岡山県内神社巡り(メイン)

片っぱしらからの神社巡り

2017年08月

神社巡り-未参詣、吉井川から吉野川水系

遠くへ出かけるのは新しい発見があり楽しいが、往復に時間を取られやはりシンドイ、今回は国土地理院の地図で見つけた未参詣の神社巡りを。
27号を進んで行き砂川を越えて253号を団地の中を進み、大きく右にカーブした先から東へ403号を走り赤坂手前で右折して403号を東へ走り前方左折して熊山ICから美作岡山道(79号)へ、まだ全線開通して無いので、前方で左にカーブして53号へ、右折して53号を進み東方向へ進んで行くと前方に吉井川、手前を左折して417号を川沿いにどんどん進んで行くと前方左手に『神国寺・天満宮』の標識、帰りに寄ることにし、更に進んで行くと集落を過ぎた先『一般車両通行不能』の案内の手前に広場とその奥に
不明神社
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鎮座地:和気郡和気町津瀬
由緒、御祭神共に不明

引き返し先程の標識の処を右折して進んだ直ぐの所右手に、お寺と共に殆ど埋もれた感じで
天満宮(神国寺)
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鎮座地:和気郡和気町米澤118
由緒、御祭神共に不明
ここ神国寺で西郷隆盛と備前岡山藩家老土倉正彦の会談の場所らしい

南へ戻り今度は吉井川東岸のR374号を北上していくと前方に『三保高原』の標識と信号、右手に進んで行くと、登り始めて直ぐ右手に墓地と、奥に『長樂の滝』更に曲りくねって登って行った処にウォーキングの案内板、まずはゴルフ場の南西角に(広い道を登って行くと自然に)、左折して進んで行くと前方に案内板、ここに車を停めて歩いて登って行ったが車でも可能
八幡宮
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鎮座地:和気郡和気町南山方582
由緒:寛文六年、南山方の惣右門、又右門の二氏が首唱して村民と謀り、南山方の八木尾の地に新に社殿を造った。同年二月十五日に矢田八幡宮から神霊を迎え、南山方氏神として奉祀した。更に元文四年五月三日南山方新宮の地に社殿を造営し、ここに奉遷した。寛政二年九月十六日社殿を改築した。現在の社殿である。
御祭神:特に記載なし

更に進んで行くと前方に案内板、路肩に車を停め案内板に従っていくと
天神様
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鎮座地:和気郡和気町南山方
由緒:菅原道実の社で、戦後九州太宰府天満宮より分神されて当地に祭られました。筆の神様、学問の神様として親しまれています。石段の前で履物を脱いで石段を登り礼拝、そのまま後ろ向きで降りますが危険ですのでご自由にしてください。
御祭神:菅原道実

更に進んで行き、前方左手に進み、集落の中、坂を下った突き当りの左手に案内板
竜王様
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鎮座地:和気郡和気町南山方
由緒:八大竜王様が祭られ、毎年七月十四日にはうどん礼拝を行い、水の恵み、豊作をお祝いします。
御祭神:八大竜王
実際は見落としてかなり先まで下ってしまった-ほとんど登ってきた道と出会う地点近くまで

先程の十字路まで引き返し、ゴルフ場に沿って東へ進んで行き、右の大きくカーブする処を左手の細い道を進み、普通に進めば、それから北へ進んだ左手に鳥居、少し行ったところに路肩、(ゴルフ場の北東の端付近、かなり細い山道)
天津神社
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鎮座地:和気郡和気町丸山
由緒、御祭神共に不明

前方の交差点を直進する感じで道なりに進んで行くと(こちら側の道は途中で?-左手に進んだ方が遠回りだが分り易いか)
上山神社:美作市上山1483
ここからは左手の道を更に北へ進んで行くと前方に90号、右折して坂道を下って行き、前方の信号の十字路を左折して414号を進んで行き、『長福寺』の三重塔を後ろに見ながら進んで行くと右手山の中腹に、前方右手の道を進み橋を渡って直ぐ右折して進んだ先の交差点に車を停め、右手に進み、コンクリートで舗装された道を進むと鳥居、その先に防護用電線、後は山道を登って行くと
天満大神宮
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鎮座地:美作市三保原
由緒、御祭神共に不明

更に進んで行くとR374号、右折して北へ進み道路脇に鳥居が見える少し先、注意して進んで行くと民家の後ろに鳥居、直ぐ先左手にごみ置き場と空地、ここに車を停め、民家の前を通ってて行くと前方に鳥居(上尾原公会堂の隣)
不明神社
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鎮座地:美作市巨勢
由緒、御祭神共に不明

北へ進み、前方橋を渡り美作岡山道方向へ、手前を右折して362号を、前方左折して349号を、かなり進んで行った右手に鳥居
後藤大神祇
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鎮座地:美作市長内
由緒、御祭神共に不明

一度元のR374号まで引き返し、R374号を進んで湯郷温泉を過ぎた先、前方右折してR179号を進み、少し行った先、左手坂道を登って安養寺へ-ハローワークもあり駐車場には困らない
金比羅大権現(安養寺)
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鎮座地:美作市林野48
由緒、御祭神共に不明

少し引き返し左手の道を取り、前方右折して51号(西岸)を北へ向かって進んだY字路の直ぐ先の右手坂道を進んだ先に鳥居-この道は車ででも可能だがガードの無い坂道、降りるには不安な道(適当な駐車場が無かったので昼休みだった河田医院へ)
八幡宮
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鎮座地:美作市栄町
由緒、御祭神共に不明

