岡山県内神社巡り(メイン)

片っぱしらからの神社巡り

2015年09月

神社廻り-高梁から新見へ

近場の神社はほぼ廻りどうしても遠距離に、雪が降る前に県北の参詣を済ませたいが、県北はやはり遠い。この数日何故かのどが痛く最悪、天気かいいので思い切って新見方面を目指して出掛ける。
R180号を進み、高梁を過ぎ、木野山駅先の橋を左折して渡り、真っ直ぐ進んだ前方に左手鳥居が見えるが間に川があり参詣出来そうな感じでない。近くの人に聞くと少し進んで行くと前方に橋があり下って行くと公民館の後ろ側に車参道が-舗装されてないので近くの路肩へ車停め歩いて参詣。よく分からないが近くの社っぽいものが結構見られる。この辺りの地図は何故か全く載ってない。航空写真で確認
海神社
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鎮座地:高梁市高倉町田井348
由緒:当社は、舊記の縁喜説に天慶元年(938)6月13日に神主吉田之位高が勧請したとある。昭和25年頃一千年祭を執行した。古書に「関谷村の八大龍王である龍神は丹生明神及び貴船明神の二神を祀る。」とある。祭神は豊玉姫神で、古来から雨乞いの神として崇敬がある。
御祭神:豐玉姫神

橋まで引き返し川沿いに進んで行くと左手に、今回は境内の木々の伐採作業を行っていた
杉戸八幡神社
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鎮座地:高梁市高倉町田井1346
由緒:当社は舒明天皇の御代3年9月豊前の国宇佐八幡宮から勧請された。祭神は應神天皇、神功皇后、玉依姫の三神である。相殿に神田神、建御名方神、豊玉彦神が奉斎されている。延暦7年2月松山城主水谷左京亮御時代、難波源右衛門、三平彦十郎の両役人が入村実地御取調の上、先規の通り大氏杉戸八幡宮と仰付られ、その後寶暦9年10月慶應4年4月に於ける松山藩主板倉家から大氏御取調の時も相異なきを確認され、明治4年以降数度の調査も同様にて旧田井村の大氏として村社に列格した。昭和21年神社制度改革に従い、宗教法人として神社本庁に所属する。ご勧請以来幾多の変遷を経て(その間再建数回)現在に至っているが、昭和9年9月21日関西に於ける台風水害は当社もその被害に遭い、山腹が崩壊し山津波の為、本殿、幣殿、拝殿、上屋の4棟を破潰した。昭和11年1月、県の許可を請け再建築に着手。同14年2月18日落成遷座祭を執行した。
御祭神:応神天皇、神功皇后、玉依姫

川沿いに進んで行くとR180号に、左折して進んで行った先、自動車教習所の先の左手、通行車両が多く停めにくいので直ぐ先右手の墓地横へ
御前神社
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鎮座地:高梁市高倉町田井
由緒、御祭神共に不明
この辺りの地図が全く詳しくない、Googleがサボっているのか地元が拒否しているのか?はたまた?

高梁川沿いにR180号を北へ進んで右手橋を渡り突き当りを右折し線路を渡り、直ぐ右手に、祭が近いのか山車を出していたので分かりやすかった。
恵比須神社
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鎮座地:高梁市川面町
由緒、御祭神共に不明

先へ進み前方郵便局を左手に進んで行く、最初左右を勘違いして探し分からなかったが小学生の街中探訪のグループで出あい尋ねて勘違いに気付く。神社と言うより大三島大山信仰の教会である。
大山祇神社
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鎮座地:高梁市川面町1958
由緒、御祭神共に不明

踏切を渡った処まで引き返し、線路を渡らず進んで行き前方を左折して進んで行くと前方に神社、廻り込んで南側参道前に車を停め参詣
大元八幡神社
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鎮座地:高梁市川面町2650
由緒、御祭神共に不明 

180号へ戻り、北へ進み2本目の道を左折して進んで行きと右手に
山王宮(大己貴神社、日吉神社)
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鎮座地:高梁市高倉町田井4071
由緒、御祭神共に不明

R180号を進み、再度高梁川に出会う手前を右折して引き返す感じ、橋の手前の右手奥(地図に詳細が表示されないので早めに車停め歩くが車での参詣全く問題が無い)
御前神社
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鎮座地:高梁市高倉町田井4522
由緒:当神社は御前大明神と称し、欽明天皇29代の御代に勧請したという。「御前」とは素盞嗚尊の変化であり、葦原醜男尊をさす。この神は9万8千の軍の神である。いかなる悪魔鬼神も降伏させ、最も先に立って追い失うゆえに、字訓でも御前と書くのである。昭和7年同氏子に鎮座していた八幡神社を合祀し御前神社と称した。昭和8年5月御本殿、幣殿を改築した。明治12年9月22日村社に列格した。
御祭神:素盞嗚尊、応神天皇

R180号へ戻り北へ進んで行くと左手に
御鋒神社
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鎮座地:高梁市高倉町飯部
由緒、御祭神共に不明
由緒等が表示されているが風雨で識別不明

これから先、やっと新見市へ、これまで何故か地図に詳細(民家集落と等高線等)が表示されず本当に不便であった。途中絹掛の滝で心を癒し先へ進む。近辺に神社は多そうだがR180号からどうしても外れるのでひたすら北を目指す。橋とトンネルの手前、右折して橋を渡り井倉洞方向へ、トンネルの上の神社を目指す。近くで出会った人に聞くと車で行けるが四駆でないと難しいと言われ橋近くへ車を停め歩いて参詣-参道の手前に駐車場有、濡れていたら分からないが普通の車でも行けそうな感じで井倉洞を見下ろす場所にある
三倉神社
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鎮座地:新見市井倉95
由緒:当社の勧請年月は不詳であるが、元禄8年の御検地帳に三倉大明神の除地がある。よって元禄以前の創建と思われる。古くは古三倉神社と称え権現社の通称があった。
御祭神:大己貴命、少彦名命、倉稻魂命
考えたらこちらの方向は同じ県内に関わらず井倉洞迄しか来てない。更に北の鳥取県・米子、境港、隠岐の島へは行っているのだが

R180号を進み、前方高架手前を左折して進み、前方Y字路手前の路肩へ車を停め歩いて北方向へ途中水が湧き出している処に祠が
天津神社
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鎮座地:新見市長屋
由緒、御祭神共に不明

R180号へ戻り進んで行き前方右折して橋を渡り78号を進み突き当りを左折して進むと前方に神社、前に駐車場あり、この辺りでチョウザメの養殖を行っているようだ。
岩山神社
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鎮座地:新見市唐松3286
由緒、御祭神共に不明
神社前の道をR180号方向へ引き返すが途中で通行止め、昔の橋が使用中止になったのか?

