県内の神社は巡ると言うより単発の神社参詣?、どうも他国進出になる傾向。
R2号が便利が良いと思うが何か渋滞していると言うイメージが、新幹線に沿って倉敷方面へ、高梁川手前の信号を左折して進んで行くと前方にR2号右折して合流しR2号で福山へ、途中少し寄り道をすればまだ未参詣の神社はあるのだが今回も無し!
R2号を進んで行き東福山を過ぎ、R182号を横切って進んだ先、右手に直進していくと左手に参道-近くに車を停めれるか、その先左折して進んだ左手に参道-付近に駐車は?
『千間土手西』信号で右折する処を間違えて『千間土手中』信号で右折北へ進み陸橋手前の『東部陸橋南』信号で下側の側道を進み、前方を左折して進んで行き突き当りを右折し、線路の手前に
艮神社
721-0974_艮神社page
鎮座地:広島県福山市東深津町4丁目6
由緒、御祭神共に不明
備後一宮の吉備津神社に分祀されていたものをこの地へ遷移したもののよう-由緒を記した石版あり

神社西の道を南西に進んで行くと前方の小山の上に神社-当初予定の『パチンコハリウッド』の先を右折して進んだX路に-付近は駐車スペースがありそうで意外と無く車の通行も多いのでパチンコ屋の駐車場へ車を停めて歩くことに-北側か西側か悩んだが西側へ-川沿いに南側から廻り込み、途中狭い道を右折して進み再度川沿いに、その先右手に狭い参道、進んで行くと稲荷神社跡、その先左手手前に稲荷神社、その奥に
深津王子神社
721-0974_深津王子神社page
鎮座地:広島県福山市東深津町5丁目15
由緒:備後国風土記によれば、須佐之男命が朝鮮より八王子と共に帰朝し、吾等を信仰すれば、その子孫を疫病から守ると申されたので、深津郡の人々はこの深津島山に王子神社を建て、以て広く当地方の人々の崇敬するところとなる。 式内社研究者、元京都学芸大学教授・文学博士・志都剛氏の説によると、延喜式神名帳に載せられている備後国深津郡須佐能袁能神社は当社であると断定されている 昭和57年3月」とあるが諸説あり深くは考慮しない
御祭神:須佐之男命、八王子
稲荷神社
721-0974_稲荷神社page
鎮座地:広島県福山市東深津町5丁目18−20
由緒、御祭神共に不明
両神社の間に北からの参道(ここが表参道)付近一帯住宅地であり何か駐車し難い雰囲気-境内は広いが最初に階段が有り車は無理

最初の神社まで引き返し、線路を渡って北東へ進んだ左手-境内へはストリートビューで車止めが見られたが今回は無かったし、側の路肩は広い
深津塩崎神社
721-0974_深津塩崎神社page
鎮座地:広島県福山市東深津町6丁目15
由緒:創立代は正保三年、前領主水野勝成公によって再建されたと伝えられる。難航する干拓事業の成就を祈願してからは千間土手が決壊しなくなった経緯は数々の歴史書に記されている。
御祭神:住吉三神(底筒男命、中筒男命、表筒男命)

曲りくねっている道が多く道幅も良く分からない先に進んで前方広目の道を左折して進むと右手に保育所の駐車場、園児を遊ばしている先生に断り歩いて神社を探すことに!
先に進んで行き、左手の狭い道を進んで行くと少し広い道に右折して進んで行くと左手丘の上に石灯篭、先に進んだ突き当りの左手に石段、先に先ほど見えた『金比羅宮の常夜灯』と石碑、その先に
辻の坂稲荷神社
721-0974_辻の坂稲荷神社page
鎮座地:広島県福山市東深津町6丁目10-10
由緒、御祭神共に不明
(新幹線を潜った先を線路沿いに西へ進み、坂を登った先の東側)この道は広い

前の道を北へ進み、T字路の先へ進んで行った左手3本目の道の奥
西荒神社
721-0974_西荒神社page
鎮座地:広島県福山市東深津町6丁目3
由緒、御祭神共に不明

引き返して線路沿いを西へ進むとR313号を突っ切り進んで行くと右手に公園と『水野勝成墓』此処に車会を停め歩いて北へ進み、前方左折、直ぐ右折して進んだ左手
森島稲荷神社
720-0052_森島稲荷神社page
鎮座地:広島県福山市東町3丁目7
由緒、御祭神共に不明

更に線路沿いに西へ進み『東5番』の信号を右折して進んだ左手(レンガ造りの車道)
大黒神社
720-0053_大黒神社page
鎮座地:広島県福山市大黒町1
由緒、御祭神共に不明

