岡山県内神社巡り(メイン)

片っぱしらからの神社巡り

2014年08月

岡山東方残

曇り空で涼しいそうなので以前行けなかった田舎への帰り道・近辺を巡る。田舎へ帰る場合の南廻りの途中、東岡山の北方を目指す
まずは駅北東の山際にある往來神社を目指す。(コースとは少し外れる)
81号で北に途中の田んぼの真ん中狭い道を東に山際を目指す。突き当たって少し山際に沿って北に進むと神社が見えてくる。
往來神社

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鎮座地:岡山市東区宍甘1003

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由緒:本神社は、備前国神名帳総社本に往來神社、山本氏本並びに西大寺本に正3位往來明神、金剛寺本に正3位往來大明神と記載されている。備前国式内外古社128社の1つで中古正八幡宮と称したことがある。元侯爵池田家所蔵の「御国中神社縁起棟札之写」に文化2年、文政10年の石灯籠銘等に上道郡宍甘(しじかい)村正八幡宮棟札、正保3年鳥居之年号延徳2年とある。棟札は現存しないが、豊島石の壱輪鳥居は現存し、延徳2年庚閏8月吉日の文字がある。
御蔡神:八衢比古神、八衢比賣神、久那斗神
最初、こんな狭い道?と思ったが強引に行ったからか簡単に見つかる。地図上で確認はしていたが、やはりかなり上の方にあり、最初からバテる。

元の道へ引き返し、81号を少し北上、岡山東支援学校前を西方向へ、道沿いに鳥居が見えてくる。ここもかなりの階段を上がる必要がある。ここでもばて気味。
天津神社

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鎮座地:岡山市中区土田763

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由緒:御鎮座地の向山は、一名鴨山といい、その麓に「カモノコ」「カモ石」などというところがある。今の長岡字宮前に御鎮座の、元郷社天鴨神社の旧御鎮座地であるとの伝承がある。その社地に勧請年月不詳の小祠があったのを、明治10年に現在の社殿の造営し、天津神社と奉称し現在に至っている。
御蔡神:高皇産靈神、神皇産靈神

北側に見える大きな配水タンクの下にある八幡宮を目指す。ちょっとした勘違いでかなり下の方の用水路に車を止め、民家の間を北方向へ登る。目的の神社を見つける。結果だが広い道を西側に廻り込むと近くまで車で行け、道も広く止めやすい。
八幡宮

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鎮座地:岡山市中区土田1240八幡宮
由緒、御蔡神不明

またしても雨が降ってくる。足腰がパンク?、峠を越え田舎廻りで帰る。

岡山市東区瀬戸町観音寺142 素戔鳴神社が道から確認できると思い探すが分からない。鳥居の見られた山際の道を走るが分からない。たまたま通りかかった犬の散歩中の叔母さんに尋ねる。「今は草が茂って参拝は難しい、マムシも出るので止めた方がいいとのこと。説明は難しいが北側(反対側)からが可能」とのこと。次回にする。

本来は瀬戸方向で数を稼ぐ気であったが疲れすぎ帰る方向で、小学校時代、帰り道で憶えのある神社へ
田舎の近くであり、山際のため池の近くにある。池の下まで簡単に車で行ける。
熊野神社、別称:王子権現熊野神社

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鎮座地:赤磐市穂崎2152

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由緒:創建は元禄元年である。
御蔡神:熊野速玉命

車を走らせてみるが、雨脚が激しく本日は中止とする。

児島半島北側

妻の実家に帰る児島湾閉め切り堤防のコースをたどる。まだ行ったことが無いので無難に、郡の信号を右折し児島湖を目指す。駐車場があるが平日のため?閉まっている。車は路上に止め歩いて北側に見える神社を目指す。
小高い丘の南側に八幡若宮と宗形神社が祀られている。

八幡若宮

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鎮座地:岡山市南区郡2978-1

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由緒:由緒・創建年月は不詳であるが、口碑に治承4年(1180年)3月、高倉上皇厳島御幸の道の記に「備前の国児島の泊に着かせ給ひ(中略)此の国の若宮御在し坐すと聞召して幣奉らせ給ふ」とあるは、本神社の事で、湯廻の大臣を見そなわした処といい伝えている場所が境内にある。又西行法師も度々参詣して
「昔見し松は老木になりにけり我とし経たる程も知られて」の詠があって、碑に刻み社前に建立してある。
御蔡神:仁徳天皇、仲哀天皇、応神天皇、神功皇后


