岡山県内神社巡り(メイン)

片っぱしらからの神社巡り

2016年05月

神社巡り-高梁市西方向その3

天気は悪いが急遽出掛けることに、先日の続きというより、先ず高梁方面へ!
R180号、R313号、33号で備中中へ、その先で左折して438号を登って進んで行くと、前方右手にY字路、右手の坂道を下ると、直ぐの左手に『桃太郎資料館』その先正面に
桃太郎神社
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鎮座地:高梁市備中町東油野
由緒、御祭神共に不明
まあ!御愛嬌!

438号を更に進んで行くと
不明祠
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鎮座地:高梁市備中町東油野
由緒、御祭神共に不明

438号を更に西へ進んで行き、前方T字路を右折して進み、前方左手Y字路処へ車を停め歩いて参詣、直ぐのY字路どちらを進んでもかまわない
平田山八幡神社
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鎮座地:高梁市備中町東油野2244
由緒、御祭神共に不明

車迄引き返し、更に進んで行くと438号へ出る手前右手奥に、右折して進んで行くと正面に、手前右手の民家でUターンしたが左手の道が境内へ至るようである。
小旗山八幡神社
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鎮座地:高梁市備中町西油野98
由緒、御祭神共に不明

438号へ戻り、左折する処を直進しみちなりに進んで行くと(かなりの距離)前方に『天神山』の案内(手前途中の案内は登山道)を右折して進み、前方Y字路を右手に進んで行くと前方に(手前で舗装は終わり-結構広い道)
天満神社
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鎮座地:高梁市備中町西油野878
由緒、御祭神共に不明

西方向の道を見つけ438号へ出れる道はあると思うが、無難に元まで引き返し、438号が北へ進む処を直進し、前方交差点を左手に進み前方Y字路を右手に進んで行くと右手に『奥郷集会所』その先で出会った人に教えてもらうが最初の右折する処を見落とした感じ、どんどん進み前方Y字路をV字に右手の道を進み前方Y字路付近に車を停め、左手に進んで行き前方左手のコンクリートの道を進んで行くと右手に石柱、その間を登って行く(右側に未舗装の車道)
愛宕神社
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鎮座地:高梁市備中町西油野
由緒、御祭神共に不明
八坂神社と間違えたため分かった神社

引き返し左手の見落としたビニールハウスの進んで行くと右手に神社、曲がりくねって進んで行くと神社の裏側に
八坂神社
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鎮座地:高梁市備中町西油野1662
由緒、御祭神共に不明

438号を北西方向へひたすら進んで行くと前方にT字路、左手の空地に車を停め歩いて前方の未舗装の道を進んで行った左手(車でも可能だが道が悪い)
高岩神社
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鎮座地:高梁市備中町西山
由緒、御祭神共に不明
本当に近くに人家の無い三百番代の県道は狭くて走り難い、これまで長い距離を走ると本当に疲れる。

更に438号を進み前方Y字路を右手北方向へ進み左折した先の右手車参道、道路脇に駐車場、神社前には蓮の花
大藏神社(山王大蔵神社)
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鎮座地:高梁市備中町西山2925
由緒:当社は天文3年(1534)甲午3月赤木弾正泰忠の創建と伝えられている。古来山王様と呼ばれているが、明治初年社名を大倉神社と改め、後に鎮座地の地名をとって大蔵神社と改称した。京都の松尾大社、滋賀の日吉大社は当社の本宮である。棟札は、天正9年(1581)のものであり、備中町重要文化財に指定されている。現在の本殿は、安政6年(1859)に再建されたもので平面は三間社(正面3間、側面2間)切妻造平入、桧皮葺(現在は銅板葺き)、正面に1間の向拝をもっている。大棟には千木と3本の堅魚木を置き、向拝には鰭付三ッ花懸を吊っている。妻飾は斗■式二重紅梁に束を立てて棟木を支えている。神社本殿としては、極めて装飾の多い建物であり、細部の意匠と技術が共に優れており、江戸中期以前の様式を伝える建築である。文中■は(木へんに共)
御祭神:大山咋命

438号を進んだ左手、石柱と祠、よくよく見ると個人のお墓?
不明祠
鎮座地:高梁市備中町西山
由緒、御祭神共に不明

438号を更に進んで行くと前方に313号、左折して313号を南へ進み、前方に西山小が見える手前のY字路を左手に進むと左手に
明神社
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鎮座地:高梁市備中町西山
由緒、御祭神共に不明

『西山小』の前の丘に祠?-近くの案内図からすると天神社?
不明祠(天神社?)
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鎮座地:高梁市備中町西山
由緒、御祭神共に不明

313号を更に南へ進んで行くと前方右手坂道に石柱、手前に車を停めて参詣-表参道は前方民家の裏側
大己貴神社
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高梁市備中町西山1329
由緒:当社は、古来六社権現宮と称していたが、明治初年大己貴神社と改称した。西山の古城戸構城跡に鎮座する。旧社格は無格社であるが、権現様として崇敬者が多い。大蔵神社についで二の宮として崇敬されている。赤木弾正の建造と伝えられている。
御祭神:大己貴命、事代主命、少彦名命、倉稻魂命

時間的には中途半端?、引き返して狭くて曲りくねった438号を進む気は全く怒らない、初めての道なので313号、107号を新成羽ダムまで取り敢えず進み、通行止めの状態を確認してこの後の行動を!

