岡山県内神社巡り(メイン)

片っぱしらからの神社巡り

2014年07月

旭川東岸神社巡り

やはり暑い日が続いている。暑さを避け県北の方へ行くのはまだ先として、近所で車で行ける平地の旭川東岸を目指す。
まずは、後楽園東、旧山陽道を少し入った木野山神社を探す。路地を少し入った処にひっそりと鎮座している。

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鎮座地:岡山市中区森下町
由緒、御蔡神ともに不明


山陽道を少し南に進み、旭川からの引き込み水路の旭川より右岸に源九郎稲荷神社が、橋を渡った袂のすぐそばに稲荷神社が見られる。
源九郎稲荷神社

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鎮座地:岡山市中区古京町1丁目
由緒、御蔡神ともに不明

名称不明な稲荷神社

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鎮座地:岡山市中区中納言町2
由緒、御蔡神ともに不明

続いて旭川土手にでて、東山中学校南にある三神社を目指す。
現在、住宅の建て替えと道路工事中?間違った道へ入る

楠龍稲荷神社

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小さな公園の一角にあり、なぜか鳥居と祠が離れているのは元は大きな境内だったのか?
鎮座地:岡山市中区さくら住座
由緒、御蔡神ともに不明

水神宮
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住宅の一角に溶け込んで存在する
鎮座地:岡山市中区旭東町1丁目
由緒、御蔡神ともに不明

七家神社

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どうも、地図に表示されている位置と違うのでは?
鎮座地:岡山市中区旭東町1丁目5-9
由緒、御蔡神ともに不明


桜橋線の南にある荒神社を目指す。45号線の一本西内側の道。対向車がいると困る道幅である。
荒神社

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鎮座地:岡山市中区桜橋2丁目18-18
由緒、御蔡神ともに不明
屋根の修繕中であった。

今回は近いというだけで参拝した。岡山県神社庁にも全て記載なし。

岡山近辺の神社廻り庭瀬近辺

梅雨もまだ開けず、非常に暑く、さらに蒸し暑い。やはり山際にある階段を登って行く神社を避ける。
以前、180号線廻り帰りに参拝した三十番神社の続きととして、今回は庭瀬方面へ向かう。
まず最初としては続きとし須佐之男神社を目指す。大体の位置は分かっているし、神社らしき繁みが西に見えるが、どの道を西に入って行くのか分からない。車を止めて附近を歩くが用水路に阻まれる。最初の川入の交差点を南に入り進んでいくと三玉宮(腰折様)へ行き着く。これは全く予定に入ってないというか、知らなかった。

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由緒、御蔡神:昔、このあたりの戦いで、腰を痛めて休んでいた武士が敵兵に討ち果たされた場所で、その霊を祭ったと言われている。
神社と言うより祠である。

取敢えず南下して広い道にでて西へ、そして北上、しばらくすると神社が見えてくる。強引に狭い道を走る。少し広めな路肩に車を止め歩いて行く。
最初に須佐之男神社 通称名 疫神様が田んぼの中に見える。

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鎮座地 岡山市北区中撫川502

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由緒:往昔、吉備中山に大吉備津彦命鎮座後、十握剣を宝物として彼の社に納めた。寛喜年中(1229?32)に彼の社が回禄の際、御剣を此の地に遷して奉斎した。御剣は彼の社に奉遷後、御剣の縁に依って須佐之男命・天照大御神を跡地に祭った。後、須佐之男神・櫛稲田姫神・大穴牟遅神を祭って上社とした。寛永年中(1624?44)社号を疫神社とし明治2年現在の社名とした。社殿は寛永6年(1629)、元禄3年(1690)9月、天保6年(1835)8月に夫々再興している。昭和31年8月、本殿炎上。同54年6月に本殿を改築した。
御蔡神:建速須佐之男命

更に南東方向へに神社らしきものが見えるので徒歩で進む。どうも地図で見る時芳神社と八幡神社が同じ境内にあるようである。

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時芳神社と八幡神社

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鎮座地:岡山市北区中撫川551
由緒:往昔、吉備中山に大吉備津彦命鎮座後、十握剣を宝物として彼の杜に納めた。寛喜年中(1229?32)に彼の社が回禄の際、御剣を此の地に遷して奉斎した。御剣は彼の社に奉遷後、御剣の縁に依って天照大御神・須佐之男命を跡地に祭った。後、天照大御神を祀り下社とした。寛永年間(1624?44)に八幡神・春日神を勧請して八幡神社と改号した。慶長の頃(1600年前後)再興し、元禄15年(1703)にも再興し現在に至っている。
御蔡神:品陀和気命、天照大御神、天児屋根命

