2014年10月
今日はここまで、2号線へ出る手前に燈籠がある。
我が愛犬の薬と車の給油のついでに、近場の参拝し忘れの神社を二つ廻る。西方の南北と全く違うが、前記二条件の出かけ先の延長上にある。
まずは、児島線、妹尾手前の会社時代近くは通っているが全く知らなかった。住宅に囲まれた一角で公園併設で土曜のせいか子供達が元気よく遊んでいた。
祇園神社(三社宮)
鎮座地:岡山市南区大福496
由緒:創建は建武年中(1334〜36)に、備後鞆津祇園宮をこの地に勧請奉斎したものである。明治8年村社に列格した時に、進雄神社と改称した。昭和53年7月6日祇園神社と改称した。
御蔡神:創建は建武年中(1334〜36)に、備後鞆津祇園宮をこの地に勧請奉斎したものである。明治8年村社に列格した時に、進雄神社と改称した。昭和53年7月6日祇園神社と改称した。
次に、近くて何時でも行けると思っていたのと車でどの様に行けるのか分からなかったので先延ばしにしていた。県道61号を北に進み、神社の位置から北を廻り込む形で神社の横上に付ける。これが簡単。入る道さえ間違えなければ問題が無い。
尾上八幡宮
鎮座地:岡山市北区尾上1530
由緒:当社の創建は永保元年(1081)8月である。備前国旧藩主池田家文庫本に津高郡尾上村鎮座八幡宮とある。吉備氏(吉備之臣)がこの地に居住して次第に繁栄し、その祖中山主命をこの地に祀った。後に御祭神決定のとき応神天皇を祀り、八幡宮と称した。明治4年10月に村社に列格。昭和16年に明治39年勅令第96号第1条第2項により神饌幣帛料供進神社に指定された。
御蔡神:応神天皇、神功皇后、中山主命
秋祭りの準備の真っ最中、地区の人が結構集まって清掃を含め忙しそうにされていた。由緒等の表示は気になっているがまだとの話であった。
今日は本当に付けたしの一日
今日は何故か山へ登る?行ってみたい気分!そんな感じの午後?
先日の帰りに見つけて気になっている神社、そして山城址と戦場、本来の目的である神社巡りを近場で間に合わすことにする。これらも先日見つけた歴史巡りの掲示『古代吉備の里』一部である。
家よりR180号、そして県道270号に入り足守川手前の老人ホームの看板を右手に入り木立を目指して進む
不明神社(オグラ神社?)
鎮座地:岡山市北区加茂467
由緒、御蔡神不明
神社名は近くの人に聞いたが定かではない様子
軽い寄り道をすませ、270号で国分寺方面へ進み、R429号を南へ坂道を登った辺りの水別・西坂台入口信号を右折、団地横の道へ、入口に石柱あり、進んで行く。以外と整備された道が続き、最後は神社横に出る。神社横の駐車場に停める。
和霊神社
鎮座地:総社市岡谷981
由緒:和霊神社は伊予の国、宇和島藩の家老職、山家公頼こと清兵衛を祭神としてます。死をもって藩政をよくつかさどった清兵衛の忠節ぶりが、多くの人にたたえられ宇和島に和霊神社が建立されました。岡谷の和霊様は、天明年間(一七八一~八)の頃にその分霊をお祀りしたとみられ、悪疫を鎮め勝運の神様として近郷の人々から崇拝されています。
御蔡神:清兵衛(山家公頼)
山の中腹に建てられた結構な境内を持つ神社、参拝口もいくつかあるのか。北側はかなりの急勾配で、他は何処を通るかにもよると思われる。
続いて道路脇にあった表示に従い西方の山方向の猿田彦神社と福山城址を目指す、山土が固まった感じの意外と平坦な道、距離が600m位は山道ではやはりシンドイか?途中左手に進む平坦な道が猿田彦神社へと続く。この神社は逆に木々に囲まれ薄暗い感じ、これも風情が感じられる。
猿田彦神社
鎮座地:総社市西郡
由緒、御蔡神共に不明
ここまで来たので福岡城址を目指す。神社の脇に整備されたかなり急な坂道があり、近いと思って登る。ここで完全にばて気味、何とか城跡へ、思ったより広い場所で、見晴らしは良い。ここでの戦場跡は知らなかった。南北朝時の闘いで説明を読むと何か湊川の闘いを思い出させる戦闘のようである。
本日は神社の参拝は非常に楽であったが福岡城址まで足をのばし、大変であった。景色は良いのだがやはり疲れる。
可能なら麓から登るより楽そうなので幸山城址を目指してもよいと思った無理だった。早々に用事があるので引き返す。
