岡山県内神社巡り(メイン)

片っぱしらからの神社巡り

2015年07月

神社廻り-赤磐市未参詣

今日の天気は県北で不安定らしいが偶の夕立も一興か?赤磐市の北部での未参詣神社を目指す。
砂川沿いに27号を溯り、以前分からなかった愛宕神社をまずは目指す。笹岡駐在所は不在で駄目、笹岡郵便局で尋ねる。局長が親切に対応、御存じの方に連絡して教えてくれる。山頂にあった神社は現在は参詣するのは無理のよう、麓へ降ろしているいるようで、その場所へ参詣(郵便局前を橋を渡って西方向へ進み、前方三叉路を左折して道なりに進むと右手に『赤磐市赤坂教育集会所』-ここに大勢集まっていたので確認すると、前を右折して川沿いに進むと大師堂の隣に)
愛宕神社(遷座)
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鎮座地:赤磐市小原1749
由緒:創建は文化5年5月である。昭和20年12月1日村社に列格した。
御祭神:軻遇突智神

27号へ引き返し、郵便局の先の信号を左折して257号を進み、前方山手の標識を右折し、道なりに進んで行くと『福市八幡宮』、『正満寺』先で左側山手方向へ、三叉路を右折、次を左折して進むと前方左手に山道、またはそのまま進むと左手に山道(参道へ)少し進むとまた左手に山道(神社裏に)舗装されてなく道が悪いので路肩へ車を停め歩いて参詣
湯山神社
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鎮座地:赤磐市山手600
由緒:創建年代は不詳であるが、総社神明帳に湯山神社、山本氏本に従四位下湯山神社と記載してある。この神社は昔湯山部落の御祭神であったが、中古、津野尾八幡宮に合併し湯山神社と称して、村の東方に御社殿を建立した。社殿は南西面に、流造銅板葺である。御本殿の建立は嘉永元年である。
御祭神:大己貴命

少し進んだ前方三叉路右手を進んだ先
二宮神社
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鎮座地:和気郡和気町小坂
由緒、御祭神共に不明

神社前の道を少し東へそして北方向へ道なりに進んで行くと最初の三叉路を北へ進んだ道と出会い、更に北方向へ進んで行くと257号へ、右折して進み直ぐ右折して道なりに進んで行くと前方に『八島田コミュニティーハウス』路肩へ車を停め、少し引き返し右折して進むと前方に墓地、右折して進んで行くと左手に坂道、登って行った先に(十分車で可能)-二宮神社前の三叉路を北へ進むべき
素戔鳴神社
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鎮座地:赤磐市八島田
由緒、御祭神共に不明

前方へ進み道なりに北方向へ進んで行くと前方で257号へ、257号を進んで行くと前方『光本』信号でR484号へ、何時も忘れるので左折し進んで行くと『JAあかいわ吉井低温倉庫』先の右手奥に、路肩へ車を停め参詣(この道は何回か通っているが目立たないせいと、坂道のため寄り忘れる)
鴨新田神社
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鎮座地:赤磐市塩木299
由緒、御祭神共に不明

引き返してR484号を進み、吉井川手前でR374号を右折して少し南へ進み、橋の手前を右折して417号を進み、右折して道なりに進み、集落を過ぎた先、前方右手に坂道がある手前の路肩へ車を停め、歩いて坂道を進んで行くと右手に-少し距離があるが坂道で苔で滑りやすい感じなので歩いた方が賢明) - (妙見宮)鳥居が二つあり『妙見宮』と『八幡宮』の扁額
高星神社(妙見宮)
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鎮座地:赤磐市稲蒔480
由緒、御祭神共に不明

R484号の合流点まで引き返し、更に北方向へR374号を進み、周匝の街中を過ぎた先、再度吉井川に出会う手前を左折して351号を進んで行き、前方Y字路を左手に進み、内側の道を進んで行くと左手山際に階段と鳥居
草生八幡宮
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鎮座地:赤磐市草生383
由緒、御祭神共に不明

津山方向が工事中のため全面通行止めの表示、とにかく進んで行く、通行止めの手前に左手に進む道、ここまでで十分なので進んで行くと直ぐに中国自然歩道案内図、全く勘違いして『宗形神社』まで車道が通じていると勘違い、気がつかないまま進んで行くと前方右手に鳥居
熊野神社
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鎮座地:赤磐市河原屋287
由緒:本神社は口碑によると此の熊野神社の神霊御遷座の時字先の谷の路傍に岩があるのを幸ひ、其の岩の上に御輿を据へて休んだ、其の記念の石は何時か一段下に落ちて今は墓の台石となって居る。此の説によって旧神社を物色すると部落の下の山上に山神様を祀った処がある。此の處が第一候補地である。
御祭神:伊弉册命

ここからが今日の失敗、先ほどの案内図の勘違いと神社前の道が広いので先へ進んで行くと『宗形神社』への道へ繋がると思い進むが駄目、引き返すかと思っていると側を軽トラックが前方左手坂道を登って行くのを見かけ、同じ方向へ進む突き当りを左折して目的神社方向へ、通行がほとんどない山道、後悔するが先へ進むしか方法が思いつかず、道を塞いだ枯木を乗り越えて進むとやっと前方に広い道、右折して進んで行くと前方右にカーブ処に前方に伸びる山道、此の先が秋葉神社、少し悩むが進んで行くがやはりほとんど車が通って無いのかひどい道、やはり後悔(車が頻繁に通っていれば問題ないのだろうが)
秋葉神社
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鎮座地:久米郡美咲町高城
由緒、御祭神共に不明

元の道を引き返すのが簡単だが狭く整理されて無い道が嫌で神社前を北方向へ進み集落の先で広い道に、右折して曲がりくねりながら進んで行くと、先ほどの神社へ至る少し手前の左手に入った先(神社前に空地有)
高山神社
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鎮座地:久米郡美咲町高城889
由緒:本社は元奥宮と称し中古_山宮と號し素盞嗚尊を祭る。創立年月日不詳なりと雖も元備前赤磐郡山方村是里式内宗形神社の摂社なり、元明天皇の御宇和同六年備作分国の際本社の宮山及社殿は両國境界線に位せるを以て其何れに属するかを定め難かりしも本宮宗形神社は是里村の氏神なるを以て当社を美作山之上村の氏神とせり、慶長八年森忠政入国後本社を崇敬し社領若干を寄附し、後幕領となり天明八年ヒノ木山一ケ所免租の地となる、明治初年高山神社と改称し仝六年村社列せらる。
御祭神:素盞嗚尊