次にこの近くと思われる若宮八幡宮へ、この辺りは農業用水路が多く思い通りの方向へ行きにくい。一旦旧国道へでて、中国短期大学の西側を目指して進むと若宮八幡宮にたどり着く。

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鎮座地:岡山市北区庭瀬34

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由緒、御蔡神共に不明
全てではないのだがこの辺りの神社は釣鐘が多いような気がする。

次に旧2号線南側の庭瀬城址、撫川城址近辺の神社を目指す。
この近辺は庭瀬撫川陣屋町地区 街なみ整備として整備されているようである。最初車を止めたお寺さんの隣に見えた神社へ。鳥居に八幡大菩薩の標識がある。

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由緒、御蔡神共に不明。

まずは、堀沿いに庭瀬城趾の八幡宮、清山神社を目指す。堀には大賀ハスが見られる。
八幡宮から清山神社へと順に参拝する。

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鎮座地:岡山市北区庭瀬827

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清山神社 鎮座地 岡山市北区庭瀬828
由緒:本神社の創建は、寛政6年(1794)9月15日である。旧庭瀬藩主の祖を奉祀したものである。明治14年9月24日村社に列格、明治40年10月2日神饌幣帛料供進神社に指定せられた。
御蔡神:板倉重昌、板倉重矩

次に説明標識によって撫川城址にある三神社を目指す。

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鎮座地:岡山市北区撫川423
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由緒、御蔡神共に不明。
こちらの城跡は城壁(石垣)が少し立派?


少し北側にある瀬戸稲荷神社、住吉宮を廻る。
道が狭く水路等が入り組んでいそうなので広い道に車を止め歩いて瀬戸稲荷神社を探す。見落としそうな神社である。
通称:瀬戸稲荷神社DSCF4345
鎮座地:岡山市北区庭瀬776
由緒:創建は延喜年間(901?23)である。この地は海で浅瀬となっていたので、航行の船舶は難航していた。醍醐天皇の延喜年間に、この地に祠を建て稲荷神社を奉斎した。この地の浅瀬は新しい瀬であるから新瀬で、庭瀬の地名の発祥である。
御蔡神:稲倉魂命、大土祖命、水分命

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案内板に載っていた住吉宮の参拝を最後に帰宅する。暑いので結構疲れる。

旭川西岸南方神社巡り

台風は問題なく通り過ぎたが、非常に暑い日が続いている。山の上にある神社を避けるため平野部の神社を目指す。旭川西岸で南方向へ。はっきりした場所は覚えてないが。
最初30号線を通り、岡山国際スケートリンクの先にある岡南小学校から東にある春日神社を目指す。旭川の土手手前に神社らしき木立が見える。
昔からの色々な木々があり、結構涼しげである。

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鎮座地 岡山市北区七日市西町4-13

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由緒:当社の創建は寛和年間である。古くは春日大明神と称えたが、明治2年に春日神社と改称した。同6年9月29日に郷社に、同15年8月30日に県社に列せられ、同41年5月22日神饌幣帛料共進神社に指定された。
 大和の春日大社から御神霊を勧請したものと思われる。一説に「何時の頃にや南都春日の神鹿、神額をもって、備前国に奔り社前の額ヶ瀬で斃れいたりしかばその神額を奉じて此の地に勧請し奉る額ヶ瀬の地名は慈に由来す」とある。よって本神社を中心に一帯の地名を往昔「鹿田庄春日村」と名付けられたと伝えられている。
 御本殿は春日造、灯籠は春日型、鳥居は春日鳥居である。岡山城主の宇喜多直家は天正年間に岡山城築城の祭に、城の南方の鎮守とし、社頭に鵲松を植え崇敬した。備前藩主池田氏も累代社領高10石を寄進した。
御蔡神:天兒屋根命、姫大神、經津主命、武甕槌命

