岡山県内神社巡り(メイン)

片っぱしらからの神社巡り

2016年04月

神社巡り-井原市芳井町方面そして高梁市へその2

本日も岡山県の北西部?-井原市の北、芳井町を目指す、R180号から270号、R486号から井原市へ、R313号で北上する。R180号、R313号、R486号でおにぎりの形状をしており、真横には進みにくいので場所によっては何処を通って行くか悩むところ

R313号を北上し、芳井町で小田川を渡り北へ進み『竜頭ノ滝』の先、左手の川向うに鳥居、左折して橋を渡り右折して進む-鳥居横に駐車場
八幡神社
09136page
鎮座地:井原市芳井町宇戸川2169
由緒、御祭神共に不明
あまり使用されて無い感じの急な長い石段、やはり北側から回り込む車参道(未確認)-階段の途中に小学校址の碑が、そして鳥居横には芳井農協の碑が

先ほどの芳井町の橋まで引き返し右折して川沿いに297号を進むと直ぐに山中へ、どんどん進んで行くと『明治ごんぼう村ふるさと市場』近くで左手上方に神社らしき建物が、『明治郵便局』先を左折して坂道を登り、明治小前に車を停め左手幼稚園の裏側を目指す-小学校西からが参道?結構立派な神社?非常に正体不明!
不明神社
x1275page
鎮座地:井原市芳井町種
由緒、御祭神共に不明

少し297号を進み前方右手の斜めの道を進んだ先、前に空地
八幡神社
09149page
鎮座地:井原市芳井町種1200
由緒、御祭神共に不明

297号を更に進み、前方左折して298号を進み、前方「高梁市」の市境の処をV字に左折して(池谷方向)進んで行くと坂道を登りきった先、右手に-路肩に車を停めて歩いたが、神社前にUターンスペース在り
山神社
09148page
鎮座地:井原市芳井町池谷535
由緒、御祭神共に不明

更に南へ進み前方Y字路を右手細い道を進んで行き、前方Y字路を左手、次のY字路を右手に進んだ突き当り-最後のY字路で悩んだが距離があるので車で、一寸しんどい道だった
杵築神社
09145page
鎮座地:井原市芳井町池谷1182
由緒、御祭神共に不明

先ほどの「高梁市」市境まで引き返し前方坂道を下った先の右手に
荒神社
x1276page
鎮座地:高梁市川上町仁賀
由緒、御祭神共に不明

更に進んで行くと右手に鳥居、前方のY字路を右手にとり、北西から廻り込む-横手に空地あり
大神社(大山両宮)
12024page
鎮座地:高梁市川上町仁賀8376
由緒:本神社の創立は不詳であるが、旧記によると屋敷3畝16歩、境内地2反歩は古来から除地となっている。古来、大神宮、大神大明神等の記録があるが、神道裁許状には大神大明神とある。明治初年神仏分離の際に大神社と改称した。昭和16年7月25日に幣殿を建築した。同19年11月に村社に列格した。
御祭神:大山祇命、大己貴命

元の道を進んで行くと前方小さな森とY字路、此処に車を停め歩いたが、神社前に空地あり
八幡神社
09153page
井原市芳井町佐屋576
由緒、御祭神共に不明

荒神社の処まで引き返し298号で北へ、突き当りを右折して進み前方Y字路を無難に右手、その先の三叉路を左手(中道寺)に進んで行くと左手に
不明神社
x1277page
鎮座地:高梁市川上町仁賀
由緒、御祭神共に不明

少し先にあるT字路(山室酒店先)を右折して進むと右手に広場と桜祭りの提灯、反対側も見ると神社が、引き返し前方左手の細い道を登って行くと右手に、神社前に空地
不明神社
x1278page
鎮座地:高梁市川上町仁賀
由緒、御祭神共に不明