先程の場所まで引き返し、R179号を東へ、前方右手『コメリ』の反対の山側-位置不明-付近を歩いてみたが分からなかった

R179号を東へ進み、前方直進して46号を進む予定のところ、見落として県境まで行ってしまった、前回も場所は違うが同じようなことをあまり面白みの道のせいか!
R179号を引き返し前方Y字路(『出雲街道土居宿』入口の看板)を右手に、前方姫新線の手前の右手坂道を登って行った先の広場(福城跡)の奥
城山稲荷神社
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鎮座地:美作市蓮花寺
由緒、御祭神共に不明

坂道を下り、前方を右手線路沿いに進んだ右手
役所稲荷神社
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鎮座地:美作市土居
由緒、御祭神共に不明

少し引き返し線路を越えて46号へ、西へ向かって前方R179号へ(本来ならこの逆コースで)、R179号を西方向へ進んで行くと前方に中国道の標識と信号、右折して86号を進んで行くとIC入口、直進するとここからは365号、更に進んだ先の十字路を直進し進んで行くと前方まだ工事中、少し左手に進むと前方に日指の標識、右折してどんどん進んで行くと前方に
毘沙門天
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鎮座地:美作市日指
由緒:当山本尊毘沙門天は、本朝最初の出現にして今を距る千四百年の昔、聖徳太子十六歳の御時、守屋大連御誅罰の際、用明二年(586)3月3日生身の毘沙門天憤怒の姿にて出現し給い、禅定の弓・千恵の矢忽ち守屋の胸を貫き遂に逆臣を滅し給う。奈良朝の高僧行基菩薩日指山に登らるや山中振動し、如意珠の岡の頂に、方八尺の櫃を感得し給う。「南無大慈大悲福田多門天王宇賀宮天目一箇尊」と銘あり。
堂塔営構の対眼を起こし、この櫃の四周を道場の基礎として善美を尽くして、本堂を造立し、自ら天王の尊像を一木一像・一刀三礼して彫刻し、御丈五尺三寸で左手に宝塔・右手に宝剣を持って十万の敵をひしぐ憤怒の形相で足下に天の邪鬼を踏み全身黒肉色で頗る入心の妙を極め霊容峻厳にして威四辺を払う。豊臣秀吉朝鮮征伐の時、戦勝祈願霊験有りて感激のあまり尊前に百間の馬場を礎奉納される。堂塔伽藍具備し、壮麗を極めしも数度の兵火によりて灰儘に帰したが、多数信徒の帰依篤く法灯維持す。
例年正月3日は福徳瑞喜の霊験を授かろうと参詣者多数あり今日に至る。
御祭神:毘沙門天

ここから北にある神社を訪ねたいが、道は無い、『バレンタインパーク』付近から西の5号へ、豊野の集落の手前Y字路を左手み進んで行き突き当りを右折した先の路肩が広いのでここに車を停め、先にある民家の横の山道を登って行った先-近くの人に尋ねると観音堂との事、国土地理院はお寺以外の宗教施設は神社マークか?
不明神社(観音堂)
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鎮座地:美作市豊野
由緒、御祭神共に不明
二つの御堂には鈴が付けられており、少し神社っぽいか?

R179号迄引き返し、R179号を西へ、前方平福郵便局先を右折して354号を進んで行き、帰りでもいいと思ったがこの後他を廻るかもしれないので、左折して南へ進んで中国自動車道を潜った左手に、ガソリンスタンドの先を右左折して神社の前へ
五座神社
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鎮座地:美作市豊国原
由緒、御祭神共に不明

51号を北へ進み、前方Y字路左手に354号を進み、前方橋を渡った先を直進し、突き当り付近の『下香山公会堂』近辺に車を停め裏山を
下香山天神宮
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鎮座地:美作市下香山
由緒、御祭神共に不明

東へ進んだら354号へ出れそうだが狭そうなので一度引き返してから354号を進み、前方のY字路(先程の道を東へ出た場所)を右手に進んで行き、集落の中での突き当りのY字路を左手その先を左手登って行き戸坂ノ途中左手にコンクリートの道、その先にも同様にコンクリートの道、共にV字で廻り難そう、その先の広くなった路肩に車を停め歩いて上側の道を進んで行くとその先に(途中地図で確認しながら)
八幡神社
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鎮座地:勝田郡勝央町上香山
由緒、御祭神共に不明

更に坂道を登って行った前方十字路を左手に進んだ先のY字路を右手に果樹園らしき処を登って行ったらいいようだが、先に軽トラ停まっている、仕方ないので左手の道を進み、神社の下側から登って行くことに!
これが今日の大失敗、登って下った先で舗装が切れ、その先は真ん中が盛り上がった山道、とても進める状態ではない、ここに車を置いてテクテクと歩いて進んで行き、前方右手に登って行く山道右手の道をたっぷり時間をかけて登った先に
不明神社
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鎮座地:勝田郡勝央町豊久田
由緒、御祭神共に不明
やはり予想通り北へ抜ける山道在り、疲れる-後半だったので疲れたがそれほどの勾配の山道ではない-これから車まで引き返し切り返しの連続でやっとUターン、後は354号まで出て帰宅!やはり疲れた

神社巡り-近郊倉敷北

この前奥さんが買ってくれた靴、ネットで買ったらしいが酷い、新品だが何年前の靴か?、靴底がペロッとはがれてしまった。修理に三千円位かかるとのこと、もう一方も同様になる可能性は限りなく高い確率で起こるのでは、結局靴屋で破棄してもらう。奥さん曰く定価はかなりの値段らしいが幾らで買ったのか知らないが!
とにかく新しく来た靴の慣らしに、近くで残っていたかなりの山道を歩かなければならない神社へ

389号を進み、コンビに手前の『二子』信号で右折、その先を左折して進んで行くと右手に『利生院』がここの前に車を停め、お寺に入り、左手側から墓地の横を通って石段と言うより岩段を登って行く、かなり急な山道、しばらく進むと鳥居、その先に広場、ここから少し平坦な山道を進んで行くと前方に
金比羅宮
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鎮座地:倉敷市二子
由緒、御祭神共に不明
神社左手の山道を多少南側から廻り込むように進んで行と、鳥居、石燈籠、の先に
金比羅宮奥ノ院
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鎮座地:倉敷市二子
由緒、御祭神共に不明
車では全く行ける場所ではなく、脇道もある感じだが殆ど整備されて無い、今回の道は曲がりなりにも整備されている感じ

