岡山県内神社巡り(メイン)

片っぱしらからの神社巡り

2015年05月

神社廻り-倉敷中心部その2

今日は午後から天気が悪いが、そろそろ倉敷を片づけるつもりで倉敷方面へ、例によって新幹線沿いの242号で西へ、389号へ変わり山陽自動車道を過ぎた先を左折して中庄団地方向へ、土曜日なので美観地区を避け、お町トンネルを抜け、一時期のアルバイト先方向へ『倉敷成人病センター』先を右折して274号へ、先の信号を右折して進むと左手に神社が、神社横に車を停めて参詣
御崎神社
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鎮座地:倉敷市白楽町
由緒、御祭神共に不明

この辺りの道は狭く入り組んでいるようなので元へ引き返し、274号を北へ行くと美観地区の標識、先の信号を右折して進んで行くと小さな川の先を左折した右手に(実際は注意しないと見落とす、この辺りをぐるぐる回っていてやっと見つける-早めに車を停め歩いた方が正解!)
若宮神社
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鎮座地:倉敷市中央2丁目10
由緒、御祭神共に不明

Uターンして274号まで引き返し、更に西へ進んで行くと倉敷駅前通りのR429号へ、-勘違いしてR429号を走る-直ぐ気付き信号を右折し、山陽本線を渡り、直進左手に、左折した場所まで引き返し、北へ進む、429号、山陽線を過ぎ、少し進んだ左手に鳥居、直ぐ隣に車を停める
八幡神社(八幡宮)
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鎮座地:倉敷市老松町136
由緒:当社は天正年間に宇佐八幡宮から勧請されたと伝えられ「阿知の里」開拓の始めに創立された地方の古社として、民衆の崇敬厚く、殊に文化文政(1804〜1836)の頃は、大いに栄え領主池田家の崇敬を受け、澁江八幡宮と改称された。明治6年村社に列し、八幡神社と改称する。昭和19年10月12日神饌幣帛料供進神社に指定される。現在の社殿は文化年間の改築。境内に「阿知の松」があって、天下の銘木(樹下30余坪)として歌われ、文政年間時の従3位千種有切郷がこの松を愛でられ「此の里はかくこそあれと永久に立ち栄えゆく阿知の松が枝」と詠った石碑が現存する。この老松に因んでこの地を老松町という。松は、昭和18年松喰蟲の被害に遭い枯損(切り株年輪750年)
御祭神:応神天皇、神功皇后、仲哀天皇

引き返して線路を渡り真っ直ぐ南へ、R429号の信号を越え『県立倉敷工』の少し先を右折して進んで行くと右手に鳥居
足高神社
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鎮座地:倉敷市田ノ上
由緒、御祭神共に不明

神社前を西へ進むと前方に広い道路、右折、左折してR429号を進み、臨海鉄道を潜った先『中島』の信号を右折、左折して277号を進み、前方小さな川の手前を左折して進んで行くと右手に、神社前に駐車場あるが車止め、路肩に停めてすばやく参詣を済ます。
中島神社
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鎮座地:倉敷市中島
由緒:神々の神威=愛宕さま、秋葉さまは火の神、鎮火
防火と共に農耕の守護神、金毘羅さまは大国主命の分霊にて光明と福徳を与え、祇園さまは農耕守護と疫病退散の神なり
御祭神:伊弉冉尊、埴山姫神、天熊人命、稚産霊神、豊受姫命、火之迦具土大神、大国主命、須佐之男命、役の行者
(分かり難いので注意が必要、タブレットで問題は無いが、運転中は難しく、一度停車する必要はある)

引き返し277号へ、更に引き返しR429号との交差点で188号を南へ進んで行くと横断陸橋の直ぐ先左手に神社、直ぐの信号を右折し中華園の駐車場へ車を停め目の前の神社へ参詣
穴場神社
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鎮座地:倉敷市中島
由緒:盤長姫は愛媛県大三島町大山祓神社の御祭神大山積神の(日本総鎮守)御子神で天照大神の孫神瓊々杵尊のお妃木花開耶姫の姉姫に当ります。寛政十年(一七九八年)前記の大山祓神社からご分霊をいただき、当所中島小溝の地に鎮座いたしました。
御祭神:盤長姫命
堅牢地神社
由緒:遠く神代の時代から国を治めた神様で大地の神国つ神として国土の守護神です。徳川時代の初めの頃元和元年(一六一五年)から寛永六年(一六二九年)頃この中島小溝の開墾開発が行われた当時から地域住民の信仰を集めた神様です。
御祭神:堅牢地神
地神様が一緒に祭られている神社は結構多かったが、ここまではっきりと表示されていたのは初めて

188号へ出て左折して南へ、バイパスの側道沿いに西へ向かえば良いようだが上手く繋がっているかどうか地図上では確認できない、ナビを頼りに何とかたどり着く、工事中で通行止めで有ったが神社まではOK、法厳寺に車を停め参詣
片島神社
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鎮座地:倉敷市片島町660-1
由緒:当社の創建年代は不詳であるが、寛永6年以前に奉祀した神社である。古来は易産生荒神社と称し、安産の神として信仰する者が多い。神仏混淆時代のなごりにより、神社の管理は法厳寺に委託していた。明治11年存置願提出の期を逸し、そのまま脱漏神社として奉祀してきたが、昭和17年片島神社と改称の上、明細帳脱漏神社編入願を提出し昭和18年神社明細帳に編入されて現在に至っている。
御祭神:素戔嗚尊
高梁川の土手を走っている時いつも見てた神社(お寺)土手側から行けば分かりやすいが、途中で車両通行止め?、土手下に車を停めて歩くのが一番無難か、妙任寺への車道は行き止まりで無理、またこのお寺には『妙見宮』がある