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藤棚の参詣路と赤い鳥居の稲荷神社がなぜか目を引く。

次いで旭川土手沿いの道(213号線)を南へ、豊成へ出る道を目指すと小さな橋の袂に天満宮、通称子安天満宮がある。遠慮しながら路肩に車を止め、参拝する。

 
天満宮 通称名 子安天満宮or十日市天満宮

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鎮座地 岡山市北区十日市東町2-28

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由緒:創建は延喜元年(901年)頃と伝えられている。社伝に菅原道真公が筑紫に御左遷の砌、当地に仮泊せられた時に、海女が難産で苦しんでいるのを不憫に思召されて、一首の歌を与えられたら忽ち安産したと云う。よって御腰をかけられた石を腰懸石と言い瓦祠で道真様と唱え奉った。天喜元年(1053年)に天満天神と改め御社殿を造営した。寛政3年(1791年)に天満宮と改称した。昭和20年6月29日に空襲で御社殿を全焼したが、同年10月1日仮本殿を建立した。昭和25年5月5日に幣殿・拝殿を新築した。俗称子安天満宮とも奉称する
御蔡神:菅原道真


続いて、岡山製紙の西隣と言うことで南東を目指す。何とか発見できたのが内宮 通称:吉備国内宮

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鎮座地 岡山市南区浜野1-3-8

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由緒:当社の御祭神である天照大神は、かつて皇居の内にまつられていたが、やがて第10代崇神天皇の御代に皇居と神居とが別けられることになり、まず倭の笠縫邑に遷しまつられ、その後、丹波国(京都)、倭国(奈良)、木国(和歌山)、吉備国(岡山)を経て再び倭国へ、そしてさらに伊賀国(三重)、淡海国(滋賀)、美濃国(岐阜)、尾張国(愛知)を経て第11代垂仁天皇の26年(紀元前4年)に伊勢国(三重)へ御遷幸になられ、その地を永遠の宮地(現在の伊勢神宮)として鎮座された。
 天照大御神が皇居を出られてからこの伊勢に至るまでの御遷幸経路については、日本書紀や皇大神宮儀式帳、倭姫命世記などの古文書に見られる。
 中でも神道5部書の1つに数えられる倭姫命世記の中には「垂仁天皇54年丁丑、吉備国名方浜宮に遷し4年斎奉る」と記されており、これが当社「内宮」の創始となっている。また、江戸時代に土肥経平が著した寸簸の塵(きびのちり 吉備の地理の意)という書物の中に「外宮は出石郡にあり。内宮は鹿田庄浜野村にありて式内の神なり。皇大神宮即ち是なり。」とあり、その当時の様子が詳しく記されている。
 当社の、創祀は伊勢の内宮鎮座の40年前にあたる。また大正2年には、付近の野々宮と日吉神社が当社に合祀された。
御蔡神:天照大御神、倭姫命、大己貴命

再度旭川の土手道へ出て、ひたすら南へ河原の神社、住吉宮を目指す。
土曜日のせいか、祭の準備らしきことを行っていた。近隣でも住吉宮の旗が見られた。

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鎮座地 岡山市南区福島1-8先

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由緒:元禄(1688年?1704年)の頃、源義経が八嶋へ渡海の節、邑久郡藤井村に勧請したのを、寛文12年(1672年)8月15日国主池田光政が当地に移転勧請したと伝えている。 
御蔡神:底筒男命、中筒男命、表筒男命、神功皇后

最後に全く知らなかったが、天満屋ハピータウン近くの岡南神社を目指す。
街中の神社で新しそうで、今日は表面に輪は供えられ、屋台も出てかなりの人数が集まっていた。早々に退散する。

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鎮座地 岡山市南区あけぼの町14-16
由緒、に関しては分からないが創建が昭和三十一年と新しい
御蔡神:天照皇大神、豊受大神

車のクーラーで冷やされ楽な参拝でした。街中は神社の木立が目立ち、探すのも楽だし、神社の前まで車で行けるので楽である。最も車の駐車場所は注意が必要である。

180号線沿神社巡りその2

前回180号線廻りの続き。前回吉備津彦神社へ参拝するため、180号線を外れたのでその続きから。まずは、180号線北側、中山中学校裏の辺りにある艮御崎神社を目指す。土手沿いから、学校、神社共に見えるが道が狭く苦労する。
通称名は 小丸山の御崎様呼ばれ、案内によると古墳というよりは城跡、幕末に築かれた城の石垣が見られる

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鎮座地 岡山市北区辛川市場160
由緒、御蔡神不明


続いて、180号西辛川公会堂先を右に入り、突き当たりにある池を右に回り込み、通称名 辛川八幡宮を目指す。道路付近の草刈りをしている人々に出会い、場所を教えてもらう。

