岡山県内神社巡り(メイン)

片っぱしらからの神社巡り

吉備中央町

神社巡り-吉備中央町方面

朝から熊本地震に関してのニュース、気にはなるけれどもどうにもならない、熊本城と阿蘇神社本当に勿体無い、しかしこのようなことは城や神社にとっては当たり前のことかもしれない。気分的に滅入った感じ、我が家のワンコも朝からお腹が悪いらしく、散歩でも草ばっかし探しているが、街中にある草はしれている。昼からワンコと共に気分晴らしのドライブに、方向は吉備高原、どちらが目的か分からないが、未参詣神社を廻る。

R53号から72号、何も考えずに、途中車を停めワンコをぶらぶら散歩させながらひたすらすら車を走らせると前方にR484号、その手前「さんさん広場」前を右折して直ぐ左折、消防署前の三叉路を右折して坂を下って行くと前方に竹藪、手前の広い路肩に車を停め、前方左手の竹藪の横の道を進んで行くと奥に-この道を下った先左手に階段と鳥居があるが車を停めるスペースは無い
愛宕神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町竹部2073
由緒、御祭神共に不明

元へ引き返し、今度は西側の公園(吉備中央公園)へ、路肩の広場と違い広々とした公園暫くのんびりとして次へ

公園南側の広い道を西へ向かって進んで行くと前方にR484号と57号、左折して57号を進んで行き、前方左折して472号を進み、広域農道を過ぎた少し先を右折して進むと、前方右手の坂道が多分車参道、直進して進むと前方右手に、車を停め難いので手前の路肩へ
大和神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町宮地445
由緒、御祭神共に不明
ワンコが一緒なので車参道を通って車まで

少し引き返し広域農道を右手にどんどん進んで行くとR484号へ、南へ進みR180号で帰宅

神社廻り-吉備中央町残

今日も先日に続き吉備中央町を目指す、分かり難かった場所も再調査し、土曜日と言う事で人にも尋ね易いと思い出掛ける。今回は一番近いR53号から72号で岡山空港から北へ、R429号、R484号、R429号で北上、先日目に付いた『化氣神社』の案内板の処まで一気に進む。

R429号から案内に従い右側斜めに入り、前方を右手に取り進んだ先右折して広域農道へ、少し進んだ坂道途中、左手へ下り田圃道を進み、その先の坂道を登って行き、突き当りを右折して道なりに進んで行くと左手に赤い鳥居、側に車を停め坂道を下って行く
稲荷大明神
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鎮座地:加賀郡吉備中央町案田
由緒、御祭神共に不明

神社前の道を更に進んで行くと前方右手に結構大きな鳥居、右折して鳥居を潜って坂道を進んで行くと前方右手に広場、左手に神社へ続く更なる坂道、登って行って参詣-さすが旧社格が郷社という建物
化氣神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町案田5
由緒:当社は備前国津高郡上田村案田化気山鎮座。第10代崇神天皇の10年孝霊天皇の皇子大吉備津彦命四道将軍の一員として吉備国に派遣 異母弟若日子武命と共に針間(播磨)国から本宮山の峯に来られた。この所に御食津神を祀られた。これは、越前国敦賀気比神社と同じく伊奢沙和氣神を祀る。この気比神社の社名を上下間違え、比を化と読み誤り社名が化気神社となったと言い伝えられる。その後44代元正天皇養老8年に皇子、西国の賊徒平定の為西下の途上、備前牛窓に御仮泊にわかに御脳有り諸郷丹心をこめて御脳平癒賊徒平定を祈請せられた時、長田庄本宮山の峯より霊光牛窓海上に映じご加護有り、奉賽の為、本宮山に行幸された。その途中、道に迷った時に白鹿が現れ教導した。是は、伊奢沙和氣神の霊験であると言われた。依って神宝に『いさざ王』と言う丈1尺8寸4分の鹿角を祀られた。その後、大和漆上郡春日大明神4柱、武甕槌神、齋主神、天兒屋根神、比賣神を祀り、伊奢沙和氣神と合わせ5柱の祭神を祀る。
御祭神:伊奢沙和氣神、武甕槌尊、經津主命、天兒屋根尊、比賣大神