取敢えず引き返し、バイパスと側道で『大高』の信号へ275号を南へ進み、直ぐの細い道を進んで行くと前方に坂道、登って行くと墓地を通り過ぎ神社に
足髙神社
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鎮座地:倉敷市笹沖1033
由緒:当社の現存する神社記録の最古の書は、平安時代・醍醐天皇延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳である。この書のなかに当社は記載されており、備中18社の1に数える最古社である。御鎮座の年代は、第10代崇神天皇の御代に勧請された。寛和元年(985)花山天皇の御代、足高神社神宮寺神遊山、神宮寺遍照院に三重塔が建立された。天暦元年(947)2月16日村上天皇は藤原兼成卿を遣わして、奉幣御祈願の儀があった。翌3年不思議な霊験があって神殿を御造営になり、有紋の御幕勅書を奉納され、乾元元年(1243)後二条天皇の御代、足高八幡大菩薩の勅額の下賜があった。延慶元年(1308)花園天皇の御代、勅額と獅子頭一対を下賜。また、建徳元年(1370)九州探題として赴任の今川定世公は、海路の航海の安全を祈願され狛犬を奉納した。徳川時代備前池田公の支藩、鴨方池田氏の祈願所として尊崇せられ、代継ぎの際は、代々必ず参拝された。足高山は、4百年前は、海中に浮かぶ一孤島であり、小竹島、笹島、戸島、藤戸島、吉備の小島、奥津島とも呼ばれ、東西航行の要路であり、潮流が激しく鳴門の如く、渦が巻いていたといわれており、通る船は、全て帆を下げ、島上の足高の神に、敬意を表し難を逃れた為、「帆下げの宮」と称して、崇め奉られた。古の海路は、現在、国道2号線(旧バイパス)となり、船に代わり、車の交通安全が盛んとなっている。
御祭神:大山津見命、石長比賣命、木之花咲耶比賣神
此処で宮司さんに声を掛けられ雑談、神社の建つ位置の流れから桃太郎伝説等まで、更には他の神社に関しても、
今回正式な参道へ下って行ってみたが参道口に結構車が止まっている。天気が悪く時間が遅かったせいもあるが神社近辺は結構薄暗いのと、健脚な老夫婦が多く見られたが私は今回参道を下り上がりしてしんどかった

雨も降りだしたのでバイパス沿いに少し進み22号で北上して、来た道へ出て帰宅、土曜日に関わらず意外とスムースに

神社廻り-矢掛-小田川南

矢掛の小田川を渡った南側に結構神社が多くあるので、今回重点的に神社廻りをすることに、これまでと同様清音の先で高梁川を渡りR486号で一気に矢掛の手前まで、前方左手の横谷表示を左折して橋を渡り道なりに進んだ左手(橋の手前には福頼神社の表示もある)神社前に駐車場有り
福頼神社
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鎮座地:小田郡矢掛町横谷1535
由緒、御祭神共に不明

神社前の道を南へ進んで行くと右手に池、池側を右折して進み遠方282号を右折して少し進んだ路肩に車を停め人家の間を進んで行くと左手奥に
荒神社
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鎮座地:小田郡矢掛町横谷
由緒、御祭神共に不明

282号を北へ進んで行き、前方左にカーブする手前の奥に、路肩に車を停め山側へ歩いて参詣(この辺りの路肩広い-将来車線が増えるのか)
疫神社
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鎮座地:小田郡矢掛町横谷
由緒、御祭神共に不明

神社前の道282号を南へ引き返し進んで行くと35号へ直進して進んで行くと右手に鳥居が(北側に工場がありゆっくり走らないと見落とす-北へ向かって進むと良く見えるが-鳥居を潜って進む車道も有り)
萩原神社
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鎮座地:小田郡矢掛町横谷2331
由緒、御祭神共に不明
先ほどの福頼神社と言いこの神社も結構な神社、由緒、御祭神等どこかに記載があれば助かるのだが、動けなくなった調べてみるか?

神社前の道を北へ少し引き返し、前方を右折して南東へ進んで行くと35号へ『宝泉寺』を目指し右折、前方T字路右折して次の十字路を右折して進んだ左手に、参道口に車を停め参詣(道幅が良く分からなかったので無難な分かりやすいコースをとったが35号へ出る辺りで一度右手を眺めれば神社が見え簡単に参詣出来た)
青江八幡宮
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鎮座地:小田郡矢掛町横谷
由緒、御祭神共に不明

神社前の道を北に進むと前方左手に神社らしき木立が、突き当りが35号、左折して進むと右手に(此処もゆっくりと走っていれば簡単に分かった神社)
不明神社
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鎮座地:小田郡矢掛町横谷
由緒、御祭神共に不明

このような失敗をすると、どうもとんでもない勘違いを、何故か35号を南へ走っていた、急遽西へ向かおうと思ったが坂道をどんどん上がった先で道は無い、無難に最初の『萩原神社』の北側まで引き返し、神社前を南え進んで行くと前方に洞松寺の前門、前方に鳥居、直ぐ前の墓地の駐車場に車を停め、壊れかてて草が茂った階段を登って行く、平たい処暫く進むと再度前方に急な階段、その先に(当初地図にも参道らしきものはなく、山の中苦労すると思っていたが意外と簡単-確かめてないが東側『洞松寺』と西側にも参道が有りそうだが確かめてないが、修行僧らしき外人が休んでいたので寺側の道は確実)
金比羅神社
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鎮座地:小田郡矢掛町横谷
由緒、御祭神共に不明

お寺前の道を右折して道なりに進んで行くと右手『猪又公会堂』の後ろ側に
荒神社
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鎮座地:小田郡矢掛町南山田
由緒、御祭神共に不明

神社前の道を更に西へ進んで行くと前方に64号が見える坂道の途中、左手に小さな川と出会う附近に車停め、右手山中に見える鳥居を、民家を廻り込む感じで目指す
荒神社
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鎮座地:小田郡矢掛町南山田
由緒、御祭神共に不明