313号を進んで行くが本当に曲りくねった道、一度北に寄った処に『鈴木の滝』と祠、
小谷鎮守神神宮居(鈴木の滝)
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鎮座地:高梁市備中町西山
由緒、御祭神共に不明

Uカーブして下って行くと前方に107号、左折して川沿いに下って行くと前方に『新成羽川ダム』右折してダムを渡り、前方Uカーブした先右折して437号を南へ、平川集落に入ると前方に106号、右折して106号を進んで行くと少し先左手に
古銭山大社
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鎮座地:高梁市備中町平川
由緒、御祭神共に不明

少し進んだ左手に坂道、登って行くと神社横手に、西と南に鳥居
鋤崎八幡神社
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鎮座地:高梁市備中町平川6463
由緒:当社は平川郷の氏神で、鋤崎八幡宮と称した。第10代崇神天皇54年、豊鋤入姫命が詔を請けて天照大神が鎮まられる宮地を求めて、暫し当郷の名方浜宮に滞在された。この故を以て鋤崎八幡宮は、豊鋤入姫命の「鋤」の字をいただき、鋤の宮という名で崇め祀られた。建武3年に平川高親が、近江の国野州郡平川郷から遷御の折り、氏神八幡宮を勧請し、鋤の宮に相殿として勧請した。即ち、御神体を近江の国から衛護し奉遷して鋤崎八幡神社と崇め奉った。又、宮地の山は鋤の尖(さき)に似ており、陰陽の造化不測として黙して仰ぎ奉ることとなった。総て仏神の幽跡凡智に測り恠談(かいだん)となすものである。
諸悪莫作神変神通の道理詰者還愚也。宝基本記曰「神垂は祈祷を以て先とす、冥加は正直を以て本とす、人は天地の霊気を受けて生じながら霊気を貴はず、神明の光胤を種ながら神明の禁令を信じず、故に生死長夜の闇に沈みて根の国に吟う」
御供田は応永12年4月19日平川満経寄附書を以て(延宝5年の古記にも免除が有り)当社の規模となった。
御祭神:豐鍬入姫命、玉依姫命、譽田別尊、氣長足姫尊

106号の少し先左手に祠
不明祠
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鎮座地:高梁市備中町平川
由緒、御祭神共に不明

106号を反対方向へ進んで行くと前方左手奥に
八坂神社
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鎮座地:高梁市備中町平川
由緒、御祭神共に不明

この集落に入る手前に見えた鳥居を目指す-出会った人に聞くと東側の三叉路を進めばよく、神社前で十分Uターン可能とのこと
稲荷神社
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鎮座地:高梁市備中町平川
由緒、御祭神共に不明

437号を北へ引き返し、前方Y字路をみちなりに進んで行くと左手に-やはりかなりな距離
三神社
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鎮座地:高梁市備中町平川
由緒、御祭神共に不明

前方Y字路に案内表示、左手V字に曲がって進んで行くと前方に広場と鳥居、その先、山の中腹に神社-鳥居を潜って進んで行ったが、神社の前まで車道は繋がっている(右手の道)、予想通り非常に不安になる道
岩谷神社(高おかみ神社)
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鎮座地:高梁市備中町平川1729
由緒:文治三年神無月西暦一一八五年今から八〇〇余年前、藤原資親が金平山の清流の谷川、自然の滝頭、八丈有余尺に及ぶその滝の麓の景観豊かな地に穴戸山宮岩谷神社を建立する。弘化五年に氏子により本殿が建立され、古くから下の病気、縁結び、安産、育児の神と敬われ備中備後美作地方からも広く信仰の念が篤く、ご利益を受け今日に至っている。
御祭神:不明

結構な山中に入っているので、広目の道を選んで帰宅することに、(先程の新成羽川ダム迄引き返すと通行止めに遭いそう)
広い道を進んで行くと南西方向へ、『八坂神社』の東側で106号へ、この道も結構曲りくねって南へ、次に東へ、そして北へ進み33号へR313号、R180号経由で帰宅

神社巡り-高梁から新見へ

前回の続きから、今日は早く家を出たのですっと気になっていた豪渓駅の先に見えた神社へ、R180号の『豪渓駅』の先左手に278号の反対側を右折して東へ進んだ直ぐの処へ車を停め歩いて北側の神社へ
八幡神社
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鎮座地:総社市宍粟
由緒、御祭神共に不明

R180号、R313号、33号で前回の『備中中』迄一気に、33号を北へ進み前方トンネルの手前に神社、手前の広場に車を停めようと思うが鎖、手前に車を停め参詣
湯屋八幡宮
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鎮座地:高梁市成羽町中野
由緒、御祭神共に不明

33号を更に北へ進んで行くと前方右手に西江邸駐車場、車を停めて坂道を登りまずは『西江邸』を目指す、結構急な坂、「歩いて」となっているが平日なら車でもいいか?
登って行く右下に神社、強引に坂道を外れて進むと
稲荷神社
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鎮座地_高梁市成羽町坂本
由緒、御祭神共に不明

前記神社の鳥居方向へ進むと川と橋、渡って進むと神社に-駐車場から川沿いに進んだ処
辰口八幡神社
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鎮座地:高梁市成羽町坂本1630
由緒:当社は、弘安2年6月、豊後国の宇佐八幡宮の御玉串を齋き帰り、辰口山に鎮祀した。延慶元年8月字宮のハナに遷し、更に応永5年辰の口山に遷した。天保11年7月社殿を焼失したが、弘化3年に再興したと伝えられている。幣殿及び拝殿は、昭和17年に改築した。大正4年5月、新たに地区内神社を合祀し、摂社末社を含め二十四社を合祀した。昭和35年9月14日、神社名を辰口八幡神社と改称した。
御祭神:応神天皇、神功皇后、仲哀天皇、菅原神、大山祇神、水分神

更に33号を北へ進み、直ぐに右折して進み、前方右手に万歳郵便局、その前のY字路を左手に進むと前方Y字路に「中山八幡神社と猿神社」の案内、指示に従い左手に進むと前方左手に鳥居
中山八幡神社
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鎮座地:新見市哲多町矢戸1009
由緒:当社は天正4年(1576)備中国哲多郡矢戸只野の地に飯沼太郎左衛門基義が城山城を構築の時、守護神として石蟹郷杉谷八幡宮の分神として勧請し、氏神とした。後に矢戸惣村と蚊家村阿曽毛板根の産土神として崇敬されてきた。
元禄8年4月徳川幕府は姫路城主本田中務大輔に命じて検地を実施した時、社地2町歩の除地と松山領主が神領高米5斗を与えられた記録がある。元文4年(1739)と元治元年(1864)に本殿が修理された。境内地37,925坪、境外地24町7反7畝16歩。
御祭神:譽田別命
此処で出会った人に『猿神社』の事を尋ねるが、かなり距離があり車では難しいとの事、他に郵便局でも聞いたが同様な話、歩くと1時間程度かかるとの事、乗用車では底を打つような道-結構訪ねられるようである。

