岡山県内神社巡り(メイン)

片っぱしらからの神社巡り

2016年03月

神社巡り-浅口市金光・鴨方方面

少し神社巡りをさぼっていたので思い切って出かけることに、ほとんどの場所は遠くなので朝早く思い切ることが必要でどうしても延び延びになってしまう。
今日は浅口市近辺へ、何故かこの近辺は無格社の記載が多く、正確な位置がはっきりしてないないので、のんびりと歩くことを覚悟して出かける。
コースは懐かしい新幹線沿いから倉敷方面へ、高梁川を渡り、左折して主に60号で新倉敷の北側からJR金光駅を目標に進む
60号をメインに考え金光駅へ進んでいると山の上に八幡神社、前回東側から歩いて参詣、西側からの参詣で一瞬未参詣と勘違い、参詣神社数が多く全てが表示しきれなくなっており、マイマップは外では頻繁に異常終了、役に立たない。単純に神社方向を目指していると石柱、登って行って参詣、しかしここからは八幡神社には行けず、元の道(西側)から
不明神社
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鎮座地:倉敷市玉島道口
由緒、御祭神共に不明
八幡神社:倉敷市玉島道口2469 の直ぐ近く

西側の山の中腹に神社、近くの人に聞くと『金毘羅神社』とのこと、見えているので歩いて参詣
金毘羅神社
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鎮座地:倉敷市玉島道口
由緒、御祭神共に不明
60号沿いの『玉島道口西公会堂』前に車を停め歩いたが車で下までは可能、北側から廻り込む感じ

60号を進んで行き前方小さな川で382号へ、右折して進み直ぐ左折して進み、最初の道を右折して進み、左手池の北側を左折してみちなりに進んで行くと左にカーブした処に車を停め右手池の土手を進んだ奥に-車でも可能だが未舗装、止めた方が無難
権現社
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鎮座地:浅口市金光町下竹
由緒、御祭神共に不明
確認は出来てないがこの神社が『六神社:浅口市金光町占見新田2915』では、地図上からは住所が違うが写真は同じの?

更に進んで行くと先に天神宮の手前に天満神社がある感じ、路肩に車を停め下って行って探す、一度は大型トラックにクラクションを鳴らされる、こんな道を走るなという感じ、先の広い処へ車停め下って行っていると出会った地元の人が「天神宮には三社祀ってあり、この近辺には他に神社は無い」とのこと、前回麓から参詣しているが、今回は山側から下って、神社横に広場、墓地もあるので
天満神社
鎮座地:浅口市金光町占見新田2743
由緒、御祭神共に不明
地図上は天神宮、鳥居の扁額には「地神社、天神宮、荒神社」神社庁記載は天満神社

更に進んで行くと『丸山公園』前の池へ、桜のシーズン前だが既に何台かの車が、V字に曲がって坂道を下っていくと前方右手、池の手前の左手に
不明祠
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鎮座地:浅口市金光町占見新田
由緒、御祭神共に不明

今日の目的を思い出し、南へ進み前方跨線橋の手前を右折し、先ずは金光駅へ、駅の北西にあると思われる天満神社:浅口市金光町占見379を探すが分からない、駅なので多くの人には出会うが全くダメ、写真もあるので見せながら聞くがダメ、早々に諦め、西側の線路北にある「荒神様」を目指す、駅前の道を西へ進み、線路と出会った右手、『勝田ハーネス』の奥に
荒神社
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鎮座地:浅口市金光町占見新田296
由緒、御祭神共に不明

60号を西へ、60号が左に折れる処を直進し、前方小川の流れている十字路(左手のみ、右手は暗渠)を右折して進んで行くと前方に池、池に沿って北へ進むと右手に泉勝院駐車場、左手にあさくちトレッキング用駐車場が、適当に車を停め西側の集落へ、此処で出会った人に聞くと、ここの集落北側を山に向かって進むと左手に参道
荒神社
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鎮座地:浅口市金光町占見2426
由緒、御祭神共に不明

今度は道の東側にあると思われる神社を探す、近くに居た人に尋ねると親切に案内、お断りしたが近くに筍の様子を見に行くからと言って案内を、駐車場の南側の坂道を登って行くと墓地へその先南側に鳥居
荒神社
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鎮座地:浅口市金光町占見2220
由緒、御祭神共に不明

山の東側にあると思われる神社のことも尋ねると再度親切にも案内を、「泉勝院」前の道を東に進んで行くと、左手に遥照山の登山口案内、ここが『海神社』への参道、ひとまず麓の二神社を目指す、本人もよく知らないようだが地元の人に聞いて案内、集落へ入った先にあるY字路を左手に、その先の交差点を左手にとり北方向へ、前方民家の先から山道へ入って行くと左手に
荒神社
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鎮座地:浅口市金光町占見2336
由緒、御祭神共に不明
昔石を切り出していたらしく、巨石がゴロゴロしている

神社手前を南方向へ進んで行くと神社横に、東側に鳥居が
稲荷神社
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鎮座地:浅口市金光町占見2325
由緒、御祭神共に不明

引き返し、先ほどの『遥照山の登山口案内』処を迄引き返し、お礼を言ってお別れ、後は山道をひたすら登って行くが勾配もあり結構しんどい、最初の三叉路を右手に、山頂近くに右手に下る道、進んで行くと左手に
海神社
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鎮座地:浅口市金光町占見2371
由緒、御祭神共に不明
トレッキングの定義を知らないが、ここから遥照山とは?、結構な距離

この近辺は神社庁に登録している無格社が多く、位置・名称もはっきりせず非常に分かりにくい、南へ引き返し、『三和保育園』の西側の神社を目指す!前方池の南を左折して東側の道を進み保育園先で車を停め参道を探すが全く分からない、先ほどの北へ向かった道を再度進み、検討を付けた位置の西側で地元の人へ出会い、聞くと「東側民家の間を山裾の方に進むとある」とのこと、民家の間を西、北と進ん行くと石柱と建物
荒神社
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鎮座地:浅口市金光町占見966
由緒、御祭神共に不明