先へ進み64号へ、左折して64号を進んで行くと前方右手に、手前の道を右折し路肩に車停め参詣(64号と神社の間に十分の駐車スペース有り)
御崎神社
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鎮座地:小田郡矢掛町南山田1062
由緒:当社の創立は不詳。記録によれば慶長年間とされている。吉備津彦命が賊を退治して村人を救われたので命が御祭神として祀られている。参道には「宝暦11年辛巳11月吉日、願主広畑九兵衛」、「文化14年丑12月吉日、願主小川善三郎」の銘のある石燈箭各一基、「延享元年6月」の銘のある手水鉢、「天保10卯年氏子中」の銘のある唐獅子、「明治23年12月」建立の注連枝がある。祭日は10月21・22日であったが、現在は第4土曜と翌日曜に秋祭りが行われている。戦前にはお湯立て神事が行われていた。2月第1日曜日には「モモテ講」が行われる。(平成13年までは2月1日に行われていた。)竹で直径2メートルくらいの的を作り、境内に置いて、20メートルほど離れた拝殿からこれを射る。的には鬼の絵が描かれており、早朝6時半ごろ宮司が射初めをし、参拝した氏子が次々に的を射た後、当番から粕酒の接待を受ける。
大百手講の由来
大昔、この地方を温羅が支配していた。大和朝廷から派遣された吉備津彦命は温羅を征伐しようと戦ったが、温羅は傷つくと遙照山に逃げ温泉に入って傷をいやし、再び出てきて戦うので退治できない。そこで、命はこの温泉を止め、ようやく温羅を打つことが出来た。この時から遙照山の温泉は冷泉になった。伝説によると温羅は鬼であり、この地方を荒らし回ったので、吉備津彦命に討たれたということである。大百手講では、鬼の面を作り矢で射る行事がとり行われた後、一戸一膳づつの食事が接待される。食事の中身は大豆の粉に小麦粉を混ぜて薄くのばし菱形に切り焼いたものと、クサギの若葉の佃煮や大根の酢のものなどと、かす酒がふるまわれます。大当番があたると、家内安全、家は繁盛すると言われている。
御祭神:吉備津彦命、譽田別尊、猿田彦命

神社前を進み、突き当り右折してを進み、前方橋と祠が有る処を左折し、前方十字路を左折して進み、前方Y字路を左折して進んだ先(最初Y字路辺りに車を停め歩いて参詣と思ったが近くの人に聞くと車での参詣も可能、車も停めれる教えられる)
荒神社
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鎮座地:小田郡矢掛町南山田
由緒、御祭神共に不明

Y字路まで引き返し、左手をとり北西に進んで行くと右手に神社が、道が良く分からないので田んぼ道を歩いて参詣-田んぼの中に駐車スペースがある(少し先の未舗装の道を右折して進むと行ける-結果論)
荒神社
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鎮座地:小田郡矢掛町南山田
由緒、御祭神共に不明

元の道を先に進んで行き、前方左手に石の記念碑の少し先ゴミステーション手前の道を左折して進むと突き当りに『観蓮寺』と神社(一歩手前の記念碑の道を入ると、道は広いが曲りくねり厄介)
荒神社
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鎮座地:小田郡矢掛町南山田
由緒、御祭神共に不明

元へ引き返し進んで行くと前方左手に神社が、そして右手にも何か神社らしきものが見えるので近くの路肩へ車停め畦道を進むが、防護電線が張られている
不明神社
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鎮座地:小田郡矢掛町南山田
由緒、御祭神共に不明

今度は先に進み突き当りを左折して左手の神社を目指す(鳥居の道は車難しく、左手奥にある駐車場は施錠されている)
神前神社
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鎮座地:小田郡矢掛町南山田
由緒、御祭神共に不明 

神社前の道を北方向へ進んで行くと前方65号の横切った先、前方の山の中腹に鳥居、60号へ出る手前に車停め神社を目指す
荒神社
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鎮座地:小田郡矢掛町南山田
由緒、御祭神共に不明

64号を北へ進み山田小学校を過ぎた先、左手に石燈籠と奥に鳥居、見るだけで結構な距離、そして車での参詣も可能のようだが、途中の南側の山の中にある神社を目指すので歩くことに、こんなに遠くて良い道を歩いたことは、行程の終盤であり後悔はする
雷神社(雷師神社)
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鎮座地:小田郡矢掛町里山田2464
由緒、御祭神共に不明

先の神社に参詣する際、左手進む山道が二本、神社に近い道を進み参詣、帰りは違う道を-鳥居の横へ出れる
荒神社
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鎮座地:小田郡矢掛町里山田
由緒、御祭神共に不明

64号を更に北へ進んで行くと左手に鳥居、今回は迷わず車で参詣-神社前に十分な駐車スペース
崇道神社
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鎮座地:小田郡矢掛町里山田1684
由緒、御祭神共に不明

神社前の道を北にとり、池の間を進めば良いと思っていたが土手を工事していたので
一旦64号へ引き返し、北へ、前方の広めの道を左折して進み、『清水公会堂』前に車を停め歩いて参詣-先を左折しその先を右折して山道を登って行くと、左手に石垣と祠、近すぎるので先へ進んで行くと目的の神社が-『清水公会堂』へ行く途中にも祠が
荒神社
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鎮座地:小田郡矢掛町里山田
由緒、御祭神共に不明

64号へ戻り少し北へ進み、左折して一本中の道を走り出会った人に聞くと丁寧に教えて頂き、しかも車を自分の駐車場へ入れさせてくれた。
この神社も分かり難く道は狭いので歩いて木の鳥居を探し結構急峻な階段を登って行く
天神社
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鎮座地:小田郡矢掛町里山田
由緒、御祭神共に不明
この辺り社が二つある神社が多い気がして聞いてみると、一つは個人の神社とのこと-これまでも前々神社らしくない個人の神社に悩まされた事を思い出す