大鳥居まで戻り、道なりに北方向へ進んで行くと前方にX字路、前方を左手に進み、突き当りを左手に進んで行くと『高富集会所』を過ぎて更に進んで行き前方三叉路を右手坂道を登った先に小学校後の広場、車で行けそうだがここに車を停め、北方向へ坂道を登って行くと集落の先左手に車参道、一部未舗装で車を置いた方が賢明、南側に石段の参道があるが整備されてなく、近くで出会った人も右手の車参道を使用しているとのこと。
加財神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町高富667
由緒:本神社の創建は天暦2年(948年)と伝えている。小本宮山毘沙門寺の守護神である。明和6年(1769年)頃は梶井天王と称したが、文政年間(1818〜)には嘉財天王と改称した。更に明治初年に加財神社と称することになった。
御祭神:宇迦之御魂神

先ほどのX字路まで引き返し、左下側の道を道なりに進んで行くと前方少し広くなって十字路、右折して進み前方、左手に坂道がある処に車停め右手コンクリートの道を進むと左手に
森神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町高富
由緒、御祭神共に不明

坂道を登ってきたへ進むと少し先、右手にコンクリートの坂道、右折して進むと前方に神社、手前に空地と石像
素盞鳴神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町高富
由緒、御祭神共に不明

元の処まで引き返し、今度は前方左手の道を進んで行くと前方十字路に『神瀬』の表示、指示に従い左手に進んで行くと前方にT字路、案内図と右手『年末』の表示、指示に従い右手へ進んで行くとT字路、直進して進んで行くと左手に、直ぐ先に小さな空地。
森神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町神瀬
由緒、御祭神共に不明

最初のX字路まで引き返し、今度は前方右手の道を下って行く(標識の小森方向)かなり坂道を下った先、右手に赤い鳥居、更に下って行くとR429号の小森温泉の南側へ(「小森の宝篋印塔」の北側)
稲荷神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町小森
由緒、御祭神共に不明

R429号を南へ、直ぐ右手、橋の手前に『三谷・縄田』の標識、右折して道なりに進んで行くと民家の先、左手に山道(舗装されてない参道)、距離はあるようだが歩く、南側から廻り込む感じ、神社に近づくと石柱と急な階段-車道は南東側から急な坂道(歩いた方が賢明)
森神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町三谷392
由緒:創建は享保年間(1716〜)と考えられる。詳細は不明
御祭神:宇迦之御魂神

更に道なりに進んで行くと前方に広域農道、右折して坂道を登って行くと『細田公会堂』の少し先左手に鳥居
塞神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町細田
由緒、御祭神共に不明
四百二十年記念の碑に天王四年勧請と記載

更にこの道を進んで行くと、前方右手に建物
荒神社、荒神社(円福寺)
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鎮座地:加賀郡吉備中央町細田
由緒、御祭神共に不明
地神の石碑は見られるが神社らしく見れない、手前南側の細い道を進むと札所、近くにいた農作業中の人に聞くと、前社も『荒神社』だがここ数年祭られている知らない、後社は札所と集会所を一緒にして立て直し、建物の中に祀られているとのこと、基本的に11月3日がお祭り

広域農道を更に進んで行くと66号へ、(近道はありそうだが?)右折して一気に北へ(先日通行済)前方に千光寺の階段が見える手前を、右折して道なりに進み、左手、左手と進み坂道を登り切った先に車を停め、少し戻った左手(南側)の山道を進む
荒神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町杉谷
由緒、御祭神共に不明

今度は66号を一気に下り、左手372号を過ぎた先、左手を見ていると『横山様』の案内表示、案内に従って進むと、広場に、ここに車を停め歩いて参詣(車でも可能だが、最初が急峻で整備されていないので-案内指示に従えば問題ないが、以前は逆方向から来たため案内が見えなかったよう)
土井神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町下土井1746
由緒、御祭神共に不明

66号へ戻り、南へ進むと31号へ、右折して31号を南へ、直ぐ先右折して団地に入った先に車を停め、民家に人がいたので尋ねると、やはり民家の裏側を進んで行くと在るようで車でも可能だが防護柵もあり、初めての人は歩いた方が良いと
金刀比羅神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町加茂市場989
由緒、御祭神共に不明
防護柵の件があるが車で十分可能、途中まで民家が在るので、また今回も出会った郵便配達人に聞いたが全く無駄、やはり田舎の局長クラスまでか?
東側に参道がありそうだが、これはあまりにも急峻で無理、北側にも在りそうだが未確認