お寺前の道を進んで行き、自動車道を潜ってみちなりに進んで行き、前方の信号右折して生坂公園まで進みこの附近に車を停め、北側へ進み、左折、次の細い道を『玉翁寺』方向へ進んで行くと前方に鳥居、坂道を進んで行くと前方に
毘沙門天王
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鎮座地:倉敷市生坂
由緒、御祭神共に不明
何の関係か他所の国の神様も!深くは考えてない、最近国土地理院の地図で神社を探しているが、一部は地蔵堂等であることが多々ある。

やはり暑くて非常に疲れた、途中北側山頂に『山上大権現』が見えるが裸山の急な感じで全く気力なし、汗をたっぷりかき過ぎたので帰宅-最初から長時間の予定では無かったので

神社巡り-伯耆国(鳥取県日南町その2)

亡くなったワンコと一緒に行ったが、その時は体調の事もあり早めに切り上げたので、再度、新見北から8号で県境を越えた先の日南町の未参詣の神社を巡る。

R180号からR181号、右折して8号で北上、鳥取県へ、前方左折して更に8号を進み、生山で右折して223号を北へ進み、日野町へ入った先(諏訪信号)でR183号へ、前方Y字路を左手のR180号と進んだ直ぐ先、右手電波塔の反対側に石段と壊れた鳥居?(何の鳥居か分からない-登って行けば何かあるかもしれないが無理)更に進んで行くと再度日南町に入り『日南湖』へ、湖を過ぎた先Uカーブする右手に(前は公園)
菅沢神社
689-5532_菅沢神社page
鎮座地:鳥取県日野郡日南町菅沢465
由緒:鳥取県神社誌より;当社は大正6年9月-大宮村大字菅沢字本山鎮座村社本山神社(旧称、本山権現)、同村大字同字菅原鎮座無格社菅沢神社(旧称、山の神)、同村大字同字呼子社鎮座無格社呼子神社(旧称、智明権現)、同上秋原神社(旧称、山の神)の四神社を合併菅沢神社と改正せるものなり。右の四社共創立年代詳ならざれども往古より産土神として崇敬せる社なり。
聖(ひじり)滝の伝説(菅沢神社 祭神ものがたり):菅沢・秋原川中流の聖滝は、神話・天の国のあったところといわれている。磐長姫(いわながひめ)、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の姉妹が住んでいたという。倭の国王・ににぎのみことと木花咲耶姫の結婚式が行われた地ともいう。菅沢神社の祭神は、姉姫・磐長姫であるという。
御祭神:磐長姫、金山彦命、大山祇命、猿田彦命、活津彦根命、雅武彦命

今度は左手48号を道なりに西へ進んで行くと『印賀集落』に入って右手に
印賀樂樂福神社
689-5531_印賀樂樂福神社page
鎮座地:鳥取県日野郡日南町印賀1494-1
由緒:鳥取県神社誌より;祭神、媛姫命は孝霊天皇の皇女なり、此地に於て甍せらると云ふ。社背山林中に御陵墓と称ふる地あり。村民産土神と崇敬楽楽福大明神と称せしを、明治元年神社改正の際楽楽福社と改められ、摂末社の神を合祭す。同5年村社に列す、同六年楽楽福神社と改称す。明治40年4月27日神饌幣帛料供進神社に指定せらる、大正2年12月8日;大宮村大字印賀字立石 鎮座地 無格社榎垣内神社(祭神 素盞鳴尊、大山祇命、事代主命、金山彦命)、同村大字寶谷字糖谷林 鎮座無格社寶谷神社(祭神 天種子命、大山祇命)、同村大字折渡字栗谷山 鎮座無格社 山口神社(祭神 大山祇命、軻隅槌命、金山彦命)、同村大字折渡字奥栗谷 鎮座無格社 金屋子神社(祭神 大山祇命、金山彦命)を合併す。
伯耆志より;今当社に福姫命一座とす社山を貴宮山と号し、福姫命の御墓と称し、また崩御山と云へるもあれど、凡て信じ難し当社もと榎垣内村一條山に在しを、応永4年一條山の城主肥前守沙彌道栄 今の社地に移すと云減り、当時社頭焼失せしによりて道栄神体を新たに再造し奉るといふ、今古棟札存せず、慶長3年以後是を存す。民諺記に紀するものあり、溝口村郷社楽楽福神社の所に記す参照すべし。
孝霊天皇の皇女福姫の伝説;えんどう豆の収穫時に支えの竹で目をつき、それが元で15歳で亡くなった。印賀の住人は竹を植えないしまた竹の箸を使わないという。背後の山林に御陵墓と称する箇所がある。
御祭神:媛姫命(福姫命)、素盞鳴尊、大山祇命、金山彦命、事代主命、天種子命、軻隅槌命、菅原道真

更に進んで行った先9号と出会うので直進して9号を、大きく左にUカーブした右手に赤い鳥居
稲荷神社
689-5552_稲荷神社page
鎮座地:鳥取県日野郡日南町下阿毘縁1741
由緒:鳥取県神社誌より;創立年代不詳。元稲荷大明神と称せしを、明治元年神社改正の際稲荷社と改号せられる。同6年稲荷神社と改めらる。金山彦命以下の神は村内にありしを明治元年当社に合祭せらる。
御祭神:倉稲魂命、金山彦命、大山祇命

