岡山県内神社巡り(メイン)

片っぱしらからの神社巡り

2015年06月

神社廻り-牛窓方面~近辺の未参詣神社へ

梅雨の間の好天?、牛窓方面が途中だったので久しぶりに目指す。2号線バイパスからブルーウェイで、神崎ICで下りて28号で牛窓方面を目指す。
28号を進み右手池の先、右に大きく下部して南へ進んだ先、右手の坂道を登って行くと『遍明院』の駐車場が、通行自粛の表示があるが先に進むと墓地用の駐車場があるが今回はお寺の駐車場に停めて前方の石段を登って行くと左手に鳥居が、その奥に『弘法寺』がある。神仏混合の名残か、手前のお寺に比べあまり手入れされてない。奥に車道が南側から行けそうだが確かめていない。
千次神社
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鎮座地:瀬戸内市牛窓町千手245
由緒:創建年代不詳、中古は地主権現と称し千手山弘法寺の社僧が奉仕していた。
明治3年12月から神職が奉仕し社号を千次神社と古に復した。本神社は池田家の崇敬が深く元禄11年(1698年)3月社領百石の寄進があった。天明4年(1784年)池田宗政が山王宮(千次神社)を再建し明治3年11月まで社頒五十石を奉納した。同12月、更に拾五俵一斗四升二合を奉納し明治5年6月まで寄進した。明治40年10月神饌幣帛料供進神社に指定せられた。
御祭神:千次神、日吉神

28号を牛窓方向へ進んで行き、鹿沼信号の先『鹿沼ふれあいプラザ』に車を停め、ややこしそうなのと道の広さが分からないので歩いて次の神社に参詣
『鹿沼』信号まで戻り右折して北側に進み突き当りを左折して少し進んだ先の下側-少し狭いが車でも可能だが止めた方が賢明-
片山神社
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鎮座地:瀬戸内市牛窓町鹿忍
由緒、御祭神共に不明
訳の分からない神社

この道の先に『宇賀神社』が有りそうだが山道で分かり難いので、一旦28号迄戻り西へ牛窓西小学校先の細い道を右折して進んだ突き当り
荒神社
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鎮座地:瀬戸内市牛窓町鹿忍
由緒、御祭神共に不明

北の山側へ出る道を探して歩いていると木立の暗がりに
不明神社(ゴロウ)
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鎮座地:瀬戸内市牛窓町鹿忍
由緒、御祭神共に不明
『五郎神社』の当字か、全く一般的に使用されてない漢字、何かこの辺り探せば他にも個人の神社でもあるのか

出会った道を左手に登って行くと右手に、先を進み前方の下る山道を降りると小学校の横へ(230号を進み最初の角を右折して進むと同じ道)
宇賀神社
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鎮座地:瀬戸内市牛窓町鹿忍
由緒、御祭神共に不明

28号を東へ進み、右手の小山を目指し前方V字路を右折して坂道を登ると左手に、所々に道幅が広い処が
祇園神社
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鎮座地:瀬戸内市牛窓町鹿忍
由緒、御祭神共に不明

更に進んで行くと右手に鳥居、前に車を停め参詣(『ホテルイルマーレ牛窓』の先に車での参道が)
鹿忍神社
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鎮座地:瀬戸内市牛窓町鹿忍484
由緒:当社は奈良春日大社の祭神と同一神であり、創立年月日は明らかではないが「神護景雲年間(767〜770年)に再建」と元和3年(1617年)丁己5月の棟札に記されており、「往古は鹿歩山明神 稲の神稲津明神と唱えられ、社檀十二宇、本社五社、社領田十八町歩、社家数多くあった」と口碑に伝えられているが、後に五社大明神と改められ、慶長19年(1614年)3月に社宇外焼失により再建され、後に明治2年鹿忍神社と改号された。当社は往古鹿忍荘内五か村の産土の神として祀られており永仁元年(1293年)8月の鹿忍大明神縁記に依れば、弘安の役に奇異の霊験があったと言う。山田彦命は猿田彦命の第二王子であり。中臣連時風秀行を供として、夜々鹿に乗り竿濱千斬稲津崎之星の如く遷らせ給ひ、異賊を退治し給う、この時矢が多く流れてその矢は明神の北の山に埋め矢塚と言う。宮山を鹿歩山と申し地名を鹿忍と名付けられた。また、竿濱を矢寄ケ浜と呼び、岡を星ケ岡、宮前、飯田、御供田、神楽田、勝負田、鹿伏、稲津崎、舛原、米倉などの字名が伝わっている。慶長年中(1596〜1615年)には金吾中納言殿より社領十三石が寄付され、また寛文年中(1661〜1673年)には池田光政公より、社領一石家禄二石八斗が寄付され明治5年まで受頒していた。
御祭神:天児屋根命、布津主命、武甕槌命、姫大神、山田彦命

元の場所へ引き返し『鹿沼』信号へ、左折して232号を進み前方小山の手前を右折して進んだ先
御崎神社
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鎮座地:瀬戸内市牛窓町牛窓5422
由緒:本神社は勧請年月は不詳であるが、往古出雲の小濱より御遷座されたと口碑があり、寛文8年(1668年)の新築棟札に古来霊験著しく、社殿等の修理改築は信徒の寄付に依って充てられたと言う。現在も町内の信者を始め他地方からの参拝者が多く、霊験ありと言う。
御祭神:大己貴命、大物主神

232号を南西に進んで行くと西脇海水浴場、右手に
大巳貴神社
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鎮座地:瀬戸内市牛窓町鹿忍
由緒、御祭神共に不明

