岡山県内神社巡り(メイン)

片っぱしらからの神社巡り

2014年09月

児島線-早島方面その1

本日は少し遠出、そして欲張りなコースを考える。神社廻り以外のついでの目的としてテイクアウトのワンコイン海鮮丼を食べる予定
まずは南方向へ、水道局の脇を経て新保方向へ、真っ直ぐと言うわけにはいかないが、バイパス新保の信号で越え、三番目の道を左折、突き当たり直前で小さな橋を渡り進むと突き当りに公園と神社がある。
天満宮、通称:当新田・泉田天満宮

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鎮座地:岡山市南区新保693

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由緒:創建は寛永4年(1627年)である。山城国の北野天満宮を勧請した。慶安4年(1651年)に当新田村を氏子区域とする。池田綱政公の時から泉田村の内に本神社の修理料として二石一斗一升を寄進し、藩制改革まで寄進した。昭和21年12月21日の地震によリ、社殿が倒壊し、昭和26年10月25日に幣殿・拝殿・随身門を新築した。
御蔡神:菅原道真
公園と共に整備されたのか、何か綺麗に纏まった小さな神社である。
この辺りは会社に通っていた頃、気分転換で通った道、久しぶりだった。

次はまず児島線(県道21号)を目指し、大福の交差点を左折、真っ直ぐ進み、宇野線をくぐった直ぐ先を右折、進んでいくと宇野線の踏切、更に進むと左手にある。
外野八幡宮

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鎮座地:岡山県岡山市南区大福
由緒:その昔、外野の海岸へ八幡大明神の神号を認めた神札が流れ着いた。そこで、村人が、時の家老陶山氏へ言上し、その札を祀り、社殿を建立したのが始まりと伝えられている。
御蔡神:応神天皇

ほんの少し引き返し、右折、南へ進み宇野線を越え、最初の道を右折、南西方向へ進み、カーブし小さな川を渡ると、突き当たる手前を左折、直ぐの所にある。
由加神社

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鎮座地:岡山市南区東畦268

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由緒、御蔡神共に不明


少し引き返し、元の道へ、川を渡り右折、線路を越え、左折、広めの道に出るまで西方向へ進む(非常に狭い道、昔から妹尾近辺は狭くて訳が分からない)
広めの道(267号)を北上、突き当たりを左折、以前の御前神社の前を通り進むと21号線(清戸信号)へ出るので左折南方向へ進み、更に宇野線を跨いで進みと左手に丼丸が見える。予定通りここで海鮮丼をテイクアウト、非常に種類が多く、選ぶのに一苦労である。21号線を進んでいくと大曲北の信号で西側に新しい21号が付いているので直進して、大曲信号南、右手奥の大きな社殿が興除神社、手前南側の小さな祠が和霊神社である。
興除神社

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鎮座地:岡山市南区中畦26・27

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由緒:当地は文政3年(1820)幕府の命により、文政4年から備前岡山藩が、児島海面開発に着手し、文政6年(1823)秋完工、備前領興除新田として成立した。興除の地名は、興除新田記によると、文政5年(1822)藩の儒学者小原梅坡の提案により、管子の中の「興利除害」から名付けられた。天保3年(1832)辰年9月21日、藩主池田公の意を以て、京都吉田神祗伯(当時の神道の総本山的位置にあった)より、御神霊を分霊し奉戴したもので、藩主池田家から年頭には飾松及葉付竹等を寄進され、社領として年々玄米3石を寄進された。現在の本殿は、明治11年の再建である。旧社格は、村社である。大正14年神饌幣帛料供進神社に指定された。
御蔡神:豐受比賣神、久久能知神、金山毘古神、埴安姫神、加具土神、彌都波能賣神、上津綿津見神、中津綿津見神、底津綿津見神
21号大曲信号南右手手前
和霊神社
鎮座地:岡山市南区中畦

