岡山県内神社巡り(メイン)

片っぱしらからの神社巡り

2016年08月

岡山市内、未参詣神社

何気なく見つけた近くの未参詣神社、昔住んでいた三門の近く。
R180号で三門万成の附近、旧山陽道と交わる信号の一つ先の信号を右折して坂道を登って行くと前方に、民家の外れ辺りの路肩に車を停め歩いて墓地方向へ
山王神社
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 鎮座地:岡山市北区京山2丁目5
由緒、御祭神共に不明

別に急ぐことも何をすることも無かったなのだが池の手前の広くなった路肩へ車を停めようとして(位置確認の為)飛び出したガードレールの端に接触、私の車が大怪我、何か馬鹿なことした感じ!

神社巡り-県外編-佐用町(三日月・播磨)

岡山も今週末から天気が悪くなりそう、思い切って出掛けることに、方向は悩んだが前回の続き?、と言うより上月から三日月へという感じで、前回勘違いして進んだ方向を極める。
先日同様、R2号で県境を越え、前方左折して5号を進み、上郡駅の手前で左折して北上し、少し走った先右折して隅見橋を渡り、前方R373号を北上し、久崎三差路を右折して368号を進み、三日月方向へ。
同じコースなので何も考えなくR373号から368号を進み、勘違いから三番目の神社へ、368号から前方『中島』信号で右折して進んで行き米田集落へ入った処、左手のV字路坂道を登り、直ぐ右折して坂道を登った右手に鳥居、その前に車を停め参詣
八幡神社
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鎮座地:兵庫県佐用郡佐用町米田384-2
由緒:創立年月不詳。初め米田村字寺山に鎮座せられしも文治元年(1185)故ありて今の地に遷座せらる。江戸時代若宮大明神と称し、延宝4年(1676)本殿を建立し、弘化元年(1844)本殿覆、幣殿を建立する。明治7年(1874)2月村社に列し、同40年(1907)村社八幡神社以下12社を合祀し、大正5年(1916)拝殿を建立する。
御祭神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、仁徳天皇
ここで初めて予定の神社を飛ばしているのに気が付き、先ほどの『中島』信号まで引き返すと橋を渡った前方に

左折して368号を少し戻った右手に鳥居前に行く道が、不安なので県道の近くに車を停め参詣、
位守神社
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鎮座地:兵庫県佐用郡佐用町中島上那手972-2
由緒:不詳
御祭神:仲哀天皇、応神天皇、仁徳天皇
帰りは鳥居前を右手に進むと県道へ出る

368号を引き返し前方左折して449号を進み、前方右にカーブする路肩に車停め、直進した先を目指す
八幡神社
679-5201_八幡神社page
鎮座地:兵庫県佐用郡佐用町多賀1018
由緒:創立年月不詳。羽柴秀吉毛利軍を攻むるや毛利軍当社に隠れ社後山頂に於て鏖殺せらるという。天正年間(1573~1591)社殿を再建し、延宝7年(1679)本殿を建立す。享保元年(1716)同殿を再興し、天明5年(1785)1500年祭を行う。享保9年(1724)本殿及び本殿覆を改築す。明治7年(1874)2月村社に列し、同31年(1898)幣殿、拝殿を改築し、同40年(1907)社務所を建て磐筒男神社以下12社を合祀せり。
御祭神:応神天皇、仲哀天皇、仁徳天皇

『中島』信号からの道を東方向へ進んで行き前方姫新線を越えて道が右へカーブする処を直進した突き当り、手前のろかたへ車を停め
吾勝神社(6319054)
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鎮座地:兵庫県佐用郡佐用町土井374
由緒:不詳
御祭神:天忍穂耳尊

線路沿いに進んで行き、前方左にカーブする処を直進して線路を越えて直進、突き当りを左折、直ぐ右折して坂道を登った突き当り左手に広場(入れないが)路肩に車を停め前方を登って行くと防護柵、開けて登って行くと車道-先ほどの道の少し北側にある車参道-遠いとは思うが通行量の少ない坂道歩いて進んで行くと左手に-予想通り結構な距離!、V字に曲りくねった坂道、道幅は結構広いが歩くか車かは悩む処、この集落で出会った人に聞いたが耳が遠く詳しい事が聞けなかったので歩いた。
八幡神社
679-5147_八幡神社page
鎮座地:兵庫県佐用郡佐用町末広1971
由緒:創立年月不詳。慶長年間池田輝政八幡神社地として境内を除地し宝永元年(1704)本殿を造立す。安永5年(1776)本殿、拝殿の位置を現在の如くに改め嘉永元年(1848)本殿の屋根替を行う。明治7年(1874)2月村社に列し、同36年(1903)本殿屋根替を行い同40年(1907)八幡宮以下9社を翌41年(1908)荒神社を同42年(1909)山神社を何れも合祀せり。大正9年(1920)本殿を新造し昭和3年(1928)社務所を新築する。
御祭神:神功皇后、応神天皇、仲哀天皇、素盞嗚尊、大山祇神、菅原道真、大己牟遲神、天照大神、水都波能女神

最初に突き当たった道を右折して北方向へ進んで行くと前方に姫新線、更に進み、突き当りを右折して進んで行くとR179号、右折して進み、前方左手の道を左折、突き当りを右折して進んで行くとR179号へ出る手前の左手に
十二世神社
679-5147_十二世神社page
鎮座地:兵庫県佐用郡佐用町末広145
由緒:本社の創建は三百数十年の由と伝ふるものの年月日は不詳なり。元禄4年(1691)3月を吉祥日として大改修をなせし事は現存せる棟木によりて明瞭なり。神祇全書に曰く「天一神王神社今東新宿村有称阿布酔良権現社此乎」配祀の神々は明治40年(1907)7月13日合祀許可あり仝年10月23日合祀す。当社は代々三日月藩主の信仰特に篤く享保10年(1725)乙己季秋上澣には領主源長記の大鳥居寄進ありたり宝永7年(1710)庚寅夏4月28日新宿村氏子より大釣鏡を奉納す。
御祭神:国之常立神、意富斗能地神、大斗乃辯神、正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊、豊雲野神、淤母陀琉神、阿夜訶志古泥神、天津彦彦火瓊々杵尊、宇比地迩神、須比智迩神、伊邪那岐神、伊弉那美神、彦火々出見尊、角杙神、活杙神、天照大神、彦波瀲武咩咩羽葺不合尊、素盞嗚尊、神功皇后、天穂日命、磐筒男命、倉稲魂命

R179号を東へ進んで行くと前方左手丘の上に学校、「味わいの里三日月」の案内がある処を左折して学校の北側を廻り込む感じで進んで行き、突き当りを右折して進むと左手に、前に駐車スペース-更に先に行った『三日月藩陣屋跡』の手前に車参道
日岡八幡神社
679-5134_日岡八幡神社page
鎮座地:兵庫県佐用郡佐用町乃井野1051
由緒:伝えいう山城国石清水八幡宮より分霊を勧請すと、元暦2年(1185)正月9日八幡宮寺神領として船曳庄の見えたれば同庄鎮守として当社の信仰篤かりしを知る。降って永正13年(1516)船曳庄より公用130貫文のあるより推考するに石清水との交渉久しきに渉るを知る。寛永元年(1624)7月16日神社西方山林畑を開墾せんとして山林柴草を刈取り焼却の際、火社殿に移りて焼失する。明暦元年(1655)本殿を造立し延宝3年(1675)、享保5年(1720)、宝暦5年(1755)、明和7年(1770)、天明2年(1782)、寛政5年(1793)、文化元年(1804)等に本殿の屋根替を行う。天和3年(1683)拝殿を元文元年(1736)幣殿を何れも再建せり。嘉永6年(1853)本殿を修理し、爾来今日まで再三之を行う。猶領主森俊春元禄12年(1699)美作国津山城より当地に移封せらるるや居城を当社境内に選定普請せられたる関係上、崇敬特に厚く建造物其の他種々寄進あり。明治7年(1874)2月郷社に列せられ同40年(1907)宿居神社以下31社を合祀せり。
10月15日の近い土日に神輿4台が古式により、渡御式を行い、宵宮は御旅所に駐輩、本宮に還幸になります。還幸には近隣の氏子、集落より屋台が御旅所に参集し還幸行列に従行し、町内を練り祭典を祝います。又、境内においても、獅子舞、屋台練り等の奉納行事が盛大に行われます。
御祭神:仲哀天皇、神功皇后、応神天皇
階段の途中左手に「高良神社」あり

