岡山県内神社巡り(メイン)

片っぱしらからの神社巡り

2015年11月

神社廻り-番外-大石神社

今日は妻のお供で明石の甥の処へ、最近岡山県内を車を走らせてみて、一般道の方が何故か気に入っている。
特に今回燃費の悪い車に変え、高速をスピード出して行くよりの交通事情のよくなった一般道の方が経済的、更に時間的にもあまり遜色はない感じ。歳をとりゆっくり走る方が合ってきたのかもしれないが。

妻が何故か行ってないという赤穂城跡へ寄り道をして行った関係で大石神社に立ち寄る。やはり何らかで有名な神社は参詣者が多い
大石神社
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鎮座地:兵庫県赤穂市上仮屋旧城内
由緒:赤穂事件において討ち入りをした大石良雄ら赤穂浪士を祀る神社。江戸時代には江戸幕府にはばかって表立って顕彰することはできなかったが、1868年(明治元年)、明治天皇が赤穂浪士の墓のある泉岳寺に勅使を遣わしこれを弔って以降、赤穂と京都に赤穂浪士を祀る神社が創建された。江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつ。
御祭神:大石良雄ら赤穂浪士47人および中途で自害した萱野重実

久しぶりに来たが昔のことはよく覚えていない。城跡へは犬を連れて入れないので神社のみにし、明石へ
兵庫県も神社が多く、今後のことか、年齢と体力が気にはなるが、まずは岡山県内を

神社廻り-津山近辺

昨日に続いて今日も出かけることに、どうも来週天気が悪い日が続くようなので!雪が降る前に県北をある程度は済ませたいが難しいか?
明日はまた運転手で明石の甥の処まで行かなければならないので、疲れても困るので近くも無いが津山近辺へ、この前時間的に無理だった処を重点的に廻る!

R53号で津山へ、まだ津山駅の西側は工事中で通行止め、駅前を東へ進み26号から前方『福岡保育園』先を右折して進み、森神社の少し先に車を停め、南側山手を探す-近くまで車でも可能だが、近くの人が車で来て近くの公園でゲートボール、歩いて正解
八坂神社
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鎮座地:津山市横山
由緒、御祭神共に不明

26号へ戻り、南へ、前方『福岡米穀店』先を左折して、3本目の道を左折して進んだ先
榎稲荷神社
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鎮座地:津山市八出
由緒、御祭神共に不明

26号へ引き返し、更に進んで行き前方広い道を右折して直ぐの左手前方から川沿いに進んだ奥-上に登って行く階段があるが未確認
伏見稲荷神社
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鎮座地:津山市横山
由緒、御祭神共に不明

更に直進して少し下った先右手に、神社横に階段があるが未確認
稲荷神社(荒尾稲荷神社)
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鎮座地:津山市東横山623
由緒、御祭神共に不明

元へ引き返し三叉路左側の坂道を進んで行く、山道を登り切った手前に三叉路、右手に進んで行くと『龍ケ爪公会堂』この付近に車停め参道を探すが見当たらない、先ほどの三叉路まで歩いて戻り進んで行くと左手に石段と鳥居、山道を進んで右手に折れた奥-車は無理
八代神社
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鎮座地:津山市横山
由緒、御祭神共に不明

山道を下って行くと前方に広い道(広域林道)、右折して下って行った先(信号)右手に-449号
熊野神社
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鎮座地:津山市荒神山124
由緒:当社の創建は不詳であるが、古来出雲国から京都に通う道があり、出雲国意宇郡熊野大神の幣を山伏がこの地の山腹に勧請し、荒神社と称した。また村名を神名により荒神山村と名付け、一村の氏神とした。元弘の変に敗れた後醍醐天皇が隠岐に流された時、神社前で乗物を駐め参拝されたと伝えられている。元亀元年、宇喜多直家が美作地方を攻めるにあたり、神社の山頂に荒神山城を築き、武将花房助兵衛職之に600の兵及び供田等を寄進し、深く崇敬して城内の鎮守とした。文禄から元和年間には松江城主堀尾父子及び松平氏等参勤交代の往復には必ず乗物を駐め参勤の安全を祈ったとされる。寛永以来、津山の城下町ができ、山陰の人々は城下町を通行するようになり、旅客が絶えていった為、享保年間以降は神社を改築する毎に規模を縮小し、現在の規模になった。明治6年熊野神社と改称する。
御祭神:伊弉諾命

449号を北西に登って行き峠辺り(消防機庫)に車を停め、左手奥を目指す-手前の左手の中継塔の側の道が参道
夛祢神社
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鎮座地:津山市種717
由緒、御祭神共に不明

引き返し449号を南東へ下って行き、熊野神社先の集落の中程に車を停め歩いて北側の山中を目指す-近道はあまりにも急峻で車は難しいか?、東側から廻り込む道が見られるが集落を過ぎた先が、余り通行が無いのか問題、遠いけど歩いた方が賢明-ここも出会った人に確認していたのである意味で楽であった。
下種神社
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鎮座地:津山市荒神山336-3
由緒、御祭神共に不明

