直ぐ先の公園に車を停め参詣
須賀神社
678-1181_須賀神社page
鎮座地:兵庫県赤穂市有年楢原1053
由緒:不明
御祭神:須佐男之命

神社前の道を南西に進むと右手に『有年民俗資料館』右折して橋を渡って進み突き当りを右折して集落を北へ進み路肩に車停め左手山際の神社を目指す-特に目印はないので地図がたより
須賀神社
678-1181-01_須賀神社page
鎮座地:兵庫県赤穂市有年楢原1006-36
由緒:不詳、無格社(兵庫県神社誌)
御祭神:素盞鳴尊

更に北へ進み、千種川と出会う手前の遊園地の横に車を停め、左手奥を目指す
須賀神社
678-1181-02_須賀神社page
鎮座地:兵庫県赤穂市有年楢原1003-1
由緒:不詳、無格社(兵庫県神社誌)
御祭神:素盞鳴尊、稲倉魂神

前方右手の橋を渡りR373号を南へ、先ほどの須賀神社の先『原バス停前』信号を左折、山陽線を渡った先を右手に、前方T字路を右手に進んで行くと前方左手に、鳥居左手側の道から境内へ
原須賀神社
678-1182_原須賀神社page
鎮座地:兵庫県赤穂市有年楢原1033-3
由緒:不詳、無格社(兵庫県神社誌)
御祭神:素盞鳴尊

更に進んで行くと左手民家の後ろに鳥居、民家前の路肩に車を停め東側の道を進んで
牟礼八幡神社
678-1183_牟礼八幡神社page
鎮座地:兵庫県赤穂市有年牟礼1310-2
由緒:後柏原天皇永正元年(1504)天下飢饉となり翌2年(1505)里民殆ど飢餓に迫られて業に安ぜず朝夕氏神たる周世村八幡宮に参拝し豊熟を祈りしも原、牟礼東、横尾の衆庶、周世坂の難路に悩み別宮の建立を企て夜中窃かに本殿に入り霊代の一部を捧持して去り此の地に一社を建立して奉斎す。後ち鴾堂城主太田弾正の崇敬を受け祭資料を捧げ盛んなる祭典を挙ぐるに至る。元亀年間(1570~1573)弾正老年のため城を子治内に譲り北幡に屋敷を構えて隠棲す。治内又父の意を紹ぎて崇敬を加う此の時社地は牟礼東、矢野川の畔にありしも社地に適せざるが故に里民謀りて現今の処に遷座す。時に慶長年間(1596~1615)となり寛政4年(1792)本殿を改修し、文化10年(1813)社殿を再建す。明治7年(1874)2月村社に列し同42年(1909)牟礼東の無格社(兵庫県神社誌)須賀神社4社を合祀し、横尾無格社(兵庫県神社誌)荒神社3社並に塞神社を合祀す。大正10年(1921)幣殿を新築せり。
御祭神:品陀和気尊

神社前の道を東へ、突き当りを右折して進み前方左手のT字路を左折し、突き当りを左折して川沿いに北へ進んだ左手奥、手前が狭く車は停め難い
黒尾須賀神社
678-1183_黒尾須賀神社page
鎮座地:兵庫県赤穂市有年牟礼381
由緒、御祭神共に不明

非常に狭い道だが対向車が無い事を祈りながら慎重に東へ進み、前方右手に橋がある処を左手に取り広い道を東に進んで行き、突き当りを左手に、右に曲がって進んで行くと左手に『浅野陣屋跡』左手に参道、右手の道を進むと神社横に、実際は手前に車を停めて歩く
須賀神社
678-0081_須賀神社page
鎮座地:兵庫県相生市若狭野町若狭野813-1
由緒:不明
御祭神:素盞鳴命

前の道を東へ進んで行くと前方に三叉路、右手に進み、その先左折して川沿いに進んで行くと二本目の道の奥に鳥居、進んで行くと防護柵、手前に車停め参詣、前にはUターンスペース、
須賀神社
678-0082_須賀神社page
鎮座地:兵庫県相生市若狭野町福井796-36
由緒:不詳、無格社(兵庫県神社誌)
御祭神:素盞鳴命

