寒くて出かける気があまり起きない、去年はどうしていたのだろう?意を決して広島県府中市方面へ-『府中』は国府所在地を表す一般名詞であり現在備後へ進出中なのでここは避けて通れない!
これまで通りR486号等で井原へ進み、その先R313号を進んで『御領』先『国分寺前』信号で右折して181号を進み府中へ、前方小さな川の所で工事で通行止め、右折して北へ進み前方左折して進んで行くと『小山池』へ、左手に
中条八幡神社(元宮)
720-2103_中条八幡神社(元宮)page
鎮座地:広島県福山市神辺町西中条
由緒、御祭神共に不明
(更に西へ進んだ先390号を北上した処に外宮があるが今回はあくまで府中へ、ここも工事での通行止めが無ければパスした処)

池沿いに進んで181号へ、更に181号進んで行って池の真ん中を進んだ先『道上小学校入口』信号を左折して215号を南へ進んだ左手に鳥居
岡山神社
721-0000_岡山神社page
鎮座地:広島県福山市神辺町道上981
由緒:大同元年(八〇六年)備中国一宮・吉備津宮の御分霊を備後国宮内へ勧請の節、この地に一宿あり、その跡に宮を建て一宮大明神と崇め奉る。此節村中の民家三十六軒あり…
宝暦九年(一七五九年)神社書付差上の節「岡山大明神護国寺別当」と書上、以後「岡山社」と改唱す。 明治四年(一八七一年)七月四日道上村社に列せられる、岡山神社と号するは明治六年以後なり。大正二年、村内の小社を合祀し、同三年十九軒屋田中神社を合祀す。-詳細は境内石碑に記述
御祭神:大吉備津彦命
神社は亀山公園と並立している小丘上に鎮座して、この場所は弥生時代の遺跡・亀山弥生式遺跡のよう-名称の由来は分からない、地元に居ながら岡山の由来が分かってないので!
南北にも鳥居が有り、表参道の南に車参道が有り、駐車場を含め車でも可能だが歩いた方が!

南へ進んで行くと前方にR486号、右折して西方向へ進んで行くと左手に
十三軒屋荒神社
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鎮座地:広島県福山市神辺町十三軒屋3-147
由緒、元禄十二年(1699年)に勧請とのみ記載(広島県神社誌)、創建以来十三軒屋の村社となり、今日まで氏神として崇敬
御祭神:火之加具土神

R486号を更に西へ進み、右手ハローズの先『万能倉南』信号を左折して392号、396号と直進し、芦田川を渡って右折して進み、土手下の道へ下りて進んで行った左手(前に空地あり)
當島八幡神社(多理比理神社)
720-1142_當島八幡神社(多理比理神社)page
鎮座地:広島県福山市駅家町大字上山守1183
由緒:当社は、大同二年(807年)豊後の国宇佐八幡宮の御分霊を勧請して祀られたと伝えられている。その後延元元年(一三三六年)延喜式の式内社に列記されております多理比理神社を合祀し現在地に社殿を再建して以後當島八幡神社として祭祀執り行われています。創始は古く品治郡東南部の十三カ村の総氏神として崇拝、明治五年村社、明治二十一年郷社に昇格される。
御祭神:誉田別神 足仲彦神 息長足姫神、多理比理神

神社の裏にグラウンド、その南側の道を西へ向かって進み左折して進んだ直ぐの右手
谷荒神社
720-1142_谷荒神社page
鎮座地:広島県福山市駅家町大字上山守1175
由緒、御祭神共に不明

グランドの右手の坂道を下り右手の細い道をカーブしながら進んで行った右手奥-実際は車を置いた処から南奥へ進んで行った
松浦荒神社2
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鎮座地:広島県福山市駅家町大字上山守1229
由緒、御祭神共に不明

少し引き返し集落の間の道を東へ進み橋の東側の道を南へ進んだ正面
松浦荒神社
720-1142_松浦荒神社page
鎮座地:広島県福山市駅家町大字上山守1413
由緒、御祭神共に不明

