最近国土地理院の地図で見つけた未参詣神社を求めて倉敷から児島方面をうろつくことに。
倉敷のパソコン教室へ通っていたときのコース、新幹線沿いに進み、倉敷JCTの先を左折し、中庄団地の西側を進み、『羽島東』信号を右折して74号を進み、前方22号の手前に右手斜めに進む道、22号に出る手前右角に
仏教関連の石塔
DSC_1415
鎮座地:倉敷市羽島
由緒、御祭神共に不明
付近を探してみたが神社っぽいのは見つからない、やはりお寺以外は神社マークで国土地理院は表示か?

22号を美観地区方向へ進み、前方倉敷川手前を左折して22号を南へ進み前方右折して(通いなれたトンネルから出た処)進んで行くと前方に60号、右折して北へ、八王子郵便局の手前『三社神社』前に来るを停め前の道を南へ進み、突き当りを右折して進んだ先-60号を走っていると西側に見える、-車は難しいと思ったが意外と広いし、横のマンション付近に駐車は可能、しかし、歩いた方が賢明!
不明神社
x1719page
鎮座地:倉敷市八王寺町
由緒、御祭神共に不明

60号を更に南へR429号を横切り更に南へ、R2号を潜った先275号を進み、前方左手『かなりや保育園』先を左折して同様に275号を東へ、前方左手の『仁科内科』の案内を左折して橋を渡った2本目の道を右折して進んだ右手-実際は一本間違えて北の道を、引き返す-やはり非常にゆっくり走らないと見落とす可能性大
天皇宮
x1720page
鎮座地:倉敷市吉岡124
由緒、御祭神共に不明

275号を引き返し、今度は南へ、高架の手前を左手に進み、前方を右折して高架を潜り『五軒屋』信号で左折、その先『江長』信号で右折、『竜の口』信号で左折して進み、前方7&11(今回潰れていた-左折する場所に注意が-コンビニらしき建物はまだあったが)先を左折してどんどん山中へ入って行った感じ、舗装がされ道もきれいに清掃されている感じ、逆に舗装されているので側溝が怖い、前方左手に階段、その先に駐車スペース、反対側の墓地には石燈籠が、更に進んで行くと前方左手に神社への車参道、手前の路肩は広いのでここに車を停めて参詣-車で行ける気はしたが安全の為
加盃成大明神
x1721page
鎮座地:倉敷市連島町矢柄
由緒、御祭神共に不明

更に登って行くと前方にX路、石柱に寂厳堂参道表示、案内に従って右手に進んで行くと前方に、前に駐車スペース
寂厳堂
x1722page
鎮座地:倉敷市連島町西之浦
由緒(寂厳和上追慕の碑):寂厳和上は江戸中期の高僧 字を諦乗 号を都羅道人 亀島道人 松石等という。元禄15年備中足守藩士の家に生まれ 十一歳吉備津普賢院の超染和上に従い出家京都遊学の後十九歳で倉敷市沖の円福寺に住持した。その後もしばしば上京して研鑽を積み 三十五歳 当時梵語学の泰斗(たいと)と仰がれた京都五智山の曇寂和上に師事 梵学を大成し 又その法流を相承した。四十歳連島宝島寺に住持 六十六歳 跡を高弟真染に譲り倉敷玉泉寺に退隠 明和八年七十歳入寂 その間宝島寺中興に肝脳を砕き 高く衆生済度の請願を掲げ 大いに弘法に努めながら研究 著述 講筳(こうえん)に亘って瞠目(どうもく)すべきものがある。平成3年宝島寺に現存するその遺文五八五点は 岡山県重要文化財に指定された。書における命名は既に生前より高く,慈雲 良寛とともに江戸期の僧門三筆と称せられ,その手跡は今も尚広く江湖の愛蔵珍重の的である。和上入寂にあたり 連島において 足守吉備津 倉敷を望見するこの大平山を墳墓の地とすることを切に遺嘱(いしょく)したと伝える 郷人風に墓前に祠(しじ)宇を建てて礼拝すること篤きは追慕の情の致す所 更に今加えて尊影略伝を刻み 永世不朽に伝えんとするものである。平成六年九月吉日 寂厳和上顕彰会