宗形神社(通称名 辨天様)

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鎮座地:岡山市南区郡2978
由緒:創立は詳らかではない。古老の口伝に筑前宗像の神を勧請したと言い伝えている。本神社が総社の末社であることは神社書上帳に記載してある。
御蔡神:田霧姫命、市杵島姫命、湍津姫命

共に小さな神社ではある。宗形神社に関しては鳥居は立派だが、神社のほうは祠?よくわからない。道も児島湾閉め切り堤防渡ったら直ぐに最初の道を右折すればよい。最も裏側に着くようになるが!

続いて直ぐ近くの総社八幡宮へ向かう。信号まで戻りもとの道を進むと直ぐ左手見見える。
総社(通称名 総社八幡宮)

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鎮座地:岡山市南区郡1406

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由緒:創立は詳らかではないが、式内鴨神杜、八幡神杜、田土浦坐神社及び式外早瀧比め神社、玉比め神社、木華佐久那比め神杜、八幡神社、天石門別保布羅神社、竹島神社、飯神社、
国津神杜、都羅比め神社、以上11社の神を祭神とし以来、本郡総社として祈年・新嘗等の日、郡司が礼拝した社であるという。中世、八幡宮を合祀した後、專ら八幡宮と称していたが明治2年旧号に復した。
御蔡神:旧児島郡式内外11社神
ここも小高い丘の上にある。元は小島かもしれない。入口近くに羽柴秀吉の書簡が掲示されている。これも高松城水攻めに関してのもの。今年神社廻りを行っていると官兵衛関連の場所がまだ見つかるかもしれない。

続いて児島湖を玉野市方向へ、境辺りに児島湾淡水湖公園、松尾港の近くにある。祠だけの小さな神社で、意識しないと見落とす可能性がある。
恵美須神社

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鎮座地:岡山市南区郡1864
由緒、御蔡神不明

続いて近く山陽マルナカ郡店の南方の山の中の木野山神社を探すが分からず。近くの山を見当をつけて上り下りするが分からず非常に疲れる。再度調べ直して挑戦する。

今来た45号を引き返し東へ進む。今は閉店しているがセルフのうどん屋の駐車場東の道をできうる限りまっすぐ進む。予定の半分くらいで道が狭く挫折しかかる。そこへJAの軽トラックが来て奥へ進んでいくので、再挑戦、無事予定していたため池に出る。目的の神社は池のほとりにあった。
國津神社

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鎮座地:岡山市南区郡616

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由緒:創建年代は不詳である。本国総社神名帳に国津神社。山本氏本に従五位下国津明神と記してある旧杜である。古事記に「然後還座之時生吉備児島亦名謂建日方別」とある。古伝のまま国魂建日方別命と称して斎き祭っている。往古は神嶺の絶頂に御鎮座であったが、現在はこの山麓の陸という所に御鎮座になっている。
御蔡神:國魂建日方別命
苦労すると思ったが意外と楽をして参拝出来た。このことで反対側の荒神社を忘れていた。ここも再挑戦!

元の45号に戻り、先に進む。JA岡山甲浦支所が見えてくると左手に標識あり、指示通り細い坂道を登って行くと神社とその駐車場へ着く。多くの御蔡神が祀られている。
八幡神社(箱﨑八幡宮)

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鎮座地:岡山市南区北浦907

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由緒:創建年代不詳。古老の口碑に嘉応元年(1169年)8月高倉天皇が筑紫に行幸の砌、偶々暴風雨のために御船を当所の波止場内に御仮泊せられ、本神社に奉幣になったと云うが、諸書には記載がない。旧社領高六斗三升である。(吉備温古及旧藩神社明細帳)
御蔡神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后

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手前に足玉神社、奥に宮北浦天満宮等、処狭しと祀られている。