先ほどの郵便局まで引き返し、傍の北側の丘の上
五社神社
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鎮座地:新見市哲多町矢戸
由緒、御祭神共に不明

前方右手の33号を進み、前方左手のT字路を左手に進み、前方右手奥に鳥居
天満神社
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鎮座地:新見市哲多町老栄1188
由緒、御祭神共に不明

33号を進み、前方のT字路を右折し、その先左手の細い坂道を進み新しい道路の下を二回潜った先を進んで行くと右手に集会所、ここに車を停め付近を探すと東側に階段が見られる。
天津神社
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鎮座地:新見市哲多町老栄1691
由緒、御祭神共に不明
33号へ出るには前方の広い新しい道を右手に進み、大きく南へ廻って先ほどのT字路へ

33号を北へ、注意して見ていると前方左手に鳥居、左折して進んだ突き当り、左側に車参道、奥に公園在り、此処に車を停め参詣
八幡神社
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鎮座地:新見市哲多町成松1381
由緒:当社は元和6年に勧請したと伝えられる。貞享2年再建立。享保13年本殿屋根葺替、安永7年本殿修覆、文化9年本殿屋根葺替、天保13年屋根葺替、明治5年4月郷社に昇格。明治11年本殿屋根葺替、明治19年9月風害により社殿破損、明治26年5月24日本殿、幣殿、拝殿改築。明治43年7月8日本殿に本郷村公認神社、村社2社無格社18社を合祀し一村一社とする。明治44年12月6日神饌幣帛料供進神社に指定され、大正12年5月24日、本殿屋根葺替出願、同年25日許可、同年8月11日社務所に仮遷座、同年10月工事竣工、同年11月17日上棟祭、18日正遷座祭執行。昭和26年本殿屋根葺替、同年11月18日正遷座。昭和52年11月18日幣殿、拝殿、社務所、御輿倉改築上棟祭を行う、昭和53年本殿屋根銅板葺替し同年11月18日遷座祭を行う。
御祭神:譽田別命、神功皇后、玉依姫

33号を北へ、前方左折して441号を進んだ前方右手
豊岡八幡神社
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鎮座地:新見市哲多町宮河内2884-2
由緒、御祭神共に不明

33号を北へ進んで行くとトンネルを抜けた先でR180号へ左折して北へ進み前方坂道の手前、ローソン先を右折、左折、左折してR180号を潜り、前方橋を渡り、その先を右折、更に進み前方Y字路を左手に坂道を登った先に車を停め参詣
天満神社
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鎮座地:新見市金谷767
由緒:当社は文禄元年3月朝鮮の役に金谷村住人山根庄之助が召集に応じ、慶長3年10月凱旋の帰途、太宰府天満宮に詣で報賽のため御分霊を奉じ、帰村して奉斎し、金山天神と称した。天明9年6月社地に社殿を増改築し、大正12年3月村社岩谷神社を合祀し村社となった。昭和9年9月神饌幣帛料供進神社に指定された。
御祭神:少彦名命、白山姫命、菅原道眞、後醍醐天皇

神社前の道を進み『黒岩大仙神社:新見市新見市金谷』を目指して進むがすぐに未舗装に、とても普通の車で無事行けそうな気がせず中止

先へ進むと前方に8号、右折して進むとR180号、北へ進み前方左手に進み、前方右折して32号を進んで行くと(コース選択ミス-8号を進んで行くと前方右手に32号)、前方『下熊谷』地区手前で右手の旧道を進んで行くと姫新線を潜った先、左手に
八幡神社
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鎮座地:新見市下熊谷572
由緒:当社は長歴2年戊寅8月に豊前国宇佐から字山上山頭に勧請し、山上八幡宮と称した。
 寛文4年甲辰の秋に社殿を現在の座所に奉遷した。元禄6年癸酉、寶歴元年辛未10月、天保14年癸卯3月、明治2年己巳冬の4回に社殿修繕を行い、明治26年3月に現在の社殿を新築した。創設以来寛文に至る数百年の沿革は定かではないが、創建当時、当村の主神社であり、900年以上にわたり氏子の崇拝を受けてきた。明治5年5月に村社に列せられ、明治40年10月2日、神饌幣帛料供進神社に指定された。明治43年3月に下熊所在の境外無各社10社を合祀した。主祭神の譽田別命(応神天皇)は仲哀天皇の第4皇子で、御母は神功皇后である。全国の八幡宮、八幡神社の祭神として祀られ、国家鎮護の神として尊崇される。また、源氏の氏神として鎌倉の鶴岡八幡宮に祀られ、武の神として武士の間で崇敬された。境内神社である厳島神社は、安芸国厳島から勧請されたもので、田心姫(たごりひめ)が祭神である。天照大神が須佐之男命と誓約したときに生まれた三女神の1神で、旧暦6月17日の夕刻から行われる例祭には、女神ということで女性の参拝者が多い。
御祭神:応神天皇、神功皇后、田心姫命

先へ進むと前方で32号と合流、更に進んで行くと前方坂を登った右手に消防団車庫とその先左手に階段
金刀比羅神社
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鎮座地:新見市下熊谷
由緒、御祭神共に不明

32号を更に進み、『熊谷郵便局』少し先の左手に、(県道沿いに参道二ヶ所)
岩山神社
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鎮座地:新見市上熊谷寺元3928
由緒:当社は正和2年(1313)2月4日花園天皇の御代、北条熙時(たかとき)政権の末期に、駿河国から上熊谷原地(現在の上熊谷土居)へご神体を勧請されたといわれる。その後、32年を経た貞和元年(1345)に原地(はらち)から現在地の寺本(てらもと)へ奉還され、今日に至っている。しかし、宮司は応永3年(1396)の初代から数えて現在23代目とされており、この間の消息は詳らかではない。ご祭神は5柱で、主神と呼ばれる石凝姫命は八咫鏡を造られた女の神様であり、天玉屋命は男の神様で八坂瓊勾玉を造られた神様、天太玉命は同じく男の神様、天児屋根命は、飾り物を造られた男の神様で、この神様は知恵の神様として進学を希望する人達の信仰が厚い。天鈿女命は女の神様で芸術の神様として崇められている。当社は男女を問わず、腰から下の病には霊験あらたかで、特に子供の夜尿症などは、2度の参詣で完治した例も多くあり、子を持つ親の信仰を集めている。
御祭神:石凝姥命、天兒屋根命、天玉祖命、天太玉命、天鈿女命