先に進んで行き、前方で吉井川、左折して26号を川に沿って溯り、前方477号への橋の先、前方の広い路肩に車を停め左手坂道を登って行くと左手に-車で十分可能(金屋公会堂の前)
金屋神社
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鎮座地:津山市金屋128
由緒:百済王敬福の末裔、百済源次家久が観応2年(1351)3月官命によって、長岡郷に移住し鋳工を始めた。世人はこれを釜屋と呼び、業が大いに盛んになり、人家が集合して一邑をなしたという。当時の釜屋が現在の金屋である。家久は猿田彦神を守護神として祀り金屋権現と称した。明治4年金屋神社と改称し、明治6年村社に列した。昭和24年摂社八幡神社を合祀して相殿に祀っている。
御祭神:猿田彦大神

更に26号を進み、前方三叉路を左手に進み極楽寺前の空地へ車を停め、寺への道の先の民家の北側の道を左折して山方向を-車でも可能だが防護柵が設置されている。あらかじめ出会った人に聞いていたので問題なく参詣、防護柵もきちっとした扉状、開けやすいが参道は舗装はされているが落ち葉が多く車ではちょっと難しいか!
高富神社
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鎮座地:津山市小桁442
由緒:口碑によると、貞観年中(859〜877)小桁山極楽寺の僧円仁が、近江国日枝神社の御分霊を迎えてこの山に祀り極楽寺の鎮守としたという。作陽誌に、極楽寺の項の鎮守社山王十禅師とあるのは本神社のことである。最近まで極楽寺住職が例祭には必ず参列するのを例とした。本神仕はもと山王権現社と奉称したのを、明治4年高富神社と改称し、明治6年村社に列した。
御祭神:大山祇神

26号を進んで津山駅まで、R53号を西へ進み前方右折してR179号を進んだ橋を渡った先、突き当り手前を左折して進んで行くと右手に-道路と並行した参道が長く、出来るだけ西へ停めるか、西側の車参道から-実際は何故か大きな工作車が参道を塞いでいたが
高野神社
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鎮座地:津山市二宮601
由緒:当社は安閑天皇二年(534)の鎮座にして延喜式内社。美作国二宮として官民の尊崇厚く、源頼朝は神門を建立し、山名氏は社殿の修造、神馬の奉献、毛利元就及び小早川隆景は祭祀厳修を令し、社殿を修造した。国主森氏は代々深く崇敬の誠を尽して社領八十石を献じ、寛文三年(1663)長継公は現社殿を造営。松平氏もまた年々祭資を供進し、現在、社殿は岡山県の重要文化財に指定されている。
御祭神:彦波限建鵜葺草葺不合尊、鏡作命、大己貴命
境内に御先神社等がある

神社前の道を進み、前方三叉路を右手に進み踏切を渡った先を右折して、イズミ横を通ってR179号へ、左折して西へ進み前方右折して津山産業・流通センター方向へ進んで行き、トーヨータイヤ附近へ車を停め歩いて西側を目指す-少し前の三叉路を右手に進めば右手に
戸島神社
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鎮座地:津山市戸島232
由緒:創始は不詳であるが、元は山の上に国主神社を御祭りしていたのがはじまりとされる。寛文6年3月津山藩第2代森長継公の崇敬により村内の山へ社殿建立したとある。その後元禄6年(1693)3月8日津山藩第4代主森長成公崇敬により現在の場所に社殿建立し戸島神社となったと伝えられる。
御祭神:大己貴命、伊弉諾命

R179号まで引き返し、今度は東へ進み前方左折して338号を北へ進み高速を潜った先のY字路を右手に進み『廃棄物センター』先の交差点を右折し坂道を登って池の側へ、池の左側の道を北方向へ進んで行くと池の少し北、左手に
宗像神社
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鎮座地:津山市下田邑
由緒、御祭神共に不明
神社横の道を北へ進み登り切った先左折して進んで行くと前方に338号へ

338号を北へ進んで行くと前方左手に
田神社
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鎮座地:津山市下田邑1189-1
由緒:本神社は清和天皇の貞観年中に、村内田口山引き乗寺が僧行教法師と田口信濃守統範とが豊前宇佐八幡宮の御神霊を勧請して創建し、田神社と称した。神階は貞観6年8月に従5位上となる。六国史の三代実録に「貞観6年8月15日美作の国従5位下長田神、免上神、田加佐美神、形売神、壱栗原神、横見神、久止神、高野神等並授従5位上云々」とある。大正7年村内天剣神、千家里神、天津彦神等を合祀し、1村1社とした。
御祭神:応神天皇、神功皇后

R179号まで引き返し、再び東へ、R179号が南へ折れる処を直進して直ぐ横断陸橋の先の信号を左折、直ぐ坂道を登って行った先正面左手に鳥居
荒神社
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鎮座地:津山市小田中
由緒、御祭神共に不明

元の道を東へ進み、直ぐ先の小さな川を越えた先の信号を右折-この辺りにくるを停め、前方斜めの道を進んで行くと左手に鳥居と公会堂
荒神社
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鎮座地:津山市小田中新屋敷1438
由緒、御祭神共に不明

時間的には余裕があるが明日のことを考え帰宅の途に、東へ少し戻り、北側から廻り込む感じでR179号、吉井川を越えR53号で、土曜日早い時間?意外と空いている。

神社廻り-勝央町・美作方面

暫く休養中?やはり積雪前の県北?色々考えたがやはり出かけることにする。勝央町から美作市を廻ってくることに、美作市も範囲が広くこれまでかなり廻って来たので未参詣神社の整理も必要になってきたか?