R180号を進み直ぐ先を左折して進み広めの路肩へ車を停め石燈籠の北側を探すと塀に囲まれた祠が、しかしその裏側に目的の神社が
八大元山荒神社
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鎮座地:新見市長屋
由緒、御祭神共に不明

遠くから見ていると幟に見えたが通行止めになっている前方十字を登って行くとまず『石蟹城』への標識、そして巨大なクレーン、これを登りと勘違い、何か分からないが立派な建物を建築中、そして進んで行った先に
藤木神社
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鎮座地:新見市長屋797
由緒:私共の氏神様藤木神社は今を去る六百五拾九年前即正中元年敬神の念厚き里人の代表数名奈良の春日神社へ参向天児屋根命の御分霊を奉持し庚申山の頂に勧請す。天高く千木聳え文字通り底津磐根に宮柱を多数立てて厳しく此の長屋の里を守護し賜はりたり。その後元禄六年拾月滝の根に遷下藤木神社として更に大正六年拾壱月現在地に移遷三上家鎮守三体妙見神を合祀申し上げ今日に至れり・・・
御祭神:天児屋根命

R180号を更に進んで行き前方伯備線を潜った先、右にカーブする処を直進して狭い道を進みAコーポいしがに車を停め、西側を探す
神幣荒神社
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鎮座地:新見市石蟹
由緒、御祭神共に不明

先へ進んで行くとR180へ、直ぐ先に新見市防災公園が右手に前方を右折して線路を渡ると正面に
大本八幡神社
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鎮座地:新見市石蟹180
由緒、不明
御祭神:品陀和気命

神社前の道を線路沿いに南へ次いで左折して橋を渡り、前方Y字路左手坂道を進んで行った東林寺先の左手斜めの坂道は登り難そうなのでそのまま進み前方突き当りを左折し適当な路肩へ車を停め参詣
國司神社
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鎮座地:新見市正田1694
由緒、御祭神共に不明

神社前の道を進み東林寺脇で出て元へ戻りR180号を進んで行き前方橋を渡って前方憩とふれあいの公園方向へ右折して進み線路手前を左折して進んで行くと右手に(正田公民館の駐車場に)-最初から線路を渡った先を進んだ方が良かった
栢森神社
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鎮座地:新見市正田819-1
由緒、御祭神共に不明

熱はないが喉の状態が最悪、声もでない状態、せっかく来たのだから更に進みたいが帰宅することに-総社・高梁・新見間がこれほど離れているとは予想外少し疲れた。

神社廻り-落合から勝山へ

あまり関係ないのだが最近犬の散歩コースの西川、彼岸花が結構咲いている。しかも躑躅の間から突き出ている花も結構多い。何故か田舎の風景を思い出し、前日総社市の北方での神社廻りでも彼岸花ロードと言った感じの場所も、そして最近ニュースで真庭市の川東公園の彼岸花の群生を取り上げていたのでつい目指す方向で!
これまでと同様にR53号、福渡の先で旭川沿いに30号で、少しR429号で再度旭川沿いに30号で北上を続ける。前方R313号を南西方向へ進む。

R313号を南西へ進んで行き『道の駅醍醐の里』の先で左折して332号を南方向へ進んで行くと前方右手に-手前に空地があるし、路肩も広い
余河内神社
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鎮座地:真庭市栗原1865
由緒、御祭神共に不明

R313号へ戻り、更に西方向へ、少し北方向へ向かい始めた先に7&11、手前を右折して備中川を渡り高速を潜った直ぐ先に車を停め、歩いて奥を目指す-途中まで車で十分可能だが駐車場に問題
木樵山神社
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鎮座地:真庭市栗原246
由緒、御祭神共に不明

引き返し今度はR313号を横切り反対方向へ進んで行くと右手丘の上に神社、更に進むと鳥居と駐車場
栗原神社
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鎮座地:真庭市栗原1032
由緒、御祭神共に不明

R313号を更に進んで行き前方美川橋南詰信号で右折して84号へ、橋を渡り直進して自動車道を潜り、前方突き当りを左折、次の三叉路を左折して進んで行くと南側に石燈籠と二宮像、参道口に車を突っ込み参詣-農繁期のせいか狭い道にもかかわらずよく車が通る-西川に車参道があるようだが未確認。変わった点として境内に古墳跡が、そして舟の形をした「だんじり」が
一色八幡神社
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鎮座地:真庭市一色965
由緒、御祭神共に不明
4号へ出るのに当初予定の84号から高速を越えた直ぐを直ぐを右手に直進する処に出る。

84号を北へ進み橋を渡った先に『かげや鮮魚』その先にあるT字路を右折して進むと前方に神社、左折して進んだ直ぐ先に坂道、急ではあるが登って行くと神社前に2ヶ所の駐車場
大宮神社
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鎮座地:真庭市関1981
由緒、御祭神共に不明
近くに『山祇神社-真庭市関1734』が有るはずだが地元の人に出会わず確認できず

84号を進んで行くと坂道途中に『醍醐桜』の標識、左折して川沿いに進んで行くと前方に-手前の空地に車を停め参詣-神社前も駐車可能
かなり大きな木が倒れており放置されている、参詣には問題が無いが
下諏訪神社
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鎮座地:真庭市別所2764
由緒、御祭神共に不明
此の神社は『醍醐桜』の標識に注意すれば問題ない