32号を更に進んで行き、坂を登った右手奥に
八幡神社
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鎮座地:新見市大佐田治部
由緒、御祭神共に不明

32号を更に進んで行き、『丹治部駅』の先前方Y字路を右手に進んだ左手
國司神社
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鎮座地:新見市大佐田治部2003
由緒:往古、この地を大己貴神と共に山勝、沢勝の夫婦が開拓した。後、綾麿が塩滝の麓で田をあらす悪虫除去、降雨を祈願して大己貴神を奉祀した。後、出雲大社から御神璽をいただき山中に奉遷して建久2年社殿を造営したと伝える。明治5年、村社に列した。新見藩から32石の社領を受けた。
御祭神:大己貴命、少彦名命、事代主命
特記事項:時季の生花を盛花仕立てにし、神饌と共に供える。月次祭旧暦で奉仕。19部落が定められた月に参拝。大祭に角の台神事、鳥居御供調進神事、太鼓のバチ封じ神事、浄児代奉仕等の特殊神事あり。飛地境内神社に蟇目祈祷、各種の年占神事あり。飛地境内神社16社に特殊神事信仰がよく保存されている。

此処まで距離はあったが意外とスムースに、今回特にこの後の予定は立ててなかったので、楽な場所を廻ることに!
R180号まで引き返し、南へ戻り『井倉洞』の先で右折して50号を西へ、結構急激に坂道を登って行くことに!!前方に『』方向への案内が、左手を下って行き、前方の三叉路を左に行って直ぐ右手に
合祀神社
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鎮座地:新見市法曽
由緒、御祭神共に不明

50号を西へ進み前方右手、『前平公会堂』先をV字に右折して進んだ正面
八幡神社
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鎮座地:新見市法曽2784
由緒:当社は元禄7年の創建といわれる。現在の社殿のある八渡山へ白い鳩が飛来して杉の大木に止まったので、ここへ社殿を建てた。別称鳩八幡宮ともいう。広大な神社森のほか、参道両側には杉の大木が立ちならんでいたが、昭和年代になり社殿修繕費捻出のため伐採され、今は残り少なくなっている。
御祭神:譽田別命、須勢理毘賣命

50号を更に進んで行くと前方右手に鳥居、近くに車を停め鳥居を潜り歩いて参詣-迷うことはないが結構距離があり、GoogleMapの位置よりかなり奥-関係ないけど蕨が多く生えていた(時期遅く開いて食用には適さないが)
天津神社
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鎮座地:新見市哲多町荻尾1581-4
由緒、御祭神共に不明

50号を進んで行くと前方右に折れるのが50号ようだが直進して進んで行くと右手に祠-先ほどの神社との関係は?
天津神社
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鎮座地:新見市哲多町荻尾
由緒、御祭神共に不明

更に進んだ突き当りの右手の民家で尋ねるとすぐ先のコンクリートの壁の先の道を登って行けばいいとの事、ここで私の勘違いだが直ぐとは思わず先に進んで行ってしまい山道を大廻りして元の場所へ、路肩に車を停め歩いて(尋ねるより自分で探すべきだった)
八幡神社
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鎮座地:新見市哲多町荻尾327
由緒、御祭神共に不明

予定より遅くなったが朝の逆コースで帰宅

神社巡り-高梁市西方向その2

土曜日だが出掛けることに、高梁市西方向の参詣忘れ神社を重点的に廻ることに!R180号で高梁へ、中心部を過ぎた先、歩道橋の先の信号を左折して橋を渡り、右折して川沿いに北へ進み前方左手に『白和荘特別養護老人ホーム』の案内、左折して進み、直ぐの処の左手広目の処へ車を停め、歩いて参道を探す-前方左手の坂道を進んで行くとかなり歩くが神社の前に、車でも十分可能だが途中から未舗装で突き当り近くのV字の車参道は又、舗装されているが正面の参道は未舗装で未整備で登り難い、また手前の未舗装の山道でも途中の同じ所へ出れる
龍神社
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鎮座地:高梁市高倉町大瀬八長2712
由緒、御祭神共に不明

引き返し、先ほど橋を渡った処にある祠を
不明祠
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鎮座地:高梁市落合町近似
由緒、御祭神共に不明

更に進み、前方Y字路を右手に取りみちなりに進んで行くと、前方302号を右折して坂道を登って行くと前方右手に鳥居、手前の路肩に車を停め参詣
山王宮(大物主神社)
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鎮座地:高梁市落合町近似1044
由緒、御祭神共に不明

更に進んで行き、先の交差点を左折して少し下り、前方右折して、前回同様に西へ進みキャンプ場への道のすぐ先のY字路を左手に進み山際を進んで行くと前方に少し広い道、左折して進んで行くと小さい集落へ、この辺りから行けそうだが不明、最初のY字路の先で出会った農作業の人に教えられたように途中(中間程度)にある右手に進む山道を進むと前方に交差点、左手に進むと神社の横に-聞いていたから進める道、舗装は壊れ、枯れ木が多く散乱、ひどい道-最初参道を見落として先へ進み、小さな集落へ(神社の南側)此処にあった旗を建てる石柱の紋が天神社の物と同じ、こちら側から歩いて行けそうだが、祭り等で整備されないと難しいよう
天神社
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鎮座地:高梁市落合町原田1751
由緒、御祭神共に不明
引き返し、広目の道を進んで行くと、前回の諏訪神社への道、『原田コミュニティハウス』前を通って元の道へ引き返し、右折して坂道を下りR313号へ-この近辺GoogleMapで詳細が表示されず、航空写真は木立で道が隠れ分かり難く、通信状態が悪いと表示できない

R313号を西へ進み、前方300号への橋の処、V字の坂道を登った処に車を停め、歩いて民家の側を登って行き、前方右折して進むと左手に階段-道自体は車で可能だが停車場所が無い
経津主神社
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鎮座地:高梁市成羽町星原
由緒、御祭神共に不明
V字路坂道は前が見えないと初めての処は恐ろしい

R313号を進みよく分からないので『JAびほく神楽の里』の西端へ車を停め前方の民家を目指し、前を通って南側の森を目指す-石柱があり
八千戈神社
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鎮座地:高梁市成羽町佐々木114
由緒、御祭神共に不明
神社横を南へ進むと『成羽川生コン』へ出れる-奥に民家があり通行はOK?

