前回に続き備後の国へ、山陽道の近くを通りながら福山へ-R486号で井原へ、そしてR313号から神辺へ、R313号を進み前方右手で393号と出会う交差点を左折して進み、前方突き当りを右折して進み前方交差点を山際を左折して進んで行くと左手に石柱
鎮座地:広島県福山市神辺町大字川南
由緒、御祭神共に不明
更に先へ進んで行くと左手に石灯籠、少し先の民家の左手の道を南方向へ登って行くと左手に
鎮座地:広島県福山市神辺町大字川南
由緒、御祭神共に不明
池まで引き返し左折して南へ、三叉路を左折して坂道を登り、曲りくねって進んで行き、前方十字路(集落)へ、勘違いして直進してまた坂道を登って行くと登りきった附近に『千田浄水場』、下って行った右手に空地と、境内に至る坂道、空地に車を停め歩いて参詣
鎮座地:広島県福山市千田町大字千田
由緒:明応年間(1492-1501)、神辺領安那郡(やすな)宇山村に鎮座していた八幡宮が大地震で倒壊し、天文元年(1532)8月、宇山村から千田村向谷に遷座し宇山八幡宮と称した。その後、弘治2年(1556)に千田村白石(現在地)に分霊を勧請し創祀された神社だ。この神社の本社となる宇山八幡宮を調べてみると大地震で倒壊したという時事は記されていないが京都男山八幡宮(石清水八幡宮)より勧請したと言い伝えられている。祭神は千田、宇山八幡共に神功皇后、応神天皇、宗像三女神で、これは石清水の八幡神と一致する。千田にはもう一つ宇山八幡神社が鎮座している。
千田八幡神社の社地の一部が平成4年に千田浄水場建設用地の一部となり、この工事に併せて本殿、拝殿の新築、および、境内整備が行われ、平成8年に完成している。新築された本殿は一間社流造で、前面背面共に繁垂木の二軒。身舎柱は正規の円柱を使い頭貫の下は長押が打たれる。妻飾りは頭貫の柱間は蟇股が虹梁大瓶束を支える。縁は三方を廻り、奥は脇障子で止まる。向拝柱は虹梁型の頭貫で固め木鼻には彫刻が施され、柱間は蟇股。軒の垂木は手挟みが支える。
御祭神:無記載
石段を下り、西方向へ進んで行くと右手に、その先に『宝寿院』行くと
鎮座地:広島県福山市千田町大字千田
由緒、御祭神共に不明
参詣し忘れに気が付き先程の十字路まで引き返し
左折して進んだ直ぐ先、あけぼの会館の道をはさんだ北側
鎮座地:広島県福山市神辺町大字川南
由緒、御祭神共に不明
更に東へ進んで行、前方Y字路付近に車を停め左手に進んでいった奥に鳥居
鎮座地:広島県福山市神辺町大字川南
由緒:創建は不明だが貞享五年(1688年)、野上八幡宮(福山八幡宮の西御宮)の旧社殿を移築して本殿を再建したとある。
御祭神:木花開耶姫
先程の十字路まで引き返し、左折して『千田八幡神社』横まで進み、更に坂を下りその先右にカーブした先、右手の狭い道を進んで行った右手に-大きな銀杏の木があるが殆ど散っていて残念、特に銀杏を狙ってはいないが何か時期が微妙に違う気がする
鎮座地:広島県福山市千田町大字千田
由緒、御祭神共に不明
前方へ進んでR182号を進み、前方『千田幹線東』信号の左手に車を停め歩いて-歩道に停車
鎮座地:広島県福山市千田町大字千田
由緒、御祭神共に不明
引き返しR182号を横切り西へ進んだ右手
鎮座地:広島県福山市千田町大字千田
由緒、御祭神共に不明
予定として参詣順に番号をふっていたが、やはり(天神社:広島県福山市蔵王町)を忘れている-R182号を挟んだ直ぐの反対側
更に西へ進んで行った右手
鎮座地:広島県福山市千田町大字千田
由緒、御祭神共に不明
更に進んで行った右手-手前が天満宮
鎮座地:広島県福山市千田町大字千田
由緒、御祭神共に不明
更に西へ進んで行くと『千田ガード北』信号でR313号、南へ進んで直ぐ右折して進んで行った、右手の車止めのあるガードの先
鎮座地:広島県福山市千田町大字藪路
由緒、御祭神共に不明
先に進んで行って右にカーブした先を左折して前方の坂道を登っていた右手石段のの先-下側から鳥居が確認できる
鎮座地:広島県福山市千田町大字坂田601
由緒、御祭神共に不明
神社の裏側の道を登って行くと-整備された参道-清掃を期待するのは無理
鎮座地:広島県福山市千田町大字坂田
由緒、御祭神共に不明
引き返して北へ進んだ前方十字路の左手角-お堂の隣りに地神碑があるだけ
鎮座地:広島県福山市千田町坂田北48
由緒、御祭神共に不明
東へ進んで行くと坂田公園、小さな川の向こうに『北村景松園』の駐車場、その先の山道を進んで行くと前方に石段-かなりシンドイが登りきった尾根の北側に
鎮座地:広島県福山市千田町大字藪路
由緒、御祭神共に不明
東側の石段を下って行った左手
鎮座地:広島県福山市千田町大字藪路
由緒、御祭神共に不明
北側に
鎮座地:広島県福山市千田町大字藪路40
由緒、御祭神共に不明
東側からの方が少し登りやすいか?-道路が南方向への一方通行、駐車場所に困るのでは?