ここで、さらに北方向にも一社あることに、再度北へ進み、前方Y字路を左手に、前方池の手前に車を停め探すことに、全く分からず北へ進んで行くと、今日最初に参詣した神社近くに、ここで偶然か先ほどの親切な人と出会う、今度も親切に案内を、池の西端を西に向かう山道を西へ(右手の道は墓地)向かうとたどり着ける
荒神社
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鎮座地:浅口市金光町占見2549
由緒、御祭神共に不明

今日は疲れた、意外と時間も掛かっており本日一番の未参詣神社を目指すことに、60号を西へ進んで行くと何故か南方向へ、更に勘違いし『天草総合公園』方向へ、間違いに気付き434号で西へ、右折して北方向へ、直進して286号を進み、更に168号で北東へ、
北方向へ、『鴨方西小』北を左折して168号をみちなりに進み前方V字路を左手に進むと前方Y字路左手に祠
不明祠
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鎮座地:浅口市鴨方町小坂西
由緒、御祭神共に不明

右手に進み、その先を右手に進むと小川に、橋を渡って坂道を登って行くと神社と広場が
天神社(西原天神社)
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鎮座地:浅口市鴨方町小坂西617
由緒:永延元年8月11日の創建。もと七原山不動院極楽寺の支配下で、本地十一面観音を祀っていた。寛文6年に池田光政が神仏混淆を改革し、祠寺を廃して、寄宮とし、神社に切り替えた。寛文7年に初代神主武貞才兵衛がこれを摂している。深田、西小坂、里見の3村界の天満山に祀っていた。天満天神が光政の社寺整理で廃社となっていたのを、延宝年間に3ヶ寺協力の上、各自村に分祀し、小坂西天神社となった。
御祭神:菅原神
もう少しで桜が咲いたら良い景色か?

大した神社は無く、出会った人の親切さの方が印象に残る本日の神社巡り、近場はともかく遠場は無理をしない方が賢明か!

R2号で帰ろうとしたが、玉島で案の定渋滞、船穂方向へ向かい、朝のコースで帰宅、意外と混んでいた。通勤時間帯は避けるべきか!

神社巡り-高梁川上町近辺

どうも気楽に参詣できる近くの神社はほぼ終了、どうしても遠くになり出かける前に効率的なコースを考えるべきだと思いながらも果たせてない。
今日も急遽思い立ち成羽方面へ出かけることにする。R180号、R313号を南へ折れて川上町から299号を進み、川上小先のY字路を右手に進み、前方交差点を右方向へV字に坂道を進んで行く予定だったが前方山際に神社らしき建物が、前方川を渡った先未舗装の道を進み、左折して民家の前に車を停め前方の神社を目指す-引き返しは民家の前の舗装道路を進んだが狭く、早めに車を停めた方が賢明!
不明神社
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鎮座地:高梁市川上町地頭
由緒、御祭神共に不明

先ほどの処まで引き返し、今度は当初予定の反対側の道を進んで行くと(かなり曲がりくねっている)左手に
荒神社
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鎮座地:高梁市川上町七地
由緒、御祭神共に不明

神社前の道を北へ進んで行き、前方Y字路を右手に、西へカーブしながら進み、前方Y字路を左折し、その先の左手奥
伏尾荒神社
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鎮座地:高梁市川上町七地
由緒、御祭神共に不明

神社前の道を北へ進んで行き、北集会所の先、前方Y字路を右手に進んだ山頂にあり、参道は分からないので南側に石灯篭ここから右手の山道を登って行くが途中から全く道がなくなる。ここまで来たら強引に山頂を目指して登って行くと神社が。
金比羅神社
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鎮座地:高梁市川上町七地
由緒、御祭神共に不明
参詣して分かった参道は北側へ進み、西側の民家の近くに至るが、南へ下って墓地の近くへ、防護柵があり厄介、しかも車まで引き返す。

元へ引き返し、「伏尾荒神社」前から出た道を南方向へ、前方の広い処の先を左手に、『改善センター』先の左手
亀石八幡宮
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鎮座地:高梁市川上町七地776
由緒、御祭神共に不明
この神社の写真違うのでは?

この近くに八幡神社が別にある可能性も、東側を重点的に探すが見当たらない、坂道を少し下った先左手に祠と近くに何かの址?
不明祠
 
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鎮座地:高梁市川上町七地
由緒、御祭神共に不明
 
 八幡宮西の道を南へ進んで行くと右手に
豊富神社
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鎮座地:高梁市川上町七地
由緒、御祭神共に不明

先ほどの広い処まで引き返し、前方左手の道を西方向へ進み、南方向へ進んだ先、十字路を右折して進み、すぐ先の未舗装の道を進み、前方のY字路を左手進んだ奥、手前に車を停め歩いて結構長い参道を
宇佐八幡神社
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鎮座地:高梁市川上町七地1767
由緒、御祭神共に不明

元の道を南方向へかなり進んで行くと、前方右手に『岩窟渓』の標識、右折して進んだ左手
荒神社
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鎮座地:高梁市川上町七地
由緒、御祭神共に不明

荒神社前の道を北へ進み『いわやであいの里』を目指し、その手前の右手-坂を登りきった先下った先に
天磐窟神社
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鎮座地:高梁市川上町七地3350
由緒、御祭神共に不明
更に下った先に『岩窟渓』へ下る道-現在は休業中

最初のT字路まで引き返し、どちらでも良いが東を廻って299号へ、少し進んだ2つ目のT字路を左折して進み前方十字路へ車を停め左手の神社へ
戎脇荒神社
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鎮座地:高梁市川上町下大竹
由緒、御祭神共に不明

交差点から右手の道の先に神社?、行ってみると仏子堂、代わりに右手丘の上に神社、近くに居た人に聞くと太宰様とのこと
不明神社(太宰様)
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鎮座地:高梁市川上町下大竹
由緒、御祭神共に不明