直ぐ東側に
列祖神社
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鎮座地:兵庫県佐用郡佐用町乃井野
由緒:列祖神社は森家の祖、美濃国金山城主森可成、津山藩祖森忠政、三日月藩祖の三霊を祀る神社で、江戸時代は武蔵国目黒行人坂(現・東京都目黒区)にあった三日月藩邸に祀られていました。明治維新後、明治3年に当地に社殿創立、明治14年には拝殿、幣殿などの建物が建築されました。地元ではこの社を列祖さんと呼び、旧藩士で結成された祖霊社保存会では4月9日を祭日として祀られています。
御祭神:森可成(美濃国金山城主)、森忠政(津山藩祖)、森長俊(三日月藩祖)
隣に三日月藩陣屋跡、境内に旧広業館・乃井屋陣屋藩主庭園跡が見られる。

陣屋前から南方向へ進んで行くと154号、右折して進むと前方にR179号左折して南東方向へ進んで行き、旧道を走る予定だが行き過ぎ、先の左手のV字の道を進み、前方T字路を右折、次のY字路を左手に進むと左にコンクリート坂道、U字に曲がって進んで行くと境内に-かなり急峻な坂道、一瞬止かと思う、後で分かったが西側に参道、しかしこちらもかなり急な山道
磐筒男神社
679-5133_磐筒男神社page
鎮座地:兵庫県佐用郡佐用町三日月109
由緒:無格社(兵庫県神社誌)
御祭神:磐筒男命
これ以上進むとたつの市、引き返し北西方向へ

R179号を北へ進んで行くと右手山腹、福仙寺脇に
稲荷神社(福仙寺)
679-5133_稲荷神社(福仙寺)page
鎮座地:兵庫県佐用郡佐用町三日月773
由緒、御祭神共に不明

R179号を三日月駅から北西に進んで行き、坂道を下って集落に入る手前を右折して進むと右手に標識、右折して進むと左手に、コミュニティセンターと広場、ここに車を停めて、先ほどの案内に従って山道を登って行くが、ここもかなりシンドイ
山王七神社
679-5212_山王七神社page
鎮座地:兵庫県佐用郡佐用町林崎字高木ノ元106
由緒:無格社(兵庫県神社誌)
御祭神:大己貴神、素盞嗚神、菅原道真

前記神社参詣途中に見えていた方向へ、西へ進むとR179号へ、右折して進んだ先、トンネル手前で右折して53号を進み、前方Y字路を左手547号を進み、その先の左手のT字路を登って行くと右手にコンクリートの道、手前の路肩に車を停めて参詣-車でも可能だが防護柵があり手前に車を停めた方が賢明-先日もそうだが防護柵の先でUターン可能なのに出来なかった事が何回かあり、バックは下手なので早めに車を停める習慣にしたい?希望?
三社八幡神社
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鎮座地:兵庫県佐用郡佐用町下徳久224-1
由緒:創立年月不詳。本殿及び本殿覆を文化5年(1808)2月に建立。明治7年(1874)2月村社に列せらる。同30年拝殿を建て同40年荒神社以下7社を合祀せり。同40年(1907)徳久村下徳久字北山より現在地に遷座す。
御祭神:誉田別命

前に進んで下って行くと53号へ、北西へ進んで行き『若あゆランド』への橋の次の橋を渡り直進して進み突き当りを右手に進んで行くと左手に階段、防護電線が張られている。
吾勝神社
679-5213_吾勝神社page
鎮座地:兵庫県佐用郡佐用町東徳久1317
由緒:創立年代不詳なれども幣殿屋根瓦に正徳元年(1711)8月とあり。明治7年(1874)郷社に列格、大正4年(1915)12月9日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。昭和21年(1946)太平洋戦争終戦と共に法人となる。昭和27年(1952)7月1日に法人設立す。
御祭神:天忍穂耳尊、素盞嗚命、大国主命、応神天皇、菅原道真、磐筒男命、武雷神

先程の三差路まで引き返し、反対方向へへ進み、この山の北側で左折して北へ、次の交差点で右折して進んで行くと左手に鳥居、無難に早めに車を停め歩いて参詣-防護柵は覚悟していたが、その先の山道もかなりのしんどさ、早めに社が在りここで終わり?と一瞬考えたが登って行くと先に
天一神社
679-5213_天一神社page
鎮座地:兵庫県佐用郡佐用町東徳久1644
由緒:創立年代不詳なれど延喜式神名帳に佐用郡二社佐用比売神社・天一神社とあり延喜年代の宮席あり、正しくは天一神社と云う。鍛冶の神、職業神、銅剣(県指定重要文化財)は明治20年(1887)頃平松の「ゴロウ」と呼ばれる所から発掘され、弥生時代に大陸から渡って来たもので圃場整備の時に数々の土器が発見された。
御祭神:天御中主大神
最初の道路脇の案内に「弥生時代」からとあり、山頂近くの神社には詳細の記載案内がある。

53号を進んで行き右手に西徳久簡易郵便局先の右手の橋を渡り前方斜め左手にゆっくり進ん行くと左手奥に鳥居-実際は一度見落とし引き返す、道路脇の私有地へ車を停めたが、車でも可能、一部未舗装だが境内に乗り入れ可能
吾勝神社(6319058)
679-5215_吾勝神社page
鎮座地:兵庫県佐用郡佐用町平松319
由緒:創立年月日不詳なるも元文5年(1740)申の年12月と明記したる石燈篭あり。明治40年(1907)8月同徳久字東徳久鎮座吾勝神社に合併せられしを昭和21年(1946)8月8日東徳久より分社創立再認許せらる。
御祭神:吾勝々速日天忍穂耳命、素盞嗚尊

53号を更に北へ進んで行くと前方に漆野公民館、反対側の橋を渡って前方左手にカーブして坂道を登って行くと集落に、基本的に直進すると集落を抜けて田圃の真ん中へ、右折して前方のT字路を右折して進み、突き当りを左折して進んだ突き当り-Uターン出来なかったとは思ったが思い切って-前が広場で安心
松尾神社
679-5221_松尾神社page
鎮座地:兵庫県佐用郡佐用町漆野745
由緒:不詳
御祭神:大山咋命
この神社は殆ど諦めて帰る途中、母娘連れに出会い聞くと神社はあるが説明し難いとの事、航空写真で場所を訪ね分かる-この方法は良いが上からの写真に慣れてないと難しいか?