再度引き返し成羽川沿いに進み、以前から気になっていた神社を目指す-行き止まりであり、以前川沿いにカードレールが壊れたのが見られたためペンディング状態

橋を渡り左折して川沿いに進んで行き、民家が無くなる処の右手に
不明神社
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鎮座地:高梁市成羽町成羽
由緒、御祭神共に不明

更に進んで行くと右手に
不明神社
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鎮座地:高梁市成羽町成羽
由緒、御祭神共に不明

意外と道幅があり、安心して進むが一応『ストリートビュー』のある処までにし、此処に車を停めて前方へ歩いて進むと左手に小さな滝っぽい処とその左手に
清岩神社
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鎮座地:高梁市成羽町成羽
由緒、御祭神共に不明

更に進み坂を下り、U字に曲がって進んだ途中の右手
荒神社
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鎮座地:高梁市成羽町成羽
由緒、御祭神共に不明

元の橋を渡った処まで引き返し、300号を進んで行き、前方左折して436号を進んで行き、『なりわ運動公園』手前の道を左折して進み(かなり手前、運動公園まで間違えて進み引き返す)前方右にカーブする処、左手に未舗装の道、此処に車を停め歩いて進むが前方は広場と墓地、ちょっと悩むが墓地の左手を進んで行くと右手に
伊弉諾神社
12005page
鎮座地:高梁市成羽町成羽3883
由緒、御祭神共に不明
更に南側の道からタンクを目指して進めば神社正面の鳥居に

引き返し、436号から運動公園へ、南側を廻って東へ進んで行く途中左手倉庫の裏側に
不明神社
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鎮座地:高梁市成羽町成羽
由緒、御祭神共に不明

東へ進み300号へ、左折して進んで行くとかなり進んだ前方にY字路右手に進んで行くと左にカーブした直ぐの右手
天津神社
12007page
鎮座地:高梁市成羽町羽山741
由緒、御祭神共に不明

R313号まで引き返し、途中になると思われるが成羽川を溯るコースを、33号を進んで行くと前方に『黒鳥ダム』此処に車を停め、ダムを渡り右折して進んで行くと前方左手に
荒神社と黒鳥ダム
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鎮座地:高梁市備中町長屋
由緒、御祭神共に不明

33号のダムの先左手の坂道を登って行くと前方左手に鳥居、手前に車参道
八幡神社(亀石八幡神社)
12032page
鎮座地:高梁市備中町布賀1587
由緒:寿永元年(1182)に近江国観音城主佐々木(左衛門尉)定綱が軍功により高倉院から、巨勢金岡筆の八幡大神の画幅を賜わり、守神として代々奉斎した。その子孫が建武3年(1336)穴門(穴斗)郷を領するに至って、長門守経貞が菖蒲城出城民衆の氏神とし当社を創建した。その後永正11年(1608)現御神体に改め、元禄11年(1698)に亀石八幡宮と改称した。明和元年(1764)に現御本殿を改築。(当時、現御本殿は1本の大きな欅の木を木取りして建立されたため「1本欅の宮」として有名であった)明治42年、鎮護神社他19社を合祀し、その後11社を加え現在30社が合祀神社として御相殿に鎮祀されている。合祀神社の中には、病気平癒の神として知られている少名毘古那神を奉斎してある神社もあり、当病平癒の御神徳高い宮ともされている。昭和11年、神饌幣帛料供進神社に指定された。
御祭神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后

面倒だが元の道を引き返し、33号へ、前方左折して106号を進み、『景年記念館』の手前の倉庫の裏に神社らしきもの
不明
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鎮座地:高梁市備中町布賀
由緒、御祭神共に不明
何か全く分からない建造物

更に南へ進んだ左手
艮御前神社
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鎮座地:高梁市備中町布賀3846
由緒:建武年中、山根城主米山大内蔵鎮守として勧請天文年中、山根宮と称し、慶長五年山根十太夫則長物部彦五郎信房社殿を改築し、下長谷組の鎮守神、崇敬す。寛永十二乙○社殿再建、天和三○△年艮御前宮-改称、延享二年社殿三建す。
御祭神:天照大神、応神天皇、春日大神

33号まで引き返し北へ進んで行き、『田原ダム』の手前、崖の工事をしている先に磐穴?、最初ここが神社跡と思ったが、引き返すとき、崖の途中に神社が
惣田神社
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鎮座地:高梁市備中町平川
由緒、御祭神共に不明

33号を進んで行き『備中中』手前を右折してその先へ車を停め、学校の裏側へ
堅山八幡神社
x1342page
鎮座地:高梁市成羽町布寄
由緒、御祭神共に不明

33号からは行けなかったので帰りに、前方右折して107号(すぐ先通行止め)へ、この辺りに車を停め歩いて33号から見えていた神社参詣-道幅あり、車で神社の下までは可能
田原神社
x1341page
鎮座地:高梁市備中町東油野
由緒、御祭神共に不明
すぐ隣に『美保神社・稲荷神社』の祠があるが個人的な崇拝者?

遅くなったので帰宅、朝と逆コース、土曜日で遅くなったせいか意外とスムースに!