少し戻り、21号大曲信号を西へ、突き当たりを南へ、最初の道を右折、北へ進むと右手に神社が見える。
素盞鳴神社

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鎮座地:倉敷市茶屋町早沖
由緒、御蔡神共に不明


元の道へ戻り西へ、ゆるくカーブして最初の交差点左折、南へ進み左手に(北部公会堂先)
住吉神社

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鎮座地:倉敷市茶屋町早沖690

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由緒:創建は宝永6年(1709)11月である。本神社の所在地は宝永元年に開墾に着工し、宝永4年に完成した開墾地である。宝永6年11月領主戸川公により、摂津国堺に御鎮座の住吉四柱神を勧請した。本村の産土神として崇敬せられた。領主は神社敷地を除地とし、氏子は社殿奉建・祭具奉納・土地奉献等一丸となって崇敬した。明治4年1月27日神饌幣帛料供進神社に指定せられた。
御蔡神:住吉四柱大神
思ったより広い境内であるが、現時点で修理中であった。
南側が正面であり、神社前の道を東へ進む。途中少しは曲がるがほぼ直進すると21号へ出る。

丙川西信号まで南へ進む。信号を右折して川沿いに進むと直ぐ先、左手に神社が見られる。
稲荷神社

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鎮座地:岡山市南区曽根635
荒神社

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鎮座地:岡山市南区曽根
境内のメインは稲荷神社か?、今日は荒神社に叔母さん達が集まって何かの準備をしていた。
由緒、御蔡神は不明である。

引き返して、21号を南へ、曽根西信号を左に取り直進墓地の手前を右手に取り、南下して行くと右手に仁が見える。ストリートビューでは、小さな石柱と祠、注意が必要と思ったが、新しく建てられていた。
木野山神社

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鎮座地:岡山市南区曽根879
由緒、御蔡神は不明である


更に進むと右手に同じような神社が見える。
荒神社

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鎮座地:岡山市南区曽根
由緒、御蔡神は不明である


非常に狭い道だが、更に進むと倉敷川の手前で右手に21号を見ながら橋を渡り、信号を右折して21号へ出る。そのまま南へ進み、瀬戸大橋線をくぐって更に進み『CASIAL OUTLET SHOT』の手前の狭い道をを右折、直進すると鳥居が見られる
荒神社

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鎮座地:岡山市南区植松307

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由緒、御蔡神は不明である
奥まった処に神殿があり、参道前の空き地に車は停められる。