更に進んで行くと前方右手に107号、右折して進んで行くと左手木立の中に、中程と西側に参道、鳥居が南側にあるが現在は参道として使われて無い?
山口神社
689-5552_山口神社page
鎮座地:鳥取県日野郡日南町下阿毘縁2087
由緒:鳥取県神社誌より;創立年代不詳、元山神社と称せしを、明治元年神社改正の際山口社と改号せられる。同5年村社に列せらる。同6年山口神社と改めらる。
御祭神:大山祇命

更に西へ進んで行き、町境に近い付近の右手に鳥居
熊野神社
689-5552_熊野神社page
鎮座地:鳥取県日野郡日南町阿毘縁2489
由緒:鳥取県神社誌より;創立年代詳ならず。元熊野大権現と称せしを、明治元年神社改正の際熊野社と改号せられる。同5年村社に列す。同6年熊野神社と改められる。口碑に拠れば昔時該神社は現今の社地より八九町、山奥の出雲国に境せる地に御墓と称する地ありて、此の地に伊弉冉命を祀りしを中古村民参拝の不便なるより今の地に移せし云ふ。往古より当社の摂社にして村内に鎮座ありしを明治元年合祭せらる。
伯耆志曰く;当社出雲国能義郡比婆山熊野神社に同し。彼社は延喜式に久米神社と見えたるを後世熊野に作れり(久米久麻音相通れり)蓋伊弉冉尊の葬地比婆山と古事記に見えたる如く、当社は同尊を祭れる事論なし。然るに同国意宇郡熊野神社にもこの尊を祭れるに就いて、久米を熊野に改めたるに歟。かくて当社比婆山熊野権現と同しきに就て按に、当村の地方出雲国に接して殊に比婆山にもほと遠からさるによりて、古事記に出雲興る伯耆境とある伊弉冉尊の葬地は此地ならんといへる一説なとありて、爰にも熊野神社を祭れるものにや、後世の勧請なる事は論なし。今の社説に此社を正しく伊弉冉尊崩御の地なりといへるは強言なる上に傍示字オハカと云へる山を古く御墓山と唱へたるか、近年土民此の山脚を掘りて轡及び古銭の類を出せり、此事権現の神主内藤氏に告げるに、神主直ちに小祠を勧請し日輪山神社と号けたりとぞ(日輪は比婆の訓に常たるなり) 如此の誕妄近世家の邪癖なれば社説更に信すべからす但出雲接近の地なれば神代の事蹟に於ては猶よく考ふへき事にてはあるなり。熊野大権現という。口伝によるとお墓山にあったものを中古、参拝者のために現在地に移したという。
お墓山(大菅);比婆山伝説の地(山)。758.3m。島根県広瀬町比田と砺波の県境の山。伊邪那美尊(いざなみみこと)が猿隠山で他界し、葬られた山といわれ、御陵でもある。熊野神社の祭神でもある。イザナミは、火の神「カグツチ」を生んでその炎の災いにより死んだとされ、古事記には「出雲の国と伯耆の国の境なる山に葬し、祀った」とある。「伯耆誌」では、大菅村の記述中「当村が出雲に接し比婆山にも遠くないので葬地はここという一説であり、強言である」としている。また、島根県口碑伝集や比田村史では「此の山が古事記にあるイザナミ終焉の地で、比婆山はこの御墓山である」と記述している。
御祭神:伊弉冊命、速玉男命、倉稲魂命、金山彦命、大山祇命

途中まで引き返し前方T字路(お墓山の案内標識)を右手に、みちなりに進み突き当りを左手に進んで行くと108号へ(比較的広い道)、右折して南西に進んで行くと左手、田圃の先に鳥居-見落としてカーブする手前近くに車を停め、左折して神社を目指す-前方の橋を渡りその先を右折して進んだ先に神社、神社参道手前まではかなり広い道、今回は早めに車を停めていたが参道途中に農作業のトラックが停められており、正解、また神社前には防護柵
上阿毘縁神社
689-5551_上阿毘縁神社page
鎮座地:鳥取県日野郡日南町阿毘緑224
由緒:鳥取県神社誌より;創立年代不詳。元々智明大権現と称せしを、明治元年神社改正の際、上阿毘縁社と改号せられる。同5年村社に列せらる。同6年上阿毘縁神社と改めらる。金山彦命以下の神は往古より当社の摂社として村内に鎮座ありしを明治元年本社に合祭せらる。
御祭神:闇山祇命、金山彦命、猿田彦命、大山祇命

108号を引き返し更に東へ進み『鳥取県園芸試験場日南試験地』の先の左手の細い道を進んだ右手に、先に『解脱寺』の鳥居まで進み、前の空地に車を停め『解脱寺』境内へ、本堂の横に鳥居、潜って進んで行くと裏に『稲荷神社』、更に整備された山道を登って行くと『妙見堂』、お寺の東側裏に『七面堂』、後で分かったが本堂の東裏に『鬼子母神堂』
解脱寺(稲荷神社、妙見堂、七面堂)
689-5551_解脱寺(稲荷神社、妙見堂、七面堂)page
鎮座地:鳥取県日野郡日南町阿毘縁635
由緒、御祭神共に不明
お寺に鳥居、神仏分離?良く分からないと言うよりも考えないことに!
お寺から真横には進めなかったが108号から北西に斜めに進むと(神社前の道は広目)
下阿毘縁神社
689-5552_下阿毘縁神社page
鎮座地:鳥取県日野郡日南町阿角縁374
由緒:鳥取県神社誌より;創立年代不詳、当社は元王子大権現と称せしを、明治元年神社改正の際、下阿毘縁社と改号せられる。同5年村社に列す。同6年下阿毘縁神社と改めらる。大山祇命以下の神は当社の摂社として村内に鎮祭せしを明治元年本社に合祭す。
御祭神:誉田別命、山祇命、猿田彦命