十字路まで引き返し今度は東側へ、前方左手に階段、すぐ先で工事を行っており急いで参詣したため、工事個所の先にある『岡吉神社』を忘れる
清實八幡神社
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鎮座地:高梁市川上町下大竹186
由緒:当社は霊元天皇の御代、延宝8年(1680)8月16日、領主山崎勘解由豊治の命によって、松室六右衛門常康が大願主となり、庄屋および村民と協議し、上大竹鎮座の榊山八幡宮の御分霊を奉斎して社殿を造営し今日に及んでいる。 この間、棟札によると明和、安永、天保の年に本殿、幣殿、拝殿等を再建した。
御祭神:応神天皇

先ほどの十字路を南へ進んで行くと(かなり曲りくねって)77号へ、帰り道を考えてなかったので坂道を東に下って行き左手の神社へ
天満神社
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鎮座地:高梁市川上町大竹781
由緒、御祭神共に不明
九割方この道を通ると思われるが広目の下り坂、意識して参詣した方が無難!(見過ごして通り過ぎる)

77号を引き返して更に進み、前方左手に299号、反対側を右折して進んだ先、突き当りを左折して進み、前方Y字路を右側に進んだ右手
虹八幡神社
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鎮座地:高梁市川上町高山995
由緒、御祭神共に不明

77号まで引き返し77号を西へ、前方T字路をから473号へ進み、坂道を下り始めた右手を右折して『浄明寺』方向へ進み、お寺前の路肩へ車を停め参道を探す。神社の南側から強引に山の中へ、全く道が無いが強引に進み神社へ、一旦辿り着くと参道は分かる-山に入る手前の墓地の反対側の竹藪の間の山道を進むと小さな池を回り込んで神社へ-意外と歩き易い山道?登ることが無いせいか
諏訪神社
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鎮座地:高梁市川上町高山4058
由緒、御祭神共に不明
地図上の表記は「須和神社」間違いか

473号まで引き返し、右折して進み前方T字路を右折して進み、2本目の道を左折して進んだ左手、近くに車を停め歩いて参詣-東側に車用の裏参道-帰り道
旭神社
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鎮座地:高梁市川上町高山3677
由緒、御祭神共に不明
順路は他にも在りそうだが、今後も広い道からが分かり易い

77号まで戻り、77号を少し進み、前方左手に299号、左折して進んだ直ぐ先右手、広場の奥
宮山八幡神社
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鎮座地:高梁市川上町高山2978
由緒:当社は、川上郡川上町高山の中心部、旧高山小学校の東側の小山である宮山の頂上に祀られており、正徳4年(1714)午9月25日に鎮祭されたと伝えられている。現在の本殿は享保2年(1717)8月の建築といわれ、3間四方の大きなものである。その後、天保10年(1839)亥10月、明治2年巳8月に再建、改修が行われている。昭和15年には、皇紀2600年記念事業として、本殿、幣殿の大改修工事が行われた。昭和34年9月参道改修工事、昭和51年3月幣殿、拝殿の瓦屋根葺き替え、昭和57年本殿屋根銅板葺き替え工事を行い、現在に至っている。宮山八幡神社は、旧村社で川上町高山地区の氏神様として地域の信仰は篤く、特に秋季例大祭には高山地区の若者による渡り拍子が各氏子をまわった午後、当神社に集合し、御輿と共に御旅所への御神幸が盛大に行われる。また、前夜祭には備中神代神楽が奉納される。
御祭神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后

神社前の299号を進み前方Y字路を左手(間の道)に、道なりに進んだ右手-意外と道幅があり、基本的に広い道を進んで行く
亀石八幡神社
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鎮座地:高梁市川上町大原
由緒、御祭神共に不明

先ほどの神社の手前まではストリートビューがあるので安心だったが、この先は分からない、北を目指して覚悟を決めて進む、前方広い道に合流して進んだ右手
大地八幡宮
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鎮座地:高梁市備中町布賀
由緒、御祭神共に不明
ここまで北コースが非常に通り難い道だったので、南から東へ回り込んで299号へ、ひたすら南へ進んで行くが「こんな狭い県道ってありか?」と云った感じ、しかし、車を交わす場所は意外と多い気はしたが、とにかく77号へ

77号を西へ進み、右手に大鳥居が見える処を目指して右折して進んで行く、ひたすら狭い道を下って行くと神社前の広場へ-殆ど山の中、不安を覚えないでもなかったが、さすが苦労してここまで来た感じは十分味わえた。
穴門山神社
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鎮座地:高梁市川上町高山市1035
式内社とは、延喜式の巻9および巻10の「神名帳」に列する神社のことで、社格を権威づける官社となっている。延喜式は平安後期の延長5年(927)に撰上され、50巻から成り、朝廷の儀式、行政の実施に関する規範である。当社は延喜式巻10に、備中国18社の中にその名があげられ、朝廷崇敬の神社であったことは事実である。当社の創立は崇神天皇54年と言われているが、延喜、延長の時代この神社は、備中国下道郡長田山と記されており、その地名にまつわる神々の伝説も多い。倭姫世記という古書によると、崇神天皇から、天照大神のご神体である御鏡を、「何処へおまつりしたらよいかさがしてきなさい」という命を受けた豐鋤入姫命が、紀伊国奈久佐浜宮から備中国名方浜宮(現在の穴門山神社)へ奉遷し、4年間奉斎したと記されている。朝廷の当社に対する崇敬の篤かったことがうかがえる。祭神は、天照大神、倉稲魂大神(豊受大神ともいう)、そして日本武尊の第2皇子足仲彦命、吉備武彦の娘で日本武尊の妃である穴門武姫命の4柱を併祀している。社殿は寛永9年(1632)秋焼失したものを、備中松山城主の池田出雲守長常が、寛永14年(1637)再建寄進した。権現造りの建築様式で、特に本殿妻側は懸魚、虹梁、支輪、斗きょう組(斗組)で装飾性が高く、余り県下にその例がなく県指定文化財である。周囲の社叢は、県指定の天然記念物であり、昭和5年10月、京都大学、田代善太郎先生の調査によると、438種の植物が記録されており、その種類の多いことで注目されている。神木のカツラは、樹齢推定700年、株周囲8.93メートル、樹高30メートルである。神木は本門そばの石段上の大杉と、境内崖下のカツラである。
御祭神:天照皇大神、倉稻魂神、穴門武姫命、足仲彦命

