亡くなったワンコと一緒に行ったが、その時は体調の事もあり早めに切り上げたので、再度、新見北から8号で県境を越えた先の日南町の未参詣の神社を巡る。

R180号からR181号、右折して8号で北上、鳥取県へ、前方左折して更に8号を進み、生山で右折して223号を北へ進み、日野町へ入った先(諏訪信号)でR183号へ、前方Y字路を左手のR180号と進んだ直ぐ先、右手電波塔の反対側に石段と壊れた鳥居?(何の鳥居か分からない-登って行けば何かあるかもしれないが無理)更に進んで行くと再度日南町に入り『日南湖』へ、湖を過ぎた先Uカーブする右手に(前は公園)
菅沢神社
689-5532_菅沢神社page
鎮座地:鳥取県日野郡日南町菅沢465
由緒:鳥取県神社誌より;当社は大正6年9月-大宮村大字菅沢字本山鎮座村社本山神社(旧称、本山権現)、同村大字同字菅原鎮座無格社菅沢神社(旧称、山の神)、同村大字同字呼子社鎮座無格社呼子神社(旧称、智明権現)、同上秋原神社(旧称、山の神)の四神社を合併菅沢神社と改正せるものなり。右の四社共創立年代詳ならざれども往古より産土神として崇敬せる社なり。
聖(ひじり)滝の伝説(菅沢神社 祭神ものがたり):菅沢・秋原川中流の聖滝は、神話・天の国のあったところといわれている。磐長姫(いわながひめ)、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の姉妹が住んでいたという。倭の国王・ににぎのみことと木花咲耶姫の結婚式が行われた地ともいう。菅沢神社の祭神は、姉姫・磐長姫であるという。
御祭神:磐長姫、金山彦命、大山祇命、猿田彦命、活津彦根命、雅武彦命

今度は左手48号を道なりに西へ進んで行くと『印賀集落』に入って右手に
印賀樂樂福神社
689-5531_印賀樂樂福神社page
鎮座地:鳥取県日野郡日南町印賀1494-1
由緒:鳥取県神社誌より;祭神、媛姫命は孝霊天皇の皇女なり、此地に於て甍せらると云ふ。社背山林中に御陵墓と称ふる地あり。村民産土神と崇敬楽楽福大明神と称せしを、明治元年神社改正の際楽楽福社と改められ、摂末社の神を合祭す。同5年村社に列す、同六年楽楽福神社と改称す。明治40年4月27日神饌幣帛料供進神社に指定せらる、大正2年12月8日;大宮村大字印賀字立石 鎮座地 無格社榎垣内神社(祭神 素盞鳴尊、大山祇命、事代主命、金山彦命)、同村大字寶谷字糖谷林 鎮座無格社寶谷神社(祭神 天種子命、大山祇命)、同村大字折渡字栗谷山 鎮座無格社 山口神社(祭神 大山祇命、軻隅槌命、金山彦命)、同村大字折渡字奥栗谷 鎮座無格社 金屋子神社(祭神 大山祇命、金山彦命)を合併す。
伯耆志より;今当社に福姫命一座とす社山を貴宮山と号し、福姫命の御墓と称し、また崩御山と云へるもあれど、凡て信じ難し当社もと榎垣内村一條山に在しを、応永4年一條山の城主肥前守沙彌道栄 今の社地に移すと云減り、当時社頭焼失せしによりて道栄神体を新たに再造し奉るといふ、今古棟札存せず、慶長3年以後是を存す。民諺記に紀するものあり、溝口村郷社楽楽福神社の所に記す参照すべし。
孝霊天皇の皇女福姫の伝説;えんどう豆の収穫時に支えの竹で目をつき、それが元で15歳で亡くなった。印賀の住人は竹を植えないしまた竹の箸を使わないという。背後の山林に御陵墓と称する箇所がある。
御祭神:媛姫命(福姫命)、素盞鳴尊、大山祇命、金山彦命、事代主命、天種子命、軻隅槌命、菅原道真