引き返し21号進み、林陸橋の先左側に熊野神社の標識、左折し、真っ直ぐ進み、広場の先に熊野神社の鳥居が、車を進めると駐車場があるので車を停め散策する。
熊野神社

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鎮座地:倉敷市林684

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由緒:当社は往昔から熊野十二社権現として広く知られた大社で、文武天皇大宝元年(701)3月紀州熊野本宮を遷座した。聖武天皇は崇敬厚く児島一円を本宮領として寄進された。本宮に模して社殿を造営し、木見に新宮、山村に那智宮を建て、新熊野三山とした。熊野詣でが盛んになるにつれ当社参詣途次の奉幣所とし
て九十九王子権現を建て、又付近に山伏、別当の付属僧坊等、50余ケ院に及び、当社の出仕寺院とした。孝謙天皇は紀州熊野山に対し日本第一大霊験根本の称を奉られ、当社もその号を称する事になった。白川上皇以後代々の上皇、貴紳院等続々紀州へ参詣され、特に後白川上皇34度、後鳥羽上皇29度を数えた。元久2年には児島一円を本宮神領として再度寄進があり、紀州熊野から荘務執行仕置等の諸役多数が来て、神領としての政を行い紀州との交流も盛んに行われた。
その後承久3年の乱に敗れ、後鳥羽院は北条氏の為に隠岐島に配流され、第4皇子頼仁親王は当地へ配流となり、26年間御在世の後、薨去され諸興寺に葬り奉った。この間後鳥羽院は隠岐島にて崩去されたので、親王は仁治元年当境内に石造宝塔を建て日々供養されたと伝えられる。又桜井宮覚仁法親王も乱をさけ下向されたと伝えられるが、同宮は熊野三山検校宮にて特に五流山伏を取立てられたので、同親王の供養塔も境内池中に建てたと伝えられる。これより前、建仁3年児島下之町宗願寺に宝塔を建て、建治2年に熊野道に地蔵を安置し、清田八幡神社、広江に紀州の神倉社を移して天石門別保布羅神社を祀り、俗に釈塔院様として広く信仰を集めた。その他玉野市滝「早滝宮」、早島町八尾及備中吉備津の「熊野権現」また、所々に残る「王子権現」等沢山の熊野社が建立され、其後も彦崎の「天神宮」、中庄及西阿知の「熊野神社」等々多くの分社や関係社が建立され、如何に大きな勢力を持っていたかを物語っている。その後元弘の乱に朝廷に味方した紀州熊野藩別当も戦に敗れ大きな痛手を蒙り、又当社僧の縁族も南朝に従い敗れるに至りさしもの大きな勢力も衰微するに至った。応仁3年兵火の為社堂悉く炎上に及んだが、別当大願寺天誉再建を志し諸国勧進の後、明応元年先ず一殿建立(重文)以後復興を見るに及んだが神領は次第に減少した。中国管領大内義興、毛利家父子の守護を受けたが児島一円の領地は僅か3ケ村に減じ豊大閣の時年百石の寄進があり、応て池田光政公寺院陶法の節当社の由緒を尊び備前藩特別崇敬社とされ社殿(県重文)の建替を命ぜられ年2百石寄進された。更に神社としての祭祀を明確にする為備前吉備津宮大守大藤内の弟に移住を命じ、神前祭祀を専らにさせる等厚い保護の下に明治に至った。この様に大変古い歴史を持ち乍ら延喜式神明帳に載らなかったのは、一つに紀州熊野が最高位の官幣に預っていたのでそれでよいと考えたこと、奉仕が僧、山伏で仏教色が強かったことによるものと考へられるが、当社の本源は紀州と同じく神社であるので、昭和19年官社昇格を申請中の処終戦に至り、社格の高下は無くなった。然し社堂悉く国、県の重文であり境内山林共に史跡指定を受けた事は他社に比を見ないことであり、日本人の心の拠所としその維持保存に万全を期している。「・・・一度致参詣即十二時擁護、一念至信敬能払年中十二障難、誠利生度大功在、熊野山神威重徳極十二所権現者也」(熊野霊験記)
御蔡神:伊邪那美神、伊邪奈岐神、家都御子神、速玉之男神
全くの勉強不足、再度歴史を見直して参拝すべきか?廻りにお寺さんもあり、神仏混合か?いずれにしても規模の大きな神社である。


北側の福岡神社を目指す、公園の北側に階段が見られたので進むが、直ぐに全くの山道、しかも思ったより高い位置にある。
福岡神社

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鎮座地:倉敷市林675

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由緒:創建年月日は不詳であるが、神武天皇の58年と明治4年の書上帳にある。郷中最古の産土神である。宝永2年(1705年)8月の再建。熊野神社由緒によれば、御鎮座の前、神輿の船が水島灘を過ぎられた時、海浜に白髪、額に浪の文をなした老翁が、斧鉞をとり船に対し「此れより北方に霊地あり、福岡の邑如意宝満の峯という。宜しく速かに鎮斎すべしいと言った。こうして熊野神社の鎮座をみた。老翁が佇立なさった石を、社の後方に斎い鎮め、地主の神として祀った。
御蔡神:猿田彦大神、磐長比賣命、九十九王子

元の道へ引き返し21号を突っ切ると165号へ北西へ進み倉敷川(藤戸)へ出る手前の左手、道路に車停め、参拝
素盞嗚神社

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鎮座地 倉敷市藤戸町藤戸763

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由緒:宇多天皇の仁和4年(888年)の創建。旧号は行疫神社、領高二石一斗である。大正4年神饌幣帛料供進神社に指定せられた。
御蔡神:素盞嗚尊、倉稻魂命、大名持神

川沿いに走り、橋を渡り突き当たり手前を右に、165号を東に、カーブして北に、三叉路を左に、広場を過ぎると倉敷市天城憩の家、その隣に神社の石柱が見られる。
廣田神社

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鎮座地:倉敷市藤戸町天城1859

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由緒:当社は瀬戸内海沿岸の漁師が篤く崇敬した。古来から脳病に特異な御利益があり、当時最も多く食していた「エイ」という魚を食することを断って祈願したということから今でも脳病平癒の祈願が多く、エイの額や紙に書いたものが奉納され続けている。また、池田公の墓地につらなり、池田公が墓参に際して祈願し、休息された。
御蔡神:天照皇大神、大國主命