続いて金甲山登り口(妻の実家への道)にある神社を目指す。かつて何かの関係で道が混んでいた時代え道として通ったことがある。
稲荷宮と同一境内にあり、鳥居もあたかも独立したように立っている。本殿も二つ山際の急斜面に建てられている。
素盞嗚神社 (通称名:飽浦稲荷宮)

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鎮座地 岡山市南区飽浦1389

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由緒:『 網引きする海女とか見らむ飽の浦の清き荒磯を見に来しわれを』と飽浦の地は、『万葉集』巻7に詠まれている。
 時は平安時代末期、源平合戦の代、京を追われた平家は、児島の藤戸(現在の倉敷市藤戸町)に陣をはった。源氏方は対岸に陣をはったが、船が揃わなかった為に、平家を攻めあぐねていた。しかし、源氏方の武将 佐々木 三郎盛綱は、一ケ所だけ馬で対岸まで渡ることができるという 海の道 が在ることを、近くの漁師より教わった。そのお陰で彼等は先陣をきって馬で対岸へ渡り、 源氏方に大勝利を納めるきっかけをつくった。(平家物語「藤戸の渡し」の段,この後 檀ノ浦 の合戦に至る。) 後に、佐々木三郎盛綱は、その戦功として、将軍 源 頼朝から、児島全土と小豆島一帯に及ぶ広範囲な領地を賜わった。以後、佐々木氏一族は、飽浦の地に居城(現在の高山城跡)を築き、地名にちなんで、氏名も『飽浦 三郎』と名乗った。この土豪、飽浦氏一族の守護神として奉斎した神が、素盞嗚神社に鎮座されている素盞嗚尊である。また、稲荷宮は、この後鎌倉時代末期の建武年間に、飽浦三郎の子孫である 飽浦三郎右衛門信胤が深く信仰した、山城国伏見(現在の京都市伏見区の伏見稲荷大社)から御霊を勧請し、飽浦の地に建立したと伝えられている。 江戸中期から栄え、城下からも参詣者が多く訪れたという。江戸時代後期には、城下の東中島町で問屋業を営む商人が、商売繁盛を祈願して奉納した回船の絵馬が、往時を物語っている。
 江戸時代の書物『備陽記』によれば、『岡山京橋まで陸路十里、同じく船路二里八町、反別22町余り、家数49人数276、二端帆から三端帆までの船2、池9。神社は素盞嗚神社・稲荷神社があり、両社は同一境内にあり、本殿は別だが拝殿は両社共通の特異な建て方である。』と言う記述があり、この頃より現在のような建築様式であったとうかがえる。
御蔡神:素盞嗚尊
(飽浦稲荷宮・素盞嗚神社社務所)

今日はまだ元気であるが無理をせず、ここまでとする。

笹ガ瀬川以西と近場巡り

まだ廻ってない西方向の神社を参拝する。
242号でまず、吉備護国神社の小高い丘が見える手前の信号曲がり、太いほうの道を北上する。道の両側に桜並木が始まる処に小さな公園がある。その下に車を止め、東側の畑の畔道を歩き、竹藪の道を進むと神社が見えてくる。(地図を見て道らしきものが見当たらなかったので勘で)
天神社、別称:天満大自在天神社

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鎮座地:岡山市北区西花尻279

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由緒:本神社の創建は謙倉時代である。その後詳かでない。昭和18年3月31日神饌幣帛料供進神社に指定せられた。
御蔡神:菅原神
帰り際に急に雷雨、車まで走り込み雨宿りする。

元の地点近くまで戻り、242号の一つ北の狭い道を東に走り、3本目の北に行く道の処に少し広い所があるので車を止める。地図上ではこの位置の真北のはず、しかし地図上に道は見られないので西側を少し廻る感じで北を目指すと神社に行きつく
御﨑宮神社

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鎮座地:岡山市北区西花尻354-1

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由緒。御蔡神共に不明

以上簡単に行けた感じがするが、本当は結構迷っている、東に行き過ぎ、立成寺の駐車場で再検討。で悩んでいる。しかも、またしてもカメラの電池切れにあう。

翌日の再挑戦、事前の見当通り、笹が瀬川を渡り最初の信号を右折、直ぐの広めの道を左折し、61号を横切り可能な限り直進、無理のようなので少し左折して広めの場所を探し車を止め、歩く。今回も方向だけ見当をつけ、勘を頼りに探す。
八幡宮 通称名:花尻八幡宮