64号を南へ引き返し、前方右手の池の先を左折して田んぼの中の一本道を進み、右手工場(九州ジ-ジ-シ-)右折して進み池の土手の左手先の空地へ車停め、前方35号方向へ進んで行くと前方右手に-路肩は結構広いし車で行くべきであった
木野山神社
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鎮座地:小田郡矢掛町中
由緒、御祭神共に不明

先ほど右折した道まで戻り、東方向へ進んで行くと信号が35号、更に直進し、突き当りを左折して進んだ広めの処へ車停め歩いて参詣-神社前の道は狭くて車は難しい、南側に車道があるがあまり広くはなさそう、しんどいが歩く方が無難
岩山神社
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鎮座地:小田郡矢掛町中1912
由緒、御祭神共に不明

今日は後半かなりの距離と、急な階段を登ったので少し疲れ気味、それにしても竹林寺の天文台の北東、今回の神社廻りの地域は神社が多かった。
カーナビをセットして帰ろうとするがまたしても遠回り、高速のチェックを外すと一級国道優先か、距離数で選ぶ設定が無いようなのでやはり古すぎるのか?

神社廻り-笠岡方面

今日は天気はともかく暑くなりそう、意を決して笠岡方面へ出掛ける。西へ向かう際のコース、新幹線沿いに倉敷方面へ、倉敷の西で南下してR2号へ、今回は無駄だが笠岡自動車道を走って見るが繋がらないとあまり意味が無い。
471号を通ってR2号へでるが途中右手に神社(車でも通行可能)、路肩に車停め歩いて参詣
荒神社
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鎮座地:浅口市金光町佐方2112
由緒:創建年代は不詳。昔の地名馬場に鎮座しているので、馬場の荒神社と申し上げる。宮原と宗本との荒神様である。祭礼には宮司が参進し、当番氏子多数が参拝奉仕する。年によっては神楽舞を奉納する。
御祭神:素戔嗚尊

R2号を西へ進み笠岡を目指すがコーヒーブレイクに、里庄駅前を過ぎて進んで行くと右手に7&iが直ぐ北側に神社が
日吉神社
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鎮座地:浅口郡里庄町新庄5877
由緒、御祭神共に不明

寄り道は止めてまずは笠岡へ、笠岡駅を過ぎ右手エスペックの信号を左折し南へ進んだ左手、鳥居横へ駐車可(少し道は狭いが)
嚴島神社
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鎮座地:笠岡市生江浜974
由緒、御祭神共に不明

R2号へ戻り、2号線を越えて北方向へ道なりに進むと南へ向かう燈籠の参道が、神社の右手吉浜記念館側に駐車場有-道なりに進むと必要な所には案内表示がある-カキツバタは当然ながらほぼ終わっていた。
菅原神社
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鎮座地:笠岡市吉浜1661
由緒:本神社の創建は延宝2年(1674)吉浜干拓地が完成したのを記念して、備後福山の藩主水野勝慶が造営されたといわれ、眼鏡橋は明治20年地元の石工が築き、ともに笠岡市の文化財に指定された。享保2年(1717)、寛政5年(1793)、文化13年(1816)に社殿の屋根修復。文政6年には拝殿の再建を行った。大正10年本殿、拝殿の修復。昭和25年10月本殿、神輿蔵の修理を行った。
御祭神:菅原道眞
眼鏡橋は笠岡市文化財に指定
境内の御手洗池で5月になると名物のカキツバタ千株が開花する。

菅原神社から北西の山の上に神社らしきもの、近くにいた人に聞くと拝み様と呼ばれ以前はお参りしていたらしいが現在は行っていないとのこと-多分何らかの新興宗教か-北側に階段がありお参りすることは可能とのこと
拝み様
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鎮座地:笠岡市吉浜
由緒、御祭神共に不明
ロケーションが良い場所にあったので行ってみたが実際この手の場所は避けるべきか?
 
菅原神社から引き返し、途中の三叉路を右折し、踏切を越え突き当りを右折し、線路沿いに道なりに進んで行くと吉田川橋の手前に祠、橋を渡った右手の空地に車停め
金毘羅大権現
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鎮座地:笠岡市金浦
由緒、御祭神共に不明

橋を渡った最初の北角に
恵美須神社
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鎮座地:笠岡市金浦
由緒、御祭神共に不明

神社前の道を北へ進み、三叉路を右手に、突き当りを右折して狭い路地を進んで行くと前方階段の上に(車では無理-停車する場所も?)
天神社
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鎮座地:笠岡市金浦
由緒、御祭神共に不明

289号(恵美須神社の前)を東に進み、右折して進み線路手前で左折して進んで行くと左手奥に、手前の空き地に駐車して参詣
八幡神社
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鎮座地:笠岡市金浦354
由緒、御祭神共に不明
八幡神社手前の左手ある神社か?-尋ねる人に出会えなかったが同じ住所なので
田方神社
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鎮座地:笠岡市金浦354
由緒、御祭神共に不明

289号へ引き返し線路を潜り南へ進みR2号へ(実際は東へ進んだ先で線路を潜り269号へ合流-この場所の線路の下狭い-避けた方が無難)
西ノ浜東の信号を右折し海近くに車を停め歩いて北へ
朝庫稲荷神社
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鎮座地:笠岡市笠岡5597
由緒、御祭神共に不明

元のR2号へ戻り左折し、次の信号西ノ浜を左折して34号へ、ぐるっと回って線路を越えていくとロータリーが有ると思ったが無し、行きすぎて前方ファミリ―マート、手前の信号を左折、直ぐ右折した左手奥に神社、手前の路肩へ車停め歩いて参詣
北八幡神社
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鎮座地:笠岡市笠岡5289
由緒、御祭神共に不明

西側に赤い鳥居が見えるので歩いて参詣(此処も良く分からない宗教法人)
正統稲荷社
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鎮座地:笠岡市笠岡
由緒、御祭神共に不明