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鎮座地 岡山市北区西辛川1114-1

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由緒:当社は、江戸末期の文化文政時代に再興された。古老の伝承では源平の戦の時、平家によって焼かれた東大寺を再建した俊乗房重源が備前を東大寺造営科国とし、国司として赴任した際、当時の吉備津宮に阿弥陀仏を祀り、常行堂(建久年間)を建立したが、その常行堂の両脇に守護神として尾上と西辛川に八幡宮を建立したと言われている。
 現在、常行堂のあったと思われる場所の延長線上に両八幡宮が建立されている。江戸から明治にかけては、八幡大菩薩の舎として地域住民に信仰され、明治政府の神仏分離策により神社となり、明治12年9月14日村社に列格した。
御蔡神:応神天皇

前回吉備津神社近くにある場所が分からず残しておいた、瀧祭神社を探し、そして吉備津神社付近も探索?
吉備津神社脇の池に浮かぶ小島にある宇賀神社、そして黒住教本部へ向かう道の入り口近くにある瀧祭神社を発見?

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上:宇賀神社 下:瀧祭神社

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鎮座地 岡山市北区吉備津、由緒、御蔡神共に不明

180号線へ戻り、更に北上、高速道路の下近くに賀茂大明神があるはず。高速の下を少し走ると神社らしき木立が見られる。この神社も鐘がある。

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鎮座地 岡山市北区加茂1226

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由緒、御蔡神共に不明

もう一度、180号線へ戻り、更に少し北上、右手山際に神社が見える。入る道が分からず北に進むと高松城水攻め築堤跡方向の道へ入り反対方向へ進む。帰って調べるが神社名分からず。

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鎮座地 岡山市北区立田615
由緒、御蔡神共に不明

この際だから、高松城跡の先にある八幡神社を目指す。平日にもかかわらずやはり今、テレビでのブームか!
そこそこ、観光客が見られる。私は取敢えず目的の神社へ。予想通り階段をかなり登る必要あり。この場所からは高松城がよく見渡せる。位置的には毛利方陣跡かもしれない。

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鎮座地 岡山市北区和井元108

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由緒、御蔡神不明

今日は疲れたのと、カーナビが熱のせい?で役に立たず、最上稲荷へ行って終了予定。

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この神社は何回も行っているので今回は鳥居ののみ。最も正月を含め何らかの催事に参拝すると大変である。大鳥居は現在改修中であった。

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今回最初に平津橋の先に赤い鳥居を見ていたので寄ってみる。

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鎮座地 岡山市北区楢津2541
由緒、御蔡神共に不明
隣にあるお寺さんが建立したお稲荷さんか?

180号線方向近場神社巡り

今回は昔一時期住んでいた三門方面と言うより、国道180号線上を少し北上する。まずは國神社を目指す。途中で旧山陽道を走る。
この神社は道からは分かりやすいが、太鼓橋っぽい橋を車で渡る際、お腹をこする。結構きつい階段を登る必要あり、少し低いが市内が一望できる。

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鎮座地:岡山市北区三門中町5-1

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由緒:創建は貞観2年(860年)で、神階は従四位下である。延喜式記載の式内社で、国司祈年所祭神社である。上古には名称から、「クニノカミノヤシロ」と訓読したか、国魂の斎場であったか、或は国津神の降臨せられる斎庭であったかと推察できる。備前藩の地誌「備陽国誌」に、国神社、三門村所祭、大国魂神とある。慶長年間(1596年?1615年)に再建。社領は二石六斗二升である。寛文年間(1661年?1673年)に造営。宝暦元年(1751年)に再建。明和3年(1766年)に国守八幡宮を合祀した。この間備前藩から用材、銀札、制札等の寄進があった。明治36年に社殿が炎上し、社宝、文書を焼失した。翌37年に再建。昭和29年の台風で倒壊、翌30年に鉄筋コンクリート神明造りの本殿を再建した。表参道の鳥居、石階段は元禄15年(1702年)、一対の石灯籠は文政3年(1820年)の築造である。石段は昭和52年に拡幅し、近郷に比類のない立派な堂々とした石段となった。氏子区域は岩井、島田、奉還町、富田町、西崎等39町である。氏子数も年々増加し、縁結ぴ神、医薬、商工業神としての崇敬厚く、参詣者は増加している。また岡山市街の眺望は絶佳である。
御蔡神:大國主命、事代主命