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鎮座地 岡山市北区花尻57

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由緒:備前国旧藩主池田家文庫本神名帳に花尻八幡宮とあり、建武年間(1334年?1336年)の勧請という。
御蔡神:応神天皇
分かり難い場所にある小さな神社であった。

広めの道を西方向に右手山際を見ながらゆっくりと進むと、石段が見えてくるので右折して石段の手前まで進む。
天神社

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鎮座地 岡山市北区東花尻525

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由緒:本神社は、貞和6年(1350)2月21日に、吉備の中山から吉備津彦命荒魂を奉斎した。以来旧領主浮田氏、旗本戸川氏累代はもとより郷民が篤く崇敬した。享保年間(1716?36)、神祇管領から神階正一位に叙せられた。本神社はもと、御崎宮と称したが、明治維新から鶴崎神社と改称した。明治4年郷社に列せられた。
御蔡神:菅原神
結構な石段が続く、やはり年寄りにはシンドイ。
この神社にも鐘があり、神社手前の辺りには石碑と、説明のない井戸があった。

続いて笹が瀬川の西岸、田んぼの中にある八幡宮を目指す。
大体の位置を見当つけ進んでいくが、やはり分からない。川の土手まで進み神社らしき場所探すと、こんもりした木々の処を見つける。遠くでもないので歩く、やはりとても車で行ける場所ではない。田んぼのあぜ道を滑りそうになりながらやっと到着、予想通り車は無理な田んぼの中の小さな神社であった。
八幡宮、通称名:石清水八幡宮

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鎮座地 岡山市北区白石376

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由緒:建武年間(1334年?1336年)に創建。備前国旧藩主池田家文庫本に津高郡白石村鎮座八幡宮とあり、建武年間の勧請と伝えている。明治12年8月12日に村社に列格した。
御蔡神:応神天皇、玉依姫命、神功皇后、武内宿禰

続いて南方向へ進み、旧R2号線へ出て、東へ、そして大野辻の信号を南(右折)して西市方向を目指す。21号の西市交差点を横切ると直ぐに左手に見える。
天満宮、通称名:西市天満宮

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鎮座地:岡山市南区西市462

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由緒:創建は天文元年(1532年)6月1日である。山城国北野の天満宮を勧請した。当時の下中野村・西市村・京殿村が氏子区域であった。天正8年(1580年)3月3日、岡山内山下榎馬場の今村宮を、現在の地に遷座し、下中野村が今村宮の氏子となる。寛永14年(1637年)岡山藩主池田光政公の墾田として、米倉村、万倍村を天満宮の氏子区域とする。
御蔡神:菅原道真
入口近くの大きな石灯篭が目立つ神社である。

次は分かりやすい県道児島線(21号)にある野田八幡宮を目指す。東側に結構大きな手入れされてない公園の隣で、新しくなった感じの神社
八幡宮、通称名:野田天満宮

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鎮座地:岡山市北区野田2-12-28

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由緒:当宮は社僧常坊が別当となり、その後、慈清院日要を社僧として迎えている。寛文2年(1662年)に神道に改め、神社となった。明治6年10月に安田景久が祠官に進み奉仕した。安田家には慶長20年(1615年)の徳川家康の判のお定書が現存している。
御蔡神:応神天皇、神功皇后、玉依姫

本日最後に大元駅近くの八幡宮を目指す、瀬戸大橋線沿いに南方向駅の北側、少し入ったところだが、迷うほど広い地位区ではない。
八幡宮、通称名:子安八幡宮

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鎮座地:岡山市北区西古松110

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由緒:創建年代は不詳。子安八幡宮と称し、往古から安産の守神として信仰が篤い。
御蔡神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后


