岡山県内神社巡り(メイン)

片っぱしらからの神社巡り

2015年04月

神社廻り-苫田郡鏡野町

午前中に家を出て、途中の幾つかの神社を参詣しながら苫田郡鏡野町の苫田ダム方向を目指す。コースとしてはR53号から159号-70号で北上、R181号で右折して進み、R179号で左折して北方向へ進んで行く、奥津温泉から人形峠まで進みたいがまず無理だろう。
R53号を北へ進み、久米南町弓削駅を過ぎた先、進み下弓削陸橋の先を左折して進み、カーブした先の4差路を右手坂道を登って進んで行くと右手に鳥居、手前の路肩へ車停め参詣、-前の道を進み、前方でV字に進むと駐車場
厨神社
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鎮座地:久米郡久米南町上弓削224
由緒:本神社は和銅6年4月に弓削村池尻に御鎮座になり、弓削庄の二宮大明神と崇められ、弓削庄三社の一である。延宝5年9月、領主森長成の命により現在地に遷座した。作陽誌によると往古中山神社の御饌神として15座30名の宮座による特殊神事があった。本神社の氏子は旧弓削庄27か村であったが、現在では上弓削・下弓削・西山寺の3か村である。明治2年厨谷神社と称し、明治6年村社に列格して厨神社と改称。同14年郷社に列格。同44年神饌幣帛料供進神社に指定せられた。
御祭神:宇氣母智命、譽田別尊、言代主神

R53号まで引き返し誕生寺駅の手前左手奥に鳥居、右手に進み神社右手に駐車、この道を進むと駐車場
稲岡神社
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鎮座地:久米郡久米南町南庄52
由緒:当社の創建年代は不詳であるが、斉明元年正月紀州熊野社から当地に勧請して南王子権現と称したと伝えられている。旧稲岡南荘は熊野三所権現の旧社領で縁が深い。(旧記によれば当神社には古くから修理田一町歩があった)宝暦4年、森対島守が宮を寄進、寛政元年土井大炊頭が屋根葺き替えを行った。明治元年稲岡神社と改号。同6年村社に列格。同41年熊野神社、若宮神社を合祀。大正2年神饌幣帛料供進神社に指定された。昭和6年4月郷社に列格。また、修理田一町歩の作頼り人16名を座方と称し、代々大祭には御神酒をお供えし、祭礼全てを取り仕切っていた。現在は5名が残り、大祭には3升餅をお供えし、祭の主要な役を務めている。
御祭神:神日本磐余彦命、伊弉册尊、事代主尊、大己貴尊、奥津姫命

R53号へ戻り、R53号を進み、誕生寺の信号を左折川を渡り左折した直ぐ右側、適当な場所が無かったので三叉路中央が一番邪魔にならないと思い車を置き、歩いて参詣、帰ってくると警官が、近所から苦情が出たらしい、謝り出発-そんなに邪魔になるとは思わなかったが失敗、参詣する人はどうしているのか
加茂神社
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鎮座地:久米郡久米南町里方676
由緒、御祭神共に不明

R53号へ戻り『中島ブロイラー』見るがまだ開いてない、前回買えなかったもも肉を買うつもりだったが駄目、53号を進み先の少し広めの道を左折し直進した右手に、前と横に駐車スペースあり
西幸神社
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鎮座地:久米郡美咲町西幸1730
由緒:当社の本殿は「美作国神社資料」によると寛永11年の建設である。「作陽誌」及び「美作国十二社記」によると、加美郷での古社であり、羽出木、金堀、西幸、頼元、里方、北庄、山手、上下山城、新城村の総社であった。「久米郡誌」によると、王子権現等の社号を立てたのは浮屠氏が社職に関係以後のことで、上古の社号は知ることができないが、明治元年大宮三社と改称し、更に同6年西幸神社と改称して郷社に列格した。明治40年5月29日神饌幣帛料供進神社に指定された。
御祭神:大穴牟遅尊、少彦名命、須勢理姫命、大山祇命、句句廼馳神、奥津彦神、奥津姫命、軻遇突智命、八衢彦神、八衢姫神、久那斗神、菅原道眞

R53号をどんどん北上し、亀甲を過ぎた美咲警察署先(打穴中)から159号-70号で北上、川を渡って錦織地区に入って、分かり難いのでゆっくりと走り『有本商店』の先信号を左折して進むとR181号で右折して進み、Y字路を右手に進んで行くと右手に広場と社広場に車停め
荒神社
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鎮座地:久米郡美咲町錦織
由緒、御祭神共に不明 

神社前の道を西へ進んで行き、前方十字路を左折して進み道なりに直進して進むと右手に、前に空地あり
錦織神社
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鎮座地:久米郡美咲町錦織1431
由緒:当社は、秦氏の祖霊社として、欽明天皇の御代、錦織古宮跡に建立されたのが創始で、その後、崇道天皇を始め素盞嗚尊を併せ祀っていたが、寛文7年、領主森長継公の臣、喜代須源右衛門が主命に依り、現在の地に奉遷した。
 明治6年  村社に列格
 明治11年 21社を合祀
 明治40年 神饌幣帛料供進神社に指定
 大正13年 郷社に列格
 秦氏は、秦の始皇帝の末裔であり、来朝帰化して、世々この地に住んで養蚕・機織・裁縫等の技術を伝へ、絹織物の一部は必ず朝廷に献上する等、朝廷の信望も厚かった。当社の近くに、絹屋敷・倉番・仕官谷等、往時を偲ぶ遺跡があり、そこで錦を織ったことから、錦織の地名が発生した。往昔、此の地に赤痢疫痢等悪病発生した時、当社に祈願すれば直ちに治癒すると言う故事がある。この事実が近隣に伝わると、入氏子として近隣近在から当社の氏子となる者、その数2千有余人に達した。故に、錦織神社は疫病除の神様として崇敬を集める。
御祭神:素盞嗚尊
当初予定したコースでの70号からの入り道が分からなかったので-全く逆方向に戻る形で70号に

