奥さんが旅行から帰ってしばらく家でのんびりと!天気はほどほどだったが何か寒い、また今週も天気が悪くなりそうだし、寒さも続くらしいので思い切って出かけるが、夕方奥さんはお出かけ、早く帰る必要はあるが代りに渋滞に巻き込まれ難いか?
R2号で県境を越えてからからどのルートでたつの市へ入ろうかと悩んでいたがずっと大型トラックにあおられている感じ、煩わしいので国道を外れてかわそうと思い前回と同様5号へ、トラックもついてくるのでうんざりしていると直ぐに外れてしまっている、同じ道を通るのもと思ったが仕方がない、5号を東へ進んで行き播磨自動車道を潜った先、『井上養蜂場』の表示の処を右折して進んで行くと右手山裾に石灯籠、行ってみると『岳神社』の参道、かなり急な石段、神社はまだかなり先なので車で行く事に、元の道を進み前方十字路を右折して進んだ右手、車止めが有り無理-滑り止めを施したコンクリートの車道と階段は整備-直ぐ先に舗装された空地、そこに居られた人に断り歩いて参詣
鎮座地:兵庫県たつの市揖西町長尾1028-42
由緒:創立年月不詳にして寛文3年(1663)、享保14年(1729)に本殿を再建。明治7年(1874)2月郷社に列し大正9年(1920)祭神玉與里媛命を日本武尊と訂正し同10年(1921)社務所を新築せり。
御祭神:日本武尊、応神天皇、菅原道真
引き返し十字路を南へ、左手池を過ぎた先太い道を左折して登って行った先(イオン物流)の手前の路肩へ車を停め、右手坂道を登って行くと神社の裏に、帰りは階段を下って行ったら車を停めた少し先に、Googleビューで見ると南側は車止めが有り進めない-未確認
鎮座地:兵庫県たつの市揖西町小畑658
由緒:不明、御祭神:菅原道真
元の道を更に南へ進み、左にカーブした先の十字路を左折して進み、2本目の道を左折して進んだ突き当り(手前に空地)-南側から廻り込む感じ
鎮座地:兵庫県たつの市揖西町竹原970
由緒:創立年月不詳。明治7年(1874)2月村社に列せられ大正9年(1920)幣殿前堂を新築し翌10年(1921)本殿を再建する。
御祭神:応神天皇
少し引き返し、前の道を東へ、三つ目の十字路を右折して前方広い道を左折、直ぐ先を右折して進んで行くと小さな池の先に空地、ここへ車を停め直ぐ先の石段を登り参詣
鎮座地:兵庫県たつの市揖西町土師梶ケ谷845
由緒:初め保食神を祀る稲荷神社なりしも此地附近は往古土師の一族の居住したる地にして龍野町字日山に野見宿禰の墓と伝ふるものあり。しかも宿禰の霊を土師部落の十町南方なる大陣原神社といふに祀り今に大陣原神社附近に於て彼等土師の一族が焼き捨てたる埴輪圓筒の破片を多数発掘するなり 。かくて大陣原神社を稲荷神社へ合祀すると共に附近の無格社(兵庫県神社誌)を合祀し以て明治41年(1908)頃現在地に移転し社名を土師神社と改称す。次いで大正9年(1920)2月村社に列せらる。
御祭神:保食神、野見宿禰命、神功皇后、素盞嗚尊、八幡皇大神、神戸大神、菅原道真、琴比羅大神
前の道を南へ下り、前方十字路を左折して進むと93号、左折して進むと前方に『土師』信号を右折して東へ、2本目の道を左折斜めに進んだ広い路肩へ車停め歩いて南東の内側へ-神社付近狭そうに思ったが神社北側に駐車スペースあり-ゆっくり進んで行くと右手奥に神社が見えるので右折して入って行けば問題ない
鎮座地:兵庫県たつの市揖西町南山695
由緒:創立年月不詳。明治7年(1874)2月村社に列せらる。天満神社と称す。
御祭神:菅原道真
少し先へ進み左折、次のY字路を左手に進むと右手に未舗装の参道-入口に石柱在り、近くの空地に駐車
鎮座地:兵庫県たつの市揖西町南山
由緒、御祭神共に不明
先程の道へ引き返し東へ進み、突き当りを右手、直ぐ先を左手に進み、2本目の狭い道を右折して進んだ突き当り-途中は少し狭いが境内に十分な駐車スペース
鎮座地:兵庫県たつの市揖西町龍子
由緒、御祭神共に不明
元へ引き返し西へ、中間近くの十字路を右折して北へ、橋を2本渡った先を左折して西へ、『尾崎橋北詰』信号の先の橋付近に車を停め、橋を渡った民家の左手の道を進んだ奥-神社まで車で行けるが未舗装、駐車場所も未舗装なので歩いた方が賢明
鎮座地:兵庫県たつの市揖西町尾崎
由緒、御祭神共に不明