34号を引き返し前方跨線橋手前の信号を右折して進み(一方通行)前方神社横の坂道を登った先に駐車場
天満神社
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鎮座地:笠岡市笠岡5531
由緒、御祭神共に不明

素直に引き返したいが、一方通行と歩行者専用の標識、良く分からないので神社降りた先を左折し、標識へ従って進むと結局線路を越えR2方へ、再度34号を走り元の位置近くに市役所通りの一本東側の通り広場の途側に車停め手前にあった稲荷を訪ねる(裏側には秋葉宮)
板倉大明神
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鎮座地:笠岡市中央町13-2
由緒、御祭神共に不明

一つ西の南北の通りには、少し奥まった左手に神社(フェンスで囲まれ中には入れない)
荒神社
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鎮座地:笠岡市中央町15-2
由緒、御祭神共に不明

車を停めた位置から真っ直ぐに進むと突き当りに鳥居、手前に車停め参詣(階段の草取りをしていた人に確認し、この近くの神社のことも聞く)
陣屋稲荷明神
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鎮座地:笠岡市笠岡1839
由緒、御祭神共に不明

直ぐ手前の道へ戻り左折して進んで行くと先の信号で60号に、前方緩くカーブした先の信号の手前に車停め、坂道を上がった先にある『笠神社裏参道』の方向へ、そして南側へ廻り表へ
笠神社
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鎮座地:笠岡市笠岡679
由緒:当社の創建は不詳であるが、鴨別命が功あって笠臣の姓を賜り、当社を勧請したとも伝えられている。後にカサメと変じて笠岡となる。正応(1288)大嘗会和歌集大蔵卿隆博の詠んだ歌に「天の下かさめの山の草木まで春のめぐみの露ぞあまねき」とある。往古、笠目山(応神山)に応神天皇が御巡幸の際に、狩をされ一陣の風に、天皇の被っていた笠が飛び麓の松の木にかかった。その松を「笠掛の松」と呼び、そこに八幡神社が建てられた。天文年間に第16代村上天皇の後胤村上左近大夫隆重が、古城山に城を築いてより、累代城主が当社を崇敬し、社殿を改築し、祭祀を厳重にし、永禄13年(1570)8月その式目を定め祭式及び献饌の品を規定し、御供料米3石3斗、銭3貫300文、大御供料米10石、銭10貫文白飯御供料米1石8斗、銀360目同3石6斗、銀720目等の制を設けた。村上左近大夫隆重の書状に、「当所伏越八幡宮造立堅固候条薦其忠功云々」とある。伏越八幡宮、宮地八幡宮、東八幡等の名は笠神社の中古から慣例の古称であって、現在の笠神社は、「備中国本宮書記略」によって、社号の復旧を願い出て、明治4年正式神社名となった。氏子 5,000戸(笠岡の総氏神)
御祭神:応神天皇、天照皇大神

60号高架の下に鳥居あり、笠神社の直ぐ近く、歩いて参詣
稲富稲荷神社
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鎮座地:笠岡市笠岡2363
由緒、御祭神共に不明
どちらの神社も車で可能、しかし参詣口が離れているので面倒か、今回車を停めた場所の坂道を登り60号高架の下に広場あり、日陰もあり此処に停めた方がベターか?

60号を進まず直進して線路を渡り、右折すると山陽マルナカ駐車場の一角に稲荷が
笠岡稲荷大明神
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鎮座地:笠岡市笠岡
由緒、御祭神共に不明
マルナカは後での出店が多いせいか何かイメージとして構内に神社が多いような気がする?

少し進んで左折して進みR2号へ、東へ進み、五番町から二番町へと進んだ先を左折した先、広場の奥に(実際は一本手前を曲がりザグザグの駐車場に-本当はキタムラの先を左折)
和霊神社
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鎮座地:笠岡市富岡475-9
由緒、御祭神共に不明

道が細いので歩いて、線路脇の道を東へ踏切を渡り直進した先(右手に公園が有りその東に富岡会館、そこに駐車可能)
徳民於賀神社
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鎮座地:笠岡市富岡863
由緒、御祭神共に不明

R2号を東へ、里庄駅前信号の先、右折して進んだ交差点の北側、注意しないと行き過ぎる(実際その通りの行動-参道口の小さな空地に車停めたが、登って行くと駐車スペースあり-神社裏がR2号になっており車で東方向からは登りやすそうであるが、清掃されてなく何か登るのに不安)
八幡神社
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鎮座地:浅口郡里庄町新庄2702
由緒、御祭神共に不明

R2号を進み新庄の信号で右折、カーブした先を右折して進み、池の先のT字路を左折して直進する感じで進むと前方に『アカセ』の工場、右手に鳥居、路肩に車停め参詣(南側にも参道があるがあまり整備されてない)
日吉神社
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鎮座地:浅口郡里庄町新庄1664
由緒、御祭神共に不明

上記神社から北方に見える、前の道を進んで行くと左手墓地とお堂の隣に
荒神社
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鎮座地:浅口郡里庄町新庄
由緒、御祭神共に不明

R2号へ出る予定で北東方向へ進むと池の側の木立の中に
不明地神
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鎮座地:浅口郡里庄町里見
由緒、御祭神共に不明

川沿いに北東へ進んで行き64号へ、左折して進みR2号へ、何のせいか分からないが渋滞している、別に急がないのでのんびりと進むが、更にいつものように玉島から高梁川手前までやはり非常に混んでいる。
そろそろ帰りのコースを真剣に考える必要があるのか

神社廻り-鏡野町方面

今日も暑くなりそう、思い切って県北へ出掛けることに、女房が居ないので犬を連れ、涼しいとは思うが暑さ対策もバッチリ。
R53号より、打穴中(美咲町)信号で159号、そして直進して70号へ、本来このまま進めばいいが前方で左折して159号を進み、前方R429号で右折して進み70号へ戻り、R181号へ、何回か通っているが国道へ出るのは難しい。R179号へ出て前回同様北上するコースを進む。
R179号が北西方向から北上に変わる先、右折して339号を進み突き当りを左折して進んで行くと右手に鳥居、直ぐ先の路肩へ停車し参詣
正一位稲荷神社
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鎮座地:苫田郡鏡野町布原435
由緒、御祭神共に不明