今度は31号を東へ進みR429号へ、津賀小学校先のR484号が右側に、直ぐ先の細い道を左折して道なりに進んで行き、前方三叉路を左手に下って行き、突き当り近辺を探すがまるで分からない、やっと出会えた婦人に聞いたところでは南の山の上とのこと、途中に昔行けた参道が在るが今は無理、神社の南側からは現在も参詣可能とのこと、引き返すと途中に参道らしき道あり、よく分からないので通行の邪魔にならない程度まで車を突っ込み歩いて参詣-この道は民家への道にもなっており、ちょっとヤバかったか?、途中から右手に山に登る道があり、やはり整備はされてない。
金刀比羅宮
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鎮座地:加賀郡吉備中央町広面2641
由緒:当神社は讃岐国象頭山鎮座の金刀比羅宮の御分霊を奉祀したものであり、御祭神は大物主命、相殿は崇徳上皇である。文政4年(1821年)、時の半頭源朝臣河田伊勢松が琴平山に小社を築造して奉祀した。嘉永2年(1849年)、本殿・拝殿の建築をした。現在は風神社に同じ。
御祭神:大物主神
場所を教えてくれた人も言っていたがネットの写真は風神社のもの

今回は分かり難い神社が多かったせいか、天気は良かったのにも拘わらず、うっそうと茂った森の中薄暗い処が多かった感じ、三脚と良いカメラ、照明設備が必要とは思うがそこまで凝る気は無い。

72号で帰るがやはり快適に 、前回より少し車が多いかスピードは控えめで帰宅。

神社廻り-吉備中央町他

今回は苦手な地域(山道が多く通行量の少ない処は道が整備されてない)吉備中央町方面、足守を通ってのR429号で、途中の神社は目に付く処は廻っているはず、随分と走った辺りで右手に丘に何か!小森の宝篋印塔:加賀郡吉備中央町小森であった。下に地神の石碑-特に意味は無いかもしれないが大きな木をさせている。
直ぐ先の小森温泉と小森オートキャンプ場を過ぎた先、トンネルの手前を右折して進むと左手に
金比羅神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町小森
由緒、御祭神共に不明

前を進んで行くと小森キャンプ場の先で再度R429号へ、北へ進み、右にカーブした右手川を渡った先に神社、手前の橋を渡り、舗装されていないのでここに車を停め参詣(車で通行可能な広さが境内まで-未舗装)
天津神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町小森1012
由緒、御祭神共に不明

R429号を更に進んで行くと前方に旭川、左手に進みトンネルへ(多分現在工事中の旭川の橋へ繋がる?)、次のトンネルの手前を左手に進んだ先、広くなった所に鳥居(車参道有)
江与味八幡宮
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鎮座地:久米郡美咲町江与味1191
由緒:長徳年間(995〜999)に当村の古翁が京都に上って石清水八幡宮へ参拝して勧請した。東眼下に旭川の望める三鉾山の頂上に社殿を造り、1年間の神事を12名の当番制とた。その後、川戸(旭川の船着き場)を中心に上流へ発展し、永禄8年(1565)に当時の豪族富田孫右衛門の寄進により、現在地 黒木山に社殿を造営し移した。御祭神は、足仲津彦命、息長帯比売命、品陀別命を祀る。明治の中期1村1社の制度により、当地区内の春日神社を合祀し、現在に至る。秋季例大祭御神幸は、旧春日神社跡地が御旅所となっている。境内地には、平成4年津山振興局管内銘木百選に選ばれたムクロジ(推定250年)二本杉(推定400年)随神門の桧(推定400年)があり、移転当時植えられたと伝えられている。
御祭神:足仲津彦命、息長帶比賣命、品陀別命、武甕槌命、天兒屋根命、經津主命、比賣大神

R429号を引き返していくと、先ほど通らなかった小森トンネルの手前右手に赤い鳥居(R429号の改修工事のため移転新築)
中黒稲荷大明神
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鎮座地:加賀郡吉備中央町小森
由緒、御祭神共に不明

R429号を南へ戻り、前方右手に371号、右折して進んで行くと右手に鳥居、右折して進んで行く、道なりに山道を進み前方三叉路を左方向(正枝・大勝)へ、山道の坂道を進んで行くと集落へ、その先の三叉路を右方向(大勝)へ、更に山道の坂道を進んで行くと前方に『栗の木尾一本桜』の標識方向左手へ、同じような坂道を進んで行くと、坂道を登り切った先に家を建てていた所へ、ここで聞くと「この道を左手の山を廻り込むように進んで行くと駐車場、その場所を左手に進んで行くと神社、車で可能-麓の鳥居は昔、祭の時の集合場所」との事、進んで行くと三叉路、左手に進み、次の三叉路も左に進んで行くと右手に空地(駐車場)左手に進ん行く(未舗装)、左手に神社、少し進むと車参道で境内へ
天計神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町豊岡下2667
由緒、御祭神共に不明
神社前の道を進んで行くと急な坂道の先、先ほど場所聞いた所へ-かなり急な坂道だが登れば直ぐだったが、やはり少しシンドイか?