前方右折して9号を南へ進んで行くと右手に
三所神社(旧茶屋郷大社三社大明神)
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鎮座地:鳥取県日野郡日南町茶屋1346
由緒:天平17年(766)大和国大神神社および大和神社の両神社より勧請。永正13年(1517)の古棟札に尼子伊予守経久・領主亀井能登守秀綱とある。亀井氏は、尼子一族で、弓ヶ浜合戦で戦死。長女は山中鹿之助、次女は亀井茲矩に嫁ぐ。
御祭神:大物主命、大年命、大国命、大山祇命、金山彦命、素盞鳴命、市杵島命、倉稲魂命、底津少童命、猿田彦命、細女命、菅原道真公

更に南へ進み、右手『山上郵便局』前を右折して進み突き当りを右折して登って行くが参道分からない、左手に降りていくと空地、その西に参道-南側に石柱あり、結果論だが先程の右手を更に進むと車参道が-未舗装
細屋神社
689-5544_細屋神社page
鎮座地:鳥取県日野郡日南町茶屋2541
由緒:鳥取県神社誌より;創立年代不詳、旧二社大明神と称す。明治元年神社改正の際細屋社と改号。同5年村社に列し、同6年細屋神社と改めらる。天児屋根命以下の神は当社の摂社なりしを明治元年本社に合祭せらる。昭和6年1月16日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
御祭神:經津主命、武甕槌命、天児屋根命、軻隅槌命

引き返し、9号を更に南へ下って進んで行くと左手に-山の上保育園を過ぎた先、坂道の途中の左手に脇参道、道路脇に車を停め参詣後、その先のの十字路の左手が参道
日谷神社
689-5543_日谷神社page
鎮座地:鳥取県日野郡日南町笠木248
由緒:鳥取県神社誌より;創立年代詳ならず。元笠木郷氏神王宮大明神と号す、(伯耆誌に曰く、当社今大を王字に替へて王宮大明神とするは例の社家の杜撰なり応永の古文書に拠るに楽々福大明神勧請の地と云へり)。明治元年神社改正の際日谷社と改称せられる。同5年郷社に列す。同6年日谷神社と更めらる。倉稲魂命以下の神は往古より当社の末社として村内各所に鎮座ありしを明治元年本社を合祭す。明治40年12月19日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。大正3年6月;山上村大字笠木字水谷鎮座無格社水谷神社(祭神 正哉吾勝勝速日天忍穂耳命、大山祇命)、同村大字同字荒神脇鎮座無格社小雀神社(祭神 素盞鳴命、大日孁命) 、同村大字同字土小笹鎮座無格社 山口神社(祭神 大山祇命、金山彦命、菅原道真)、同村大字同字南波道上鎮座無格社 大原神社(祭神素盞鳴命)、同村大字同字庄川鎮座無格社塩川神社(祭神 素盞鳴命)、同村大字同字釜田鎮座無格社鉄穴内神社(祭神 素盞鳴命)、同村大字福萬来字ヲキアミ鎮座無格社山口神社(祭神 大山祇命、稲背萩命、金山彦命)、同村大字同字宮ノ前鎮座無格社下多田神社(祭神 大白星 )、同村大字同字見田平ル林 鎮座無格社 山口神社(大山祇命)、同村大字同字権現前鎮座無格社 山根田神社(祭神 国常立命、国狭土命、国常立命、国狭土命、豊斟渟命、泥土煮命、沙土煮命、大戸道命、大苫辺命、面足命、惶根命、伊弉諾命、伊弉冉神、大日孁命、正哉吾勝勝速日天忍穂耳命、天彦火瓊瓊杵命、彦火火出見命、彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊、大山祇命)、同村大字同字助市家ノ奥鎮座無格社 葉侶神社(祭神 木花開耶姫命、大山祇命)、同村大字同字山王﨏鎮座無格社二部神社(祭神 国主命、阿遇突智命、大山祇命)、同村大字同字寺廻リ鎮座無格社狩場神社(祭神 大山祇命)、同村大字茶屋字寺﨏鎮座無格社大戸神社(祭神天八十萬日魂命) を合併す。
御祭神:大日本根子彦太瓊命、細比売命、彦五十狭彦命、素戔嗚尊、大国主命、阿遇突智命、大山祇命、国常立命、国狭土命、豊斟渟命、泥土煮命、沙土煮命、大戸道命、大苫辺命、面足命、惶根命、伊弉諾命、伊弉冉神、大日孁命、正哉吾勝勝速日天忍穂耳命、天彦火瓊瓊杵命、彦火火出見命、彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊、大白星、木花開耶姫命、稲背萩命、金山彦命、素盞鳴命、菅原道真、天八十萬日魂命、倉稲魂命、建御名方命


9号を進んで行くと前方に右手に橋のある四差路、左手の道を進み、その手前の左手にとり、みちなりに進むと前方に107号、更に107号をみちなりに進んで行くと前方右手に『ヒメボタル』観賞用の駐車場、その先のT字路を左折して進み前方に佐木谷集落Y字路を左折して進んで行くと右手山際に鳥居、少し先に行った右手に参道が
赤木神社
689-5541_赤木神社page
鎮座地:鳥取県日野郡日南町佐木谷
由緒、御祭神共に不明

107号まで引き返し、更に進んで行くと『尾郷公民館』手前の橋を右折して進んだ右手の丘、少し先の西側の田圃道が参道-草ぼうぼう
不明神社
689-5542_不明神社page
鎮座地:鳥取県日野郡日南町福万来
由緒、御祭神共に不明

107号を進んで行くと曲りくねった先に8号、その少し手前の右手、石垣の上に
不明神社
689-5212_不明神社page
鎮座地:鳥取県日野郡日南町霞
由緒、御祭神共に不明