あまり関係ないが、読んでいる本から小野篁を思い出し、岡山と言うことでなぜか吉備真備に結び付けた。今回は県道270号を通り寄り道しながら清音方面へ、そして高梁川を渡り吉備真備を目指す。
R180号から加茂の信号から270号へ。高速の下を抜けた後の坂道の先を右手にとり、しばらく進んで北方向の造山古墳を目指す(古墳の上)道幅が分からないので標識に従い駐車場へ入る。元気がまだいいのでのんびりと古墳を目指す。駐車場より神社が望めるので。
荒神社(造山古墳)
鎮座地:岡山市北区新庄下1047
由緒、御蔡神共に不明
改めて大きな前方後円墳と思うし、その上に建てられた神社、ロケーションは良い。
駐車場横の道を南下、直進して270号へ出る。しばらく進み、五重の塔の反対250m南のこんもりした処を目指す。道路脇の駐車場で出来るだけ奥側に停め歩いて探す。場所は分かっているが参詣する道が分からない。大きく南側へ廻り込むと分かる。
五座荒神社
鎮座地:総社市宿
由緒、御蔡神共に不明
270号を西へ進み、国分寺西信号でR429号を越えから最初の信号を左折(272号)して、2つ目を右折(山手公民館先)-西へ右側
御﨑宮、御﨑神社
鎮座地:総社市地頭片山183
由緒:當御崎神社の御祭神は國造り大己貴命の幸魂なり。其淵原は福山の嶺にありし天津神籬より傳はれり。神籬とは太古の人民が山上の靈地に磐境を造り天神地祇を祭りしものなり。磐境は三座あり。奥津磐境は大己貴命の幸魂を祀る。中津磐境は大己貴命の竒魂を祀る。邊津磐境は少名彦を祀る。大和の官幣大社神の大神と同一にして備中の神奈備山なり。此れの三神殿を造りしものを百射山神社と稱す。百は諸の意にして又御室の意なり。此の百射山神社にありて延喜式神名帳に載せられたる官社なり。吉野朝期延元元年の福山大激戰に社殿壊滅し、二十八年を経て貞治四年地方稍静謐し民力恢復せしを以て百射山神社の第一殿、一の御神を山下に奉遷し山手村地頭片山の現今の社地に神殿を造營す。此時神道管領吉田家より御﨑大明神の御證印を下さる。其後幸山城主石川氏 岡山の城主宇喜多氏 同池田氏等皆本社を崇敬し社領其他の寄進あり。延寶四年池田公より御神號を下さる左の如し。
備中國窪屋郡山手村、御崎神社 大己貴神奇魂、延寶四丙辰九月、社人 宮岡兵庫
古へより美簀郷即ち今の山手村三須村の氏神にして地方最古の神社なり。
以上、境内掲示の御﨑神社略記
御蔡神:素盞鳴命、大国主命、少名彦名命
調べれば色々なことが出てくる神社か!
再度270号に戻り進む、農マル園芸の先の信号(西郡)を南(左折)に入り、十字路を西に進むと直ぐの角を南に行ったところ(小さい神社)車を停めにくいので広めの所(古代吉備の里山手の表示板の場所)を探し、歩いて
郡神社
鎮座地:総社市西郡
由緒、御祭神共に不明
270号カーブ先の信号(469号手前の起点信号)を右折(北)真っ直ぐ進み、三叉路を直進、突き当たりを右折すると鳥居が見える。鳥居を潜って進むと神社手前に駐車場がある。三輪山古墳群の一角であり、歴史・ハイキング等のコースになっている。由緒、御蔡神に関しての表示あり
百射山神社
鎮座地:総社市三輪1347
由緒:御祭神大山祇命は、皇孫天彦彦火瓊瓊杵尊の后妃木花開耶姫之命の御父神にて人皇第一代神武天皇御即位の節、南海の道伊予国(愛媛県)大三島に鎮座される。後に命の御神裔五田守國勝長狹命と宇津命は水軍を率いて吉備の島の賊どもを平らげた。其の途中吉備の國百射の山島に御滞在された時に、御祖神大山祇命を奉祀されたのが神社の始めと伝えられています。その後、戦災等で隣山の幸山へ奉移再建されましたが、寛文十二年(一六七二)岡山藩主池田光政公の命により、宮山の地に奉移遷宮され現在に至る。
(当社は、平安時代(794?1185)に完成した「延喜式」(えんぎしき)にも名を残している古社で、元は福山(倉敷、清音、山手にかかる標高302メートルの山)に奉斎されていたが、建武年中の福山合戦(1336)にて社殿を