今日も意外と時間がかかった、やはり高梁経由で帰宅、本日は道なき山中の歩き、狭い山道の通行と結構しんどいことの連続、のんびりと帰宅する。

神社巡り-高梁市北東

明日から天気は下り坂!、今日は非常に天気が良く気温も適当、早めに家を出発し、高梁市北東方面へ!
通常通り、R180号で高梁へ、前方の高梁大橋を左折して渡り、突き当りを右折して北へ進んで行き、左側の広い道と出会う手前の右手に
不明祠
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鎮座地:高梁市落合町近似
由緒、御祭神共に不明

少し進むと、右手に高梁川の2本目の橋、更に進んで行くと前方に小さな川と橋が、手前のごみステーション前に車を停め、手前の道を下っていくと左手に鳥居、左折して進んだ奥に-車でも可能-神社前に駐車可能で、川沿いに歩いて上ると、車を停めたすぐ先に(意外と高い処を走っている)
一宮神社
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鎮座地:高梁市高倉町大瀬八長2253
由緒、御祭神共に不明
この先に『龍神社:高梁市高倉町大瀬八長2712』があるはずだが分からず次回に

高梁川を渡るために更に進んで行くと、橋の少し手前に(前回は「海神社」に含める?)
不明神社
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鎮座地:高梁市高倉町田井
由緒、御祭神共に不明

橋を渡りR180号へ、右折して少し引き返し、前方左折してR313号を北へ進んで行くと右手に鳥居、前方の路肩(津川簡易郵便局の手前)へ車を停め鳥居を潜って進んで行くが参道らしきものはないが右手山の上に神社らしき建物、急すぎてとても登れず、畑の横を強引に進んで行くと右手に鳥居、安心して登って行く-鳥居の先の右手の道を進み、前方を右折、三叉路を右手に進んで行くと右手に鳥居と参道(参詣後の帰り道-車で十分可能)
稲荷神社
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鎮座地:高梁市津川町八川546
由緒、御祭神共に不明
帰り道、R313号へ出る手前に鳥居-前記神社と木野山神社参道の名残らしい

R313号を更に北へ進んで行き左手神社が見える先を左折して、169号へ、巨瀬小学校の横を通り、169号を進んで行き、左にカーブした先、しばらく進んだ右手V字に北へ進んで行き、前方右にカーブする前方山の上に鳥居が見えるので手前に車を停め歩いて参道を探すが全く見当たらない!やっと地域の人を見つけ尋ねると「少し進んだ左手坂道を登って行き、その先左にカーブした先を左折して山道を進んで行くと一つ目の池、更に進んで行くと二つ目の池その奥に」-前の道を進んで行くと元の道へ出れる。
岩山神社
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鎮座地:高梁市巨瀬町3335
由緒、御祭神共に不明
前方に鳥居が見えたのが間違いのもと、この辺りはGoole Mapも詳細でなく、結果分かったことだが、真っ直ぐの道はなく両サイドから回り込む必要がある。(20分程度無駄な時間)

169号へ引き返し、169号を西へ進み、前方169号が右にカーブして北へ進むところ直進して309号を進み、前方X路を、V字に右手を進んで行くと、坂道の左手に神社
不明神社
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鎮座地:高梁市巨瀬町
由緒、御祭神共に不明

更に進んで行くと左手に石柱、道幅が狭いので左手神社まで車で行くが片側に溝があり不安!
天神社
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鎮座地:高梁市巨瀬町6223
由緒:本神社の創建は古記録によると後白河天皇の保元2年、山城国北野天満宮から勧請したと伝えられている。宝暦2年に社殿を再建した。現在の社殿は明治27年5月12日に再建した。大正12年4月22日銅板で屋根葺替。昭和42年拝殿の屋根葺替を行った。
御祭神:天穗日命、菅公神

309号を西へ進み前方Uカーブの処を左折して進むと右手に
不明神社
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鎮座地:高梁市巨瀬町
由緒、御祭神共に不明

更に進んで行って中継塔の先、右手に入った左手、南側からの参道を整備中(入った処に駐車場)
八幡神社(高羽根八幡神社)
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鎮座地:高梁市巨瀬町7918
由緒、御祭神共に不明
309号全面通行止めの表示があったが、これから先、本日の予定には支障無し

引き返し、169号を北方向へ進んで行くと右手に鳥居と傍に祠-参詣順を間違えた?天神社の前の道を進むとここに至る
祇園宮
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鎮座地:高梁市巨瀬町
由緒、御祭神共に不明
鳥居は祇園寺の参道-神仏混淆の名残?

169号をどんどん進んで行き山場の道から麓へ降りた先、T字路を左折して進み前方右手に下る坂道、手前に車を置いたが神社まで可能-320号からも歩けば参詣可能
熊野神社
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鎮座地:高梁市中井町西方6399
由緒、御祭神共に不明

169号を進んでいたとき見えた赤い鳥居を目指す、元の方向へ引き返し、前方右手の坂道を進んで行った先、手前の路肩へ車を停め参詣
不明稲荷神社
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鎮座地:高梁市中井町西方
由緒、御祭神共に不明
前方はかなり急な坂道で、その先鋭角に曲がる必要あり、元の道を引き返すことに