53号へ戻り、少し進んだ先を左折して進み左にカーブしながら進んで行きと小山の北側へここに山道があるので登って行くが少し急なので諦め、航空写真で見た南側からのコースを、細い道を進んで行きUターン可能な処へ早めに車を停め、左手のコンクリートの道を登って行く距離、勾配とも結構きつい-車でも可能だったが無理をせず運動?
八阪神社
679-5221_八阪神社page
鎮座地:兵庫県佐用郡佐用町漆野412
由緒:不詳
御祭神:伊邪那岐命、伊弉那美命
集落の真ん中にある山の上なので色々な参道が在るようだがどれもかなり急

時間的には少し早いが山道の登りは疲れる、帰宅することに、ルートははやり来たルートと同じが無難

神社巡り-県外編上郡から上月(播磨)

我家の要介護犬、車に揺られるのとバッグで揺られると意外と機嫌が良い?、ワンコを乗せて上郡から上月方面へ、南北朝から戦国時代の舞台へ追憶の旅を兼ねての神社巡り。
先日同様、R2号で県境を越え、前方左折して5号を進み、上郡駅の手前で左折して北上し、少し走った先右折して隅見橋を渡り、前方R373号を横切った先を左折し、川沿いに東へ進み、前方左の橋の処を右手V字に進むと前方左に神社、右手に石灯籠と駐車場
天満神社
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鎮座地:兵庫県赤穂郡上郡町上郡468
由緒:菅原道真公筑紫左遷の途次風波の難を坂越の浦に避け給いし由緒に因み応永年間(1394~1427)北野神社より勧請すと伝う。永享年間(1429~1440)赤松則祐幔幕並びに太刀を奉献して祈願あり。正保4年(1647)領主松平政綱その臣奥野将監をして幣帛を献じ年々供米を寄進す。 元禄年間(1688~1703)浅野長直の家臣竹内舎人再建に力を尽し社殿を保気ケ鼻に造営遷座す。 宝永5年(1708)大洪水ありて社殿宝物の大半流出したるにより当地の人大岡玄秀藩主大久保加賀守に出願し氏子力を加えて起工。享保6年(1721)8月25日現在地に竣成す。 明治7年(1874)村社に列し、昭和3年(1928)4月24日神饌幣帛料供進神社に指定さる。同48年(1973)社務所を改築し、同56年(1981)10月段町に鎮座の笊籬神社を合祀。同57年(1982)幣殿拝殿屋根の銅板葺替工事竣工して今日に至る。
御祭神:菅原道真
秋季例祭の舞奉納:上郡小学校6年生女児4人による浦安の舞(扇の舞・鈴の舞)奉納。 獅子舞保存会のメンバーによる伝統の獅子舞奉納
今回土塀の修理中であったが参詣は可能

橋まで引き返し、橋を渡り左折して進んで行くと『鈴の宮公園』奥に急峻な階段、左手先に車道があるが急であり、あまり通行されて無いようなので歩いて階段を登った方が賢明
須賀神社
678-1231_須賀神社page
鎮座地:兵庫県赤穂郡上郡町上郡424-2
由緒:不明
御祭神:素盞鳴命

川沿いに西へ進み、右折してR373号で北へ進んで行くと『大枝』集落、右手に斜めの道とその先に鳥居、前方のバス停に車停め歩いて参詣
八幡神社
678-1275_八幡神社page
鎮座地:兵庫県赤穂郡上郡町大枝607
由緒:元弘2年(1332)赤松則祐の創立するところにして代々赤松氏の祈願所となれり。嘉吉の乱に兵燹に罹りしを其の一族内海範景大枝村に居住し社殿を修築す。後ち尼子晴政の臣佐野十兵衛なるもの其の主毛利元就に和を乞い駒山城に封ぜらるるや直ちに祭資を寄せて当社を崇敬せり。 降って浅野長矩当社に祈願して本村堤防修築工事をなし其の使用せし重量4貫800匁の大金槌を報賽の祭祀に記念として奉納す。明治7年(1874)2月村社に列せられ同8年(1875)拝殿を建立し同11年(1878)本殿を再建す。同43年(1910)幣殿拝殿を新築せり。
御祭神:誉田別命
神社前まで車で可能だったが!

直ぐ先を左折し前方突き当りを左手に進み、前方田圃道を西方向へ進み突き当りをどちらで良いが、今回左手に、川に出たところで右折、そのすぐ先を右折して進んで行くと右手に、前に車を停め参詣
大酒神社
678-1276_大酒神社page
鎮座地:兵庫県赤穂郡上郡町大枝新436
由緒:創立年月不詳 。明治7年(1874)2月村社に列し同19年(1886)本殿を再建し拝殿を建築す。
御祭神:木花咲屋姫命
前の道を川沿いに北東へ進んで行くとR373号へ


R373号を北へ進み、前方次の集落で左手に橋がある処を右折した処に車を停め歩いて前方へ進んで行くがフェンスがあり鍵は掛かってないがロックが硬すぎて開かないので、かなり遠いと思われるので引き返す、途中で出会った人に聞くと先にあるのは淡島神社らしい、北側の山にも何かが在りそうだが、今日も一際暑く次回以降に、予定では須賀神社:赤穂郡上郡町柏野337

R373号を進んで行くと左手白旗城跡の大きな看板、播磨・備前・美作の守護大名赤松氏の居城なので、つい釣られて入って行ったが、本来の目的の神社巡りに、山際の道を北西に進んで行くと、前方右手に『赤松の郷昆虫文化館』に至る坂道、赤松居館跡へ車を停め西側の神社を目指す
五社八幡神社
678-1273_五社八幡神社page
鎮座地:兵庫県赤穂郡上郡町赤松271
由緒、御祭神共に不明
前方(西)へ抜ける道は非常に狭く、表参道から参詣するには、直進して進むべき

先へ進んでR373号へ、北へ進んで智頭急行線を潜った先に集落で右折して進んで行きU字、V字に曲がって坂道を登った処左手に鳥居
素盞嗚神社
678-1271_素盞嗚神社page
鎮座地:兵庫県赤穂郡上郡町楠564-3
由緒:不明
御祭神:素盞嗚尊

R373号を北へ進んで行くと佐用町へ、最初の集落に入って右側に佐用町の標識と提灯っぽい街灯が、その奥に赤い鳥居、路肩に車停め
三社八幡神社
679-5654_三社八幡神社page
鎮座地:兵庫県佐用郡佐用町大酒140
由緒:創立年月不詳。貞享5年(1688)の修造を経て嘉永7年社殿を再興し、明治7年(1874)2月村社に列せらる。同29年(1896)7月大避神社を合祀、同年12月幣殿、拝殿を改築し、同41年(1908)井神社を合祀せり。
御祭神:木花咲屋姫命、仁徳天皇、仲哀天皇

R373号を北へ進んで行くと前方左手の橋の先に神社、この集落は孤立しているようなので、橋を渡り直進し、突き当りを左折して進み、前方集会所前に車を停め北側の神社を目指す
素盞嗚神社
679-5653_素盞嗚神社page
鎮座地:兵庫県佐用郡佐用町小赤松370-2
由緒:創立年月不詳。正徳元年(1711)社殿を造営し、明治7年(1874)2月村社に列せらる。明治41年(1908)小赤松鎮座の無格社(兵庫県神社誌)産霊神社へ旭日鎮座の村社素盞嗚神を移転合祀し村社素盞嗚神社と改称する。
御祭神:素盞嗚尊
左手下てにお堂、前方へ抜けて橋方向へ

R373号を進み橋を渡って右にカーブする処を右折して進むと左手に、新しい建物で、前の土手に表示されている『高瀬舟』に関係は?
金刀比羅神社
679-5641_金刀比羅神社page
鎮座地:兵庫県佐用郡佐用町久崎字船着543-2
由緒:無格社(兵庫県神社誌)
御祭神:金山彦命

R373号を進み前方久崎三差路を右折、次の交差点(久崎小)左折して進み小学校の裏手に車を停めすぐ先にある坂道を登って行くことに、神社前の道が一方通行のため、何か測量中だったので少し手前に!
ここから先が大変、まずは防護柵、これは簡単だったがこれから神社までがかなりの登り、裏参道が在り車でも可能かもしれないがあまり通行量の無い山の坂道は歩いた方が無難?
大避神社
679-5641_大避神社page
鎮座地:兵庫県佐用郡佐用町久崎字飯之山831
由緒:創立年月不詳。赤穂郡阪越村なる県社大避神社より分霊を勧請したるものにして初め家内村の背山の麓に鎮座せられ後ち現今の地に遷座せらる。寛政7年(1795)950年祭を奉仕し、弘化4年(1847)2月本殿、拝殿を改築し、明治7年(1874)2月村社に列せらる。同40年(1907)荒神社以下6社を合祀せり。
御祭神:秦河勝