三叉路まで引き返し、右手(正枝)方向へ坂道を下って行くと前方に道が左手に取り坂道を下って行くと、371号へ、直ぐ先の路肩へ車を停め、降って371号へ出た所の左手に
天計神社(御休殿)
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鎮座地:加賀郡吉備中央町豊岡下
由緒、御祭神共に不明

371号を南西に更に進んで行くと、前方左手に『上大木』の標識、左折して突き当り附近に車を停め奥側の山際を(突き当り附近から山道が)
今比羅神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町大木
由緒、御祭神共に不明

371号を南西に更に進んで行くと、前方右手に『相模・尾原』の標識、右折して直ぐの右手
荒神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町豊岡上
由緒、御祭神共に不明

371号を南西に更に進んで行くと、前方右にカーブする手前に車を停め左手坂道の上(豊岡地区農村公園の隣)
地神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町豊岡上
由緒、御祭神共に不明

371号を南西に更に進んで行くと、前方左手に御北小学校、直ぐ先の右上(階段が在り-旧66号と出会う処)
八幡宮
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鎮座地:加賀郡吉備中央町豊岡上184
由緒、御祭神共に不明

前方66号を右折して北(落合)方向へ、前方に『落合18Km』、右手に新山郵便局の案内に従い右側の道を進んで行くと右手に神社
八神稲荷神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町尾原405-1
由緒、御祭神共に不明

更に進んで行くと前方左手に橋が、渡って66号に出た処に車を停め前方の山道を登って行く-歩き難い山道と距離があり、かなりしんどい、西側に車参道が在るが未確認
重岡神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町尾原1102
由緒:当社は元亀2年京都北野天満宮より勧請。当時新山城主(新山民部守)が崇敬し新山城の鎮守として天神宮と称し獅子頭を奉納した。明治6年天神社と改め明治43年5月10日、本村三平山智利火神社・福沢八雲山大國主神社・笹目中曽根八幡宮・江与味村大字杉谷山高野神社を天神社へ合祀し、社号を重岡神社と改称する。大正11年8月21日、本殿、幣殿、拝殿を改築。
御祭神:菅原神、埴山姫命、火産靈命、稚産靈命、大國主命、綿津見神、大年命、丹生都比賣神、足仲彦尊、品陀別命、氣長足姫命、豐玉姫命

66号を更に北へ進んで行くと前方右にカーブする処を左折し進んで行くと左手奥に、未舗装なので手前に手前に車を停めて参詣-道幅・駐車は十分
大國主神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町福沢
由緒、御祭神共に不明

北へ進む途中、神社への広そうな道を見ていたので66号を引き返し、前方左にカーブする処左の『相模・豊岡下』の標識の処を左折して坂道を進んで行く、曲りくねった坂道だがガードレールが付いており安心して進める、登り切った先を直進し、前方突き当りを左折して進んで行く、池の先の三叉路は右手を進み、その先の三叉路は神社の案内通りに左手坂道を登って行く、前方の鋭角にカーブする辺りに車を停め参詣-神社前まで車の方が?-どうも鋭角の坂道は以前のスリックの事を思い出し躊躇する
岩山神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町豊岡上1583
由緒、御祭神共に不明
神社前の道を南へ進むと荒神社を経て371号へ(この道の方が分かりやすいか)

371号から今度は66号を南へ、前方の信号(広域農道)を右折して道なりに進み
かなり進んだ先、Y字の十字路?を曲がり難いが鋭角に左折して坂道を進んで行くと下り坂の途中左手に(神社横に駐車可)
天神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町和田
由緒、御祭神共に不明

神社前を下って行き、前方の変則十字路を右手に進んで行くと左手麓に鳥居が見えるので西方向へ下って行くと広い道に、右手に鳥居が見えた先に進むと右手鋭角の坂道(参道の石柱)を道なりに登って行き、先の三叉路は左手坂道、その先の三叉路は左手を坂道を登って行く、ここの手前左手に
不明祠
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鎮座地:加賀郡吉備中央町和田
由緒、御祭神共に不明