右折して8号、R183号と進んで行くと9号と合流する『矢戸』信号、更に進んで行った佐木右にカーブした少し先「樂樂福神社」の表示と駐車場と石段、社務所がありその先神社、R183号を少し進んだ左手V字に車参道
東樂樂福神社
689-5216_東樂樂福神社page
鎮座地:鳥取県日野郡日南町宮内1065
由緒:神社としての創建は仁和2年(886)との口伝がある。以後、日野郡中総氏神として日野大社笹福大明神と称した。明治 元年  楽楽福社と改称、明治 5年   縣社に列格、明治 7年   楽楽福神社と改称、明治40年   神饌幣帛料供進神社に指定される、大正 8年   近隣鎮座の村社6社、無格社1社が合祀された、昭和15年   本殿を造営、戦後は神社本庁の包括神社となり、例祭(春季大祭・五月一日)には神社本庁より献幣使が参向し幣帛料を奉る、平成16年   西楽楽神社を東楽楽神社に合祀。
当社は大日本根子彦太瓊尊、即ち人皇第7代孝霊天皇を主神とし、皇后、皇妃、皇子及びその一族を祀る。孝霊天皇は少年の御時、楽楽清有彦命(ササフクキヨアリヒコ)と申し、又笹福(ササフク)と号し奉る。御即位2年細媛を立てて皇后と為し給ふ。大吉備津彦命、若健吉備津彦命は共に孝霊天皇の皇子にて四道将軍として吉備の国を平定し給ふ。細媛命は孝霊天皇の御后にて國牽(クニクル)皇子、即ち第八代孝元天皇の御母にあたり、磯城県主大目命の女なり。福媛命は孝霊天皇の妃にて彦狭島命の御母なり。彦狭島命は歯黒皇子と申し孝霊天皇の皇子なり。孝霊天皇巡幸して西の国々を治め給ふ時、隠岐國の黄魃鬼(コウバツキ)を退治し給ひて伯耆國に渡らせ給ひし時日野川上に至り給ひて、今の溝口町鬼住山並に日南町の鬼林山に邪鬼ありて人民を悩ますよしを聞召して歯黒皇子他重臣を従へ彼の邪鬼を退治し、其の首領を其の地に埋葬し給ふ。又その頃、備中國に石蟹魁荒仁(イシガタケルコウジン)というものありて天皇が近郷に居給ふ由を聞き國中の凶徒を集め兵を起こして天皇を襲ひ奉らんとす。天皇夙(ハヤ)くも此の事を聞召給ひて歯黒皇子を軍将として数多の兵を従へ之を征伐し給ふ。かくして出雲振根等各地の凶賊を悉く言向けやはして地方を平定し、王化を布き給へり。これより先皇后細媛命は天皇の御跡を慕ひあすを知るべに尋ね給ふに御産のなやみありて石の上に憩はせ給ふ時、頃は五月のなかばにして雨多く降りければ里人菅の蓑笠を奉るも川の水音高く聞こゆる故「水音喧(ミズオトカマ)」と詔り給へば水音やむに依って日野川のこの部分を音無川と称す。
御祭神:大日本根子彦太瓊命(孝霊天皇)、細姫命、福姫命、若建吉備津彦命

更にR183号を進んだ右手奥に-道路脇に石柱、その先に壊れた鳥居、随身門以外何も無し
西樂樂福神社
689-5216_西樂樂福神社page
鎮座地:鳥取県日野郡日南町宮内236
由緒、御祭神共に不明

更にR183号を進んだ右手道路脇に鳥居、その奥に
宇佐八幡宮
689-5221_宇佐八幡宮page
鎮座地:鳥取県日野郡日南町河上
由緒、御祭神共に不明

更にR183号を進んだ先にY字路、直進すれば15号、これを進み、次のY字路を左手進んだ先、常福寺の手前、川の側に空地、ここに祠、墓地の北側に神社、常福寺山門の先、急な石段を登った先
常福寺(不明神社、不明祠)
689-5224_常福寺(不明神社、不明祠)page
鎮座地:鳥取県日野郡日南町多里471-1
由緒、御祭神共に不明

先に進みR183号へ、更に進んで行った右手に鳥居と奥に
多里神社
689-5225_多里神社page
鎮座地:鳥取県日野郡日南町新屋70
由緒:鳥取県神社誌より:創立年月不詳(一五九一年?)、旧多里荘大社稲倉大明神と称す。明治元年神社改正の際、稲倉社と改称。同5年村社に列す。同7年稲倉神社と改めらる。明治41年11月19日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。大正3年3月12日、多里村大字多里字上町へ側鎮座無格社稲荷神社(祭神 倉稲魂命、菅原道真、大山祇命、伊弉冉神、速玉男命、事解男命、稲背萩命、猿田彦命、蛭子命)を合併す。同4年9月 同村大字萩原字正音寺鎮座村社大蔵神社(祭神 大年命、 天地加流美頭姫命、大山祇命、經津主命、阿遇突智命、 猿田彦命、金山彦命 ) 同村大字湯河字宮ノ前鎮座村社岩崎神社(祭神:天穂日命、天津児屋根命、稚日女命、菅原道真、倉稲魂命、保食命)、同村大字新屋字上橋鎮座無格社稲荷神社(祭神:国常立命、国狭土命、豊斟渟命、泥土煮命、沙土煮命、大戸道命、大苫辺命、面足命、惶根命、伊弉諾命、伊弉冉神、天照大神、忍穂耳命、瓊瓊杵尊、彦火々出見命、鸕鶿草葺不合命 )、同村大字同字宮ノ段鎮座無格社青瀧神社(祭神:伊弉冉神、泉津事佐加男命、速玉男命、大日孁命)、同村大字同字小寺鎮座大歳神社(祭神:大年命、大山祇命)、同村大字上萩山字明谷新鈩床鎮座無格社金子神社(祭神:金山彦命、大山祇命)、同村大字同字中善蔵鎮座無格社奥萩神社(祭神:大山祇命、天穂日命)、同村大字同字反田鎮座無格社西垣内神社(祭神:菊理姫命、大己貴命、大山祇命)、同村大字湯河字容戸鎮座無格社柳本神社(祭神:猿田彦命、大山祇命、金山彦命 )、同村大字同字岩田鎮座無格社湯谷神社(祭神:倭武命、誉田別命、阿遇突智命、大山祇命、興登魂命、五十猛命、大屋津姫命、抓屋津姫命、金山彦命)を、合併す。大正9年11月11日 多里神社と改称す。伯耆民談記に「鎮座の山を御笠山といふ此の山に孝霊天皇稲を積せられし、蹟ありと山の形稲隈の如し此の故に稲蔵大明神と号し奉る」といへり。
御祭神:倉稲魂命ほか43柱;保食命、稚産霊命、菅原道真、大山祇命、伊弉冉神、速玉男命、事解男命、稲背萩命、猿田彦命、蛭子命、菊理姫命、大己貴命、天穂日命、天津児屋根命、稚日女命、金山彦命、倭武命、誉田別命、阿遇突智命、興登魂命、五十猛命、大屋津姫命、抓屋津姫命、泉津事佐加男命、大日孁命、大年命、国常立命、国狭土命、豊斟渟命、泥土煮命、沙土煮命、大戸道命、大苫辺命、面足命、惶根命、伊弉諾命、天照大神、忍穂耳命、瓊瓊杵尊、彦火々出見命、鸕鶿草葺不合命、天地加流美頭姫命、經津主命