市立図書館へ寄って無事帰宅

西大寺近辺

昔、西大寺の叔父・叔母(妻方)の所へ通っていた、百間川より383号に出て、大多羅の交差点を手前の左折、山際に向かって進む。狭い線路の下をくぐり、坂道を登って行く。地図で見ているより、登る必要あり。坂道の途中に表示がある。初めてなので分からなかったがこの道を入っても車を止められ、また、直ぐ上に駐車場があった。
布勢神社

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鎮座地:岡山市東区大多羅町541

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由緒:当社は宝亀2年(771)8月勧請し創建された。社伝によると本国総社本に正三位布施大明神と記載され、備前国式内外古社128社の1社であると伝えられている。寛文6年(1666)池田光政の神社整理の政策によって、薬神寺が廃寺となり元の社格に復した。正徳2年(1712)綱政は71の寄せ宮の内、社殿の荒廃した66社と当社の句々廼馳神社を拡張して統合した。大正5年11月11日境内の句々廼馳神社と藩制改革際寄付米が廃止され社殿が荒廃したので本社に合祀した。大正7年4月26日境内に祀られていた益野の氏神である八幡宮が合祀された。
御蔡神:大己貴命、句句廼馳神、軻遇槌、埴安姫命、罔象女命、金山彦命、足仲彦命、譽田別命、息長足姫命
大多羅寄宮跡に行くつもりなら、その途中であり、簡単?
境内は結構広く、種々の神社も祭られている。

元の道へ戻り、383号、28号を東へ、両備バスターミナル横を左折北上500mで広い道に(バイパスからの道?)出るので右折、100m東が登り口、岡山学芸館北西隅あたる。この神社も意外と高い位置にある。
金山八幡宮、通称名:金山様

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鎮座地:岡山市東区西大寺上1-19-10
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由緒:創建年代、由緒等不詳。昭和22年12月22日火災にかかる。
御蔡神:仲哀天皇、素盞嗚尊


西大寺駅前まで東へ進み、右折して南にある中国銀行西大寺支店を目指す、銀行の北側、駐車場の北東辺り
山口神社

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鎮座地:岡山市東区西大寺中3-11-12
由緒:創建年代不詳。礒屋(山口氏)が周防から当地に移住した時、その御祭神を奉斎した神社といわれている。
御蔡神:素戔嗚命、玉依姫
非常に小さな神社で街中でもあるので探しにくい、岡山県神社庁の地図も記載位置が少し違っている。


元の広い道に出て、観音院口左折、吉井川に出て160m程北へ当然で観音院の大きな仏閣、駐車場が見える。西大寺観音院の南西隅、通常日なので当然ガラガラである。
恵美須宮

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鎮座地:岡山市東区西大寺中3-12
由緒:約300年前に兵庫県西宮の戎神社から分祀しされ奥様と大黒様とをおまつりした由緒あるお宮です。もとは本町の繁華街の四辻の中心にあって「おえべつさま」として人々に親しまれ境内にあった樹齢500年の「いざり松」と共に有名でした。お二方の神様は家々に財宝と平和とを授ける神様として信仰が厚く、毎年9月9日の秋の大祭には、奉納される面芸も京都の壬生狂言と同様に人気を呼び、会場についで賑やかなものでした。松は太平洋戦争中に枯死し、そこにあった社は昭和35年都市計画にかかったので、現在の位置に遷宮されたのです。今なお朝夕郷土人の参詣が絶えません
御蔡神:事代主神

Uターンして土手沿いに南下500m程度、西側直ぐに(山陽マルナカ東、吉井川手前)見られる。
雄神川神社、通称名:神武様

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鎮座地:岡山市東区西大寺南2-9-21

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由緒:(明治12年11月8日創建)
明治八年n土地税の改正があって人々が神様のお陰とし大変感謝して小さなお社を立てて最初五柱の神をお祭していた。その後一時廃社となったところが後再興の議が在り五柱の他に孝明天皇を合併し神社再建を決め明治十二年有志が東京に行き二品有栖川熾仁王及び右大臣岩倉具視、内務省社寺局桜井能監に神様のお印を戴くようお願いした。その結果二品親王の直筆を以ってお印とし、かつ社殿は尊厳を維持して一般の崇敬社とするようにとの許可を受けて雄神川神社と称することになった。(詳細は由緒等の掲示あり)
御蔡神:神武天皇、天照大神、豐受大神、大国主命、少彦名命、孝明天皇