引き返し最初の道を東方向へみちなりに進み前方交差点を右手に進んで行くと前方右手に
大岩山神社
x1279page
鎮座地:高梁市川上町仁賀
由緒、御祭神共に不明

かなり曲りくねって進むが前方右手に『大谷八幡神社』その先に297号、左折して進んで行くと前方橋を渡った先左手丘の上に、路肩に車を停め
國司神社
x1280page
鎮座地:高梁市川上町地頭
由緒、御祭神共に不明

引き返し、前方右折して77号を進み前方直進して294号を進み「沢柳の滝」の先、V字右方向に473号の坂道を登りみちなりに曲りくねって進んで行くと前方に鳥居、左から廻り込んで参詣-旭川荘の車と多人数で清掃活動、この近くにも施設があるよう
榊山八幡神社
12022page
鎮座地:高梁市川上町上大竹967
由緒:当社の創建年月は不明であるが、明徳元年(1390)庚午年12月社殿を改築し、社号を八幡宮と称した。天正12年12月小早川隆景が備中手の庄の国吉城主三村左京太夫を攻めたとき当社を陣屋とし、戦勝を神助の賜と、神社に修築費として金千疋を奉納した。また、領主山城甲斐守の崇敬が篤く、代々領地巡視の際には当社に宿泊し、幣帛を供進した。明治33年7月拝殿屋根の葺き替え、同44年11月水分神社外2社を合祀した。大正6年土月幣殿及び廊下を建築し、同9年9月神饌幣帛料供進神社に指定された。昭和13年11月本殿屋根葺き替え、幣、拝殿を改修した。
御祭神:天照皇大神、応神天皇
この地域から294号の先にある『大竹ダム』行く道を聞くが引き返した方が無難、道はあるがストリートビューの表示がないので問題か?

294号を進み前方Y字路を右手に、直進して進み、前方交差点を右手にとりダムへ、ダムを渡り先ある神社を
上谷荒神社(大竹ダム)
x1281page
鎮座地:高梁市川上町上大竹
由緒、御祭神共に不明

のんびりと引き返し、前回参道が分からなかった『由賀神社』を探す、前方右手『高梁市川上公民館上大竹分館』前の公園でゲートボールをしたいた人に参道を教えてもらい、参道近くで会った確認-前方右折して298号へ、すぐ先のY字路左折して左折して細い山道を進む-車で通行可能と確認が取れているので気は楽(知らなかったら歩くと思う)
由賀神社
x1282page
鎮座地:高梁市川上町上大竹
由緒、御祭神共に不明

77号まで引き返し、川上町でR313号へ、右折して下って行きトンネルを出て直ぐの左手
八幡神社(槇山八幡)
12019page
鎮座地:高梁市川上町三沢1648
由緒、御祭神共に不明

ここでこれから如何するか少し悩むが、近くの山中の神社を

どの経路がベターかよく分からないがR313号を南へ、最初の右手の坂道を通り過ぎ次も通り過ぎ、後ろの車を確認してトロトロと走り、前方右手の橋を渡り直ぐ、右手の坂道を登って行き、突き当りを左折、すぐ先を右折して進んで行き前方の民家の横の空地に車を停め歩いて参詣することに-この道を進むにつれて不安になる、誰かに確認出来れば良いのだが-民家の前の道を進み突き当り手前の坂道を登って行くと神社へ-舗装はされいるがかなり急な坂道、車では登りも難しく、降りる時も多分前が見難くシンドイが歩いた方が賢明!
天津神社
x1283page
鎮座地:高梁市川上町三沢
由緒、御祭神共に不明

少し距離があるが高低差は無いようなので歩いて参詣-車を取りに降りるわけにはいかない-この道は一部舗装されているがやはり歩いた方が賢明
木山神社
x1284page
鎮座地:高梁市川上町三沢
由緒、御祭神共に不明
両神社の中間位に斜めに降りる山道在り、此処から丁度車を停めた位置に降りれる。最後にそこそこの運動、ここで本日の神社巡りは中止、

