今日もワンコと軽くドライブ、R53号で津山方向へ、久米南町へ入って左、右とカーブし直線で進み前方右にカーブする手前、左手
荒神社
荒神社
鎮座地:久米郡久米南町下二ケ
由緒、御祭神共に不明
由緒、御祭神共に不明
R53号をどんどん進んで行き、打穴中信号で左折し159号、進んで行くと前方70号、直進して進んで行くとR429号、左折して西へ進み前方右手に159号、更に進んで次の道を右折して進んだ突き当りに鳥居、手前に車を停め歩いて参詣-鳥居をくぐって進んで行くと前方に空地-駐車場-159号から行けば神社の裏手に
貴布禰神社
貴布禰神社
鎮座地:津山市桑上190
由緒:当社は、高オカミ神、闇オカミ神、を主神として8柱の神々を祀っている。その創立は極めて古く、第10代崇神天皇の御代に倭香平治が初めて此の地に奉祀した。古来倭文庄大宮倭文郷総社大宮貴布祢大神宮とも称せられ本邦有数の古社であり、明治17年県社に列格した。奥御前神社は、本社の境内神社で奥宮であり俗に「狼様」と称せられ、悪魔退散、伝染病、火難、盗難除の守護神として有名であり、御神徳は四方に輝き、作州は勿論のこと近県まで多数の崇敬者がいる。
御祭神:高オカミ神、闇オカミ神
矢印の方向へ奥御前神社在り-狼様
由緒:当社は、高オカミ神、闇オカミ神、を主神として8柱の神々を祀っている。その創立は極めて古く、第10代崇神天皇の御代に倭香平治が初めて此の地に奉祀した。古来倭文庄大宮倭文郷総社大宮貴布祢大神宮とも称せられ本邦有数の古社であり、明治17年県社に列格した。奥御前神社は、本社の境内神社で奥宮であり俗に「狼様」と称せられ、悪魔退散、伝染病、火難、盗難除の守護神として有名であり、御神徳は四方に輝き、作州は勿論のこと近県まで多数の崇敬者がいる。
御祭神:高オカミ神、闇オカミ神
矢印の方向へ奥御前神社在り-狼様
本日の失敗例、R429号を進み左手『秀實小学校』先の信号を右折して進み、最初の道を左折、その先を右折して進み、前方左手の坂道を登った先の空地へ車を停め歩いて神社方向を目指すが参道なし、地図に見られる北側からの道を探すことに、前方へ進んで行って元の広い道へ、『里公文公会堂』直ぐ先の道を左折して進み前方突き当りを右手に進み、前方の交差点を左折して進むと前方に鳥居と駐車場-手前の山頂が『平福城址』
高津神社
高津神社
鎮座地:津山市里公文1514
由緒、御祭神共に不明
元郷社であるから何処からでも参詣可能と思っていたが甘かった!
由緒、御祭神共に不明
元郷社であるから何処からでも参詣可能と思っていたが甘かった!
『里公文公会堂』の先の山手のお寺の先に社が見えたので参詣-結果分かった事だが前方三叉路を右折して進み、次を左折した先がお寺-実際は下の道路から強引にお寺を目指す
不明祠(善福寺)
不明祠(善福寺)
鎮座地:津山市里公文624
由緒、御祭神共に不明
由緒、御祭神共に不明
R429号まで引き返し、西へ進んで行くと前方右手に『油木簡易郵便局』直ぐ先を右折、橋を渡り左折して進んだ右手-少し先の路肩へ
倭文神社
倭文神社
鎮座地:津山市油木北332
由緒、御祭神共に不明
由緒、御祭神共に不明
神社前の道を進み、R429号へ出た直ぐ右手
少彦名神社
少彦名神社
鎮座地:津山市油木北1608
由緒:当社は古くは「赤子の宮」、「赤子大明神」、「児(ちご)大明神」、「児の宮」、「児神社」等と呼ばれていたが明治6年(1873)2月6日、北条県から「油木神社」と改称され、更に同10年現在の少彦名神社と改められたものであり、少彦名命を主神とする油木北、油木上(久米町)、油木北、油木南(旭町)の4大字の産土神である。また、宝暦5年(1755)の「油木北村神社仏堂由緒書上帳」の中に次の一節がある。
一、本社ハ保元干支月日不詳当倭文荘地頭職盛六郎ノ崇敬 ニヨリ本殿造営ノ寄進アリ、但棟札存在セサルモ古老ノ口碑ニ伝アリ、又社記ニ古 書ニ見ユル旨登載ス只惜ムラクハ其書名ヲ欠ク
一、本社は倭文五社ノ一ニシテ当荘ハ古昔堀川院御宇始テ 加茂神領トナリ爾来毎年神説ヲ輪シ以テ競馬会ニ備フ 云々又五社ヲ以テ加茂ニ勧請ス云々又五社トモ古昔各 社領アリシコト作陽誌ニ見エタレバ当時皇室又ハ公卿 武門武将等ノ崇敬アリシコトヲ推測スルニ足ル
一、本社創立又ハ主祭タル少彦名神勧請年月日不詳ナレト モ合祀タル伊邪那岐神、伊邪那美神、大己貴ノ三座ハ 保元年間当大字ニ移住シタル倭文荘ノ地頭職森六郎コレヲ勧請スとあって由緒の大要を知ることができるのである。
御祭神:伊邪那岐大神、伊邪那美大神、大己貴命、少彦名命
由緒:当社は古くは「赤子の宮」、「赤子大明神」、「児(ちご)大明神」、「児の宮」、「児神社」等と呼ばれていたが明治6年(1873)2月6日、北条県から「油木神社」と改称され、更に同10年現在の少彦名神社と改められたものであり、少彦名命を主神とする油木北、油木上(久米町)、油木北、油木南(旭町)の4大字の産土神である。また、宝暦5年(1755)の「油木北村神社仏堂由緒書上帳」の中に次の一節がある。
一、本社ハ保元干支月日不詳当倭文荘地頭職盛六郎ノ崇敬 ニヨリ本殿造営ノ寄進アリ、但棟札存在セサルモ古老ノ口碑ニ伝アリ、又社記ニ古 書ニ見ユル旨登載ス只惜ムラクハ其書名ヲ欠ク
一、本社は倭文五社ノ一ニシテ当荘ハ古昔堀川院御宇始テ 加茂神領トナリ爾来毎年神説ヲ輪シ以テ競馬会ニ備フ 云々又五社ヲ以テ加茂ニ勧請ス云々又五社トモ古昔各 社領アリシコト作陽誌ニ見エタレバ当時皇室又ハ公卿 武門武将等ノ崇敬アリシコトヲ推測スルニ足ル
一、本社創立又ハ主祭タル少彦名神勧請年月日不詳ナレト モ合祀タル伊邪那岐神、伊邪那美神、大己貴ノ三座ハ 保元年間当大字ニ移住シタル倭文荘ノ地頭職森六郎コレヲ勧請スとあって由緒の大要を知ることができるのである。
御祭神:伊邪那岐大神、伊邪那美大神、大己貴命、少彦名命
前記神社の入口左手に-性器を祀る?
岩滝神社
岩滝神社
鎮座地:津山市油木北
由緒、御祭神共に不明
由緒、御祭神共に不明
ワンコのおやつも持ってきてない、煩く吠えるので帰ることに、当然同じコース。結構遠くまで来ている。
今日もあったが神社と城跡の整理も早めにすべきか?
今日もあったが神社と城跡の整理も早めにすべきか?