焼失した。後に隣山の幸山(こうやま)に遷座されたが、更に江戸時代の始め藩主池田光政公の命により寛文12年(1672)現在の宮山の麓へ移され今日に至っている。創建は不明であるが、御祭神の大山積命は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の御子で、天孫瓊瓊杵尊(てんそんににぎのみこと)の后妃木花開耶媛命(このはなさくやひめのみこと)の御父神であり、第1代神武天皇の御代に伊予国(愛媛県)大三島に御鎮座された大神様である。後の御代に命の御神裔五田守国勝長狭命(ながさのみこと)と宇津命(うつのみこと)が、水軍を率いて吉備の島々の賊を平らげ、滞在地の百射之山島(福山)に御祖神(みおやがみ)大山積命を奉斎したのが当社の始まりと伝えられている。)
御蔡神:大山祇命(大山積命、猿田彦命)
「先ほどの三叉路まで戻り、北西に進み最初の道を西へ、469号を横切り」これが当初のコースに考えていたが、やはり稲刈りのシーズン、道がふさがれているので一度北へ廻り当初のコース通り、更に西へ、多少は曲がるが直進、突き当たりを右手(北)広めの道で左折、前方右手に
八柱神社
鎮座地:総社市清音柿木
由緒、御蔡神不明
神社東側の道を南下、直ぐの三叉路を右手に、多少カーブするが直進、270号へ出る手前西側に(県道270号、伯備線突当り手前1通り北)由緒、御蔡神に関しての表示あり
大津保神社
鎮座地:総社市清音柿木
由緒:天正年代は風水害が多く、当地も大洪水に見舞われ、馬多土堤が決壊し濁流の海と化す。折しも当家(江口家)裏座敷に御神体が漂着し、当夜直ちに霊語あり「其の方儀吾神体を祭らば必ず子々孫々に至るまで長寿を授ける」とのお告げを賜る。以来祭神に励み御神徳を戴き慶長十八年(一六一三)八十九才の長寿を全うし神上す。その後、末孫一統にて造改殿を行い今日まで長寿御利益の神として欽迎する。(詳細は写真)
御蔡神:武速日尊(素佐之男命)
ここからが本日の予定本コース、270号よR486号に、高梁川・川辺橋を渡り、直ぐ南下、三叉路の右側、その先を細い左側を直進すると直ぐに右側にお稲荷さんの赤い鳥居が
不明稲荷神社
鎮座地:倉敷市真備町川辺
由緒、御蔡神不明
更に先に進むと右手の三叉路の手前にある。普通は小さく見落とすかもしれないが今回は秋祭りか幟が立っていて非常に分かりやすい。
荒神社
鎮座地:倉敷市真備町川辺
由緒、御蔡神不明
元へ引き返し山陽道(橋の手前で広くなったら左折-西)500m程度で右手に門柱がある。路肩があるので車を停め歩いて参詣、檜が植えられた広めの境内に種々の神様が祀られている。ここも秋の祭礼の時期、幟が建てられていた。
艮御崎神社
鎮座地:倉敷市真備町川辺208
由緒:字市後にあり、十余社を合祀した村社。いつの建立か定かでないが、棟札には慶長15年(1610年)、願主塩尻冶右衛門(川辺大庄屋)とある。蔡神は須佐之男命、大国主命、建御名方命、保食神、宇賀魂命、少彦名命、八衢比古命、天之御中主命、大物主命の九柱。珍しい神が多い。吉備津神社本殿の丑寅の方向に良宮があり温羅が祭られ、たたりの神として恐れられている。艮神社や御崎神社は吉備津彦系の神社名なので、艮御崎神社も吉備津彦系である。
神社入り口の門柱にある「八雲絶唱・・・・ 」の文字は犬養毅元首相の揮豪によるもので、県下でも珍しい。
御蔡神:須佐之男命、大国主命、建御名方命、保食神、宇賀魂命、少彦名命、八衢比古命、天之御中主命、大物主命
神社の西の道を北西方向へ、R486号に出るが左折のみ、先の信号直ぐに右折してを越えて280号へ、予定では『正面へ「マツナガアートプロモーション」を右に、脇道あるが直進、400m程度で右側に』であったが分からずそのまま280号を進み右のカーブして278号を進んで行くと右手田んぼの中にこんもりとした森が見える。先にある道を左折して目的神社へ
国司神社(森神社)
鎮座地:倉敷市真備町辻田1085
由緒、御蔡神不明(石碑が建てられてあり由緒等が記載されてある)
278号へ戻り、北東へ先へ進むと、坂道のへ出る手前左側に門柱が見られるが車停める場所がない。少し行くと伊予部山史跡公園の石碑とその前に駐車場がある。ここに車を停め横の坂道を登って行くと神社の横へ着く、参拝後、正面の階段を下りて車まで278号を通って戻る。[伊與部山付近には四国八十八カ所ミニ遍路がある。]
伊與部神社(伊与部神社)
鎮座地:総社市下原690
