美作の水道公園は湯郷ベルで有名になった?、そしてホームグランドを一望する遊歩道沿いに、八重桜を中心に約70種類、2000本の桜が植えられた公園で、種類が多く5月初旬まで見られると言うことで、赤磐市経由の27号-R484号-R374号へ、そして吉井川を渡り、吉野川沿いに美作市方面の神社廻りに向かう。
まずは、R374号を進み、みまさか農円の先、モリマシナリー手前を右折、先の十字路を左折した左手奥に、手前の路肩に車を停めて参詣
奥神社
由緒、御祭神共に不明
神社前の道を東へ進み池の土手の先で左折して進むとR374号へ、R374号を進み、スタンドの手前を右折し、左にカーブして進み、前方川に沿って右折して進み英田中学校先の左手奥に(川が小さいので見落とさないように)
福本神社(賀茂大明神)
由緒、御祭神共に不明
ここは地元の人にであったので両神社が同じことは確認-神社横に駐車スペース、奥にはコミュニティーハウスに駐車可能
R374号を進み、『福本』信号を右折して進み川を渡った信号を右折、直ぐ左折した直ぐの左手『井口コミニティー』の後-路肩に駐車し参拝
彦龍神社
由緒、御祭神共に不明
右折した所を左折して進むとR374号へ、進んで直ぐの右手に、路肩が広いので駐車可能、木造りの鳥居が何故か新鮮に感じる
大榮神社
由緒、御祭神共に不明
R374号を進み、前方緑の屋根の見える手前右手の椿谷石碑を右折して道なりに進んだ左手(三叉路は左手に)-前方の広めの路肩に駐車-元の道を引き返す
荒神宮
由緒、御祭神共に不明
R374号まで引き返して進み、右手『あいだ館』先を右折、突き当りを左折し、その先を右折した右手(前方の適当な位置に車停め)道路脇に土俵と赤い鳥居があり、神社は山の上で参道は整備されてなくかなりしんどい
尾谷神社
由緒、御祭神共に不明
前の道を北へ、突き当りを右折して道なりに進み、公会堂を過ぎて進んだ池の手前右手奥(基本的に直進)-運よくお寺(顕密寺)の先で出会ったお婆さんに神社の確認、丁寧に教えてくれるがどの道を右折するかを正しく教えてくれてなく直ぐ手前に道を右折、しばらくして間違いに気付き引き返し、その先を右折して進む-狭い道を無視して直進すれば池の土手へ-ここに車を停め少し下った処にある道を登って行く。
瀧神社(諸社瀧神社)
由緒、御祭神共に不明
参詣して分かったが、砂防ダム建設用の道が神社の直ぐ左手に付いていた。ここも何故か木製の鳥居、林業が盛んな地域か?
元へ引き返し、R374号を進み右手に、神社前の路肩の停めて-神社名確認できず
高おかみ神社(土産神社)
由緒、御祭神共に不明
少し進んで右にカーブする手前の路肩へ車停め、一本奥の道を進み民家の間の奥に
荒神社
由緒、御祭神共に不明
R374号を進み前方『樫村』信号を右折し直ぐ左手坂道を登った先に-非常に分かりやすい場所にあるが、登って行く坂道が鋭角に曲がっており難しい
樫村神社
由緒、御祭神共に不明
道路工事で移築された神社か、ロケーションは良い場所にある
R374号を進みガソリンスタンド横の道を右折しカーブしながら坂道を進んだ左手-ここは神社前に防護ネットが張られていたが開閉はネットなので楽、これだけの広い道、鉄製の柵の開閉は困難か-本三つ目の木製鳥居
畑沖荒神社
由緒、御祭神共に不明
此処まで順調に来たと思うが、周辺の神社は今回無視して湯郷の温泉街へ進む。R374号を進み川を渡って2つ目の信号を左折して進み、突き当りを右折して進み次を左折して進んだ突き当り左手奥-竹亭前の駐車場に車を停め、竹亭前を西へ進むと神社
湯神社
由緒:当社は往古、大己貴命・少彦名命を祭神に奉り御湯神と称したが、8世紀当初(和銅8年頃)律令制の国・郡・里(後に郷)制により美作国が置かれ、地名は「塩湯郷」に、御湯神も「塩湯社」となった。(平城京出土の木簡に記載された「美作国勝田郡塩湯郷」からも十分窺える。)中世、承久の乱後地頭後藤藤原光義によって、塩湯社は「湯大明神」と改称された。以後元和3年の大洪水の際は、新しい泉源の発見により浴場と共に神社もその北隣へ遷座し、更に寛政5年、全村全焼の災禍に遭いながらも社殿をその地に再建する等常に温泉の守護神として温泉と共に歩んできた。この間、地頭から朔幣田、旅人勧進物等の保護(「塩湯郷地頭職掟條〃」後藤豊前守藤原季理良貞古文書)があり、江戸時代には国主の寄進(「森美作守様御入湯次第」湯大明神神主米月兵庫の日記・湯神社古文書)を受けてきた。明治6年、「湯神社」と社名を変え、次いで同41年村社八幡神社、無格社日吉社と合祀し、現在に至っている。