更に232号を南西に進んで行くと前方峠、右手に階段があるが札所、この前に車を停め、前方左手の坂道を下って先、左折して進んだ左手に
金比羅神社
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鎮座地:瀬戸内市牛窓町鹿忍
由緒、御祭神共に不明
歩いて参詣したが、坂道を有りた先までは車でも道幅は十分だが、ガードレールが無い処もあり坂道が急なので多分前が見えなくて危険-車を停める空地はある

232号を更に進んで行くと港の端右側に
不明祠
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鎮座地:岡山市東区宝伝
由緒、御祭神共に不明

意外と早く今日の予定を終了、これまで参詣忘れの神社を巡ることに
323号を宝伝で北上、道なりに進み、右折して234号へ、道なりに進んだ前方(安仁神社への道)右折して235号を東へ進み、突き当りを右折して進み、突き当りを左折して川沿いに進み広めの路肩に車を停め歩いて参詣
(近くで聞いた人に間違えて咳神宮を教えられる、実際に行ってみて此の方向から行けないことを確認して引き返すと先ほどの人が聞き間違えて違う神社を教えたと言い、前方の道を進んで行くとOK-車でも可能だがUターンが難しいかも-と言われたので歩いて参詣-結構な距離-途中に墓地があり車停めることは可能、先の神社に入る十字路辺りのUターンは可能だった)
瀧神社
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鎮座地:岡山市東区西大寺一宮1653
由緒:創立年月日は不詳、社名は前方の懸崖を通して直下転流する丸山川の瀧津瀬に因りて起こる。備陽国誌には瀧権現とあり、その社名を刻んだ豊島石片が保存されている。本殿は嘉永6年(1854年)改造し、その古材を以て拝殿に用いとあるが、明治40年、日露戦役報賽記念として、本殿大改修、末社・拝殿改修の際、不用に帰し廃捨した。
宝永2年(1706年)建立の随神門は往年頽廃して守護神二体は本殿内に安置していたが、明治37年8月国幣中社安仁神社の旧随神門を譲り受け建立する。(守護神は桃山時代の作)、本殿及び末社の亀腹石も安仁神社旧本殿に用いてあったものである。
御祭神:瀬織津姫命、大己貴命、素盞嗚神社

元へ引き返し234号を北上し、前方突き当たりを左折して28号へ、永安橋少し手前を右折して69号へ、進んだ先で左折して雄川橋方向へ、前方吉井川土手を北へ進み、前方小高い丘の手前を右折、左折して進んで行くと前方に階段、登るのを諦めて再度土手に出て進むと右手に参道、車で登り参詣(神社の手前福山公会堂横にある社は何かの関係?)
ひ爪神社
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鎮座地:瀬戸内市邑久町福山202
由緒:当社の創建年月日、由緒等は不詳であるが、本国総社神名帳には、ひ爪神社(「ひ」は土へんに要)、またひ爪大明神と記載があり、備前国古社式内外128社の一社とある。社記の参考となるのが慶長2年(1604)神職居宅の火災により、焼失した。池田家の崇敬により社領8斗が明治4年まで寄付された。
古くからは、八幡宮を氏神として奉祀していたが明治初年、神社を整理していた際、ひ爪神社を相殿とし明治9年頃の官簿では、ひ爪神社が氏神となり、八幡宮が相殿に変更されている。
明治44年、事情により八幡宮のみが、郷社豊原北神社に合祀された。本国明神町「正三位ひ爪大明神」とある。明治9年10月19日、ひ爪神社と復称し、御祭神をひ爪神と改定された。大正11年5月神饌幣帛供進神社に指定された。
御祭神:ひ爪神

やはり急遽廻るとなると難しい、今度は赤磐市の熊山地域の北方を目指す、まずは気になっていた『石蓮寺』を何か入り組んだ先の高台と言う感じ。
吉井川を溯り、R2号で吉井川西岸へ、北上して96号、79号と北上し前方左折して403号を町苅田方向へ、熊山IC先に『石蓮寺』の標識右折して道なりに進んで行くと『石蓮寺みんなの森』へ行き着く-分かり難い処には『石蓮寺みんなの森』の標識あり、意外と山中を進むわりには道は整備されていて分かりやすい(『石蓮寺みんなの森』の北側に祠があるが不明)
日吉神社
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鎮座地:赤磐市石蓮寺729
由緒:当社は、石蓮寺の山頂金堂跡に祀られており、建久6年(1195)頃の創建と伝えられている。祭神は大山咋命である。昔は山王宮といった。鳥居の額にいまもその名が刻まれている。本殿は流れ造り一間社で、末社には「稲荷」「龍王」「荒神」「祇園」「愛宕」の各社を祀っている。平満山石蓮寺は、奈良時代に報恩大師が建立した備前48ヵ寺の一つといわれる。古代中世に栄えたが、近世初期の寛文年間に廃寺となった。金堂跡は現在日吉神社のあるところで、境内に数個の礎石が見えている。神社のすぐ近くに石蓮寺の十三重層塔があり、岡山県の重要文化財に指定されており、広く一般に知られている。
御祭神:大山咋命 
日吉神社の周辺は、近年「みんなの森」として整備され、自然を満喫できる遊歩道や展望台がつくられている。展望台からの眺めは抜群である。

元の403号まで引き返し、西へ進んで行き前方三叉路を右折して桜ケ丘霊苑方向へ進み墓地の北側に駐車場、そして奥に階段が
熊野神社
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鎮座地:赤磐市野間101
由緒:当社は、寛文六年(1666)以前の創建で、旧社号は黒田権現と称した。野間乢(のまたわ)に近い山頂に祀られている。祭神は紀州熊野神である。本殿は本瓦葺き流れ造りの一間社で、鳥居はなく石の注連柱が参道入り口に建っている。
御祭神:伊邪那岐命、伊邪那美命