車のカーナビで最短コースで帰宅-R313号を下り、前方左折して77号へ
166号で北東へ、水内橋を渡りR180号へ、今回は245号で庭瀬方向へ、新幹線沿いに帰宅、意外とスムース、このコースはベターか!
美星町で408号で矢掛へ出るコースの検討も

神社巡り番外編-沙弥島・丸亀方面

月に一度の奥さんへの奉仕の日、今回は『瀬戸内国際芸術祭』に絡め、沙弥島会場と丸亀の『骨付鳥一鶴』へ、時間的には余裕があり本来なら神社巡りもたっぷり出来るはずだが奥さんにその趣味がないので無理!
朝はゆっくり出発、『岡山パン工房』で遅い朝食、のんびりと車を走らせ、早島ICから瀬戸内中央自動車道で四国坂出へ、瀬戸大橋も開通時に比較すれば随分と安くなっている。坂出北インターで降り、直ぐに左折して進み前方の信号を左折して186号を進み、前方高速下を右手にとり192号で『沙弥』方向へ、192号と別れて北上した先を左折、右折して今度は高速の西側を北上し、案内表示に従い左折して進むと駐車場へ、『県立東山魁夷せとうち美術館』前を西へ進んで行くと集落と小さな港。その脇に
えびす神社
762-0066-3page
鎮座地:香川県坂出市沙弥島
由緒、御祭神共に不明

暫く付き合っていたが、近くにある神社に参詣、『坂出市万葉会館』の南東方向(沙弥島への入り口)へ、進んで行くと右手に鳥居
金刀比羅神社(2008)
762-0066-1page
鎮座地:香川県坂出市沙弥島
由緒、御祭神共に不明
元は分からないが綺麗に整備されている、先ほどの美術館といい架橋に係わる恩恵か?

次いで先ほどの港の北側の小山の中にある神社を
三宝荒神社
762-0066-2page
鎮座地:香川県坂出市沙弥15
由緒、御祭神共に不明

問題の瀬戸内芸術祭に関しては印象は小粒?、少し会場が狭いか?

奥さんの好きな『骨付鳥一鶴』へ、他の場所にもあるあるようだが川の側でワンコに涼しそうな「骨付鳥一鶴土器川店」へ、着くと何か店が閉まっている感じ、以前はずっと営業していたと思ったが今は4時から、時間つぶしに近辺をブラブラ、よく分からないが丸亀城の南にある『山北八幡宮』を目指す、土地勘の無い処での運転は疲れる、33号から城の西側を南へ、前方を左手の204号を進み、左折して神社を目指す。場所がはっきりせず、カーナビ設定、入力ミスかとんでもない方向へ、11号から城の真南から北上すると左手に鳥居、右手に駐車場、北上すると城の南側に大鳥居、
山北八幡宮(3001)
763-0072page
鎮座地:香川県丸亀市山北町570
由緒:山北八幡宮と奉称せられ旧丸亀市の産土神なり。宝暦の社記によれば当社往昔は、船山に鎮座ありて船山大明神と奉称せられしが、船山後に亀山と称せらるるに至り。隋って亀山大明神と称せらるるに至れりとありて、伝うる所によれば、往古亀山は船山又は波越大と称せられ、海潮山のふち迄満ち来りしを以てこの山に於て船を造り又修理せしより船山と称したり。後年この沖に大亀来たりしを捕らえて朝廷に献ず。爾来沖を丸亀沖と称し山を亀山と称するに至れりと言う。三代實録に「元慶五年十一月十四日戊午授讃岐国正六位上船山神従五位下」とあるは当社なりと言えり。道隆寺温故記には延久五年秋八月裕善法印勅を奉じて当社外四ケ處に八幡宮を創建すとあり。(中津、山北、葛原、三井、堀江)又應保年間崇徳天皇鵜足郡亀山の北に登り給い(亀山古くは鵜足郡に属せしと)遙に山城国雄徳山の大神を拝し給う。依てその跡に小祠を営み山北八幡宮と奉称すとも言う。
永仁五年遷宮、貞治三年遷宮のこと温故記に見ゆ。 或は貞治元年海崎元村再興すとも言えり。慶長七年国主生駒一正西讃鎮護の為め亀山に築城し、故を以て当社を柞原郷王子森に遷座して社殿を造営し神領十六石を寄進す。然れども社郷は山北八幡宮と唱え奉れり。 寛永十八年山崎家治封を西讃にうけ丸亀に居城するや社殿を修して候社となし、京極氏丸亀藩主となるに及びて亦厚く崇敬せり。丸亀は、生駒氏築城以来追々繁栄して西讃の主要地となり。当社遷宮後も丸亀は、当社氏子として今日に及べり。而して亀山の鎮座地は明治六年兵営建設の際取り除かれて、その跡を失うに至れり。
御祭神:品陀和気尊、息長帯姫命、玉依姫命