手前の十字路まで引き返し、右折して北へ進んで行き『中津原浄水場』の北東、手前の空地へ駐車して
鎮座地:広島県福山市御幸町大字中津原225
由緒、御祭神共に不明
手前の舗装された坂道を登った先石段が-車止めが有り車は無理
鎮座地:広島県福山市御幸町大字中津原
由緒:天正13年(1585)羽賀弾正中津三郎が羽賀茶臼山城主となり、羽賀八幡宮を城の鎮守として羽賀に奉祀したので、翌年に羽賀八幡宮より勧請し現在地である小山に創建したとある。その後、安永3年(1774)に本殿を修造している。
御祭神:記載なし
前方の橋を渡り北へ進んで行くと右手に7&11、左折して進み前方橋へ至る378号の手前を右折して突き当り付近の路肩へ車を停め歩いて土手下の道を北東に進んで行った右手-道は色々有りそうだが無難な道を、そして土手下の道は狭いと思っていたが意外と広いので車で行くべき!
鎮座地:広島県福山市御幸町大字中津原
由緒、御祭神共に不明
手前まで引き返し右折して進んで378号で橋を渡り直ぐ右折した土手の下附近に車を停め左手の391号の下横を進み、右にカーブして坂道を登った左手に辻堂
鎮座地:広島県福山市郷分町
由緒、御祭神共に不明
陸橋を渡って進んだ右にカーブして進んだ左手に、陸橋の所で通行止め
鎮座地:広島県福山市郷分町
由緒、御祭神共に不明
左手の山の上、結構な階段
鎮座地:広島県福山市郷分町
由緒、御祭神共に不明
車まで引き返し、土手下の道を北東方向に進んで行くと左手山裾に、歩いて
鎮座地:広島県福山市郷分町560-1
由緒:弘治元年(1555)の創建。昔は「石原大明神」と云われていたが、鳥居には「乗弘大明神」の額もかかっている。
御祭神:彦火々出見命
先へ進むと川沿いの道へ、途中で出会った人に確認、車で通行可能で、神社下に駐車場が有り、そこまでは車で可能との事、対岸のゴルフ場への橋の手前、やはり不安で川の側に車を置いたが、十分可能
鎮座地:広島県福山市御幸町大字中津原
由緒、御祭神共に不明
右手の坂道を登って行った先、ここも駐車場先に車両止め
鎮座地:広島県福山市御幸町大字中津原
由緒、御祭神共に不明
車で行ける処を歩いたりとチグハグな所が多かった気がするが、今日一番の失敗行為、引き返そうとも思ったが、地図上で道幅も問題なさそうなので先へ進んで行ったが、大きな水たまりがうんざりするほど、スピード少しでも上げると完全にハンドルを取られる感じ、やっと381号へ、右折して橋を渡り土手沿いの道を進んで行く、目的の神社は391号の側、土手下の道へ下りるタイミングを外し、殆ど最初渡った橋近くまで進んでやっと土手下の道へ、中学校の手前で右折して進み391号の手前に車を停め、通りを渡って
土手沿いに南西へ進んで行った左手
鎮座地:広島県福山市御幸町大字中津原
由緒、御祭神共に不明
時間も遅くなったので帰宅することに、391号を南へ、前方左折してR313号を東へ進み、R182号に乗りたいが立体交差、潜った先左折して線路を越え、川沿いの処を左折して川沿いに進み、R182号を越えて突き当りを右折、先にある『片山集会所』に車を置き、山際の道を進んで行った左手
鎮座地:広島県福山市神辺町大字川南
由緒、御祭神共に不明
その奥の道を進んで行くと
鎮座地:広島県福山市神辺町大字川南
由緒、御祭神共に不明
これ以上立ち寄ることも難しいので帰宅、ほぼ北コースを引き返すことにするが、時間が少し遅いせいか意外とスムースに、このコースも西からの帰りには有か?