X路の所に
塞之紳
x1723page
鎮座地:倉敷市連島町西之浦
由緒、御祭神共に不明

今度は左手の道を下って行き、前方の道が分かれている処、右折、直ぐ左折して進んで行くとトンネルを出た広い道に、左手の道を下って北西へ進んだ『觀音寺』の先に
八幡神社
x1724page
鎮座地:倉敷市連島町西之浦4840
由緒、御祭神共に不明

『亀島山花と緑の丘公園』を目指すことに、先程のトンネルを南へ行った方が近そうだが、道が分かり難そうなので、北へ抜け、とR429号、R430号と進み進んで行くことに、前方『亀島橋』信号を左折して進み、前方信号の先を左折していけばいいのだが、2回も入る道を見落とし、嫌になったし、はやり丘の上まで行ったがやはり神社らしきものは見当たらない、雰囲気的にはあってもおかしくない丘だが、以前に行った『福喜神社』か、それともどこかに遷座されたのか?-車止めがかなり手前にあり、結構な距離を上がり降りすることに
ここに登って初めて広大なレンコン畑を見た

R430号をを進んで行き、前方『中畝七丁目』信号を右折して南へ進み、途中7&11でアイスクリーム補給、前方の信号を左折して進み、五本目の道を右折して進み、東から回り込んで公園へ、公園の西側の道を南へ進んで行った左手に-工場地帯は整然とした碁盤状、碁盤城だが集落は道が入り組んでおり、確認しながら進む
金刀比羅宮
x1725page
鎮座地:倉敷市松江3-16-15
由緒、御祭神共に不明

神社への入口の西側にも祠が
不明祠
x1726page
鎮座地:倉敷市松江
由緒、御祭神共に不明

東へ進むと八間川があり無理そうなので、一旦北へ進みR430号に、更にR430号を南へ進み前方276号を進んだ池の先の集落の左手の斜めの道を進んだ、前方小さな川の手前を左手に進んだ先-車は先程のY字路の処へ
不明神社
x1727page
鎮座地:倉敷市児島宇野津
由緒、御祭神共に不明

引き返して、R430号を南へ進み、前方『塩生三差路』信号を左手268号を進み、右手公園の側に車を停め西側へ
塩竈大明神
x1728page
鎮座地:倉敷市児島塩生
由緒:奈良時代から児島は文献により製塩の地として知られているが、塩生遺跡のほぼ中央に位置する塩竈大明神は、当時より製塩守護神として祀られていたと思われる。その由緒ある塩竈神社が、平成八年五月十九日未明の火災により拝殿が全焼したが、住民は直ちに再建に立ち上がり、企業及び地区住民の協力によって平成十年五月吉日落成した。
御祭神:塩竈大明神

R430号を進んで行き『通生浜』信号を右折して進んだ先のT字路に車を置き歩いて港方向へ、手前の道を右折して進んだ右手、前方へ『本荘八幡宮』の大鳥居
正一位稲荷神社
x1729page
鎮座地:倉敷市児島通生
由緒、御祭神共に不明
何か港への道が狭く感じたが、以前『本荘八幡宮』へは車で行っているので、なぜ思い出さなかったのか?

R430号を進んだ『赤崎駐在所』付近を探す、運よく交番の巡査に出会ったが分からない、交番の裏(東側)に何か跡みたいなものがあるが分からない

R430号を進み、前方左折してR430号を北へ進み、前方右折して児島観光港へ-機会があれば本島の神社巡りを計画するため-内側の道を北に進んで行くと右手奥に
明神宮
x1730page
鎮座地:倉敷市児島味野
由緒、御祭神共に不明

21号を南へ進んだ『大畠郵便局』の先『大宝寺』北側、路肩へ車を停め民家の間の狭い道をお寺へ、左手に細い道、その奥に
祇園宮
x1731page
鎮座地:倉敷市大畠1-18
由緒、御祭神共に不明

21号を曲りくねって進んだ南端、手前と参道途中に駐車場-途中に車止めがあり
鷲羽山不動明王
x1732page
鎮座地:倉敷市大畠
由緒、御祭神共に不明

ここで帰ろうかとも思ったが下津井で忘れていた神社を目指す、21号を下津井の端まで、そして21号が北上する一本東の通りを北へ、民家の外れの所に車を停め、民家の北側の道を進むと
産土荒神社
x1733page
鎮座地:倉敷市下津井
由緒、御祭神共に不明

車のカーナビのコースで帰宅しようとしたが、どうも自分の記憶としっくりこない、結局、21号、R430号、21号で普通に帰宅