ここで上諏訪神社に参詣し忘れに気付く、直進する感じで引き返し別所小学校の南側を進んで行き、前方川の手前の突き当たりを右折して進んだ右手坂道の上-地元のの人に確認-駐車場有
上諏訪神社
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鎮座地:真庭市佐引151
由緒:当社は天長8年3月信州上諏訪の社から勧請した。古来月田荘、別所荘、佐引荘の10ヶ村の総氏神として斎き祀った。以来代々の領主から藩主に至るまで、佐引荘、山田外2ヶ所高5石下賜せられていた。維新の際、月田荘が1社を創建したので氏子は自ら分離し、2荘の氏神となった。 明治3年村社となり、大正4年字天神外4社を合祀し現在に及んでいる。
御祭神:建御名方命
順序としては84号から手前の三叉路の坂道降り、右手の上諏訪、下諏訪神社を目指すべきか

84号を北上し前方、左にカーブする処を直進し線路手前の道左折する予定だったが狭そうで、線路を渡った先の空地に車を停め参詣
月田美保神社
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鎮座地:真庭市月田
由緒、御祭神共に不明
直ぐ傍に伊勢神宮を祀った建物がある

橋を渡り突き当りを左折して、その先32号を西へ最初の右手の道を右折して進み突き当りが少し広いので車を停め、引き返して坂道を登って参詣-鋭角のカーブが2ヶ所ありまず無理
荒神社
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鎮座地:真庭市月田
由緒、御祭神共に不明

更に32号を西へ進んで行くと線路を4回潜った先右手に
木山神社
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鎮座地:真庭市月田本
由緒、御祭神共に不明
非常に意味不明な神社跡?、仏関係に占領されている?

32号を少し進むと前方にトンネル、手前を左折し橋を渡り次の橋手前に車を停め川沿いに進んで神社を目指す-未舗装だが車で可能?、しかしカードレールも無いし危険?
月田神社
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鎮座地:真庭市月田1837
由緒:表示があるが消えかかって読み難い
御祭神:大国主命、速須佐之男命、岩戸神、滝津姫命

32号を引き返し、その先元の狭い道を進み、32号と出会う手前を右折して進んで行くと右手に、神社前に車を停め参詣-神社前の道を北へ進むと突き当り左折、線路を渡った先で32号へ-このコースが簡単
春日神社
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鎮座地:真庭市月田3019
由緒:当社は往昔字神退という処に御鎮座していたが、文明19年に現在の社地に移転鎮座したもので、文明以前の創立の古社である。慶長以後元禄の頃までは美作の国主森公の代々崇敬の社で現在の本殿は延宝7年に国主森伯耆守の造営したものである。森公国除の後は領主三浦氏が代々崇敬した。大祭には御供焚と称し、その任に預かる者は国主森公から下付せられた着背剥・烏帽子を着用して本殿に献供する例が今も行なわれている。月田郷の大産土神と斎き奉る古社である。
御祭神:天兒屋根命、武甕槌命、經津主命、齋主命

32号を北へ進んで行くと前方右手山の中腹に神社らしき建物、R181号に出会う手前の右手の橋を渡り、直進した土手近くに車を停め、北側の民家の間の道を進む-近くにいた人に尋ねる
神社は目標にしていた建物の横にあり、最初の建物は何なのかよく分からない。
六道神社
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鎮座地:真庭市月田
由緒、御祭神共に不明

前方を左折してR181号を西へ進んで行くと右手に石柱と奥に神社、路肩に車を停め田圃道を通って参詣-東西から北側に入る道を進むと神社前に駐車場
荒田八幡神社
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鎮座地:真庭市荒田534
由緒、御祭神共に不明
近くにいた人によるとこの地区の人が宇佐八幡から勧請されたらしい

R181号を東へ進みエディオン(意外と小さい)の手前を左手斜めに入り進むと前方広い処の手前左手に鳥居、鳥居を潜り進んで行き前方右手に車参道?、舗装されてなく車の頭を突っ込んだ形で参詣-地区の人が車で来て裏山の草刈りをしていたの、車を置いてきたのは正解だったが、参詣を済まして帰っていると大きな車が通り難そうにしていた。謝り少し車を進める-ギリギリの感じ、急いでいたら多分通っていたかも?
高應神社
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鎮座地:真庭市江川929
由緒、御祭神共に不明
久しぶりに長い階段を歩いたのと銀杏が色づいていたのが印象的!

先ほど曲がった処まで引き返し進んで行くと左手に、路肩に車を停め参詣
三田神社
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鎮座地:真庭市三田120
由緒、御祭神共に不明

先へ進んで行くとR313号へ左折して旭川沿いに北へ進み、学校の手前の信号を左折して進んで行くと右手広くなった処に神社
美保神社
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鎮座地:真庭市本郷
由緒、御祭神共に不明

神社前の狭い道を東方向へ進んで行くと左手に鳥居、少し先左折して坂道を登った処に車を停め参詣-この道を進むと車参道か?
鈴神社
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鎮座地:真庭市本郷1754
由緒:本社は白鳳八年(六五七)伊勢国渡会から道別の神を勧請し本郷陣山幸神が旦に祀る。此処は戦国時代に陣地となって荒らされたので天正十一年十二月、池田祐大夫氏子を誘い現在の宇高岡山に移し奉った。明和元年、三浦明次領主となり崇敬厚く代々幣帛を供進し明治になって村社となる。
御祭神:猿田彦神鈿天女命

神社前の道を進んで行くとR313号へ左折して北へ進み、右にカーブする処を左側の脇道を進んで行くと前方左手に-前の空地へ車を停め参詣
一宮神社
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鎮座地:真庭市横部117
由緒、御祭神共に不明

神社前を南へ進み、R313号を横切り旭川を渡り突き当りを右折して川沿いに下って行き前方三叉路を左手に、坂の途中へ車を停め、階段を下って行くと神社(失敗、直進すれば神社前に)
速日神社
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鎮座地:真庭市勝山
由緒、御祭神共に不明

坂道を登って行くと下り坂に、下りた先の十字路を左折して進み前方の十字路を左折して進んだ先、団地の奥なので車を置く場所を考慮する。
荒神社
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鎮座地:真庭市勝山
由緒、御祭神共に不明