少し遅くなったが参道が分かり難いと思われる神社を目指す、引き返し『可真郵便局』手前を左折して山際を進み、前方の集落を目指し『稗田公会堂』に車を停め前方の山中を目指す-最初に会った人は前方の山へ行ける道が有ると思うがよく知らないとのこと。
山中へ進める道があったので進んで行ったがどうも東に行き過ぎた感じで、どうも道が違うよう、引き返した途中出会った人に聞くと、丁寧に教えてくれ防護柵の処まで案内してくれた。例祭が有る時は地区の人がお参りし道も整備されるみたいだが今はちょっと草ぼうぼう
0武津神社
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鎮座地:赤磐市稗田471
由緒:当社は、天王山の中腹に祀られている。本殿は流れ造りの一間社である。大正初めに山頂にあった天津神社とふもとにあった祇園社を合祀したと伝えられている。
御祭神:天宇受賣命、天御中主尊、素盞嗚尊

山陽団地を北から南へ抜け(253号)27号で帰宅、何時通っても此の近辺は昔の名残なし。 

神社廻り-備前国総社宮-再訪

前回の山道でスリップして立ち往生した記憶が鮮明なのか、何故か出掛ける気がしない。注文していたクリップレンズセットが届いたので、何の心配もなく近くにある備前国総社宮へ参詣、昨年の6月24日に参詣した際には拝殿が改修工事中だったので
備前総社宮
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鎮座地:岡山市中区祇園596
由緒、御祭神は同様
クリップレンズの使用感を確かめるためと他に予定もないのでのんびりとしていると禰宜の方に冷えたお茶を勧められた、初めての経験。
参道脇が木立に囲まれ縁台等が置かれ涼しげな雰囲気の中で雑談を色々と
そしてこの神社が備前国内128社の御祭神を合祀されているとのことで帰ってホームページから神社を確認、これまで廻って来た神社と比較、未参詣の神社をチェックする予定
禰宜の武部氏に聞いて小豆島は備前国だったこに驚く、昔真偽は別にして岡山県と香川県の境界を決めるのに樽を流したと言う話を思い出す。
肝心のクリップレンズはやはり安いだけのことはある、取り外し交換するタイプの割にはちょっとチャチ、早めに壊れるか、面白い使用が出来る気はするが。

前回参詣時
 
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神社廻り-倉敷市高梁川西岸2

梅雨の晴れ間を狙って今日は前回の続き?と言う感じで倉敷市の高梁川西岸方面へ、例によって新幹線脇を倉敷方面へ進み60号で高梁川を渡り、左折して60号を進み、右折して北へ、玉島IC先で54号で北へ進み高速を潜る。
前方左にカーブし始める処を右折するつもりだったが行き過ぎるたので、前方小原商店手前の右側の道を進もうと思ったが狭そう、当所の道まで引き返し進んで行くがやはり道幅狭く、枯木等で通行し難い。突き当りの左手に、前に車停め参詣
塞神社
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鎮座地:倉敷市船穂町船穂7594
由緒、御祭神共に不明

神社前の道を少し進み、右折して進んだ左手に鳥居が、道幅はあるので路肩に車停め
金刀比羅神社
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鎮座地:倉敷市船穂町船穂7147
由緒、御祭神共に不明

元の54号へ引き返したいが御幅狭いので、前方南へ進み突き当りを右折して進み、更に広い道と出会うと右折して高速沿いに進むと前方に信号、右折して54号を北上、前方広域農道を潜った先を右折して進んで行くと右手に池、池の東奥の木立の中、池を廻り込み感じで参道が
畑神社
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鎮座地:倉敷市玉島陶
由緒、御祭神共に不明

広域農道を三叉路まで引き返し、右折して進んだ右手池の側に鳥居池の側の路肩へ車を停め
畑神社(牛頭天王宮)
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鎮座地:倉敷市玉島陶35
由緒、御祭神共に不明
近くで出会った人に聞くとこの神社が畑神社とのこと、先ほどの神社は?

54号まで引き返し、北へ進んだ車の解体屋の後、路肩へ車停め
荒神社
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鎮座地:倉敷市玉島陶
由緒、御祭神共に不明

54号を北へ進み、前方左手並行する道の細い道を北へ小学校先で左折して進み、次を左折して進んだ右手に鳥居
荒神宮
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鎮座地:倉敷市玉島陶
由緒、御祭神共に不明

神社前の道を進み、直ぐに左折して進み左手橋を渡り直ぐに右折して川沿いに進み、再度橋を渡り、川沿いに進んで行くと前方に広い道に、左折して進み、直ぐ右折して進み前方広めの処へ車停め、山上を目指し進む、途中近所の人に会ったので聞くと『人家の裏側の細い市道を進み竹藪の先墓地の側に石段を登った先』とのこと、聞かないととても行きつけない?、帰り道で確かめたが真南へ下りたところに車で行ける道があるが駐車に困ると思われる
寒田山ノ神神社
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鎮座地:倉敷市玉島陶
由緒、御祭神共に不明