70号を北上し、70号が左折、右折するままに進み、前方R181号を潜らずに(直進せずに)左折し、右折して181号へ東へ進み『院庄』信号を左折して進むと左手に大きな案内が、左折して進むと広い駐車場と広い院庄館跡の敷地と神社が(今回出発の起点をこの神社に置くためまず最初にこの神社を目指したが、行きやすさをメインに考えるべきだった)-桜に関係するとは思われるが『サクラ』と読むのは難しい?
作楽神社
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鎮座地:津山市神戸433
由緒:当社は、鎌倉時代に美作の守護職(大名)の館(やかた)のあったところで、境内全体が国指定の史跡となっている(大正11年指定)。元弘のむかし、第96代後醍醐天皇が時の執権北条高時のために隠岐に流される途中、この館にお泊まりになった。時に、備前の人、児島備後三郎高徳は、天皇を賊から奪い勤王の義兵をあげようとして、船坂山や杉坂峠で一行を待ちかまえたが、みな失敗に終り、単身この館に忍びこもうと企てたが、これまた警戒厳重で成功せず、折から館の門の前に春雨にぬれて美しく咲いていた桜の幹を削り、「天莫空勾践時非無范蠡(天勾践を空しうするなかれ、時に范蠡なきにしもあらず)」と10字の詩を書いて立ち去った。これは,越王勾践(こうせん)が呉王夫差(ふさ)と戦って敗れ、とらわれの身となっていたのを、忠臣范蠡(はんれい)らの努力によって呉を破ることができた故事によるもので、後醍醐天皇を勾践に、高徳自身を范蠡にたとえて、帝(みかど)をお慰めしたわけである。翌朝、この詩を見つけた警固の賊兵は、その意味がわからず、ひとり天皇のみ解し、ここにも忠義な家来がいたかと、末たのもしく思しめされたということである。この故事は、「太平記」に記載せられて、長く国民の胸に深い感動を与えてきたのであるが江戸時代になって、津山藩の家老長尾勝明は、荒廃していた館あとに碑を建立して、高徳の誠忠を顕彰した。これは、南朝忠臣のモニュメントとしては全国で2番目に古く、湊川の「嗚呼忠臣楠子之墓」よりも4年はやく建てられたものである。
 その後、幕末になって、ここに神社を造立しようという声がおこり、国学者道家大門(どうけ・ひろかど 1831~1890)らの建議により、藩主を経て朝廷の許可を受け、勅号の「作楽神社」という社名が下された。こうして明治2年に神社創建となったのである。道家大門は、作事奉行として宮の造営にあたり、また初代の祠官として生涯を神明に奉仕した。現在の社殿は大正15年再建のものであり、社宝には来国行の名刀や児島高徳の木像がある。約1万坪の境内には文学碑なども多く、地方文化の宝庫、民族精神の拠点となっている。
御祭神:後醍醐天皇、児島高徳朝臣

神社前を南へ進みR181号を横切り南へ、この辺りの路肩が広いので車停め歩いて踏み切り手前右奥に進み参詣-道は狭いが神社前に車は置ける
吉田神社
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鎮座地:津山市神戸292
由緒、御祭神共に不明

神社前を南へ進み、踏み切りを越えて突き当りを左折して東へ進むと右手に鳥居-右手奥に神社-鳥居の横に空地有
院庄八幡神社
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鎮座地:津山市院庄388
由緒、御祭神共に不明

神社前を引き返し、西へ進み橋を渡って前方広い道を右折して進みR181号を潜り進むと土手に、前方三叉路を左折して進み、突き当りを右折した先左手に(最初70号を左折するべきところを直進し進んだ-この時は前方の道幅の広い処でUターンして土手沿いに直進しR181号へ)
郷社八幡神社
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鎮座地:津山市宮尾877
由緒、御祭神共に不明

土手道を南へ引き返し、R181号で左折して進み、左折して179号を北へ進み、高速を潜り右へカーブする所を側道を直進、『カドノ美容室』裏-路肩は広めで駐車
吉原神社
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鎮座地:苫田郡鏡野町吉原388
由緒、御祭神共に不明

神社前を更に進み、そよかぜ薬局先を左折して進んだ先右手に神社見えるが境内乗り入れ禁止の車止め、神社の西側裏の路肩へ駐車
古川神社
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鎮座地:苫田郡鏡野町古川1317
由緒:本社は、古く日置神社と称し、社伝によれば天智天皇4年(665)の創建で、御祭神大山?命 相殿に土祖神、月読命、および倉稲魂命(稲荷神)の三柱を相殿にお祀りしている。倉稲魂命は山城國稲荷山からお迎えした農産の守護神として霊験もあらたかな神である。後には正6位上の神階に上り美作國112社の1社として歴代の国司からも崇拝された。現本殿は、天正6年(1578)久米南條郡荒神山城主花房助兵衛職秀、領家方院庄城主片山左馬助秀胤が戌亥の守護神として建立した。明治2年正月旧鶴田藩主従4位源朝臣松平武聡公が病気平癒祈願のため神鏡並びに幣帛料を供進した。明治6年(1873)村社に列せられた。
御祭神:大山祇命、相殿、土祖神、月読命、倉稲魂命

