岡山県内神社巡り(メイン)

片っぱしらからの神社巡り

2014年12月

神社廻り児島方面その1(21号)

此の処寒かったのと暮も押し迫ったので閉じこもりが多くなっていたので、今年最後のつもりで神社廻りに出かける。特に理由は無いが児島方面へ、以前と同じルートを通って水島インター西まで、左折して南へ進む。
21号南へ進むと左手池の手前に石柱、左折し池の土手を通り神社を目指す。、
木華佐久耶比咩神社(福南山神社)
4051page
鎮座地:倉敷市福江1671-4
由緒:当社は本国総社神名帳に神階従4位下木華佐久耶比め明神と記載され、備前国式外128社の内の一つである。 また中世から明治に至るまで福南山明現宮と称され、熊野五流一山の修験道場として栄え、近世においては備前池田藩累代の御祈願所として崇敬された。木華佐久耶比め命は、大山祇命の御子であり、天照大神の御孫、瓊々杵命の御妃となられ、桜の花の如く心身ともに麗しく日本国最古の国母の女神である。戦前戦中崇敬者は、県南全般に及び福南山の神社として広く知れ渡たっていた。しかし、戦後昭和23年不審火により社殿を焼失、現在参上には奥宮として石祠を残すのみとなった。昭和28年から昭和51年にかけ山麓の現在位置に社殿を再建し、その後平成12年幣殿、拝殿を改築し荘厳なる社殿に一新された。その他境内の整備にもつとめ、祭神に相応しく桜の植樹にも力を入れた。また、山頂の展望台からは瀬戸内海の島々が眺望できる。
御祭神:木華佐耶比賣命、大山祇命、大國主命
山頂の奥宮を目指して登り始めたが、かなり登る必要があり、位置がはっきりしない、今日の最初ということで体力温存のため中止

21号南へ、茶屋住宅口信号を右折し、広めの道を西へ(山際)三叉路を右折して直ぐ右手に(角に車が停めれる)
正面神社(正面宮)
4039page
鎮座地:倉敷市児島稗田町2788
由緒:創建は不詳だが古くから鎮座していたことは布目瓦等が附近から出土することからもわかる。往古は祇園宮と称えていたが、安政5年(1858年)正面容と改め、明治32年正面神社と改称した。昔、社辺に「しきび」の大木があって、内海を通航するとき、夜は霊光を発したと伝える。この大木を伐って七つの観音像を刻んで各所の社寺に祀った。参道近くに三島中洲の碑がある。
御祭神:素盞嗚尊

21号南へ、大池の先横断陸橋の先を右折、突き当り辺りへ車停め歩いて探す。
細い道を進み、右折して進むと右手に(自転車専用道があり池の畔に車を停める)
坂荒神宮
x0226page
鎮座地:倉敷市児島稗田町
由緒、御祭神共に不明

21号南へ、稗田信号を右折し進み、適当な位置に車停め北側を探す。非常に分かり難いし、神社も祠だけと言う感じ
荒神宮
x0227page
鎮座地:倉敷市児島稗田町
由緒、御祭神共に不明

稗田西信号へ出た直ぐ左手に
不明神社
x0228page
鎮座地:倉敷市児島稗田町
由緒、御祭神共に不明

神社前の道を進み稗田西信号へ、右折して進み(276号)高速手前を右折して潜り西方向へ進むと前方に普通の民家?
荒神宮
x0229page
鎮座地:倉敷市児島稗田町
由緒、御祭神共に不明

稗田信号まで引き返し、更に東へ、最初の道を右折し進みと鳥居が、
稗田八幡宮
4042page
鎮座地:倉敷市児島稗田町1668
由緒:当神社の創建年月日は不詳であるが、昔は現在地の北方の山上に鎮座していたが、応永年間(1394年〜1410年)に現地に奉遷した。もとは畷の庄の産土神として鎮斎せられていた。池田勝入斎若殿が献備された社号額や、池田藩の奉納された御定紋の御幕などから、藩主の崇敬の篤かったことが偲ばれる。大名の参勤交代の時、此の宮下で休憩又は止宿して代参した。特に土佐侯は参拝を恒例とした。
御祭神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后

神社前の道(276号)を東へ、7&11に車を停め歩いて東方向を探す(ここもナビでもないと難しい、車も通れないことは無いが歩いた方が無難)
荒神社
x0230page
鎮座地:倉敷市児島稗田町
由緒、御祭神共に不明

21号へ引き返し、旧児島線を南へ、中津山口信号の手前の信号を右折し進み突き当り左手の空地へ車停め歩いて(ここも分かり難い、距離もあり民家の間を抜ける必要あり)
大山神社
x0231page
鎮座地:倉敷市児島柳田町
由緒、御祭神共に不明

旧児島線へ引き返し、南へ進み、児島団地口信号を右折し進み広めの処へ車停め、歩いて北側へ
荒神宮
x0232page
鎮座地:倉敷市児島柳田町
由緒、御祭神共に不明

旧児島線を南へ、柳田西側口信号を右折(268号)して進み、右折して北へ進む、三叉路は右手に、突き当りの十字路を左折した突き当り
柳田八幡宮
4040page
鎮座地:倉敷市児島柳田町1013
由緒:当神社の創建は不詳だが応永年間(1394年〜1410年)の鎮座と推察する。もとは後方の上の山にあったという。池田藩主の崇敬があり、池田出羽守は毎年初穂を奉献していたという。慶長5年(1600年)改築の棟札がある。佐々井市衛門尉の造営である。また、慶長6年8月奉納の随身像2休が現存している。
御祭神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后

元へ戻り268号へ、北へ進み、直ぐ右折して進むと池の北側を通り21号を横切り進み、池の側の三叉路を右手、カーブしながら進むと高架を潜り、突き当りを左折、もう一度高架を潜ると右手に階段
素盞鳴神社
4062page
鎮座地:倉敷市児島上の町3-11-46
由緒:創立の年月は不詳であるが、当地の鎌田氏の先祖が出雲から勧請したといい伝えている。古来から鴻八幡宮の飛地の末社であり、上村(現在の上の町)の産土神として祀られていた。徳川時代は天王社または牛頭天王とも称えられていた。明治となって素盞嗚神社と改称せられた。
御祭神:素盞嗚命

南へ進み、上の町北信号を右折して進み、南西方向へ道なりに進むと21号の下を潜り進むと団地、その先右手に坂道と石碑
木野山神社
x0233page
鎮座地:倉敷市児島小川町
由緒、御祭神共に不明