更に進んで行った先9号と出会うので直進して9号を、大きく左にUカーブした右手に赤い鳥居
稲荷神社
689-5552_稲荷神社page
鎮座地:鳥取県日野郡日南町下阿毘縁1741
由緒:鳥取県神社誌より;創立年代不詳。元稲荷大明神と称せしを、明治元年神社改正の際稲荷社と改号せられる。同6年稲荷神社と改めらる。金山彦命以下の神は村内にありしを明治元年当社に合祭せらる。
御祭神:倉稲魂命、金山彦命、大山祇命

更に進んで行くと前方右手に107号、右折して進んで行くと左手木立の中に、中程と西側に参道、鳥居が南側にあるが現在は参道として使われて無い?
山口神社
689-5552_山口神社page
鎮座地:鳥取県日野郡日南町下阿毘縁2087
由緒:鳥取県神社誌より;創立年代不詳、元山神社と称せしを、明治元年神社改正の際山口社と改号せられる。同5年村社に列せらる。同6年山口神社と改めらる。
御祭神:大山祇命

更に西へ進んで行き、町境に近い付近の右手に鳥居
熊野神社
689-5552_熊野神社page
鎮座地:鳥取県日野郡日南町阿毘縁2489
由緒:鳥取県神社誌より;創立年代詳ならず。元熊野大権現と称せしを、明治元年神社改正の際熊野社と改号せられる。同5年村社に列す。同6年熊野神社と改められる。口碑に拠れば昔時該神社は現今の社地より八九町、山奥の出雲国に境せる地に御墓と称する地ありて、此の地に伊弉冉命を祀りしを中古村民参拝の不便なるより今の地に移せし云ふ。往古より当社の摂社にして村内に鎮座ありしを明治元年合祭せらる。
伯耆志曰く;当社出雲国能義郡比婆山熊野神社に同し。彼社は延喜式に久米神社と見えたるを後世熊野に作れり(久米久麻音相通れり)蓋伊弉冉尊の葬地比婆山と古事記に見えたる如く、当社は同尊を祭れる事論なし。然るに同国意宇郡熊野神社にもこの尊を祭れるに就いて、久米を熊野に改めたるに歟。かくて当社比婆山熊野権現と同しきに就て按に、当村の地方出雲国に接して殊に比婆山にもほと遠からさるによりて、古事記に出雲興る伯耆境とある伊弉冉尊の葬地は此地ならんといへる一説なとありて、爰にも熊野神社を祭れるものにや、後世の勧請なる事は論なし。今の社説に此社を正しく伊弉冉尊崩御の地なりといへるは強言なる上に傍示字オハカと云へる山を古く御墓山と唱へたるか、近年土民此の山脚を掘りて轡及び古銭の類を出せり、此事権現の神主内藤氏に告げるに、神主直ちに小祠を勧請し日輪山神社と号けたりとぞ(日輪は比婆の訓に常たるなり) 如此の誕妄近世家の邪癖なれば社説更に信すべからす但出雲接近の地なれば神代の事蹟に於ては猶よく考ふへき事にてはあるなり。熊野大権現という。口伝によるとお墓山にあったものを中古、参拝者のために現在地に移したという。
お墓山(大菅);比婆山伝説の地(山)。758.3m。島根県広瀬町比田と砺波の県境の山。伊邪那美尊(いざなみみこと)が猿隠山で他界し、葬られた山といわれ、御陵でもある。熊野神社の祭神でもある。イザナミは、火の神「カグツチ」を生んでその炎の災いにより死んだとされ、古事記には「出雲の国と伯耆の国の境なる山に葬し、祀った」とある。「伯耆誌」では、大菅村の記述中「当村が出雲に接し比婆山にも遠くないので葬地はここという一説であり、強言である」としている。また、島根県口碑伝集や比田村史では「此の山が古事記にあるイザナミ終焉の地で、比婆山はこの御墓山である」と記述している。
御祭神:伊弉冊命、速玉男命、倉稲魂命、金山彦命、大山祇命