車を停めた場所から川を渡って西へ進むと前方に『南小学校』右折して進むと339号へ、左折して進み、次を右折して進み突き当りが神社
芳野神社
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鎮座地:苫田郡鏡野町宗枝465
由緒、御祭神共に不明

元の339号へ引き返し、西へ進み『カトレヤ』看板の先を左折して南へ進むと左手に小さな祠
三十六神社
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鎮座地:苫田郡鏡野町下原
由緒、御祭神共に不明

南へ進み、直ぐ右折してV字に進んで行く(337号)と左手に鳥居、脇の道を進んで行くと突き当り、手前の道に車停め参詣(神社前に駐車場?)
珍敷神社
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鎮座地:苫田郡鏡野町下原336
由緒、御祭神共に不明

337号を北へ進み339号へ出る手前、『河井林業』横を左折して進み、突き当りを右折して進むと左手に鳥居(横に1台分)
森原神社
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鎮座地:苫田郡鏡野町薪森原547
由緒:本神社は長久4年11月5日、目崎城主金剛入道正雅が城の鬼門除けとして勧請し、天神宮と称し崇敬した。文明年中毛利日向に敗れ、日向の裔が城主となり本神社を崇敬した。明治初年、森原神社と改称した。大正4年11月、豊磐間戸神社、櫛磐間戸神社、荒神社を合祀した。大正12年11月神饌幣帛料供進神社に指定された。
御祭神:天穗日命

森原神社前の道を進むと337号へ左折して北へ進み、広域農道を過ぎた先の先の十字路を左折して進み、前方十字路を右折し進んだ左手奥 (手前に駐車)
原神社
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鎮座地:苫田郡鏡野町原573
由緒、御祭神共に不明

337号へ引き返し、南へ進むと広域農道左折して進み橋を渡った先、『ふれあいセンター』先を右折し進んだ左手(坂道手前で、大山乳業の裏側)
八幡神社
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鎮座地:苫田郡鏡野町真加部1302
由緒、御祭神共に不明

広域農道へ戻り東へ進み、前方「瀬戸」の信号を左折し進んで行くと左手坂道を登って右の広場
車戸神社
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鎮座地:苫田郡鏡野町瀬戸
由緒、御祭神共に不明

車戸神社前の道を北へ進み、前方信号を右折して東方向へ-82号進む(三叉路は右手)とR179号へ、横切って進むと右手に、前方に空地と鳥居
大野神社
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鎮座地:苫田郡鏡野町土居1458-1
由緒、御祭神共に不明

R179号を進み、『森といで湯』『みまさか桧の里』の看板を右折して進み、前方十字路を右折、三叉路を右、次の三叉路を左、次の三叉路を左に進み、前方V字ターンした先の左手(最後の三叉路に車停め歩く)
荒神社
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鎮座地:苫田郡鏡野町和田
由緒、御祭神共に不明

最初の十字路まで引き返し、右折して北へ、右側のT字路を右折して進んだ橋の先
春日神社
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鎮座地:苫田郡鏡野町貞永寺
由緒、御祭神共に不明

最初の十字路まで引き返し、右折して西へ、前方のY字路を右に、直進した左手
王子荒神社
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鎮座地:苫田郡鏡野町小座
由緒、御祭神共に不明

R179号へ戻り、R179号へ北へ進んで行くと苫田ダム、トンネルを抜けた先右手に
久田神社
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苫田郡鏡野町河内183-4
由緒:当社の江戸時代以前の由緒は不詳であるが、明治43年久田村当時に、土生の埴生神社(境外摂社山祇神社)、河内の河内神社、国司神社、黒木の黒木神社、八幡神社、廣武神社、久田下原の下原神社(境外摂社国司神社、豊国神社)、国司神社を久田上原の貴布祢神社へ合祀と同時に久田下原に移転し、社号を久田神社と改称、大正4年に久田下原大川上神社を合祀し、昭和22年宗教法人となり、神社本庁が包括する神社となって久田地区氏子の尊崇を集めたが、平成13年苫田ダム建設にあたり、氏子の大部分は久田から離れ、社殿も水没地にあたることから、現在地へ遷座した。今後久田神社が氏子、崇敬者の心のよりどころとなり、併せて吉井川の清流の守り神、そしてダム湖の鎮め神となるであろう。
御祭神:多加意加美神、埴山姫命、稚日女命、金山比古命、金山比賣命、品陀和氣命、須佐之男命、大物主命、大國主命、大山津見命、須勢理姫命
これ以上の北側は無理みたいなので南へ進み帰宅することに

R179号を引き返し前方陸橋手前の信号を左折し道なりに進むと左手に、路肩に車停め
小田草神社(一の谷稲荷神社)
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鎮座地:苫田郡鏡野町馬場597
由緒、御祭神共に不明
同じ境内に2つの神社が

来た道と同じコースをたどり帰宅する

神社廻り-矢掛方面

今日も天気は良さそう!久しぶりになるがR486号で矢掛方面を目指す。前回はまきび公園附近までだったのでその続き!
これまでと同様R180号から270号で清音、高梁川でR486号へ、前方54号で左折して進み小田川を渡り進んだ先の信号を右折して前方三叉路近辺に車停め、前方に見える神社を目指す。(歩いて三叉路を左手に進んで神社に至ったが、三叉路を右手に進むと左手に大鳥居、前に空地そして鳥居を潜って車で可能-駐車場も)
八幡神社
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鎮座地:倉敷市真備町服部703
由緒、御祭神共に不明