広い道を道なりに南東へ進んで行くと右手に
宗形神社
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鎮座地:赤磐市是里3235
由緒:当社は人皇十代崇神天皇の御宇勧請にして式内の旧社なり人皇十六代仁徳天皇吉備國海部直女黒比費を寵し本國山方に幸行さるるや黒比費帝を当社に奉迎し方物を採り敬饗し奉る帝欣然御製にrやまかたにまけるあをなもきびびとともにしっめばたぬしくもあるか」と詠し給へり、是より以降今に至るまで諸人挙げて山方の大宮と称する所以なり、当時帝より宗形神社神領として神地三四町神月若干を附置かる、依て今に其の地名を京免及神戸と呼ぶ、後世慶長八年池田忠継公備前に封せらるるや深く当社を崇敬し全九年検地の節本村の内中田二反高三石弐斗社領として附置かれ明治四年玉りて止む、加之歴代の皇室御崇敬の余り神付従四位上に叙せられ後正一位に昇進贈位に預かる、現今の社殿は貞享四年八月世八日着手全五年五月十六日落成(棟札)の建築にして氏子及大氏人民の協力造営に係り当時の国主池田綱政公より再建費として玄米捨石下賜せられたり、往古氏子は七十五ケ村ありて其区域西南は旧赤磐群島月村(現岡山市)大字牟佐に至り東北は旧久米南條郡福岡村(現津山市)大字小布に至れりと云ふ、故を以て古へより古式祭には社家より神酒七十五樽・神韻1七十五膳・神餅七十五台・甘酒弐瓶を献供す、(現在は神酒二斗五弁・神僕七十五膳・神餅は分五合とし七斗を餅投げとしている)、明治十四年縣社に昇格せらる。(現在一般的には社格は不問)
・鳥居岡山県指定重要文化財(建造物)・本殿赤磐市指定重要文化財(建造物)
御祭神:多紀理毘賣命、市寸嶋比賣命、田心比賣命、大己貴命、大日霎命、豊宇氣比賣命、須佐之男命、菅原神、速玉男命、伊邪那美命、事解男命、大山咋命
せっかくだから南西にある『是里ワイン記念館』に立ち寄って麓まで2車線の広い道を下って行く-265号滝山川に出会うので左折して進み中村橋でR374号へ、左折して北東へ進む

左折して26号にて柳原方面へ、橋を渡った先にある神社にチュックが入ってなかったので参詣するが、やはり一度参詣している
飯岡神社
鎮座地:久米郡美咲町飯岡469

26号を吉井川沿いに進んで行くと『柵原鉱山資料館』の表示、左折して駐車場へ、歩いて山際にある神社を目指す。
荒神社
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鎮座地:久米郡美咲町吉ケ原
由緒、御祭神共に不明

資料館前の道を西へ進み、郵便局先を右折して進んだ突き当り(前に空地-境内へは施錠)
吉ヶ原八幡神社
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鎮座地:久米郡美咲町吉ケ原
由緒:勧請年月日不詳と雖ども傳説によれば吉ヶ原五社の窪と称する所に勧請なせしものの其の社殿火災のため焼失す。火災永禄二年(一五五九)二月その御神体は飛び西南約八〇〇米離れたる大杉の根元に避難御座せられているを村人が拝しその地に社殿を建立す是れ現今の地御神体現存す。杉の大木は老木となり現存す。其節の社殿寄進者は飯岡村鷲山の城主保志賀藤内と棟札にあり・・・
御祭神:天照大神、大兒屋根命、品陀和気命

26号を進み橋を渡らずに349号を北上すると左手に神社、路肩に車を停め参詣
八大龍王神社
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鎮座地:久米郡美咲町休石
由緒、御祭神共に不明

349号を引き返し、前方の三叉路の坂道を道なりに進んで行くと前方左手に神社、西福寺先を直進して進んだ先-駐車スペース有
大洗神社
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鎮座地:久米郡美咲町休石245
由緒、御祭神共に不明

今回も集落を外れた神社はコースを考えないと苦労する、今後最悪は立ち往生か?
少し早いが暑さにやられている?通常のコースで帰宅

神社廻り-津山北方向

非常に暑い日が続いているので、ある程度県北の神社廻りを済ましておこうと思うがやはり暑い。今から言うのもおかしいが雪の県北は無理なので夏の間と思っている。
R53号で津山方面へ進み、津山駅手前で68号北上、高速の先からを本日の予定とする。
高速を潜って直ぐ、左手の脇道を直進し、2本目の狭い道を左折し基本的に西方向へ進み、右にカーブして進んだ右手に鳥居、坂道でもあるので先に進んだ墓地(津山霊苑)の駐車場に車を停め歩いて参詣
坂部荒神社
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鎮座地:津山市小原
由緒、御祭神共に不明

68号の西側の元の道へ引き返し、北へ進み前方左手『城北電化センター』先を左折し、右側の山際を探しながら進む、前方墓地まで進むが分からないので墓地前に車をを停め歩いて探す。参道が埋もれ車ではまず気付かない、金属製の鳥居と神社跡がある
牛神神社
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鎮座地:津山市小原
由緒、御祭神共に不明

68号へ戻り北へ進んで行くと右手に川、川を渡り直ぐの信号を右折してカーブ繰り返しながら公園の中を進んで行くと前方に三叉路、左折して進み右手丘の上に駐車場、ここに車を停め、前方登って行って神社を探すが墓地ののみで行き止まり、反対方向の山道を進み団地へ、子供が通れなくしたカード越えて下に降りて行き右方向へ進んで行くと神社、横に整備されてないが駐車スペース(さきほどの処を右方向へ進み、最初の左側の道を左折、直ぐ左折して進むと先ほどの神社前に)
大田神社
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鎮座地:津山市大田633
由緒、御祭神共に不明