先へ進んでも道は繋がっているようだが道幅が分からないので一度169号へ169号へ戻り先へ進んで310号へ左折して進み、前方左折して320号へ、南へ進み『熊野神社』の位置を確かめながら更に進み前方に『光林寺』の案内、左折して登って行き、基本的にみちなりに進んで行き、出会たあ人に確認すると、前方右手の山の上、上の方に見える民家の上、車で行けるがかなり急な坂道とのこと、不安なので手前に車を停め歩いて参詣(柴倉公会堂の手前で右側の坂道を登って行くと前方に民家と墓地、手前右側の道を登って行く)
柴倉神社
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鎮座地:高梁市中井町西方7207
由緒:当社は柴倉三座略記によれば、大同年中(806~810)玄賓僧都が巡錫中、森林の中から霊光が出ているのを不思議に思われ、ここに小祠をを設けられて本地仏を安置したのが創祀と伝えられている。もとは本尊として虚空蔵菩薩脇侍として千手観音と弁財天を祀っていたが、後にこの三尊の垂迹を大山祗尊、天兒屋根尊、木花咲耶姫尊とし、柴倉高安山三所大明神と称した。第101代後小松天皇御代、応永5年9月15日初勤静人大願主藤原右衛門が社殿を建立し、第107代正親町院御代天正6年戌寅9月18日御城主手庄口羽形部大元良御武運長久大願主柴倉対馬守が現在の本殿を再建する。天正4年に火災、天正6年に再建したが記録によれば大願主光林寺法印快順外8人その他氏子総代とあり、この大願主8人をもって八座として毎年9月の高岡神社例祭には順番で姫神子を三所大明神代神として馬に乗られて参詣したとある。神社の形態として実際に祭られたのは天正10年9月18日創建、神主安達民部則清、大工で大願主藤原右衛門長由とありこの時代と思われる。
御祭神:天兒屋根命、大山祇神、木花開耶姫命
民家から先があまり整備されてなく、結構急な坂道だが車で可能、無難なのは民家の手前まで車か?後で確認するが『熊野神社』からの道を進んでもOK!

320号まで引き返し北上、前方橋を渡って左折、320号を進んで行くと左手に鳥居、少し進んで広めの路肩に車を停め歩いて参詣、結構急な石段、先に進んだ処からの車参道が楽かも?
三座神社(三さじ神社)
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鎮座地:高梁市中井町西方1943
由緒、御祭神共に不明

元の処まで引き返し310号で北へ進んで行き『方谷園』、『中井小学校』先で地区の人に尋ねると中学校の跡地の裏側の山の中、前方の橋を渡り、グランドの西側へ、ここに車を停め歩いて参詣
御嶽神社
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鎮座地:高梁市中井町西方5022
由緒、御祭神共に不明

78号と310号が出会う先、木村前集会所奥の『御嶽神社:高梁市中井町津々1496』を全く忘れていた-失敗と後悔

更に北へ進んで行くと前方に78号、左折して78号を北へ進み前方正面の左手脇道を進む予定だが工事中で全面通行止め、諦めて78号を進み次の集落の中ほどV字路を引き返す感じで南へ進んで行くと前方右手に神社(此処で道路工事左折して神社を目指す-工事関係者の車両?が停められている)
天神社(入野天神社)
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鎮座地:高梁市中井町津々2695
由緒、御祭神共に不明

元の処まで引き返し78号を進んで行くと前方に鳥居、路肩へ車を停め参道を探す、畑を横切り参道にたどり着くが後で確認出来たが、かなり手前と、少し先の『北房カントリー入口』案内の反対側の南と東の二方向
八幡神社
11037page
鎮座地:高梁市中井町津々3520
由緒、御祭神共に不明

78号を更に進んで、前方左にカーブした先、78号が南にV字にカーブする処を左折して南へ進んだ先右手奥に鳥居が、路肩に車を停め歩いて
疫神社
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鎮座地:高梁市中井町津々
由緒、御祭神共に不明

78号まで引き返し、西へ少し進んだ先前方Y字路を左手に進み、突き当りを左折して進んだ左手、石柱と駐車場入り口、その先に鳥居と石段
岩山神社
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鎮座地:新見市豊永宇山625;高梁市中井町津々3334-1
由緒:当社は文治5年(1190)8月当村の住人西村助大夫が住民の繁栄しないのを憂いて鵜賀山村の中央に位置する高山岩岳森茂有名の地である現地に石凝姥命を祭神として勧請し岩山神社と祢へ住民神徳により大いに栄えと云われる。その後寛文年間(年月日不詳)社殿古文書焼失したので旧記を明らかにすることができない。その後寛文11年(1672)8月当村の住人家本三郎兵衛が再建する。寛政3年(1792)8月拝殿並びに上屋を建立する。共に当村の住人家本七兵衛が建立した。爾来氏子中の修繕に係る。明治初年宇山村村社となり同31年本殿並びに幣殿、拝殿、社務所改築を行う。当時の人夫1千人夫出歩したとの記録がある。明治42年9月無格社原茂峰八幡神社を始め11社を合祀し、昭和15年12月15日、皇紀2600年記念奉業として随神門新築した。昭和25年1月18日付にて境内宮有地譲与、昭和48年本殿屋根葺替す。昭和61年拝殿老朽に付き幣殿並びに社務所共に改築した。
御祭神:石凝姥命、譽田別命、天照皇大神、大國主命、猿田彦命、須佐男之命
氏子は新見市、場所は高梁市か?