由緒、御蔡神不明
車を停めた場所から278号を川沿いに進み、橋を渡らずに川の土手上の道をに直進、2本目の三叉路を左折・田んぼ道進み前方の山を目指すと、ゴルフセンター、その下の道を進むと鳥居が横に見える。下に車を停め歩いて神社を目指す。
神神社(三輪山明神)
鎮座地:総社市八代918
由緒、御蔡神不明
最初、ケバケバしいゴルフセンター隣に立つ鳥居、嫌になりかけて歩くが神社に着くと檜の林に囲まれた、素晴らしい立地、そして前を見ると森に囲まれた池!、だが池はゴルフ打ちっぱなしの池となり下がり!、しかし気をとり直し山側を眺めると!ここでやっと気力を取り戻したのか、
最初の道が分からなかった事から立ち直れたので、最初の国司神社が見える処まで引き返す。そして元の神社脇の道が278号へ出会う少し前方左の細い道を直進、突き当たりを右折すると鳥居が見えてくる
東薗神社
鎮座地:倉敷市真備町岡田1699
由緒、御蔡神不明
田舎にある神社らしい神社、今後の神社にも言えるのだが、横に車の通行可能な道と神社に隣接した広い屋根付きの広場、神輿か何かか?
上記神社(東薗神社)前の道を東へ進むと278号へ、少し走って三叉路を左折、少し進んだ後細い道を左折、そのまま進むと池の土手へ、池の東、民家の裏にある。この付近の道が非常に狭く、広めの場所もない。少し下に降りた処の広場っぽい場所に停めて歩いて参拝
荒神社
鎮座地:倉敷市真備町辻田
由緒、御蔡神不明
この地区の隠れ神社か?、非常に分かり難いし、行きにくい場所。(引き返した時278号へ出た所は、五反田公会堂と交通安全の水色の像の処)元へ引き返し、278号へ、左折(カーブミラーに池田の表示)して池田公会
堂を目指し附近の広めの場所へ車を停める。とにかくこの地区の北方向の山を目指す。不安になった頃、この付近の人に出会い、聞くとこの坂道をずっと登った先とのこと。思っていたことに間違いは無かったが、毎度不安になる。
池田神社
鎮座地:倉敷市真備町辻田
由緒、御蔡神不明
ここも前の神社同様分かり難く行きにくい場所にある小さな神社。しかし鳥居もあり神社らしさは保っている。
278号へ戻り、最初に右側へカーブした分岐点迄戻る。ここに金田一耕助の看板、下に『真備ふるさと歴史館』の看板あり、右折して直ぐ左折、進んで行くと左手に『ふるさと歴史館』と市場の標識があり、その先を右折する。(ここが280号)進んで行くと表示があるので指示通り直進すると『ふるさと歴史館』がある。今回は関係ないが金田一耕助は嫌いではなかったので寄り道をする。
280号へ戻り進んで行くと、小川に突き当たると右折(280)、川沿いに進んで行くと左手に緑ヶ丘団地の標識、右折し、少し曲がるが直進、坂道を上がった先左手に鳥居が見られる。
青木神社
鎮座地:倉敷市真備町市場
由緒、御蔡神不明
前の道をほぼ直進すると池へ出る。池に沿って進む。先ほどの歴史館裏の池と思われるので右折して池の土手を目指す。土手の先に駐車場があった。
岡田藩邸・稲荷宮(辡財天)
鎮座地:倉敷市真備町岡田
由緒:稲荷宮は一七〇六年、藩邸が山の谷中村から岡田山に移った時、ときの一万石、五代藩主伊東長救公が領内農業の繁栄と屋敷の鎮守を祈って造営されました。
御蔡神:宇賀邊魂命
地図上では分からなかった神社であった。
先ほどの突き当たりを左折、先にあるY字路を右折し進むと前方に土手(高台の道)が左手に鳥居見える。ここも神社への道が分かり難いが、祭の準備をしている跡があり、今回は楽だったが、各地区にある神社は分かり難い神社が多い。
疫神社
鎮座地:倉敷市真備町岡田
由緒、御蔡神不明
280号まで引き返し、少し進むと左手田んぼの真ん中に大きな鳥居、気になったので行って、近くの人に聞くと右手山の上の神社(西園神社)の鳥居とのこと、少し進み右手に石柱、車で右折し階段手前に停める。
西園神社
鎮座地:倉敷市真備町市場4468
由緒、御蔡神不明
280号を川沿いに引き返し、左折路線(280号)を直進する。Y字路を川沿いに進み最初の十字路先、左手に見える『 カルチャー真備』前に車を置き、川を渡り直進、右折、左折で進ん行くと右手に神社が見える。大層な石垣に囲まれているが地形状こういう形になるのか?