今回は27号、赤磐市を経てR484号、R374号で吉野川沿いに北上、途中左折して美作岡山道路を北上し、R179号へ左折して前方勝間田駅前を右折して67号で北上すると前方にR429号、右折して東へ進み前方坂道の途中を左折して進むと前方に正面に神社、横に駐車場あり。手前には宇賀神(弁財天)があり、仏教の守護神も神の内?深くはこれまでも追及してないが
日吉神社
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鎮座地:勝田郡勝央町植月北2962
由緒:当社の創建年代は不詳であるが、社伝並びに古老の口碑によれば天平9年11月従5位下、美作守阿部帯麿の創建を受け継いだ美作守大伴兄麿が、天平10年(738)近江国の日吉神社から分霊を勧請し、植月郷の総鎮守としたという。旧社地は勝央町植月中字山王谷にあったが永正9年(1512)宮山城主植月基佐が現在地に遷し社殿を再建した。江戸末期頃の当社は「日吉山王宮」と称し、角土俵をしつらえて奉納相撲が行われており、これは現在も続けられている。
御祭神:大山咋命、大己貴命、豐受大神、味須岐高彦根命、少彦名命、猿田彦神
R429号へ引き返して気が付いたのだが前に石燈籠と坂道、手前の空地へ車を停め進んで行くと鳥居が、昔はかなりの距離の参道か。隣にある『勝央北小学校』近くには『植月の角土俵』が見られる。また小学校も今風の木造建築で風情を感じる

R429号を少し進み小学校先を右折して進んで行くと左手に広場と『植月の角土俵』が見られ、この広場に車を置いて歩こうと思ったが、距離も有りそうなので、車で広場東側の道を南へ進むと左手に参道(未舗装)
八幡神社
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鎮座地:勝田郡勝央町植月東472
由緒、御祭神共に不明

次の神社へは色々なコースが考えられるが無難にR429号東へ、坂道を下った先を右折して進み、前方の信号を左折して道なりに進み、突き当りを右折した先、前の空地へ車停め参詣
西宮神社
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鎮座地:勝田郡勝央町田井228
由緒:本神社は貞観2年摂津国西宮神社に祀られる少彦名命の分霊を現在の地に奉斎し西宮神社と称した。
御祭神:少彦名命
この神社近辺には前方後円墳がまとまって存在し、古代文化の栄えを感じさせる。

神社前の道を南へ進み、前方左折して355号を東へ進み、前方左手に緩くカーブする手前を右折、直ぐ先の左手坂道を登って行くと正面に鳥居
美野神社
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鎮座地:勝田郡勝央町美野2016
由緒:本社は正二年美作吉野庄暦(後改小吉野庄)の信徒北野天満宮の神霊を迎へて仕え奉らんと之を神主桧尾宮大夫に託す神主則ち上洛して北野に詣り天神の分霊を迎え帰りて此月八月祠を建てて勧請せるものにして此の後霊験著しく遠近へ聞こえ信徒の参詣するもの甚だ多く・・・境内石碑
御祭神:菅原神、伊弉諾命、大国主命、素戔嗚命

神社前の道を進んで行くと右手に美野神社の車参道、その先を南へ、そして東方向へ進んで行くと前方355号、右折して進み前方右折して354号へ、南へ進んで行くと前方に路肩が広い処、その手前にV字に上がる坂道、ここで悩むが距離が有りそうなので車で、少し進むが枯葉が積もって危険、坂を登った先右折した所に車停め歩いて参詣
月村神社
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鎮座地:勝田郡勝央町曽井446
由緒:本神社は創建不詳である。伯耆国会見郡福井村に鎮座する月村神社の御祭神月夜見命をこの地に移し祀ったと言われている。
御祭神:月夜見命
停めた処の先に広場があるが前方木が斜めに塞いでおり無理、狭くてUターンの無理、苦労してバックで曲がった処まで戻る、馬鹿の処へ停めた感じ!

354号を北へ、少し距離があるが前方R429号、右折して東へ勝田小直ぐ手前を左折して直ぐ左折した奥が神社、道幅が良く分からないので学校横の広場に車を停め参詣-結果十分車で可能
八幡神社
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鎮座地:美作市真加部1397
由緒:当社の創建年月は口碑によると孝徳天皇、大化元年(645)9月9日の創建で大物主命を祭神として社号を神奈備宮と称し、醍醐天皇の延長6年の頃郷内の2宮であると伝えられている。承年元年(931)2月山城国男山八幡宮を勧請し、弓矢八幡宮と改称した。弘長2年2月原田日向守忠門が本殿を再建し、田3反を奉納した。天正元年2月安東信濃守が神鐘1面を奉献した。天和元年3月西宮に遷座した。明治6年2月村社に、大正2年10月神饌幣帛料供進神社に指定された。
御祭神:譽田別尊、素盞烏尊

R429号を東、南、東へと進み前方を左折して進みT字路を右折して進んだ左手(前に駐車スペース)
大町八幡宮
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鎮座地:美作市大町1493
由緒:創建年月日、由緒等は不詳、口碑に大化元年二月の創建、冷泉天皇の安和年間山城国男山八幡宮の御分霊を勧請し、総頭山八幡宮と称す。弘長元年(一二六一)三月火災により再建。往昔、郷中各社の神輿が集まった御神座の旧跡が五ヶ所・・・境内掲示
御祭神:応神天皇、武内宿弥、神功皇后、大国主命

R429号を東、馬形郵便局先を右折して479号を進み、前方(火の見櫓のある公会堂の先)左手、坂道を登った先
柊神社
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鎮座地:美作市宗掛
由緒、御祭神共に不明