ここからがこれまで最高の大問題、南へ進むと広域農道へ右折して西へ進むと、右手『中田・粟島神社』表示を、歩いて参詣しようか車か悩んだが、道は細いがコンクリート舗装されていたので車で、途中何回かずり落ちそうになるが何とか神社前に、山道を歩いて登り参詣を済まして返ると軽トラックの通行を邪魔している。こので言われて気付いたが、雨で路面が濡れて滑ってどうにもならない。これまで結構な山道も行っているが濡れてなかったので問題が無かったよう。とてもバックで帰るる道でなく、出会った車の人に、こんな場所へ普通車で来たのは初めてだと、外側からハンドル操作をしてもらい何とか脱出できた。神社前の道が右にカーブしており極力直進に理解状態で進まないと滑ってから廻り、今後、人家密集地域以外が天気を考慮して多少遠くても歩くことにする。出会った人が運転技術と親切さを持ち合わせていて助かった。(先に進むとUターンする場所あり)
粟島神社
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鎮座地:倉敷市玉島陶
由緒:粟島神社は、元は山形県の日本海に浮かぶ粟島において、修験行者鉄門上人の祈祷で難産を救われた婦人がお礼に珍しい石を差し上げたことに由来すると言われています。以後、日本全国に広まり、陶地区には明治二七年に伝わり、「女性の神様」特に北向きの粟島様として多くの信仰を集め、一時は倉敷周辺からもお参りが続いたそうです。
御祭神の記載なし

広域農道を西へ進み、前方信号を右折して進むと左手に、神社前に車停め
陶神社
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鎮座地:倉敷市玉島陶
由緒、御祭神共に不明

神社前の道を進んで行き、前方橋の手前を左折、次を右折して橋の手前に車停め歩いて前方の神社へ
荒神宮
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鎮座地:倉敷市玉島陶
由緒、御祭神共に不明

神社前の道を川沿いに北へ進んで行く、最初川沿いに道が無いので、東側を通って川沿いに溯って進むと右手に
山神宮
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鎮座地:倉敷市玉島陶
由緒、御祭神共に不明
実際に参詣してみると神社へ行く川沿いの道は十分広いし車を停める場所もあり-最初左折した場所を直進して橋を渡り、2本目を左折して進んで行けば全く問題ない

広域農道へ戻り、西へ進んで行きかなり進んだ先、三叉路を左手下る方向へ道をとり『大木池』を目指し、池を過ぎた先『ぱんごー』の駐車場に車を停め少し南の神社を目指す-先へ進むと右手に神社、少し先をV字に右折すると、神社前に車を停めれる
山神宮
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鎮座地:倉敷市玉島道口
由緒、御祭神共に不明

西へ進んでも35号へ出れそうだが、無難に南へ進むと35号へ、右折して進み途中の7&11でコーヒーブレイク、時間があまり予定以外を巡るつもりなので一応チェックして、35号を進んで行くと左手に鳥居、路肩へ車を停めかなり距離が有りそうだが、北側からの車道幅が良く分からないので歩いて参詣-やはり結構シンドイし石段が壊れている処も
富八幡神社(富御崎神社)
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鎮座地:倉敷市玉島富426
由緒:宗教法人では御崎神社として登録されておりますが、富の方々の歴史観や信仰の思い強く、今日でも富八幡宮と呼ばれている。八幡宮と御崎宮は夫々相異なる歴史的経緯があり、一つの社殿に祀るようになって、八幡神である仲哀天皇、応神天皇の祖神とも云える玉依姫命(神武天皇御母)を主祭神に、相殿として八幡大神を祀ったのではないかと思われる。
摂社として、八幡大神を含め五朝に仕え、功績のあった竹内宿禰を祀る白髭神社(高麗神社)や山神社があり、末社として木野山神社、地神社、秋葉神社が、また西方向の奥谷には荒神社がある。
本殿東の岩石群から4〜7世紀頃に、祭りに使用されていた土器片が発見されたことから、祭祀遺跡の磐座と思われている。また周辺海の頃、神亀年間(724〜728)に宇佐八幡宮(725鎮座)より勧請し、富八幡宮として祀るが、霊験があってこの里の魚者達獲物多く、村中富栄えて人々富の湊と呼ぶようになり、この里の名を富とした。また東西より馬を出して競馬に乗る神事があったが、今はその馬場の跡がある。当神社の社殿が西面になっているのは、富集落の方向に向いている他、近世の頃、富、亀山、道口、下竹、上竹五か村の総氏神であったため、東西に参道が設けられていたのではないかと思われる。
古代から富の存在は、数々の和歌によっても明かで有り、神社地の広さに比べ、社殿は必ずしも大きくないが、信仰心の厚き氏子の方々により、古き歴史を有する鎮守の森を守り、大当番祭や御日待祭のように古き伝統や文化を大切に守っている。
御祭神:玉依姫神、仲哀天皇、応神天皇、神功皇后

35号を北へ進み前方三叉路を左折して進み、『富八幡神社』へ行く最初の道は通行不可、次の道は通行可、以上を確かめて進んで行き前方左手の道を川沿いに進んで行くと小さな池に突き当るので左手の坂道を登って行き、突き当り辺りへ車停め歩いて参詣-先に進んで行っても神社の先に空地有
金富神社
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鎮座地:倉敷市玉島富
由緒、御祭神共に不明(石鎚神社を個人で建立?)