神社巡り-新見市北方面その2

高梁と新見は結構範囲が広い、その上にやはり遠い!、まだ時期的にはまだ十分にあるが(雪が降るまで)早めに参詣を終えたい!
今日も天気が良すぎて暑い感じだが出かけることに、R180号で総社・
高梁・新見と進んで行き、前方高梁川を渡る手前の左手正面に
不明神社
x324page
鎮座地:新見市石蟹
由緒、御祭神共に不明
前方左折して川沿いに進んだ、中国砿業の西隣り
正一位稲荷大明神
x1325page
鎮座地:新見市石蟹
由緒、御祭神共に不明

ちょっと疲れたので休憩がてら、R180号に戻り、北へ進み前方左折してR182号へ、その先を右折して8号を進み、『南工業(株)生コン工場』先のY字路を左手に進み前方T字路を左手に進んだ直ぐの右手
本山荒神社
13024page
鎮座地:新見市神郷油野615
由緒、御祭神共に不明

T字路の処にある『西村商店』で尋ねると左右どちらにも神社はあるとの事、まずは左手に進む、非常に分からないので前方案山子のあるY字路付近に車停め、右手山際にある青緑の祠を目指すが違う、前方の集落を目指し右手の道を登って行った先山際の右手の家で運よく尋ねるとこの道をのぼって行って登りきった処を左手に進めば鳥居が(車で可能だが枯木が多く歩いた方が無難)
山神社(竹の下神社)
13018page
鎮座地:新見市神郷油野531
由緒、御祭神共に不明

引き返し、今度は右手へ、前方Y字路を左手に進み、次のY字路を右手に直進し、前方の集落の中左手奥の民家の人に尋ねる。言葉では説明しにくいので案内してくれるとのこと、助手席に乗ってもらい案内を、先ほどのY字路手前にT字路、左折して進んで行くと左手山際に未舗装の山道、手前の路肩へ車停め歩いて参詣(道幅狭い)-鳥居が壊れかかっているいるので氏子で毎月積み立てて修理する予定(戸数が少なく難しい-五千円/月)
笹尾神社
13023page
鎮座地:新見市神郷油野945
由緒、御祭神共に不明

前方に進んで行くと最初のY字路の右手の道へ、左折して進んで行くと右手に鳥居、先ほどの神社と同じ造りの鳥居(屋根に瓦が載っている)、以前は同じ笹尾神社を祭っていたらしいが別れたよう、理由は分からないが
奥田神社
13020page
鎮座地:新見市神郷油野1115
由緒、御祭神共に不明

家まで送って行き、8号を北上、12号が分岐するすぐ先のY字路を右手にその先右手の坂道を登って行った右手に(足立石灰工業の敷地内?-門も特に無いので堂々と入る)
山神神社
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鎮座地:新見市足立
由緒、御祭神共に不明
北側に神社が見られるが前回参詣した『足立神社』、呼び方は『アシダチ』らしい

引き返し12号を西へ進んで行く、前回見た油野川を渡った先にある案内板ある近くの『油野神社』を探すが人にも出会わず分からない-多分小さな祠?、前回時間の都合で『杉戸神社』附近の神社を探しに、杉戸神社の鳥居が見える辺りに車を停めて歩くと、前方田圃中に荒神社の祠、ここの北側にあるJAの処で尋ねると、やはり前の祠は荒神社、小谷神社は杉戸神社西の谷に、今工事中で通行止めかもしれないとの事、前回は通行止めの表示があったが今回は無し、散歩中の人に出会ったので尋ねると祠を見たようと云い案内、谷川の坂道を登って行くと右手に祠が見えるが谷川があり無理、下側から廻り込むにしても手間にも谷川、参詣は諦める
荒神社・小谷神社
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鎮座地:新見市下油野
由緒、御祭神共に不明

更に12号を西へ進み、最初の予定の『大碓神社』は全く分からないまま、三室川ダム、トンネルを過ぎた先の『三室峡』で出会った地元の人に案内してもらうことに、三叉路を右手109号を進み、前方左手T字路を左手に進み、橋を渡った先民家と墓地の間の未舗装の山道を進んだ先-案内の人の軽トラの後を付いていく、聞かなければ分からない場所だし、分かっていたとしても多分車では行かない感じの参道-次の神社の道案内をしてもらう関係で後で参詣
三室峡から109号で
氷室神社
13022page
鎮座地:新見市神郷油野4156
由緒、御祭神共に不明

更に西へ進んで行くと左手に鳥居、前方三叉路を左折しその先をすぐに左折、突き当り付近に車停め、廻り込む感じで参詣
山神社
13021page
鎮座地:新見市神郷油野4008
由緒、御祭神共に不明

引き返していくと左手道沿いに鳥居
不明神社
x1328page
鎮座地:新見市神郷油野
由緒、御祭神共に不明

109号がぐるっと廻った処にある公園で尋ねたら、公民館の手前の道を北側へ登って行った処にあり最後まで車は無理との事、運よく公民館の近くで出会った人に尋ねると、公民館手前の道を登って行くと登った先に民家が三軒(此処までは車で可能)、一番左手の民家の裏に参道が、登って行くと鳥居が
大碓神社
13027page
鎮座地:新見市神郷油野3313
由緒、御祭神共に不明

今回は運よく地元の人に出会えたのでかなりの神社が参詣できたのでは、鳥居等が目に付くことは殆ど無理なのでは!