「かけまくも 綾にかしこき 言巻くも あなに尊き 勝間田の 塩湯郷の 霊ちはふ 神の御湯は 現身の 人の湯なら 神呂伎の 少名御神の 神ながら 造し湯を 恐みて 浴みせ子供 尊みて 湯あみせ世人 かけまくも 綾にかしこき 言巻くも あなに尊き 勝田の塩湯の 郷の其の御湯」 −平賀元義の詠−
御祭神:大己貴命、少彦名命、譽田別尊、大山祇命
流石温泉街の神社と言う感じではある-参詣する前川端でコーヒーブレイク精気を取り戻して
ここで大失敗、全く分からず一方通行をからくり時計まで逆走、知らないとは本当に怖いことだ。わずかな距離だが標識を守り374号へ、北へ進んで行き
内側の道路広さが分からないので入田の信号の先『おべんとうつるや』の駐車場へ車を置き、歩いて前方左に曲がる道まで進み、曲がり進んで行くと右手鳥居、奥に細い参道
星八幡宮
由緒、御祭神共に不明
R374号を引き返していると川に出る手前の右手に鳥居、路肩に強引に車を停め参詣、かなり急な階段が続く
八頭龍王宮
由緒:霊験あらたかなるをもって近郊に其の名を知られたる八頭龍王宮は残されたる文献によりますれば大永年間作州三星城主・後藤左衛門勝元の居城を三星山に築城し鎮護の神として右石清水の分霊を城内に勤請す、天正七年遂に浮田和泉守延原壇上景光をして落城せしめたるによりしばしば大水害がおり農民商人のうれい多きため浮田和泉守が山麓、現在の地に移転をなして八頭龍王宮と称して祭りしものなり明治二十五年当社地に鎮座三百年祭を執行なす・・・・・
御祭神:八頭龍王
どうも運動公園へ行く道を見落としたようなので引き返し『入田南』の信号を左折して進み前方マンションの前を左に進んで行き、運動公園入口まで進んでしまったのでゆっくり引き返す。少し隠れた感じで左手に
大山祇神社
由緒、御祭神共に不明
此処まで来たので水道公園へ、桜の花は残っているが全体的に木が小さい、今後か?やはり芝生のグリーンは綺麗
少し早い気がするが、あまり考えず帰宅する方向で、運動公園から西へ進み361号で南へ進んでいると左手に鳥居が
不明稲荷神社
由緒、御祭神共に不明
361号を南へ進み前方Y字路をV字ターンしそこない先の道を右手に曲がり進んで行くと石燈籠、間を通って山際の細い道を進んで行き途中出会った人に確認すると、本来は北側の広い道(最初予定したルート)進むべきだが、ここまできたなら前方突き当りを左折して坂道を進めば神社前へ辿りつける。神社左手に車道がありそうだが、鳥居近くに車停め歩いて参詣
阿津田神社
由緒:本神社は文徳天皇の仁寿元年9月15日の御鎮座である。和気清麿が父仲世の遺志をつぎ、宇佐八幡宮の御分霊御勧請の事を、時の国造伴善男に依頼したところ、伴氏はこれを許し美作介藤原貞道に命じて祀らせた。大永7年3月三星城主後藤基兼が熱田神宮の御分霊を勧請合祀して、阿津田大明神と称した。天文13年5月17日火災に遭い、御社殿が焼失したが同年9月後藤攝津守の下知により再建し、両社を合せて阿津田正一位長社と称した。慶長15年森家寺社奉行下役川越玄蔵から阿津田八幡宮と改称するよう達せられた。明治6年2月村社に列し、阿津田神社と改称した。明治45年3月、境外末社7社を合祀した。大正12年3月6日、神饌幣帛料供進神社に指定された。
御祭神:素盞嗚尊、譽田別尊、大國主命、宇迦之御魂神、郷内五柱神
今回通った道は狭くて大変、同じ道は二度と通る気がしないので、西から北へ廻り込む広い道を通ってR374号で帰宅する方向へ、途中来るときに見つけた神社に立ち寄る予定で進む。R374号からR484号へしばらく進んだ光本の表示の左手上に(工事中だが少し先の広めの路肩に停め)
不明神社
由緒、御祭神共に不明
『岡山美作間道路建設にともない歴史ある荒神宮、日車天王、若宮、釈迦堂をそれぞれ新築し、この地に遷宮・移転する』の石碑あり
後は何回も通った道で帰宅。この帰宅ルートは飽いてきたが遠回りをして帰っても仕方が無いので