R429号を東へと進んで行くと右手奥に神社らしき建物、前方を右折して進むと左手丘の上に、車を停める抵当な場所が無く少し引き返し広めの路肩へ車を停め強引に登って行く-前方橋の手前を右折して進み前方Y字路を左手に取り、前方右手の坂道を上がった処が車参道
春日神社
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鎮座地:美作市粟井中273
由緒:当社は、三條天皇の長和2年(1013)3月に備前美作国造和気氏が大和国官幣大社春日大社の御分霊を淡相の郷に奉斎した古社である。文明18年9月17日将軍足利義尚の臣、英田郡司粟井和泉守菅原景盛が社殿を再建した。弘治2年美作112社記に吉野郡粟井郷総社とある。正徳5年美作66社に数えられている。明治44年粟井粟廣両村の神社を合祀した。
御祭神:天兒屋根神

R429を更に進んで行くと左手集落の後上に神社、路肩に車を停め橋を渡り東側から民家の後を廻り込む
産宮荒神社
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鎮座地:美作市粟井中
由緒、御祭神共に不明

R429号を北東へと進み前方に『作東老人福祉センター』の標識、左折して坂道を登り、道なりに進み、最初の三叉路は右、センター先の三叉路に鳥居(此処から歩く)
植松八幡神社
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鎮座地:美作市小野
由緒、御祭神共に不明

前記神社左側の道を道なりに北へ進み前方大きく右にカーブする手前に車を停め左手山道の先-近くの人に聞いていたので安心だったが、間違いと思うような感じ、ほとんど廃社?-防護柵と草茫々
若宮神社
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鎮座地:美作市小野
由緒、御祭神共に不明

神社前の道を進み、前方左折して北上、前方集落の手前を左折して山を越えると7号へ(広めの道を道なりに進むと問題ない)、右折して北へ進み、前方の橋を渡った先を右手直進すると右手に
岡荒神社
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鎮座地:美作市久賀
由緒、御祭神共に不明

更に北へ進んで行くと久賀ダム、更に進み前方右折して357号、橋を渡った先左手に鳥居、その先を左折して坂道を登って行くと前方に
梶並神社
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鎮座地:美作市梶並123
由緒、御祭神共に不明

ここで悩む、此の先進んで行っても次の神社は大したことは無い、しかし県内の神社制覇を目指し357号を進み、前方鋭角に折れる処を直進して進んで行くと右手に
国司神社
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鎮座地:美作市東谷上
由緒、御祭神共に不明
引き返して帰る途中、左手に祠が見えるが草に覆われ参道らしき道は見られず

一気に最初7号に出た処まで引き返し、7号を更に下って行き、前方左手の橋を右折して進んだ直ぐ右手『下久賀コミュニティハウス』の裏側
国司神社
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鎮座地:美作市久賀
由緒、御祭神共に不明

7号を更に下って行き、51号、R428号に出会う手前右手に坂道と鳥居、その先に石段と鳥居(車道側の鳥居を撮り忘れ)
武神社
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鎮座地:美作市余野56
由緒、御祭神共に不明

遅くなったので一気に帰宅モードに、R429号で南へ、直進して51号で南へ、矢田を過ぎた右手に鳥居が
矢田八幡神社
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鎮座地:美作市矢田1034
由緒、御祭神共に不明

林野、湯郷を経て来た時と同じコースで無事帰宅

神社廻り-蒜山方面

県北の主だった神社は早めに済ましておく為に、今日も出かける。今回は車のナビの指示に従い、蒜山方向へ、72号から吉備中央町、旭川、後は旭川沿いに溯る。

勝山からR313号にて北上、右にカーブした後、北上を始めて直ぐ、右手の橋を渡り、直ぐ左折して、突き当り附近に車停め、見えている神社を目指し山道を進む-東側から車参道があるようだが未確認-未舗装
八幡神社
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鎮座地:真庭市山久世1882
由緒、御祭神共に不明

R313号で北上、『湯原IC』入口の直ぐ先、前方左手に(前に駐車可)-同じ境内に二社が祀られている感じ
八幡神社(宗像神社)
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鎮座地:真庭市禾津332
由緒、御祭神共に不明

神社前(R313号)北上、前方右手の橋を渡り右折、次のY字路を左折した奥に(駐車可)
久見神社
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鎮座地:真庭市久見42
由緒:当社は古くは加佐見神社と伝えられている。三代実録に、貞観6年従5位上を授けるとある式外社で、鎮座地を加佐見山と称し、霊石社地にあって勝れた神域であったので、国司の祭典に預かる112社の1社となった。白鳳年間以前の鎮座で、同8年高木の地に再建し、高木桂住神を素盞嗚尊と称し、寛平3年牛頭天王と号した。七ヶ村の摂社を明治44年に合祀し、同年神饌幣帛料供進神社の指定を受けた。昭和15年紀元2600年事業として、幣拝殿を改築し境内を整備した。
御祭神:須佐之男命、大國主命、菅原神、少童命