先に進み新339号へ、左折し進みR179号へ戻り進んで行くと右手に神社が右折して進むと突き当りが神社、前に停車し参詣
夜中神社
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鎮座地:苫田郡鏡野町寺元
由緒、御祭神共に不明

神社前の道を左折して進み、前方を右折して進み、前方十字路左折して進むと前方金網のフェンスの先の土手上、路肩に車を停め参詣(注意しないと見落とす可能性大)
美保神社
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鎮座地:苫田郡鏡野町沖
由緒:不明、別名明神様
御祭神:美穂津姫命

R179号を北へ右手『桧の里』で右折して進んだ左手の小山(ゴミステーションの先、地元の人に聞かないとまず分からない、入口に小さな鉄柱、車で参詣可能だが枯木等で通行し難く、駐車スペースも整備されてない)
八幡神社
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鎮座地:苫田郡鏡野町貞永寺1150
由緒:本社の創建年月、由緒等は不詳である。
御祭神:品陀和氣命、息長帶比賣命、帶中日子命、天照大神、天兒屋根命

R179号へ引き返し、奥津湖の北まで一気に進み、奥津湖を過ぎてしばらく進み道が右にカーブした先、右手に橋がある附近の左側山の中にあるはずの『茅野権現神社:苫田郡鏡野町西屋』の参道らしき道を探しながらゆっくり走るが分からず(地図上にも道らしきもの無し)

少し進むと左手に石段と鳥居、路肩に車停め歩いて参詣(歩くと意外と距離がある-少し先、左手坂道が参道で道幅も結構広い)
泉神社
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鎮座地:苫田郡鏡野町女原14-1
由緒、御祭神共に不明
ここのガソリンスタンドで前記神社の話を聞くが全く不明

R179号を更に進み、奥津温泉を過ぎ、トンネルを抜けた先、右手の橋を渡り進んで行くと左手に、(手前に空地)
奥津神社
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鎮座地:苫田郡鏡野町長藤197
由緒:本神社は大正4年3月18日、現在地である元村社八幡神社(創立永久2年、祭神 足仲津彦命、品陀和気命、息長帯媛命)に同村大字奥津字宮ヶ瀬 村社 美湯神社(創立仁安2年、祭神大己貴命、少彦名命)同村大字下齋原字真井 村社 眞井神社(創立承安2年、祭神大己貴命)の両社及び各大字に在った。無格社20余社を合祀、村社奥津神社と改称する。作陽誌に「本社前に亀石あり。形相似たるを以て名つく。或は腰懸石とも云ふ。昔行客あり路を失ふて此に至り一老翁に遇ふ。龍眉偉貌此石上に座せり就て道を問ふ。翁起って倶に行き遂に本路に出るを得たり。客謝して将に去らんとす。翁即一小筒を授け戒めて曰く、前途青衣の童子あり。當に切に之を避くべし。若難あれば則筒中の水を灌ぐべし、言い訖って去る。客甚だ信ぜず然れ共心之を異む。行く事数里にして果して童子に逢ふ、客走って避けんとす。童子追ふて既に迫る事急なり。困って筒中の水を取り之を灌ぐ、童子狼狽して反って走る。未だ数十歩ならずして斃れ縮みながら形を変す。乃ち青色の蛇なり。始めて翁の是れ神なりしことを知る云々」とある。
御祭神:大己貴命、少彦名命、足仲津彦命、品陀和氣命、息長足媛命
橋を渡って進んだ先に石燈籠が左右に二基、昔の参道口か?

R179号を進み、妖精の森ガラス美術館入口に鳥居、真っ直ぐ進むと神社階段、左手に車道が整備されている
上齋原神社
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鎮座地:苫田郡鏡野町上齋原666-4
由緒:当社は往昔には国司神社あるいは国主神社又は国司大明神と称していたが、明治6年に上齋原神社と改称し、村社に列せられた。御鎮座の年月は詳かでないが康安元年辛丑の秋、神主 渡辺兵庫介継が氏子の協力を得て、社殿を修築したことを殿内所蔵の小石に彫刻してある。口碑によると往古大穴牟遅命が国土経営の神であるが故に、村内の広漢とした原野の中に斎祀って、この村を拓き齋原村と称したという。村は寛永年間に上齋原、下齋原の両村に分かれた。明治44年4月20日現社地に社殿を造営して遷座し、同時に村内の各部落に鎮座の小社を合祀して1村1社とした。
御祭神:大穴牟遲命

R179号を更に進み、前方を右折してR482号へ、しばらく進んで行くと左手に木の鳥居が-直ぐ先にももう一基、祠らしきものが2つ有るが良く分からない、
不明神社
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鎮座地:苫田郡鏡野町上齋原
由緒、御祭神共に不明

R482号を更に進んで行くと前方に『遠藤』の標識右折して進み、前方Y字路を左折して進んで行くと公園と奥に神社、公園に車停め参拝
金屋子神社
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鎮座地:苫田郡鏡野町上齋原
由緒、御祭神共に不明

R482号、R179号と引き返し奥津温泉、そしてトンネルの先右手に『岡山県森林公園』の表示右折して116号を進んで行くと右手に-前後に駐車スペース有
羽出神社
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鎮座地:苫田郡鏡野町羽出682
由緒、御祭神共に不明

前記神社前の116号を進み前方三叉路で116号と分かれ右手森林公園方向へ進むと右手に
丸山神社
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鎮座地:苫田郡鏡野町羽出
由緒、御祭神共に不明
『岡山県森林公園』まで行っては見たが広いのとマムシ注意の表示で犬がいるので中止、時間があるので少し寄り道をして帰ることに