川を渡る前の処まで引き返し川沿いに北方向へ進んで行きと前方に大きな鳥居と左手に駐車場、-さすが美作の一宮と言った感じか
中山神社
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鎮座地:津山市一宮695
由緒:当社は文武天皇慶雲4年(707)此の地に社殿を創建して鏡作神を奉斎したと伝えられている。貞観年間官社に列せられ、延喜式に於ては美作国唯一の名神大社であると共に此の国の一宮でもある。「今昔物語」に猿神の説話があり、後白河法皇の御撰にかかる「梁塵秘抄」には関西に於ける大社として、安芸の厳島社備中の吉備津宮などと肩を並べている。鎌倉時代に元冦など国家非常の時に際し、勅命により特に全国7ケ国の一宮に国家安穏を祈願せしめられているが、当社も其の中に選ばれて祈願を厳修したことが伝えられている。弘安8年に一遍上人回国の途当社に参詣し念仏踊を行ったが「一遍聖絵」(国宝第八巻)に作州一宮図があって、其の節参詣の図が描かれている。建武中興破れて天正に至る約4百年間は,美作国中戦乱の巷と化し、その為に社寺の祭祀も殆んど絶えようとする有様であったが、当社は永正8年(1511)と天文2年(1533)の両度に祝融の厄に遭い、本殿以下山上山下の摂末社120社と共に宝物・什器・旧記・古文書等悉く炎上焼失した。永禄2年(1559)に至り、出雲城主尼子晴久戦捷報賽の為め社殿を復興した。世に中山造と称せられる入母屋造妻入檜皮葺で間口5.5間、奥行5.5間、建坪約41.5坪の宏壮雄大な御本殿であって、大正3年国宝建造物の指定を受け、現在は国指定重要文化財の指定を受けている。慶長8年森忠政美作全州を領して入封するに至り、国内漸く平定し歴代の藩主の崇敬も厚く社領の寄進や修築の資の奉献など絶えることなく、又「一宮さま」と親しまれ、朝野の信仰を集め、中世より近世にかけては門前市も大いに繁昌した。明治4年国幣中社に列格。御祭神金山彦命と定められた。これにより明治年間再度に亘り御祭神名を「鏡作神」に改められる様願出でたるも聴許せられず終戦を迎え、昭和21年宗教法人中山神社設立届出に当り御祭神名を主神鏡作神、相殿に天糠戸神、石凝姥神配祀と総て明治以前の社家伝承や旧記類に明記せられている御神名に旧した。宗教法人中山神社となった後も、御本殿以下諸建造物等境内の森に至るまで昔のままの姿にて防災施設も完備し、美作国の一宮と広く尊信されて現在に至っている。
御祭神:鏡作神
ここで出会った人により不愉快に、単に奥にある猿神社のことを聞きたかっただけなのだが神社に関する自分の主観の押しつけ、これだけならまだいいが、他の人をバカ呼ばわり、合祀が『ごうひ』と聞こえ余計にいやになる。最も頭に来たのは私の神社廻りを無意味と否定したことかな、放っといてくれと言った感じ、私自身意味があるとはそんなに思ってなく、県内の原風景探訪との思いの方が主

中山神社神殿の横を奥に進んで行った処にある磐座
猿神社
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鎮座地:津山市一宮
由緒、御祭神共に不明

神社横の道を進んで行くと343号へ、北西方向、西方向へ進んで行くと前方右手に虚空蔵参詣道の標識、右折して進んで行くと前方に『昭和池』と鳥居、見過ごしそうな神社
黒姫神社
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鎮座地:津山市東田辺
由緒、御祭神共に不明

343号へ引き返し、南へ進んで行き前方に広域農道(334号)、左折して東へ進み横野川を渡った先を左折して68号をしばらく北へ進み前方右手の345号を右折して進み、前方478号をVカーブに右折して進んだ先の左手、横と前に駐車場有
高田神社
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鎮座地:津山市上横野79-1
由緒:本社は高田村大字上横野大字下横野2部落内鎮座の5村社を合祀する。高田村大字上横野字久保宮鎮座村社久保神社(若宇迦能賣命、句々迺智命、幸魂天穂日命、大山祗命、天之水分神、国之水分神)を合祀神社と定めこれに高田村大字下横野字久保鎮座村社下横野神社(天照大神)同村大字下横野字倉木鎮座村社倉木神社(倉稲魂神)同村大字下横野字植田鎮座村社植田神社(倉稲魂神)同村大字上横野字奥谷鎮座村社奥谷神社(彦火々出見命)の4村社を合祀し同時に新設社地として現在の地に移転し、本殿は元植田神社の社殿(明治24年9月造営)を主とし其他の諸建物は旧村社4社の古材及新材を取交へ建築された。大正2年10月12日移転遷座祭を行い社号を高田神社と改称した。古老の口碑によると当社は合祀が行われる前には公方神社と称しており、崇神天皇の御代久保宮に勧請し、後に元禄年中臼谷に移転奉祀し、その後宝暦年中に再び旧地の久保宮に遷座したと伝えられている。明治42年12年3月21日高田村大字上横野字山田鎮座村社植木神社(句々迺智命)同村大字上横野字御先鎮座無格社御先神社(句々迺智命幸魂)同村大字上横野字杉御前鎮座無各社杉御前神社(句々迺智命幸魂)同村大字上横野字石ケ峪鎮座無格社天神社(天穂日命)同村大字上横野字大河内鎮座無格社大河内神社(大山祗命)合祀し遷座した。美作112社考及び美作国風土記神名抄に苫東郡苫田郷二ノ宮公方神社と見える。
御祭神:天兒屋根命、若宇迦能賣命、天照皇大神、倉稻魂命、彦火火出見尊
紅白の幕が張られ何かの準備かと思ったがカラオケのセッティング中、こんなものだろう。高田神社獅子舞(岡山県重要無形文化財)として知られているが十月なのでおかしいとは思ったが、又道を隔てた前の広場の隅に神社跡のようなものが見えるが何かは分からない。

345号を引き返し前方68号を右折して北へ進み、上横野集会所(火の見櫓)先を左折するつもりが行き過ぎたので前方の道を左折して引き返し、路肩に車停め民家裏を探す
荒神宮
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鎮座地:津山市上横野
由緒、御祭神共に不明

68号へ戻り、少し北へ進んで前方橋の手前の路肩へ車を停め歩いて左手の坂道を進んで行き山際の神社へ(坂道で結構シンドイ、道幅は十分であり車で行くべきだった)
玉藻神社
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鎮座地:津山市上横野
由緒、御祭神共に不明
神社そのものはともかく、大藤かずら(ヤマフジ)は有名らしく4月下旬の時期に一度か来て、大山祇神社をトライ?(前方川沿いの道を進んで行くと奥に『大山祇神社』があるが車では少しシンドイようなので今回中止)

68号を少し進み前方橋の手前の路肩に車停め前方左手の山際を目指す
荒神宮
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鎮座地:津山市上横野
由緒、御祭神共に不明

68号を更にどんどん北へ進んで行くと前方三叉路、左手の476号を北へ進んで行くと再度三叉路、右手を進んで行くと正面に駐車場と休憩所よく分からないので此処に車を停め歩いて横野滝の側にある神社を目指す(竜神宮の前のもみじ亭にも駐車場はあるが今回土曜日多いよう-ここに至る道も狭いが結構かわす場所はある)
竜神宮
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鎮座地:津山市上横野
由緒、御祭神共に不明
関係ないが今回1の滝は通行止め、高さはともかく2の滝が一番滝らしいかも

