岡山県内神社巡り(メイン)

片っぱしらからの神社巡り

2014年06月

操山・笠井山近辺の神社巡り

本日は東山方面を探査?
西大寺に向かう東山方面へ峠の手前に玉井宮東照宮がある予定だったが。後で確認するとこの道路に案内が表示されていたが、麓の道に入り神社は右手に見えても登る道が分からず。通りかかった叔母さん(私よりかなり若いが)に聞くと親切に教えて頂いた。ここで初めて標識に気付く。しかもこの道は上がり方向への一方通行であった。

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鎮座地:岡山市中区東山1-3-81

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由緒:本社は元児島郡小串村大字光明崎(今は米崎)に鎮座されていたが、応徳2年(1085)当東山に移転遷座して玉井宮と称せられるようになった。この遷座にあたり、次のような伝説がある。
 その頃、社のあった山頂から、毎夜怪光が海面を照らし魚が恐れてよりつかず、猟師たちは困って其の事を神前に告げ、ご神託を受けた。ご神託は「御幣が舞い上がり飛んで行き上道郡門田の山中に立つ、そこへ遷座せよ」というものであった。その御幣が飛来し立った所がこの地(故にこの山を幣立山という)で、社名を玉井宮または玉の宮と称した。
 その後、正保2年(1645)藩主池田光政公の命により、この地に東照宮を勧請するにあたり、玉井宮は、下の広場(今の駐車場)へ遷座され、国内別格5社の1社に列せられた。
 明治14年(1881)玉井宮と東照宮は合祀され、社名を玉井宮東照宮とし、県社に列格した。明治33年(1900)旧玉井宮の建物を移転し、西日本屈指の大拝殿の建立等大造営が行われた。その立派な社殿郡も平成元年(1989)1月31日未明不慮の火災により、幣拝殿・神饌所・社務所・参集所等焼失した。しかし、氏子崇敬者の尽力により、4年の歳月をかけ現在の姿に復興した。 ご利益として、嘉永3年(1850)高松中納言季実卿の執奏により、皇后ご安産のご祈願を行い、当時の祠官佐々木左兵衛介は上京参内しお守り札を献上している。その時高松中納言から「大君の御子のいのりの功績を雲井に高くきこえあげたり」という和歌が下され、ご祭神のいわれとともに安産の神様として崇敬を集めてきた。
御蔡神:豐玉比賣命、玉依比賣命、彦火火出見尊、徳川家康

参拝して分かったのだが地図上に表示されている坂中荒神社、三勲神社、山川神社、倉稲魂神社等と全て同じ山の上にある。由緒、御蔡神に関しては写真等も参照して頂きたい。
御蔡神に家康の名が見られ、外様大名池田氏の苦労が偲ばれる。
主なる神社としては天満宮、坂中荒神社、白龍神、金龍神、少宮社、三勲神社、稲荷社、山川神社、倉稲魂神社と他の神社と比較し多いのか。

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帰りは下りの一歩通行で麓に見えた鳥居の前を通り、元の県道西大寺線へでる。

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続いて奥市のグランドの奥にある護國神社へ向かう。

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鎮座地:岡山市中区奥市3-21

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由緒:当社は備前藩主池田章政公が、明治2年4月3日御後園裏竹田河原に於て、奥羽戦争戦死者監軍、雀部八郎時宜命を始め34柱の招魂祭を執行し、次で同年6月上道郡門田村幣立山地180坪に社殿と碑石を建て奥羽、函館両戦争戦死者を祭祀されたのが起源で、明治7年3月17日官祭招魂社に列せられ、祭祀並に修繕費共一切官費にて支給された。
 明治11年加納太郎氏等十余人が、幣立山地内社殿建築の工を起こし13年落成。同16年7月社殿を同字内北方高地に移転し、更に塚本芳五郎氏指定寄附1万5千円を以て奥市公園内1440坪に移転。大正4年4月26日社殿竣工。同28日、本殿遷座祭齋行。昭和14年4月1日内務大臣指定と共に岡山縣護國神社と改称、昭和15年11月境内拡張。社殿総改築に着工し、同17年5月竣工。同月25日、本殿遷座祭を齋行。偶々敗戦の結果連合軍の進駐により護國神社に対し殊に干渉抑壓が加わったので昭和21年11月29日操山神社と改称したが講和條約の発行に依り昭和27年7月4日岡山縣護國神社と復称した。
 20年に近い星霜を経て、社殿御屋根の破損甚だしくなり昭和36年3月社殿修復に着工し銅板に葺替竣工。8月25日、本殿遷座祭を齋行。昭和37年10月23日天皇皇后両陛下の御親拝を仰ぎ昭和44年4月3日御創立100年大祭を執行現在に至る。
御蔡神:護国の英霊

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広大な境内は県内随一か森に囲まれた、英霊にふさわしい環境!