線路沿いに進んで行くと正面に福山城跡、右折して北へ進み、前方左折して進み『蓮池東』信号を右折、左折して進み左手に
福山八幡宮
720-0073_福山八幡宮page
鎮座地:広島県福山市北吉津町1丁目2-16
由緒:当地方を「穴の海」と呼ばれていた頃、後に福山城地となった深津島山に2つの八幡宮が奉祀されていました。その後天文年中(1532-55)に杉原播磨守が社殿を新に造営、毛利輝元、福島正則等の為政者も信仰厚く報賽されていたと伝えられています。元和5年(1619)水野勝成公が備後国主として赴任されるや、新しい居城として福山城を造営される事となり、2つのお社は夫々延広小路、野上口へと遷されました。天和3年(1683)第4代藩主水野勝慶公の時、今の松廼尾山に改めて福山総鎮守のお社として本殿、幣殿、拝殿、随神門、鳥居、惣門など東西に同一規模、同一形式にて並び建てられ、一般に両社八幡とも呼ばれ、広く崇敬せられてきました。昭和44年(1969)両社の法人格を合併、社名も旧に復し福山八幡宮とし、神社本庁の別表神社として新たに発足しました。
御祭神:応神天皇、神功皇后、比売大神
奥に鍛治神社、聰敏神社等が

神社前の道の東側から南側の福山城跡へ-東側から-前方に鳥居、今回は左手に取り東側から-八幡宮に車を置いてきたがここにも駐車場、場内も結構広く路肩に結構車を停めている
三蔵稲荷神社
720-0061_三蔵稲荷神社page
鎮座地:広島県福山市丸之内1丁目8-7
由緒:三蔵稲荷神社は、福山の開祖、水野勝成公が福山城を築城する時に、守護神として祀った神社です。勝成公は二十一歳の時、三河国刈屋の城より放浪と武者修行の旅に出ました。その際に、祖父、忠政公が京都伏見稲荷大社より受けられたご神体を授かりました。勝成公は、四国・九州での戦においてもご神体を肌身離さず持ち続け、お稲荷さんのご加護を受けることができました。元和五年(1619年)、この福山の地に城を築き、城内の北側(鬼門)に備後の国の守護神としてお祀りしたのが、三蔵稲荷神社の起源です。以来、代々の福山城主が直祭し、藩内には多くのご分社がありました。
御祭神:宇賀魂大神、猿田彦大神、大宮女大神

西川の石段を下りた右手に阿部神社、武道館、その先に-
備後護国神社
720-0061_備後護国神社page
鎮座地:広島県福山市丸之内1丁目9-2
由緒:旧社格は内務大臣指定護国神社で、戦後別表神社となっています。明治元年、福山藩主・阿部正桓が、石見益田の役と函館戦争での戦死者の霊を祀るために、旧深津郡吉津村に招魂社を創立したのに始まり、明治26年に福山公園(現在の福山城)の本丸人質櫓跡に遷座し、明治34年に官祭福山招魂社に改称しました。昭和14年(1939年)に内務大臣の指定を受けて福山護國神社と改称しました。昭和15年(1940年)の紀元2600年を機に、芦田川河畔に新たに広大な境内と運動場を有する神社として建立されることになり、第二次世界大戦(太平洋戦争)中も工事が続けられていましたが、完成目前の昭和20年(1945年)8月8日の福山大空襲によって焼失してしまいました。この敷地は現在、福山市体育館として使われています。戦後福山藩主の阿部氏が建立した阿部神社と昭和32年(1957年)に合併して、備後護国神社に改称しました。尚、阿部神社は文化10年(1813年)に時の福山藩主が、歴代の祖霊を祀ったのが始まりです。
御祭神:阿部家の祖神、四道将軍の大彦命、武沼河別命と豊韓別命及び阿部正弘公など歴代備後福山藩主、備後国出身の護国の英霊 

城の西側を南へ、少し西側の『西2番ガード』を潜り更に南へ進みR2号を越えて更に南へ進み、突き当りを左折して次を右折して進むと『地吹町東』信号、その先を進んだ右手に-信号前で停め難いので少し東へ
地吹荒神社
720-0816_地吹荒神社page
鎮座地:広島県福山市地吹町9
由緒、御祭神共に不明

先程の『地吹町東』信号まで引き返し、右折して東へ進むと『道三町』信号の先南側に
恵美須神社
720-0813_恵美須神社page
鎮座地:広島県福山市道三町8-16
由緒、御祭神共に不明
北側に
最上稲荷山福山支院
720-0813_最上稲荷山福山支院page
鎮座地:広島県福山市道三町7-8
由緒、御祭神共に不明

少し引き返し『道三町』信号を南へ進み5本目の道を左折して進んだ『野上町新屋公園先の左手』
清滝稲荷神社
720-0815_清滝稲荷神社page
鎮座地:広島県福山市野上町1丁目6
由緒:清滝神社は文政2年(1819年)頃せつりつされたと推測される。当初(深安郡野上村字新屋)境内に社殿・石鳥居・常夜灯・石の太鼓橋・神木楠木があった。明治の大飢饉・大正の水害を受け、村民の天災地変の徐滅・繁栄・護国豊穣を祈願する為、秋祭りなどに神楽奉納していた。昭和20年8月8日の福山大空襲で焼失し、復興都市計画により現在地(野上町)を代替地として昭和30年(1955年)頃焼失残り神木楠木を使い、祠を再建した。・・・・・
御祭神:大宮乃女神、神大市姫命、猿田彦神等
掲示物あり

少し早いが帰宅することに、R2号で帰るが何か全体的に混んでいる感じ、いつもの『玉島IC』入口付近で渋滞した感じ、54号、60号で高梁川を越え倉敷の北側を進み、新幹線沿いのルートで帰宅、ここも意外と混んでいた!本当にスムースなルートは!