前の道を進み、中山公園に入り、西寄りに進み、公園を出ると真っ直ぐに進み、三叉路は右に進み、次の三叉路附近に車を停め歩いて探す(ここも民家に囲まれた中)
天満荒神宮
x0234page
鎮座地:倉敷市児島小川6丁目6
由緒、御祭神共に不明

前の道を西へ進み、小さな川を渡り中山道なりに進むと突き当るので左折して少し進んだ辺りで車を停め北西を歩いて探す予定だったが適当に車を停める処が見当たらないので西側の池の方から廻り込み参詣する。(道はあるが草ぼうぼうで大変、集落からの参詣道は調べず)
荒神宮
x0235page
鎮座地:倉敷市児島味野上2丁目4−1
由緒、御祭神共に不明

川沿いの道まで戻り、川沿いに南へ、大正橋を右折し進むと直ぐ味野商店街入口右手奥に
和霊神社
x0236page
鎮座地:倉敷市児島味野2丁目3
由緒、御祭神共に不明

味野商店街へ入り直ぐ左折して進み、突き当りを左折、直ぐ右折、直ぐ左手に(歩く場合は問題ないが車はこの辺りほとんど進入禁止、右側の広い道を道なりに進み、味野小学校を廻り込み、野崎の庭園前に車を置き歩いて北側の神社を目指す)
天満宮
4036page
鎮座地:倉敷市児島味野2-5-3
由緒:当社の創建は応永14年(1407)といわれる。岩崎(巌崎)五郎左衛門なる者が阿波国三好郡より菅原道真公の神霊を奉戴し舟で尾首坂(字疫神上)というところに着いた。(舟が着いたところをこののち天神川というようになった)そこに神霊をお祀りしたが、その後文明4年(1472)に現在の鎮座地である柘榴浜(ざくろはま・磯辺)に移したという。本殿、一間社流れ造り。拝殿、明治15年(1882)再建唐破風付き入母屋造り。
御祭神:菅原神

前記神社へ行く途中『持寶院』に鳥居を見つけ参拝する
叱枳尼天尊(持寶院)
x0237page
鎮座地:倉敷市児島味野2丁目5−8
由緒、御祭神共に不明
稲荷信仰と習合し、今日、寺院の鎮守稲荷の多くは荼枳尼天を御神体とするようである。今後も適宜対応に

前方の道を左折して西へ進み、味野小学校へ、東側を南に進み、野上内科先を右折して進み、前方左手坂道を登り、直ぐ右折道なりに進んで行くと池のほとりに(倉敷鷲羽高校方向を目指す。)
荒神社
x0238page
鎮座地:倉敷市児島味野5丁目6−45
由緒:由緒、沿革は不明であるが、古来山田地区の守護神として祀られてきた。現在は、児島阿津に鎮座する。新庄八幡宮の境外来社の一つである
御祭神:素盞嗚尊

大正橋を東方向へ左手奥に。左折して進み左側へ廻り込むと境内に登る参道が
小川八幡宮
4041page
鎮座地:倉敷市児島小川2-2-28
由緒:当神社の創建は応永年間(1394年〜1410年)と伝えている。当時、村人の鴨井某が八幡の神を尊崇していた為に、旱天、洪水、地震等の難を免かれた。この為、村人が挙って八幡宮を崇敬した。そこで神社を建て氏神として祭るようになった。慶長5年(1600年)鴨井助右衛門が願主となって修復し、明暦年間(1655年〜1658年)、延宝年間(1673年〜1681年)にも修理を加えた由が棟札、記録にある。大正9年10月、神饌幣帛料供進指定神社にせられた。
御祭神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后
西側にも参詣道、少し北側にも稲荷社の参詣道がある、北側には車道が

天気も悪くなり、寒くなってきたので帰宅、21号を北上し2号線、岡山西バイパス経由で

神社廻り-玉野市北東より南西へ

昨日の続き、昨日とはコースを変え、浦安の広域農道を通り405号を経て30号線より22号を通って田井地区へ、田井駅口信号を左折して進んで行くと右手に『田井八幡宮』の案内左折して進んで行くと鳥居、先に車を停め歩い参拝、右手50m先と、登っていた先社務所の脇に駐車場がある。
田井八幡宮
4011page
鎮座地:玉野市田井5-12-30
由緒:当社は、玉野市田井尾上、十禅寺山南麓の内海を眼下に見渡せる静寂な地に鎮座し、田井・築港一円を氏子としている。元々田井地区は早くから開けた土地で、古くから神社があったといわれているが、創立年代は不詳。御神徳は『厄除』とされている。室町時代の田井の豪族、田井新左衛門信高(南北朝時代)の後裔佐々木筑前守久信が3度も夢で八幡様からのお告げを受け、この地に宇佐八幡宮から御分霊を勧請して神社を再建し神像を奉納した。本殿内部に文正元年(1466)丙戌11月15日願主佐々木筑前守源久信の墨書銘が有る神像を安置し、一族の繁栄と地域の発展を祈願したと伝えられている。その後、棟札によると寛文元年(1661)に本殿が改築され、続いて元禄12年(1699)幣殿、拝殿、釣殿が改築された。本殿は万延元年(1860)に入母屋造り檜皮葺きに改築、昭和61年(1986)銅版葺きに改築され、現在に至っている。拝殿は明治32年(1899)に建立され、その後内部の補修が行なわれている。随神門は明治18年(1885)の建立で、屋根瓦の補修が行われているものの、当時のままの状態が保たれている。本殿や幣殿、拝殿の廻りは大小様々な木々に囲まれ、荘厳な雰囲気が漂い、拝殿東には根回り約6メートル、樹齢700年と推定される樟樹(くすのき)がそびえ立ち、御神木とされ、天然記念物に価すると言われている。平成13年7月、拝殿斜め前に社務所が完成した。正月・節分・輪くぐり・大祭・七五三等の祭礼には参拝者も多く賑やかで、とりわけ、子供達が団体でお詣りする「節分祭」は、田井地区の風物詩にもなっている。くすの木が地元の新聞や県の広報紙にも掲載され、遠方からのお詣りの方も見られるようになった。また、十禅寺連峰へのハイキングコース入口付近でもあり、神社に参拝してハイキングに出発される方も多い。
御祭神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、品陀和氣命