54号へ戻り、南へ進み橋を渡った先の左手の道を左折する所を行き過ぎる。(広い道から脇道へ入るのはスピードが出ていると曲がるのが難しい)先を左折し直ぐの広い処へ車停め山際を歩いて北側に進むと前方左手に鳥居が-最初の処で左折していると簡単だった
疫神宮
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鎮座地:倉敷市玉島服部
由緒、御祭神共に不明

54号を横切り、突き当り附近に車を停め歩いて南側の右手の奥に
若宮神社
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鎮座地:倉敷市玉島服部
由緒、御祭神共に不明
これ以上の南は玉島に近くなるので元のR486号へ戻る

R486号まで引き返し、畑岡の信号先、西へ右手奥に、神社の前にに1台分は駐車可能、道は確認してないが西側から車で廻り込んでいけるが未確認、東側にも鳥居と参道が見られる。
態野神社
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鎮座地:倉敷市真備町尾崎682
由緒、御祭神共に不明
神社の奥に『八幡宮』が、感じとしては境内末社ではなく独立した感じだが、ここにある黒宮大塚古墳は態野神社の所有?

R486号を進む、山陽化成手前を右折、北上、突き当たり附近に車を停め右折し、次に左折して進んで行くと右手に、奥の山頂付近に毘沙門天像があるようだが近くの人に聞くと20分程度は山道を登る必要があり今回は中止
荒神社
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鎮座地:倉敷市真備町尾崎
由緒、御祭神共に不明

国道の手前の広い道まで引き返し右折、直進していくと直ぐの右手に神社らしきものが見られる。路肩に車停め参詣、
不明神社
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鎮座地:倉敷市真備町尾崎
由緒、御祭神共に不明

前の広い道を直進し、小学校先を右折、北上、川が見える辺りに車停め、歩いて北へ、先の橋をわたり山側へ
荒神社
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鎮座地:倉敷市真備町尾崎
由緒、御祭神共に不明

前記神社から北側の池の土手の側に神社らしき物が見える。出会った人に聞くと『荒神社』とのこと、近くまで行くと車を停める空地が
荒神社
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鎮座地:倉敷市真備町妹
由緒、御祭神共に不明

小学校まで引き返し、西へ進み最初の川沿いの道の左手に赤い鳥居、『穴門山神社』の鳥居と分かっているが今回はトライしない予定だが右折し北上、道が左折し次に右折する辺りに車を停め左手奥にある『和霊神社』を目指す。一番可能性のある角から西奥へ道を進むが、途中で『私有地に付き立入禁止』の表示、距離にして100m程度と思われるがとても進める状態では無い。少し南の墓地が分からの道を探すが、途中神社を見つけるが位置が違う。
厄神様
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鎮座地:倉敷市真備町妹
由緒、御祭神共に不明
南東にある民家からトライするが距離は離れているし、道らしきものは見当たらない、運よく出会った婦人に聞くが、昔は屋根等が見えていたが今は全く見えない、道(参道)も全く分からないとのこと、諦める

元の道を北上すると正面に石垣の上の神社が見られる、手前の広い路肩に車停め歩いて参詣
荒神社
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鎮座地:倉敷市真備町妹
由緒、御祭神共に不明

小学校通りまで引き返し、西へ、川に出るので右折し進んで行くと前方に鳥居が右折し直ぐの広めの路肩に車停め歩いて参詣-前に空地あり-思った以上に遠くて高い位置にあり
善覺稲荷
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鎮座地:倉敷市真備町妹
由緒、御祭神共に不明

川沿いに北へ突き当たりに石灯篭、この辺りにくるを停め右手奥の民家方向へ、前を通り横の道を進んで行くと竹藪の先に-竹が倒れて通行し難い、北側の池の土手から車で参詣出来そうだがあまり整備されてなく不安
速達神社
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鎮座地:倉敷市真備町妹
由緒、御祭神共に不明

少し南下して、大武生活共同利用センター前で地元の人に出会ったので神社の件を聞くと地区の竹下一族の神社とのこと-出会った人はやはり竹下氏、右手の山道を登っても行けるがUターンする場所は無いとのこと、南側下った先の竹下氏の小屋に車停め西側の山際を目指すと山裾を走る道が、道に沿って北に向かって進むと右手に、前の道を進んで行き突き当りにも神社があるとのことだが地図上で見当たらず、Uターンも無理らしいので中止-いずれにしても車は通れるが軽トラックでないと難しいらしい
竹下神社
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鎮座地:倉敷市真備町妹
由緒、御祭神共に不明

ここから東側に先ほど参詣した稲荷の近くに建物が見えるがこれも神社で渡辺神社と言ったと思うが確かではないとのこと
不明神社
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鎮座地:倉敷市真備町妹
由緒、御祭神共に不明

南へ進み、右折してR486号を西へ進むと右側に『吉備真備公園』の案内右折して進むと前方に、駐車場は前に十分ある
吉備大臣宮
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鎮座地:小田郡矢掛町東三成3864
由緒:不明
御祭神:吉備大臣の神(吉備真備公)
倉敷市側にはまきび公園があったが、これも御当地争い?囲碁発祥の地がミソか?