西大寺緑花公園から177号南下、最初はm金岡ポンプ場を見落とし、行きすぎて引き返す。南から北へ進むと金岡ポンプ場は見つけやすい。南をを左折120mで左折直ぐに。ポンプ場の東側に見られる。
祇園神社

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鎮座地:岡山市東区金岡東町1丁目5-27
由緒、御蔡神共に不明


同じ用水路を南下200m、非常に狭い道である。道沿いにあり小さいが見つけやすい
荒神宮

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鎮座地:岡山市東区金岡東町1丁目11
由緒、御蔡神共に不明

ブルーラインの南、宝琳寺の南を目指す。金岡郵便局角を、北東へ細い道へ320m位進んだ処にある。
裳掛天満宮

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鎮座地:岡山市東区金岡東町2-11-22
由緒:昌泰4年(901)年1月、菅原道真公九州太宰府に左遷の途次、犬島付近にて暴風雨に遭い、この地の観音堂に難を避けられる。その後観音堂は宝琳寺となり菅公天神社を鎮守として祀る。後岡山藩主池田光政の代、寛文年間藩命によって天神社を寺から分離独立せしめた。菅公避難の際、衣装を境内の松に掛け、乾かしたという故事により裳掛天満宮と称す。
御蔡神:菅原神

西大寺金岡郵便局(ここの交差点は8方向、注意が必要である)を南西へ1km進むと左側に見えてくる。田んぼの中の結構大きな神社である
金田天満宮

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鎮座地:岡山市東区金田1051

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由緒:創建年月不詳。昌泰4年(901年)春、菅原道真公が当金岡に休息せられたとき、里人に墾田を諭された。道真公の薨去が伝わると里人は菅公稲荷祠として祀った。慶長5年(1600年)秋殿宇を大いに興した。寛文11年(1671年)秋増改築し、末社三祠を祀った。天保4年(1833年)夏に大修理、明治19年秋に増改築した。昭和4年秋修理、その後毎年修理を重ね、昭和52年神忌1075年に記念修理を行い、整備に努め現在に至っている。
御蔡神:菅原道真 、天照大神、新墾祖

広めの道を選んで東に進んで177号に出る。想像していたより南に出たので、北上してエクスラン入口、叔父のお墓への手前の羽入口へ行く
途中に寛皇稲荷大明神の小さな社が見られる。
寛皇稲荷大明神

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鎮座地:岡山市東区金岡東町3丁目5-11
由緒、御蔡神共に不明

更に進んでいくと曲がり角に小高い丘がある。
沖田神社

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鎮座地:岡山市東区金岡東町3丁目
由緒、御蔡神共に不明


吉井川土手下を注意しながら走ると見えてくる。九蟠港の直ぐ近くである。(あらたき稲荷神社見落とし)
最上稲荷神社

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鎮座地:岡山市東区九蟠12

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由緒、御蔡神共に不明

疲れてきたせいか、当初予定の神社が全く分からなくなったので、江崎への県道215号を走り百間川を渡り、先にある信号を川北行くと左手に見える。
やはり名前が売れているだけあって、結構大きな神社である。
沖田神社

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鎮座地:岡山市中区沖元411

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由緒:当社は備前国藩主池田綱政の時代に新しく開拓された沖新田の産土神として建立された。沖新田の開墾は、岡山藩の藩政確立に大きな役割を果たした津田永忠が、綱政の命を受けて元禄5年(1692)年の正月11日に着工した。その工事は迅速に進められ、驚くべき短期間で潮留め築堤・疎水・検地を終え、約2,000町歩の広大な新田が開かれた。元禄7年(1694)4月、沖新田全体の産土神として社を建立するため、京都の吉田殿(当時の神祇官)に見垣近江守を派遣し神の来臨を請願、同年5月23日に沖田神社の神宣が下された。当初は御野郡(現在の岡山市福島)住吉宮に鎮座されていたが、元禄7年9月3日に、旧沖田神社(岡山市沖元宮地在の古宮)へ遷宮した。しかし境内の土地が低いため大風・高潮・洪水の被害を受け、拝殿にまでも水が入り込む事があったので、宝永6年(1709)現在の社地に移転した。明治の廃藩置県後には郷社となり、大正12年5月25日に、県社に昇格した。
御蔡神:天照大神、素戔嗚尊、軻遇突智命、倉稻魂命、句句廼知神、おきた姫