最初のU字まで引き返し、海側へ降りる道を進む(玉野のイラストマップがある)V字に曲がって(十禅寺山登山口の表示)進むと74号へ出る
西へ向かって進むと田井八幡宮の看板、左折して反対方向へ進むと前方に鳥居が見える。

前の道を南へ進み74号を横切り南へ進むと鳥居が見えてくる。
塩釜神社
x0217page
鎮座地:玉野市田井3丁目25
由緒、御祭神共に不明

元へ引き返し74号を西へ、信号の先の道を左折し、川の手前を右折、ゆっくり進んで行くと塀に囲まれた路地の奥に鳥居
荒神宮
x0218page
鎮座地:玉野市田井3丁目14−4
由緒、御祭神共に不明

元へ引き返し74号を西へ、田井駅口信号を横切り、2本目の道を右折、3本目の道の先辺りに車を停め、歩いて住宅の裏側を探す。住宅の裏にあり非常に分かり難い。ナビを頼りにアパートの敷地を横切り参拝する。
天満宮
x0219page
鎮座地:玉野市田井4丁目5−21
由緒、御祭神共に不明

22号を南へ、前方左手のタンクの近くが神社、信号の先をUターンのように左折し、最初の道を右折、進んで行くと右手に鳥居、先に進みUターンしながら登って行った先に空地がある。地図上の場所には見当たらない。近くに住んでいる人が出てきて案内してくれる。タンクの先の階段を登った山の上、タンクを造った時移動したのかもしれないが大きな夫婦岩を祀っている。
和霊神社
x0220page
鎮座地:玉野市田井1丁目13
由緒、御祭神共に不明

22号を南へ、宇野駅東を右折、2つ目の信号を右折、2つ目の信号を左折して直ぐ右手に神社
築港八幡宮
x0221page
鎮座地:玉野市築港1丁目8−3
由緒、御祭神共に不明

元へ戻りR30号を西へ、ループ橋南で左折し、信号、歩道橋の直ぐ先を左折し、進み宇野小学校前に鳥居があり、西側に境内へ入れる車道がある。
宇野八幡宮
4010page
鎮座地:玉野市宇野2-30-1
由緒:当社は元藤井大生浦(現在藤井稲荷神社のふもと)に鎮座し、宇野村の鎮守とて、又村民の心のよりどころとして崇められ、特に農海運業の守護神として祭られていた。創立年暦は不詳であるが、寛文6年(1666)備前国内の小社を寄宮となされた時、産土神として残された社にて、享保3年(1718)この地(寛文6年寄宮となった御崎宮の跡地、小丸山、現軽島)に奉遷された。その後、安永4年9月(1775)と天保3年4月(1832) に屋根の葺替が行われ、明治13年には桧造の本殿も建設されたが、昭和14年11月随神門を残し、不慮の火災にて全焼し、翌昭和15年、氏子崇敬者の寄進や奉仕により再建され、昭和17年竣工されたものが現在の社殿である。その折、境内も整備され神社運営の基礎を固めた。終戦後、世の中の安定するに随ひ、昭和42年本殿の屋根の葺替が行われ、氏子崇敬者と当社の結び付きの一翼として昭和47年社務所の増築がなされた。昭和59年「八幡宮」 通称「軽島八幡宮」を氏子地域との一体化を図るため「宇野八幡宮」と改称し、宇野・藤井・新地地区の鎮守として、また、国家安泰や家内安全・厄除開運・交通安全・当病平癒・農海運業の守護神として信仰を深めてる。
御祭神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后
下記から引き返し参拝するが、工事中と一方通行が多く、早めに車停め歩いて参詣する。

実際は工事中のため入り難く一本先を入り、南方向へ行き過ぎる。左手山裾に寺院か何かはたまた神社かと言う建物あり、よく分からないが参詣する。新興宗教は出来るだけ避けるつもりでいるが
円応教玉野教会(中山荒神)
x0222page
鎮座地:玉野市宇野2丁目25−1
由緒:当地に年代不明なるも古くから御主神「素戔嗚尊」を奉祀して居り古老の言い伝えによれば安政年間より地元民の悪病退散霊験あらたかなる神として参詣する者顕著で境内地に通称バベなる樹の疎林あり神聖なるものとされ、これが樹を損傷したる者には直ちに神罰を受けるものとされていたとか
その後一時参詣も絶えとなっていた処、昭和の代に入り在る夜神が地元民某に荒神を再興せよと夢枕にあり信者相謀り新たな祠を建立しその後病気平癒の神として御主神「素戔嗚尊」の霊導により新たな目的が確立され昭和十二年九月に結社中山荒神報恩会として神発足し昭和二十八年十二月二十三日「宗教法人中山荒神報恩会」認証され現在に至っている。
御祭神:素戔嗚尊

430号線へ出て工事中で通行できないが、カードマンに頼み川沿いを左折して進むと右側に神社
荒神社
x0223page
鎮座地:玉野市宇野7丁目6
由緒、御祭神共に不明

どうも玉野市の位置関係がはっきりと分からないので430号を南西に進み、トンネルを抜けて進んで行くと前方に神社がみえる。北側の市民会館へ車を停め参詣する。
玉比め神社(玉比咩神社)
4009page
鎮座地:玉野市玉5-1-17
由緒:当神社の境内に巨岩がある。口碑によれば古来から霊岩であると尊崇し諸人之を玉石と称へていたが、中世に至って立石と称され崇拝したと伝へられる。これは、神籬磐境の祭祀の形式にして当神社の起源である。創立年代は不詳であるが、貞観5年9月25日、太政官府所見の国内神名帳の一つである備前国神名帳の内、総社本(綿抜本)に児島郡に座す11社の内「玉比め神社賀茂郷玉村座」とあり、山本氏本(應永本または八日市本)並びに西大寺本に「児島郡座9社従四位上玉比売明神」、神上金剛寺本に「児島郡11社正四位上玉比め明神」と記載されており国史の中に記されている。徳川時代歴代藩主の崇敬篤く元禄元年池田綱政、享保19年池田継政が相次いで寺社奉行に命じて社殿を修復した。神威殊に顕著であり古来から郷土の守護神として崇敬を集め氏子は言うに及ばず近郷近在から参拝する者常に絶へる事がなかった。創祀以来社号は度々変遷し、中世には玉比め明神、近世に至っては八幡宮と称したが明治2年旧号玉比め神社に復した。明治40年9月27日神饌幣帛料供進神社に指定された。現在の社殿は本殿を除き昭和2年の改築によるものである。昭和27年宗教法人として神社本庁の包括神社となり現在に至る。
御祭神:豐玉姫命