先ほどの十字路まで引き返し、今度は西方向へ、勝山高校の北側に、路肩に車を停め参詣
高田神社
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鎮座地:真庭市勝山775
由緒:当社は久寿2年(1155)紀州熊野から勧請し、熊野大権現と称した。往古は社領300石あり、江戸時代までは熊野宮として地域住民に崇拝されて来た。明徳・応永(1390〜1394)の間、前城主の三浦下野守が高田に居城し、13世、200年間の祈願所となった。応永5年(1398)には高田城主三浦貞宗によって社殿が再建された。落城後、毛利輝元が領し、楢崎弾圧忠元兼をつかわし、天正11年(1583)に造営を加えた。慶長年中は森忠政会が本州を領し、長距の大塚主膳が修繕を加えた。近くは三浦瀞主が明和年中入国以来、産土神として尊敬し、その祈願所であった。また、三浦東久が痘瘡を患い、命が危なくなったとき、父三浦貞国は熊野宮をを頼んで祈祷し、危機を脱することができ百石の所領を寄進した。寛文11年(1671)現在の本殿が建てられた。明和元年(1764)入部以後、勝山藩主三浦氏もまた領内の守護神として熊野宮を崇拝した。旱魃、凶作、疫病流行のときは熊野宮に祈祷を命じた。
熊野信仰は奈良時代にはじまり、平安時代には天皇・貴族から庶民に至るまで熊野営三社に参詣し、「蟻の熊野詣」とたとえられるように熊野古道に行列ができたといわれるほどであった。やがて全国各地へ勧請され、武士の信仰も厚くなった。明治6年には44ケ村の郷社に指定され、昭和5年10月に県社に列格した。
御祭神:伊弉諾尊、速玉之男命、事解之男命、伊弉册命、天照皇大神、豐受比賣神

前の道を西へ、坂道を登りクランクに曲がり進んだ右手、お寺が多く駐車場には困らない
玉雲宮(玉雲大権現)
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鎮座地:真庭市勝山
由緒、御祭神共に不明
左右に妙園寺、化生寺があり神仏分離がはっきりと為されてないのか?
印象としてはお寺の中の神社と言う感じ

順調に廻った割には時間が遅くなったので帰宅することに、R181号で東へ、前方久世で右折してR313号を南へ、落合で直進して30号へ旭川沿いに南下して帰宅する。
結局彼岸花は途中散々お目にかかったので中止!

神社廻り-総社北西方向未参詣

まるで関係ないが今日からシルバーウィーク、混んでいるかどうか分からないが一応出かけることに、方向としては総社北西方向の参詣し忘れた神社。まずはR180号、272号で高梁川へ北上して(総社市内が渋滞と思い外して)総社大橋を渡り、80号を西へ。
総社大橋を渡り80号を西へ、前方『新本郵便局』手前を右折して54号を北へ、前方信号の先、左手に石燈籠の処を直進して進んだ左手、北側から境内へ
加茂神社
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鎮座地:総社市山田1100
由緒、御祭神共に不明

80号を西へ進み、前方Y字路に『きむら入口』標識、右手の坂道を進んで行き、前方の道を左折して道なりに進み、広めの路肩へ車を停め歩いて山際へ
荒神社
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鎮座地:総社市新本
由緒、御祭神共に不明

80号を西へ進んで行くと峠をを過ぎてはぼ下り切った辺り右手に鳥居と階段、路肩に車を停め参詣
不明神社
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鎮座地:小田郡矢掛町上高末
由緒、御祭神共に不明
前記荒神社を見落としたためこの場所を2回通った結果か?

80号を西へ、前方右折して35号を北へ進み、前方『高滝山登山道』を右折して進んで行くと左手に-手前に石鎚神社の石碑が二つあるが近くの人に聞くが昔「拝む人」が居たみたいで神社としては無いようである。
吉備津神社
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鎮座地:小田郡矢掛町上高末4027
由緒、御祭神共に不明

先に少し進むと左手上に『吉祥寺』左折、右折、左折した処に鳥居と石段、脇にある車道でかなり上にある神社に参詣することが可能-先ほどに人に確認済みなので安心して進むが、やはり山道で舗装している端が崩れている場所があり注意が必要で、山頂の神社下には広い駐車場と十二支の地蔵尊像が置かれており、麓の吉祥寺の鎮守を兼ねているようである。
金毘羅神社
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鎮座地:小田郡矢掛町上高末
由緒:吉祥寺鎮守金比羅天は吉祥寺十一世観山月心和尚によって正徳二年(一七一二)本殿及び拝殿が建立された。拝殿の間の天井に、中心に十八メートル四方に蚊龍絵一枚、それを取り巻く四十三センチ平方の二百十六の花鳥絵が張られている。江戸時代中期の狩野素朴(聞水齊)の作と伝えられている。
御祭神:大物主命
明治維新の神仏分離・廃仏毀釈が実施さた際の影響があるかもしれないし、江戸時代の金比羅講の名残かも知れない

35号を北へ、右折して166号を進んで行くと前方に農機具の展示場?-手前左手山際に社、雑草に埋もれており、草をかき分けて参詣したせいで衣服に種子がくっ付き厄介
不明神社
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鎮座地:総社市中尾
由緒、御祭神共に不明

直ぐ先の左手上の民家の前に地神の石碑、路肩へ車を停め坂道を登り民家の横の山道を進んだ先-壊れた鳥居が神社前に
荒神社
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鎮座地:総社市中尾
由緒、御祭神共に不明

166号を進み、前方Y字路(左手に表示板-通り過ぎないと分からない)を右へ(薬師院)山道を進んで行くと『薬師院』の表示、その先(かなり距離がある)
瀧山神社(六社宮)
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鎮座地:総社市中尾2398
由緒、御祭神共に不明
お寺さんがあるせいでもないだろうがここまでの山道、彼岸花が道の両側に満開-まだこの道の先に神社があるがあまり通行してないのか枯木が酷そうなので今回中止、東側からの道を今後検討

元の166号まで戻り、166号を進んで高梁川を渡り、右折してR180号を総社方向へ進み最初の橋(槻大橋)を渡り川沿いに南へ進むと右手に祭の旗
八幡神社
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鎮座地:総社市下倉
由緒、御祭神共に不明

