連休は人が多いので基本的に出かけないことにしているが、あまりにも天気がいいので思い切って出掛けることに!
車のナビで『醍醐の里』を設定すると、R53号から72号へ、前方でR429号で北へ進み、右折後直進して31号を進み前方右折して66号で北へ、R313号へ近付く手前の山中で目的の神社への参道を探しながら下って行ったが見つからなかったので、右手山際にお寺が見える処のY字路で出会った地元の人に尋ねると「このY字路を右手に進んで行き、前方を右手に進みその先を左手に進んだかなり先、車(軽トラック)で行ったと云う話を聞いた程度」との事、この状況ではかなり不安だが取り敢えず進んで行く、直ぐ正面のY字路を右手に進み、左手の山の裾のY字路を右に進み、集落の外れあたりの道脇に社、その手前の家の人に道を尋ねると、行けないことはないが路肩が崩れたりした処もあるので危険?軽トラックで連れていってくれることに、前方のY字路を右手川沿いに進んで行く、かなり進んだ先に広場、ここから歩いて参詣、渓谷の中にある神社、大雪の時一度社が潰され建替えたとの事、鳥居も、
山神社
由緒、御祭神共に不明
小さくても普通の車では無理、未舗装で、枯れ木が道に、そして道の真ん中で車の底へ当たりそうなうえに路肩が不安、連れて行ってもらって本当に助かった!
近くにあるもう一社にも連れて行ってもらう、先ほどのY字路を左手に進んだ先の左手(この道は『普門寺』に至る道のようで意外と安心、しかしこの道を使用してのコースはやめた方が無難)
杵竿明神社
由緒、御祭神共に不明
66号まで引き返し、前方左折してR313号へ出て、少し北へ左手の橋を渡り右折して進んだ左手に鳥居、土手上の広い処へ車停め歩いて参詣-西側に広い駐車場と車参道-未確認
鹿田八幡神社
由緒:当社は天文5年の創建と伝えられ、明治14年村社に列格した。大正2年12月18日白滝神社、片山神社、大正3年10月27日稲荷神社、竹谷神社、同年11月15日愛宕神社、菅原神社を合祀した。
御祭神:譽田別尊、火産靈神、倉稻魂命、高オカミ神、大山津見神、月夜見尊、菅原道眞
このまま北へ進んで次の神社を目指す予定だったが、先ほどR313号へ出た処に藤の荒神社の標識が気になり引き返し、橋を渡ってR313号を横切って直進して進み川沿いに車を停め参詣-何故かRNCのテレビカメラマンが、わざわざロケーション位置を教えていた
旦荒神社
由緒、御祭神共に不明
せっかくだから『醍醐の里』に立ち寄りマップを探すが見当たらない、『鹿田の文化財マップ』の掲示板はあったのだが
R313号を北へ進んで行き、前方左手に『木山寺』の標識を左折して橋を渡り、交差点を右折(木山寺方向)、自動車道を潜った先の左手に石燈篭と石柱(難波酒店の川向う)、路肩に車を停め前方左手の森を目指す-北方向に車参道-未確認
八幡神社
由緒、御祭神共に不明
川沿いに進んで行き日野上へ、地図上で近道を考え、直進して分校前を左折して進み、前方のY字路を右折して坂道を登って行っていたが途中で出会った人に「この道は急すぎて無理、東側の広い道を廻り込んで進むべき」と言われ元の道へ、かなり曲りくねって進んで行くと前方左手に『八幡神社・コミュニティ広場』の標識、右折して登って行くと左手に広場とその奥に神社
八幡神社(日野上護国神社)
由緒、御祭神共に不明
鳥居の前に参道らしきもの無し、昔はどうしていたのか?
山道を進み月田へ出るか元へ戻るか?悩んだが民家の少ない山道は不安、R313号から84号を進むこれまでのコース、未参詣の神社を廻りながら進んで行く
R313号を右折して84号へ、直進して川沿いに進み前方の橋を渡り、左折して広い道を右カーブして進んで行った右手、路肩に車を停め参詣
不明神社
由緒、御祭神共に不明
川沿いに北方向へ直進して84号へ戻り、先に進んだ先橋を渡ったところにあった『かげや鮮魚』で以前分からなかった「山祇神社:真庭市関1734」を尋ねるがまるで分らない、やはり地区の人を探すべきか?-今回はパス
84号を月田まで進み左折して32号へ、前方「月田本」で右折して山道を進む予定だったが工事で全面通行止め、先に進み次の道を右折(桜本寺方向)して北へ、前方のT字路を右折して進み突き当りを右折して少し進んだ路肩へ車を停め、右手山道を登った先-出会った人に聞いて確認、次の『有宗神社』への道も教えられ、筍もいただく
武内神社
由緒、御祭神共に不明
神社前の道を北方向へ進み、前方『大平集会所』先を左折して進んで行くと右手に
14004_有宗神社
鎮座地:真庭市後谷畝1658
由緒、御祭神共に不明
此処からのコースで再度悩む!広い道を北へ進んで行くと前方に459号に左折して459号を進み前方の十字路を左折して坂道を下って行くと前方左手に橋とその奥に神社
三輪講神社
由緒、御祭神共に不明
更に北へ進んで行くことも考えたが多分時間的に無理をしないことに(夕方約束が)、神社前の道を何も考えずに下って行くと左手川向うに鳥居と広場
後谷神社
由緒:本社の勧請は和銅3年(710)歳司(せいし)大明神として安信の宮屋敷に奉祀した。宝亀11年(780)8月18日に現在地に遷座、井原3ヶ荘4所大明神の1つとして維新前までは歳司大明神と称したが、明治3年後谷神社と改称し、明治6年村社に列せられる。尚、大正9年に大字後谷地内の御崎、宗守、素崎の3社と稲荷3柱の4社を名目合併している。
御祭神:天種子命
すぐ先の右手奥に
不明神社
由緒、御祭神共に不明
神社横の広い道を南へ下って行くと最初32号から入った地点に、前方トンネルを過ぎた先を右折して川沿いに進んで行くと前方右手に『八幡寺』、その手前に鳥居
鎮守八幡宮
由緒:当社は九州宇佐八幡宮の御分社なり。御神体は應神天皇神功皇后武内宿禰を合祀せし三社八幡宮にして別宮山愛染院八幡寺の鎮守なり。應永九年本山城主源修理亮秋行公再建し奉る。桃山時代までは別宮山頂に在りしが寛文九年現在地に下山する。享保末期社殿退廃し三度建立せり、元文二年稀有の火災に遭い社殿悉く焼失せりといえども御神体は無事御避難遊ばされたり、七年後寛保四年備中の国大井野の古社を移柱して再四建築奉祀爾来明治大正昭和平成の今日まで永く当山の鎮守として神威矍鑠たること明らかなり・・・
御祭神:應神天皇、神功皇后、武内宿禰
32号をへ戻り、北へ進み、『宮原』駅の更に先、高架の手前に車を停め歩いて左下の神社を目指す-車でも行けるが面倒
八幡神社
由緒、御祭神共に不明
今日は此処までにして引き返す、その前にもう一社参詣して帰ることに!
32号を南へ下り前方右折して320号を進んで行くと右手に鳥居と階段、路肩へ車を停め参詣
井原神社
由緒、御祭神共に不明
朝と逆のコースで帰宅、連休中にも拘らず意外とスムースに!!