途中で別れた三叉路まで引き返し、左折して進む前方の山裾に神社があると思われるので目指す、前方Y字路を右手に、集落の手前を右折して進むと直ぐに左手に鳥居、少し進んだ先の空地に車を停め参詣
荒神社
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鎮座地:倉敷市玉島富163
由緒:当社は、富地区の中央の山の中腹に祀られており、富地区の信仰が厚い。文久年間の神職家の火災のため書類が焼失して詳細は不明であるが、慶長年間に祀られたとされる。
御祭神:素盞嗚命

先に進んでも35号に出れそうであるが不安なので元の道を引き返し35号へ、右折して南へ進み高速の手前の広い路肩へ車を停め歩いて参詣(駐車スペースがなさそうなので介護センター先の路肩へ車を停め、前方の橋を渡り川沿いに進み、高速の下を左折して進み前方の道を左折すると直ぐ右手に参道)
荒神宮
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鎮座地:倉敷市玉島道口
由緒、御祭神共に不明

35号を南へ進み橋を渡った直ぐ先を左折、三方向に道があるが真ん中の道を進んで行くと高速を潜り、前の道の下を潜った先をUターンし前の道を左折して進み少し先のY字路辺りの先の路肩へ車停め、桃畑の側の道を登って行く、前方を右手に取りながら進んで行くと神社の手前に(左手は少し遠回りでほとんど人が通ってない感じ)、ここは車で可能なようである(確認はしてないが北側から廻り込むと車での通行は可能)
荒神社
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鎮座地:倉敷市玉島八島
由緒、御祭神共に不明

時間的にはまだ余裕があるが精神的に余裕なし、帰宅の途につく。
先に進むのも不安なので引き返すつもりで西へ、道なりに進んで行くと前方に本日広域農道から35号へ出た道へ、結構回り道した感じではあるが狭い道を迷いながら行くより良いと思い、自分で納得、このまま道に任せ60号で帰宅の途に、高梁川を渡りこれまでと変更のしようが無い

神社廻り-倉敷市高梁川西岸

相変わらず天気は面白くないが、高梁川西岸の倉敷地区を巡る。清音から高梁川を渡り279号で土手沿いに南下し、井原鉄道に沿って川辺駅へ、駅の先で左折し小田川を渡り、右折し、直ぐ左折して土手下を進み、前方Y字路を左折した先の墓地の前に車置き細い坂道を歩いて参詣-集落の中へ入ると狭いし車の置き場に困る)
荒神社
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鎮座地:倉敷市真備町有井
由緒、御祭神共に不明
今回も荒神社から始まるが、荒神信仰は、西日本、特に瀬戸内海沿岸地方で盛んであったようであり、岡山県に200社程度と特に多いようであり、最も一般的に多いパターン地神、お堂が併設されている-実際に調査することも多分困難と思われる。

橋を渡った処まで引き返し、東へ進み、前方三叉路を右手に、道なりに南へ進み、矢形東谷公会堂先のY字路を左折して川沿いに進むと池に、前方Y字路を右手突き当りに(池の土手に空地があり停車-参道を車で通ることも可能で駐車場もある)
下二万神社
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鎮座地:倉敷市真備町下二万883
由緒、御祭神共に不明

川沿いのY字路まで引き返し、左折して道なりに進むと前方に281号左折して進むと左手細い470号(現在改修中)左折して進んで行くと、池の先を進んで行くと右手に神社、路肩に車停め参拝(神社手前を右折して直ぐの処へ車道が有るが舗装されてなく落ち葉で通行は?)
御崎神社
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鎮座地:倉敷市船穂町柳井原
由緒、御祭神共に不明

470号を東方向へ進み、前方279号へ左折して北へ進んで行くと道路脇左手に鳥居が!前の路肩へ車停め参詣
建神社(荒神社)
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鎮座地:倉敷市船穂町柳井原1744
由緒、御祭神共に不明
ホームページの写真から同一神社と見なした-示されている場所に神社は見当らず近くに人も知らなかった

地図上で山の上に社らしきものが見られ、近くの人に聞くと御主人をわざわざ呼びに行かれ教えて頂く-道路近くに見える白い手すりの階段では行けなく、前の道路を西へ進み傾斜のある建物がコミュニティハウスでその裏に墓地へ進む道があるので墓地の手前の石段を登って行けばいいとのこと
太宰神社
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鎮座地:倉敷市船穂町柳井原
由緒、御祭神共に不明
道ははっきりしているが登って行くのはかなりしんどい

柳井原小学校のの南側に車停め、近くの人に稻荷神社を確認、学校前の坂道を登って行くと広場と建物、先に神社とコミュニティハウス(車で十分可能で南側の道は車では無理のよう)
稻荷神社(正一位稲荷)
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鎮座地:倉敷市船穂町柳井原1952
由緒、御祭神共に不明
此の小山は梁場山城址で南側の脇道から頂上に上る道沿いに20基ほどの墓が並んでいる。 

279号を南へ、新幹線を潜りその下へくるを停め、前方細い道を南へ進んで行き、前方斜めに山際への道を進んで行くと前方に鳥居
素盞鳴神社
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鎮座地:倉敷市船穂町柳井原
由緒、御祭神共に不明
神社には珍しく?大きなヤマモモの木が、実もかなり熟しているがとても取れる位置では無い

279号を南へ、自動車道を潜った先左折、前方の山を南側から廻り込む感じで進む(現在倉敷市内へ向かう橋の工事を行っている)道が分かれている処は基本的に右手を道なりに進むと前方に階段-非常な高さと距離があり、今日はこの辺りで疲れすぎ
八幡神社(元宮)
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鎮座地:倉敷市酒津
由緒、御祭神は里宮に準じる、八幡山の元宮と高梁川を隔てた対岸に里宮があり、祭典は里宮で行っている。
小さい頃酒津によくいた関係で里宮の祭は非常に印象に残っているし、また母方の祖母のお墓が近くにあって渡し船で墓参りした記憶も、また大きくなって車で行った記憶もあるが定かでない