本当は一人ならもっと神社巡りをしたいがワンコもいるし無理、丸亀城で時間をつぶす(読書)
後は骨付き鳥を食べ、真っ直ぐに帰るのみ!

神社巡り-久米郡近辺

また天気の悪い日が続きそう、急遽出掛けることに、土曜日と桜のシーズン、一寸嫌な感じはするが出かけることに!27号で北上し、ドイツの森の先でR484号を経て52号で北上、前方T字路を右折して進み(天文台の反対方向)日吉神社の先、東岡山変電所前を東へ進み、少し先を左折して北方向へ、前方Y字路を左手にとり北方向へ進み、前方中継塔の手前の交差点に車を停め、右手の道を下って行くと前方に(車で十分可能)-中継塔が目印になるが常に見えているわけではない-菊ヶ峠先でオートキャンプ場方向へ進み変電所前で合流-こちらの方が良い?
素盞嗚神社
07067page
鎮座地:赤磐市戸津野996
由緒:当神社は其の昔神代の頃素盞嗚之尊 妖蛇を御退治の後御佩ぎ給ひたる御劍を山方血洗の瀑布にて御洗滌の上当社に御納めありたり故を以て字名を剣山と古来口碑に傳はれり
事由:往古より御免地参畝歩字京免と謂ふ地名現に傳はれり
御祭神:素盞嗚命

52号まで引き返し北西方向へ進み、前方左にカーブする処の前方右手下側に、52号の路肩へ車停め参詣-あまり広くないが車でも可能
八幡神社
17041page
鎮座地:久米郡久米南町全間1050
由緒、御祭神共に不明

52号を更に進んで行くと265号へ出る手前左手に-二桁の県道でも意外と狭い最も一部ではあるが
稻荷神社
17043page
鎮座地:久米郡久米南町全間96
由緒、御祭神共に不明

52号を更に進んで行くとR53号へ、右折して北へ進み、前方右折して373号を西へ進む、前方十字路を左折して「陰地」方向へ、少し先の右手に、手前に駐車スペース-実際は手前に駐車
素鵞神社
17040page
鎮座地:久米郡久米南町松760
由緒、御祭神共に不明

分かり難いので一旦R53号へ戻り、R53号を北へ進み、『誕生寺』信号で左折して東へ、支援学校前を道なりに進み前方T字路を左折して進んだ先坂道途中にT字路の案内と『天津神社』の案内、路肩に車を停め歩いて参詣-針金を張って車が通れないようにしている-最もとても普通の車が通れる道ではない-未舗装の道でかなり急な坂道に加え距離も、未確認だが北側からの道が車でも可能か?
天津神社
17059page
鎮座地:久米郡久米南町山ノ城557
由緒、御祭神共に不明

ここで今回も失敗、R53号まで引き返し、53号を横切って『誕生寺』前を通ればよかったのだが373号とR53号が交差してなかったで勘違いして北上!、先に『磐筒神社』の参詣を