68号まで引き返し、先ほど『高田神社』に至った345号を東方向へ進み、高田小学校を過ぎ345号が南にカーブする処を左手に進み、前方三叉路を右方向へ進んで行くと前方に『大篠北集会所』、Vターンして北方向に進むと突き当たりに神社が、前に車停め参詣
大佐々神社
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鎮座地:津山市大篠2137
由緒:当社の創建年代は不詳であるが、三代実録第8巻に貞観5年5月28日庚寅美作国従5位下大佐々神社従5位上を授くとある。神祇全書第1輯・美作略史第1巻にも同様の記載がある。美作の国112社考に年月不詳苫田郡高倉郷大篠座従5位上大佐々神社とある。明治6年郷社に列し同39年神饌幣帛料供進神社に指定された。境内に国学者・歌人の平賀元義の「神さぶる大ささ山をよぢくれば春の未にぞ有紀は零りける」「見渡せば美作くぬちきりはれて津山の城に旭直刺」の碑がある。
御祭神:月讀命、高オカミ神、大己貴命、伊邪那岐神、豐磐間戸命、櫛磐間戸命、素盞嗚尊、応神天皇、大山祇命
(上記記載は予定、実際は行き過ぎてしまい前方『大篠公民館』で気付き、善応寺の標識で北方向へ進み、前方Y字路『後谷集会所』で左手に進み『大篠北集会所』に)

元へ引き返し345号を南へ進んで行くと前方突き当りを右折して394号を西へ進み、前方南へカーブした少し広めの路肩の側の空地に車を停め、右手の坂道を登った右手に鳥居
彌谷神社
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鎮座地:津山市大篠
由緒、御祭神共に不明

今度は反対側の坂道を登って行くと左手に
三宝荒神社
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鎮座地:津山市下高倉西
由緒:地区の吉方乾の山にある当社は、平安時代初期の創建と思われ、後記の三神が三位一体三面六臂の御神像にて鎮座されている。伊邪那岐大神の御子須佐之男大神は、五穀豊穣と諸難疫病退散の神であり、この三神による三宝荒神の大神は家内平穏・親族和睦・家運長久・子孫繁栄を司り、子供の守り神としても厚く信仰されている。
御祭神:伊邪那岐大神、祖先の御霊神、土地の守護神

394号を南へ進んで行くと前方に広域農道左折して西方向へ進み、北へカーブする手前を右折して進み、四本目の道を右折して右方向へと坂道を登って行くと墓地手前に鳥居、前に車を停め参詣
大成荒神社
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鎮座地:津山市下横野
由緒、御祭神共に不明

広域農道まで引き返し南側へ進んで行くと前方に橋、橋を渡りV字に坂道を上がって行くと前方左手に鳥居、手前の路肩に車停め参詣(鳥居の右手手前のコンクリートの道が車用の参道)
栃畑神社
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鎮座地:津山市籾保755
由緒、御祭神共に不明

元の道の橋の処まで引き返し、南へ進んで行くと前方Y字路と左手に池、この辺りの車停め池の向うに見える神社へ参詣する(南側が参道、脇から強引に参詣した感じ)
勝部神社
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鎮座地:津山市勝部1133
由緒:往時は源家信仰の神で、頼朝が鎌倉に幕府を開くようになると、社殿の造営を命じ、祭田を寄進して祭祀を盛んにさせた。正月田、三月田、九月田、霜月田、行事田、油田等の地名が今に残っている。尼子晴久が一宮についで当社を造営した。もと、王太郎明神と称したのを明治元年に王昭神社と改め、同六年に勝部神社と改称し村社に列した。同四十一年吉滝神社を、大正六年に荒神六社及び稲荷倉稲魂・牛神・佐田等無格社十社を合祀した。
御祭神:彦火火出見尊、倉稻魂命、八衢彦命、素戔嗚尊、保食神

神社前の道(394号)を北へ進み広域農道へ、右折して東へ進み、南へカーブル手前を右折して進むと鳥居、手前に車を停め参詣-南側に参道
高倉神社
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鎮座地:津山市下高倉西762
由緒:本社は、明治40年5月20日に合祀されるまで 杉森神社と号して、美作112社の1つ高倉郷の大宮である。里の人々からは勿論であるが、鶴山城ができてからは城の鬼門に当たることから、嘉吉元年(1441)守護山名教清・守護代山名判官忠政に始まり、森忠政以後累代祭粢を奉献され、松平宣富には随神門を造営されるなど城主からも厚く崇敬された。また本殿の脇には、元禄11年(1698)松平藩を震撼させた元禄一揆で処刑された高倉の大庄屋堀内三郎右衛門の妻の傳が、残った二子の無事成長を祈願した一対の石灯籠が立っている。現在高倉神社の本殿に合祀されているのは、嘉祥2年(849)創建の上高倉神社、岡隅神社と孝霊天皇の御代に紀州熊野神社より勧請した寄松神社、寛徳2年(1045)創建の二宮神社である。明治7年平屋造桁行八間梁四間の大神楽殿が境内の西南に造られ老若男女が演劇などをして楽しみ、明治29年から34年までは小学校としても活用された。 大正元年幣拝殿を改築したが、老朽甚だしく、平成9年幣拝殿・社務所・神輿庫・参集殿の改築と神楽殿取り壊し・参道整備・水道設置など、高倉の里人の心意気と信仰の深さを示す平成の大改修がなされる。高倉神社の夏祭り・秋祭りでは、相撲・巫女舞・獅子練り・出店など、地区を挙げて賑やかに祭典が行われ、歳旦祭も、巫女舞などで正月らしく華やかに一年の始まりを祝っている。
御祭神:伊弉諾尊、伊弉冉尊、月讀神、月弓尊、素盞嗚尊、大己貴命、稻田姫命

神社横の道を南へ進み前方で345号へ、更に進んで前方三叉路を右折して進み『高梁工芸』標識の処へ車を停め右手の道を進んで行くと前方に
山西神社
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鎮座地:津山市高野山西1609
由緒、御祭神共に不明

一日非常に暑くて疲れ気味、少し早いが帰宅することに、津山の中心よりどの位外れているのかも検討がつかないので、カーナビに従い帰宅コースを、特に問題は感じないがかなり西寄りで吉井川を渡った感じ。

神社廻り-矢掛北方向

久しぶりの天気、今日は矢掛の北方向での参詣を目指す。コースとしては例のごとくR180号から270号で高梁川へR486号で矢掛の西『西町』の信号で右折して35号を進む。井原鉄道を潜って進むと前方に川、左折、右折して橋を渡って進むと前方右手に神社、路肩に車停め参詣
鵜飼荒神社
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鎮座地:小田郡矢掛町小林
由緒、御祭神共に不明