先の神社の裏の山の中、神社から見えるし、階段と手すりが付いている。
臥龍稲荷神社
x0224page
鎮座地:玉野市玉5丁目
由緒、御祭神共に不明

R430号を進み、渋川信号を左折、適当な所へ車を停め、海水浴場の外れへ。シーズンオフではあるし車は何処でも。駐車場の北側へ入り、北の山を見ると赤い鳥居が、この辺りに車停めのんびりと歩いて参詣(ホテルの第2駐車場が一番近い)
渋川八幡宮
4008page
鎮座地:玉野市渋川2丁目5−3
由緒、御祭神共に不明

不明稲荷神社
x0225page
鎮座地:玉野市渋川2丁目
由緒、御祭神共に不明
ちょっと集中して神社廻り、「少し控えるか?」と思いつつ帰宅 

神社廻り-秀天橋から八浜へ

今日は以前の通勤コース、R30号を藤田地区まで、会社の南の信号(錦六区入口)を右折、次の信号を左折し進んで行くと右手に神社車を停め参拝、会社時代は初出勤時、必ず団体で参拝していた。氏子が多いのか益々立派な神社になっている感じがする。
藤田神社
4055page
鎮座地:岡山市南区藤田509-3
由緒:明治45年実業界の偉人藤田伝三郎翁による児島湾干拓の大事業が行われ、藤田村が誕生した。当社は、その藤田村に村民の信仰の中心として大正4年2月、児島湾神社として創建されたが、後に藤田神社と改称した。境内地の諸設備は藤田組の寄付によるものである。大正15年2月神饌幣帛料供進神社及び村社に指定された。昭和57年氏子の寄進により本殿、幣殿、拝殿の大改修と社務所の新築を行った。
御祭神:豐受大神、大國主命、少彦名命

直進して267号、左折して進み興陽高校前信号でR30号へ、倉敷川渡って南区役所口信号を右折、直進、サウスヴィレッジ前を過ぎ、線路を越え、灘崎小横を右折、直進し老人憩の家の看板で左折、少し先、右手に神社
別浦海神社
4057page
鎮座地:岡山市南区灘崎町川張889
由緒:本神社は延宝4(1676年)年9月6日の創建で、社号を別浦海龍王と称えていたが、明治2年5月に別浦海神社と改称した。明治4年9月16日に本殿を、明治30年4月に拝殿を改築している。昭和2年11月に神饌幣帛料供進神社に指定せられた。
御祭神:少童神、天宇受賣命

前の道を山方向へ進んで行く、神社の途中に秋葉神社の標識(手前の三叉路附近に車を停め)かなり手前に車を停めたが、坂道を気にしなければ何処でも停められるほど道幅は広い。
秋葉神社
x0213page
鎮座地:岡山市南区川張
由緒、御祭神共に不明

元の道を引き返し、左折した処を左折して西方向へ進み、広めの道で線路を越え、線路沿いの広い道を進む(22号)を西へ、彦崎郵便局先の道を左折、線路に出会うと左折、踏切を渡り左折、突き当たりを右折南下、ずっと進む、カーブミラーに天神社標識、左折すると前方に鳥居、北側に車道がある。(慶岸寺(岡山市南区彦崎773)を目指す)平日にもかかわらず結構対向車に出会うがそんなに苦労するほどではない。鳥居の脇に車道と駐車場用の道があり、最初から疲れるの嫌なので車で
天神社
4056page
鎮座地:岡山市南区灘崎町彦崎755
由緒:当社の創建は文永年中(1264~1274)に林常住院宣応法印が勧請した。当時は天満天神宮と称した。応永年中に修復を行った。文明13年常住院宣胤僧正が再建した。建武2年11月慶尊作(後醍醐天皇1335)の獅子狛犬一対及び文明13年5月(後土御門天皇1481)の棟札が社宝として現存する。現在の御本殿建立は、天保13年(1842)である。口碑によれば、その昔御祭神の霊験あらたかにより信州様、即ち藩主池田信濃守(寛文年間1665頃)或は天城藩主池田侯(1710頃)の崇敬厚く、度々家来大勢を従え行列を立て現在の天神山の裏山道(当時唯一の登山道)から御参詣があったと伝われている。藩主信濃守高は10石を寄進した。御鎮座以来彦崎村の産土神として、彦崎一円を氏子として、更に灘崎町一円、興除村の一部、茶屋町、藤戸町等を崇敬者地区としてこの天神山に鎮まっている。
御祭神:菅原道眞

22号を引き返し、22号が左折する信号を右折直進して線路を越え、少し先の広い道を左折、直進し、トマト銀行右折奥、ここで面白かったのは線路を渡った先にある信号、直進・右左折とも×印、順番に矢印に替って行くのだが×の状態が長い、道幅を見れば仕方ないのか。神社の前も車は停められるが、行きすぎたため神社の先にある『市立灘崎町公民館迫川分館』に停める
御崎神社
4059page
鎮座地:岡山市南区灘崎町迫川871
由緒:創建年月は不詳であるが元暦年間(1184年〜1185年)に奉斎せられたという。もと、京殿という地に鎮座していたが、何時頃か現在地に奉遷したという。常山城主上野高徳が崇敬した神社で、また池田侯も崇敬した。旧本殿は享保9年(1724年)に建立。後、大正6年11月改築した。昭和2年9月、神饌幣帛料供進神社に指定せられた。
御祭神:大國魂命

先ほどのトマト銀行前の道を進んで行くと『宇藤木』の信号で右折してR30号に、秀天橋信号を左折して狭い人家の道を進み、右折して山際を進むと右手に鳥居が見え、その前に私有地かもしれないが空地がある。ここから結構な距離を登る必要がある。杖が置いてある処はやはりある程度の覚悟が必要。(簡単に行けたように記載したが本当は橋を渡る手前を曲がり車を置いて参詣、30号線近くまで全く橋が無いので間違えると大変だった。)
素盞鳴神社
x0214page
鎮座地:玉野市槌ケ原
由緒、御祭神共に不明