元へ引き返しR182号を南西へ進み前方右手の『東洋アイテック』先のW字路を真ん中を進み、前方丘の右手
湯舟神社
13019page
鎮座地:新見市神郷下神代4700
由緒、御祭神共に不明

R182号へ出て更に進み、高速を潜ったすぐ先の右手奥
嚴島神社
13029page
鎮座地:新見市神郷下神代4358
由緒、御祭神共に不明
神社庁の表示と神社名が全く違う?(写真、位置は合っている)

少し引き返しR182号の内側の道を南へ進んで行き荒神社:新見市神郷下神代4067を探しながら南へ進むが分からない

R182号へ戻り南へ進んだ先、神代小前を左折して進んだ処にある『親子孫水車』に立ち寄り、熊野神社:新見市神郷下神代3378の位置を聞いてみるが人もほとんどいなく分からない、諦めて次へ

R182号を更に進んで行くと左手に鳥居、左折して進んで行くと正面に鳥居と石段、右側に車参道
國司神社
13026page
鎮座地:新見市神郷下神代1758
由緒、御祭神共に不明

R182号を更に進んで行き、前方左手の赤い橋の手前、民家の裏側に鳥居、北から強引に進んだが、民家の裏側にかろうじて参道
疫清神社
13028page
鎮座地:新見市神郷下神代853
由緒、御祭神共に不明

更に南へ進んで行き『市岡駅』の先、簡易郵便局先を右折して左手
二宮神社
x1329page
鎮座地:新見市哲西町上神代
由緒、御祭神共に不明

今日は初っ端から計画のコースを変更、予定とかなり違い、かなり参詣は少なかったが遅くなったので帰宅、R182号を引き返しR180号で来た逆コースで帰宅

神社巡り-高梁市北西

また来週から天気が悪そう、午後七時から町内会だが六時半帰宅を目標に高梁北西部へ早めに出発、今日はワンコも一緒だが準備万端。
R180号からR313号へ、前方『井谷』信号で右折して坂道を登って行くが意外と広い道、前方T字路を左折して西へ進み、キャンプ場を南へ下る処を更に西方向へ進み、前方『原田コミュニティハウス』前を左折して進んで行き-この先で田植え用の苗を積んだ軽トラの母娘に出会い、親切に案内して頂く、感謝・感謝-前方Uカーブした先Y字路を右手V字に進んで行った先に石柱、更に進んで行くと神社の裏側(西側)に-東側に鳥居が
諏訪神社
11079page
鎮座地:高梁市落合町原田1205
由緒、御祭神共に不明
12月に深夜まで備中神楽の奉納が行われているらしい。(神社庁の写真違うのでは)
11076_天神社:高梁市落合町原田1751-の位置は未確認

神社横の道を東へ進んで行くと前方に302号、左折して進んで行くと前方右手に
不明神社
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鎮座地:高梁市松原町神原
由緒、御祭神共に不明

302号を更に北へ進んで行くと左手に坂道、その少し先に『神原集出荷場』此処の広場に車を停め参詣
神原八幡神社
11063page
鎮座地:高梁市松原町神原1358
由緒:当社は平安時代中期の寛弘元年(1004)花山天皇が諸国を御巡行の砌り、川上郡阿部村に駐御され、山城国男山八幡の大神(石清水八幡宮)を近似村に奉遷せられ、近似村、阿部、玉村、下切村、原田村、川乱村、春木村、神原村、田井村、肉谷村の大氏神として、大元八幡宮を創建し、村民らは厚く尊崇した。時代の変遷に伴い、御霊を分ち、鎌倉時代初期の建久元年(1190)此の地に勧請、創建され村の氏神として崇敬した。
 江戸時代に至り、松山城主池田備中守長幸公が寛永2年(1625)に社領6斗を寄進した。又、城主水谷伊勢守勝隆公は承応4年(1655)、祈願信仰の為、良材、好木を寄進し社殿が再建された。明治39年村社に指定され以後連錦として崇敬されている。
御祭神:応神天皇
更に進んで行くと『松山城を望む見晴らし台』が-ちょっと遠すぎて無理か-此処で道がかなり交わっている

直進して302号を進み、そのままみちなりに進んで行くと松原小に(三桁の県道を走るより目についた広い道を走った方が賢明か-今回なら『松山城を望む見晴らし台』の処を左手にとり西へ進む)小学校先を右折して301号を北へ進む、此処はもっと狭い道、対向車があるとどうにもならない道!
不明神社
x1318page
鎮座地:高梁市松原町春木
由緒、御祭神共に不明

更に進んで行くと右手下方に、前方Uカーブした先、鎖が張られ境内侵入不可、前方でかろうじてUターンみちなりに進み、前方右折して301号-この道も二度と走りたくない!
五社神社
11062page
鎮座地:高梁市松原町春木907
由緒、御祭神共に不明
先へ進み、北側の神社を参詣し西方向へ進みたい気もするが、同様な狭い道、やはり不安を感じ急いで引き返す

先ほどの処からし、302号を西へ、前方交差点傍に鳥居
磐裂神社
11064page
鎮座地:高梁市松原町松岡884
由緒、御祭神共に不明

南西方向、前方を右にカーブして進み、『円福寺』方向へ進み、前方Y字路右手北側を(狭い坂道で注意が必要)進んで行くと右手に鳥居、手前の空地に車を停め参詣
天満神社(國司大明神)
11066page
鎮座地:高梁市松原町松岡1628
由緒、御祭神共に不明
扁額は『國司大明神』となっており、神社庁HPの写真と違う、地元の人に会えなかったので不明

元へ引き返し『磐裂神社』西側の302号を北へ進み302号が左にカーブした処で訪ねると、「すぐ先右にカーブした先右手の未舗装の道を進んだ奥-間にある坂道を下るとダメ」-枯れ木で通り難いが道幅は十分、表参道は南側のようだが未確認、イメージでは道幅狭く、無理
八幡神社
11067page
鎮座地:高梁市松原町松岡2101
由緒、御祭神共に不明
この神社も神楽の奉納が行われるようだ!

302号を更に北へ進んだ正面みぎての上に
深見荒神社
x1319page
鎮座地:高梁市松原町松岡
由緒、御祭神共に不明

ここからが今日の大失敗、予定通り302号を進んで85号に出ればよかったのだが、カーナビが『杵築神社』を表示し、細い道と思われるが行けそう、つい進んでしまうが近くまでたどり着いたが参道が全く分からない、歩けないワンコをバッグに歩くが分からない、此処で諦めるのは問題ないが、少し引き返したところから85号に出る処、前に進んだため曲りくねった山道を散々進み、最後は大きく南へカーブした後、高梁川沿いのR180号近くで85号に合流、毎度のことながらUターン嫌いか!!(50分程度のロス?)

