奥さんは旅行中、ワンコの守りと雨でこのところ家の中、疲れたので神社巡りに、もう遠くしか残ってないので早く出かけようと思って、ワンコ用の準備に気を取られ、早く出かけたが肝心のタブレットを忘れ、吉備津神社辺りで気付き引き返すが、市内に入るのに時間が掛かり、一時間のロス、当初の予定を変更しようと思ったが準備不足は近距離は良いが遠距離はやはり準備が、やはり予定通り、R180号で新見の先『千屋』迄、左折して11号で西へ、前回同様、疫清神社:新見市神郷釜村4191は参道が不明、しかも地元の人にも出会えず、最初から道なき道を進むのは諦め、次の神社へ、
『疫清神社』前を更に進み、前方十字路を左手に進んで行くが分からない、左手に祠がある処に車での鮮魚の販売を行っており、地元人も、尋ねるとやはり来すぎ、後方の杉の木と竹藪の間辺りにあるよう、少し引き返し南側山側に登って行き、山に入る手前左手に参道が、車で行けそうだが未舗装、不安なのでこの辺りに車を停め歩いて参詣-実際は此処を通り過ぎて山の中へ、近くに行くと案外位置が分からなくなる
二柱神社
由緒、御祭神共に不明
先に進んで行くと、前方で11号、西へ進み前方左手に316号、反対側に右折して進み、Y字路を左折、次を右折して進んだ舗装された道の突き当り近辺、鳥居在り-途中で地元の人に確認しているので気は楽なのと、意外と道幅がある。
日吉神社
由緒、御祭神共に不明
元の11号まで引き返し、更に進んで行き、右にカーブ後、次左手にカーブするする処を直進して、川沿いに進んで行った右手に鳥居
石上神社
由緒、御祭神共に不明
11号まで引き返して進んだ直ぐ先の右手に鳥居-少し裏側の山道を進んだが特には何も見当たらない-これだけか?
木山神社
由緒、御祭神共に不明
11号を更に進み、8号へ出会う手前、『新郷保育園』の北側、
和忠神社
由緒、御祭神共に不明
8号を少し北へ進み、左折して11号を西へ進み、『ゴルフ場』の看板の先のT字路を右折して進み、右手集会所の裏側にある道を北方向へ進んだ奥(車でも可能だが未舗装、今回は歩いて参詣)
天津神社
由緒、御祭神共に不明
この道を進んだ突き当りの辺で聞いたが、分からない-若目の人はダメ、諦めて引き返す途中南側に建物、一応訪ねて見るが違う、しかし運よく此処で出会った人に教えられる-北側から参道を探して見たのが失敗?感が悪い
11号まで引き返し、更に進み次のT字路を左折、突き当りを右折して進んで行った右手に鳥居(前方に見える森)
亀尾神社
由緒:亀尾神社は十二社権現ともいわれております。創建由緒などは明らかではありませんが、中世新見庄資料では大山権現と呼ばれた所です。亀尾とは神社のある小高い丘が亀の形に似ているからともいわれています。この神社では中世の形式を伝える宮座が行われています。
御祭神:伊弉諾尊
11号を進んで行くと左手に鳥居、109号を左折して進んで行くと先ほどの鳥居、脇の山道を進んで行くと左手に舞茸の工場跡?、此処に車を停め更に山道を進んで行くと何もない、諦めて引き返し進んで行き、出会った人に聞くと先ほどの鳥居は意味がない?、『氷室神社』は右手山の向こう側、前方右手に見える山道を進んで行くと左手に-鳥居に惑わされず11号を進んで行くと左手小学校の手前を左折して進んだ突き当り
氷室神社
由来:元は氷室の守護神として、神郷町三室から勧請したと伝えられ、その後相殿に仁徳天皇をまつるといわれています。また、神社の祭り当日は、中世新見庄時代から相伝する名主たちにより古式どおりの宮座が行われています。
御祭神:久久紀若室葛根命
11号を西へ、高林寺の先で右側がコンクリートの崖の反対側に鳥居、左手の橋を渡った左手
八幡神社
由緒、御祭神共に不明
11号を西へ、木谷公会堂先、民家の裏側
木谷神社
由緒、御祭神共に不明
県境から引き返し8号で伯備線沿いに南へ「新郷駅」、316号の分岐点の先大きくV字にカーブ付近『本村コミュニティハウス』前に車を停め前方の道を進み神社を探すが左手山際に祠、全く分からない。諦めて帰りかけた時に地元の人に出会い尋ねると前方左手の杉の木の辺り、前方の道を進み三叉路を右折して進むと野生動物用の防護柵とその先に狛犬、そこを左手に進んで行くと神社(途中から未舗装だが冊の付近までは車で可能だが、歩いても大したことは無い)
嚴島神社
由緒、御祭神共に不明
地元の人に聞かないとまず分からない場所
8号で南へ進み、線路を二回潜った先、8号が左にカーブする処を直進して山道を進んで行くと前方に足立小学校の跡、此処に車を停め、坂道を上がり北側から参詣-詳しきは調べてないが正面からの参道は使われていない感じ
足立神社
由緒、御祭神共に不明
時間が遅くなったので大きな神社を一社参詣して帰ることに、8号を南へ進み、道が南へUカーブして北へ向かう先のY字路を右手直進していくと工事中で金蔵寺裏側で通行止め此処の手前の道を進んでいいようだが引き化していくと鳥居とその前に集会場と広場-これも近くに人に尋ねたおかげ
杉戸神社
由緒:当社は油野村中の総社で元油野村下油野字宮がけに氏神として勧請したが、4域が皆通路で交通する人が馬に乗って往来すれば神の祟りがあって厄災が多かったので、氏子が相談して高地に奉遷した。後にこの地を杉戸山と称した。明徳元年9月に蟇野城主平重春が御社殿を再建した。 その後、備中松山藩主が本殿その他の御社殿を造営し、神田引として毎年2斗5升を奉納した。明治6年に村社に列格。大正12年12月に神饌幣帛料供進神社に指定された。
御祭神:天手力雄神、天兒屋根命、天太玉命、天鈿女命
せっかくここまで来ていて勿体無い気がするがワンコのフードを忘れてきたので急いで帰ることに、8号で南へ、前方R182号で少し北へ戻りR180号で帰宅、やはり新見の奥、県境近く、時間が掛かる