槻大橋を渡った処まで引き返し、先に進んで行った先『高滝山駐車場』を左折して進んだ先-適当に車を停める場所が無いので上記駐車場へ-高滝山への『木野山ルート』起点
木野山神社
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鎮座地:総社市下倉
由緒、御祭神共に不明

先ほど左折した処まで戻り先に進んで行くと左手山際に神社、空地に車を停め田圃道を歩いて参詣-北側から車で行けそうであるが未確認
能勢神社(妙見宮)
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鎮座地:総社市下倉5258
由緒、御祭神共に不明

ここから帰宅するかどうか悩む処、以前から気になっている美袋駅東側の採石場奥にある両疫神社と八幡神社を目指すことに。
前者は近くで人に出会わなかったので確認できす。八幡神社を目指す。
R180号を総社方向へ進み前方「美袋駅」附近の集落を過ぎ次の集落の手前、左折して線路を渡り、右折して進んで行き、小川を渡った先を左折して進む予定だが工事中直ぐ先の空地へ車を停め歩いて参詣-十分車で可能
作原八幡神社
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鎮座地:総社市日羽231
由緒、御祭神共に不明

時間的にやはり早かったので306号で山中を目指す。
R180号で今度は逆、高梁方向へ進み、前方右折して306号を進んで行き、前方右手に『本村』の標識に従いUターン気味に道なりに進んで行く、途中で近くの人に確認、古い建物の小学校跡(本村公会堂)その前をぐるりと回った先、手前に空地と前に広場
御前神社
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鎮座地:総社市延原
由緒、御祭神共に不明

元の306号へ戻り、更に北へ進んで行くと前方三叉路に左手に「キャンプ場」の標識、この付近の路肩へ車を停め前方左手奥に
魔法神社
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鎮座地:総社市槁
由緒、御祭神共に不明
時々見られる狛犬が無く替わりに狸が置かれていることも、以前も吉備中央町でお目にかかっている?

306号を更に進んで行き『槁集会所』先を右側へ進んで行くと三叉路、左手の坂道を進んで行った突き当り、境内でUターン可能
大山祇神社
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鎮座地:総社市槁36
由緒、御祭神共に不明

今日は以前の未参詣の神社を廻ったためちょっと非効率、明日の行事のため早めに帰宅する。

神社廻り-矢掛から鴨方方面

今回も岡山県の西方向の未参詣神社を廻ることに、R180号、270号、R486号で西へ進み、矢掛の先(川向うに矢掛浄化センターが見える)で小田川を渡り直進した突き当り附近に車停め、歩いて左折して進み突き当りを右折して進んだ先の左手(今回は歩いたが車で通行可能-コンクリートの舗装は少しガタがきているが)
荒神社
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鎮座地:小田郡矢掛町東川面
由緒、御祭神共に不明

川沿いに西方向へ進めそうだが、まずはコンビニで朝のコーヒー、一旦R486号迄引き返し、左折して西へ、前方矢掛町江良の信号で左折して川を渡って進み、前方広い道が右折する処を直進した先に車を停め、歩いて前方を左折、右折して進んだ先の十字路の処を左折して山道を進んで行った左手
荒神社
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鎮座地:小田郡矢掛町江良
由緒、御祭神共に不明

先ほどの十字路まで引き返し直進して進んだ左手
貴布禰神社
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鎮座地:小田郡矢掛町江良1807
由緒:当社は往古貴布禰大明神といったが、明治になって貴布禰神社と称するようになった。第113代東山天皇の御代、元禄3年(1690)に京都愛宕郡鞍馬村の貴船神社の御祭神雷神犬山祇神タカオカミを勧請したと伝えられる。まもなく板倉摂津守の御祈願所になった。御社殿は、棟札によると元禄7年1694)願主渡辺惟親によって建立され、寛政3年(1791)本願主渡辺統右衛門惟房によって再建、天保11年(1840)願主渡辺清左衛門源正明によって修復され、現在のものは明治13年(1879)本願主渡辺淡平によって三再建されたものである。境内には「貴船宮、明和8年卯10月吉日 施主末永善三郎秀勝」の銘のある石鳥居、「明治4年末正月吉日 当村願主時松松造」の銘のある百度石、「明治44年桂月 都窪郡清音村軽部江口虎太郎」の銘のある注連柱、「文化5戊辰 備前岡山信者中」、「文化2辰年十月吉辰 備前岡山佐々木氏」の銘のある石燈籠各1基があり、当病平癒にご利益がある神社として江戸時代から明治にかけて小田郡のみならず、岡山方面にも信者をもち、栄えていたことが知られる。当社のおつかいはキツネであるといわれ、本殿の横には出入りする穴が開けられている。高梁川が洪水で渡れない時には、キャンキャン鳴いて知らせたといい、握り飯が好物でお供えしておくと必ず次の日にはなくなっていたという。祭神のタカオカミは雨かんむりの下に口が3つ、その下に龍と書く。
御祭神:雷神、大山祇神、高オカミ神
この付近の道幅は結構広いが駐車には?、貴布禰神社は神社前は広いし左側に車参道がある。

