播磨の国が続いたので、今回は備後の国『鞆の浦』へ、R2号から左折して244号、右手7&11の先(入江大橋北詰信号)を左折して進み『手城大橋西』信号を右折して進んだ突き当りを左折した直ぐ先
鎮座地:広島県福山市東手城町2丁目17
由緒:「天當神社」はもと天神山に鎮座していたが、天正(1573~92)の頃天神山の城主茂野(滋野)孫四郎盛久が旧引野村字沖浦に遷座した。後に明治8年1月に古城山に遷座。海の守り神として祀られていたという。ご祭神は大己貴命(大国主命 --- おおなむちのみこと)。また「天神(てんじん)さん」として親しまれている菅原道真は災害除けの神として農業神としても信仰されており、焼失した通安寺より移設され、天当神社ではこの両神が合祀され、天神(てんしん)が天神(てんじん)となり、現在は道真の人となりから学問の神となっているそうです。毎年10月第1土・日がご例祭とされている。「天當神社」が祀られている天当山は当時は海に浮かぶ小さな小嶋でした。福山の歴史に思いを馳せることが出来る、不思議な空間です。(平井 隆夫 著・「おもしろ ふくやま史」より)
御祭神:大己貴命、菅原道真
西側に荒神社と天神社が
橋を渡る手前を西へ進んだ左手
鎮座地:広島県福山市東手城町2丁目11
由緒:縁起としての石碑あり
御祭神:記述特に無し
隣りに正一位藤島稲荷大明神が、福山市下水道ポンプ場排水機増設に伴い移転
北へ進み244号へ、西へ進み前方左折して380号を南へ進み入江大橋を渡り、更に進んで芦田川大橋を渡った先へ進んで行くと22号に、更に先に進み鞆の浦に近づいた手前、前方にY字路、右手『中川美術館』方向へ進んで行き坂道を登りきって少し下った右手に石段
鎮座地:広島県福山市鞆町後地
由緒、御祭神共に不明
更に進んだ突き当りを右折して坂道を登って行くと前方右折した左手、公園に後ろに
鎮座地:広島県福山市鞆町後地
由緒、御祭神共に不明
坂を少し下った右手に『沼名前神社』の境内に入れるところが-右折して境内に駐車
鎮座地:広島県福山市鞆町後地1225
由緒:沼名前神社(ぬなくまじんじゃ)は、鞆祇園宮(ともぎおんぐう)とも称され、大綿津見命(おおわたつみのみこと)、須佐之男命(すさのおのみこと)をお祀りしています。 今から千八百数十年前、第十四代仲哀天皇の二年、神功皇后が西国へ御下向の際、この浦に御寄泊になり、この地に社の無きことを知り、斎場を設け、この浦の海中より涌出た霊石を神璽として、綿津見命を祀り、海路の安全をお祈りになられたのが、当社の始まりです。さらに、神功皇后御還幸の折、再びこの浦にお寄りになり、綿津見神の大前に稜威の高鞆(いづのたかとも:弓を射る時に使った武具の一種)を納め、お礼をされたところから、この地が鞆と呼ばれるようになりました。須佐之男命は、鞆祇園宮と称され、元は鞆町内の関町に鎮座していたが、慶長四年の火災で焼失し、草谷(現在地)に遷座の後、明治九年綿津見神を合祀し、相殿として奉斎されています。残念ながら、この祇園宮の創建については不詳です。旧社格は国幣小社。また延喜式内社です。現在は神社本庁所属の別表神社です。海上安全・漁業繁栄・家内安全・病気平癒・学業成就・安産等のご神徳があります。
御祭神:綿津見命、須佐之男命
神社に居た人に下にある鳥居近辺に車は停めれるが停めない方がいいと言われたの近辺を歩いてみることに、一の鳥居を東へ進んで行くと左手に鳥居
鎮座地:広島県福山市鞆町後地
由緒:小烏神社は、地元の人たちから「こがらっさん」の愛称で親しまれている神社。福島正則が鞆の浦の城下町を整備した際に、鍛冶工をこの地域に集めて鍛冶屋町を造りました。その中心にあるのが小烏神社です。創建の年代はよくわかっていませんが、室町時代の後期に、鍛冶を生業とする人たちが、氏神様として祀ったのが起源ではないかといわれています。
御祭神:小烏大神、天目一箇神
『小烏神社』の北東の鳥居を出て北へ進んで行くと右手に
鎮座地:広島県福山市鞆町鞆
由緒、御祭神共に不明
車へ戻り、坂道を下り前方道が狭くなっているので右折、その先を左折して『小烏神社』の鳥居の前を東へ進んで行くと海沿いの22号へ、右折して進んで行き、前方突き当りを左折した辺りへ車を停め、南へ歩いて行くと左手丘の上に鳥居、鳥居を潜り進んで行くと円福寺
鎮座地:広島県福山市鞆町鞆10
由緒、御祭神共に不明
南側の『舟番所』へ行こうと思ったが戸が閉まっていて駄目、他に道があるのかもしれないが分からない、引き返して海側を南から廻って
鎮座地:広島県福山市鞆町鞆
由緒、御祭神共に不明
引き返し海沿いに北へ進んで行くと右手に
鎮座地:広島県福山市鞆町鞆
由緒、御祭神共に不明
鞆ノ津の力石が三個置かれているよう、二〇個は沼名前神社に
先へ進み右手の非常に狭い道を進むと47号、横切って進むと石段突き当りに鞆城跡、手前の左手に
鎮座地:広島県福山市鞆町後地