意外と時間があるのでほんの少し寄り道?、久崎三差路から左折後北東へ368号を進み右折して前方右手の橋を渡り突き当りを右折、次を左折して進むと前方左手に斜めの坂道、ここに車停めシンドイと思われるが歩いて参詣、ここも最初に防護柵あり、途中で車参道と分かれるが、やはり通行量の少ない未舗装(砂利道)の道、歩いた方が賢明-見事に予想した参道口だったが、やはりかなりの距離のある山道、最初の上り口、斜めの道の少し先には道路脇に鳥居と石段、少し分かり難い!
櫛田八幡神社
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鎮座地:兵庫県佐用郡佐用町櫛田字原家垣内1095番
由緒:文永年間(1264~1274)櫛田有景の創立と伝え一に豊臣秀吉の家臣横田源之丞の創立とも称す。江戸時代櫛田八幡宮と称し、寛永7年(1630)社殿を再建し、文化14年(1817)本殿、拝殿を造立する。文久2年(1862)本殿を再建し、明治7年(1874)2月村社に列せらる。明治39年(1906)本殿の屋根替え及び幣殿を再建し、同42年(1909)保食神、倉稲魂命を合祀する。明治45年(1912)荒神社以下6社を合祀する。
御祭神:応神天皇、神功皇后、仲哀天皇、仁徳天皇、仲姫命
ここからが今日の失敗、走ってきた368号が整備された道で、R373号と勘違い、元の場所(橋の袂)で右折して何も考えずしばらく走り、前方に『高倉城跡』の標識、此処で慌てて引き返し、R373号へ

R373号で北へ、前方に円光寺橋とトンネル、その手前右手に斜めの坂道、ここを登ればいいと思われるが無難に少し先の右手へ進み、ここに見える階段を登って行く
八幡神社
679-5642_八幡神社page
鎮座地:兵庫県佐用郡佐用町円光寺字松山730番
由緒:創立年月不詳。江戸時代太田八幡宮と称し、正徳3年(1713)社殿を再建し、明治7年(1874)2月村社に列せらる。同40年(1907)荒神社以下6社を、同42年(1909)大避神社を、同45年(1912)荒神社を何れも合祀せり。猶此の前後に山之神社、愛宕神社をも合祀せり。
御祭神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、仁徳天皇

R373号を更に進んで行くと前方左手に『上月城跡』の表示、登る気はないが尼子氏と山中鹿之助で有名な地、左折して進んで行くと歴史資料館と紙すき文化伝承館、この後ろに鳥居と祠
不明神社(上月城跡)
679-5523_不明神社(上月城跡)page
鎮座地:兵庫県佐用郡佐用町上月373
由緒、御祭神共に不明

R373号を北へ、踏切、橋を渡って左折して進んで行くと左手に上月駅、一応寄り道し、駅前を北へ、上月支所脇を通り突き当りを左折、右折すると前方に鳥居、手前の路肩に車を停め参詣

八幡神社
679-5523_八幡神社page
鎮座地:兵庫県佐用郡佐用町上月822
由緒:創立年月不詳なれども宇佐八幡宮より分霊を勧請。佐用報景より赤松政範に至る大平城主代々の氏神として寄進の宝物ありしも落城の際兵火のため消滅。正徳3年(1713)宝永6年(1709)に本殿を再建し安永8年(1779)本殿の屋根替を行ひ嘉永7年(1854)本殿覆の屋根替。明治7年(1874)2月郷社に列し同6年(1873)本殿覆を修繕し同33年(1900)諸殿を造営し同40年(1907)荒神社以下十九社を合祀。大正7年(1918)社務所を新築昭和3年(1928)本殿の屋根替を行ひ、昭和52年(1977)社務所屋根葺替同61年(1986)本殿屋根葺替と拝殿社務所の補修平成元年(1989)玉垣の設置同3年(1991)神饌所を増築す。
御祭神:応神天皇、天葺根命、大己貴命、息長足姫命、菅原大神、保食神、素盞嗚尊、磐筒男命、大山祇命、湍津姫命、訶遇突智命

上月三差路まで引き返し、左手に取りR179号を進んで行くと左手に鳥居、左折して進み、鳥居脇を更に進んで行くと前方に『早瀬公民館』前に車を停め、右わきの細い道を進んで行くと、坂道の先に防護柵、開けて進んで行く
白山神社
679-5521_白山神社page
鎮座地:兵庫県佐用郡佐用町早瀬534
由緒:創立年月不詳。播磨風土記速湍里(はやせ)に坐す廣比売命を祀りし社と伝うる説あり。江戸時代白山権現と称し誉田別命、天児屋根命、天忍穂耳尊を祀ると伝え、享保6年(1721)本殿を、同16年(1731)幣殿を何れも建立し、明治7年(1874)2月村社に列せらる。明治20年(1887)幣殿、拝殿、同39年(1906)本殿を新築し、翌40年(1907)荒神社を合祀し、大正7年(1918)本殿を再建する。
御祭神:廣比売命、誉田別尊、天児屋根命、天忍穂耳尊、素盞嗚尊

R179号を進み、前方北にカーブする処を右折して踏切を越えて進み突き当りを左折、次のT字路を右折、左折して進んで行くと右手奥に鳥居、近くの広い処の路肩に車を停め、歩いて北側から神社を目指す
高倉神社
679-5302_高倉神社page
鎮座地:兵庫県佐用郡佐用町山脇986番
由緒:無格社(兵庫県神社誌)
御祭神:秦河勝、素盞嗚尊

R179へ戻り、進んで行くと前方左手に『佐用共立病院』前を右折して、その先左折して線路脇を進んで行き、その先突き当りを右折、その先R179号を進み右手に鳥居左手の路肩に車を停め参詣-突き当りを左手に進むと神社前(国道179号線と国道373号線の合流交差点)
龍山神社
679-5301_龍山神社page
鎮座地:兵庫県佐用郡佐用町佐用3500番
由緒:当龍山神社は佐用町佐用字蛇ノ尾の地に鎮座し高咩神を主神として相殿に須佐男命、軻過突知命、菅原道真を祀れる社であって、其創立年月日は不詳なれども、文政7年(1824)頃再建せし事は棟札により知ることが出来る。なお祭神罔象女神、五帝龍神を祀った事も明らかである。佐用町の東北の権現山は樹木繁蒼として佐用町鎮護の社たるを伺うに足る。明治初年(1868)無格社(兵庫県神社誌)の社格を受け、明治43年(1910)本殿、幣殿を改修し、昭和2年(1927)拝殿を改築したものである。祭には神輿1基と大屋台(山車)1台、小屋台1台、樽神輿10数基が、神輿の巡行の前後に付き華をそえる。 
御祭神:高●神(●は靈の巫→龍)、須佐男命、軻遇突知命、菅原道真
ここも結構シンドイ、急な階段と雑然とした階段、しかし崖崩れのせいか?左手崖側を工事中、そのせいか北側の見晴らしが素晴らしい

R179号を西方向へ引き返し、南へ下り始めたところを右折して365号を進んで行くと右手に鳥居、少し進んだ処へ車停め参詣
八幡神社
679-5301_八幡神社page
鎮座地:兵庫県佐用郡佐用町佐用528番
由緒:無格社(兵庫県神社誌)
御祭神:誉田別命

中国自動車道に沿って365号を西へ進み、前方左折して124号を南へ進み最初の集落の手前左手の杜、少し先の路肩に車停め歩いて-鳥居は見える
吾勝神社
679-5513_吾勝神社page
鎮座地:兵庫県佐用郡佐用町金屋1174番
由緒:無格社(兵庫県神社誌)
御祭神:天忍穂耳尊、応神天皇