橋まで引き返し、56号を川沿いに進み、その後Y字路を右手に進んで行くと左手に神社、右折して進んだ先-実際は早めに右手橋を渡り、前方左折して山際を進む/分かり難い、56号を進んで行くと右手に見えるので簡単
横見神社
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鎮座地:真庭市社758
由緒:祭神は大山津見命であって、清和天皇貞観六年八月十五日(八六四年)従五位上に叙せられ、社殿は保延四年二月(一一三八年)、貞冶五年九月、文明一一年二月に再建、拝殿は昭和五六年七月十三日未曾有の豪雨に襲われ流出し、昭和五八年十月九日再建竣工、社格は式内村社であった。本社は社に在る形部神社、佐波良神社、久刀神社、莵上神社、壹粟神社、大笹神社、長田神社とともに八社宮と言われ、美作にある式内社十一社の内八社がここ社に祀られている。
御祭神:大山津見命

北側に鳥居が見えるので、神社前の道を北へ、56号と出会う処、神社横に駐車
(二宮)長田神社他
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鎮座地:真庭市社654
社宇二宮にあることから通称二宮と呼び延喜式による式内八社のうち五社が祀られている。
久刀神社(祭神、久那止神)清和天皇貞観六年従五位上に叙せられ、社殿は康和三年、正嘉元年に再建
長田神社(事代主命)貞観六年従五位上に叙せられ、社殿は康和三年、保延四年、正嘉元年、文明十一年、嘉永六年に再建
莵上神社(弟彦王=和気清麻呂公十二世の祖)永禄二年(棟札)、梁に正一位とあり、貞観六年従五位上に叙せられ、康和二年、保延四年、貞治五年に再建
壹粟神社(祭神、神大市姫命)大笹神社(祭神、大佐々神)の二社相殿である。貞観五年大佐々神社従五位上に叙せられ、康和二年、建長六年、貞冶五年に再建右五社はいずれも式内村社であった

56号を更に東へ曲りくねりながら道なりに進んで行くと前方左手に
形部神社 佐波良神社
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鎮座地:真庭市社1272
由緒:佐波良神社は、旧郷社で、旧県社の形部神社の相殿に祀られている。佐波良神社は、「佐原」とも書かれ、通称四宮。
形部神社は、「刑部」とも書かれ、通称五宮とされている。
両社とも和気清麻呂の祖や類族を祀ったものとする伝承がある。
御祭神:形部神 (神阿多津比売命)、佐波良神
どうも大河ドラマ「MUSASHI」で知られているようである。以前武蔵の里へ行った時、ロケはどこかと言う話が聞こえてきたが?

高速を潜り、旭川を渡ってR313号を進んで行くと右手に石垣
湯本神社
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鎮座地:真庭市湯原温泉345-1
由緒、御祭神共に不明

R313号を進んで行きR482号と分かれ、橋を渡った先を右折し少し東へ進んだ左手山側
魂神社
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鎮座地:真庭市蒜山初和
由緒、御祭神共に不明
隣に大銀杏の木があるが流石に既に散った後、銀杏の葉も意外と早い

R313号を進んで行き、東へカーブすする手前を左折して橋を渡った先を左折し進んだ右手山側-空地あり
坂根神社
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鎮座地:真庭市蒜山下見
由緒、御祭神共に不明

R313号を進んで行き、右手に石柱、奥に鳥居、右折して進んだ突き当りに-神社前はかなり広い
長田神社
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鎮座地:真庭市蒜山下長田1097
由緒:当社は、延喜式神名帳に小十座の一、美作国長田神社とある。また、三代実録に貞観6年8月15日美作国従五位下長田神社授従五位上とあり、布施郷一宮美作国九宮とある。中古には牛頭天王とも称している。天文年中尼子晴久が、社殿を建築し、寄進した。慶安2年美作国主森内記が神鏡一面を寄進した。明治12年上長田、下長田所在の九社を合祀した。大正11年郷社に列格した。
御祭神:事代主神

R313号を進んで行き、直進、左にカーブしてR482号を進み前方左折して橋を渡り、川沿いに東へ進んだ右手-国道から見えているので問題なく、神社前も十分広い
加茂神社
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鎮座地:真庭市蒜山下見1255
由緒:本社は、白鳳年間に京都・上加茂神社の御分霊を勧請した。領主三浦志摩守崇敬の社で弘化2年宝鏡を寄進している。また、明治42年9月29日、同年12月7日下見無格社八幡神社、美田野無格社大山祇神社、字定広無格社狭田神社、同境内の山祇神社、横路神社、御崎神社、荒神谷無格社水戸神社、同境内神社大真木神社、山代無各社大山祇神社、同境内神社愛宕神社、大下見無格社坂根神社、同境内神社稲荷神社、茶宮神社、金山神社、塞座神社を合祀した。また「作陽誌」によると、安政のころ、京都の国学士の白河七太夫なる人が御船家に滞在中、同氏奉仕社中の加茂宮爾歴を説いて「この大神は必定京都上加茂宮の御分霊ならんと思うが古由書がないのは遺憾である。しかれどもこの勧請の時期は白鳳の初期であるに相違ない。この本社のあるところから1里以内に八幡宮の社があるであろう。また八幡宮より1、2丁内に地蔵堂、並びに地塔または地字地堂とかの古称があり、加茂神社の宮掟にて御分神であるべきことに相違ない。外に旧社地礎石、神田などの古号は、今なお若干残っている。現在社頭の祈願所と許されたる時は確か文久年中の御沙汰とおぼえている」
とある。
御祭神:別雷命、瓊瓊杵尊、神日本磐余彦命、天照大神、阿鋤高日子根命