由緒、御祭神共に不明
突き当りを右折して城跡へ、少し西方向へ進むと
鎮座地:広島県福山市鞆町後地
由緒、御祭神共に不明
海沿いに進むと直ぐ前方に一方通行の標識、右折して進み、その先左折して47号を西へ進み前方突き当りを左折して進み、その先の突き当りを右折して進んだ直ぐの左手、隣の空地に停め
鎮座地:広島県福山市鞆町鞆
由緒:渡守神社御旅所は神功皇后が上陸された地で、綿津見大神が最初に祀られた地。棟札には「舟玉神を祀り渡守大明神と号す」と記されており、神功皇后伝説にちなんで、また同じ(沼名前神社)境内に鎮座する八幡神社の縁起もからみ諸説あるよう。
御祭神:綿津見大神
神社は自体は『沼名前神社』境内へ
道が狭いのは港町で仕方ないとして、観光地のせいもあるが交通量が多い、歩く方が無難なので、東方向へ進んだ右手
鎮座地:広島県福山市鞆町鞆
由緒、御祭神共に不明
47号を少し引き返し北へ、直ぐ左折して医王寺方向へ途中の坂道の左手に
鎮座地:広島県福山市鞆町後地
由緒、御祭神共に不明
ほぼ完全に廃社?草木に覆われ良く分からない
47号を進んで行くと右手に47号の広い道、直進した先に信号、非常に長いので不安になるが、前方の狭い道で対向車に出会っても困るので待っていると後ろに2台の車が、安心して待っているとやっと信号が青に、進んで行くと右手に鳥居、横の集会所に車を停め石段を-側にある駐車場は駐車禁止?、出会った人に断り駐車
鎮座地:広島県福山市鞆町後地
由緒:平町の高台に位置する淀媛神社。石段を上りきった先、丘の頂上に拝殿があります。この神社の祭神は淀姫命(よどひめのみこと)。三韓征伐を行った神功(じんぐう)皇后の妹君で、はじめは、海神・大綿津見命(おおわたつみのみこと)を祀った沼名前神社(渡守神社)の祭主を務める身でした。
しかし、後世、その徳が偲ばれて氏神として奉斎され、鞆湾の入口を守護する守り神となりました。以降、この高台に鎮座し続け、現在に至っています。
現在の社殿は大正3年に建立されたもので、平成13年に修復されています。
御祭神:淀姫命
狭い道を更に進んで行くと海岸近くに広い処、ここの路肩に車を置いて、防波堤先の手前に車を置き防波堤を進み玉津島の山頂を目指す。
少し進んだ『平二会館』裏に祠
鎮座地:広島県福山市鞆町後地
由緒、御祭神共に不明
防波堤を目指して進むが、手前空地は広いがロープで立ち入れないようにしている、島にたどり着くと最初の岩場は何とか登れその先は島の北側に参道が、その先も尾根に沿って道が付けられている-むしろ東側の階段の方が未整備?
鎮座地:広島県福山市鞆町後地
由緒、御祭神共に不明
先程の『平二会館』に荒神社の祭りの案内が、近くの人に聞いたが場所の要領をえない、山の中腹を走る47号の近くにあるということなので行ってみたが分からない、幟でもあると思っていたので詳しく聞かなかったのが失敗か?
時間的には今日も早いが帰宅することに、ほぼ同じルートで引き返して行く途中、『田尻郵便局』の先新旧22号に分かれる処右手に進み、直進する処を間違えて北上、直ぐ先『ローソン』先を右折、左折して神社横へ、駐車場所が無かったので幼稚園前の空地に車を停め、結構な石段を登って参詣-右手から廻り込む車参道があるがロープで侵入禁止に
鎮座地:広島県福山市田尻町2423
由緒:王ケ峯の山腹に在り、神武天皇を始め仲哀天皇・応神天皇・神功皇后の四柱を祀っています。この社はもと「武の御宮」と称し、創祀はすこぶる古いのですが、永禄3年(1560)の再興以前の詳細は不明です。神武天皇の高島宮址は田尻村の奥頭なので、東征解覧の後住民が誠意を表して社殿を営み遺蹟を称えたと思われます。社殿は永禄3年(1560)慶長17年(1612)万治元年(1658)元禄4年(1691)天明元年(1781)大正5年(1916)の再建を経て今日に至りますが、明治45年(1912)本殿拝殿ともに焼失してしまいました。大正5年(1916)本殿を、昭和3年(1928)幣殿・拝殿を造営しました。この社が八幡宮と称するに至ったのは永禄以降で、口碑によると長和八幡宮を分霊。
御祭神:神武天皇、仲哀天皇・応神天皇・神功皇后
川沿いに進んで行くと『風呂の鼻お旅所』、その先を登って行くと『神恵院-お札所』その先に赤い手摺と石段
鎮座地:広島県福山市田尻町
由緒:寛永二〇年(一六四三)水野勝成が疝を病み、東西の崖下に唐風呂を設けて治療した。今も当時の柱穴・梁穴などが風浪にたえて残り、黒く焦げた崖膚とともに往時を追懐させる。その時頂上に風呂明神がまつられ、それ以来この地も風呂が鼻と呼ばれるようになった。
御祭神:記述無し
同じルートで帰宅するが、金光、高梁川手前で渋滞、倉敷を抜けた先でも何か所か渋滞、西に行った時の帰宅時のルートは考える必要
鞆の浦の道は狭く対向車が多いのに疲れたのか、このことを気にして歩いたのが疲れたか!多分両方であろう!