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同じ境内に胸形神社もある。

今日も疲れたの以前探しそびれた東山の峠の神社に参拝し帰宅
尾佐無神社、通称名:井戸神様

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鎮座地:岡山市中区湊452
由緒:峠の林中に一小祠があって尾佐無明神と称し、延享5年(1748年)藩主池田氏の存置許可を得て、社段を造営した。境内に一清泉があって、常に清水が湧き出で、里人は通称井戸神と称した。古来眼病及び水の神として、遠近に崇敬者が多い。明治10年5月村社に列格した。
御蔡神:八衢比古神、八衢比売神、久那斗神、伊冊諾神

岡山近郊足守川以西(倉敷)

暑さはまだ続いているので、山登りのあまり必要のない平地の神社を目指す。新幹線下、242号、足守川を渡ってからしばらくして73号線沿いが今回の目的地。

定年後倉敷に通っていた時、よく煙草を買っていたサークルKの西側よりもう一本西側南へ120m乃処、道路沿いより確認できる。
八幡神社、通称名 上東八幡神社

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鎮座地:倉敷市上東341

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由緒:当地は往古海面であったが、一条天皇正暦の頃より次第に埋もれて干潟となり、後一条天皇、万寿年間の頃より開墾して新田となし、万寿の庄と称した。爾来住民稠加し、西は馬手島より(天文の頃から松島と称した)東は撫川郷に続き、南は栗坂郷に隣接し、よって万寿上の庄、下の庄と改称する。村民が集議して柁東(鍜冶東と称す)の地に八幡神社(品陀和気命)を勧請、創立したのは万寿2(乙丑)年8月15日と伝えられる。此地近傍鳥羽天皇以後後正親町天皇永禄天正年間まで青江鍜冶の祖安次より行次、恒次等代々剱工の居住地であった。後鳥羽天皇の時、諸国の良工22人を召され、更に勅して鍛えしめ給い、これを番鍜冶と云う。その中に当地万寿青江の剱工3人までその列に加わっており、隆盛であったことが知られよう。是等代々剱工鍜冶の祖に宇佐八幡の神恩があり、殊更に八幡神を崇敬するようになったと伝えられている。その後、応徳3年、久寿2年、嘉禄2年、至徳2年、文明16年、天正3年、享保11年、明治7年に建替、又は修復を行った。慶長年中、山地村(現倉敷市山地、当八幡神社氏子区域隣接)が法華改宗をさせられたとき、山地から若宮を勧請合祀。(維新前は上東の興性寺が別当。明治7年9月若宮を相殿とす)明治8年高お神、闇お神の2社を、明治11年2月衝戸船戸神、道反神を相殿に合祀し、村社に列す。大正7年神饌幣帛料供進社に指定され、同14年5月本殿の屋根を銅板に葺き替える。境内は木野山神社(祭神大山祇神)の他、地神、等の末社が在る。また、氏子区域には荒神社、疫神社等15の末社がある。
御蔡神:品陀和氣命、宇遲和紀郎命、衝立船戸神、道反大神、高オカミ大神、闇オカミ大神
まだ、廻りが田んぼで見つけやすいが、今後は?思ったより大きな神社ではあった。

元の73号へ引き返し、通り一つ東側(サ-クルKの通り)を北上
サークルKの西側北上500m、389号300m、南へ150m、田んぼの中の森。
よくわからないが非常に大きな石で構築された丘の上にある神社。
岩倉神社