今回は急峻な階段・山道が多かったせいか非常に疲れる、老犬の介護もあったせいかもしれないが?今回は無難に元の道を引き返すコースで帰宅

神社巡り-県外編上郡(播磨)

暑すぎてとても出かける気が起きない!一度兵庫県播磨の国を目指して出掛けたが、途中でタブレットが何故か故障?、何故か全く電源が入らず、途中で引き返したし、中身のデータも取り出せず。
新品に交換してもらい再度播磨の国へ
スタンダードにR2号線を東に、前回ものんびりと走りながら神社を探すがやはり見つからない、昔なら船越峠を経て播磨、現在はトンネルを抜けて兵庫県へ!!
『播磨自然高原』の看板の少し先、左手斜めの狭い道をしばらく進んで行くと左手奥に
船坂神社
678-1244_船坂神社page
鎮座地:兵庫県赤穂郡上郡町梨ヶ原360
由緒:元弘3年(1333)春赤松則村苔縄城より打ち出で山の里梨の原の間に陣を取りし時、会々六波羅の催促によりて上洛せる備前、備中、安芸、周防の勢の中に伊東大和二郎なる者武家與力の志を変じて官軍合体の思いをなし祈誓の為、一社を勧請し以て赤心を籠めたり。之即ち今の船坂神社にして後醍醐天皇隠岐遷行の際、兒嶋高徳駕を船坂山に迎えんとして待ちつつ皇室の長久を当社に祈りたり。 明治7年(1874)2月村社に列し次いで宿村大避神社を合祀し同11年(1878)8月社号を船坂神社と改称せり。同42年(1909)鼻塞神社、湯神社を合祀せり。
御祭神:天照皇大神、春日大神、誉田別命、秦河勝
神社の西側に釣鐘が、寺跡か?

神社前の道を更に進んで行くと途中に『梨ヶ原宿遺跡』の表示、更に進んで行くとR2号へ、しばらくして左手に石燈篭と奥に神社(5号の分岐の少し手前)
落地八幡神社
678-1243_落地八幡神社page
鎮座地:兵庫県赤穂郡上郡町落地579-2
由緒:傳へに云ふ弘安2年(1279)夏当地方に大雨あり。里人之を眺めるに空中龍の昇降すに似たりしかば恐懼して身心を悩まし一種奇異の病魔に犯され煩悶せしに一夜老人の夢むらく、吾が村は山の里高嶺神社(御祭神牛頭天王)素盞嗚命神代に大蛇を斬り殺し殺し拾へる霊魂今此の地に現れて悩ますものなりと即ち今より村名を落地(大蛇)に作り(大蛇の霊魂地に落つるの意か)武勇なる八幡大神を祀り以って信仰すれば里人の病立ち処に平癒すと翌朝相謀るに皆同じ夢なり。依って今の地に卜し誉田別命を齋い奉る。一種の奇病忽ち癒えたり。慶長18年(1613)池田輝政本郷を領して規模を修め金殻を寄せて祭資料を充てたり。
御祭神:誉田別命

R2号から左折して5号を進んで行くと途中『山陽道野磨駅家跡』が、別段旧街道の探索でもないので進んで行くと、下り坂の途中、池の手前に案内が、結構広い道だがかなり急なカーブした道が続き、途中鳥居があり脇に『ツバキの小径』を通って歩いていく道があるが車で更に進んで行くと前方登ると駐車場、下ると神社脇に、
高嶺神社
678-1241_高嶺神社page
鎮座地:兵庫県赤穂郡上郡町山野里2745
由緒:当社は平安時代の中頃天禄3年(972)9月23日勅命(天皇の命令)をもって祀られたのです。それは、当時この地方(播磨国)に流行病がはやり、手立てもなく死に至る人々は数知れないという状況が続いていたある時、毎夜毎夜天から光が降下し、又有明山(元祭祀関係地)から光が立ち上り、それらが相競うように明るさを放っていた。人々は不思議がり、貴さ、有り難さを感じる人々は利益を受け、侮った人々は災いを受けた。やがて光りは『神田柳田森』に着いた。この不思議な現象を国司は朝廷に届け、天皇が調べさせたところ「天竺摩詞陀国の牛頭天王(須佐之男命)が当地の鎮守として鎮まれた。邪気を払い、民草を救わんとする兆しである。」との御託宣を得て、天皇が当地に祀らしめた。それからは、蔓延していた流行病は治まり、人々は正常の生活に戻ることができたのです。そして、勅願所として祭祀が行われたのですが、やがて柳田森から高峯山の山頂へ遷され『高峯山牛頭天王』と称し祀られるようになりました。
御祭神:須佐之男命、足名稚命、手名椎命、櫛名田比売命
帰りはずっと下って行った先、右手に取り5号へ、右折して5号を進み、前方カーブした先の右手の道を進むと石燈篭と鳥居-北側からの道のようだが防護柵がありあまり通行してない感じ

更にこの細い道を進んで行くと前方に広い道、右折して進み、次の十字路付近に車を停め、右折して進んで行くと神主宅
高嶺神社(神主宅)
678-1241_高嶺神社(神主宅)page
鎮座地:兵庫県赤穂郡上郡町山野里1341-2

今度は車を停めた道を北方向へ進み、5号を横切って進んだ先突き当りを右折して進むと直ぐ鳥居
安室神社・高嶺神社(里宮?)
678-1241_高嶺神社(里宮?)page
鎮座地:兵庫県赤穂郡上郡町山野里1106
由緒:無格社(兵庫県神社誌)
御祭神:品陀和気命
同じ場所に高嶺神社(里宮?)、牛子神社がある
お祭りとして高嶺神社の御田植え祭は、かつて例大祭の1週間前の4月3日に斎行されていたが、現在は例大祭の前時刻に斎行される。町指定文化財の神事である。小学1年生になる男女の子供が、田男・早乙女に扮し、神前の仮田で田植えの諸作業を行う。花笠や衣装を着けた姿は大変可愛いく、りりしい。 それに続いて行われるのが例大祭であり、穂揃い祭で、これも町指定の特殊神事である。三色の菊の作り花に稲穂をさし、百膳の早稲、中稲、晩稲の膳が並び、豊作の様子を表す予祝の行事である。秋の大祭は神幸式で平安期に始まる古社地への御旅で神輿・杼・獅子をはじめ500人程が参加して行われる。

神社前の道を進んで行き、前方左折して進んで行くと山陽本線、その先に90号、右折して進んで行くと前方に上郡駅前信号、五叉路の内直ぐ右手の川沿いの細い道を進んで行くと左手に
稲荷神社(最上位経王大菩薩)
678-1233_稲荷神社page
鎮座地:兵庫県赤穂郡上郡町大持
由緒、御祭神共に不明

更に進んで行くと『上郡高校』南側に-車をUターンして神社横の路肩へ車停め
大持須賀神社
678-1233_須賀神社page
鎮座地:兵庫県赤穂郡上郡町大持344
由緒:無格社(兵庫県神社誌)
御祭神:素盞鳴命

90号まで引き返し、南東へ進み、前方の信号を右折して進み、前方線路の手前を左折して進んだ左手、手前脇に駐車場
竹万大避神社
678-1232_大避神社page
鎮座地:兵庫県赤穂郡上郡町竹万355
由緒:創立年月不詳。坂越村県社大避神社の分霊を勧請創立せし神社なり。長船越中守、山野里駒山城に居住の際、筑摩村(竹万村)に小田、吉田、内海、片島と云える人越中守と隙を生じ苔縄村高見治部なる浪人を頼り当社に祈願して白昼駒山城に火を放ち之を陥れて報賽のため祭資を寄せて大祭典を執行すと伝う。 元禄3年(1690)社殿大破に及びたるを以て時の領主浅野氏再建の挙ありて9月に成就す。明治7年(1874)2月村社に列せらる。
御祭神:秦河勝

神社前の道を東へ進んで行くと前方90号、右折して90号を南へ進み、線路を潜った先に5号、左折して5号を東へ進み、再度山陽線を越えた先、左にカーブして坂道を登った行く途中、右手のの広場に車を停め、東、南側から廻り込んで神社を探すが、これは名称不明のお堂、諦めて元の場所に引き返し近くの農作業中の人に尋ねる-ここで教えられたのが、先の信号を右折して進んで行き突き当りを右折、左折してからその先、池の側を進んだ先に-結果は何とかたどり着けたが問題?
しかも池の直ぐ西側にお堂と神社らしき跡?