地図を見ると朝日高校の近くで分かりやすい位置にあった田中神社に立ち寄る。
鎮座地:岡山市中区国富1丁目7
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朝日高校北道脇で公園の一角に小さくひっそりと佇み、由緒、御蔡神共に分からず。

此処まで来たら次いで、脇道を通り抜け百間川南岸を東方向を目指す。百間川に架かる神下橋(西から3番目)の南100m,笠井山の東麓を抜ける峠道の途中で、まず左側に深田神社が道沿いに見える。

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鎮座地 岡山市中区今谷533

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由緒:本神社は本国総社神名帳に深田神社。山本氏本に従二位深田大明神と記載してある。備前国式内外古社128社の一である、創建年月は不詳である。昭和32年2月5日に火災のため、全社殿を焼失したがその後再建した。

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御蔡神:宇氣母智神
珍しく境内に扉が掛っていた。最も鍵はかかってないので自由には入れる感じ。

次は同じ坂道を少し走ると峠付近右側に吉備津岡辛木神社の標識が見える。何も考えずに標識に沿って山道を走ると最後少し下った先に神社が見える。

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鎮座地 岡山市中区海吉1109

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由緒:本神社の御祭神は第7代孝霊天皇の皇子(吉備津彦命)が第10代崇神天皇の御代に吉備の国に下られ温羅という悪者を平らげて平和な国作りを行った時、当神社の御祭神も上道、海吉を平定した。
 この祭神吉備若建彦命は、吉備津神社御祭神の弟君である。
御蔡神:吉備若武彦命

なぜか、周囲に和歌を詠んだ石碑が多く見られる。

もと来た道を引き返しメインの道路に出る。更に少し走ると右手麓にに神社らしきものが見える。地図で確かめると天地天満宮であったので参拝する。

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時間的にまだ廻れるはずだが、カメラの電池切れが近づき引き返す。

故郷への帰路・神社巡りその2

県道美作線を走り我が田舎、まずは旧高月小学校があった馬屋地区へ
昔、小学校へ通っていた頃は結構広い道と思っていたが、今見ると車1台がやっと通れる位、昔水晶谷と勝手に呼んでいた場所近くと思うのだが全く思い出さない。何とかたどり着いた感じである。現在、神社の近くに兜岩(旧小学校の裏山)の説明掲示板あり、懐かしく思うが、全く思い出さない。山際に荒神社を見出すが鳥居も見当たらず。

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鎮座地:赤磐市馬屋
由緒、御蔡神共に不明
旧高月小学校跡、兜岩を含む

続いて学校の帰り立ち寄った記憶がある春日神社へ。通学路は色々あり、登校時は地区で集団だが、下校時は結構バラバラだったので、適時コースは変えていた記憶あり。山際の池の畔を登った処にあり、思い出す。

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鎮座地:赤磐市馬屋812

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由緒、御蔡神:不明

小学校時代通った道ではないが地図より神社を見つけ、山際の道をすすむ。しかし、目的の熊野神社は分からず。備前国分寺跡近く、こんもりとした場所が見られるので行ってみると神社。鳥居には読みにくいが八幡宮が見られる。

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鎮座地:赤磐市馬屋1017

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由緒、御蔡神:不明

途中和田神社を探すが分からず後日にし、最も分かりやすい足王神社を目指す。この神社はかなり印象に残っている。幼いころこの神社のお祭に店が多く並び、色々な物を買ってもらうのが楽しみだった。しかし当時傷痍軍人が多く立っていて怖かった記憶あり。
ここの場所は池の土手の坂道を上った先にある状態は変わってないが、周囲に団地が出来全く様変わりであった。

足王神社が宗教法人とは全く知らなかった。今になって思い出せば、附近の神社と様子が違ったのは事実と思われる。鳥居の前に狛犬ならぬ狛足がある。幼き頃は思ってもいなかった。

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鎮座地:岡山県赤磐市和田519

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由緒:岡山藩政当時、和田村の給人であった梶浦勘助(後に郡代)が自宅に手名椎之命、足名椎之命の二神を祭って進行していたところ御利益が著しいので、近隣の手・足を病む人がお参りするようになった。梶浦勘助は尊い神様を霊地に移し一般に公開しようと思った。
御蔡神:手名椎之命、足名椎之命、(大国主之命)

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八幡宮
鎮座地:赤磐市和田250
由緒、御蔡神:不明
全く印象になく、今回参拝予定外、場所は分かりやすそうなので次回に