R179号を下り泉神社の先左にカーブした処右折し56号を西へ進む-これがカーブの多い坂道が主、広くもないので結構苦労する-山中を過ぎ集落に入り、富郵便局先、駐在所の先を右折し、富中学校横へ車置き歩いて参詣。神社の東側に駐車場、西側の道路は道幅が広く手前に置ける。
布勢神社
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鎮座地:苫田郡鏡野町富西谷220
由緒:御霊代を中心に本殿と相殿が並列し、両社とも方一間の春日造り。妻側に庇を付け、正面は四つ折り唐戸を有し、妻、虹梁など組物の装飾は豪華である。繁たる木を用い、屋根は銅板葺き、勝男木・千木をのせた立派なお社で嘉永六年(一八五三)四月再建立された。古くは布施大明神と呼ばれ、富の庄二十四か村の総鎮守で社領三町八反を有していた。中世には京都仁和寺の社領でもあった。当社は古代、白河山の宮住に鎮座されていた。ある時、里への御幸の途中で大暴風雨に遭遇し、水無谷から漂流した。そして、柚子の木につかまりようやくたどり着かれた場所が、三塚の壇のふもとであった。邑人は三塚の壇の祠を建て祭儀していたがこの下を通ると災厄があり永享年中(1429~1440)現在の平地に社殿を遷したと伝えられている。
御祭神:素盞嗚尊(本殿)、奇稲田媛命(相殿-櫛名田姫命)

56号を更に西へ進み、前方三叉路を左折して65号を進むと左手にカーブした小集落の先、注意すれば左手に鳥居、停める処が無いので右手参道を車で、途中カーブし難い処へ車置き参拝
神田神社
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鎮座地:苫田郡鏡野町大766
由緒:神田神社の歴史は古く、最古の棟札には至徳4年(1387年)に再建されたと記されています。
御祭神:不明

途中、民家の側に祠があるが不明である
不明祠
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鎮座地:苫田郡鏡野町楠
由緒、御祭神共に不明

65号を更に南へ進んで行くと左手川の向うに神社が、前に架けられた橋を渡って参詣-通りかかった地元の人が神社に蜂が巣を作っているのでとついてきてくれた、手前の赤い鳥居は大水で流されずに残った一部だそうだ
樫郷神社
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鎮座地:真庭市樫西
由緒、御祭神共に不明

65号を更に南へ進んで行くと川向うに神社、見渡しても橋は架かってない様子、前方に見える橋を渡って出会った人に聞くと山際の道を川沿いに進んで行くと良いとのこと-進んで行くと前方に防護柵、手前の空地に車停め歩いて進んで行くと、神社手前に降りて行く道跡がある。
三社神社
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鎮座地:真庭市樫西
由緒、御祭神共に不明

更に南へ進んで行くと前方に米子自動車道、潜って進んで行くと『樫西コミュニティハウス』先の三叉路を左手に取り82号を東方向へ進んで行くと、再度米子自動車道を潜って東へ進むと前方左手に鳥居が見えるので左折して進み鳥居の辺りのスペースに駐車(結構広い-左側に車道も)
守吉神社
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鎮座地:真庭市樫東1361
由緒:創立勧請不詳ながら、旧大庭郡美和郷の一宮として国主、領主の尊崇深く、就中天正年間本村高山城主、岩佐勘解由の家臣岡本兵衛之輔が甲胄を、又吉野郡竹山城主新免伊賀守次男新見壽丸この地に土着し当社を崇敬、鎗(銘天道陣正)の献納を受けるなど、古来より由緒ある神社であったことが伺える。ご本殿は、左宮を守宗大明神、右宮を王子権現と称し、元禄7年(1694)再建された時、両殿合併一社に建て替えられ本殿内を左右に区分二座を奉齋し、明治2年守吉神社と改称された。現在の社殿は、天保13年(1842)再興された時の建物ではないかと思われる。当社には古来氏子内に8戸の当屋株(世襲)があり年々交番で神酒3升、和稲3升を神饌として供える慣わしがあった。(現在は行われていない)又、氏子内の加藤氏は例祭に神馬を出し甲胄を着し弓矢を把持し御輿の先駆をなした。(現在では作り物の馬を持ち境内3周の時のみ御輿の先駆を奉仕している。
御祭神:日本武尊

更に82号を進んで行くと北上する感じ、少し後悔するが進んで行くと、右手水田の先の山裾に赤い鳥居、路肩に車停め畦道を通って神社を目指す-神社前に防護柵、縛ってあるのと階段が崩れそうな感じなので下から参詣
青木神社
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鎮座地:真庭市余野下
由緒、御祭神共に不明

82号を北東へ進んで行くと前方に大津神社の案内、案内に従って橋を渡って進み、同様に案内表示に従い左折、右折して進むと広い駐車場
大津神社
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鎮座地:真庭市余野下728
由緒:当社は正平4年11月8日に信州戸隠神社から御分霊を奉祀したと伝えられているが、氏神としての奉祀ではなく、何等かの信仰霊験によって勧請されたものであろう。 古来から大津大明神と称し、開運、農業、商工業、諸芸能上達、結婚、病気、一家和合等諸方面に霊験あらたかであり、福運を授ける神として、全国に崇敬者をもっている。
御祭神:天手力男命

更に82号を進んで行くと左手に鳥居路肩に車停め参詣
中谷神社
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鎮座地:苫田郡鏡野町中谷4405
由緒:当社は国主森氏及び松平氏の崇敬厚く享禄2年一公三卿を相殿に祀り花王神社と社号を改める。明治11年花王神社を廃し、老男山神社と改称する。明治41年村内神社を合祀し、同44年中谷神社と改称、一村一社とした。昭和16年1月郷社に昇格。
御祭神:伊邪那岐命、伊邪那美命、足仲津比古命、大地主命、禍津日神、保食命、品陀和氣命、息長帶媛命、甕速日命、大己貴命