R486号を進んで行くと右に大きくカーブして北方向へ進む途中に右折する斜めの道が、これを進んで行くと前方右手に、手前に車停め歩いて参詣-進んで行くと駐車場有
矢掛神社
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鎮座地:小田郡矢掛町矢掛157
由緒:当社は元丑寅大明神と称し、主祭神は吉備津彦命外3柱を奉斎し、備中一宮吉備津神社の72社の1社である。創建は大化元年(645)字中山に本殿主小坂太良左衛門兼次の勧請と伝えられている。天正3年(1575)毛利氏猿掛入城の際、矢掛神社の大修理を行い奉行の将神刀を奉納する。天正10年(1582)毛利元清公が茶臼山入城にあたり城下鎮守のため、鳥居を寄進し上下の崇敬者一時に加わる。慶長2年(1597)三輪検地に際し、御除地の黒印を賜る。慶安年中に大火災に罹り慶安3年再建する。元禄12年(1679)に庭瀬藩の板倉氏の領地となり御陣屋鎮守として鳥居を寄進し、しばしば幣帛の供進があった。寛政13年(1801)代官浦野氏から常夜燈一対を奉献される。文化14年(1817)領主が隋神門を建立する。大正元年字小林の元村社である鵜江神社を合祀して現在の矢掛神社と改称する。大正6年に神饌幣帛料供進神社に指定される。昭和11年から3ヶ年の長きに亘り「昭和の大改善」を行い社務所、神饌所、神輿庫、回廊、神井戸、手水舎の建立、更には参道、玉垣の整備をし近郷まれなる産土神社となり、昭和17年3月17日郷社に昇格する。
御祭神:吉備津彦命

矢掛駅を目指して進み駅前を右折して進み、線路を潜って左折して進んで直ぐの左手-神社横の道を南へ進むと直ぐ駅横
内神荒神社
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鎮座地:小田郡矢掛町矢掛
由緒、御祭神共に不明

駅前へ戻り、西方向へ進み、矢掛小の少し先を左折して進んで行くと右手に(道が狭いので曲がりそこなう、前方信号突き当りを左折し、その先の信号手前に車停め)
荒神社
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鎮座地:小田郡矢掛町小林
由緒、御祭神共に不明

前方の道408号を西へ進み、火の見櫓の手前を右折して進むと(工事中通行止めとあったが問題なし)池の土手に突き当るので左折して池の西端へ-一度車を停めて歩いてみるが道も良く遠そう-池の西端を進み、三叉路を左手、次の池の土手下を右手に進み、池の土手の空地へ車停め、前方の坂道を登って行くと神社-十分な道幅と神社横の駐車場、車で行くべき
大元鵜江神社
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鎮座地:小田郡矢掛町東川面1806
由緒:延喜式神名帳には小田郡小社三座とあるが、西隣の西川面にも鵜江神社があるので記述が分明でない。口碑によれば吉備津彦命を中山の南峯に斂葬した時、お棺が鳴動して鵜が一羽飛び出し西方に翔った。その止った処を鵜江神社とひろく伝えている。往古の火災によって宝物・旧書を失っている。明治4年大元鵜江神社と改め村社に列格した。
御祭神:吉備津彦命、宇良御玉神

元の方へ引き返し、最初の池の前の道を西へ進んで行くと、408号へ、西へ進み前方橋と学校が見える手前に車停め、右折して進むと右手に-神社下に駐車場
木野山神社
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鎮座地:小田郡矢掛町東川面
由緒、御祭神共に不明

前方に神社が見えるので前の道を進み、橋を渡って南へ進むと左手に路肩に車停め参詣-左折して神社前を進んだ先に駐車場
鵜江神社
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鎮座地:小田郡矢掛町西川面1334
由緒:本神社は延喜式内社で文徳実録所載の神社であり、従五位下に叙された。仁徳天皇の勅令により吉備津神社の5社の神殿が創建されたその1社として建立され、創建は1600年以前とされ特に別宮と称せられた。現在の本殿は、永禄7年(1564)西川面城山城主渡邊河内守藤原資家の寄進により再建される。(棟札現有)また、仁徳天皇が当神社に立ち寄られたことが小田郡誌に見える。明治40年1月神饌幣帛料供進神社に指定された。本殿は創建以降11回の屋根葺き替えを行っている。鵜江の由来は吉備津彦命が崩御され、御体を中山の南峰に埋葬するとき、御棺が鳴動し1羽の鵜(荒魂)が西方に飛び出て、その止まる所(当地)を鵜の里と称し、吉備津彦命の荒魂を鎮め奉らんと神社を建立した事による。古くは流鏑馬の神事があり、名残りとして、鎌倉時代とされる弓矢等が奉納されている。また、昭和初期までは、秋の大祭に近隣(笠岡、井原、金光、鴨方、美星、真備)の大人が集って大相撲の奉納があった。秋の大祭(4日間)では初日御波解(おはげ)祭があり大当番屋宅の庭に棟より高く竹組みを立て降神の目印として神迎えの神事を行う。大祭最終日に昇神の神事の後この竹を氏子の当番組が倒して持ち帰る。この竹を農耕に使用すれば五穀豊作となると伝えられている。
御祭神:吉備津彦命

まだ時間的には早いが、家までやはり時間がかかるので中断して帰宅-朝と同じコースで帰宅、意外とスムースに帰れたがやはり万成で渋滞-今後夕方この場所を通る際どうするか!