少し引き返し、右折して11号を進んで行くとかなり先Y字路、左手211号を進んで行くと右手に赤い橋と神社の案内、右折して進んで行くと突き当りに
福榮神社
689-5672_福榮神社page
鎮座地:鳥取県日野郡日南町神福1247
由緒:鳥取県神社誌より;古くは田中大明神と呼ばれ、当時の郷内の9つの村の産土神として信仰を集めていた。大正2年12月26日、近隣の神社を合併して、豊栄・神福・福塚の縁起の良い地名を持つ社地を妙見山麓に合祀して、今の名前に改称された。
御祭神:玉依姫命、媛蹈鞴五十鈴姫命

引き返し、11号を進んで8号から帰宅、一日にしては久しぶりに長い一日、何か女神を祭った神社と百日紅の花が目に付いた一日!

神社巡り-市内小神社+α

非常に暑い日々が続いている、ペットロスのせいか暑さのせいか、はたまた歳のせいか全く出かけて無い、昼過ぎから近辺で見つけた小さな神社(稲荷)を巡って見る-奥さんがやっているポケモンGoに付き合って市内を車で流していると表示された神社

先ずは跨線橋を渡り、直ぐの道(信号の手前)を左折して進んで行った右手
三喜稲荷大明神
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鎮座地:岡山市北区奉還町1丁目6−15
由緒、御祭神共に不明

前方へ進み、一方通行に注意して右折して進み、前方の広い道を右折して進み、跨線橋、旭川を渡った先左折し、直ぐの川へ下りる道(車止め)の処へ車を停め、右手階段を下りた先
不明祠
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鎮座地:岡山市中区浜1丁目
由緒、御祭神共に不明

先程の広い道(402号)を東へ少し進んだ次の信号の左手-以前から分っていたが何時でもという感じ延び延びに
白雲稲荷大神
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鎮座地:岡山市中区浜1丁目11−21
由緒、御祭神共に不明

西へ引き返しR53号を南へ、清輝橋交差点を右折、直ぐの信号を左折、直ぐ左折、右折して進んだ左手(中国銀行の裏だが表通りからは無理)
秋吉稲荷
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鎮座地:岡山市北区清輝橋2丁目3
由緒、御祭神共に不明

R30号を南へ、前方左折して『国際スケートリンク』方向へ、更に進んだ右手-この附近に車を停めたが、神社脇に駐車場
春日神社:岡山市北区七日市西町4-13
01057_春日神社2
東側に一の鳥居

東へ進み、前方右折して旭川土手沿いの213号を南へ進み前方Y字路を右手に進んだ左手
子安天満宮:岡山市北区十日市東町2-28
01022_子安天満宮2

神社の北西の角
旭稲荷神社(旭工業内)
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鎮座地:岡山市北区七日市東町8
由緒、御祭神共に不明

東側へ進んで先ほどの213号へ、『岡山製紙』の手前に石柱、少し進んだ先に鳥居、また南側にも鳥居
内宮:岡山市南区浜野1-3-8
01011_内宮2

先へ進んで行った岡山製紙内
稲荷神社(岡山製紙内)
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鎮座地:岡山市南区浜野1丁目5
由緒、御祭神共に不明

更に進み、製紙の先の路肩へ車を停め南側の松壽寺へ
鬼子母神の槐(松壽寺)
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鎮座地:岡山市南区浜野1丁目7−25
由緒:「鬼子母神の槐」は樹齢約五百年、根元周囲4.6メートル、高さ8メートルの大樹で、岡山市指定天然記念物になっている。寺伝によると、寛保三年(1743)八月八日夜、時の住職十五世日全は”鬼子母神”の夢をみた。それから八カ月後、いつものように祈願していたところ、本堂前の槐の木から神像が現れ、いま”おかげ”の空洞はその像の跡である。この神像は衣をまとい赤ちゃんを抱いて、十羅刹女に守られ、訪れる人にご利益(子ども)を授けるという。
御祭神:不明

土手沿いの道を更に進んで行った左手、旭川福島緑地内
住吉宮:岡山市南区福島1-8先
01016_住吉宮2

流石に暑い、気楽にちょっと出かけたにしては長すぎた、土手沿いに北へ引き返し帰宅!