先に進み前方を左折(大蔵宮の案内板)、左折、左折して進んだ先-石柱の間を進んだ先に駐車場(手前にも、坂道を登った先にも駐車可能)
大藏神社
720-1145_大藏神社page
鎮座地:広島県福山市駅家町大字今岡36
由緒、御祭神共に不明

引き返し前方、橋を渡って左折して進んで行く予定だったが侵入禁止の表示(後で確認すると大型車のみ)だったので前方を左折して395号で西へと進んで行くと前方にR486号、更に進んで行くと『戸手』駅の少し先、『戸手川橋東詰』信号を右折して進み、『上戸手』駅先の『神社入口』信号右折して進んだ左手-非常に狭い道、一度通り過ぎる
備後国一之宮 素盞嗚神社
729-3101_備後国一之宮 素盞嗚神社page
鎮座地:広島県福山市新市町大字戸手1-1
由緒:昔、北海に坐します武塔神……南海に出でまし しに日暮れぬ。その所に将来二人ありき、兄 の蘇民将来、甚く貧しく弟の巨旦将来、富 みて屋倉一百ありき……(備後風土記逸文)より、この附近一帯を疫の隈という。
蘇民将来「茅の輪」伝承発祥の地として、文 献上最古の記録を残すほか「疫の隈国社」として 延喜式神明帳にみえる古い歴史をもっている。素盞嗚尊は武塔天神あるいは祇園牛頭天王とも称され出雲神話の祖である。本社は備後三祇園の一社で七月の祇園 祭りは備後地方の夏祭りとして有名であり 祭り終了日の深夜、吉備津神社よりの「無言 神事」が今も行われている。明治初期までの神仏習合の一時期「早苗山 天龍院天王寺祇園社」と呼ばれた事もあり、早苗の 松の伝承を残した。
建造物のうち道路側の楼門は相方城(天正 年間・一五八〇年ごろ)の城門を移築している。
茅の輪くぐり:(旧暦六月三十日、直径約二メートル の茅の輪をつくり無病息災・厄除けを願って 茅の輪をくぐる行事をいう)
御祭神:素盞嗚尊、稲田姫命、八王子

神社前の駐車場を北へ進み、左折して用水路沿いに進んだ先、左手の神社の駐車場の先を右折して坂道を登って行った先、墓地の反対側-空地在り
向市天神社
729-3103_向市天神社page
鎮座地:広島県福山市新市町大字新市
由緒、御祭神共に不明

更に進んで行き、『大佐山運動公園』の北、駐車場の右手に鳥居-山の中腹、道、参道ともかなりな坂道
大山大神社
729-3103_大山大神社page
鎮座地:広島県福山市新市町大字新市
由緒、御祭神共に不明

引き返し、西へ進み左折して進み前方『神谷川橋東詰』で左折、土手沿いの細い道(一方通行)進み線路を越えた先のY字路を左手に進んだ左手-左手の車が多く難しく、左折して広い道を進み、先にある『FamiyMart』に車を置き横の道を通って南から廻り込んで-帰りは運送会社の構内を通って
恵比須神社
729-3103_恵比須神社page
鎮座地:広島県福山市新市町大字新市
由緒、御祭神共に不明

入って行った所まで引き返し左折して川を渡って進んだ先『新市支所』信号で26号、進んで行って『新市駅前』信号で右折して進んだ左手、適当な駐車場が無かったので近くの『小野医院』の駐車場へ車を置かしてもらい歩いて参詣
穴荒神社
729-3103_穴荒神社page
鎮座地:広島県福山市新市町大字新市1120
由緒、御祭神共に不明
隣りに豊瀧稲荷がある