西川溯りでの神社発見

いつも犬を散歩させている西川緑道公園を流れる西川、一度家の近くから溯って見る。知識としては北区玉柏で旭川から始まっていると聞いた記憶があるが?
問題は舟で溯る訳ではないので途中、川沿いの道が途切れているところが何箇所かありそうだが流れを見失うほどでもないので自転車で出発進行!
緑道公園を離れ、跨線橋を潜り北側に進んで行くと、岡山市北区大和町1丁目と北区南方4丁目附近で分岐して、岡山県総合グラウンド南側からノートルダム清心女子大の西側を経て国道180号に沿って北側を三門方面へ流れているようである。
更に溯って行くと水道局の南側で新たな水路と合流、ここでは西川を溯って行くと三野公園の西側から北側へ廻り込む感じで流れている。この付近で県道386号と玉柏までほぼ平行に流れているようなので中止。
水道局南側の分岐点まで戻り溯って行くことに、この辺りは水路の傍には全く道が無く、水道局近くでやっと道がついている。水道局北東の角で旭川から水を引き込んでいるようでかなりの水量が見られた。
更に北側三野公園前からも水が取り入られているようだが水量は少ないし、先ほどの取り入れ口で分岐して、西川の下を潜り西方向へ、岡大の東西道路の北側を流れ、南下して笹ケ瀬川に合流しているようである。

階段の上がり降りを含め神社廻りほんの少し鍛えているが、今日は自転車で別部分を使用、このおかげかどうか分からないが稲荷を一つ発見、用水沿いにはいくつか神社?も見られたが、ゆっくりと探していくと更に発見出来るかもしれない?
稲荷神社
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鎮座地:岡山市北区三野3丁目
由緒、御祭神共に不明

この後車で玉柏の西川源流まで溯ろうと思ったが後日に

高梁神社廻り

今日は少し早く家を出る予定で高梁市内を目指す。何も考えず車を走らせていたら53号を進んでいたの、万成の先で180号に、総社を経て高梁川を溯る。途中片側通行があったが平日のせいかまあスムース。途中総社だが以前から鳥居が気になっていた神社へ寄り道を、R180号を進み、オアシス先の信号を右折し(306号)、『種井生活改善センター』手前を左折して進むと右手に、左手に車道も整備されている。
八幡宮
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鎮座地:総社市種井
由緒、御祭神共に不明
今日初っ端の失敗、道が狭いと思われたが意外と広いので進んで言って線路を越えて180号へ出ようと思って踏切まで進むがとても車は通れない、ここで何回も切り返しやっと元へ引き返し180号へ

R180号を進み、落合橋東を進み高梁市内へ、警察署北信号を右折し484号へ、道なりに進み、直進(R484号-賀陽方面へ行かない)右手に、右折して直ぐに(実際はここでも失敗、早く右折しすぎ警察署へ、慌てて少し引き返したところを左折したため苦労して484号へ-486号の下、更に線路の下を潜りやっと)
妙見神社
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鎮座地:高梁市下谷町
由緒、御祭神共に不明

R180号に戻り、直進、右手に(政宗屋旅館看板を右折直ぐ-境内が駐車場に?)
和霊神社
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鎮座地:高梁市横町
由緒、御祭神共に不明

高梁大橋を右折し、少し先の路肩に車停め歩いて北方向を探す
山神社
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鎮座地:高梁市鉄砲町
由緒、御祭神共に不明

高梁大橋先の中間町信号の少し先広くなっている路肩に車停め中間町信号を東へ進むと直ぐ道路右手に
金毘羅神社
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鎮座地:高梁市鉄砲町
由緒、御祭神共に不明

180号の東側の道を歩いて北へ進むと左手に(車は十分通行可能だが停車場所が?)
美保神社
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鎮座地:高梁市中間町
由緒、御祭神共に不明

更に北へ進み右手大きな神社、前に駐車場あり-この辺りまでが観光のルートか?
八重籬神社
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鎮座地:高梁市内山下120
由緒、御祭神共に不明

R180号を新幡見橋信号を右折(313号)、伯備線下を潜り次の信号を左折、最初の道右手奥(前に駐車場)
木野山神社
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鎮座地:高梁市津川町今津1211
由緒:当社は、高梁市津川町今津に鎮座し、第62代村上天皇の天暦9年(955)9月16日の創建になる古社である。北に中国山脈の連山を望み、南に高梁市街が広がる景勝の地木野山山頂に奥宮があり、山麓の里宮とともに、さまざまの願いにご霊験があり「木野山さん」と親しまれ、日々遠近の人々の熱心な信仰、崇敬をあつめている。領主の崇敬もあつく、殊に備中松山藩主 板倉伊賀守勝静侯は、文久2年(1862)3月、当社の神徳を崇仰し、軍馬飼育守護神として特に崇敬した。元治元年(1864)10月、長州征伐に際し武運長久祈願のため社参され、さらに11月には献幣使を遣わされ幣帛を奉られたことが記録にみえる。古くから流行病、精神病に対するご霊験は殊にあらたかで明治9年を皮切りに中国地方に猛威をふるったコレラ病は一大悲惨事を巻き起こし、この業病を免れようとする人々が昼夜の別なく参拝し、ご分霊の請待も相次ぎ格別のご神威の発揚があった。明治9年には当社付属の崇神講社が創設され、今日も一般崇敬とともにこの崇神講社は連綿と続いている。また、末社の高■神(たかおかみ)、闇■神(くらおかみ)の神姿が狼とされ、邪悪なものに対して高い神徳があるとして「狼の木野山さま」として古来から畏敬を集めている。
注 高■神、闇■神の■は雨かんむりに口3つ、下に龍
御祭神:大山祇命、豐玉彦命、大己貴命