続いて青陵神社を目指す。万成病院の近くなのでその方向に(180号線を右に入った方向)行くと標識がある。少し離れた空き地に車を止め、改段を登って行く。

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鎮座地:岡山市北区谷万成2-439
由緒:創建年代不詳。.本国神名帳に青陵神社、山本氏本に従四位下青陵神社と記載してある旧社である。天正年(1573年?1592年)中に天照大神・天児屋根命・応神天皇を配祀して、明治初年頃まで春日宮と奉称し、往古から谷万成部落の氏神である。
御蔡神:天照大神、天児屋根命、応神天皇、青陵神

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180号線には多い温羅伝説がここにもあり、万成という地名のいわれも表示されている。

続いて180号に戻り、少し引き返して旧山陽道を走って行くと道沿いに北向八幡宮と彫られた大きな石柱が見える。神社は道沿いから入って行く。

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鎮座地:岡山市北区矢坂東町1-1

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由緒:当社は寛平年間の勧請である。矢坂富山城主富山大掾重興が祭神を崇敬し城の続き万成山の頂きに社殿を建立、社領を寄進し、矢坂山周辺の氏神として尊崇した。
 明治27年に社殿を現在地に移す。
 明治45年に近在にあった総社宮(王朝時代の三野郡の総社と伝えられる)、春日宮、荒神社、牛神社を相殿に合祀する。
御蔡神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、大己貴命
どうも道(旧山陽道)から神社に至る道は近辺住民の生活道路か、結構車も走っている。しかし、境内は緑に囲まれ、違う雰囲気がある。

180号線に戻り、有名な吉備津彦神社と吉備津神社を目指す。有名だけあって非常に分かりやすい標識がある。この2つの神社は距離も約2キロと近く『彦』の違いだけで違いが分かりにくい。古は二社とも「大社 吉備津宮」といわれていたようですが大化の改新(645年)以後、吉備の国が備前、備中、備後、美作の国に別けられて以来、吉備津彦神社は備前の一宮(岡山市一宮)、吉備津神社は備中の一宮(岡山市吉備津)として今にいたっているようです。又、一方の神社だけに参拝するのは『かた参り』として、両方のお宮に参拝する習わしがあったともいわれています。規模として吉備津神社が大きい。参拝者も観光バスの駐車場もあるし、多いのか?

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まずは吉備津彦神社、鳥居をくぐると左右に池があり両方の島に神社が見られる。左側は亀島神社とされている。さらに境内脇には八幡宮と子安神社がある。やはり社殿は緑に囲まれ十分な大きさを構えている。

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鎮座地:岡山市北区一宮1043

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由緒:当社は昔、太陽、月、磐座、巨木を仰ぎ山は神体山にして天津磐座磐境を有し、境内十万町歩といわれ、朝日の宮(夏至の日の出には太陽が真正面より昇り祭文殿の御鏡に入る)と称され、本州一宮、吉備之國一宮、国の宗祖神を祀るお社として崇められてきた。
 御祭神の大吉備津日子命は吉備之国及び周辺の地を平定、永住され諸民を愛撫仁政を敷かれ、崇神天皇の60年に神去りまして後、吉備中山の宗廟の東麓の住居跡に社が建てられ吉備津彦宮、吉備津彦神社といい崇められて来た。
 後に佛教が入り正宮本宮摂末社を合わせて51宇を具え、神宮寺神力寺常行堂法華堂も建てられ総括して吉備津宮とも称された。朝廷直属の一宮・吉備津大明神として武門武将庶民に至るまで崇敬頗る厚く、仁明天皇承和10年10月24日神階一品を賜り一条天皇社殿を造營し、白河、鳥羽、高倉、後堀川、後深草、亀山、後宇多の各天皇が何れも勅宣を以て補修せられた。
 慶長年間には岡山藩主、池田照直公が社領三百石を寄進し累代変わることなく崇敬厚かったが、池田光政公により現在の地に昔の熱田神宮様式にて社殿建築が着手され、その子綱政の時完成造営された。不幸にして昭和5年12月14日、不慮の火災により本殿と隨神門を残して全部焼失したが昭和11年飛鳥時代社寺建築の粋を集めた荘厳華麗にして将来昭和の国宝ともいわれる社殿が再建され現在に至っている。
御蔡神:大吉備津彦命、天御中主神

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続いて神社前の道を山際に吉備津神社を目指す。正しくは180号線より正面松並木を通るべきかもしれないが、何回も参拝したことがあるので近道をしていく。山の中腹にあり更に、荘厳さを感じる。