R53号から小原先「信号の少し先」で左折して直進し、前方を右にカーブして進み、前方坂道を登って行くと池の土手へ、左折して進んで行き前方T字路を左折、前方Y字路を左手に登って行くと左にカーブする処、右手に坂道、歩いて前方を確認後、右折、直ぐのY字路を左手に進んで行くと神社の手前に広場と急な坂道、此処に車を停め歩いて参詣、附近は木材の伐採作業中で路面はかなり壊されている、どうもキャタピラー付きの車のせいか(『頼元』の方向を目指し、間ノ宮山を東北から目指す-車10台駐車可となっているが神社前の坂道はかなり急)
磐筒神社
17056page
鎮座地:久米郡美咲町頼元325
由緒:当社は、和銅6年現在の地に遷座したと伝えられている。口碑によると、往昔神萬山の峯頂で笛を吹く音が17日間も続き、ついに神形が2、3の石と化し、石笛の音を発したので、人々は奇異に思い山の名を笛吹山と改称して社殿を増築し、この石を奉祀した。これが本神社の創建でである。古来郷内一宮と称した。明治43年3月神饌幣帛料供進神社に指定された。
御祭神:稚日女尊

馬鹿なことだがR53号を引き返し誕生寺へ、お寺前を通り373号を進んで行くと前方右手に鳥居と桜、右折して直ぐ左手の坂道を登って行くと正面に-駐車スペース十分
北山神社
17061page
鎮座地:久米郡久米南町北庄3875
由緒:本神社の創立年代は詳らかではないが古来三所権現と称し、創建は口碑や中世の記録によれば文治年間、紀伊の熊野本宮から勧請したものである。明治2年に北山三社宮と改称し、更に同10年に村社、北山神社と改めた。大正13年1月郷社に列格。和名類聚抄によると、美作古社112社のうち加茂郷の五の宮の1社である。本殿は元禄5年と昭和45年に、拝殿は大正11年にそれぞれ再建された。神社の鎮座する山王寺山の頂きには、高さ約20メートル、柱の直径約1、5メートルの大鳥居が、神社の森厳さを加へて聳え立ち、遠近の目印となっている。また、ここは法然上人生誕ゆかりの神社でもある。子宝に恵まれなかった時国、秦氏君夫妻が祈願を込めたと伝えられる頃は、神仏混淆の時代で、いわゆる高峰権現と善法寺が同居していたと思われる。神社には時国夫妻が奉納したと伝えられる掛仏、崇拝したと伝えられる木像が秘蔵されている。境内からは布目瓦が盛んに出る。瓦に繊維を入れて焼いたもので、絹を織った秦氏君と結びつけたくなる資料でもある。いま神社に立つと、間近に久米の押領使の役所の跡、漆間とゆかりの賀茂神社、そして遠くに岩間山がそびえている。時は流れ世相は変わるけれども、産土神は変わることなく、千古の歴史と、土地と人との因縁を深く包蔵し、静かに山王寺山の頂きに鎮座している。
御祭神:速玉男命、事解男命、伊弉諾命

本日二回目の失敗談、R53号を北上し『加美小』の東へ進むと目的とする『新城の八幡神社』の予定、学校の南側へ進んだため通行が困難な山道、やっと出れた広い道、間違えて南へ進んだため前回も迷った『17054_小原神社:久米郡美咲町小原866』に当然ながら参詣済か分からなくなる、念のため参詣後、神社西側の山道を北東方向へ進んで行きやっと352号へ、集落へ入った右手にある『新城公会堂』前に車を停め、坂道を登って行き、左手の神社らしき場所へ進んで行く-少し分かり難いが狭い地域と、地元の人しか難しいが車道あり(前に駐車場)
八幡神社
17053page
鎮座地:久米郡美咲町新城153
由緒、御祭神共に不明