279号へ戻り、南へ進み右にカーブする手前の広い処に車を停め、279号を少し引き返した、北へ向かった左に
金神社
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鎮座地:倉敷市船穂町水江
由緒、御祭神共に不明
また車を停めた場所には一ノ口水門があり閘門式としては我が国最古に属する。

車を停めた空き地から集落の道を西へ進むと右手に-この道は非常に狭い次の神社に行くために通ったがミラーを倒さないと無理
荒神社
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鎮座地:倉敷市船穂町水江
由緒、御祭神共に不明

神社前の道を西へ、前方T字路左折、次のY次路を右折して道なりに進むと『ふなほワイナリー』へ、更に登って行くと駐車場、更に進んで突き当りを左折するとトイレと右手に神社-この辺り一帯は観光スポットに
愛宕神社
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鎮座地:倉敷市船穂町水江799
由緒:愛宕神社は遥照山塊よりなる船穂丘陵の東方にあって、眺望絶佳の愛宕山(海抜103.9米)の東峰にあり船穂町大字水江七九九番地に鎮座している。創建は江戸時代の初期の寛文三年(一六六三年)といわれ、創建当時は阿多古神社と呼称されていたようであるが、現在は愛宕神社が通称となっている。主祭神が迦具土神で三三五.二二坪の境内に、本殿、弊殿、拝殿の主要建物が配置され、旧水江村の氏神として又串・堅盤谷の両地区の氏子から崇敬され、現在でも夏冬の年二回の例祭が取り行われている。
御祭神:迦具土神

神社前の道を南西へ進み、前方Y字路を左折(細い方の道)して南へ進んで行くと小さな川に、左折して川沿いに進んで行くと左手に鳥居、前に車停め参詣
稲荷神社
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鎮座地:倉敷市船穂町水江956
由緒、御祭神共に不明

前回この辺りで西へ進むのに適当に行って山の中で非常に苦労したので川沿いに南へ進み、前方60号を右折して進み、先にある281号を右折して進んで行く。時間的にまだ余裕はあったが何故か疲れたので帰宅することに
前方進んで行くと右手奥に鳥居少し入った処に車停め参詣-鳥居前までは車で行けるがUターンが厄介なので歩いた方が無難
上二万神社(上二萬神社-八幡神社)
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鎮座地:倉敷市真備町上二万3363
由緒:当社は孝謙天皇(奈良時代)の御代、天平勝宝3年(751)九州の宇佐八幡宮を勧請して(当時の下二万外和崎)八幡宮と称し、上二万村の氏神様として祀った。その後、後奈良天皇の弘治元年(1555)4月に現在の地に遷座された。元和5年(1619)岡田藩主の伊東氏の領有となってから、この宮を祈願所として尊び、藩から毎年幣帛料が寄進されていた。明治2年八幡宮の名称を上二萬神社と改称して現在に至る。ここは地勢高壮にして見晴らし良く、伊東氏はこの地に着任し服部に居住していたが、その後この二万村に暫く居住した頃、当社は既にこの地に移転しており、その為特別の崇敬を受けた。
御祭神:応神天皇、神功皇后、玉依姫命
小学校側から車道があるが、県道から見た感じでは車止めが?-確認してない。
北へ進んで行き、R486号で高梁川を渡り帰宅

神社廻り-児島方面その2

前回途中止めになっている児島近辺へ出動?、児島線21号で児島方面へ、稗田の信号を左折して276号へ、南へ進み、瀬戸大橋線上の町駅で潜り、しばらく進んだ上の町局前信号を左折して進み、前方三叉路を左折し坂道を上がり途中の路肩(オートリ被服前)に車を停め歩いて東方向で神社を探す-左手の坂道を登り、南側から廻り込む感じで『内田公会堂』を目指すと前に
荒神社
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鎮座地:倉敷市児島上の町4丁目19
由緒、御祭神共に不明

少し遠いとは思ったが歩いて参詣-北東方向へ進んで行く-ナビを頼りに道なき道を進んで行くと鳥居を見つける-たどり着いて分かったが、南側に金比羅宮が、そしてあまり整備はされてないが南側が参道-来た道は雨水が流れて出来た道か?
明神大社(金比羅宮)
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鎮座地:倉敷市児島上の町4丁目21
由緒、御祭神共に不明
この神社に行くには『上の町局前』信号を左折して直進し、前方突き当り近くに車を停め北側を目指す方がベター。-結果論

『上の町局前信号』迄引き返し、南へ(276号)琴浦西小東を過ぎ、山本食料品店前を左折、三叉路を左へ、突き当りを左折し進むと正面に鳥居、少し先の路肩へ車を停め参詣
荒神社
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鎮座地:倉敷市児島下の町7丁目14
由緒、御祭神共に不明

途中右手に見えた案内まで引き返し、左折して進み、突き当り手前に歩いて参詣-北側の道を進むと遮断機(開放されていた)の先に広場、そして左側に車での参道(狭いので行かない方が賢明)
大祥稲荷神社
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鎮座地:倉敷市児島下の町7丁目14
由緒:鴻ノ宮の森に連なる此処、巨岩相積む熊谷の岩間に遠き日村人集ひ五穀豊穣、家業繁栄の守護神稲荷明神を勧請す、近くは此所数十年来地元先人有志が数次に亘り祠参道神域を整備す。平成三年春より神域の再整備拡張に當り礼禮拝控所参道御火焚祭広場、瀬戸内を望む休息所等の設営に奉仕す、此の間神域地主より大鳥居の寄進を受く、平成八年初夏此の度の整備を概ね終へ茲に神前にて祭典を斎行する
御祭神:稲荷明神