途中まで引き返し前方T字路(お墓山の案内標識)を右手に、みちなりに進み突き当りを左手に進んで行くと108号へ(比較的広い道)、右折して南西に進んで行くと左手、田圃の先に鳥居-見落としてカーブする手前近くに車を停め、左折して神社を目指す-前方の橋を渡りその先を右折して進んだ先に神社、神社参道手前まではかなり広い道、今回は早めに車を停めていたが参道途中に農作業のトラックが停められており、正解、また神社前には防護柵
上阿毘縁神社
689-5551_上阿毘縁神社page
鎮座地:鳥取県日野郡日南町阿毘緑224
由緒:鳥取県神社誌より;創立年代不詳。元々智明大権現と称せしを、明治元年神社改正の際、上阿毘縁社と改号せられる。同5年村社に列せらる。同6年上阿毘縁神社と改めらる。金山彦命以下の神は往古より当社の摂社として村内に鎮座ありしを明治元年本社に合祭せらる。
御祭神:闇山祇命、金山彦命、猿田彦命、大山祇命

108号を引き返し更に東へ進み『鳥取県園芸試験場日南試験地』の先の左手の細い道を進んだ右手に、先に『解脱寺』の鳥居まで進み、前の空地に車を停め『解脱寺』境内へ、本堂の横に鳥居、潜って進んで行くと裏に『稲荷神社』、更に整備された山道を登って行くと『妙見堂』、お寺の東側裏に『七面堂』、後で分かったが本堂の東裏に『鬼子母神堂』
解脱寺(稲荷神社、妙見堂、七面堂)
689-5551_解脱寺(稲荷神社、妙見堂、七面堂)page
鎮座地:鳥取県日野郡日南町阿毘縁635
由緒、御祭神共に不明
お寺に鳥居、神仏分離?良く分からないと言うよりも考えないことに!
お寺から真横には進めなかったが108号から北西に斜めに進むと(神社前の道は広目)
下阿毘縁神社
689-5552_下阿毘縁神社page
鎮座地:鳥取県日野郡日南町阿角縁374
由緒:鳥取県神社誌より;創立年代不詳、当社は元王子大権現と称せしを、明治元年神社改正の際、下阿毘縁社と改号せられる。同5年村社に列す。同6年下阿毘縁神社と改めらる。大山祇命以下の神は当社の摂社として村内に鎮祭せしを明治元年本社に合祭す。
御祭神:誉田別命、山祇命、猿田彦命

前方右折して9号を南へ進んで行くと右手に
三所神社(旧茶屋郷大社三社大明神)
689-5544_三所神社page
鎮座地:鳥取県日野郡日南町茶屋1346
由緒:天平17年(766)大和国大神神社および大和神社の両神社より勧請。永正13年(1517)の古棟札に尼子伊予守経久・領主亀井能登守秀綱とある。亀井氏は、尼子一族で、弓ヶ浜合戦で戦死。長女は山中鹿之助、次女は亀井茲矩に嫁ぐ。
御祭神:大物主命、大年命、大国命、大山祇命、金山彦命、素盞鳴命、市杵島命、倉稲魂命、底津少童命、猿田彦命、細女命、菅原道真公

更に南へ進み、右手『山上郵便局』前を右折して進み突き当りを右折して登って行くが参道分からない、左手に降りていくと空地、その西に参道-南側に石柱あり、結果論だが先程の右手を更に進むと車参道が-未舗装
細屋神社
689-5544_細屋神社page
鎮座地:鳥取県日野郡日南町茶屋2541
由緒:鳥取県神社誌より;創立年代不詳、旧二社大明神と称す。明治元年神社改正の際細屋社と改号。同5年村社に列し、同6年細屋神社と改めらる。天児屋根命以下の神は当社の摂社なりしを明治元年本社に合祭せらる。昭和6年1月16日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
御祭神:經津主命、武甕槌命、天児屋根命、軻隅槌命