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鎮座地:岡山市北区吉備津931

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由緒:当社の御祭神は第7代孝霊天皇の皇子の「大吉備津彦命」であり、第10代崇神天皇の御代に吉備の国に下られ、温羅(うら)と言う悪者を平らげて平和と秩序を築き、この地に宮を営まれて吉備の国の人々のために殖産を教え、仁政を行ない、長寿を以てこの地に薨去せられた。
 社伝によれば仁徳天皇が吉備の国に行幸した時、御創建になった。後に延喜の式が定まると名神大社に列し、やがて一品の位になったので一品吉備津宮、また三備(備前、備中、備後)の一の宮と称せられ、昔から産業の守護神として、また長寿の守り神として全国の人々から深く信仰されている。
御蔡神:大吉備津彦命
境内が広いので裏側?へは池の畔を通り車で行く。(罰あたり?)

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近くに龍祭神社があるのを忘れていた。上の道を登っていけばよかったのでは。いつもながら、場所が分からない場合も含め再度挑戦を!

県道242号(一時期倉敷に通っていた頃の通勤路)へ出て、近くの神社を探し自宅へ帰ることにする。
まずは、242号を気持ち反対方向へ走ると南に神社っぽい木々が見える。車を止めて徒歩でそちらの方向へ。まず鐘付堂が目に入り、続いて鳥居も一瞬神社か御寺か迷う。何らかのお寺と関係があったのかもしれない。八幡神社であるが別称:三十番神社の方が通りが良いようである。

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鎮座地:岡山市北区川入146

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由緒:創建は享保年間(1716?36)である。旧庭瀬藩主戸川達安が、日蓮宗に帰依し、当町川入字八幡西の八幡神社から、御分霊をこの地に奉祀して水門守護の番神としてお祭りした。
御蔡神:誉田別命

雨が降ってきたので帰ることに、倉敷への行き帰りに憶えのある吉備護国神社等がある丘を目指す。すぐ近くで右側に鋭角に曲がった先にある。

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鎮座地:岡山市北区川入1165

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由緒:当社は、清和天皇貞観2年(860)庚辰8月14日宇佐八幡宮から勧請し、その後備中守藤原宗弘、藤原良之に命じて祖神天児屋根命を合祀して、同年良之を神主に任じた。
 天慶5年(942)壬寅3月15日伊勢大神を合祀する。
 明治13年4月前祠掌中尾喜代丸の上書に「祭神品陀和気命、天照大神、天児屋根命」とある。
 その後の造営の沿革は、延長2年申上棟。永延2年戌子上棟。寛徳2年乙酉上棟。長治2年乙酉上棟。承安4年午上棟。文永2乙丑上棟。応永11年甲申上棟。文明6年甲午上棟。寛永天文23年甲寅上棟。寛永11年甲戌上棟。宝暦11年辛巳上棟。を行っている。
 社職沿革は、貞観2年藤原良之が奉職以来累代に亘り奉仕したが、良之21代の孫良三が病死した後から(承応年間)庭瀬藩主戸川氏が日蓮宗に帰依したことにより、庭瀬村不変院を以て、当社の別当職として良三の三男平太を宮守とした。
 その後、維新の改正により明治3年4月、平太夫7代の孫中尾清麿を当社の祠掌に任じた。
 庭瀬藩主戸川家、板倉家において累代崇敬した神社である。
 延宝5年正月二品良尚親王染筆社号(八幡宮)の額(縦2尺、横1尺3寸5分装に八幡宮の文字)1面所蔵。
御蔡神:応神天皇、神功皇后、玉依姫命

八幡神社の隣に吉備護国神社があ。次いでといったら失礼にあたるが、印象としてはそのような感じがする。

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鎮座地:岡山市北区西花尻1108
由緒:終戦により公祭慰霊の不可を憂い、吉備町関係の国家公共に尽くして死没せられた霊を慰めようとして、八幡神社境内神社祖霊社を昭和21年設立して慰霊の祭典をしていた。昭和21年10月21日、祖霊社を吉備護国神社と改称し独立神社とした。そして遺族を氏子として現在に至っている。昭和46年3月25日承認された。
御蔡神:吉備町関係戦没者の英霊

他の神社を探して山際を走り。道に迷い、雨模様で方向感覚を無くし我が家を目指し、今回は途中という感じ。

ギャラリー
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