神社前の道を西へ進み突き当りを左折、次の三叉路を右折、次の右手坂道に石燈籠、坂道を登って行くと右手に階段、更に登って行くと神社の裏側に、駐車スペース有
中宮神社
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鎮座地:小田郡矢掛町小林
由緒、御祭神共に不明

更に進んで行くと奥に、手前に駐車場有
鵜江神社
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鎮座地:小田郡矢掛町小林1857
由緒:大同2年(1467)創立。本神社は吉備津彦を奉斎する。元小林村総鎮守である。文明2年(1470)の古書に(弘仁年中(810頃) 玄賓僧都曽って此の地に巡錫し鎮守の森に隣りて草庵を結ぶ)とあり、富札の信仰は氏子崇敬者はもとより庭瀬藩よりも度々御慕、神刀等の奉納があった。明治より大正に亘る合祀勧告により余儀なくも文書上の合祀整理をなしたが、年々の祭儀は往古より現在まで執行している。奉仕神職も創立当時より鳥越大宮司家の世襲である。
御祭神:吉備津彦命

最初の荒神社迄引き返し、東方向へ進み前方T字路を左折して進むと右手に広場、ここの入口に木野山神社の祠と金比羅さんの燈籠(たまたま出会った人に聞くと木野山神社は横手の道を登って行き、正面に牛舎-ここに車停め-横の道を登って行くと前方に墓地と池その先を登って行けばよいとのこと、しかし道は多分塞がれており蛇も出るので無理ではないか-地区の人も広場にあった社にお参りしているとのこと-雨上がりの跡でもあるので中止)
木野山神社
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鎮座地:小田郡矢掛町小林
由緒、御祭神共に不明

先ほどの道を東へ進んで行くと35号へ、左折して北へ少し進んで行くと右手に『井出ノ手公会堂』-ここにも金比羅の燈籠、更に進んで行くと右手道路脇に広い処、ここに車停め少し先の神社を目指す(車を停めた処の右手の道を進むと神社脇に出れる-結果論)
荒神社
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鎮座地:小田郡矢掛町小林
由緒、御祭神共に不明
物の見事に鳥居が壊れている

35号を更に進んで行くと右手に鳥居、右折し神社横の駐車場へ
三寶荒神社
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鎮座地:小田郡矢掛町内田
由緒、御祭神共に不明

ここからが今日の最大の難所、濡れた山道は避けるつもりだったが出会った人に聞くと、車で通行可能な道を教えてくれる、しかも何台かの駐車スペースもあるとのこと不安だったがとても歩ける距離では無いのでトライ
-三寶荒神社西側の道は車ではちょっと無理とのこと、少し35号を進み左折して橋を渡り前方の工場の建物(井上石材)を目指し、工場の裏を通って右手を進んで行く、一度道を間違え山の中の集落へ行き止まり、引き返して進んで行くがあと少しの処で車がスリップして進めない。前回と同様、一度冷静になるため歩いて参詣、歩いて分かったが濡れていてかなりの勾配、なるほど先には十分な駐車スペースは有る。
明釼神社
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鎮座地:小田郡矢掛町内田627
由緒、御祭神共に不明
石を咬ませながら、ゆっくりふかしバックで少し先の平たい処まで進み、切り返しで何とか脱出、山中の湿った坂道はしんどくても早めに車をを停め、とにかく歩くこと-これが大切!

35号へ戻り更に進み、郵便局先の橋を渡り、川側の空地に車を停め歩いて正面に見える神社を目指す
荒神社
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鎮座地:小田郡矢掛町内田
由緒、御祭神共に不明

35号を北へ進み前方橋を渡り左折して進んで行くと、右手に石燈籠、左下に鳥居、道路脇に車を停めたが左折して下ると駐車スペース有
木花神社(若一王子宮)
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鎮座地:小田郡矢掛町内田1506
由緒、御祭神共に不明
鳥居の扁額には『若一王子宮』、手作りの紙燈籠の表示は『木花神社』、誰にも会えないので不明のまま

引き返し、35号を進んだ左手に、駐車場はあるがロープが張ってあり手前に停める
諏訪神社
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鎮座地:小田郡矢掛町下高末2896
由緒:下高末の氏神である当社は明応7年(1498)に信州の諏訪神社を勧請した。下諏訪神社の祝が戦争に負けて神霊を背負うてきたともいう。貞享元年に再建。元禄6年10月に鳥居を建立.明和7年炎上。同8年に再建。平成11年本殿前殿を再建。参道には、「天保11成子7月吉日」と銘のある手水鉢、「安政2乙卯11月吉辰」と銘のある石造唐獅子一対、「天保11庚子年孟秋吉日、願主惣氏子中、火袋寄附 兼帯庄屋長谷川氏」とある石燈龍一基がある。末社の荒神社には大正元年(1912)に下高末の各地に祭られていた寺原神社、水野山神社、稲荷神社、十二神社(二社)明剱神社、地神社、八坂神社、荒神社が合祀されている。御崎神社は王子宮 水分神社 国水分神社等を祭り、乳の神様で、神前には今も乳の出の悪い女性が奉納した乳房を型どった絵馬が供えられている。当社の氏子は70戸であるがもとは土高末字土井の全株、三谷の川上・岡田両株、高階の岡田株も氏子であった。農地改革までは神田1反5畝があり、当番組で耕作して祭りの費用にしていたが、現在は部落費より袖助があり、不足分は当番組が負担している。
御祭神:健御名方命、八坂入姫命
神殿に由緒等が掲げられており、八坂入姫命を祀る神社は全国でここだけ

35号を引き返し郵便局手前の道を左折して東方向へ、『鶴見化学工業』、『宇角公会堂』途進み先を右折して南へ進んだ突き当り(手前の広めの処へ車停め前方山際に見える神社を目指す-少し狭く、急な坂道ではあるが車で可能)
八幡神社
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鎮座地:小田郡矢掛町宇角1498
由緒:本神社の創建は正暦4年(993)8月というが不詳。延応2年(1240)、応永32年(1425)改築の木札が存している。口碑によると、昔、竜王山に鎮座していたが、500年位前に現在地に勧請した。当地方で一番古い神社である。明治4年7月村社に列格した。
御祭神:応神天皇、神功皇后、三女神 