これ以上進んで行くと北に行き過ぎる感じ、78号を引き返し、R313号、R180号で帰宅、少し帰り道を変えたが6時頃はやはり街中は非常に混んでいる。

神社巡り-高梁市北西

今日はまだかなりの未参詣神社があり、しかもこれまで走ってないところが多い高梁市の北西方向を目指す。昨日苦労して参詣神社を調査してPPで保存したが、何故かタブレットではファイルが見えない。遅くなりそうなので出かけるが、最近歳のせいで記憶力が落ちているし、今回廻る予定の地域はGoogle Mapが全く詳細でなく役に立たない、頼りになるのが航空写真だが、判断には難しい。
R130号からR313号へそして33号へと進んで行く

先ずは参詣忘れの神社、R130号からR313号へ進み、左手『ナフコ』の方へ左折して進み、前方の橋を渡り左折して進み前方右折した処の坂道を上った上(橋は8時から9時は投稿できないので一つ西側から、車は神社前、下の路肩へ)
神﨑神社
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鎮座地:高梁市玉川町玉140-2
由緒、御祭神ともに不明

R313号と33号の分岐点手前の左手、少し進むとV字に坂道、路肩に車を止め参詣、更に登っていく道があるが通行には難あり
不明神社
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鎮座地:高梁市川上町領家
由緒、御祭神ともに不明

R313号から33号を進んで行き、以前参詣した『川中神社』から西方向にある神社らしき建物を見つけ、引き返して橋を渡り、左折して進み、前方の空地へ車を止め、手前のV字の道を引き返し気味に進むと左手に
素盞嗚神社
12030page
鎮座地:高梁市備中町志藤用瀬908
由緒:不明
御祭神:素戔嗚大神
番地が合わない、赤い吊り橋を渡った西側?-再度確認が必要/仮決め

最初引き返して次の橋を渡り435号を進む予定であったが、思いのほか道が広そうなのでそのまま進んで行くと直ぐの右手に
不明神社
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鎮座地:高梁市備中町志藤用瀬
由緒、御祭神ともに不明

そのまま進んで行くと前方V字になった435号、当初予定の橋のあたりに車を止め、橋から真っ直ぐ進んだ少し左奥
天津神社
12037page
鎮座地:高梁市備中町長屋439-5
由緒、御祭神ともに不明

坂道を下って戻り橋近くの左手の道を進んだ先
國司神社
12034page
鎮座地:高梁市備中町長屋391
由緒、御祭神ともに不明

先ほどのV字カーブまで引き返し左手にとりジグザグに登って行く、ここもあまり走りたくない道、ほぼ登り切った先、435号が右に曲がる処を(夫婦岩の案内表示)直進してみちなりに進み、前方案内に従ってV字に左手に進むと広い「夫婦岩駐車場」、南側に神社
國司神社
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鎮座地:高梁市成羽町布寄
由緒、御祭神ともに不明
鬼の村夫婦岩神社
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鎮座地:高梁市成羽町布寄
由緒、御祭神ともに不明
流石、風光明媚な処、展望台に神社が、そして夫婦岩にも祠が

東へ進み前方で435号へ、少し進んだ処
早川代官墓碑と不明神社
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鎮座地:高梁市成羽町布寄
由緒、御祭神ともに不明

435号を更に北方向へ進み『中郵便局』側の路肩に車を停め、北へ、次に西へ進むとお寺が、その西北奥に
不明祠
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鎮座地:高梁市成羽町長地
由緒、御祭神ともに不明

郵便局前の435号を進むと少し先右手に436号、右折して進み、『布寄小』先を右折して進み、前方T字路を右折して進んで行くと右手に
諏訪神社
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鎮座地:高梁市成羽町長地672
由緒:当社の勧請年月等は不詳であるが、旧長地(おさじ)村の氏神として、永年崇敬されて来ている。口伝として、ある時本殿が火災に遭った際、氏子の1人がいち早く火災を発見し、近づいて見ると御神体が本殿の床下に落下していた為、袖抱えにして自宅まで捧持し、床の間に一時安置して丁重に奉斎した。やがて本殿が再建され御神体はもとの神社へ御鎮座になったとの逸話がある。
御祭神:御穗須須美命、八坂刀賣命

ゆっくりと引き返していると436号との中間の左手に
金刀比羅大神
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鎮座地:高梁市成羽町長地
由緒、御祭神共に不明

436号まで引き返し、右折して進んだ先の交差点(右手に札所?)の右手手前の道を右折して進む、下って登って行った右手、建物の裏手に鳥居
小坂神社
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鎮座地:高梁市成羽町相坂224
由緒:当社の創立年月は不詳である。明治6年1月10日村社に列格。昭和20年12月28日宗教法人令により宗教法人として設立。昭和27年1月9日宗教法人法により届け出。
御祭神:大山祇神

435号まで引き返し、435号を北へ進んで行き前方右にカーブして下って行った右手に鳥居、右手の道を右折して登って行くと左手に(道の手前で地元の人に確認-安心-この近辺には村ごとに神社があったらしく多いですと!)
御前神社
11059page
鎮座地:高梁市宇治町穴田1207
由緒、御祭神共に不明

435号を更に進んで行くと左手に『宇治高』、前方の300号を横切り突き当りを右折して進み、最初の道を左折して山裾を登って行くと左手に、少し先の空地に車を停め参詣-結構長い階段
大氏八幡神社
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鎮座地:高梁市宇治町宇治1490
由緒、御祭神共に不明

300号を北へ進み前方の『元仲田邸くらやしき』前の駐車場に車を停め西側山裾に見える鳥居を目指す-手前まで道幅は広く近くまで車で可能
清實八幡神社
11061page
鎮座地:高梁市宇治町本郷406
由緒、御祭神共に不明

上記神社から今度は東側の山の上に鳥居が、近くの人に聞くと、『元仲田邸くらやしき』の裏側の道を進み右手に進んで、ガードレールの見える道を登って行くと神社へ-麓の東側に参道があるが最近は地元の人も車で参詣、感じとして未整備、距離、勾配等を考慮し車で-民家の先で未舗装の山道、不安になり手前に車を停め歩くが、車で十分可能-道は当然悪いが!
若松神社
11058page
鎮座地:高梁市宇治町宇治1812
由緒、御祭神共に不明

ちょっと早い気がするが奥さんと食事の約束、遅くなると渋滞の可能性があるので帰宅することに-この辺りは全く分からないので車のナビの指示で帰宅!
(この付近は神社が多そう、しかしGoogle Mapが詳細でない!『高梁市役所 宇治地域市民センター』にいた人に聞いたが、若いお母さんで詳しくないが、平日は市の職員がおり多少詳しいのでは-もう一度整理検討が)