川まで引き返し左折して川沿いに進むと左手奥に-車可能
大避神社
678-0082_大避神社page
鎮座地:兵庫県相生市若狭野町下土井73
由緒:創立年月不詳。秦河勝坂越庄生島に移り来るや屡々矢野村三濃山に狩し往復の途次此の地にて休みて里民に蚕業を教えしかば之を徳として一社を建立すと伝う。明治7年(1874)2月村社に列し、大正15年(1926)9月本殿、幣殿、拝殿を改築し社務所を新築せり。
御祭神:大避大神、倉稲魂命、素盞鳴命
神社北側山際に小さな鳥居があるのは前記神社への参道?

川沿いに進んで行くと対岸に神社、前方の橋を渡り川沿いに引き返し、神社横を左折して進むと神社前に空地
須賀神社
678-0082-01_須賀神社page
鎮座地:兵庫県相生市若狭野町町出12
由緒:不詳、無格社(兵庫県神社誌)
御祭神:素盞鳴命

橋まで引き返し右折して進み、前方449号を越えて進んだ左手に石燈籠が見えるが参道を見落とし先に、引き返して出会った人に教えてもらう-私有地に車も停めさせていただいた-民家の前に参道在り
須賀神社
678-0082-02_須賀神社page
鎮座地:兵庫県相生市若狭野町八洞462-17
由緒:不詳、無格社(兵庫県神社誌)
御祭神:素盞鳴命
出会った人によると荒神社と言っていたが、岡山県に多い各地区にある荒神社が須賀神社なのか?
ここで時期は違うが紫陽花で有名な『若狭野天満神社』があると言われたが少し北側を廻る予定だったので

449号まで引き返し右折して北へ、お寺の手前を右折して進んで行くと左手山際に、稲刈りで車両の通行が予想されるので手前の広目の路肩へ車を停め参詣
須賀神社
678-0082-03_須賀神社page
鎮座地:兵庫県相生市若狭野町寺田142
由緒:不詳、無格社(兵庫県神社誌)
御祭神:素盞鳴命

449号まで引き返し右折して北東へ、2本目の左手の橋のY字路を右手に、突き当りを左折して進むと右手に-前に駐車場
須賀神社
678-0092_須賀神社page
鎮座地:兵庫県相生市矢野町下田138-17
由緒:不詳、無格社(兵庫県神社誌)
御祭神:素盞鳴命

神社前を進んで行くと前方に44号右折して南へ進み、前方左にカーブする手前の右手の道を下って行き、右手の坂道を登って行った先、特に目印もないので地図を見ながらゆっくりと-実際は見落とし引き返す
須賀神社
678-0081-01_須賀神社page
鎮座地:兵庫県相生市若狭野町西後明162-3
由緒:不詳、無格社(兵庫県神社誌)
御祭神:素盞鳴命

44号まで引き返し進んで行き右にカーブして南へ向かう処の左手、反対方向からは見つけやすいが、南へ向かう坂道では見過ごしやすい-少し先の路肩へ停め歩いて引き返す、神社は見えているので
須賀神社
678-0081-02_須賀神社page
鎮座地:兵庫県相生市若狭野町東後明159-32
由緒:不詳、無格社(兵庫県神社誌)
御祭神:素盞鳴命

44号を南へ進んで行くと前方にR2号、右折して岡山方向へ進み直ぐ先の『入野』の信号を左折して東方向へ進み、前方左手に
金刀比羅神社
678-0081_金刀比羅神社page
鎮座地:兵庫県相生市若狭野町入野1063
由緒:不詳、無格社(兵庫県神社誌)
御祭神:金山彦神

R2号の側道を西方向へ進み、太陽電池パネルの設置場所に車を停め右手奥を
須賀神社
678-0081-03_須賀神社page
鎮座地:兵庫県相生市若狭野町上松488
由緒:不明
御祭神:素盞鳴尊