車を置いた前方を右折して進み、前方のゴミステーション附近に車を停め左手階段を登って参詣、最初右手に荒神社、その奥に若宮神社
荒神社
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鎮座地:小田郡矢掛町江良
由緒、御祭神共に不明
若宮神社
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鎮座地:小田郡矢掛町江良603
由緒:この神社は往古若宮大明神または若宮宮といったが、明治のはじめから若宮神社と称するようになった。第109代明正天皇の御代、将軍徳川家光公の寛永14(1637)に願主当村庄屋渡辺拾良左衛門によって勘請されたもので、御祭神は神武天皇である。江良村(現在の矢掛町江良)の氏神として尊崇し、殊に秋の例祭は厳粛に執行された。氏神明若宮大明神当番牒によると、元禄16年(1703)より祭典に奉仕した当番名、御供物、祭具等が記載され、当時から氏子中の者達が氏神明を中心に生活したことが伺われる。御社殿は、棟札によると宝永2年(1705)本願主当村庄屋渡辺茂輔渡貴によって本殿と拝殿を再建、また寛延3年(1750)本願主当村庄屋渡辺宗兵衛亮雄によって再々建され、現在の御本殿は天保13年(1842)本願主当村庄屋渡辺清左衛門正明によって四建立ちされたものである。屋敷は、延宝5年(1677)の御検地役人水谷左京亮の検地帳によると、『若宮屋敷 但し宮建有7畝7歩半除地』の扱いになり、またその58年前元和年間の御検地役人花房志摩守の検地にも除地扱いの旨記載されており、当時から既に若宮屋敷は免租地であった。なおその後享保13年(1728年)には矢掛村(現矢掛町矢掛)の住人中西愛右衛門という人が、氏神の境内が狭小である由を氏子の市右衛門が話したとの噂を聞き、幸い持ち合わせがあるからと山壱ケ所を寄進したことが古記録にある。境内には、安永元年(1780)に石鳥居、嘉永2年(1849)手水鉢、仝3年には石唐獅子を、また仝6年に東参道に石段・翌7年石灯篭一対を氏子中が奉献し、最近では昭和18年(1943)正面に石鳥居を奉献して、氏神としての尊厳がいっそう深くなった。さらに、昭和60年(1985)に神楽殿控所を篤志家が奉献した。若宮神社は、矢掛町江良の宮山の頂きに鎮座し、氏子は朝夕これを仰いで家業に励み、平和の歳月に恵まれて今日に至っている。
御祭神:神武天皇
参道は南北にあり南側には車用の参道も

北へ少し進み左折して広い道を西へ進むと前方信号、右折して155号を進み橋の手前を左折して進んで行くと前方に鳥居が、土手を降りて進むと右手に
三宝荒神社
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鎮座地:小田郡矢掛町浅海2853
由緒、御祭神共に不明

引き返しR486号を西へ、小田駅先を右折して48号を北へ進み前方Y字路を左折し407号を進んで行くと前方池の土手、左手に神社、ゴミステーション脇に車を停め参詣
艮宮
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鎮座地:小田郡矢掛町小田
由緒、御祭神共に不明

R486号へ引き返し、右折してR486を西へ進み坂道を降りた先『小田西』の信号を左折して48号を進み『井笠鉄道記念館』を過ぎた先の信号を左折して168号へ新吉小学校横の坂道を登って行くと右手に尾坂ダム、その先右手に『たかたのたまご』の建物が、その手前を左折して進んで行き、突き当りを右折した辺りへ車停め参詣-神社前に駐車スペース有
艮神宮
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鎮座地:笠岡市尾坂2209
由緒:当社の主祭神は古事記、日本書紀などに記述されているように、古代大和政権と相対した勢力を持っていた土豪を破り、吉備の国を鎮定した大吉備津彦命と、異母弟の若建吉備津日子命の2柱を始め吉備津彦命の一族をまつり、吉備国の総氏神と称される吉備津神社の系に属する神社である。吉備津神社について記されているものの中に、平安末期の後白川法皇編著の梁塵秘抄(りょうじんひしょう)という当時流行した歌集の一節がよく紹介されている。即ち「一品聖霊(いっぽんしょうりょう)吉備津宮 新宮本宮内の宮 隼人崎 北や南の神客人(かみまろうど) 艮みさきは恐ろしや」この歌のように古い時代から都の庶民にもよく知られ、崇敬されていたことがわかる。勧請は後冷泉天皇の御代の永承元年(1046)である。寛文11年(1671)霜月、藩主池田光政公の崇敬により再建が行われた。明治40年5月神饌幣帛料供進神社に指定された。
御祭神:大吉備津日子命、若建吉備津日子命

168号を南東へ進んで行くと前方にY字路右手の狭い道を進んで行くと左手に
多賀神社
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鎮座地:浅口市鴨方町小坂西
由緒、御祭神共に不明

神社前の道を進み最初の三叉路を左手、東方向を目指すと行けそうだが先が狭そうなので先へ進み、次を左折して進んで行くと前方左手に丘、左折して坂道を登った先の右手に鳥居
荒神社
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鎮座地:浅口市鴨方町小坂東
由緒、御祭神共に不明
路肩への駐車は考慮する必要あり、狭くはない道だが適当な駐車スペースがない-神社横の入った道へ停め等とすると農作業の車が来て急遽交すハメに-おかげで聞くことが出来たがここの神社は公民館の中にあるようである。

荒神社の北側に行く狭い道の先(見えている)
若宮神社
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鎮座地:浅口市鴨方町小坂東
由緒、御祭神共に不明

先ほど丘の手前左折した処まで引き返し左折して東方向へ進んで行くと60号と168号の交点へ、左折して168号を進み鴨方西小学校先の信号を左折して168号を進み、前方を川沿いに右折して進んだ先、左手に遊歩道の表示、整備された湿池の先に新しい小さな祠が見えるので、そちらから参詣し、車参道を通って境内に
小坂八幡神社
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鎮座地:浅口市鴨方町小坂東2936
由緒:創建は宝亀5年8月15日。寛文、宝暦年中の神社書上帳に、八幡宮とある。小坂、東小坂、西深田の3ヶ村の産土宮である。神功皇后の三韓征伐の供奉をした仕丁3人が、功労により大御盞をいただいたといい、その土器を摺子鉢という。現在に至るまで祭典及びおわけ祭のとき用いられている。寛文7年に神仏混淆が改められて八幡神社となった。その後元禄5年に本殿を改築。寛保3年に御屋根の葺替えを奉仕した。昭和31年に本殿、33年に幣殿、35年に拝殿、37年に社務所を改築した。
御祭神:足仲彦命、誉田別命、気長足姫命
北側の階段が木野山神社の参道?、八幡神社の参道は南側にありここを通って車まで帰る。
木野山神社
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鎮座地:浅口市鴨方町小坂東
由緒、御祭神共に不明

小学校先の168号へ出て『鴨方』方向を目指し(直進)、高速を潜って南側を並行に走って行くと前方に『本庄橋』の信号直進した先に神社
不明神社
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鎮座地:浅口市鴨方町地頭上
由緒、御祭神共に不明