ここで運よくミニパトに出会う、『八幡神社』の事を聞くと、前の道右側へ進み右折して坂道を登って行くと神社とのこと、実際は境内で繋がっている
八幡神社
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鎮座地:津川町今津1189
由緒:当社は、第58代光孝天皇の仁和2年(886)8月24日の創建である。松山城鎮守5社の一つであり、代々の領主の崇敬が篤かった。元治元年10月3日領主板倉勝静は長州征伐の際、武運長久のため社参献金を行っている。大正4年12月14日村内無格社6社を合祀した。昭和3年11月9日神饌幣帛料供進神社に指定された。
御祭神:仲哀天皇、応神天皇、神功皇后、素盞嗚命、市杵嶋姫命、武甕槌命、猿田彦命

北方向へ進むのは此処までとし『備中松山城』方向の神社を目指す。国道180号線「川端町」交差点を右折して、松山城へ行く途中、高梁高校前の広い場所に車を停め歩いて川沿いに登って行くと途中に山田方谷家塾・牛麓舎跡があり、更に進んで行くと右手(小さな祠のみ)に-家塾跡の前に停めた方が楽だった-大昔長兄の最初赴任地でこの近くに住んでいたはずだが全く何も思い出さない。
御鋒神社
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鎮座地:高梁市小高下町
由緒、御祭神共に不明

石火矢町ふるさと村を通って神社を目指すが、途中に無料の駐車場が見られたので車を移動、この通りを歩いて南へ突き当りを左折して進むと階段、更に進み次を左折して進むと鳥居が(鳥居の右に車道があるが今回通ったコースは階段があり無理)
松山城へ行く途中、高梁高校前を右折、進んで行くと鳥居と参道(車可)
御前神社
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鎮座地:高梁市御前町2331
由緒:吉備真備が唐に渡ったとき、右六神の御加護を受け、安全に帰国できたため、勅願を受けて建立した。仁治元年(1240年)、秋葉三郎重信が大松山に築城以来、御城鎮守として代々の城主の尊崇を受けた。参道□にある鐘桜には慶安四年(一六五一年)、松山藩主水谷勝隆公が奉納した時鐘があったが、第二次世界大戦のおり供出された。
御祭神:天照皇大神、猿田彦命、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、武嚢槌命(たけみかづちのみこと)、応神天皇、武御名方命

御鋒神社に向かう途中の坂道に手入れされた庭と建物にひかれ、そして黒住教教会は幾つか取り上げたので
金光教高梁教会
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鎮座地:高梁市御前町15
由緒、御祭神共に不明

同じ通りで頼久寺前を通り川を渡った直ぐ先に鳥居が、少し先に車を停め参拝
臥牛天神社
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鎮座地:高梁市寺町
由緒:臥牛天神社は、もと臥牛山天神の丸(標高四八〇メートル)にあり、城の鎮守として歴代城主から厚く崇敬されていました。武士の子弟が十五歳を迎えて元服すると、旧暦二月二十五日の春祭りには必ず参詣して武運の長久と学問の成就を祈りました。廃藩後は由緒ある社殿も荒れ果て倒壊したため、御神体を預かっていた御山城相畑の小野家が下山に際して龍徳院に頼み、一隅に祀られるようになりました。平成六年龍徳院檀家一同が中心になり、広く市民にも呼びかけて浄財を集め、天神の丸鎮座時代にふさわしい立派な社殿を新築して再興し、今日に至っています。
御祭神:波乗り天神

元の川を渡り右折して進み前方坂道の手前
廣峯神社
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鎮座地:高梁市奥万田町
由緒、御祭神共に不明

『臥牛天神社』前の道を直進すると前方左手に鳥居、右側にある『吉備国際大学』駐車場に車を停め歩いて参詣、距離はそこそこあるが、車で行くには道が狭そうである
八幡神社
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鎮座地:高梁市和田町4022
由緒:本神社は、貞観元年(859)石清水八幡宮から勧請した。祭神は、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、天照皇大神、玉依比賣命、仁徳天皇、天児屋根命を配祀する。鎌倉時代から廃藩に至るまで、備中松山歴代藩主から鎮守として尊崇を受け大氏正八幡宮と称した。本殿は、貞享4年(1687)城主水谷勝宗の寄進による幣殿と拝殿は、安政5年(1858)城主板倉勝静公の寄進により建築の江戸時代の建造物である。その後明治16年(1883)県社に列格した。今日においても高梁市の代表的な神社として市民の崇敬をあつめている。
御祭神:神功皇后、応神天皇、天照皇大神、仲哀天皇、玉依姫命、天兒屋根命、仁徳天皇

南へ進み、前方を右折して進み、線路を右折して進み、直ぐ左折して進むと市役所前の通りへ南に進んで市役所を、市役所前を南へ右手に、分かり難いので『トマト銀行』に車を停め、北方向へ歩いて行くと備北信用金庫の北側
正宗荒神社
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鎮座地:高梁市正宗町
由緒、御祭神共に不明

備中高梁駅へ出て、西へ高梁大橋を渡り、突き当りを右折し、302号を道なりに少し進むと前方に少し広い路肩が、ここに車を停め、右側坂道を登って行くと鳥居が(車では少し狭すぎる-車で行くには橋を渡った直ぐの道を山側に進む必要あり)
大本正八幡宮(八幡神社)
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鎮座地:高梁市落合町近似226
由緒、御祭神共に不明