貴船神社
鎮座地:倉敷市真備町有井
由緒、御蔡神不明
直ぐ近くにあるはずであるが分かり難い、最終的には附近の人に聞くと直ぐ分かる。通りに石柱があるが突き当たりは普通の民家、石柱の左側にある。一本の道を挿んだ場所にあるので、ぐるぐる歩き回れば見つかる場所である。
麻佐岐宮
鎮座地:倉敷市真備町有井462
由緒、御蔡神不明
川沿いに南へ進み、278号を越えて進んで行くと、川の向こう側に幟が見える。何とか広めの処でUターンし橋を渡り、神社側の道を下り広めの場所へ車を停め歩いて参拝する。このコースは失敗、最初の道をそのまま南へ、山陽道へ出て、右折西へ、次の広めの道を右折して北上、広めの処へ車を停め歩いて行くべき。
荒神社
鎮座地:倉敷市真備町有井
由緒、御蔡神不明
何処で時間を取られたか、予定を残して帰宅時間近くになってしまった。本日のメインである吉備真備関連へ向かう。ここからの道ははっきりしないが南にある旧山陽道を西に進むと左手に『まきび公園』の案内表示、指示に従い駐車場へ、園内(公園、記念館、吉備寺)をぶらぶら探索しながら八田神社を目指す。ここも多少の山道を登るつもりで北西から遠回りをして神社を目指す。思っていたほどオーバーな神社にあらず安心、しかし、松喰い虫の被害がちょっと大きいのか?檜の処は枝木の伐採が出来ていれば趣がある。吉備公墓にもお参りし表側に降りてぐるっと巡り車まで帰る。
八田神社
鎮座地:倉敷市真備町箭田3887
由緒:当社はもと天神様と言われ、江戸時代に現存した白石神社、八幡神社、御崎神社を大正元年9月に1村1社として合祀し、八田神社と改称した。ご祭神は白石神社の大己貴神、天穂日神、八幡神社の仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、相殿に少彦名命、猿田彦命、豊磐間戸神、櫛磐間戸神を祀っている。当社の命名の由来は真備町史によると鎮座地の箭田村は当時備中下道郡の八田村から矢田村に変わり、更に箭田村となったことが記されている。現在社名を「はった」と呼称されている経緯については八神様を祀っている事と、八社を合祀したからとの説がある。神域は「まきび公園」の中に組み込まれ「箭田郷土自然保護地域」として赤松の保存林の中にあるが、松喰虫の被害が深刻になりつつある。昭和5年建立の本殿玉垣に刻まれている「誌」によると、村長土師隆治、助役別府要平の両氏が合祀その他に尽力し氏子に寄付を募り、社地を整理し拝殿の改築、幣殿、祭殿、社務所の増築、玉垣の新設を行った。
御蔡神:大己貴神、天穗日神、仲哀天皇、応神天皇、神功皇后、少彦名命、猿田彦命、豐磐間戸神、櫛磐間戸神
帰宅するつもりで南下、R486号へ出て、逆方向へ走り線路と川の間にある神社を目指す。先にある十字路を左折し、田んぼ道を選んで進むと右手前方に神社(小さい)らしき小さい丘が見える。
荒神宮
鎮座地:倉敷市真備町箭田
由緒、御蔡神不明
このような小さな神社でもお祭りはあるよう、準備がされていた。
予定をかなり下回り、同じような道を引き返し帰宅する。