手前の石段の先に
不明神社
726-0012_新市神社page
鎮座地:広島県府中市中須町
由緒、御祭神共に不明

医院の側の坂道を登った先、車で通行できる広さであるが急な坂道であり、最初は駐車場の位置も分からないので歩いた方が賢明
新市神社
726-0012_新市神社page
鎮座地:広島県府中市中須町
由緒:この社は往時新市町に固有の氏神様が無いことから町内の有志より神社建立の気運が高まり、昭和12・3年に出原安太郎翁が町民の健康と繁栄を祈念し、私財を投じて町内が一望できるこの地(お旅山)に現社殿を建立した事に始まります。その後、昭和37年、62年に社殿の修復工事をしました。
御祭神:天照大神、宮島大明神、黄蕃大明神
更に上に登った先に何かありそうだがシンドイので中止-大黒様と経営羅針盤が

更に26号を北へ進み左手『ハート新市店』の駐車場へ車を停め、手前の道を進み、前方左手に進んで行った右奥
五社稲荷神社
729-3103_五社稲荷神社page
鎮座地:広島県福山市新市町大字新市
由緒、御祭神共に不明

引き返し北へ進んだ左手
古市荒神社
729-3103_古市荒神社page
鎮座地:広島県福山市新市町大字新市
由緒、御祭神共に不明

26号を更に北へ進み、今日の目的である吉備津神社を目指す。右手に池、反対側に鳥居、池の北側の駐車場へ車を停め先ずはいけの周囲を半周
厳島神社
729-3104_厳島神社page
鎮座地:広島県福山市新市町大字宮内419
由緒、御祭神共に不明

池の反対側に
胡神社
729-3104_胡神社page
鎮座地:広島県福山市新市町大字宮内
由緒、御祭神共に不明

鳥居を潜って奥に
備後国一之宮 吉備津神社
729-3104_備後国一之宮 吉備津神社page
鎮座地:広島県福山市新市町大字宮内400
由緒:御創建は平城天皇の御代、大同元(806)年3月、備中中山吉備津神社より分祀されたと伝えられ、古い記録を見ると「備後国吉備津宮八講之縁起」には、長和3(1014)年法華八講が始められたとされています。また、京都祇園社(八坂神社)の「社家條々記録」には、久安4(1148)年、法華八講会の御八講料所として当社が宛てられたことが記されています。鎌倉時代に入り、「百錬抄」には、寛喜元(1229)年11月27日、備後国吉備津宮焼失とあり、その後、再建ののち、時宗を開いた一遍上人が弘安10(1287)年、当社を参詣し、その様子は国宝「一遍上人絵伝(一遍聖絵)」(鎌倉・清浄光寺蔵)に描かれています。そして、永仁5(1298)年、京都六波羅より神領壱万六千貫を受け、当時の繁栄ぶりがうかがわれます。南北朝の争乱期、「太平記」には、元弘元(1331)年9月、桜山茲俊公が楠木正成公と東西相呼応し、ここ一宮で倒幕の兵を挙げたことがでてきます。楠木公の赤坂城落城の誤報を受け、もはやこれまでと、元弘2年正月21日、妻子一族郎党と共に自刃され、兵火は一宮まで及んだと伝えられています。「吉備津宮勘合略記」には、永和2(1376)年、小野宮左近将監により本殿が再建され、この時、三宮を正宮一宮とし、南北の二宮は正宮に合祀したことが記されています。
御祭神:大吉備津彦命、大日本根子彦太瓊命、細比売命、稚武吉備津彦命
やはりこれ位の規模の神社では境内社を確認しながら廻らないと見落としがある可能性が!
境内図を参照しながら参詣したので見落としはないが、ほぼ終わりに近づいた頃、バッテリー切れ、車で充電しようと思ったが殆どできない、タブレットのバッテリーが良くないのか、長距離移動でバッテリーの消耗が激しいのか色々問題があるような気がする。それとシガーソケットUSBアダプターで充電するには最低2A以上が必須のよう、今回1Aの物では30分でも3%程度の充電、立ち上げて 写真を撮ろうとすると0%に

無駄に時間を費やし、遅くなったのでほぼ来たコースの逆で帰宅、少し遅くなったので空いていると思ったが渋滞、今回は吉備津神社から吉備津彦神社の脇を通ってスムースに行った思ったが、岡山駅西口付近で大渋滞?、通常通りR180号で帰宅した方が良かったか?