北上して広い道を右折宇野線を越えて直ぐ右折、南へ進み最初の道を左折、道なりに進みY字路の処に
八幡宮

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鎮座地:岡山市南区西畦196

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由緒、御蔡神共に不明


引き返し165号へ、北へ進み、最初の道を左折、直進し突き当たりを左折、直ぐ
日向神社

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鎮座地:倉敷市藤戸町天城
由緒、御蔡神共に不明
手前の広めの道に車を停め歩くべき、何とか進めたが大変であった。


また、引き返し165号へ出て北へ、川沿いに進んでいくと左手、橋を渡った先に神社が見られる。(茶屋町辺り)
素盞鳴神社

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鎮座地:倉敷市帯高

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由緒:当社は弘化3年八坂神社(京都)の御分霊を勧請し、社号を祇園宮と称した。明治15年神社明細帳書き上げの際八坂神社と改称した。明治29年5月本殿改築遷座祭を執行の時に、素盞嗚神社と改称した。当地は、往古の吉備穴海の一部であり、後世も旧東高梁川氾濫の流跡に連なる地域であったため、水の神、疫病除けの神として崇敬されるばかりでなく、「芽生える」、「成長する」、「発展する」といった荒魂の神として広く地元民に信仰されて来た。昭和16年5月幣殿、拝殿を改築した。
御蔡神:素盞嗚命


北に更に進むと74号へ、左方向(西北西-74号)進むと左手に7&11がその直ぐ先を右折、直進すると右手に
三宝荒神社

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鎮座地:倉敷市帯高677

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由緒:当社は寛文2年の創建と伝えられている。帯江村の開墾(延宝年間に完成)に際し、その干拓工事の無事完成祈願のため奉斎された帯高三丁割の氏神である。
御蔡神:火之迦具土神

74号に戻り、パチンコホームランの先の道を右折直ぐに、パチンコ屋の駐車場の横にある。最初勘違いして北側の道沿いを探し、附近の公園に集まった人に聞いたが全く違う神社、さっきの荒神社を教えられる。他の何人も同様である。
廣峯神社

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鎮座地:倉敷市帯高
由緒、御蔡神共に不明


74号にでて最初の道を右折、道なりに進み、三叉路で右手、直ぐに左手(北東)、直進すると右手に小さな神社が見える。
瘡守神社

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鎮座地:倉敷市早高
由緒、御蔡神共に不明


直ぐ先を左折、真っ直ぐ進み、高速を潜った脇道を左へ、川を渡って最初の道を右折、突き当たり手前の右手に、注意しないと見落とす恐れもある。
八坂神社

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鎮座地:倉敷市亀山
由緒、御蔡神共に不明


突き当たりを右に、道なりに北東に進み、信号(JA)を左折しばらく進むと左手
荒神社

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鎮座地:倉敷市西田

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由緒、御蔡神共に不明


信号に戻り東に進む、高速を潜り、橋を渡った奥に神社が見られる。近くに車を停め、ぐるっと回って探す
厳島神社

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鎮座地:都窪郡早島町早島

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由緒、御蔡神共に不明


橋を渡り直し、左折、川沿いに東に進んでいく、水門の先を右カーブ後、165号に出る。そのまま、北上すると正面に神社が見える
荒神社

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鎮座地:都窪郡早島町前潟

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由緒、御蔡神共に不明


更に北上し、突き当たりを右折(152号)、北東方向へ進むと、松尾坂信号で185号に、バイパス方向、北へ進むとまず、右手方向上に
船越神社

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鎮座地:都窪郡早島町早島
由緒、御蔡神共に不明


少し進んだ左手方向上に
荒神社

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鎮座地:都窪郡早島町早島

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由緒、御蔡神共に不明


時間が遅くなり、またガソリンがほとんど無くなりかけたので、今日も中止、185号からバイパス経由にて帰宅する。

龍之口八幡宮(体力調査)