高田小南の道を西へ、郵便局を過ぎ、前方の池を過ぎて進んで行くと右手に石燈篭が二つ、ここを右折して進み、突き当りを右手に登って行くと右手に墓地、左手に鳥居と石段距離はあるが登って行くと神社
八幡神社
678-1225_八幡神社page
鎮座地:兵庫県赤穂郡上郡町與井634
由緒:承和4年(837)2月15日の創建にして治承年間(1177年~1180)に源頼政菖蒲前並に猪早太此の地に来り其の加護を祈ると伝う。赤松則村当社を崇敬し元弘3年(1333)社殿を再建し幣帛を献ぜしも赤松氏没落の後再び廃頽に帰せしかば八箇村の氏子之を産土神として崇敬尊奉す。寛永14年(1637)社殿の修繕を加え元禄14年(1701)石原新左衛門、岡田庄太夫等玄米3石を供米として享保8年(1723)大久保加賀守、奉行岡部丹左衛門、下川兵衛に命じて本社立替料として上田地1反5畝を寄進せり。明治7年(1874)2月村社に列し同43年本殿の屋根替を行い大正元年(1912)幣殿拝殿を改築し同12年(1923)社務所を新築改造せり。
御祭神:帯中津比古命、誉田別命、息長足姫命
訪ねた人が団地が出来て簡単に行けることを知らなかったのか、大きく廻って行く道を教えてくれたようだが、実際は団地の中頃、山本酒店手前を右折して進んだ突き当りの右手に、又、5号を進み坂道を下った右手池の手前に鳥居が、昔は此処からの参道もあったのか、現在では団地を抜けていくのは面倒か!

一旦5号まで引き返し東へ進んでいると、急にどしゃ降りの雨、予定では5号北側の山際を予定していたが足場が悪くなっていると思い近くの『願栄寺』駐車場で雨宿り、雨が上がったので今日の予定5号の一番東の神社を目指す。
これが今日の失敗の第一歩になるとは!
5号を進み前方宇野山地区の手前で前方右手の斜めの道を下り、5号の下側を進んで行き、前方右手の道を右手に進んで行くと日吉神社、地図を見ると神社の附近広くなっているように思えるので車で進んで行くと、前方に防護柵、これまでの経験から簡単に開けて通行可能と思い車を進めるが、柵にかかっているフックの外し方が分からず、引き返そうと思いバックで進みかけるが坂道で不安、傍の少しの空きスペースを利用してUターン仕掛かるが無理、諦めてのんびりとバックをするしか方法が無いのかと思いながら動かしかけると左側の側溝へ落ちる。個人の力では全く動かすことは無理、保険会社のロードサービスへ連絡し救助を待つことに、ここでも失敗、ロードサービスの電話の控えが車に無く、検索し、連絡、名義等も含め確認に手間取る。
1時間程度かかるようなので、防護柵のフックの外し方を再度トライ、錆付いて動かないと思って諦めていたが、押してずらすと簡単に外れる。神社前にはUターン可能な十分なスペースが!、誰に文句を言える訳でもなく、取り敢えず参詣
日吉神社
678-1213_日吉神社page
鎮座地:兵庫県赤穂郡上郡宇野山333-40
由緒:無格社(兵庫県神社誌)
御祭神:猿田彦命
参詣を終え、持っていた文庫本も読み終えてもまだ来ない、予定時間をかなりオーバーしてやっと到着、どうも私の電話番号が救助の方に正しく伝わってなかった感じ、ジャッキとかます板で無事脱出、話をすると岡山の美作かららしく、土居神社の直ぐ近くらしいが私のイメージではかなり遠くからという感じだが意外と近いようである。電話が通じなかったせいもあるがこのような小さな山中の神社は尋ねる法が無理がある。

5号を西方向へ引き返し、前方『平家塚』の表示の先を左折して進み、墓地の見える先の路肩へ車を停め歩いて付近を探す、右手墓地の裏側を進んで行っても結果行けたようだが不安で引き返し、山際を右手に進み集落へ、ここで尋ねるが分からない、更に進み左手にカーブして坂道を登った左手に(実際はこの辺りで出会った人に確認)
大避神社
678-1214_大避神社page
鎮座地:兵庫県赤穂郡上郡町休治83-4
由緒、御祭神共に不明

南へ進み、前方十字路を西へ進むと前方に450号、左折して進み、前方高田小横を左手に進み、2本目の道を右折して進んだ先左手に山道っぽい参道(老人ホームの手前)、北側にも参道-これが表参道
須賀神社
678-1216_須賀神社page
鎮座地:兵庫県赤穂郡上郡町中野1353-14
由緒:無格社(兵庫県神社誌)
御祭神:素盞鳴命

最初の八幡神社の位置がはっきりしてなかったのでこの辺りをうろちょろした感じ、450号を北へ、6号で少し東へ進んだ後、右手の450号を北東へ進んで行くと『福泉寺』、更に進むと池の土手下へ、東端へ車を停め歩いて池の東側から北へ廻って池の奥に見える神社へ、池傍の道は防護柵で通行できない感じ
須賀神社
678-1212_須賀神社page
鎮座地:兵庫県赤穂郡上郡町佐用谷353-69
由緒:無格社(兵庫県神社誌)
御祭神:素盞鳴命

450号を引き返し、5号を西へ進んだ先の信号を右折してみちなりに北へ進んで行くと右手に石燈篭、この附近に車を停めて北側へ進んで行くと右手に鳥居、その先に
八幡神社
678-1219_八幡神社page
鎮座地:兵庫県赤穂郡上郡町奥312
由緒:承和年中(約840年)平安時代後期の勧進にして以来鎮座まします。 明治6年(1873)郷社に昇格する。大正4年(1915)神饌幣帛供進神社に指定される。明治7年(1874)幣拝殿改築、現在の本殿は、文化10年(1813)8月に建立されたもので大正12年(1923)4月に屋根を銅板に葺き替える。明治34年(1901)4月3日建立の石碑に「永禄2年(1559)に遷座された大神様の神徳を讃え、神域を清め玉垣を立てて整備するため浄財の寄付を募った・・・」と刻まれている。 幣殿は明治15年(1882)改築し、更に昭和4年(1929)幣拝殿改築し、現在に至る。昭和10年(1935)玉垣の増設、改造工事が完成している。社務所は大正6年(1917)新築したが老朽化のため、昭和62年(1987)再び新築する。 
巴櫻宮 :本殿の西隣りにある社(祠)で、八幡神社社頭で武運長久を祈願し懐かしき故郷高田村を後に、祖国日本の永久不滅を信じ尊い生命を捧げられた英霊たち135社を奉鎮している。
御祭神:帯中津比古命(仲哀天皇)、誉田別命(応神天皇)、息長足姫命(神功皇后)

今回とんでもない自己ミスによる脱輪、車輪一つならまだ問題なかったかもしれないが二つ、どうにもならなかった。少し余裕を持っていれば一つの脱輪ですみ、脱出も可能だったかも?、いずれにしても平地のバックはまだいいが坂道で片方が転落の可能性があると、心理上厄介!

整理し直して再度この方面へ、どうも運が無い地域なので今後も要注意?多分次回は忘れているか!
付近に神社がかなり残っているが諦めて帰宅、5号、R2号で順調に!!