R482号を西へ進み前方左折する処を直進して狭い道を進んだ右手
福田神社
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鎮座地:真庭市蒜山中福田392
由緒:仁治3年の古書に布勢郷の大宮、文永の古書に、郷の宮、作陽誌に大森神社と見えている。維新まで、大森神社と称した。この地方の神社の神事は、本神社で正税によって行われた。天文以降武将領主が、社殿を再建した。明治4年福田神社と改称し、同42年摂社10社を合祀した。大正4年社殿を改築、境内を整備、同12年郷社に列格した。昭和36年社務所を改築し、同50年本殿以下社殿を銅板葺きに改めた。警護行列、七五膳の儀、県無形文化財の大宮踊りが行われる。
御祭神:大己貴命、素盞嗚尊、稻田姫命

R482号を西へ進み蒜山インターホテル先を左折して前方右側の道を進んだ右手-神社裏の崖を整備中
徳山神社
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鎮座地:真庭市蒜徳山807
由緒:往時は牛頭天王と称し、旧社地の真嶋郡別所佐波良谷に鎮座し、佐波良神社と称した口碑がある。文明、万治、延宝の棟札によって、代々領主が造営したことが明らかである。祭祀は文明の古書によって、正税であったことがわかる。明治4年徳山神社と改称し、同42年五摂社を合祀した。昭和5年幣拝殿を改築、同11年参籠所を改造移転、境内を拡張した。同50年本殿、幣殿の屋根を銅板葺きにした。
御祭神:素盞嗚尊、少彦名命、大己貴命、事代主命

R482号を戻り東へ引き返すと前方『ハービル』の表示、右折してしばらく進むと再度『ハービル』の表示、そのまま直進して進むと左手に大鳥居と右手に桜参道進、進んで行くと前方に
茅部神社
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鎮座地:真庭市蒜山西茅部1501
由緒:当社は、建部、茅部、布施郷の大社で延宝5年(1672)12月に大工備州奥津高村仁左衛門の建立といわれている。近世に入り十二社権現、岩倉宮、岩倉十二社権現と称し文久元年11月17日旧社、大社の旨を以て神号許可綸書を受け、天磐座大神宮と称した。明治40年神饌幣帛料供進神社に指定される。明治42年氏子東茅部、西茅部、本茅部地内の摂末社を合祀し茅部神社と改称して現在に至る。昭和16年3月5日郷社に列す。現本社は昭和31年11月1日旧本社の地が雪害により祭祀不能となったため解体復元したものである。本社から南へ下ること800メートルの処に建立されている石大鳥居は高さ13.18メートル、周囲3.18メートルで安政7年(1860)から3年の年月を経て文久3年(1863)に東茅部村石賀理左エ門、西茅部村友金古平の両氏が発起人となり建立され、石材は磐座山より搬出された花崗岩で、石工は伯耆国倉吉の横山直三郎並びに郷原在住の米倉鉄造の作と伝えられている。此の費用1万両と伝えられている。同処に銅製唐獅子1対が建立されているが、これは明治32年1月1日に建てられたもので、高さ4メートル、獅子身の高さ130センチメートルである。
御祭神:天照大神、御年神
この地も幾つかある高天原伝説の一つである。石琴・サヌカイトが置かれている建物があったが、自由に出入りできる場所のせいか何故かなかった。

かなり北へ来ていたし、天気も良くないので帰宅することに来たコースにするか新庄村のコースにするか迷うが、いずれにしても未参詣の神社はまだ多いので来た道を引き返し、少し寄り道を

R428号、R131号と引き返し前方左折してR482号を北東へ進み前方『中和』地区で右折して65号を進んだ左手中和小の手前
中和神社
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鎮座地:真庭市蒜山下和1946
由緒:当社の創建年月は不祥であるが、元禄4年編纂の「作陽誌」には「車戸神社在下和村此村氏神也、在一の茅岸頭近渉於下鍛冶屋云々」とある。上代においては植杉川の上流に鎮座していたが何時の時代かに里宮として現在地に移され、旧跡地は今では「久那止荒魂神社」が祀られている。「三代実録」には「貞観6年(864))8月己巳美作国従五位下久止神授従五位上」とあり、又神祇志料には美作国八の宮とある式内社で、古くは久刀神社、久那止神社、或いは車戸大明神と称していた。明治44年12月村内各神社を合祀、大正2年3月村名を以て社号となし中和神社と改称今日に至っている。尚本殿中央に奉斎されている久那止神の、内宝殿には宝暦10年(1760)3月備前国国府湊より久世まで水上にて運んだことが墨書されている。古くから「くるまどさん」の愛称で親しまれ、牛馬の守護神として崇敬され、今尚山陰方面からの講参りが連綿として今日まで続いている。棟札によれば現在の本殿は明治4年の建築である。主祭神の久那止神は伊邪那岐命が、亡くなられた妻(伊邪那美命)を慕い給い死人の国を訪れられた時に、多数の魔神に追われて急ぎ逃げ帰られた際に黄泉津平坂に於いて「ここよりこちらには来るなかれ」と、大きな岩にて道を塞いだ古事があり、この時の岩をつかさどった神が即ち久那止神である。古来より牛馬守護の神としてはもとより、魔除け、厄除け、道中安全の神として信仰されている。
御祭神:久那度神

65号を南へ進んで帰宅しようと思ったが、このコースにはまだ未参詣の神社があり、引き返して来たコース逆に旭川に沿って帰る。
帰りもコース選択で悩み、結局は同じコースをたどったが、やはり少し遠回りなるが旭川沿いに建部に出てR53号がアップダウンが無く楽か?
R429号で帰るのにも一度49号で『江与味』方向へ、現在橋が架かっている新しい道が完成すれば関係なくなるが!