引き返し、9号を更に南へ下って進んで行くと左手に-山の上保育園を過ぎた先、坂道の途中の左手に脇参道、道路脇に車を停め参詣後、その先のの十字路の左手が参道
日谷神社
689-5543_日谷神社page
鎮座地:鳥取県日野郡日南町笠木248
由緒:鳥取県神社誌より;創立年代詳ならず。元笠木郷氏神王宮大明神と号す、(伯耆誌に曰く、当社今大を王字に替へて王宮大明神とするは例の社家の杜撰なり応永の古文書に拠るに楽々福大明神勧請の地と云へり)。明治元年神社改正の際日谷社と改称せられる。同5年郷社に列す。同6年日谷神社と更めらる。倉稲魂命以下の神は往古より当社の末社として村内各所に鎮座ありしを明治元年本社を合祭す。明治40年12月19日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。大正3年6月;山上村大字笠木字水谷鎮座無格社水谷神社(祭神 正哉吾勝勝速日天忍穂耳命、大山祇命)、同村大字同字荒神脇鎮座無格社小雀神社(祭神 素盞鳴命、大日孁命) 、同村大字同字土小笹鎮座無格社 山口神社(祭神 大山祇命、金山彦命、菅原道真)、同村大字同字南波道上鎮座無格社 大原神社(祭神素盞鳴命)、同村大字同字庄川鎮座無格社塩川神社(祭神 素盞鳴命)、同村大字同字釜田鎮座無格社鉄穴内神社(祭神 素盞鳴命)、同村大字福萬来字ヲキアミ鎮座無格社山口神社(祭神 大山祇命、稲背萩命、金山彦命)、同村大字同字宮ノ前鎮座無格社下多田神社(祭神 大白星 )、同村大字同字見田平ル林 鎮座無格社 山口神社(大山祇命)、同村大字同字権現前鎮座無格社 山根田神社(祭神 国常立命、国狭土命、国常立命、国狭土命、豊斟渟命、泥土煮命、沙土煮命、大戸道命、大苫辺命、面足命、惶根命、伊弉諾命、伊弉冉神、大日孁命、正哉吾勝勝速日天忍穂耳命、天彦火瓊瓊杵命、彦火火出見命、彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊、大山祇命)、同村大字同字助市家ノ奥鎮座無格社 葉侶神社(祭神 木花開耶姫命、大山祇命)、同村大字同字山王﨏鎮座無格社二部神社(祭神 国主命、阿遇突智命、大山祇命)、同村大字同字寺廻リ鎮座無格社狩場神社(祭神 大山祇命)、同村大字茶屋字寺﨏鎮座無格社大戸神社(祭神天八十萬日魂命) を合併す。
御祭神:大日本根子彦太瓊命、細比売命、彦五十狭彦命、素戔嗚尊、大国主命、阿遇突智命、大山祇命、国常立命、国狭土命、豊斟渟命、泥土煮命、沙土煮命、大戸道命、大苫辺命、面足命、惶根命、伊弉諾命、伊弉冉神、大日孁命、正哉吾勝勝速日天忍穂耳命、天彦火瓊瓊杵命、彦火火出見命、彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊、大白星、木花開耶姫命、稲背萩命、金山彦命、素盞鳴命、菅原道真、天八十萬日魂命、倉稲魂命、建御名方命


9号を進んで行くと前方に右手に橋のある四差路、左手の道を進み、その手前の左手にとり、みちなりに進むと前方に107号、更に107号をみちなりに進んで行くと前方右手に『ヒメボタル』観賞用の駐車場、その先のT字路を左折して進み前方に佐木谷集落Y字路を左折して進んで行くと右手山際に鳥居、少し先に行った右手に参道が
赤木神社
689-5541_赤木神社page
鎮座地:鳥取県日野郡日南町佐木谷
由緒、御祭神共に不明

107号まで引き返し、更に進んで行くと『尾郷公民館』手前の橋を右折して進んだ右手の丘、少し先の西側の田圃道が参道-草ぼうぼう
不明神社
689-5542_不明神社page
鎮座地:鳥取県日野郡日南町福万来
由緒、御祭神共に不明

107号を進んで行くと曲りくねった先に8号、その少し手前の右手、石垣の上に
不明神社
689-5212_不明神社page
鎮座地:鳥取県日野郡日南町霞
由緒、御祭神共に不明