元の道まで引き返し、左折して南へ進んで行くと正面に神社、手前にある参道を車で登り境内へ、結構広い駐車場がある
鴻八幡宮
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鎮座地:倉敷市児島下の町7丁目14-1
由緒:当社の創立年月は不詳であるが、大宝元年宇佐より勧請すと社伝にある。古来より今の倉敷市児島上の町、下の町、田の口、唐琴(旧4ケ村即ち鴻の郷)の総氏神として当地方に於ける信仰の中心であり、住民の心のよりどころとして崇められ、又国家鎮護の神、又厄除開運の神、殖産の神、更に近来は交通安全の守神として広く崇敬されている。当社は備前国総社神名帳所載の児島郡9社の1正5位八幡明神、即ち古社八幡宮で鎌倉時代は歴代国司の崇敬はもとより地方官民の崇敬を集めていた。当社の神宝「建武3年丙子正月29日慶尊」の銘ある狛犬1対は妙法院宮尊澄法親王讃岐国詫間に流される時、陸路児島を御通過の砌当社に御祈願した。後四国の兵を召具して御還啓の際、彫工慶尊に命じて之を彫らせて工成ってこれを寄進したものと伝承されている。吉備温故秘録に「この宮を鴻の宮と云ふ。昔当社に大蛇あり。又此宮山に鴻の鳥多く巣をかけ、宝殿も鳥の糞に穢し、その上参詣の人も鴻の雛のある時は恐れて怠たり又大蛇をも恐れて居たりしに、氏子共慨き神に祈りけるに如何にしてか氏神の鳥虫の為にさまたげられき跡は皷の音絶えて神さび渡るばかりなり。誠に神力あらたにましまさば此の難をのけたまえと祈りければ、その夜の夢に氏神現はれ出て汝等が祈る所至極なり。明日辰の一天に難を除くべし。汝等出で見るべし、と告げ給ふ。氏子共奇異の思ひをなり残らず神前に蹲居して心をすます処に神殿震動して大蛇一つ現れ出て鴻の巣かけたる大木に登りける間、互に暫し戦ふ所に鴻は次第に多く群り来り遂に大蛇をも突殺しけり。それよりしてこの宮を鴻の宮と云ふなり」とあり。この伝説よりして当鴻八幡宮の氏子区域即ち上村、下村、田の口村、引網村(現在の上の町、下の町、田の口、唐琴)を嘗て鴻の郷と云うに至る。昭和となって鎮座地元の唐琴町の発展と共に神社崇敬の実も挙り社務所神饌所神庫等を新築し、境内を整備し神社経営の基礎を固め、昭和19年県社に昇格した。終戦後世の中の安定するに随い氏子、民衆と神社の結びつきの一翼として結婚式の諸設備を完備し広く利用されていると共に、交通安全の守神として信仰を深めている。
御祭神:譽田別尊、足仲彦天皇命、息長帶姫命、仲姫命、玉依姫命
境内に熊野神社が独立した感じで祀られているが、良く分からないので一応境内末社扱いにしておく

神社前を進み、更に南方向へ進んでR430号へ、消防琴浦の信号の先(横断陸橋)を右折、突き当りを左折して団地入り方向、道ともまるで分からないので車を停め歩いて神社を探す、意外と道幅はあり神社横手まで車で可能だが最初は無理-R430号を少し走り、先の道を右折した先に鳥居、手前の路肩だ広いので止めれば簡単
稲荷神社
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鎮座地:倉敷市児島田の口6-5-30
由緒:創立年月は不詳であるが、古来から鴻八幡宮の飛地の末社であって、また、もと田の口付の産土神として崇敬せられていた。明治となって稲荷神社となった。
御祭神:倉稻魂命

R430号を東へ、田の口信号を直進し、突き当りを左折、次を右折し、その次を右折し山際の空地へ車を停めて神社を探そうとすると、直ぐ下側-『田の口』信号を左折し266号へ、次の信号を右折すると先ほどの道へ
太宰神社
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鎮座地:倉敷市児島田の口5丁目2
由緒、御祭神共に不明

車を停めた前の道を進んで行くと神社の裏手に出そうだが道幅が分からず、R430号へ戻り、東へ進み左手の道を左折して進むと、神社裏手に、この辺りの路肩に車停め参詣
旭荒神社
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鎮座地:倉敷市児島田の口5丁目12
由緒、御祭神共に不明 
古墳跡、楠木の古木と神社らしき設定はそろっている-神社前に空地はあるが私有地?、神社裏が道幅広く無難

R430号を東へ進み、郵便局の手前の広い道を左折して進み、この道の広めの路肩へ車停め歩いて参詣-車で可能で神社前に空地有
琴浦天満宮
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鎮座地:倉敷市児島唐琴1丁目19-12
由緒:創建の年月は不詳であるが、備陽国誌に「社司の説に延喜年中菅丞相筑紫へ左遷の時、この処に泊り給う云云」また「菅公御滞在の円浄坊は後焼出せり。社をこの坊に建つ。これ当社の創立なりと」の記事がある。古来、鴻八幡官の飛地末社であったが、明治になって琴浦天神社となった。
御祭神:菅原道眞

天満宮のほぼ真東、広そうな道を東へ進むが直ぐ道が細くなり無理、引き返しR430号を進み、前方2本目を北へ神社の手前広めの路肩へ車停め参詣
天津神社
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鎮座地:倉敷市児島唐琴2丁目12-5
由緒:昔から鴻八幡宮の飛地末社として、また引網村(現在の唐琴)の産土神として祀られていた。徳川時代には明現社または妙見社とも称えられていたが、明治時代に天神社となり、昭和20年3月には天津神社と改めた。
御祭神:天御中主神