同じ道を進んで行くと右手に石灯篭、三叉路を右折して進むと神社前へ、この辺りに車を停め、南に進むと参道口(405号)
八幡宮
x0212page
鎮座地:玉野市槌ケ原2022
由緒、御祭神共に不明

405号へ北東へ進み、更に東へ進んで行くと線路脇に『硯井の井戸』手前の路肩に車を停め参詣する。(手前に玉野歴史街道案内図あり)
硯井天満宮(天神宮)
4024page
鎮座地:玉野市八浜町大崎169-1・170
由緒:当社は、文暦元年(1234)10月創建。菅原道真公が大宰府へ左遷の際、この地にお立ち寄りになったとき、海中の清水をとって硯水にお用いになったので、硯井天満宮と呼ばれる。この清水を取られた岩を俗に「ゲウノダン」という。また、海中に清水の湧く井戸があって「硯井の水」という。 文教の神として霊験あらたかである。
御祭神:菅原道眞

東に進み405号へ、Yショップ先を右折、進むと石柱、脇に車道があるので車で、先に整備はされてないが駐車場がある
大崎八幡宮
4023page
鎮座地:玉野市八浜町大崎1930-1・1931
由緒:この宮山は、その昔、島であって潮流がはやく渦ができたため、土地の人は渦の宮とも称した。昭和三十二年、現在の第一鳥居より百メートル北方の干拓地用水路から宮島のような両部鳥居の両脚の下部が発見された。発掘した結果、平安末期に海中に立てられた鳥居であることが明らかになった。この事実と文献などから、島に祭られた社は平氏の氏神としてまた海神として栄えたことが想像される。
宮山一帯に群生している椎の古木は近隣にはなく珍しいものである。
御祭神:不明

北東へ405号進み、光南高校先右手に
宇喜多與太郎神社
x0215page
鎮座地:玉野市八浜町大崎
由緒、御祭神不明

405号進み、信号を左手に、45号北へ進み信号を川沿いに中程を左折、奥に。中ほどの橋の近くの広い場所に車を停めて歩いて参詣(突き当りの鳥居の奥に駐車可能、確認はしてないが、北から西を廻り南からの車道がある-両児山公園)
八浜八幡宮(快神社)
4025page
鎮座地:玉野市八浜町八浜1092
由緒:当社は、元川の出雲谷にあったものをその後現在地に移転したもので、創建年月日は不詳であるが、現存する最古の棟札によると応永34年(1427)12月27日とあるので、それ以前に創建されたものと思われる。
 この棟札他2点が玉野市重要文化財に指定されている。池田藩主が代々に亘って崇敬した神社であり造営、修繕、社領、代参、寄進等を行った。池田継政公直筆の絵馬が現存している。
御祭神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、仁徳天皇
海(北側)からも廻り込んで見る。

405号を進み八浜小学校前、直進しゴミステーションを左に入った奥(分かり難いので、タブレットのナビを使用し見つける-405号に車を停め山際を探して歩く)
若宮八幡宮
x0216page
鎮座地:玉野市八浜町波知
由緒、御祭神不明

何か胃の調子が悪い、まだ少し早いが帰宅、帰り道は広域農道を通り帰るがコースをよく検討すれば意外と早く帰れる?

神社廻り-児島半島

今日も非常に寒い、風は強いが天気はよさそうなので妻の実家近辺、児島半島を巡る
いつも妻の実家への帰り道旭川土手を南へ、橋を渡って金甲山を目指す。金甲山へ行くのは何十年ぶりか?
いつも左折している処を直進、先に進んで金甲山方向、金甲山まで登り、駐車場に車停め歩いて探す、少し降りたUカーブの処に北側に参道の標識があり。結構急な道を降りて行く、今日は少し濡れていて危なかったが結構整備されているが、距離は結構ある
金刀比羅神社
01023page
鎮座地:岡山市南区郡2514
由緒:由緒、創立年月日は不詳。古老の口伝に嘉永以前(1848年以前)に、讃岐金刀比羅の神を勧請し、甲之峰山頂に小祠を建立したことに始まると言い伝えられている。
御祭神:大物主命
麓からの参詣道あると思われるが、車が上にあるので降りて探すのは止めた。

金甲山の建物の上に
金甲山の神籬(祭祀遺跡)
x0204page
鎮座地:玉野市八浜町波知
由緒:ここは、「ひもろぎ」または「神籠石」「いわさか」と呼ばれる祭祀遺跡です。原始時代の人々は、山や川、岩、大木、洞窟などを神聖なものとしてあがめ、恐れ、これらを信仰の対象としてきました。児島第一の霊山といわれた、ここ金甲山の山頂にも自然石を祭壇として神を祀っていました。神峯(こうのみね)神社が祭られている岩を取り巻くように直系4メートルほどの環状に小石が置かれ、さらに、この岩から東南へ20メートルほど下がったところに、幅1メートル、長さ2メートルほどの「拝石:おがみいし」といわれる平坦な石がある。この石の下手に20人ほどが集まれる広さの平地がある。ここは、その石に「吉備の児島、又の名を建日方別:たてひかたわけ」を迎えて祭り、村の人々は拝石に色々な供物をして祈ったという原始信仰の名残りだ。
御祭神:天神地祇の神様

金甲山を下り、217号を下る。上山坂の集落、附近に車停め歩いて西山際へ、強引に集落の北外れを目指して進むが段々畑になっており参詣するのに苦労する。コンクリートの白い道を登って行くと簡単に参詣できる。
荒神宮
04028page
鎮座地:玉野市上山坂836
由緒、御祭神共に不明
神社の南側に登って行く道があるよく分からなかったので引き返したが、帰って調べると『金比羅宮、玉野市上山坂』後日挑戦することに

217号へ戻り南へ、ゴルフ場入口を入り、中ほどを南へ降り、ぐるっと回った、左手(車を停めて)
荒神社
x0206page
鎮座地:玉野市梶岡
由緒、御祭神共に不明
ほとんど壊れかかっている。

ゴルフ場へと進んで行く、ゴルフ場の端を進んで行くとゴルフクラブの先に『郷社胸上八幡宮』の標識、進んで行くと神社の裏手へ至る。この神社は女房と結婚したての頃、両親と奴の行列を見に行った記憶あり。印象に残っているのは茶髪の若いこと、年配の人との喧嘩、そして双方をなだめている困った顔の人、今では珍しくも無いが当時では?
郷社胸上八幡宮
04031page
鎮座地:玉野市胸上1503
由緒:文明年間初期ころ(1470年ころ)九州、宇佐から勧請したと伝える。鎮座地は展望が良く、中世の城址とも考えられる聖地である。社殿は80余年前に鉄筋コンクリート造りにされたことは、この土地が海辺で進取の気象に富んでいる証拠といえる。
御祭神:譽田別尊、足仲彦命、息長帶姫命、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、飯依比古、飯依比売
ゴルフ場入口まで引き返し、217号を南、74号を左折し、カーブの先を左折進んで行くと『胸上公会堂』その先に