今回後半のコースに無理があったようだ、山道が多く西方向へ進み過ぎ、そして南北にウロチョロすっかり遅くなってしまった。遅くなると太陽が西に傾き、好きな位置から写真が撮れないし、暗くて写真が汚い。はやりコース見当が必要だが、今後も知らない場所が多く山中とか、神社間に距離が有ったりとか厄介だろう。
今回予定最後の神社から82号を進みR179号へ出る予定がどこかで間違えて337号を吉井川沿いに南下したよう、このまま進んでR181号出れば良かったが、多分途中道が狭く西へ向かって院庄IC手前でR179号へ、後は
これまで通りに帰宅

神社廻り-県東北方面

暑くなるのは確かで、天候の方ははっきりしない様子、岡山県の東方面で参詣忘れを片づけて、八塔寺方面を目指す
R2号線三石で左折し、96号へ左折して、96号を進み前方T字路の信号を左折して進み、前方R2号下に空地があるが車が止まっており駐車無理、少し手前を右折して三石小入口あたりへ車を停め参拝する
八幡宮、三石八幡宮
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鎮座地:備前市三石3216
由緒、御祭神共に不明

96号へ戻り、96号を県境付近まで南下すると右手に神社前の路肩に車を停め参詣(96号が東方向に向かい出したら)
荒神社(福石荒神社)
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鎮座地:備前市三石2211
由緒、御祭神共に不明

三石方向から96号で西へ、川沿いに西方向へ進んで行き、前方右手の橋を右折して渡った処に『金谷首塚様』が少し進んで、右折、線路を潜る道があり線路を潜って直ぐ左折して進むと石燈籠、進んで行くと鳥居、その横の路肩へ停めて
金彦神社
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鎮座地:備前市吉永町金谷370
由緒、御祭神共に不明

96号へ戻り、西へ進み、吉永駅北で368号を北へ、八塔寺川沿いに北へ進んで行き、前方三叉路を左へ進んで行くと左手に石柱、左折(石柱)して進むと突き当りに神社(神社右手に広場あり)
神根神社
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鎮座地:備前市吉永町神根本1147
由緒:当社は延喜式神名帳(967)に神階従2位とある。旧社格、郷社(郡内では1社だけ)祭神は木花開耶姫命、相殿=天照皇大神、境内末社=天神社(菅原道真)縁結成就を始め、除災招福、延命長寿、五穀豊穣、旅行安全、諸願成就、学問、 病気平癒に霊験があらたかである。
御祭神:木花咲耶姫命

北上を続け八塔寺ダム、トンネルと進み368号を北へ、右に90号の先左折して橋を渡り、右手前方に鳥居
熊野神社
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鎮座地:備前市吉永町都留岐
由緒、御祭神共に不明 

90号へ戻り東へ、前方の八塔寺表示の先三国小の手前の道(368号)を進んで行くと右手に鳥居、路肩に車を停め、勾配のある坂道を登って参詣
八幡宮
x0630page
鎮座地:備前市吉永町加賀美
由緒、御祭神共に不明 

368号を進んで行き、前方の三叉路は右折して368号、しばらく進むと左手に表示あり、この辺りに車停め歩いて参詣-今回の参道は遊歩道の入口?、実際に進んで行くと舗装された道に、しかし枯木等が道にありあまり利用されてないか?未確認だが三叉路を左折して進んだ先で参道を探せば車で可能か?
滝谷神社
07152page
鎮座地:備前市吉永町多麻1343
由緒、御祭神共に不明 

三叉路へへ引き返し右折して426号へ、北に進み前方T字路を表示に従い左方向へ426号を道なりに進むと『八塔寺ふるさと村』へ、民俗資料館に車を停め、北側にある『八塔寺国際交流ヴィラ』後ろ側に見える鳥居を目指す(車で十分可能)
日吉神社
07151page
鎮座地:備前市吉永町加賀美1209
由緒、御祭神共に不明 

426号を引き返し、前方T字路を直進して90号と引き返し(元の処の西)90号を右折して北西へ進み、前方三叉路を左折、前方の道を右折すると直ぐ先に鳥居
熊野神社
x0631page
鎮座地:
備前市吉永町都留岐
由緒、御祭神共に不明 

神社前を北へ進み、左折して46号を進み、右折北上する46号を直進、三叉路を『高去』方向へ、次の三叉路も直進すると右手に
十二柱神社(横尾神社)
15075page
鎮座地:美作市横尾1398
由緒、御祭神共に不明 

元の46号まで引き返し、岡山国際サーキット横を北上し、その先トンネルを抜けた先を右折(鳥居)進むと川向うに、また神社の裏には『琴弾の滝』がある
天石門別神社
15076page
鎮座地:美作市滝宮89
由緒:当社は第10代崇神天皇の御代、四道将軍大吉備津彦命が、吉備地方平定報賽のため、自ら鎮斎したと伝えられている。延喜式内小社。清和天皇の貞観5年、神階従五位下から従五位上に昇叙せられている。嘉元3年地頭平重継が御社殿を再建。明応8年地頭平国綱が神田武具を寄進。元禄10年津山城主森長俊が御社殿を再建。享保15年から領主の代参が例年のようにあった。明治6年郷社となり、明治13年に県社に列格した。
御祭神:天手力男神
境内末社という感じもしないでもないが、半分壊れかかった神社として『御楯神社』があるが?

明日県北へ行くつもりなので今日は取敢えず帰宅することに、46号を引き返し、90号で西へ進み、吉井川でR374号で南へ、佐伯で53号へ、前方で美作岡山道路へ乗り、未完成なので403号で西へ途中南下し253号へ、後は砂川を渡り81号で岡山へ

今回計画が悪かった、急遽出かけるのは無駄が多い、とは言っても簡単に分かる処だけではないので仕方ないか?

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