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鎮座地:倉敷市日畑203

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由緒:当社は仁徳天皇の御代に吉備津宮の五社殿を創建したとき、この岬に社殿を創建したと伝われている。 吉備津彦命が吉備国に下向のとき、片岡の伊狭穂が栗坂の里で、稲を苅って軍卒に命じて船に積み北に向かったが、急流なので船を廻して、西の岬に荷揚げして軍糧を献じたので名を大稲船と賜った。 潮流の急な所を瀬口、稲を荷揚げした所を稲倉と呼んだ。後に稲倉が岩倉と転訛した。 元禄年間に再興し、明和5年及び安政年間に再建され、現在に至っている。
御蔡神:大稲船命
由緒にあるように、当然この辺りも海で、激しい潮流に洗われて大きな岩が残ったのか?
かなり南に方に鳥居が見られるが車では無理か。現在、社殿は修理中であった。


389号を元へ戻り、180m北上し右折(山裾)、直ぐに。地図上では単なる団地の一角と思っていたが、当然新規開発で丘の上、しかもこの神社を含めて王墓の丘史跡公園で公園自体は南北三地区に分かれておりかなり広い。
真宮神社

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鎮座地:倉敷市西尾504

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由緒:当社の創建年代は不詳であるが、神域内にある高台には民俗学上からも貴重な文化遺産と言える古墳群があり、眺望に優れている。
御蔡神:建速須佐之男命
ここの神社も鐘付堂があるが理由はやはり分からない。

今回は王墓山古墳を右手に見ながら、団地内の大きな通りを左折、73号に出て南下、倉敷西尾簡易郵便局前の道を右折、西に進んでいく。最後余りにも道が狭くなり不安になり、行き合わせた近くの人に聞く。少し引き返して広い道を北側から廻り込んだ方が 良いようだが、分かり難いとのこと。強引に狭い道を、ほんのわずか進み右折北側に神社が見える。
若宮神社

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鎮座地:倉敷市山地387

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由緒:山地字日畑にあって、大雀命即ち仁徳天皇を祭る。昔には山地、西尾、上東、下庄の四ヶ村の氏神であったが、慶長年間戸川肥後守領の時この山地村を日蓮宗に改宗した時上東に八幡神社を分祀して上東、西尾、下庄の氏神にした。そしてこの神社は山地だけの氏神となった。明治には御崎神社黒日売を合祀した。別当は山地受法寺である。
(当社の創建年月は不詳である。この地は古くから日蓮宗の寺院が多い。:岡山神社庁)
御蔡神:大雀命
たどり着いて分かったが西・北側から廻り込めば問題なかったかもしれない。関係ないが、帰り神社前の坂道で老人の運転する車がエンスト。しばらく待っていたが!、わずかにバックして片側に寄ってくれたので何とか通れる。

南下して、西方向を探し、 老人ホーム庄の里の北側にある神社を目指す。大体の方向は分かるが、やはり団地が間にあり散々迷う。何とか着くが厄介だった。
荒神社

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鎮座地:倉敷市山地
由緒、御蔡神共に不明
見晴らしのいい高台にある小さな神社である。


南下して、新幹線北側を西へ、池に出ると南に新幹線潜って直ぐある
荒神社

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鎮座地:倉敷市二子
由緒、御蔡神共に不明
全く先ほどの神社と同様なこじんまりとした神社である。

今回は意外とスムースに廻れたので、以前のR180号線で行きそびれた2ヶ所を廻る。今回の出発点、73号サークルKより北上して、389号を北西に、足守川渡り、土手沿いを北上、惣爪塔跡を目指し、その先を右折、東方向へ、
以上が事前に調査した道順だが、この先距離が長いのと道が細そうなので先の広い道を東に進む。神社は南側に見えるが、南へ行く道が無い。結局245号に出て、南側より広めの道で廻り込む。デイサービスセンターぐらんどきっずを目指し、北側、参詣路は東側。結果論だが当初予定が一番だったようである。
八幡神社、通称名:正八幡宮

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鎮座地:岡山市北区惣爪83

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由緒、御蔡神共に不明


242号に出て北上、R180号加茂の信号の先を右折、吉備線を越えた山側に
広い道に車を止め歩いて北方向を目指す。

山神社

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鎮座地:岡山市北区吉備津
由緒、御蔡神共に不明

山への入口の小さな神社であるが、今ブームの『軍師勘兵衛』の影響か、『羽柴秀長陣址への登山口の看板があり。水攻めの高松城とは離れてはいるが。
今回は終了

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