神社廻り-津山市街地2

去年に続き今年も奥さんに付き合い津山での講習会の運転手、ホルモンうどんを東津山の『くいしん坊』で、平日と時間が早いせいか意外と空いていた、この後去年と同様会場近くの衆楽園へ寄るが去年と違い天気が悪いせいもあるが去年ほど紅葉が綺麗でない。案内のボランティアの人がペットを抱いていたら、手前を廻るぐらい良いですよ言われたのでワンと一緒に、案の定、若者に注意されるが入口で許可をもらっていると言うと何も言わずに去っていくが、自分はカップの飲み物を飲みながらの散策?、感じはよくなかった?

去年の続きと言う訳ではないが津山市街地をメインに神社廻り、まずは吉井川近くの小さな神社を、会場から津山駅方向へ戻り、京町信号を左折して東へ進むが感じとして西向き一方通行の雰囲気?、車を停め、一本南の通りにある神社を目指す。(市街地は一方通行が多いので無理はしない)
小桜神社(小櫻神社)
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鎮座地:津山市河原町12
由緒:当社は文献によると正徳壬辰三月四日(一七一二年)に宇迦之御魂の命を勧請したと伝えられている。元禄・宝永・正徳となるから相当に古い。修験者大福院の宅跡説があるが、或いは一説に伏見町の小櫻屋某家所有地に祀る故に小櫻の名ありと、温知会誌・新訂作陽誌=津山誌に誌してある。
御祭神:宇迦之御魂命(倉稲魂神)

先ほどの信号まで引き返し、南へ吉井川沿いの広い道の直ぐ手前の細い坂道を右折して進んで行くと右手に
三橋神社
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鎮座地:津山市船頭町63
由緒、御祭神共に不明

神社前の道を進み、前方信号を右折、左折、右折した処
八頭神社
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鎮座地:津山市桶屋町1
由緒:此の地は往昔苫田郡戸川庄と称した。明和七年(一七七〇)神職熱田石見が勧請し、文化十五年(一八一八)山城国の稲荷本社より正一位稲荷の神階を受け、その後八頭神社と号するに至った。
御祭神:倉稲魂神、火産霊神

一方通行があり、神社前を北へ進み、突き当りを右折、次を左折して北へ進み、前方突き当りを左折して68号へ出る手前に車を停め、一本南の道を探すと右手に由緒の石碑と奥に鳥居-神社前は駐車場に、神社は扉に鍵がかかっており全く入れない
宗道神社
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鎮座地:津山市鍛治町7
慶長(一六〇三年)森忠政入封に際し、一門の鍛冶を同伴し、この地に鍛冶町を作った。宗道神社は最初宗道若宮と称し、初めは鶴山山城の南庭にあったが祠は絶えて久しく梨樹が一株有るだけであった。忠政が築山をつくるため樹下まで地を掘ったところ、一匹の青蛇がとぐろを巻いて動ずる様子もなかった。。忠政は即日梨樹を山北村八子の八幡宮の境内に移して祀った。その後、宝暦九年(一七五九年)宗道神社は鶴山八幡より此地に遷された。
御祭神:素戔男尊、天目一箇神

68号を南へ進み南新座の信号を右折して、道なりに西方向へ進んで行くと前方左手に『津山シオン教会』、その前の奥まった処
若宮神社
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鎮座地:津山市茅町
由緒、御祭神共に不明

鉄砲町の信号まで引き返し、左折して北へ進んで行くと(前方は西向き一方通行)左手に赤い鳥居
稲荷神社(妙勝寺)
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鎮座地:津山市西寺町72
由緒、御祭神共に不明

北方向へ進み、前方十字路を右折して68号迄進み、左折して北上城代橋信号の先の路肩へ車を停め前方の道を左折して、ほぼ真っ直ぐに二へ進むと右手に(車でも可能だが狭く、そして停車場所に問題、しかも今回工事中で歩いたのは正解)
荒神社
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鎮座地:津山市小田中
由緒、御祭神共に不明

68号の城代橋信号へ戻り、左折して394号を北西へ進み、前方右手『中尾内科』の左手を左折して、道なりに進み3本目を左折して進んだ突き当りの予定が普通に広い道を進んだため394号から外れる(分かり難いが途中北へ進む)急遽前方CO-OPの駐車場に入り修正することに、直ぐ先の道を北へ進むと394号へ、右折して直ぐ郵便局の手前を左折して登って行き突き当りを右折して進んで行くと左手に、前の駐車場に無断で駐車して参詣
野加美神社
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鎮座地:津山市沼807-3
由緒、御祭神共に不明