川沿いの道を東方向へ、『北山南』信号で440号、東へ進んで行くと左手入った処に神社が見える、通行止め看板があったので路肩に車を停めて歩いたが、隣が公園で駐車スペースは十分
鎮座地:兵庫県たつの市揖西町前地
由緒、御祭神共に不明
公園にいた工事関係者に尋ねると神社前の道は北へ通行可能とのこと、北へ進み前方広めの道を右折して北東へ2本目の道を左折して進んで行くと前方Y字路の手前の右手に
鎮座地:兵庫県たつの市揖西町佐江
由緒、御祭神共に不明
川沿いの道を南東に進み左手橋を渡って北東へ進んで行くと道が複数交差した地点、手前をV字に曲がって南東へ進んで行くと前方に赤い鳥居、その先を左折して進んだ左手
鎮座地:兵庫県たつの市揖西町清水302
由緒:不明
御祭神:石龍比古命、石龍比賣命
隣りに王子八幡神社(御祭神:誉田別大神)
東へ進むと440号左折して進み、3本目の道を右折して進み、3本目の道を左折して進んだ右手
鎮座地:兵庫県たつの市揖西町小神
由緒、御祭神共に不明
北へ進むと5号、右折して進んだ直ぐ左折して北へ進み、前方Y字路を右手に進んで行くと右手に右折して進み、神社前の空地に駐車-防護柵在り
鎮座地:兵庫県たつの市揖西町小神542
由緒:無格社(兵庫県神社誌)
御祭神:天照国照彦火明命、市杵嶋比売命
神社前の道を南へ引き返す右手に(小神倶楽部の隣り)
鎮座地:兵庫県たつの市揖西町小神
由緒、御祭神共に不明
5号を西へ進んで行くと『恩徳寺』の処(石柱あり)を右折して北へ進んで行くと前方に広い道、右折して進んで行くと左手に-神社の道を挟んだ反対側の山裾には神輿庫が
鎮座地:兵庫県たつの市揖西町中垣内甲799-1
由緒:当社の創建は今から凡そ二千有余年の悠久の昔に遡る。社伝によれば人皇第10代崇神天皇2年(BC96)播磨国揖保郡亀の山に天照国照彦火明櫛玉饒早日命が勅命により鎮座されたのが始まりである。その後時代の推移により当社が亀の山より現在の井関の地に遷座された年代と経緯については諸説があり判然としない。他方亀の山の社地には当時より武甕槌命を祀り奥宮神社と称し殊に足利時代には亀の山に築城の赤松領主の篤い崇敬を受け、その後幾多の年月を経過して現在に至っている。瀬織津姫命は中垣内の庄屋八瀬氏により弘治元年(1555)山城の国京都より勧請合祀される。建御名方命は寛文12年(1672)脇坂安政公が龍野城主として入城の際、信州の飯田に鎮座の諏訪神社により勧請合祀されて之より井関三神社と称し、前記三神と奥宮神社の一神を斎祀して幾星霜、平成の御代の今日に至る迄連綿として御神威の広大無辺なる事を仰ぎみるのである。
御祭神:天照国照彦火明櫛玉饒速日命、瀬織津姫命、建御名方命、武甕槌命
石垣等が崩れている、何があったのか?
広い方の道を通って5号迄引き返し西へ、前方右折して『菖蒲谷公園』方向へ、3本目の道付近へ車を停め西方向へ歩いて行くと右手に-道が狭いと思っていたが意外と広く神社付近にも駐車は可能、民家前の小道を進んで行くと
鎮座地:兵庫県たつの市揖西町新宮
由緒、御祭神共に不明
先へ進み『新宮公民館』の案内がある付近に車を停め、歩いて西方向へ、公民館の先を右折、次を左折して進んで行くと右手に、畑を横切って参詣
鎮座地:兵庫県たつの市揖西町新宮
由緒、御祭神共に不明
神社の北側に駐車スペース、この道を東方向へ進み、前方十字路を右折して進んで行くと車を置いた場所の直ぐ北-道幅も広く車で十分可能
広い道を北へ進み、まばらに集落が左手に見える処の路肩(ダンプカーの通行が多く、この辺りの路肩が広い)へ車を停め、西方向へ進み前方右折して進んだ先、やはり防護柵があり予感は当たったが、広場の先なので車で行くべきだった。今日最初で最後の失敗?
鎮座地:兵庫県たつの市揖西町新宮719-82
由緒:不詳
御祭神:伊弉冊命、豫母津事解命、速玉男命
少し早いが一人ぼっちのワンコとの約束もあり帰宅することに、来たコースをそのまま引き返す感じ!
R2号を西へ進みブルーラインへの道と閑谷への道の中間位、右手に山陽道のある左手で『竹本工業所』の案内板の所
鎮座地:備前市八木山
由緒、御祭神共に不明
ここはかなり前から分かっていたが東へ向かう時は上り坂で分かりやすいが反対側、西へ帰るときは下り坂で見落とし易いのでいずれと思っていたが放火されてしまい、非常に残念に思っていた場所、後は時間も早く問題なく帰宅!