元の道へ引き返し、東へ進んで行くと、『三ケ原』方向へ左折する少し手前の民家の後ろに神社、前にいた人に聞くと荒神社とのこと
荒神社
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鎮座地:小田郡矢掛町下高末
由緒、御祭神共に不明
明釼神社のことを聞くが前方を左折して進んで次の集落で聞いた方がいいとのこと

前方に標識、左折して『三ケ原』方向へ、峠を越えた先左手に神社、道路脇の空き地に車を停め歩いて参詣
木野山神社
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鎮座地:小田郡矢掛町下高末
由緒、御祭神共に不明

元の道へ戻り前方『三ケ原集会所』前に車停め、歩いて参道の確認に進むが道幅はあり、そんなに急な道でも無いので車をとりに引き返す途中、地元の人に出会ったので参道を尋ねると前方十字路、もしくはその先のポンプ室までは可能、その先は四駆でないと難しいと教えられる、ポンプ室まで車で、前に空地があるので車を停め歩いて参詣(此処に車を置いて正解、無舗装の急勾配、先に駐車場は有るがまず普通の車では無理)
明釼神社(明剣神社)
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鎮座地:小田郡矢掛町下高末1514
由緒:本神社は建久7年上(1196)よりこの邑でまつられていた妙見宮を、永正5年(1509)に現在の山上の社地に長代筑前守が建立したために近郷の崇敬者が増して社運が隆盛になった。境内の磐座(高さ約4m)には、江戸初期作と推定される約70cmの不動明王と役行者の2体が浮彫されており(矢掛町指定重要文化財に指定されている)往古の修験者の山上信仰祭祀跡を忍ばせている。氏子は下高末字上高階・下高階・平宇角・三ケ原の約53戸。秋祭りは10月19・20日であったが、現在は11月第1日曜日に行なわれている。古くは当番と総代が参拝するだけであったが、現在は氏子全員が参拝している。
御祭神:宗像三柱神

元へ引き返し北方向へ進んで行くと80号に出る、左折して進んで行くと35号へ出る手前に八幡神社
八幡神社
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鎮座地:小田郡矢掛町上高末2567
以前参詣したはず、参って初めて思い出す、前回は北から南へ、今回は東から西へ間違えやすいか

35号を北へ進んで行き前方35号が右に曲がった先、路肩に車を停め、一番手前の最初南方向へ登る坂道を進み、Vカーブして山道を登って行く
木野山神社
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鎮座地:小田郡矢掛町上高末
由緒、御祭神共に不明

先ほどの右に曲がった処まで引き返し、右折して山道を登って行く、前方突き当りを左側に取り、道なりに進んで行くと右手に石柱、右折して登って行くと神社裏へ-対向車の件で階段を見落とし、手前に空きスペース有
正八幡宮
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鎮座地:井原市美星町宇戸739
由緒、御祭神共に不明

マップにこれまで参詣した神社の表示が何か変?、早いけど帰宅、車のナビは80号、総社を示すが、35号を矢掛まで下がり、R486号で帰宅

神社廻り-岡山市北参詣忘れ

今日は三連休の最後の日、私には全く関係ないのだがいつも出掛けるかどうか悩む。午前中奥さんへのお付き合い、そして近場?で参詣忘れの神社を廻る。場所としては岡山市の北方向、御津・建部方面
R53号を北へ進み辛香峠(トンネル)を越え坂道を下った先の信号を左折して進んだソレックス岡山工場の先の左手、境内に駐車場があるが車止めで無理、入口に停めて参詣
吉尾八幡宮
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鎮座地:岡山市北区御津吉尾44-1
由緒、御祭神共に不明
(この神社は岡山県神社庁には記載されているがGoogleMapに記載されてないため見落とし)

R53号を進んで行き御津の手前、小さな川沿いに左折して進み、前方突き当りを左折して61号へ、以前『熊堅神社』に参詣した際の前方Y字路を右手に、道なりに進んで行くと少し距離はあるが右手に鳥居が、路肩へ車停め参詣-道幅は比較的広いので-目標として『まつだ牧場』の案内に従えば問題ない。
八幡宮
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鎮座地:岡山市北区御津河内3135
由緒、御祭神共に不明
(この神社も岡山県神社庁には記載されているがGoogleMapに記載されてないため見落とし)

R53号を進み、御津先で右折して橋を渡り、255号を川沿いに進み、前方を右折して進みタバコ屋の先を右折して進んだ池の手前(車で通行可能か、神社前に駐車可能か分からなかったので255号に車を停め歩いて参詣-255号からの最初のは入口が少し狭いが問題なく神社前まで可能で駐車スペース有-左側の車用参道は苔が生えていて湿っている場合は止めた方が賢明)
楢村布勢神社(十二社権現)
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鎮座地:岡山市北区御津矢原1046
由緒、御祭神共に不明
(この神社は岡山県神社庁記載とGoogleMap記載が違い、神社として表示されないため見落とし)

このままR53号に引き返しても面白くないのでこのまま北上、以前から気になっていた神社を目指す。前回は『平岡西公民館』で右折して赤磐市の神社を目指したが真っ直ぐ北上し468号を進んで行くと左手に駐車場、左折して進んで行くと途中中ほどに鳥居、更に進むと参道前に駐車場-このまま進む裏参道もあるようだが未確認
石上布都魂神社
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鎮座地:赤磐市石上1448
由緒:当社は「延喜式」神名帳、備前国赤坂郡6座の内の1社である。備前国総社神名帳128社の中で正2位と記されている。古くは書紀一書に「其の蛇を断ちし剣をば、なづけて蛇之麁と日ふ。此は今石上に在す。」また一書に「素盞嗚尊、乃ち天蝿断の剣を以て、其の大蛇を斬りたまふ。」と記している。「吉備温故秘録」で大沢惟貞は記紀、旧事記、神社啓蒙天孫本記、古語拾遺等から「曰く、この数書以て考ふるに、上古素盞嗚尊、大蛇を断の剣は当社に在る事明らかなり、その後、崇神天皇の御宇大和国山辺郡に移し奉るとあれども、当社を廃されしと見えず。(以下略)」寛文9年備前藩主池田綱政が山頂磐座に在った小祠を造営復興し、延宝2年「社記1巻、社領20石」を廃藩まで奉納した。他に「備前一宮」として、今日「一宮巡拝」等で参拝者が増えつつある。山頂の社殿は明治43年火災に遭い現在地に移す。昭和20年「県社の資格有り」と認めたれた。現在拝殿は平成5年改築。
御祭神:素盞嗚尊
これまで県内の神社廻りを行っていて御朱印を集めている人に初めて出会う。やはり休日に参詣したせいか、ここでは宮司さんと奥さんに麦茶のもてなしを何か恐縮する。宮司さんの徐福伝説の一部、奥さんは大和の石上神宮へ遷された素盞嗚尊の大蛇退治の剣の木製のレプリカを見せて頂き、山頂の本宮にも参詣-中四国の一の宮一覧図も頂く