ここで今日の予定コースは終了、岡山の大きな由加神社周辺を廻って帰宅することに

R430号へ戻り西へ、先ほどの唐琴郵便局の先の広い道を右折して北上、道なりに北上を続けると前方266号へ左折して進み、前方左手池の先の三叉路を右手に(266号を外れる)山道を道なりに進んで行くと、前方左手に下へ降りれそうな開けて処があり路肩に車停め歩いて道を下ると、巨岩と祠
木野山神社
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鎮座地:倉敷市児島田の口
由緒、御祭神共に不明
ここからが本日唯一の大失敗、巨岩の脇に階段が見えたので下って行く、少し方向が違う気がしたが次に予定している『天恵大神宮』行けるかと思って山道を下って行く、途中GPSが動かなくなったがどんどん下って行く麓の人家近くに着いて位置を確認すると全く違う東方向-多分麓からの参道-疲れを感じながら引き返す。

仕方が無いので266号迄戻り、下って行くと右手に神社らしき建物が見えるのでゆっくり下って行き、右側へ折れる道を探すが後ろから車が来て駄目、一旦先に進み、右折して戻り、前方三叉路を左手に進み、次の三叉路を右手に進んで行くと前方に個人宅への坂道、手前の空地に車停め、先ほどの坂道に下にある細い道を歩いて登って行くと左手に鳥居、先ほどの下って来た266号で池の側、木野山神社との間の細い道に繋がっているようである-いずれにしても宗教法人と分かっておれば最初から無理はしなかったのだが
天恵大神宮
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鎮座地:岡山県倉敷市児島田の口3218
由緒、御祭神共に不明

本当に無駄な事をした思いながら266号を北へ引き返し、前方十字路を左折して268号を進んで行くと右手に車道、カーブの先に鳥居、手前の車道側の路肩へ車停め歩いて参詣(車道には鎖で閉鎖)
山神社(白尾山神社)
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鎮座地:倉敷市児島白尾1095
由緒:本神社は延暦年中(782年〜806年)の創建であることは古老の伝えるところで、以前は東北方に鎮座されていたのを何時の頃からか現在地に移転したものという。今も宮地という称が残っている。昭和15年10月2日神饌幣帛料供進神社に指定せられた。
御祭神:大山祇命

268号を引き返し、先方Y字路右折して道なりに進んで行くと、池の畔に出るので左折して池の土手から右側の坂道を登って行き突き当り附近に車停め、右側三叉路を右手に進んで直ぐ左手に
荒神社
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鎮座地:倉敷市児島田の口
由緒、御祭神共に不明

池の土手まで戻り、北西方向へ道なりに進んで行くと268号へ(トマトオートセンター前)、左折して北へ進み、前方を直進し由加神社へ(良く分からないので神社前にくるを停めたが結構奥まで車で可能な感じ)
由加神社
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鎮座地:倉敷市児島由加2852
由緒:日本三大権現の一つ、また厄除けの総本山として知られる由加山 由加神社本宮は二千有余年の歴史を持つ神仏混淆のお山。
その昔、磐座信仰(巨岩をご神体)と唱え近郊の人々の守護神として崇められ、その後七三三年(天平五年)に行基菩薩が十一面観音を祀り、併せて神仏混淆の霊山として崇拝されてきました。
桓武天皇の代以来、朝廷の祈願所として繁栄し、拝殿には菊花ご紋章を拝受しております。
江戸時代中期には備前藩主池田侯の祈願所として当権現・由加大神様への信仰は篤く、正月・五月・九月には藩主自らご参拝になられておりました。(その時ご参拝になられた建物が由加神社本宮ご本殿です)
また、『ゆがさん・こんぴらさん両参り』と云われ、両社をお参りすればご利益が沢山頂けるという『両参り』の風習が広がり、今も全国津々浦々から信仰されております。
御祭神:彦狭知命、神直日神、大権現(本地仏:阿弥陀如来、薬師如来)、手置帆負命、天之御中主神、素盞鳴命、倉稲魂命、菅原道真公、大綿津見命
岡山としては参拝者は結構多い、最上稲荷もそうだが神仏混淆のお山はやはり人気があるのか?-昔花見に行ったことはあったが神社としての参詣はあまり記憶に残ってない。

62号の信号まで引き返し左折して東へ進み最初の道(池の側)を左折して結んでいくと左手に由加神社の鳥居、前に広場と車道が、歩いて参詣し表参道へ出て62号を通り車へ
坂手神社
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鎮座地:倉敷市児島由加1586
由緒:創建年月日は延暦年中(782年〜806年)と伝えている。旧号坂手王子・相殿津々美王子と称した。社領高3斗2升。(吉備温故所載)明治2年現神社名となる。明治12年10月字中住から現在の地に奉遷した。
御祭神:事代主命、少彦名命

神社前の道を進み62号へ、左折して62号を少し進んで右手の細い道を進んで行くと池の先右手に白い手すり、路肩へ車停め参詣
山村神社
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鎮座地:倉敷市児島由加355
由緒:創立は文禄5年(1596年)と記されている。旧号を柴坂王子宮と称えていたが、明治2年に山村神社と改号した。池田家撮要録によれば「田壱畝弐拾歩高参斗二升、先年より修理料供物料に立来高外」とある。吉備温故秘録には、「社領高参斗弐升坂手王子」と記されている。
御祭神:大山祇命
蛍遊の水辺由加の標識を目当てに進むと分かりやすい

少し南へ下がるが62号を進み、荘内、秀天橋経由で帰宅する。
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