85号を西へ進み、『遠原公会堂』先の右手
御前神社(御前六社大明神)
11057page
鎮座地:高梁市宇治町遠原2470
由緒、御祭神共に不明

更に進み、『元仲田邸くらやしき』先を85号で北上し吹屋ふるさと村へ、入って直ぐの西側『吹屋バイパス』の右手に目新しい神社?
天開道大神宮
x1320page
鎮座地:高梁市成羽町吹屋241
由緒、御祭神共に不明
岡山は何か新興宗教が多い気がする?、田舎とはいえ結構お金も掛かるだろうに?-コンクリート製は案外安上がり?

更に進み坂を登りきって降りた左手、右手に無料駐車場
高草八幡神社
12048page
鎮座地:高梁市成羽町吹屋14
由緒:当社は、旧記によると第49代光仁天皇宝亀2年(772)辛亥年に創建された。もとは、吹屋の高草山に鎮座しており、坂本村、矢田羅村、関東村、中野村の4ヶ村の大氏神として四宮高草八幡宮と称されていた。
 その後、第112代霊元天皇延宝2年6月12日拝殿にて僧禅門が死去したので、これを忌みて社地移転の論争が起こり、村人が混乱したため松山藩の調定により字横路の百姓吉三郎の山林4反有余を境内地として移転遷座することとなった。この時、北方大河治部介は弟刑部を別家して奉仕した。大正3年に舟敷の山神社、中町の恵比須神社、下町の秋葉神社、下川の稲荷神社、大深の荒神社、長屋の荒神社を合祀する。
御祭神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、大山祇命、金山比古命、木花咲耶姫命、大己貴命、事代主命、倉稻魂命、軻遇突智神、菅原神

駐車場から北へ進み『べんがら屋』前を左手に進んだ右手に
本山山神社
x1321page
鎮座地:高梁市成羽町吹屋
由緒:本山山神社の創建の年は判然としないが、大塚氏吉岡銅山稼業の歴史の中で、明和二年(一七六五)水抜きが完成し盛業したといわれ、境内にある手洗鉢の寄進が明和七年(一七七〇)と刻まれていることから、その間に創建されたと思われる。現在の本殿は伝承によると、江戸末期本島(丸亀市)の長尾林蔵という宮大工が来吹して建てたと伝えられ、総欅造りで巧緻を極めている。銅山の守護神として長い間手厚く祭られていたが、昭和四十七年(一九七二)の廃山により次第に過疎化が進み、祭りごとも意の如くならず、ご神体は現在高草八幡神社に合祀されている。
御祭神:記載なし

『べんがら屋』前を右手に、直ぐの道を左折し、真っ直ぐ進む感じで北へ進んで行き、坂を下った右手に石柱と坂道、その奥に
清杉八幡神社
12047page
鎮座地:高梁市成羽町吹屋1903
由緒:当社は和銅年中癸丑の年に創建した。吹屋の北方地区並に宇治村笹尾地区の氏神として崇敬され、現在は北方地区の氏子の守護神として崇敬されている。大正2年境内外の摂末社を合祀した。
御祭神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后
少し先に鳥居が見えたが近付いてみると個人の墓地?

85号へ引き返し、左にカーブする処を直進し南へ進み『笹畝坑道』方向へ進み前方T字路右折して『広兼邸』方向へ進んだ右手
金精神社
x1322page
鎮座地:高梁市成羽町中野2241
由緒、御祭神共に不明
誰が創ったか分からないが民間伝承の神、深くは考慮しない?
一応『広兼邸』へ立ち寄り(一応八つ墓村を思い出しながら)

『広兼邸』前の坂道を下れば問題なかったのだが、東側の坂道を下ったため全く分からず、近くの人に聞いても坂道を下った右側にあるとのこと、他に出会った人に再度聞き、西側の道と気付く
中野神社
12046page
鎮座地:高梁市成羽町中野1981
由緒、御祭神共に不明

東へ進み85号へ、南へ進み300号、前方宇治高前を右折して435号を進んで行くと『丸山城』の標識、左手に進んだ先Y字路をV字に右手に進んだ奥」、境内に入ったが少し進んだ先は正面、空地在り
若宮八幡神社
11060page
鎮座地:高梁市宇治町穴田719
由緒、御祭神共に不明
前回此処の宇治地区に来たとき竹林の城跡の処と教えられたが時間的な都合でよく探してなかった。

先ほどの『宇治高』まで引き返し右折して300号で南へ、やはり山中へ入り川沿いに進むとやはりしんどい道、前方のトンネルを潜って思い出し、トンネルの手前を左手に進んで行くと前方南へカーブして進んだ坂道の途中左手に
磐戸山神社
12050page
鎮座地:高梁市成羽町羽根856
由緒:当社は近江の国から勧請とあるが、年代その他は不詳である。
御祭神:大山咋命、素盞嗚命

『羽山渓』を通って進むことも考えたが、多分これまでと同様の狭い川沿いの道と思い神社前の広目の道を進んで行くと、前方に『小泉憩の家』、その隣に神社
天満神社
12052page
鎮座地:高梁市成羽町小泉288
由緒:当社は、延文年間に疫病が流行し、里人が悉くその惨害に斃れようとした時、筑紫の太宰府天満宮から祭神を勧請したところ、不思議な御神徳により、病勢は鎮圧し、悲惨の境を免れることを得たと伝えられている。寛文8年に社殿が炎上し縁起書、宝物等を焼失した。寛文10年11月に再建した。大正6年8月国司神社を合祀した。同年11月、神饌幣帛料供進神社に指定せられた。
御祭神:菅原道眞、大己貴神、少彦名神

前方の436号を進んで行くと左手に神社、出会った人に尋ねると『國司神社』とのこと
國司神社
x1323page
鎮座地:高梁市成羽町小泉
由緒、御祭神共に不明

時間も遅くなったので436号で一気に成羽川迄、橋の手前右手の神社に立ち寄り帰宅
稲荷神社
12009page
鎮座地:高梁市成羽町成羽3078
由緒、御祭神共に不明

予定の神社を残した割には遅くなった、そんなに混ではなかったが意外と時間が掛かり、町内会は欠席
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