この松尾神社は家に帰る途中にあり、小さい頃境内で毎年、神楽を行っていた印象が強い。そして傍にある銀杏の実にかぶれた経験を思い出す。

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鎮座地:赤磐市穂崎1730

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由緒:創建は不詳であるが、元禄時代の創建と伝えられている。
御蔡神:大己貴命

近くの小山古墳の上の稲荷神社も参拝する。
稲荷大明神

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鎮座地:赤磐市穂崎
由緒、御蔡神:不明

家の近くの学校の帰り道にあった。金光教の穂崎教会の隣にある神社、家が近いので境内で遊んだ記憶がある。思い出してみると昔は結構野外で遊んだ記憶がある。

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鎮座地:赤磐市穂崎2099
由緒:創建年代は元禄2年である。
御蔡神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后

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これで、今回無事に元の我家に到着した。幼い頃の一番馴染みのある神社。しかし神社名を思い出せない。昔は、敢えて名前なんか関係なかった。
田舎の我家の裏にあり、幼き頃の隠れ家の一つ、勝手に遊んで怒られた記憶もあり、地区で何か競争のようなことをした記憶がある。地図上では天満宮になっているが、天神様と呼んでいたような記憶がある。

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鎮座地:赤磐市穂崎2069

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由緒、御蔡神:不明

最後、坂を下ると岡山市(旧瀬戸町観音寺)と言う感じで交流はほとんどなかったが、近くと言うことで八幡宮へ

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以上で、我が幼き日々の項は終了。

田舎から家に帰る途中に立ち寄る。いつも、旭川の堤防の上から、どちらかと言うと、「確か神社があったはず」と言う感じ。田んぼの真ん中に木が茂っている場所、大体寺社仏閣がある。ここには大きなイチョウの樹があった。各神社に特徴があり、何かに注目すべきかもしれないが、あまり深く考えない。
諏訪宮

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鎮座地:岡山市北区玉柏1243
由緒:旧記に備前国御野郡河本村鎮座諏訪宮とある、創建年代は不詳である。
御蔡神:建御名方命

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本当に本日終了。歳を取り過ぎたせいか、年月が立ち過ぎたせいか、忘れていることが意外と多い。

故郷への帰路・神社巡りその1

普通はほとんど通らない道順。今回は以前の神社廻りかねて、わが故郷近辺へ向かう途中の神社、山際の少し高い位置にある道を走っていたせいか、こんもりとした場所を見つける。予定していた大神神社であった。
離れた位置からわかるだけあって、境内等結構広い。

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鎮座地:岡山市中区四御神381
由緒:本神社は延喜式神名帳に備前国26座の内、上道郡大神神社4座と記載されている。創立年月は詳でないが、上古以来備前国の由緒ある神社である。
慶長年間(1596年?1615年)の社領は一町七反八畝九歩とある。現在では境内地を残すのみである。近年四御神付近の住宅地化・団地化とともに氏子の数も急速に増加している。
御蔡神:大物主神、少毘古那神、三穂津姫神、大穴牟遲神

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次に牟佐に抜ける峠道を移動する。以前は作陽大学か何かと思っていたが、IPU環太平洋大学第二キャンパスに変わっている。この大学は田舎のすぐ近くに以前神戸女子大岡山校だったところにも変わってできている。こんな田舎に学生が集まるのか?

最初は峠を越えた平地にある大野原神社を目指す。田んぼの真ん中の道を走っているとやはり神社独特の木の繁みを発見、道が分からないので車を止めて歩いた。有名な楠木が境内にあり。

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鎮座地:岡山市北区玉柏229

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由緒:明治初期の洪水により旭川の上流より、この地に御遍座ましましたものである。住民は挙ってこの神を崇敬し若宮様と申し上げて鎮守の神として御祀りしたものである。
御蔡神:須佐之男命
本宮は位出雲国意宇郡熊野山熊野大社

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一番よく田舎へ帰る途中にあり、新しく道が出来たので最近は見かけなくなった高蔵神社である。

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鎮座地:岡山市北区牟佐2803

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由緒:本神社の創建は正慶元年(1332年)以前で、本国総社神名帳に高蔵神社、山本氏本に従二位高蔵大明神と記載してある古社で、備前国式内外128社の1である。上代の祭式を存し、新嘗報賽の旧式を厳重に奉務し、その饗宴の日に古風の神遊を奏している。これを高蔵の杵舞と云う。
御蔡神:天照國照彦火命、天香山命、建御名方命