右折して8号、R183号と進んで行くと9号と合流する『矢戸』信号、更に進んで行った佐木右にカーブした少し先「樂樂福神社」の表示と駐車場と石段、社務所がありその先神社、R183号を少し進んだ左手V字に車参道
東樂樂福神社
689-5216_東樂樂福神社page
鎮座地:鳥取県日野郡日南町宮内1065
由緒:神社としての創建は仁和2年(886)との口伝がある。以後、日野郡中総氏神として日野大社笹福大明神と称した。明治 元年  楽楽福社と改称、明治 5年   縣社に列格、明治 7年   楽楽福神社と改称、明治40年   神饌幣帛料供進神社に指定される、大正 8年   近隣鎮座の村社6社、無格社1社が合祀された、昭和15年   本殿を造営、戦後は神社本庁の包括神社となり、例祭(春季大祭・五月一日)には神社本庁より献幣使が参向し幣帛料を奉る、平成16年   西楽楽神社を東楽楽神社に合祀。
当社は大日本根子彦太瓊尊、即ち人皇第7代孝霊天皇を主神とし、皇后、皇妃、皇子及びその一族を祀る。孝霊天皇は少年の御時、楽楽清有彦命(ササフクキヨアリヒコ)と申し、又笹福(ササフク)と号し奉る。御即位2年細媛を立てて皇后と為し給ふ。大吉備津彦命、若健吉備津彦命は共に孝霊天皇の皇子にて四道将軍として吉備の国を平定し給ふ。細媛命は孝霊天皇の御后にて國牽(クニクル)皇子、即ち第八代孝元天皇の御母にあたり、磯城県主大目命の女なり。福媛命は孝霊天皇の妃にて彦狭島命の御母なり。彦狭島命は歯黒皇子と申し孝霊天皇の皇子なり。孝霊天皇巡幸して西の国々を治め給ふ時、隠岐國の黄魃鬼(コウバツキ)を退治し給ひて伯耆國に渡らせ給ひし時日野川上に至り給ひて、今の溝口町鬼住山並に日南町の鬼林山に邪鬼ありて人民を悩ますよしを聞召して歯黒皇子他重臣を従へ彼の邪鬼を退治し、其の首領を其の地に埋葬し給ふ。又その頃、備中國に石蟹魁荒仁(イシガタケルコウジン)というものありて天皇が近郷に居給ふ由を聞き國中の凶徒を集め兵を起こして天皇を襲ひ奉らんとす。天皇夙(ハヤ)くも此の事を聞召給ひて歯黒皇子を軍将として数多の兵を従へ之を征伐し給ふ。かくして出雲振根等各地の凶賊を悉く言向けやはして地方を平定し、王化を布き給へり。これより先皇后細媛命は天皇の御跡を慕ひあすを知るべに尋ね給ふに御産のなやみありて石の上に憩はせ給ふ時、頃は五月のなかばにして雨多く降りければ里人菅の蓑笠を奉るも川の水音高く聞こゆる故「水音喧(ミズオトカマ)」と詔り給へば水音やむに依って日野川のこの部分を音無川と称す。
御祭神:大日本根子彦太瓊命(孝霊天皇)、細姫命、福姫命、若建吉備津彦命

更にR183号を進んだ右手奥に-道路脇に石柱、その先に壊れた鳥居、随身門以外何も無し
西樂樂福神社
689-5216_西樂樂福神社page
鎮座地:鳥取県日野郡日南町宮内236
由緒、御祭神共に不明

更にR183号を進んだ右手道路脇に鳥居、その奥に
宇佐八幡宮
689-5221_宇佐八幡宮page
鎮座地:鳥取県日野郡日南町河上
由緒、御祭神共に不明

更にR183号を進んだ先にY字路、直進すれば15号、これを進み、次のY字路を左手進んだ先、常福寺の手前、川の側に空地、ここに祠、墓地の北側に神社、常福寺山門の先、急な石段を登った先
常福寺(不明神社、不明祠)
689-5224_常福寺(不明神社、不明祠)page
鎮座地:鳥取県日野郡日南町多里471-1
由緒、御祭神共に不明