交差点まで引き返し、新しい74号(海側)を南へ走り、ボート係留の先左手に神社
塩竈神社
x0207page
鎮座地:玉野市東野崎
由緒:天保九年(一八三八)の塩田開発に際し、陸前塩竈神社(現:宮城県塩竈市)から勧請された。現在の拝殿は、昭和三年(一九二七)の竣工で、職人が丹精を込めて造った様子が唐破風や彫刻の意匠から伝わってくる。境内には、幕末期の石造灯籠・鳥居・狛犬や、東野崎塩田の碑などが立ち並び、この地が塩田開発と共に歩んだ歴史を感じることができる。稲荷神社については、十番浜から奉還したものである。
御祭神:不明

74号を先に進んで行くと右手に広めの道、右折して旧74号へ右折して引き返すと前方左手に丘、手前に車停め参拝する。
四御神社
x0208page
鎮座地:玉野市山田
由緒、御祭神共に不明
 
旧74号北へ進み、山田小学校信号を西へ(405号)、前方右手に老人ホーム手前を右折し進み、十字路を直進進んで行くと鳥居
水守神社
04032page
鎮座地:玉野市山田856
由緒:当社は 宝歴10年辰5月に記した山田村詞官、近藤数馬、同村名主甚吉の旧記によれば、「往昔古宮の地に御貢蔵並びに御殿を建て公家方御下向があった。隣国の貢物を収納することが長く続いたが、何時の頃からか御公納の儀が取り止めとなった。その節に御公家から水守大明神と額書された御神像一体の奉納があり、氏神と尊ぶ御遺命により、御殿をそのまま社殿とし、御蔵を長床にもちいて奉斎した。」とある。尚社領田2段余りをこの時に寄進された。当時の社殿は草葺きであり、年を経るに従い老朽化が進み、最後には鳥居だけとなったが、元亀年中に当所城主三宅源左エ門行俊が社殿を再建したが、城主の城は天正年中に落城した。その後、慶長年中に鳥居を盗賊に盗まれて船に積まれ、十町ばかり出船したところ、にわかに悪風がおこり、船人と共に打ち沈められ、その鳥居は今でも当村の沖にあると伝えられている。沓石は今もって古宮社地にある。現在、鳥居の社号額に刻字されている水守宮の字は井上彦六エ門の筆跡と伝へられ、神宮寺講の節は縁起その他書付等があったが、社殿が大破損したので、貞享5辰年今の現社地に移転し、古神地は田畑となり御年貢地となった。
御祭神:罔象女命

金光薬品東児店前の道を左折し進み、先にある道が幾本かに分かれている処は一番左手の道を進んで行き、三叉路を左側、突き当りを右折し、北西方向へ進むと池に出る池の先の三叉路を2回とも左折すると左手に鳥居。ここもどちらかと言うと集落の中の小さな神社
西田井地荒神社(荒神宮)
04030page
鎮座地:玉野市西田井地545
由緒:不明
御祭神:素盞嗚尊

実際は途中(池に着く手前の見晴らしのいい道)で右手山際に見えた鳥居を目指し、北寄りにコースを変え、広めの場所に車停め探す。たまたま会った地元の人に聞くと「荒神様」とのこと
東田井地荒神社(荒神社)
04029page
鎮座地:玉野市東田井地517
由緒:不明
御祭:素盞嗚尊

217号を更に引き返し、右折して進み五差路(妻の実家と反対方向)北東へ斜めに入る、北方区民会館前に、よく分からないが天狗のお面が何故か置かれていた。
名称不明神社
x0210page
鎮座地:玉野市北方1626
由緒、御祭神共に不明

更に直進し、突き当りを右へ直進して進む、坂道登りきると小さな池へ、その手前の左奥(桜並木?)、ミカン畑の後ろに鎮座
淡島神社
x0209page
鎮座地:玉野市番田
由緒、御祭神共に不明

少し引き返し、黒い家の先を左折し進むと、川沿いに突き当る。左折して川沿いに進む。梶原電気店で広めの道へ、直ぐに左手の道に入って進むと鳥居(北方向にも参詣口が右側に車道も併設されている)
亀山八幡宮
04026page
鎮座地:玉野市番田1631
由緒:創立は寛文四年五月以前に温故に宮司の説で当山を遊亀山という。神功皇后三韓征伐の時御揚陸の際 大亀が遊び居たるを見、遊亀山と名付け給い、その時の二匹の亀が今の亀岩であると伝えている。村前に小島あり。此の時天気悪しき為舟がかりで此の島へ皇后が上陸され、三種の神器を御移したれば空晴れしに依り、以来この島を鉾島と称する由 古よりの語り伝えなれば、此の由緒により其の後 宇佐八幡宮を勧請して産土神と斎給いしなりと口碑に残れり。
御祭神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后

74号堤防沿いに走り、カーブの先を右手に入り、橋を渡ったら海側に、左手に進んでしばらくすると神社
小串方面から(池を過ぎた先の三叉路を東方向へ、港へ近い辺り)
相引天満宮
x0205page
鎮座地:岡山市南区小串
由緒、御祭神共に不明

予定している神社はまだ結構残っているが遅くなったので帰宅する。途中道沿いにある高嶋神社に寄って行く。
高嶋神社
x0211page
鎮座地:岡山市南区宮浦834
由緒、御祭神共に不明
児島湾に浮かぶ高島に鎮座の高嶋神社の遥拝所なので、本殿は無く、社殿の後方に注連柱が立っているだけ。

どうも日が暮れるのが早い、帰り道はいつも通り 

赤磐市神社廻り(東北方向)

今日は風は非常に強いが天気がいいので赤磐市東北方面を目指す。
まずは順当に県道27号より、直進して253号、中島信号の先右手に、何故か交通量が多く車停めにくいので車道を通って神社へ、道は問題ないが風の影響か道路に笹の枯れたのが倒れかかり、強引に進み車を傷つける。境内は広く車の駐車は問題ない。
皿田八幡宮
07024page
鎮座地:赤磐市日古木767
由緒、御祭神共に不明