ここで境内の掃除をされていた人に聞くと、この神社前の道を進んで行くと稲荷神社へ、下へ車を置いているなら、下の道を進んで行くと駐車場もあるとのこと、当然ながら階段を登って参詣する必要があるがと!
近似稲荷神社
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鎮座地:高梁市落合町近似117
由緒:寛弘元年(一〇〇四年)花山上皇がこの地を巡幸された際に、山城国紀伊郡三峰の稲荷神を勧請し、社号を正一位稲荷大明神とされたのに始まったと言われる。御神徳が高く、その後、三村氏以来歴代城主が鎮守として尊崇し、保護を加えてき。毎年十二月の第一日曜日行われる霜月大祭は特に有名で、たくさんの参拝者で賑い、参道や神社前の道路には多くの露店が並ぶ。
御祭神:稚産霊神、倉稲魂神、豊受大神

神社前の道を南へ進み、落合橋西で313号へ、313号よりしまむらの信号を右折山側へ少し進んで行き、前方Y字路を左手に進み前方の広い路肩に車停め、歩いて北東方向を目指す(神社は見えているので迷うことは無い-道幅が狭く車も停める場所が難しいそう)
沼名前神社
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鎮座地:高梁市落合町阿部
由緒、御祭神共に不明

313号へ戻り、西へ少し進み『花のれん』右の道を入り、『中一公会堂』を進み前方空地へ車停め(私有地?)少し引き返して北へ進み『中二公会堂』の先
荒神社
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鎮座地:高梁市落合町阿部
由緒、御祭神共に不明

車まで引き返し、少し先に進んだ右手
金比羅神社
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鎮座地:高梁市落合町阿部
由緒、御祭神共に不明

前方に進みY字路を左に進み、落合小学校横のY字路の前方に神社(Y字路の右手隅に車停め)
阿部神社
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鎮座地:高梁市落合町阿部1858
由緒、御祭神共に不明

ちょっとコースと時間の使い方が検討の余地があるか?遠い場所なのでちょっともったいないかR180号を通って帰宅

神社廻り-東区山頂神社

今日は家でのんびりとしていたが、近郊の山の上の神社の参詣を目指す。近郊と言っても近くは無いし、またしんどさも分からないので計画は立てないで出発。まずは神時神社を目指し、旧2号から沼で220号に瀬戸で96号で東へ、前方左手に千種小学校が見える辺りを左折して進み、右折して学校前を通り前方を左折して高速の下へ、通行の邪魔にならない処へ車停め登山を兼ねた参詣に、高速を潜って右に進んで直ぐのコンクリートで舗装された坂道を登って行く-東側にも登り口らしき白い手すりが見えるが-地形図をみるとこのコースが距離はあるが勾配が緩やかと思われるので。竹藪から普通の木立の林が続く、半分くらいの処に階段があり車は難しいか?最も落ち葉がびっしりで非常に滑りやすく車は?、神社近くで再び竹藪が、筍をを掘った痕がありこのための道か?磐座だけかと思ったが結構立派な神殿もあり。
帰りは南へ向かって山道を下って行くが急であり枯葉で滑りやすく大変、苦労してやっと池の側に出る。下に駐車用があるがここから登るのはかなり大変では?高速沿いに西へ進んで最初の位置へ出れば良かったのだが、南側へ出て大失敗、いつものことで直ぐ引き返せばいいのに進んで行った非常に無駄な時間を、瀬戸PAの南から高速の下のトンネルを潜り北側へ、西へ進んでやっと元の場所へ(最初見えた白い手すりの階段は進んで行くのは難しいそう)
神時神社
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鎮座地:岡山市東区瀬戸町鍛冶屋1562
由緒:当社の創建は宝暦年間(1751〜1764)である。本国神名帳に備前国磐梨郡鍛冶屋村鎮座「神時神社」とあり、式外の神社であるが、社領国幣105社の一社である。勧請当時は神時神社と称したが、中古には天神宮と改称し、明治3年に旧称に復し、再び神時神社と改称した。祭神は、岩見国の霹靂神と同神であると伝えられる。
御祭神:霹靂神

非常に疲れたので次の天津神社の登り口だけでも調べようと思い252号を御真美へ進み新幹線の手前の道を右折して進み正面の広めの場所に車を停め近くに人を探すとお婆さんに出会ったので聞くと親切に教えてくれた『最近神社のお祭りがあり役員等何人か登って参拝したので道はある。前方の緑の屋根(宇垣工務店)の右側から裏側を墓地の方に進み後ろの山道を登って行く』-引き返すきっかけを失い、参詣を済ます。以前試みた南側からの道よりは断然楽だがやはりきつい
天津神社
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鎮座地:岡山市東区瀬戸町大内2239
由緒:当社の創建年月は不詳であるが、古老の伝によると中古に本神社を山麓に勧請したが、武士が乗馬のまま社前を過ぎると必ず落馬するので、現在の地に移転したと伝えられている。
御祭神:天御中主神

帰る途中で一度もトライしてないので今回参詣、R2号を進みバイパス、250号と分かれる手前を左折し、直ぐ先の広めの処をへ車を停め墓地の奥の竹藪の奥を目指す
善覚神社
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鎮座地:岡山市東区浅川22
由緒、御祭神共に不明

意外と時間がかかったのは仕方がないが、それ以上に歳のせいか疲れた
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