県道美作線に出て、赤磐市(旧山陽町-旧高月村)を目指す。以降は次回に

岡山大学近辺神社巡り

今回は母校である岡山大学周辺を巡る。といっても学生時代の記憶はほとんどないのだが。
取り敢えず西側の明善寺近くの尾治針名真若比め神社へ。参拝への道を見た場合、やはりお寺さんの方が大きく、道も問題なく楽かも

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鎮座地:岡山市北区津島本町20-8

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由緒: 延喜式神名帳に、「備前国御野郡尾治針名真若比め神社」とあリ、総社神名帳に「尾張針田真若比女神社」、山本氏本に「従四位下尾張針田明神」と記載している式内神社である。本神社の鎮座地の西坂以東の山を半田山と言うのは、針田山の誤で、針田の名称はこの神の御名から出たもので、津島の産土神である。(「め」は口へんに羊) 
御蔡神:尾治針名真若比め命

次は天神社に、丁度図書館の真裏当たり、この近くに下宿していた頃、記憶にあり。しかし大学の裏は全く変わっていて記憶は全く当てにならない。

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鎮座地:岡山市北区津島福居2丁目14
由緒、御蔡神共に不明

神殿が新しく建て直されていた。先に行った尾治針名真若比め神社とはかなり違う。
由緒に関しては右側の写真を参照

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続いて八幡宮へ参拝を予定していたが、理科大学の近辺だけで、全く場所が分からず。当然出会うのは学生がほとんどで聞いても要領は得ない。山際を見ながら探していると墓場に迷い込む。
道がせ極端に狭いにも関わらず、バックでしか出られず非常に疲れた。
探すことは中止。

続いて少し前、自転車でわざわざ行ったのにカメラが電池切れのため記録ができなかったので再挑戦。
前回は三野公園より参拝したが、今回は道順がはっきりしていたので麓で鳥居をくぐり再参拝、結構距離があり歳にはきつい。
現時点では鳥居から神殿までの最長距離神社か

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鎮座地:岡山市北区三野本町2-1
由緒:延喜式神名帳に天神社、本国総社神名帳に天津神社と記してある備前国式内外古社128社の一社である。明治40年9月27日に神饌幣帛料供進神社に指定せられた。
御蔡神:少彦名命、天御中主命

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後日の再参拝の八幡宮。最初はどうもカーナビの住所がずばり同じものが無く、類似の番地を入れたのが失敗が。よく位置を確認し探し当てる。
鎮座地:岡山市北区津島東4-13

由緒:創建年代は不詳であるが、国内神名帳にある旧御津郡古社の一つである。
御蔡神:仲哀天皇、応神天皇、神功皇后

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神社はあまり顧みられないかもしれないが、全くという訳ではないよう。新しく建て直されている神社もあるのだから。

岡山市近郊西方向神社巡り

前回の岡山市南方向の続くではあるのだが、どうも西方向の方が妥当に思える。
方向としてはJR山陽線より南側にあるが続きとして白鬚宮を参拝。適当に行ったがメイン道路のすぐ近く。神社が見えてUターンして行きつく。

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鎮座地:岡山市北区中仙道182
由緒:当社は後小松天皇の応永8年近江の白髭宮を勧請し、中仙道松之島に創建した。文亀・永正の大洪水に、社殿が辰巳村に流され、昌林寺に祀っていたが、寛永13年中仙道地区に再建した。
御蔡神:猿田彦命

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続いてJR山陽本線を越えて北側に、最近できた新駅、北長瀬駅付近へ。
駅に車を止めそこから見える神社へ歩いて参拝。小じんまりした神社ではある。

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鎮座地:岡山市北区北長瀬本町14-31
由緒:創建年月等不詳。江州日吉大神宮の御祭神を勧請したと、池田家蔵神社明細帳にある
御蔡神:大山咋命

旧跨線橋の北側に向かうと白鬚宮は直ぐに分る場所にあり。

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鎮座地:岡山市北区北長瀬本町27-6
由緒:安元2年(1176年)岡山県津高郡一の宮、吉備津宮から御遷宮した。旧号は御崎宮と称していた。
御蔡神:大山咋命

本日の最後の参拝は天満宮へ。この神社も道沿い(旧幹線道路)にあり、分かりやす。それにしても、車が増えたせいか新しい道がどんどん出来ている。新しい道(岡山西バイパス)を通ると解かりにくいかも。

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鎮座地:岡山市北区野殿東町53
由緒:当宮は延喜元年(901年)、右大臣菅原道真公が筑紫に左遷の時、この所に立ち寄り、沢辺に上陸された故事によって祭祀を執り行ったという。
御蔡神:菅原神、天照大神、誉田別命、天児屋根命

お寺さんと違って規模が小さいものが多いので、今後もお参りする場所には事欠かない印象である。

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