253号を進み、最初の信号を(右手に小野歯科)右折、突き当りの手前を左折、直進し、多少カーブするも直進後の突き当りを左に(公園)、坂を降りかけの途中を右折Uにカーブして進むと254号へ、直進して横切り進むと、火の見櫓、変形で直進すると右手に酒屋、右折し進むと、前方に森と神社、手前を右折する。
見上神社
07089page
鎮座地:赤磐市弥上450
由緒:当社は石袖式円墳の前に鎮座している。古墳の礼拝所として発達した神社で、大きな花崗岩の大石がある。松田左近将監元成の臣であった「はっぱ弥五郎」がこの地に落ち延び大石に寄りかかって切腹し果てた。村人はその最後に同情して若宮として祀った。その神社が当社の創祀と伝えられている。三代実録に「貞観7年7月26日己巳備前国真加山神社・見上神社叙従4位下」とある。
御祭神:仁徳天皇、応神天皇、神功皇后

酒屋前まで引き返し、直進して北へ、道が一部広くなっている処の右手に森が、突き当り右手の広い場所に車停め参拝する。
驗田神社
07086page
鎮座地:赤磐市可真上784
由緒:当社は、字産土山にあり主祭神は驗田明神で、中途、王(正)八幡と称した。また、式外神社預國幣105社の内従五位上を授かった。本殿は一間社流造本瓦葺である。末社には「稲荷」「海神」「天神」の三社を祀っている。境内には備前焼の狛犬を置く。
昭和3年神饌幣帛料供進神社に指定され、村社に昇格した。10月の例祭日は、地元有志による飲食物の露店が出る。また、子供たちは地区内を神輿を担いで練り歩き、一日中賑やかである。
御祭神:驗田乃神

曲がった処まで引き返し北上すると254号と出会うので北東方向へ進むと403号へしばらく進むと熊山IC、白い建物、少し進むと左手石燈篭が見られる
不明神社跡
x0200page
鎮座地:赤磐市可真下
由緒、御祭神共に不明

更に進むと白い建物(セイテック)手前を左折突き当りに鳥居と神社がある。
於奠神社
07084page
鎮座地:赤磐市可真下523
由緒:当神社の主祭神は於奠大神で、御神徳は「安産祈願成就と家内安全」である。摂末社に「稲荷神社」「住吉神社」「天満宮」を祀っている。旧号は於奠神社、中古以来王八幡宮、明治2年正八幡宮と称したが、翌3年もとの於奠神社に復称した。一の燈籠からほぼ真北に360メートルの直線道路があり、これが神社の鳥居正面に向かっている。このように長い直線道路が神社正面に向かっている形態は、備中一宮(吉備津神社)と同じ配置であるともいわれている。昭和初期までこの直線道路両側に見事な植松があり地元の人は「馬場の植松」と呼び地区中央にあった一本松とともに可真下の心の拠り所、誇りであり、「下真の植松」として近郷に知られた美しい景観であった。この植松も一本松も終戦後松食い虫のため枯死してしまったのが惜しまれる。秋季例祭は10月21日に行われる。午前10時から神事の後、氏子による神輿が地区内を練り歩く。また、午後2時からは子供相撲が奉納される。12月には住吉神社祭が行われ、参拝者には身体が心から暖まる甘酒がふるまわれる。四季を通じ、地元氏子の心の拠り所となっている氏神様である。
御祭神:於奠神、仲哀天皇、応神天皇、神功皇后、底筒男命、中筒男命、表筒男命

1つ手前を左折し少し進むと右手に石柱、更に奥の民家の裏、どうもよく分からない、単なる個人が名乗っているのか?Google Mapに載ってなければ興味なし。
x0201page
矢田嘉美男(神社)
鎮座地:赤磐市可真下452
由緒、御祭神共に不明

元へ戻り403号を東へ進み、突き当りを左折(258号)進んで行き、佐古標識で左折して橋を渡り進むと右前方に鳥居が見える。真っ直ぐ進み、集落に入って直ぐの広い処へ車を停め、神社を目指し北方向へ進む。鳥居は見えるが道が無く田んぼの中を進む。(帰り道で分かったことだが、最初の道を右折、曲がりながらも進んで行くと神社の裏側へ(佐古公会堂))
八幡和気神社
07081page
鎮座地:赤磐市佐古685
由緒:延暦三年(784)に和気清麻呂公が、豊前国宇佐八幡宮を勧請して創建した。備前総社神明帳に記載の式内外古社一二八社の一で、古来石生郡総鎮守祈願所であった。和気清麻呂卿の第五子真綱が宮司となり、その子孫代々が宮司として近世に至り、縁故者相継ぎ現在に至っている。備陽国誌に浦上正宗が田地五町八反を寄進、天文年間(1532〜55)に小野田城主の祖先小野田宗右衛門尉茂行が社殿を再興、寛文七年(1667)に池田光政公が鳥居を寄進したとあり、その棟札が現存している。本殿は元和九年(1623)・明暦二年(1656)・寛文七年(1667)に改築した。社名はもと八幡和気神社と称したが、中古に八幡大菩薩和気宮又は八幡宮と称し、明治二年に八幡和気神社に復称した。
御祭神:仲哀天皇、神功皇后、応神天皇

258号へ戻り、左手池の先、右にカーブしている処を直進、最初の道を左折し進むと道路の下を潜るトンネルを進み、左折すると前方に鳥居と広場
八幡和氣降居神社
07080page
鎮座地:赤磐市岡608
由緒:創建年代は不詳である。往古は王子権現と奉称したが、明治三年に八幡和気降居神社と改称した。本神社は旧熊山町佐古に鎮座の八幡和気神社降居の宮であったと伝えている。明治四十年九月十三日に山林一反九畝二十八歩を境内に編入した。
御祭神:天兒屋根命
美作岡山自動車道が走っている直ぐ側、県北でも同様な自動車道が走っていたが