引き返し南へ、鴨方IC西で左折して155号へ、その後60号で東方向へ、前方左手池の土手の東側を左折し進み、池の東端へ車停め参詣
磐岩神社
鎮座地:浅口市金光町地頭下1047
何か変?一度参詣した記憶ありGoogleMapの保存が消えている。前回は東側から参詣しており、入った道が一本南側のため、マイマップで確認、金光駅北側は参詣済であった。
どうも未調査で出掛けることが多く、神社の裏に『木野山神社』がなぜか有るようである。

早いけれど女房と約束あり帰宅することに、このまま60号を進み高梁川へでた処でV字に曲がり南へ、バイパスを潜った先から土手下を南へ進むと右手に、軽トラが何台も神社前に止まっており、境内の木々の剪定作業の真っ最中であった。
川添神社
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鎮座地:倉敷市船穂町船穂
由緒、御祭神共に不明

元まで引き返し60号、428号で帰宅、時間が早いと土曜日でも結構空いている

神社廻り-浅口方面

今日は昨日に続き西方向笠岡の手前の、浅口市、浅口郡を目指す。
R2号を西に走り金光手前で笠岡自動車道(工事途中)を走り現在の終点佐方で471号へ信号を左折して直ぐに左折、山際に見える神社を目指す。
諏訪神社
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鎮座地:浅口市金光町佐方2480
由緒:藤沢越中守がその故郷である信濃国(長野県)の諏訪神社を勧請したと伝えられている。慶長年間(1596〜1615年)に社家神田氏によって村の氏神として祀られるようになった。明治維新以前には、祭礼の時に座席の儀式があって有名であった。昭和17年に社殿を再建。主祭神の他に経津主命、大已貴命、岐命がまつられている。
御祭神:建御名方命、經津主命、大己貴命、岐神
神社手前に『佐方中池・竜王山トレッキングマップ』が見られ石鎚神社、竜王山山頂に社が見られるが車では無理なので今回は中止!

471号へ戻り南へ進むと直ぐに左手に神社が見えると行き過ぎ、『宮原』の標識有る道を東方向へ進むと池に、宮原公会堂前に車を停め、池の東方向の神社を目指す。(池の先民家の間を通り突き当りを右折して進むと神社前に-池の側を一旦北へ進み前方Y字路を右折して進むと同じ道、神社前に十分駐車スペースは有るし、南側に車参道あり)
戸神社
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鎮座地:浅口市金光町佐方2499
由緒:当社は弘安2年(1279)に望月原に勧請されたと伝えられている。後の建武年間(1334〜1336)に龍王山城主佐井七郎が小丸山に奉遷した。明応2年(1493年)に現在の宮原山に社殿が再建された。古来は正月17日に的射の神事があり、祭礼には神事の競馬も行なわれていたと伝えられている。祭礼には、八幡神社と同じ日に神輿の先頭の者が本殿に奉納されている鉾を持って御神幸をする「鉾持神事」が行なわれている。相殿には素盞嗚尊がまつられている。本殿は明治22年(1889)に改築された。氏子は佐方、須恵、大谷、黒崎、屋守、沙美、南浦に及ぶ7箇村であったが、現在は佐方の氏神様として信仰を集めている。
御祭神:一事主尊

471号まで引き返し近くにいた数人の地元の人に尋ねると分かった神社(車は471号に停めているが、先ほどの反対方向へ進み前方の民家の裏側にある木々の繁った処を目指す-西方向へ進み、突き当りを右折して進み、前方左手の狭い道を進んで行った右手に赤い鳥居が)
稲荷神社
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鎮座地:浅口市金光町佐方2667
由緒:本神社の勧請年月は不詳であるが、倉稲魂命の霊を奈良井の現在地に勧請し今日に至っている。この間修理再建ごとに、大氏神の戸神社の境外摂社の関係上、戸神社を仮殿として、同神社に御神体を仮遷宮するならわしである。本神社は昔から氏子はなく、農業の神として、熱心な崇敬者で運営せられている。
御祭神:倉稲魂命

471号を南へ進み前方池の手前の道を右折して進み突き当りを右折した辺りへ車を停め、前方『金井公会堂』の先を左折して進んで行った右手上
荒神社
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鎮座地:浅口市金光町佐方3172
由緒、御祭神共に不明

471号を北へ進み自動車道の先、右手前方に見える右手の道を右折し、川沿いに自動車道近くまで引き返しこの辺りに車を停め左手に見える鳥居を目指す(位置的には宗本公会堂の裏側、現在は通行止めになっているが、自動車道を降りて直ぐ右折する道が)
天神社(天満宮)
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鎮座地:浅口市金光町佐方2080
由緒:勧請年月は不詳である。享保11丙午年11月の佐方村神社改書上帳に、祠官神田丹後守境内除地1反6畝と記載してある。明治3年12月神社書上帳に、神田宮司の天神宮記録として、宮社・祭神・勧請・祭日・社地・造営等に関して記載せられている。
御祭神:菅原大神

宗本公会堂前の道を北へ進み、前方を左折して進み471号を横切り『大光院』前に車を停め(保育園の駐車場?)お寺の南側の道を進み裏側の上の方
荒神社
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鎮座地:浅口市金光町佐方1578
由緒:本神社の御鎮座地の古名を宗昌という。よって今日でも宗昌の荒神社と奉称している。勧請年月は不詳であるが、明細帳によれば、神田神官の造営による。以来氏子の信仰が厚く、例祭には全氏子が参拝する。
御祭神:素戔嗚尊

471号を北へ直ぐ右手に火の見櫓、左折して池の土手西北角附近に車停め、池沿いに南へ進み最初の角を右折して坂道を登った先右手
荒神社(荒神宮)
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鎮座地:浅口市金光町佐方1119
由緒:御鎮座地を昔才蔵坊と称していたので、現在でも才蔵坊の荒神様として、氏子の信仰が厚い。勧請年月は不詳であるが、現在の拝殿は、慶応2年に再建されている。御本殿の改築は明治31年であったが、昭和52年に御本殿の屋根を銅板葺きに、拝殿も倍近くに拡大し、面目を一新した。
御祭神:素戔嗚尊