今回は自分の体力を調べる意味を含めて龍之口八幡宮を目指す、状態によっては岡屋八幡宮も目指すつもりである。調べるとコースとしては①旭川荘の端にある鳥居からの参道、②グリーンシャワーの森方面からの参道、③四御神からの参道の3コースが案内されている。昔、牟佐側からの参道もあったように聞いていたが無くなってしまったかもしれない。
②のコースが一番新しく整備された参道と言うよりハイキングコースとして作られたようである。1kmの山道を登る必要がある。実際登ると森林の中を歩くという感じに整備されている。土曜日の午後早くのせいか、結構、ハイキングらしき人に出会う。今回は参拝が目的なので、山頂(龍之口城跡)は目指さない。この状態では無理、当然次の予定も中止とする。
龍之口八幡宮

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鎮座地:岡山市中区祇園996

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由緒:当神社が何時頃此の地に勧請されたかその年代を詳かにすることは出来ないが報恩大師が孝謙天皇の御代に岡山市金山寺、西大寺観音院を開帳された時この神社が霊験あらたかであると説かれたと伝えられそれが事実ならばその頃既に多くの崇敬者があったことが推察される。その後、一時廃社同様になっていたが、岡山藩主池田新太郎少将の篤い信仰を受け寛文元年社領15石が寄せられ、同様に社寺奉行稲川十郎右衛門尉長、普請奉行田口五左衛門一成に命じて本殿を再興新築されこの時から「正八幡大神」と称されるようになった。以後累代藩主の尊崇を受け、祭祀はもとより社殿の修理、参道の改修等藩主によって行われたという。寛文6年備前の神社10、529社を601社に整理、更に正徳年間71社に整理された時も当社は有置されただけでなく武運長久、国家鎮護の神として藩主は日置猪右衛門忠治に命じて代参させ、宝永2年朔日には備前の社務掛吉備津宮祠官大森筑前守藤原光隆が祈願を行っている。その後、享保元年大修理が行われ又嘉永元年には絵馬殿が寄進された。明治に入り八幡宮と改称し、明治39年には本殿、拝殿等が有志により改築修理された。更に昭和に入り社殿の全面的改修が行われ昭和14年4月竣工。これが今日見られる社殿である。以来一般の崇敬者は次第に増加し最近では学問の神様、家内安全、商業繁昌、交通安全の神様として岡山県下は勿論近県の人まで篤く信仰されている。
御蔡神:仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、玉依姫命

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車で四御神を目指し、東ヶ丘団地北にある③のコースの鳥居と狛犬の場所まで行く。標識が出ており、車で鳥居近くまで行ける。小生は不安で手前に車を停めて歩いて行く

結構きつかったがまだ何とかなる状態か?、でも続けての山登りに近い参拝は無理と思う!!

竹原線沿い巡り

通常のルートで東岡山の先まで行き、右折して竹原へ抜ける道を取る。しばらく進むと右側に鳥居が見える。
中山八幡宮

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鎮座地:岡山市東区古都南方2754

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由緒:創建は文化8年(1811年)である。その他不詳。
御蔡神:仲哀天皇、応神天皇、神功皇后
色々な神社が合祀されるに十分な広さを持つ境内である。

83号300m程度進み、右折(南)400m山手を目指す。この辺りはホタルの里としても知られている。川縁に車を停め左手山際を探す。舗装された道が続いているの歩いて探す。かなり歩くが見つからず引き返す。入った直ぐの左手に小さな祠が、見落とすのも当然か?
室山荒神社

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鎮座地:岡山市東区古都南方1311
由緒、御蔡神共に不明


83号進み峠を越えて降りた辺りの右側に駐車場の表示と左側に鳥居が見える。
竹原神社

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鎮座地:岡山市東区竹原219

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由緒:当社は、「一願三叶の宮」と呼ばれている。ご神徳は様々であるが、中でも特筆されるのは、鎮火、安産、方除である。一願三叶の意味するところは、「一つの願いで3つが叶う」という事である。この由来は、八幡宮・貴船神社・片岡神社の3社が大正2年10月14日に合併し、竹原神社が創祀されたことによる。境内摂末社は6社、荒神社(奥津彦命・奥津姫命)、祖霊社(護国の英霊)、木野山神社(素盞嗚尊、高梁市に鎮座の木野山神社から勧請)、稲荷神社(倉稲魂命)、金刀比羅宮(金刀比羅大神)、祇園宮(素盞嗚尊)、飛び地末社一社を有する。
御蔡神:仲哀天皇、応神天皇、神功皇后、櫛名田比賣、大山津見神、石長比賣、木花開耶媛
ここも結構大きな神社、祭られた神社はかなり多い。