神社巡り-津山北東方面2

前回時間的な都合で中途半端に終わっているので、今回も続きで、しかし今回も出発の時間が遅くなってしまった。しかも北へ進むにしたがって何故か段々と曇ってきた。R53号で一気に津山北東方向へ、そして6号で更に北方向へ
6号を北へ進んで行き、因美線「美作加茂」の少し手前で前方右手に『ビューティーサロンフジ』手前を右折して線路を超えて進み、前方五差路、右側を直進し、前方Y字路左手の坂道を進むと右手に保育園、少し先のT字路付近に車を止め左折して神社を目指す-車で可能、左折して進んで行くと右手に階段、更に進んで行くと鳥居と車参道
加茂神社
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鎮座地:津山市加茂町公郷1399
由緒:本社はもと杉大明神と称し、古老の口碑によれば往古当地が苫北郡(後に東北条郡と改称)と称した時、一の宮と尊崇された。その後清和天皇の御代に早良親王御縁あって崇道天皇と改称する。明治6年2月、加茂神社と改称し郷社に列する。また、明治42年5月2日公郷上分字高場鎮座の熊野神社及び公郷下分字日野目鎮座の日吉神社を本神社に合祀した。明治15年境内裏山から発掘された青銅製の秋草双雀鏡(平安時代)は明治43年3月26日、加茂町指定文化財第1号に指定された。
御祭神:味鋤高日子根命、大山咋命、伊弉諾命、伊弉冉命
6号へ引き返し、6号を北へ進んで行き、前方左手に『加茂小学校』左折して橋を渡り直ぐ右折して進み神社手前に車を止め参詣
軒戸神社
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鎮座地:津山市加茂町塔中65
由緒:当社は和銅7年6月田渕村(現塔中)青尾山の麓の宮谷に鎮座し、加茂郷の鎮守として崇敬され加茂大宮と称したが、後に苫田大明神と改称した。元暦元年(1184)6月霖雨大洪水があり、青尾山が決壊し社殿を始め建造物が悉く流失した。その時御霊代も流されたが、神幸場所であった軒戸の松に掛かって難を逃れた。また、この水害により社記、旧記も全て流失した。再建の造営が加茂郷中で始まったが、最後まで奉仕を続けたのは塔中、小中原、桑原、小渕の四ヶ村であった。元暦元年苫田大明神は軒戸に遷座され、軒戸宮と改称された。安政3年12月16日軒戸神社と改称。明治6年郷社に列格し、同44年10月平野神社(桑原)、惣神社(小渕)、八幡神社(小中原)を合祀した。
御祭神:天照大神、豐受姫神、大己貴命、譽田別命、木花開耶姫命、足仲彦命、大鷦鷯命
この近くで出会った車の男性に気になっていた『倉見神社』へ車で行けることを確認、安心したので、近くの『金刀比羅神社』の参詣を忘れる-帰りに
橋を渡って進むと68号、左折後右折すると75号、さらに進んで行くと前方Y字路、右手に進み、336号を進んで行くと前方右手に神社の案内、路肩に車を止め歩いて右手未舗装の道を山際に進んで行くと-道は十分に広く、雨等で道が悪ければ手前か先方で回り込めばよい
子守宮
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鎮座地:津山市加茂町戸賀
由緒:子守様(かもの夜話から):戸賀の氏神様は、子守宮といいイザナギ・イザナミの夫婦神祭祀してある。むかしから嬰児の夜泣きに霊験があり、夜泣きのはげしい子を持ったものが、参詣して『お猿のぬいぐるみ』をお借りして帰り、子供の着物の襟につけ、御利益を得てお礼参り時に、『お猿のぬいぐるみ』を二つにしてお返しする。近時、霊験あらたかにして、参詣者が多くなってきています。秋の大祭は九月九日であり、冬祭りは十二月十日、神様所有の他にできた米で当番三軒で甘酒を作り、甘酒祭りをした。明治末期、神社合祀で塔中の軒戸神社に合祀したが、その後分離帰村して、もとの宮地に鎮座まします。今は、春の例祭は四月十日、秋の大祭は十月十日に執り行い、傘鉾の御神事があります。
御祭神:伊弉諾命、伊弉冉命
6号を北へ進み、橋を渡り直ぐ右折して進んだ先336号、336号をみちなりに進んで行くと黒木ダム、更に進んで行くとキャンプ場、さらに進むと336号は終わり、さらに進んで行くと前方左手に『越畑』表示と橋、渡った直ぐの民家の裏の道を右折して進むと左手に鳥居、少し進んだ先に未舗装の駐車場、車は元の路肩に停めたほうが賢明、神社裏にはまだ雪が少し残っている。
倉見神社
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鎮座地:津山市加茂町倉見491
由緒、御祭神共に不明
9号をまで戻り進んで行くと右手にカーブし東方向へ進む、次の集落で左折し進むと前方左にカーブする処の右手に細めの道、右折して進み、突き当り近くに車を止め、民家の裏側を目指す。
三室神社
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鎮座地:津山市加茂町青柳271
由緒、御祭神共に不明
北方向へ進んで行くと先ほどの広い道に出るので『金龍寺』過ぎて集落に入った辺りから左手を注視しながら進むと右手に鳥居らしきもの、引き返そうと思ったとき前方にも鳥居、そのまま進んで前方に進み、突き当り付近に車を止め、前方右手の細い道を進んで行くと右手木立の中に
不明祠
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鎮座地:津山市加茂町青柳
由緒、御祭神共に不明
先ほどの神社を探す気で西へ進んで行くと前方北側に鳥居、十字路の先のT字路を右折して進んだ左手
不明祠
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鎮座地:津山市加茂町青柳
由緒、御祭神共に不明
前記祠から南へ登っていく山道が見られ参道らしいが、念のため山際の集落の側の道を下り出会った人に神社名と参道を確認、神社左側に参道、そして先ほどの道はやはり車参道
青柳神社
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鎮座地:津山市加茂町青柳1519