258号がカーブした処まで引き返し、258号を進んで行くと、下の自動車道のトンネルの上を少し過ぎた辺り右側にV字の坂道、この辺りに車停め歩いて参詣する。参詣して分ったが車で神社の側と広場へ通じている。地区の人が桜の植林をしている。
水分神社
07082page
鎮座地:赤磐市酌田651
由緒:創建は安永元年(1772)以前、子守八幡宮と奉称した。社地は一町二畝。右者池田家蔵書備前国神社書上帳を写した。本社屋根葺替・拝殿建立は安永八年(1779)十一月。本社葺替は文化八年(1811)五月、文政十年(1827)三月、天保五年(1834)四月。手水鉢奉献は天保五年四月。本社葺替は安政三年(1856)四月。随身門建立は明治十一年。屋根葺替は大正十二年五月。石段及び鳥居建立は昭和六年五月。拝殿改築は昭和九年四月。随身門の改築は昭和二十一年五月。本殿屋根の葺替は昭和二十四年五月である。
御祭神:ひ爪神、天之水分神、國之水分神、応神天皇

更に進んで行くと佐伯峠で53号に突き当る、直進する道がある(通行止めだが簡単に動かせる)、500m程度進んで行くと右手に白い手すりが、更に進んで行くだ別段何もないので引き返し、手すりの処を登って行くが、神社まで山の中の道を結構な距離進む。ナビが無いと不安になる。
津野屋八幡宮
07041page
鎮座地:赤磐市北佐古田1140
由緒:創建年月は不詳。宝暦12年に御本殿を建立した。もと津野尾八幡宮と称したが、明治2年に八幡宮と改称した。
御祭神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后

53号を西へ進み、坂道を少し降りた処の集落右手に石燈篭と石碑、地神様らしくよく分からない
地神宮
DSC_1007
鎮座地:赤磐市北佐古田
由緒、御祭神不明

更に53号を西へ進み、道が少し広くなった辺り左手に道がある先に細い坂道と鳥居、車停め歩いて、登って行き最初の道を右折し、山の中を進んで行く降りた先にアスファルトで整備された道と神社が見えてくる。(車で坂道を登り、最初の道を右折して進めば左手に)
宗形神社
07040page
鎮座地:赤磐市北佐古田875
由緒:創立年月・由緒不詳。
御祭神:不明

53号を西へ進み、右手に庭園業者の土地がある処を左折、山際を東に進んで行くと右手に石柱、近くに車を停め歩いて山道を、かなりしんどい!枯葉の積もった山道を登って行く感じで進む、遂に帰り滑って転ぶ。(池まで進むと行き過ぎ)
天津神社
07037page
鎮座地:赤磐市南佐古田350
由緒:勧請年記不詳、旧名旭明現(文政七年の棟札)、明治二年天津神社と改号
本殿:流造一間社、明治十四年建替、末社:稲荷社、荒神社
御祭神:天御中主尊

53号を西へ進み、右手に『吉田運送』のスレート建物その直ぐ先の道の奥に鳥居
天津神社
07043page
鎮座地:赤磐市今井1324
由緒:創立年月等不詳。
御祭神:不明

53号を南方向へ進んで行くと前方左手に『~の森』の表示(ワイナリーの次の道)、左折して進むと、左手に鳥居、更に先に進むと西側の参詣道に通じる。
福井神社(天地神社)
07039page
鎮座地:赤磐市東軽部1726
由緒:当社の創建年月は不詳であるが、本国総社神名帳に「天地神社」大滝本に「正五位天地大明神」と記載してある。
備前国の式内外128社の1社である。淡路国の岩屋村の天地大神宮と同神と言い伝えられている。
 江戸時代には、福井八幡宮と呼ばれていた。棟札・社記によれば、天文11年(1542)備前に侵入してきた尼子の軍勢によって焼失し、天文16年(1547)に再建されている。
御祭神:伊弉諾尊、伊弉冉尊

53号より赤坂レイクサイドゴルフの南側山際の先と言う意識で上記神社前の道を、南西を目指し、広めの道を通り進んで行くと53号より東に進む道に突き当る。しかも直ぐ近くに地元の人三人に出会う。聞くと最近聞かれることが多いみたい。しかも車で行くことも可能とのこと。説明通り進んで行く。53号から3本目の道を左折し、進み最初の三叉路を右折、突き当りを左折し山際を何処までも進んで、山の中へ進ん行く。
実際はその通りなのだがまず、此の処の大雨の影響か道が崩れており、しかも野生動物避けの電線が張り巡らされている、しかも何本かは倒れ掛っている。しかも最後の坂道は溝が切ってあり小生の車ではお腹がつかえ通行不能、結構しんどいが最後は歩く。最後は修験場見たいに何か厳かな処へ至る。
大石箱疊神社
07042page
鎮座地:赤磐市東軽部1459
由緒:本神社の創建年月は不詳であるが、本国総社神明帳に「大石箱畳神社」、山本氏本に「従五位下大石箱畳明神」と記載してある古社である。正殿は大石箱畳と云う大盤石を御神殿とし、或は御神体として奉斎した旧例がある。
御祭神:不明
四駆なら別だが車は避けた方が賢明、最も歩くとかなりの距離があるが

以前行き忘れていた神社へ、元へ引き返し、53号から27号へ出て北へ、左に曲がる手前右手奥、強引に車を勧めるが、27号へ車停め歩く方が無難である
熊野神社
x0203page
鎮座地:赤磐市多賀
由緒:紀州熊野神社より勧請したと云う勧請年記不詳、旧名王子権現
本殿、春日造一間社、末社二社
御祭神:家都御子神、熊野速水玉神、熊野夫須美神

27号より左折して364号へより、集落へ少し入った北側に石柱(車を置く位置が問題なので27号へ置く)この神社も山の中へ入ってかなりの距離を歩く。本当にナビが無いと不安になる。
鴨布勢神社
07036page
鎮座地:赤磐市多賀1610
由緒:本神社の創建は元禄8年3月で、備前国式内外古社128社の1である。明治4年2月に天津神社と改称したが、明治6年にもとの鴨布勢神社と改称した。
 現在の社殿は、元禄8年3月の建築で、古来旱魃の時に、雨壺に水を盛り祈雨祭を執行している。
御祭神:水分神

364号、27号下り帰宅
ギャラリー
  • 神社巡り-市内小神社+α
  • 神社巡り-市内小神社+α
  • 神社巡り-市内小神社+α
  • 神社巡り-市内小神社+α
  • 神社巡り-市内小神社+α
  • 神社巡り-市内小神社+α
  • 神社巡り-市内小神社+α
  • 神社巡り-市内小神社+α
  • 神社巡り-市内小神社+α