砂川を渡り、砂川沿いを南下、2番目の橋を渡り、カーブの直ぐ先を右折、山際に車を停め歩いて神社を探す。(直ぐに見える位置に)
岩倉八幡宮

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鎮座地:岡山市東区福治
由緒、御蔡神共に不明


引き返し、橋を渡り少し北、右折し直進、37号を横切り、バイパスを潜る。
最初の道を左折、吉田公会堂を目指し、更に先に進み、三叉路辺りに車を停め、歩いて山際を探すと直ぐに見つかる。
吉田天満宮

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鎮座地:岡山市東区西隆寺
由緒、御蔡神共に不明


道を少し進み、田んぼの中の道を進み少し広い道に出て左折後、山際を東に進むと小さな公園があり、車を停め、歩いて山際を探す。最初先を探していて全く見つからず。一度聞いて行き過ぎに気付き、引き会えすと、公園の直ぐ近く、道際に白い金属の戸の先に階段、登って行くと見られる。
諏訪八幡宮

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鎮座地:岡山市東区西隆寺1099-1
由緒、御蔡神共に不明
こじんまりと整理された神社


神社の場所聞いたお年寄りが親切に教えてくれた窪八幡宮を目指すことに(多分八幡宮と言うことで勘違いされていると思う)
先ほどの神社前の道を直進、右折、左折、右折でクランクを脱し、前方の山を目指す。道が狭くなるが直進して山裾に至ると鳥居が、更に山を登って行く、少し不安になり、Uターン可能な場所へ車を停め山道を歩く。先ほど聞いた時は軽四でないと難しいと言われたためであるが、対向車があると難しいが問題ない道。300m程度歩くと神社に着く。ここも結構広い神社である。南側が正面で開けているので車を取りに変える。途中アケビの熟した実を見つける
窪八幡宮

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鎮座地:岡山市東区久保618

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由緒:創建年代不詳。久保の地は江戸時代には備前国上道(あるいは上東)郡久保村と称し、中世には備前国金岡東荘と称した。これ以前のことは明らかではないが、和名抄に見える上道郡豆田郡の地内に属していたものとお思われる。吉井川が児島湾に注ぐ地点に近く、河口の西大寺市に接し、自然の要衝をなし文化が早くから開けた地である。
御蔡神:品陀和氣命、神功皇后、姫大神
正面の道を下ると224号、雄川橋西詰の先に出る。昼近くなっているので、通常の西大寺からの帰り道で帰宅する。

徒然その1

今日は女房の親戚の葬儀と、実家の墓参りに付き合う。
葬儀の間、我がわんこと以前場所がはっきりと分からなかった近辺を巡る。
まずは百間川沿いに216号を走り東側に入って少し入った南側
正一位天満宮

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鎮座地:岡山市中区倉益17
由緒、御蔡神共に不明
今回、日の丸が掲げられ、地区のお祭りか?

次に216号へ戻り、南下215号で百間川を渡り、最初の道を左折、カーブの先の広い所に停車し、歩いて少し北側を目指す。
木山神社

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鎮座地:岡山市東区光津
由緒、御蔡神共に不明

続いて東にゆっくり走り、500m程度先の左手を注意して進む、小さな祠らしき物が見える。前回見落としたのも納得
木野山神社

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鎮座地:岡山市東区光津
由緒、御蔡神共に不明

南に出て215号を西へ走る。途中、道路脇南側に赤い鳥居がある
名称不明神社(桑野)

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鎮座地:岡山市中区桑野
由緒、御蔡神共に不明

更に西へ向かい45号に出て、北へ向かい葬儀会場を目指す。途中バイパスの手前道路左手に神社が見える
稲荷神社

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鎮座地:岡山市中区倉田
由緒、御蔡神共に不明

かなり待たされて女房と共に田舎のお墓へ向かう
実家の直ぐ近く南の池の土手下に神社あり
正一位稲荷大明神、下山坂稲荷神社

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鎮座地:玉野市下山坂1523

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由緒:創建年月日由緒等不詳
御蔡神:倉稻魂命

ついでに廻ったのでこんなものか

東岡山-瀬戸(旧山陽道)巡り

今日は曇り空で涼しそうなので急遽出かける。東岡山以東の旧山陽道沿いを目指す。通常通り旧R2号線(R250号)長岡の先、赤穂線を越えた直ぐ先を左折、新幹線を潜った少し先を右折(斜めに北東へ-山陽道)、小山に至ると廻り込んで東へ、神社の近くに車を止める
すさのお神社