神社巡り-総社北西方面から矢掛へ

8月1日深夜、ワンコが亡くなった、17歳我が家ではこんなに長く生きたのは始めて、最近要介護犬だったので、何かポッコリ穴が空いた感じ、ワンコを偲びながら神社巡りを!

R180号で総社方面へ、高梁川に沿って北へ、豪渓から日羽の手前に、「妙見神社」を過ぎた先右折して北へ伯備線を潜った先、右手橋の手前、民家の間を左折して進んで行くと右手に、神社前の道路に車を停め参詣していると、軽トラが、前方左折して進んで行った線路の手前に路肩が広い場所が、ここに車を停めやり直し
荒神社(金毘羅宮)
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鎮座地:総社市日羽
由緒、御祭神共に不明
Googleマップには「金毘羅宮」とあるが神社には『荒神社神殿新築』の表示が

日羽駅前を通って左折して集落を進んで行くと前方に『山上大権現』の案内、不安ではあるが右折して山道を登って行く、途中に『平岩神社道祖神』あり、ここに車を停めこれから先は歩いて、右手に
山上大権現(平岩神社道祖神)
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鎮座地:総社市日羽
由緒、御祭神共に不明

更に進んで行くと前方に石柱がこちら側の集落の神社か、一度参詣しているが東側からは初めて?-あまり関係ないが!
日羽八幡神社:総社市日羽661
DSC_0531_1502012760985

R180号へ出て少し進んだ左手に池、土手に石灯籠が、路肩に車を停めて池の土手へ、更に南側に神社らしき物、池から南へ進み、2本目の道を左折して進んだ右手地蔵堂の後ろに
不明神社
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鎮座地:総社市日羽
由緒、御祭神共に不明

R180号を少し進んだ右手に『普門寺』の石柱、この道は狭そうなので、少し進んだ右手の坂道を登って行くと右折した先にお寺の駐車場に車を停め南側の鳥居の階段を登った先
不明神社(普門寺)
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鎮座地:総社市日羽
由緒、御祭神共に不明

最初に見た道を下ってR180号へ(やはり狭い)、更に進んで行って次の集落を進んだ先、右手線路前に空地-ここに車が停まっていたので歩道に車を停め、線路を2本越えて進んで行くと、西側採石場へ通じる道へその先左手に
両疫神社
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鎮座地:総社市美袋
由緒、御祭神共に不明
線路を二本越えることが無かったら未舗装だが広い道、中間辺りに鳥居在り、ここで昆虫採集をしていた人に、虫の生態をチェックしているよう

R180号を進み、前方右折して進み、最初の十字路を左折して進んだ先を右折して進み、線路を越えた先から曲りくねった山道へ、先程両疫神社で出会った人に、車で通行可能と教えられていたが不安になるような道の連続、途中脇道は見られるが進みたくなるような道ではないので、どんどん進んで行くとやっと集落に!
その先色々な方向への道があるが右折して登って行く道を進んで行くと前方にY字路、ここに車を停め南方向へ-Googleマップでは神社へは右手脇道を進む感じだが、神社へ至る道しか現在は存在しない-車でも一応は可能
六社宮(橘神社)
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鎮座地:総社市宇山1
由緒、御祭神共に不明

先に進んで行くと集落に、中程に左手コンクリート舗装の道が、少し進んだ右手にジグザグの山道が登って行った先に
木野山神社
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鎮座地:総社市宇山
由緒、御祭神共に不明

ここからが今日の大失敗!北へ進んだ前方Y字路を右手下り坂をイメージ的に納得できず左手の坂道を登って行く、前方Y字路右手が行きやすいが狭い、苦労してV字に左手に進んで行ったが広めの道を進んで行くと先程の集落へ、結局元の道を引き返すことに、しかも途中タクシーに出会う、タクシーがバックしてギリギリに通れるところへ、やはり山道はこういう場合を考えると行く気が無くなるが!しかし可能性は非常に低いことは分かっているのだが
出先ではストリートビューが確認しにくいので事前の確認が必要だが現状では確認しにくい-今回も北東へ大きく迂回すれば広い道を通れて楽だったはず(引き返すにも先へ進にも)
R180号を前方左折して166号を進む、前方左折して166号を進み、前方『清梁園』前の路肩へ車を停め、園と左手民家の裏側を探すが分からない。
園の西側の駐車場の裏側の細い山道を進んで行くと左手上に
不明神社
x1686page
鎮座地:総社市原
由緒、御祭神共に不明
背後の山頂に何か建物がありそうだが道が全く分からない、誰かに聞く必要が?

166号を進んで行くと民家が無くなった先、本当に県道か思うような道を進んで行くと前方に36号が、左折して35号を進み鬼ヶ岳ダムを過ぎ、左にカーブした先左手道路脇に壊れた鳥居
不明神社
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鎮座地:小田郡矢掛町上高末
由緒、御祭神共に不明
鳥居脇の急斜面を登れば先にあるようには思われるが、急勾配の道無しは不安で中止

35号を少し進んだ左手左折してかなり進んだ先、『吉備津彦神社』迄は前回来ているがその先に神社があるとは思わなかったので
稲荷神社
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鎮座地:小田郡矢掛町上高末
由緒、御祭神共に不明

35号迄引き返し南へ、右手に見える『諏訪神社』は記憶にあるが、更に南へ進んだ右手に見える鳥居は特に覚えがなく、路肩へ車を停め歩いた
荒神社:小田郡矢掛町内田
DSC_0622_1502012920915
この程度の神社はどうも記憶に残ってない?

更に進んで行った右手橋を渡った左手に進んだ左手-手前に車を停めて
疫神社(+地蔵堂)
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鎮座地:小田郡矢掛町内田
由緒、御祭神共に不明

南下して矢掛へ、やはり暑くて疲れているので通常コースで帰宅-時間が早いのにかかわらず三門の所が渋滞していた。
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