神社巡り-県境を越えて、鳥取県三朝町

暑い日が続きばて気味で出掛ける気力が湧かない、それと近場で参詣する処が殆ど無いのも!離島巡りもやはり暑い、最近の最高気温をみても県北もほとんど変わらない!ぐだぐだ言っても仕方ないので今日こそは思い切って出発、県北で忘れている処の一つ上齋原方面へ、そして大昔に行った覚えがある人形峠へ、しかし今はトンネルで県境を超えるので三朝温泉方向を目指す。
R53号から美咲町で70号を目指し、北上しR179号で上齋原村から人形峠、トンネルを抜けて鳥取県三朝温泉方向へ
R179号を進んで行くとガラス美術館を過ぎた先で左折してR482号の分岐地点を過ぎ進んで行くと前方『いっぷく亭』の案内、右折してみちなりに進んで行くと右手に先ほどの『いっぷく亭』の藁葺の建物が、右折しなくて直進して進んで行くと前方左手に-無意識に進むと見当はずれの方向へ、先に有名な「岩井の滝」があるのでつい行ってしまいそう!
赤和瀬神社
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鎮座地:苫田郡鏡野町上齋原
この先は何処にも出れないので20分程度で元のR179号へ

R179号を進んで行くと人形トンネルへ、かなり長いトンネルで抜けるとそこは鳥取県!-昔人形峠のウラン工場(現日本原子力研究開発機構)へ行ったときは結構曲りくねった道だったが、自分で運転したわけでなくほとんど記憶に無いのが本当のところ

坂道どんどん下って行き、前方R482号と出会う手前(集落)に左手斜めに入る道があるが、坂道でスピードが上がっており、後続車があると曲がることは難しいそう、少し進んだ左手に広場があり此処に車を停め歩いて参詣-道幅は意外と広く車で十分可能で、神社前も十分駐車可能
幸能鶴神社
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鎮座地:鳥取県東伯郡三朝町穴鴨590
由緒:創立年月不詳、領主鹽谷判官高貞公深く崇敬せられ、屡々社宇を修築せられたる由、建武二年乙亥八月五日屋根葺替の寄進ありし棟札を現存せり、延宝八年九月神主山崎河内守正重代に於て、氏子安田茂右衞門藤原定成外四名本願主となり新殿一宇改築す、何時の頃よりか池田旧藩主より社領米として毎年玄米八俵づつ寄進せられ、元河村郡大柿村より納付し来れり。当神社は従来白鬚大明神と称し、祭神 猿田彦尊を奉祀せしが、明治元年戊辰十一月幸山神社と改称せられ、摂社 大山祇尊、菅原道真公の二柱を合祀す。大正元年十月十九日竹田村大字加谷字隈ノ内上 鎮座 村社鶴山神社(祭神 大山祇尊) 竹田村大字木地山字能谷 鎮座 能谷神社(祭神 大山祇神、須佐之男尊) 同村大宇村字栗祖 鎮座 村社 幸山神社に合併の上、幸能鶴神社と改称す、大正四年十一月五日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。維新以前近郷十一ヶ村の大氏神と称し毎年九月十九日を以て祭日を定め、恒祭を行ひ来り、殊に当日は藩主の許可を得て神幸式並に大名行列を行ひ来り、今も尚継続実行しつつあり、境内に於ては宮角力と称し近郷の力士集り奉納せり、美作地方より来る者多く最も盛んなり。
御祭神:猿田彦尊、大山祇神、須佐之男尊、菅原道真公

R179号を北へ進んで行き、次の集落(曹源寺)を過ぎかけた辺りで左折して坂道を登りS字カーブを過ぎた先の突き当りを左折して進んで行き、直進する感じで進むと左手に鳥居、その先の路肩へ車を停め参詣
玉坂神社
682-0374page
鎮座地:鳥取県東伯郡三朝町曹源寺247
由緒、御祭神共に不明

R179号を更に北へ進み次の集落(久原)の中ほど、左手のカーブした道の手前に車を停め、坂道を登り突き当りを左手に進んだ直ぐの右手奥-T字路付近駐車可-歩いた方が神社が奥まっているので安心!
大正神社
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鎮座地:鳥取県東伯郡三朝町久原261
由緒:大正元年十三月十三日旭村大字久原字下庄鎮座村社野尻神社(祭神 野槌雄命 ) 〔創立年月不詳、当社は野尻大明神と称し久原区の氏神として崇敬し来れり、維新の際野尻神社と改称す、元小鴨城主小鴨元清小鴨城後鎮守の神として深く崇敬せられ、社殿を改築し宝鏡をも献ぜられる宝鏡今に保存せり〕に仝村大字助谷字大畠鎮座村社大畠神社(祭神 綿津見命)  仝村大字曹源寺字地山鎮座村社玉阪神社(祭神 倉稲魂命 )右二神社を合併し大正神社と改称せり、、大正四年十一月五日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
祭神:野槌雄命、綿津見命、倉稲魂命

R179号を北へ進み、次の集落(助谷)に入って直ぐ、右手に橋が見える直ぐ先を左折して進み右にカーブして進んだ先に大きな木、更に進んだT字路の左手-ここも奥まっており見落とし易い
大畑神社
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鎮座地:鳥取県東伯郡三朝町助谷854-2
由緒、御祭神共に不明

R179号を更に北へ進み、次の集落(大柿)に入った右手の橋を渡り、突き当り(赤松地区)を右折して進んだ左手-少し先でUターン可能
荒神神社
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鎮座地:鳥取県東伯郡三朝町赤松
由緒、御祭神共に不明

R179号を北へ進み、『日本圧着端子製造』の処を左手に取り進んだ左手奥-手前の道は広いので路肩に車を停め歩いて、ここもかなり奥まった処に在り
五郷神社
682-0178page
鎮座地:鳥取県東伯郡三朝町牧560-1
由緒:大正元年十二月十一日旭村大字牧字家ノ上鎮座牧神社(祭神 天照大御神 ) 〔当社は廣田大明神と称し牧区の氏神として崇敬し来り維新の際牧神社と改称す〕仝村大字湯谷字檜木鎮座村社湯谷神社(祭神 若日霎神) 〔当社は姫宮大明神と称し湯谷区の氏神として崇敬し来り維新の際湯谷神社と改称す〕仝村大字大柿字眉ヶ谷鎮座村社上野神社(祭神 彦波瀲武鸕鶿茅葺不合尊 ) 〔当社は字冠大明神と称し大柿区の氏神として崇敬し来り維新の際上野神社と改称す〕仝村大字恩地字管ヶ谷鎮座村社恩地神社(祭神 天穂日命) 〔当社は妙見大明神と称し恩地区の氏神として崇敬し来り維新の際恩地神社と改称す〕仝村大字赤松字大泓鎮座村社赤松神社(祭神 猿田彦命 )〔当社は山王権現と称し、赤松区の氏神として崇敬し来り維新の際赤松神社と改称す〕右五神社を合併し五郷神社と改称せり、大正六年十月十七日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
御祭神:天照大御神、若日霎神、須佐之男神、猿田彦命、彦波瀲武鸕鶿茅葺不合尊、天穂日命

前の道を北へ進とR179号へ、少し進み前方右手の橋を渡り、突き当りの手前の道を右折して進んだ十字路を左折した奥-左折しようと思ったが神社前に防護柵、この場所がUターン出来そうなので此処で車を降り、歩いて参詣、やはり歩く方が賢明!
姫宮神社
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鎮座地:鳥取県東伯郡三朝町湯谷
由緒:江戸時代の河村郡神社御改帳山中構によると本社:姫宮大明神、末社:大崎大明神、八大荒神、三宝荒神、神、大歳荒神が祭られ、鳥取県神社誌(昭和9年)によると姫宮大明神は、明治維新の際、湯谷神社と改称したそうです。
御祭神:若日芽孁神(稚日女尊)
この神社に木造の狛犬があったらしいが現在鳥取県立博物館に寄託されている。