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鎮座地:岡山市東区藤井658

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由緒、御蔡神共に不明

先ほどの神社を起点に、北方1km程度なので北に向かって歩く、途中で先生と呼ばれていた人に尋ねる。こちら側からは草に埋もれて行くのは無理。西側の宿から行けば道が付いているとのこと、車では無理のようであり、今回は中止(北側96号から廻り込む)岡屋八幡宮

旧山陽道を少し東に進むと左手に鳥居が見える(170m程度)
總社八幡宮

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鎮座地:岡山市東区藤井929

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由緒:創建年代、由緒等不詳。
御蔡神:仲哀天皇、応神天皇、神功皇后
總社宮にしては意外と小さい神社である。


山陽道を東へ進んでいき医光院を探すが、先にある三角寺の石碑を左手に見つける。行き過ぎているので少し北西方向へ広い道を進むと目的地より西方向の墓地へ出る。近くにいた人に神社の位置を聞く、牛神社の由来等を知っているらしいが長くなりそうなので、お礼を言って進むと、池の土手下側に見える。
牛神社

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鎮座地:岡山市東区上道北方1334
由緒、御蔡神共に不明

来た道(牛神社の北側に広い道)を引き返し、脇道をとらずしばらくそのまま進み、池の土手を越えて突き当たると三角形の土地が道路に囲まれている。ここに駐車スペースあり。(田舎から菊山経由で帰る道際)
熱田八幡宮

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鎮座地:岡山市東区中尾805

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由緒:当社は延宝8年(1680)中尾宮山(岡山市中尾)に中尾、上道北方、鉄(くろがね)の鎮守神(氏神)として建立された。宝暦2年(1752)火災で社殿を全焼したが、宝暦12年(1762)再建された。六社大明神の1之社と称され、社領八石の寄進を受けた。本殿の屋根は昭和のはじめ桧皮葺から銅板葺に替えられたほか、しばしば社殿の補修が行なわれた。秋季大祭には6社の神輿が神幸され1之社として先頭に宮司が乗馬し、2之社、3之社と次々に並んで総社宮(藤井)に東西に別れ3基ずつ並んだ。昭和21年まで6基の神輿の神幸があったが、現在は神輿の神幸は別々に行われている。
御蔡神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、産土大神
白い塀に囲まれた、結構立派な神社。

北に進みデイサービスセンター隣池の北に派手なピンク色の鳥居が見える。
日月神社

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鎮座地:岡山市東区中尾
由緒、御蔡神共に不明
よく分からない神社である。

田舎方向へ進んでいくと途中、道側左手に鳥居が見える。道に車を停め、脇道を歩いて進むと神社がある
不明神社(菊山)

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鎮座地:岡山市東区瀬戸町菊山

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由緒、御蔡神共に不明
廻りに人家もないので名称等も聞けず、地図上でも名称確認できず。

道を西方向へ進んでいくと左手に池の土手と神社が見える。X路の広めの道路に車を停め、池の土手方向を目指す。意外と広い境内である。
春日宮、春日神社

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鎮座地:岡山市東区瀬戸町宿奥1049

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由緒:創建は不詳であるが、第107代後陽成天皇の文禄4年12月、御津郡金山寺古記録、備前48寺領及大社領目録に「畠一反上道郡宿奥村大明神領」と記してある。ご神体は束帯の座像で、第109代光格天皇の寛政の頃に、子供数名が社壇に上り扉を開き、ご神体を持ち出して弄んだために、手足が膀腫して、傍らに転んだのを神職が認め、祓い清めて神殿に祀り、罪を謝したので、神の怒りが静まったのは奇特であると伝えている。
御蔡神:武甕槌命、經津主命、天兒屋根命、比賣神