471号へ戻り前方最初の道を右折して進み、多少曲がるが直進し、坂道の途中の広い路肩へ車を停め前方左手の田んぼ道を進んで行くと、左手前方に祠
春日神社(春日様)
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鎮座地:浅口市金光町佐方1389
由緒:勧請年月は不詳である。明治11年7月6日に春日神社と改称した。昭和52年屋根の葺替えが完成した。
御祭神:天兒屋根命
近くで農作業をされていた夫婦に確認すると『春日様』と呼んでいるらしい。ついでに「荒神社」のことを尋ねると直ぐ後ろに鳥居が
荒神社(荒神宮、地神宮)
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鎮座地:浅口市金光町佐方1386
由緒:鎮座地が正学院という地名なので、正学院荒神社と奉称する。勧請年月は不詳だが、神田神官と氏子が協力して造営した。以来氏子の信仰が厚く、盛大に祭事を厳修する。特に神楽年の宵祭は格別賑う。第17号台風を受けたが、氏子の奉仕で、昭和52年5月1日に再建が完成した。
御祭神:素戔嗚尊

471号へ戻り北へ、山根の標識に従いT字路を左折して進み前方Y字路を右側(細い道)へ進み池の北側に車を停め、池の側の道を南西に進んで行くと右手に鳥居が見えるが道が無いので田んぼを突っ切り参詣
八幡神社
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鎮座地:浅口市金光町佐方339
由緒:当社は、享徳元年(1452年)将軍足利義成(後の義政)の時に勧請したと伝えられている。佐方、須恵、大谷、屋守、井戸居、地頭明の6ヶ村の氏神であったが、現在は佐方下地区の氏神として祀られている。祭礼には、戸神社と同じ日に神輿の先頭の者(かつては屋守の氏子の役目であった)が、本殿に奉納されている鉾を持って御神幸する「鉾持神事」が行われている。本殿は明治25年(1892年)に改築された。
御祭神:譽田別命

八幡神社の北下側に祠と鳥居、その下にも建物が
荒神社
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鎮座地:浅口市金光町佐方337
由緒:勧請年代は不詳である。山根八幡神社の下に造営せられているので、山根荒神社と申し上げる。境内地が平地なので、神楽並びに踊の奉納に適している。祭日には参拝者が多い。
御祭神:素戔嗚尊

北へ進み『佐方』信号で左折してR2を西へ進み『天野実業第一工場』先の『手ノ際』信号を右折して286号を北へ進み左手里庄東小先の道を左折して突き当たるまで基本的に直進し、左折して池の側に車を置き、北側民家の西側を進んで行くと登って行った先に神社が
木山神社
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鎮座地:浅口郡里庄町里見7102
由緒、御祭神共に不明
神社を南へ下りた先の畑道を東へ進むと車を停めた場所の坂道上の北へ

今度は池沿いに南へ、前方Y字路を右折、次を左折して進み次の右手坂道を登った先
荒神社
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鎮座地:浅口郡里庄町里見6936
由緒、御祭神共に不明

この神社に至るのにルートを四苦八苦、此の近辺の道は狭そうなので、先ほどの場所から小学校方向へ引き返し、手前を左折して北へ『里庄東幼稚園』前に車を停め、地元の人に確認しながら参詣(北方向へ進み、前方を左折、北方向へ行く道を探し北へ、その先を右折、次を左折、右折して北方向の山道を進んだ突き当り-遠いが歩きが賢明)
艮神社
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鎮座地:浅口郡里庄町里見7276
由緒、御祭神共に不明

286号を北へ進み左手『里見釣具』先を左折してして川沿いに進み前方の広い処へ車を停め歩いて近辺を探す。HPで表示されている場所は空地、近くにあったデイサービスで聞くが全く分からない。近くは新しい家が多く多分聞いても無理と思い帰ろうとしていた時、近くの人に出会い尋ねると『土井公会堂』の中、立て替えた時内部に取り込まれたよう。神社跡に公会堂等が建てられている例が多いが、仕方ないことか?
西森神社(土井公会堂)
05100page
鎮座地:浅口郡里庄町里見7963
由緒、御祭神共に不明

車を停めた位置から北へ進み(やはり道は細め目)前方左手に防火用水がある場所に車を停め、前方右手奥を探す。
荒神社
05097page
鎮座地:浅口郡里庄町里見8639
由緒、御祭神共に不明

前の道を東方向へ進んで行くと喫茶店の処で434号へ左折して北へ進み『瀬戸内パイプライン(株)里庄バルブステーション』の前に車を停め裏側の神社を目指す
稻荷神社
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鎮座地:浅口郡里庄町里見9311
由緒、御祭神共に不明

434号を南へ進み、前方を左折して北側を探すが見当たらない、犬を連れた散歩中の人に尋ねると教えて頂けた-前方右へカーブする手前の空地に車を停め、北西の細い道を進み、左手下る道を降りた左手。
荒神社
05091page
鎮座地:浅口郡里庄町里見9728
由緒、御祭神共に不明

再度434号で北へ北方向へ直進して286号を進み直ぐ先を右折し進んで行くと左手に神社で裏側から参詣出来る。過去に訪ねた記憶あり、念の為参詣-はっきりと思い出す以前は東側から訪れる
荒神社
鎮座地:浅口市鴨方町みどりケ丘3丁目

引き返し、286号を更に北へ進み高速を潜った先を右折して進み、再度高速を潜った先へ車を停め歩いて参詣(実際はここから出てくる車に出会いその先で潜る-非常に狭い)
荒神社
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鎮座地:浅口郡鴨方町小坂西
由緒、御祭神共に不明

286号を北へ進んで行き、前方右折して60号を進み前方の変則的に十字路になっている処を左折して広めの処へ車を停め歩いて前方正面を目指す。(鴨方西小学校手前を右折して進んだ突き当りの左手奥)
良大明神宮
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鎮座地:浅口郡鴨方町小坂西
由緒、御祭神共に不明

直ぐ近くの未参詣神社を廻りたいが時間的に難しいと思い60号を東方向へ進み、倉敷の北側を通り、新幹線沿いに帰宅

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