R179号まで引き返し北へ進んで行くと左手に、車で行けそうだが駐車位置に不安、路肩に車を置いて歩いていくが、神社右手に未舗装の駐車場
今泉神社
682-0151page
鎮座地:鳥取県東伯郡三朝町今泉179
由緒:創立年月不詳、往古より七社明神と呼ばれ今泉区民の産土神として崇敬されて来た。明治維新に今泉神社と改称、大正五年十一月十五日分祀されていた若宮神社を合併し本殿及び拝殿を新築遷宮す。大正六年十月十七日神饌幣帛料供進社に指定される。
明治末期から大正初期にかけて、政府の方針によって各地で神社の統合が進められましたが、今泉神社は統合することなく、今泉村中での祭祀を存続させました。神社の詳細な由緒は明らかではありませんが、鎮座以来、大切に守られてきた見事な社叢が、今にその姿を留めています。
御祭神:別雷神、誉田別命、兒屋根神、倉稲魂命、日本武神、大山祇神、須佐之男神
入り口に「縁結びの聖地」と不釣り合いな青い表示のある写真があったが取り除かれていたようだ、境内に「夫婦スギ」と呼ばれる二本の杉の木があるので、それに由来?、最近は由来に関係なく色々な御利益が?外されたのも頷ける

R179号を北へ進み、前方を右折して205号を進み、前方を右手に進み、リサイクルセンター先を右折、突き当りを左手に進んだ先の広場に車を停め南側見える神社を目指す、帰りは途中の道があまりにも狭かったので、東側から北の205号を目指すが手前の広目の道は行き止まり、出て直ぐに左折して進み205号へ
本泉神社
682-0152page
鎮座地:鳥取県東伯郡三朝町本泉220
由緒:創立年月不詳。当社は往古より妙見大明神と称し、本泉区の産土神たり、維新の際本泉神社と改称す、此時境内末社(祭神 大山祇神、菅原神 )を合祭せらる、大正九年二月十一日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
御祭神:国常立神、大山祇神、菅原神

205号を少し進んだ先、左手に川と出会う処を右折し進んで行き、前方左手の広場に車を停めて先へ進み左折して進んで行くと右手に-最初車で行ったが前方車で塞がれている感じなので引き返したが、歩いていくと車の手前で左手に道はカーブしていた、バックするのが苦手なため早々と諦めたことが?
加茂神社
682-0153page
鎮座地:鳥取県東伯郡三朝町森331
由緒、御祭神共に不明

205号を引き返し、前方右折して235号、右折して21号を進み、「ローソン」前を左折して進み、突き当りを右折して進んだ左手に鳥居、路肩に駐車し参詣
大宮神社
682-0121page
鎮座地:鳥取県東伯郡三朝町大瀬370
由緒:大正十四年四月二十三日三朝村大字大瀬字前田  鎮座 村社大瀬神社(祭神 大国主命) 〔当社は国主大明神と称号と奉りしが維新の際大瀬神社と改称し大瀬区の氏神たり〕に同村大字横手字向フ谷 鎮座 村社 宮谷神社(祭神 素盞鳴尊) を合併し大宮神社と改称す、昭和六年九月十一日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
御祭神:大国主命、素盞鳴尊

21号を進み右手の273号を進むつもりが行き過ぎ、仕方がないので21号を進みトンネルを抜けた先、『鳥取銀行』の先の空地へ車を停め、道の北側の神社を目指す-車では少しシンドイ!
三朝神社
682-0123page
鎮座地:鳥取県東伯郡三朝町三朝796
由緒:この神社は、もと三部落(湯村、外谷村、砂原村)の神社を合併したもので、従って祭神の数も多い。大己貴命(大国主神)・素盞鳴命・誉田別命(応神天皇)・大山祇命・武内宿禰などの神々である。もとの三朝部落の神社は、温泉発見の大久保左馬之祐が厚く崇拝したという言われから大久保大明神と、砂原部落の神社は、妙見山正八幡宮と称した。外谷神社は、荒神様(素盞鳴命)だったが、今この神社は末社に祀られている。鳥居をくぐって直ぐ左側の手水所は、常にラジウム温泉が流れ出ている。三朝温泉ならではの施設である。
御祭神:大己貴命、素盞鳴命、誉田別命、大山祇命、武内宿禰など

先の信号を左折して進み、川を渡って左折して進み『足湯 かじかの湯』付近からゆっくり進み、更に北側附近も探すが分からず、地区の人にも会えなかったので諦める-もう少し東寄りの山の中のよう?

諦めて21号を東へ進んで行く、北野神社へ立ち寄る予定だったが前方工事で左折する必要があり通り過ぎる-帰りに立ち寄れば問題ないので更に進んで行く、次の坂本神社も位置がはっきりせずのんびりと進んで行くが分からず?
坂本地区で橋を渡り、右にカーブして南方向へ進んだ辺りで出会った人に「坂本神社」の大体の位置を聞き、その先の神社の事を訪ねる。ここも引き返さず先に進んで行くと右手に神社、路肩に停車し参詣
畠谷神社
682-0132page
鎮座地:鳥取県東伯郡三朝町三徳1226
由緒、御祭神共に不明

更に21号を進んで行くと有名な『三徳山三沸寺』、更に進むと『投入堂』の遠望所、かなり急な山道を1時間程度登る必要があるようで、二名以上で15時までに受付の必要、行ってみたい気はするが私には無理?
更に進んで行き左にカーブする川の手前奥、ここは先程の人に聞いていたので
不明神社
682-0132-1page
鎮座地:鳥取県東伯郡三朝町三徳
由緒、御祭神共に不明

更に進んで行くと右手に
俵原神社
682-0131page
鎮座地:鳥取県東伯郡三朝町俵原267
由緒:創立年月詳ならず、明治維新前荒神社と称す、維新の際村社に列し俵原神社と改称せられたり。
御祭神:素盞鳴尊
此処までで引き返すことに、参詣忘れの二つの神社を目指すことに

21号を西へ進み先ほどの『坂本地区』の橋を渡った先の処で確認に地元の人を探すが出会えず、諦めて少し北側を歩いてみるが分からない?
北側の道を西方向へ、右手山の中に在れば分からないが進んで行くと農作業の人に聞くと先ほどに21号の処を北へとの事、引き返し21号手前に車を停め右手に進み、左折ご登って行くと前方に墓地、左折して進んで行くと前方右手に、車で可能なようであるが神社前の坂道が狭いし、前方に防護柵、時間はかかるが歩いた方が!
坂本神社
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鎮座地:鳥取県東伯郡三朝町坂本1167番
由緒:起原沿革不詳、昭和五年三月十一日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
御祭神:大己貴命、足名椎命、手名椎命
坂本地区の東の21号沿いに祠在り-観音堂の先

21号を戻り、この神社は道路側からは木々に囲まれ分かり難い、地図に表示されている場所より少し西側に車を停めると参道が見られるが、路肩なく不安?、神社名も三徳神社か北野神社か分からず地区の人に出会わなかったので不明!
北野神社(三徳神社)
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鎮座地:鳥取県東伯郡三朝町片柴992
由緒:創立年月不詳、当社は天満宮と称し片柴村の産土神として崇敬せしが明治維新の際北野神社と改称す、大正十五年十月十四日三徳村大字餘戸イシュウ谷鎮座村社金森神社(祭神 金山彦尊 ) 同村大字門前字上牛王谷鎮座村社畠谷神社(祭神 素盞鳴尊 )  同村大字同字妙見鎮座村社平神社(祭神 句々廼馳命) を合併し三徳神社と改称す。
御祭神:菅原道真、金山彦尊、素盞鳴尊、句々廼馳命

あまり遅くなると奥さんが五月蠅いので、帰宅することに、来た道をひたすら帰るのみ、やはりあまりにも遠すぎる。

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