更に側道を進んで行くと前方右手に、Y字路付近に車停め歩いて参詣、車でも可能で、神社前に十分な空地
若狭野天満神社
678-0082_若狭野天満神社page
鎮座地:兵庫県相生市若狭野町野々1190
由緒:創立年月は定かでないものの永仁6年(1298)の「例名分実検取帳」に「天神神田」と記されており、現在の天満神社の存在が確認されるという説と文和2年(1353)の「西方公事条々」に「大僻天満宮」と書かれており、大僻(おおざけ)天満宮の位置については異論はあるものの650年~700年以前に祀られていた事は間違いない。往古山城国北野天満宮の分霊を勧請して相殿に天忍穂耳命を併祀する。(北野誌の首巻に書かれている兵庫県60社 赤穂郡 若狭野村 大字 野々 宮の尾山鎮座の郷社天満神社とあるのは当社の事である)慶応4年(1868)8月本殿を再建し、明治12年(1879)5月郷社に列せられ、大正6年(1917)社務所を新築する。赤松氏以下、付近の領主の崇敬甚だ厚く一般庶民の尊信深く旧幕時代には矢野之庄18ヶ村の産土神として崇敬されて現在に至る。
御祭神:菅原道真、天忍穂耳命

Y字路を左手に進んで行き、前方に449号、左折して直ぐにR2号、右折して西へ進んで行きR373号の分岐点『有年原』信号、そして千種川を渡りその先の『東有年』信号を右折した直ぐに処に鳥居、鳥居を潜って登って行くが、前方に防護用のネット、潜って進むが全く整備されていない参道、東側に車参道が在るが防護柵がやはり有り、あまり使用されていないので車で行かない方が賢明
八幡神社
678-1185_八幡神社page
鎮座地:兵庫県赤穂市東有年594
由緒:創立年月不詳。元赤穂郡野磨郷山駅安室川の辺に鎮座せられしも往年大洪水の為に社殿流れて有年川岸の一老松の梢に懸かりしを此地の里人之を見て減水後現今の地に奉斎せしものと云う。按ずるに尚之より以前に於いても現今の所に一小祠ありて奉斎せしものか弘法大師当地黒沢山に光明寺建立の機に際会せしかば其の神徳に感じ八幡宮の3字を刻せる扁額を寄附す。後ち有年山城(大鷹上)主本郷掃部助直頼崇敬を加えたりしに慶長年間(1596~1615)に至り時の領主祭資として田3反歩を寄せて除地とす。明治元年(1868)5月社伝を再建し同7年(1874)2月郷社に列せらる。同28年(1895)本殿の屋根替を行う。
御祭神:応神天皇、神功皇后、仲哀天皇

R2号を西へ進み、前方右折して90号を進み、前方左手の橋を渡って進んで行くと右手に-境内駐車可能
大避神社
678-1186_大避神社page
鎮座地:兵庫県赤穂市西有年2119
由緒:創立年月不詳。大避大神たる秦河勝坂越庄に来たり住するや屡々此の里に狩りし里人に蚕業其の他の事を教えしかば土人其の徳を慕い坂越村に鎮座せる県社大避神社の分霊を此の地に勧請したるものなりと伝う。明治7年(1874)2月村社に列せらる
御祭神:秦河勝、素盞鳴尊

このまま帰ろうかと思ったが先日バッテリー切れで写せなかった神社へ、先ほどの八幡神社のある『東有年』信号まで引き返し右折して90号を川沿いに南へ、前方道が分岐している処(平野ブロック)右折し、防護柵の近くに車を停め参詣
大避神社
678-0161_大避神社page
鎮座地:兵庫県赤穂市中山531
由緒:不詳、無格社(兵庫県神社誌)
御祭神:秦河勝

再びR2号まで引き返し西へ、前方左折して557号を南へ進んで行き集落がなくなった先、左手に橋がある処の手前を右折して進み左手を見ると鳥居-実際は不安なので県道の路肩に車を停め
大避神社
678-1186-01_大避神社page
鎮座地:兵庫県赤穂市西有年
由緒、御祭神共に不明

少し無駄なこともしたので思ったより遅くなったが先日と同様R2号で帰宅