北へ進んでR484号へ左折して建部へ、旭川を渡り直進後71号を道なりに進んで行くと左手に鳥居、鳥居手前の道を左折して進むと神社横に駐車場、結構急な階段を登って言参詣-意外と東北へ寄りすぎた感じがするが道は非常に走りやすい。
佐久良神社
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鎮座地:岡山市北区建部町桜1165
由緒:本神社は第112代霊元天皇の寛文5年(1665年)に桜村字王子谷に、王子大明神として勧請した。その後大水害により、享保2年(1717年)正月現位置に勧請し、同12年(1727年)6月15日に鳥居を築造し、明治2年に佐久良神社と改称し今日に至っている。本神社の箆焼は名物として古くより一般に認められている。
御祭神:木花咲夜姫命、大山津見命、磐長姫命
(以前工事中で通行止め、今日の道を通るなら何の問題も無かったのだが途中の川沿いの道を進もうとしたため)

無難に引き返し453号で建部駅手前まで、線路を渡り南東へ進み左折して211号へ神社の手前を右折して進み、神社の南側の鳥居前へ
厳島神社(厳嶋大明神)
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鎮座地:岡山市北区建部町中田718
由緒、御祭神共に不明
(この神社の住所と名前が一致しない?多分神社庁の記述が間違っていると思うのだが?)
 
R53号を帰宅、途中建部と御津の間左手の橋を渡り、左折して北方向へ進むと右手に鳥居、鳥居の先右手に広場、駐車して参詣
正八幡宮
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鎮座地:岡山市北区建部町小倉354
由緒、御祭神共に不明
(特に未参詣の理由はなくつい橋を渡るのを忘れ帰っていたせいか)

曇って来たので本日は早めに帰宅、GoogleMapとストリートビューで神社を探しているのでどうも漏れが出てくる。岡山県の神社庁も参考にしているがマップに記載が無いとよく忘れている感じ。また参詣予定が早く済んだ場合には次をむ計画で廻るので余計に見落としがあるよう。

神社廻り-鴨方北方向

梅雨の間の晴れ間を狙って出掛ける。鴨方の北から西方向を目指す。
例によって新幹線沿いに進んで倉敷を目指し、イオンモール倉敷の先を左折して進み、前方R429号を右折して進み前方右折してR2号へ、道なりに進み金光手前でR2号を降り、川沿いに進んで前方『神神影橋』信号で右折して橋を渡り北へ、前方の信号で左折して60号を西へ進む。前方『鴨方IC南』信号で右折して北へ、155号を進んで行くと新幹線を潜った先『鴨方IC西』信号で右折して進み、『本庄橋』信号を直進し、高速を潜った先右手に神社、路肩に車停め歩いて参詣
日吉神社
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鎮座地:浅口市鴨方町地頭上319
由緒:本神社の創建年月は不詳である。口碑によると、平安時代に北に位置する遙照山(ようしょうざん)を比叡山に、南に面する玉島〜笠岡間の瀬戸内海を琵琶湖に擬し、叡山の麓の琵琶湖畔、近江国坂本の日吉大社の分霊をこの内海畔地に勧請したという。現今の鴨方町地頭上、益坂、金光町地頭下は鎌倉・足利時代には津田庄(つだのしょう)に属し、当神社は三地区全体の氏神であり、当時としては本殿、幣殿ともに近郷では立派であったと伝えられている。現在の本殿は明治7年(1874)に再建したもので、寛文7年(1667)の棟札もみられる。現在もなお、三地区は本神社の大氏子で、いずれの地区からも大祭には祭典の参列参加がなされている。戦国時代には、鴨方城主細川下野守通董(しもつけのかみみちただ)から矛5本の献納の記録があり、城主からも信奉されていたことがうかがえる。江戸時代の前期に、池田光政の特異な施策として寛文の社寺整理と呼ばれる宗教施策があった。すなわち、寛文6年(1666)に藩内一万社を越える神社の由緒を調べ、そのうちで氏神と産土神を除き、残りを淫祠邪神として廃祀して、大官所ごとに建立した約70社の寄宮(よせみや)に合祀した。本神社には近郷の637社の寄宮として祀られたが、氏子はこの寄宮を仁正院(にしょういん)様と称し崇拝した。その後、光政の次代藩主池田綱政は正徳3年(1713)備前国旧上道郡大多羅村(おおたらむら)へ移した。さらに、安永2年(1773)には寄宮遙拝所も同町鴨方、鴨神社境内に移ったが、氏子の人達は境内東南隅に遙拝所を設けて信仰し、毎年仁正院祭を執行して今日に至っている。
御祭神:大己貴命、大山咋命
しょっぱなから拝殿が瓦葺、この地域はこのタイプが多い予感、裏参道は西側にあるようだが未確認

神社前の道を東に、前方Y字路を右折すると広い道に、左折して高速沿いに進んで行くと前方に左側に斜めの道、路肩に車を停め参詣(最初に参詣する予定だったが入る道が良く分からなかったので-ナフコ手前の三叉路を北へ進んで行けばよかったようであるがかえって面倒か?)
大川神社
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鎮座地:浅口市鴨方町益坂265
由緒、御祭神共に不明

西方向へ引き返し、『本庄橋』の信号を更に西へ、非常に日差しが強いので直ぐ先の高速高架の下へ車停め南側の2つの神社を目指す。車は日陰だが人間はカンカン照り川沿いの155号は道幅が以外と広いので車で行くべきだった。南方向へ歩いて行くと前方左手墓地の隣に見える。川沿いに東へ進み、橋を渡って民家の間を山際に進んで行くと前方に
荒神社
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鎮座地:浅口市鴨方町本庄
由緒、御祭神共に不明

次の神社も同様に前方右手の上に見えていたので、引き返し、川沿いに西へ進み次の集落に入った直ぐの橋を渡り進んで行くと左手に、畑道を歩いて参詣
木野山神社
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鎮座地:浅口市鴨方町本庄
由緒、御祭神共に不明

次に予定している神社も北側の山中に見える。車まで戻り、高速沿いに西へ進み最初の道を右折して進み、突き当りを左折して進み、前方Y字路を右折して進むと左手に、前に駐車スペースと少し進んだ先に車道-利用せず
天満天神宮
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鎮座地:浅口市鴨方町本庄
由緒、御祭神共に不明