先に進みR183号へ、更に進んで行った右手に鳥居と奥に
多里神社
689-5225_多里神社page
鎮座地:鳥取県日野郡日南町新屋70
由緒:鳥取県神社誌より:創立年月不詳(一五九一年?)、旧多里荘大社稲倉大明神と称す。明治元年神社改正の際、稲倉社と改称。同5年村社に列す。同7年稲倉神社と改めらる。明治41年11月19日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。大正3年3月12日、多里村大字多里字上町へ側鎮座無格社稲荷神社(祭神 倉稲魂命、菅原道真、大山祇命、伊弉冉神、速玉男命、事解男命、稲背萩命、猿田彦命、蛭子命)を合併す。同4年9月 同村大字萩原字正音寺鎮座村社大蔵神社(祭神 大年命、 天地加流美頭姫命、大山祇命、經津主命、阿遇突智命、 猿田彦命、金山彦命 ) 同村大字湯河字宮ノ前鎮座村社岩崎神社(祭神:天穂日命、天津児屋根命、稚日女命、菅原道真、倉稲魂命、保食命)、同村大字新屋字上橋鎮座無格社稲荷神社(祭神:国常立命、国狭土命、豊斟渟命、泥土煮命、沙土煮命、大戸道命、大苫辺命、面足命、惶根命、伊弉諾命、伊弉冉神、天照大神、忍穂耳命、瓊瓊杵尊、彦火々出見命、鸕鶿草葺不合命 )、同村大字同字宮ノ段鎮座無格社青瀧神社(祭神:伊弉冉神、泉津事佐加男命、速玉男命、大日孁命)、同村大字同字小寺鎮座大歳神社(祭神:大年命、大山祇命)、同村大字上萩山字明谷新鈩床鎮座無格社金子神社(祭神:金山彦命、大山祇命)、同村大字同字中善蔵鎮座無格社奥萩神社(祭神:大山祇命、天穂日命)、同村大字同字反田鎮座無格社西垣内神社(祭神:菊理姫命、大己貴命、大山祇命)、同村大字湯河字容戸鎮座無格社柳本神社(祭神:猿田彦命、大山祇命、金山彦命 )、同村大字同字岩田鎮座無格社湯谷神社(祭神:倭武命、誉田別命、阿遇突智命、大山祇命、興登魂命、五十猛命、大屋津姫命、抓屋津姫命、金山彦命)を、合併す。大正9年11月11日 多里神社と改称す。伯耆民談記に「鎮座の山を御笠山といふ此の山に孝霊天皇稲を積せられし、蹟ありと山の形稲隈の如し此の故に稲蔵大明神と号し奉る」といへり。
御祭神:倉稲魂命ほか43柱;保食命、稚産霊命、菅原道真、大山祇命、伊弉冉神、速玉男命、事解男命、稲背萩命、猿田彦命、蛭子命、菊理姫命、大己貴命、天穂日命、天津児屋根命、稚日女命、金山彦命、倭武命、誉田別命、阿遇突智命、興登魂命、五十猛命、大屋津姫命、抓屋津姫命、泉津事佐加男命、大日孁命、大年命、国常立命、国狭土命、豊斟渟命、泥土煮命、沙土煮命、大戸道命、大苫辺命、面足命、惶根命、伊弉諾命、天照大神、忍穂耳命、瓊瓊杵尊、彦火々出見命、鸕鶿草葺不合命、天地加流美頭姫命、經津主命

少し引き返し、右折して11号を進んで行くとかなり先Y字路、左手211号を進んで行くと右手に赤い橋と神社の案内、右折して進んで行くと突き当りに
福榮神社
689-5672_福榮神社page
鎮座地:鳥取県日野郡日南町神福1247
由緒:鳥取県神社誌より;古くは田中大明神と呼ばれ、当時の郷内の9つの村の産土神として信仰を集めていた。大正2年12月26日、近隣の神社を合併して、豊栄・神福・福塚の縁起の良い地名を持つ社地を妙見山麓に合祀して、今の名前に改称された。
御祭神:玉依姫命、媛蹈鞴五十鈴姫命

引き返し、11号を進んで8号から帰宅、一日にしては久しぶりに長い一日、何か女神を祭った神社と百日紅の花が目に付いた一日!