近郊に適当な神社が少なくなってきたので、あまり出歩かなくなっている。天気の良い日は風が強く寒い、そして山道は枯れ木等の倒木と枯葉、考えると出歩く気を削がれる。今日は暖かく天気も良いので、我が家の要介護犬と高梁方面へ出かける。

先ずはR180号を、途中吉備津彦神社に参詣し、修復された本殿を!
吉備津彦神社:岡山市北区一宮1043
06001

ひたすらR180号を高梁方面へ、前方美袋手前、『下倉橋』信号を左折して54号へ、橋を渡り右にカーブして南へ進んで行くと左手に『林松寺』の先に鳥居、前方左折して橋を渡り、直ぐの辺り路肩の広い処へ車停め歩いて、車でも可能で前に多少の駐車スペースが、お寺へ車で行く参道の途中に神社への参道が、しかし、神社前へ停めた方が賢明
八幡神社
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鎮座地:総社市下倉1435
由緒、御祭神共に不明

R181号へ引き返し進んで行き、前方『水内橋東』信号を左折して166号を進んで行き、以前通った道だが記憶にあるより細い山道、やっと前方に35号、右折して進み、直ぐ右折して北へ進んで行くと右手田圃の外れに
不明神社(蓬莱神社)
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鎮座地:高梁市玉川町増原
由緒、御祭神共に不明

更に北へ進んで行くと右手に石柱と壊れた非常に急峻な石段、路肩に車を停め石段を登って行く-前方に神社が見え始めた右手に車参道
八幡神社
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鎮座地:高梁市玉川町増原971
由緒、御祭神共に不明

更に進んで行き、その先下って行った右手に、少し先を右折して進むとすぐに広場と、奇岩と池の側に
金毘羅権現宮跡
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鎮座地:高梁市玉川町玉
由緒、御祭神共に不明

更に奥に進んで行くと何かの跡が、更に奥にジグザグに登って行く手すりが、その先に祠
正雪神社?
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鎮座地:高梁市玉川町玉
由緒、御祭神共に不明

更に進んで行くと高梁川、R180号、更に進み左折してR313号へ、成羽川を渡って以前参詣した
神崎神社:高梁市玉川町玉140-2
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R313号を成羽方面へ、『桂巖寺』裏側の山の上にある12002_愛宕神社を目指そうとするが道を間違え
天津神社(三代妙見宮):高梁市成羽町下原402
12013
引き返しお寺近くに車を停め徒歩で墓地後方の山道を進もうとするが急勾配で参道がはっきりしないので中止。

今回の目的『布寄神社』を目指す、以前なら神社を探しながら進むが今回は参道がはっきりしないので、無難な道で近くまで
R313号を進み前方右折して300号へ、橋を渡り大きく右にカーブした先左折して300号を進み、前方右折して広域農道をどんどん進んで行く、距離はあるが圧倒的に道が良く早い、気楽に進んで行くと前方435号に出た先右手に『かぐら街道布寄直売所』に、ここでルートを決定し、左手の道「かぐら街道」を北上、前方十字路を左折して進んで行き、民家の無くなる処へ車を停め、歩いて航空写真を頼りに神社を目指す。
最初は民家で行き止まり、次に少し北寄りから神社を目指すが廃屋に、その前の道を強引に進んで行く、離れていく方向だが熊笹に埋もれた道を進んで行くと半舗装の道へ-最初強引に神社方向を目指すが全く進めない-この道(南側からの車参道)を進んで行くと神社へ
布寄神社
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鎮座地:高梁市成羽町布寄1420
由緒:人皇十一代垂仁天皇の丁丑の年、倭姫命が天照大御神の鎮座所を求めて諸国を巡られた時、当社の地にお出でになったとつたえられ、天照大御神を奉斎した。承久3年領主赤木太郎忠長が八幡宮を合祀し杉崎神宮と号した。明治10年三神社と改めた。大正13年3月釜采神社を合祀し、釜采に移転した。大正13年11月布寄神社と改称した。
御祭神:天照大御神、大山祇神、応神天皇、神功皇后、仲哀天皇、素盞嗚神、櫛名田姫命、大年神、少名彦神
苦労して参詣した甲斐のある神社でほっとして、今度は北側へ廻る道をたどって車へ戻ることに、少し歩いたところで地元の人に、神社名と道を確認して進む。かなり大回りになりそうなので途中熊笹の道を下って行くと車を停めた場所の東側の民家へ、もっと確認すれば車での二通りのルートがあるが枯葉等、乗用車はシンドイか?
同じルートでR313号迄戻り帰宅、結構早時間に岡山近郊へ帰って来たが、混んでいて意外と時間がかかっていた。