今日の大失敗の章-神社前の道を西へ進み左手池の西側で農作業をしていた人に聞くと春のお祭りが済んだ後なので道は草ぼうぼうで通り難いが煤先を入ればいいと言われ、車も自分の家の空地へ停めればいいと非常に親切、かなり山際を歩き探してみるが分からない。再度尋ねると親切に入口まで案内、草に埋もれて全く分からない。強引に進んで行くと途中から草が生えてないので道らしきものあり、進んで行くと『薬師堂』それ以上は進むべき道なし、神社廻りをしており札所等へはお参りしてないと伝えた筈だが、残念!
山の西側に道が有りそうなのでもう少し進んで出会った人に聞くと神社で御存じの方に出会う。人家の裏側に道があり登って行くと墓地が、反対方向にあるとのこと『米公民館』の先進んだ突き当りの広い坂道へ車を停め先の民家の裏側を登って行く(無理をすることは無いが、前方Uカーブしながら坂道を登って行くと公園とその先に墓地-この辺り広いので車でも可能か)
疫神社
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鎮座地:浅口市鴨方町小坂東
由緒、御祭神共に不明

よく分からないので少し引き返し池からの道へ、右折して川沿いに進むと前方に神社が見える。この道は155号で、前方で286号に突き当たるが横切り少し進んだ前方右手の橋の辺りへ車を停め、橋を渡り集落の間の道を前方の山裾を目指して進む
軍神社
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鎮座地:浅口市鴨方町小坂東629
由緒:正平6年5月5日の創建。建武年間に小坂越中守が要害山(1名杉山)の山城に居城し、降って戦国時代には、備中鴨方城主細川遍薫の重臣の河田紀伊守陸長や、毛利元就の家臣小坂宗右衛門経通の居城となった。備陽国誌によると、この頃神社はこの山城に奉祀してあり。その後、現在の山麓に奉遷したものである。
御祭神:武甕槌神、経津主命
未確認だが南側286号から神社の東側へ出れる裏参道がある-結構距離と高さがあるので一考の価値あり
最近神社廻りも辺鄙な処が多いのかほたるの里っぽいのが多いが、やはり慣れないところでは有るので夜行くのは難しい気がする。

一旦286号へ戻り北東方向へ道なりに進み前方十字路を右折して南へ進み広めの処へ車を停め右手山側を探す-『田口建設作業場』辺りへ停め手前の道を西方向へ進んだ先に-実際はこの辺り停めにくく少し先に
荒神社
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鎮座地:浅口市鴨方町本庄
由緒、御祭神共に不明

少し南へ進んで前方X字路を左折して北へ進むと前方に神社が見える、前方池の北側を左折して進み、先ほど南へ進んだ処を右折して北へ道なりに進み、前方右にカーブする処を直進すると神社前に、駐車スペース有-カーブする道を進んで行くと神社北側の裏参道
大歳天神宮
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鎮座地:浅口市鴨方町本庄2037
由緒、御祭神共に不明
これだけ遠くからでも目立つ神社だが由緒の記載が境内にない御祭神は天神なので?
鳥居東側の墓地の一角に神社
不明神社
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鎮座地:浅口市鴨方町本庄
由緒、御祭神共に不明

今回次に参詣する神社が何故か見える位置に、池の北側まで引き返し286号が右にカーブする処に車を停め正面の神社を目指す
地神社
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鎮座地:浅口市鴨方町本庄
由緒、御祭神共に不明

今日の予定は此処まで、時間がまだ早いので、南へ引き返し高速手前で64号へ、ずっと南へ進んで天草総合公園南を右折して434号を西へ進んで行くと左手池の前に神社、前に車を停め参詣
高岡神社
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鎮座地:浅口郡里庄町里見5781
由緒、御祭神共に不明

コース選択失敗か?以前参詣済の地域であったし、未参詣の『高岡神社』の為だけに南へ行ったのは面白くなかった-基本的に地理が頭にないので仕方ないか?
434号を西へ進み突き当りを右折して北へ、前方広域農道の起点にある7&11でコーヒーブレイク、北側へ抜け川沿いに434号を北西に進み、高速、新幹線を過ぎた前方に60号、右折して60号を東へ直ぐ先の路肩が広い処に車を停め『大師堂』横を歩いて進んだ先の歩いて参詣-手入れされてない公園の奥
疫神社
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鎮座地:浅口市鴨方町小坂西
由緒、御祭神共に不明

西方向へ進み突き当りを北(山際)に進んだ先
荒神社
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鎮座地:浅口市鴨方町小坂西
由緒、御祭神共に不明
車で近くまでは行けそうだが駐車場所に困る可能性大-歩いた方が賢明

60号を南西に進み中谷公会堂先を右折して進み前方をV字に右に進んで行くと左手に-少し先に神社下に突っ込む感じの駐車スペースあるが、V字附近に車停めた方が良かった気がする。
天神社
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鎮座地:浅口市鴨方町小坂西
由緒、御祭神共に不明

60号西へ少し進んだ前方道が交差した広めの処右手に
荒神社
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鎮座地:浅口市鴨方町小坂西
由緒、御祭神共に不明

60号を南西に進み、高速を潜った先、金山集会所先で広域農道を進み、前方池の先、右にカーブした先を右折して進み、前方Y字路を右手に進んだ先に石段、手前に車停め参詣、(左手車道で上がれようである)
綿津見神社(六柱神社)
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鎮座地:笠岡市今立1163
由緒、御祭神共に不明

広域農道を西に進み、前方信号を右折して今井小学校前を進み、その先のろ過に車を停め、学校裏の参道を進む
八幡宮
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鎮座地:笠岡市今立125
由緒、御祭神共に不明

広域農道を少し進、前方信号を左折して268号を南へ、本来直進してR2号へ出る心算だったが右折して進み、前方池の土手を左折して進み、池の端で対向車に、池側の山道へ車を停め歩いて進んで行くと両側に神社-途中での対向車を気にしなければ車で可能、東側奥にある神社、地図上に載ってなかったので歩いて正解
大歳神社
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鎮座地:笠岡市馬飼609
由緒、御祭神共に不明

西側山裾に
平松神社
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鎮座地:笠岡市馬飼
由緒、御祭神共に不明

本当に暑い一日だった、露出している顔と腕は真っ赤に日焼け、肌がヒリヒリする。車に帽子は有ったがかぶる習慣が無い為かいつも忘れている。
此の近辺は一度整理して参詣すす必要があり帰宅。
R2号がいつも混んでいるのでコースの変更を試み、よく通る倉敷駅裏から新幹線沿いの道を通るが、出るまでが時間がかかり、どっちが正解か?
ギャラリー
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