由緒:本神社の創建由緒は不詳であるが、古人伝え云う。天平勝宝年中(七四九~五六年)直金を掘収したが失販し、片金山の柳神社に祈願したところ、金山彦命、天日筒男命を奉餐せよと告げられ、柳神社を相殿として宮殿を造り、社号を中山神社としたのが其の起源であると云われている。又、美作六十六社の一社であり、寛文八年(一六六八)に再建したとも云われている。「作陽誌」にも中山神社とあり外に国司大明神が祭られていたと云う。其の後、明治六年(一八七四)青柳神社と改称し、同九年、天照大神荒魂、金山彦命、天日筒男命を合祀して村社に列せられた。明治四十二年に大字青柳内の水分神社、経津主神社、伊勢神社、滝神社を合祀した。時の流れに依り、上加茂神社(現千盤神社)に合祀された。それ以前は現在地より上の段に双殿として奉齊されていた。現在の本殿は其の一つの宮殿であった。それ以来遥拝所となり昭和二十四年再び旧宮山に遷座奉賽される。平成六年十月、本殿、拝殿等老朽化が激しく、敷地を新しく造成し、本殿の修復、上屋・拝殿を氏子の浄財寄進等により造営する。
御祭神:天照大神荒魂、金山彦命、天日筒男命
ここで雨に降られ大変、もう帰ろうかとも思ったが、こんな遠くまで出かけているので天気の回復を祈り続けることに
6号まで戻り東へ、『知和』駅を過ぎ、因美線を越えた先右手に-前に駐車スペース-旧6号に大鳥居
千磐神社
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鎮座地:津山市加茂町知和343
由緒:本神社は、旧加茂村の知和にあり、知和の氏神である。創建年代は不詳であるが、矢筈城主の草刈氏の信仰が厚かった神社である。もとは王子権現と称し、素盞嗚命を祭神としていた。明治6年千磐神社と改称して村社に列せられ、同42年知和大津江の日吉・国司・大杖の三神社、青坂の矢筈神社、三才の中山神社、大宇禰の稲荷神社、山田口の塞神社を合祀した。大正2年に河井の河井神社、物見の天満神社、青柳の青柳神社、青柳字室尾の三室神社を合祀し、社号を上加茂神社と改称した。 昭和24年合祀した他の大字の4社は再び旧社跡に遷座して、上加茂神社も旧社号の千磐神社と改称した。
御祭神:素盞嗚神
6号を更に進んで行くと右手に『矢筈城址』案内、ここに『若宮神社』の記載、東へ進み前方208号を右折して進み『美作河井』駅へ、駅の西に『美作河井転車台』があり、その奥に
若宮神社
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鎮座地:津山市加茂町山下
由緒:天正の頃(一五八〇年代)のことである。矢筈城主達が退城したとき、その若君が、この地で非業な死を遂げて成佛せず、村人が附近を通ると、哀れな幼児の泣き声が聞こえていたので、祠を建て、その霊を慰めた。何時の頃からか、幼児の夜泣きを治めるのに、霊験顕たかと云われ、若宮様として、今も信仰されている。
御祭神:若宮様
駅の構内の案内に『草刈神社』の表示あり、駅から600mなのでこの神社も頭に(河井神社の末社)6号へ戻り、前方左折して118号を進んですぐの右手
河井神社
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鎮座地:津山市加茂町河井653
由緒:当社は矢筈城の東方守護神として特に信仰された神社である
御祭神:高雷龍神、息長帯比売命、誉田別命、玉依姫命、火産霊命
118号を北へ進んで行くと(ゆっくりと走らす)左手に鳥居と小高い丘、前方右に緩くカーブする手前のV字の坂道を登っていくと右手奥に
妙見宮
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鎮座地:津山市阿波
由緒、御祭神共に不明
さらに進んで『小高い丘』を探訪するが札所を兼ねた集会所、元の6号へ引き返す
6号を進み、右手にグランドと奥に阿波支所の通りを隔てた反対側奥に
八幡神社
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鎮座地:津山市阿波1479
由緒:慶雲二年(七〇五年)大ケ山の東麓字小宮(現在の米山)に鴨神社(祭神、加茂味咀高彦根命)が創祀され、その後大同元年(八〇六年)筑紫の国(大分県)宇佐八幡の分霊を勧請し合祀して八幡宮と称して現在の地、位登山に移遷される。弘治四年(一五五八年)出雲の国主尼子晴久は、中国経略に際して戦勝祈願のためこの社殿を焼き払いその後戦勝奉餐のため再建した。当時の社殿は、四件四間、高さ三間一尺五寸あり、矢筈城主草苅景継は鬼門鎮護として社領を寄進し津山城主、森忠政も艮の鎮護とするなど加茂三ケ庄の大宮として崇められていた。現在の本殿は、寛延二年(一七四九年)氏子中により再建されたものである。
御祭神:誉田別命、足仲彦命、息長足媛命
岡山にいて知らなかったが「阿波」は『あば』と読むらしい
再び6号まで引き返し、東へ進み、姫新線と離れて少し行った左手、広場の奥
物見神社
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鎮座地:津山市加茂町物見214
由緒、御祭神共に不明
天気に祟られ憂鬱な日だったが、予定の最遠の処まで到着、忘れた神社を参詣し帰宅することに
6号を加茂小中の処まで引き返し、更に進んで前方の橋を右折して渡り、一つ先をさらに右折して進んで行くと5本目の道に鳥居、左折して進んで行くと右手に階段
金刀比羅神社
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鎮座地:津山市加茂町中原899
由緒、御祭神共に不明(境内に説明掲示あり)
未確認だが車で参詣可能、とんでもなく登っていく必要あり
再び6号まで引き返し、前回途中だった続きなので前方左折して450号を進み前方大きく南へカーブした先の左V字を登って行った先
山神宮
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鎮座地:津山市奥津川
由緒、御祭神共に不明
1時間早く出て、日本原方面の神社を廻ればグッドだった。今回450号は『雪のため通行止』の案内が出ていたので、今更雪は無いだろうが何か問題が?
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