元の道を引き返し、表面の山際の道を左折(東方向へ)、広めの道を進んで行くと池に出る。池の右側の道が広そうなので進むと、池の土手左手に鳥居が見える。池の下に広い駐車場があるので停めて、歩いて鳥居を目指す。
立河神社

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鎮座地:岡山市東区草ケ部1747

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由緒、御蔡神共に不明

東方向へ進み、220号へ、瀬戸方向へ進み、山陽本線と近づく手前に車を停め、谷尻公会堂を探して山際へ進むと神社が見える。この辺りにも高校の同級生の家があったと思う。
武部神社

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鎮座地:岡山市東区谷尻39

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由緒:当社の創建年代は不詳である。社殿は明暦3年(1657)丁酉年12月29日夜怪火のため炎上。翌明暦4年4月萱葺き本殿を建立。寛文11年2月瓦葺本殿を造営した。その後営繕は数次に及んでいる。明治維新前は武部八幡宮と称したが、明治2年に武部の二字を除き八幡宮と改称し、明治6年村社に列した。明治13年5月15日に武部神社と改称した。旧藩政時代の社領は7斗5升であった。
御蔡神:稲依別王
白塀で仕切られた神社

220号を引き返し、先ほどこの道へ出た少し先の左手にこんもりした丘が路肩に車を停め歩いて行く。
森神社

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鎮座地:岡山市東区草ケ部
由緒、御蔡神共に不明

220号を更に進み新幹線の手前を西へ、山際の狭い道が続く、坂道でありバックで引き返す不安に苛まれながら進むと神社の前に空き地がほっとする。
青津八幡宮

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鎮座地:岡山市東区沼1519

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由緒:文暦元年(1234年)の創建。若宮を寛元年間(1243年〜1247年)に合祀し、素盞嗚尊を勧請した。新幹線を施設するときに遷座し、現在地に昭和45年12月20日に新築し奉斎した。
御蔡神:仲哀天皇、神功皇后、応神天皇
元の場所は知らないが、新幹線を見下ろす位置にある。

220号から山陽本線踏切、新幹線下を潜り浮田小学校へ、東側の広めの場所に車を停め、歩いて神社を探す。亀山城跡の表示版が見える。
弁天神社

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鎮座地:岡山市東区沼1801

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由緒、御蔡神共に不明
亀山城(沼城)についての説明は見られるが、神社に関しては何も見当たらない。

真っ直ぐ進むと直ぐにR250号へ出るので、平島方向へ進み、手前の南古都の信号を左折し、突き当たりを右折、マルナカの駐車場へ車を置き、直ぐ前の神社を目指す。
北居都神社

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鎮座地 岡山市東区東平島1468

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由緒:創建年月不詳。社伝によると八束水臣津奴命は築杵等手留比古命とご兄弟で、素盞嗚命の御子である。八束水臣津奴命が真銕吹く吉備の国に到リましたところ、遠い昔の上津道居都の辺りは海であったが、築杵等手留比古命と力を協せ、殖産興業の道を教え給い、漣波寄せる平島居都の御山に鎮り給うた。(北居都神社縁記)上代は八束水臣津奴命を北居都、南居都の両神社に分祀し、築杵等手留比古命を西平島築杵神社に奉斎した。神功皇后が三韓征伐の時この津に碇泊せられ、帰途にも船寄し給うたと伝えている。この縁で、住吉三神・神功皇后・仲哀天皇を配祀するようになった。明治43年5月9日に本宮北居都神社に、築杵神社・南居都八幡宮・帆負八幡宮を合祀し今日に至っている。神階は従五位上で、延喜式外社、神饌幣帛料供進神社に指定せられた。
御蔡神:八束水臣津奴命、築桙等乎留比古命
高校時代は南側に行かなかったせいもあるが、全く知らなかった。昔の旧道からでは全く見えなかった。新しい道、スーパー等が出来て分かりやすくなっている。これだけ広い境内が山頂にあるとは思っていなかった。


R250号の反対側の神社を目指す、近くのはるやま等の駐車場からはフェンスがあり進めない。はるやまの東側の道を入り、廻り込み、小山の南側を目指す
貴船神社

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鎮座地:岡山市東区南古都389

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由緒、御蔡神共に不明
よく手入れがされているこぎれいな神社である。

曇り空でpm5時近くなり暗くなってきたので本日も途中で帰宅する。

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