前方へ進んで行って右折して進んで行く394号(先ほどの郵便局)へ中国自動車道を潜って直ぐ左折して進み、前方を右折して進んだ左手
八幡神社
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鎮座地:津山市志戸部594
由緒:當社は譽田別尊を祀り、地を八幡山と稱へ此の郷の旧社なれども勧請年月明記を存せず由緒祭神等も亦変革あるか詳ならざるも伝うるに上古仁徳天皇の御宇帰化せる秦氏の祖神部氏の齋き祀れるものなりと当時此地に倭文部を置き、蚕業織絹の業大いに拓けり。依而倭文部の転訛により、志戸部と号するに至れり。又近郷に勝部栃畑 栲畑千々姫の剣を祀る。齋宮 融通王即ち弓月の君を祀る 綾部、錦織、倭文等々織絹に因縁深き地名多きを以て知るべし。郡村の変革に随ひ盛衰あれ共和銅年間國府を總社の地に設置 以降、美作一宮 中山神社、二宮 高野神社を始め美作六郡六十余郷に鎮座の諸社と共に毎歳々總社に御神幸ありて國司の奉幣に預り参集の儀は天正未年迫道はる
延宝四年国守 森長継の三子長俊公諸候に倒し、當社指呼の地に別邸を営み暫々祭資料を寄進ありて最も崇敬篤かりき 明治初年村社に列格す(社務所に掲げてある札より)
御祭神:誉田別尊

394号へ戻り北へ進み前方信号を右折して最初間違えて進んだ広い道へ左折して進み、鶴山小前の道を右折して団地へ、突き当りを左折した進んだ突き当り附近に車を停め、右手の未舗装の道を進んで行くと右手に、感じは跡地と言った感じ-少し距離はあるが歩いた方が無難
塞ノ神社
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鎮座地:津山市野介代
由緒:一般にいわれるサイノカミは、塞ノ神、才ノ神、幸ノ神、賽ノ神、妻ノ神、道祖神、我が国での、塞ノ神の記載の原形として「泉門二塞マス大神」「塞リ坐ス黄泉戸ノ大神」これが塞の神の初出とされる。
国生みを終えた伊邪那岐命、伊邪那美命が諸神を生む。そして火の神を生んだ折に火傷して、それが原因で伊邪那美命は亡くなる。伊邪那岐命は悲しみ「ス十ハチ御枕方二匍匐ヒ、御足方二匍匐ヒテ哭キシ時二、御涙二成レル神ハ香山ノ畝尾ノ木ノ本二坐シテ、泣沢女神ト名ク。故其ノ神避リシ伊邪那美神ハ出雲ト伯伎国ノ堺ノ比婆山に葬リキ。是二伊邪那岐命、御佩カセル十挙剱ヲ抜キテ、其ノ子迦具土神ノ頚ヲ斬リタマキ」とあり それから愛しい女神に会うため伊邪那岐命は、死後の世界である黄泉国へ追って行く。しかし死んだ伊邪那美命は黄泉国の食事をしてしまっていた。そのため現世へ戻ることができない。帰りたい女神は黄泉の神々と相談するので、その様子を見ないでくれと頼む。待ちかねた男神がその約束を破って御殿に入ってみれば、伊邪那美命の死体が腐れて蛆がたかり、八つの雷神がその体についていた。驚いた男神は恐れて逃げ帰る。女神は汚れた体を見られて恥をかいたと、黄泉醜女にその後を追わせる。そこで伊邪那岐命は黄泉比良坂に来て、道を千引きの石で塞いで対立して事戸を渡す。(神代紀に「絶妻之誓」とある。)そして女神が現世の人口を1日1,000人殺せば、男神は1,500人生むであろうと答えた。「故、其ノ伊邪那美命ヲ号ケテ黄泉大神ト謂フ。亦云ハク、其ノ追ヒシキシヲ以チテ道敷大神ト号ク。亦其ノ黄泉ノ坂二塞リシ石ハ、道反之大神ト号ケ、亦塞リ座ス黄泉戸大神トモ謂フ。故、其ノ謂ハユル黄泉比良坂ハ、今、出雲国ノ伊賦夜坂ト謂フ」と古事記に書かれている。
日本書紀も、この神話の大筋は略同してあるが、説話によって神々の名が少し異なっているのと、伊邪那美命の埋葬地を古事記では、出雲と伯耆国の境の比婆山としているのに、書紀一書五に紀伊国の熊野の有馬山としている。また古事記では伊邪那岐命が禊を祓うことによって天照大御神 月読命 建速須佐男命が生れたとしているが、書紀一書には、女神が火の神を生む前、即ち生前にこの三神を生んだとしていることなどである。
御祭神:塞の神

近くの神社を一つ忘れていたので引き返すが、当初予定のコースを進むため394号を引き返し、『中尾内科』の前の道を右折して、道なりに進み高速へ出会う手前の左手
齊神社
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鎮座地:津山市沼430
由緒、御祭神共に不明

見落としで時間を取られるが待ち合わせの時間までまだ時間が!津山駅の南側を目指す。当初予定の駅の少し西で線路を越えようと思ったが工事で前面通行止め、更に西側から廻り込むことに、

以前から気になっていた津山駅西のR53号沿いにある神社
最上位稲荷大明神
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鎮座地:津山市大谷
由緒、御祭神共に不明

津山口までR53号を進みここから線路を越え山際を東へ進んで行くと右手に、路肩に車を停め参詣
青木神社
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鎮座地:津山市大谷137
由緒、御祭神共に不明

前方を少し進み左折して広い道に、西へ進んで行くと右手に
森神社
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鎮座地:津山市西横山321
由緒、御祭神共に不明

更に進み、先方左折して26号を進み、右折して吉井川を渡り出迎えに、今日は天気が悪く全体的に廻った神社の雰囲気も何か静寂と言うよりは沈んでいる?
11月も後半になると日の暮れるのが非常に早い
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