時間的まだ早いし、天気ももちそうなので更に神社巡りを続けることに、北東方向の『長原ダム』、その先の『十二社神社:久米郡美咲町八神』を目指すことに!
先ほど352号と出会った地点の少し先から左折してダムを目指して進むがダム手前付近から非常に道幅が狭くなり非常に不安に、出会った人に『八神』方向の生きやすい道を尋ねる!引き返した先にある左手の橋を渡りみちなりに進み突き当りを左折して進み中継塔の先を右手に進んで行くと集落に入る手前の左手に、
十二社神社
x1269page
鎮座地:久米郡美咲町八神
由緒、御祭神共に不明
この時初めて知ったのだが「八神」は「ねりがみ」と読むようだ

かなり吉井川に近づいたので東岸の未参詣神社を目指し、25号の南へ-先ずは前方を右折してみちなりに進んで行くと26号と吉井川に、右折して川沿いに南へ、前方左折して52号で橋をわたり直ぐに右折して進み、前方橋の処の道を右折、直ぐのY字路を右手に、その先をV字に右手に進み前方Y字路左手の直ぐの左、路肩へ車を停め参詣
木山神社
x1270page
鎮座地:久米郡美咲町連石
由緒、御祭神共に不明

右手の道を下り、その先坂道を登って進んで行き、前方の広い道を右手に進んで行き前方のY字路を右手に下って行くと前方に「柵原中」等の案内表示、本当は曇り空の中、曲がりくねった道を進んでいるので方向感覚ゼロ、この近くにあるのだが参道は全く見当たらない、散々方向を間違えた後、中学校の方向が南西なので反対の北東方向へ、突き当りに車を停めて、右手に進み墓地横を左折して進んで行くと右手に-車で行くべきか道は広く問題ない
連石神社
17008page
鎮座地:久米郡美咲町連石1103
由緒、御祭神共に不明

西方向へ広い道をみちなりに進んで行くと前方に379号、右折して南へ前方349号を左折して進みゴルフ場の少し先、右折して進むと左手に鳥居、鳥居を潜って車で可能だが念のため手前の路肩へ車を停め参詣-この近辺も二度目大体覚えている(参詣方向が同じのせいか)
八幡神社
17004page
鎮座地:久米郡美咲町塩気226
由緒、御祭神共に不明

349号まで引き返し、更に379号で南へ、直進して379号でゴルフ場の南側を進み、前方Y字路を左手に登って行き、前方上に墓地が見える下側に車停め、南側から歩いて参詣、最初の道は車で可能のようだが急勾配なので止める
高尾神社
17007page
鎮座地:久米郡美咲町吉留159
由緒、御祭神共に不明

349号まで引き返し、左折して349号を進み、右にカーブした右手に
稚児神社(稚児宮)
x1271page
鎮座地:久米郡美咲町藤田上
由緒、御祭神共に不明

349号を下って行き前方の橋を渡り右折して26号を進み『津山圏域消防組合消防署柵原(出)』の手前を左折、関東化学の東側を右折して進んだ裏側右手に
八幡神社
17047page
鎮座地:久米郡美咲町藤原139
由緒、御祭神共に不明

思っていたほど天気は好くなく、参詣順を間違えたり、強引に狭い山道を無駄に進んだせいで思ったより時間を取られている。吉井川の西側はまだ全面通行止め、26号経由で周匝へこれまでと同じように赤磐市経由で帰宅、一度は登ってみようと思っているが『吉井城』ほ満開の桜に囲まれていた。
ギャラリー
  • 神社廻り-福山北西方面
  • 神社廻り-福山北西方面
  • 神社廻り-福山北西方面
  • 神社廻り-福山北西方面
  • 神社廻り-福山北西方面
  • 神社廻り-福山北西方面
  • 神社廻り-福山北西方面
  • 神社廻り-福山北西方面
  • 神社廻り-福山北西方面