更に進んで行きと右手に神社の案内表示、右折して坂道を登って行き前方三叉路へ車停め歩いて参詣。
今回の大苦難、まず右折して進んだ林道は両脇から雑草木々等が道を塞いでおり後悔、三叉路からの神社への道は未舗装で岩がゴロゴロ、車の下が閊えそうで歩いて参詣を、距離は結構ありそうだが高低差は少ないと見たのは失敗、道の状況は悪く、アップダウンも結構あり後悔、三大後悔
龍田神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町和田
由緒:この龍田神社(通称秋葉様)の歴史は古く天保11年(1840年)に遠州国(現在の静岡県の一部)秋葉寺から勧請したものである。伝え聞いておるところでは天保11年本村しきりに火出し止まざる時、飽の山東方峰に内勧請し奉りたちまち加護ありということで戦前までは消防団出始式には、この神社方向に向いて、火難除の祈りをしていたとの話である。
御祭神:不明

元の道まで引き返し進んで行くと前方に、この道は行き止まりで、麓に参道が見られるが、今回未確認
素さの嗚神社(素盞鳴神社)
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鎮座地:加賀郡吉備中央町和田129
由緒:当社は村上天皇の御代、天暦元年(947)和田青木山の中腹へ加茂の荘の総鎮守として、山城国八坂祇園社(現京都八坂神社)からご分霊を勘請し、牛頭大王宮と称した。往時加茂の荘は未だ人家少なく、山野茂り魔風盛んであったという。その当時は、仏法が盛んであり、高僧信源上人が岡山に一寺開基せんとして地方行脚の折り、その地に入り「これぞ吾が求むる山」と定め、仰ぎ見る山中を青木山と命名し鷲鷺寺(宗林寺)を建立、その信源上人によって勧請されたと伝えられる。本殿は、明暦3年に再建された春日造りであり、また、幣殿、拝殿、社務所等は、昭和12年に再建された。明治2年素盞嗚神社と改称され、明治4年社格制度が大政官布告されると同時に郷社に列格された。備前加茂大祭参集神社の一社である。
御祭神:建速素戔烏尊、櫛稻田姫命

元の道まで引き返し、南へ進み左右に道が在る(荒社宮・天福寺の標識)処右手に進み直ぐ先の三叉路右手に進む(長尾方向でない)、前方三叉路(信用治療院の案内)は右手に道なりに進んで行くと前方、三叉路を下った処に
西波神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町豊野
由緒、御祭神共に不明

今日は予定外に歩いた、どうも以前の車ほど山道の未舗装は走り難い。この近辺は何回来ても土地勘と距離勘が働かない。疲れてなく思考が働いていたらまだ、廻るべき神社はあるのだが、疲れもあり帰宅、コースは72号で何故か空いており、非常にゆっくり走っている車を何台か追い抜くと、ついイスピードを出し過ぎていた。反省反省!!

神社廻り-吉備中央町その3

先日に引き続き吉備中央町方面で西の方を目指す。
ルートとしてはまずは先日と同じR53号から72号で『吉備高原十字橋』へ、当然ここまでは問題なく快調に、ここでコンビニを探したのがケチのつき始め、何も考えず西へ進んで行くといつの間にか307号で南へ、慌てて引き返し、R484号を勘違い、元まで戻り北上して団地の中へ、R484号へ抜ける道が分からず再度出発点まで、地図で確認し、北方向へ前方にある今日の出発点『川合神社』へ、突き当りを左折して31号を西へ進んで行く。
DSC_6719

31号を西へ進み前方右手のV字の坂道を進んで行くと『川西公会堂』、下側の道を東、北方向へ進んで行くと坂道を登った先に参道、近くに車停め歩いて参詣-車でも可能だが全く未整備-歩いた方が無難。
龍王神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町田土
由緒、御祭神共に不明
未確認だが参道は南側にあるようだ。またこの辺りまで来ると規模はともかく大部分が棚田

『川西公会堂』まで引き返し、下側の空地に車を停め、距離はあるがまだ元気いっぱい歩いて参詣する。結果からすると道幅は十分だが枯れた大木で2ヶ所ふさがれて致し、木々の茂った場所では湿っていて苔と共に滑りやすい?-午後ならまず歩ける距離では無い
大草神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町田土
由緒:倉敷御陣屋代官大草太郎左衛門父子並に田土村庄屋山本嘉左衛門更に竹荘大庄屋小出三津衛門の御四方様の誠に崇高で偉大なる御遺徳を偲び現世代に生を享る感激をもって普く神霊に対し奉り御霊の常に安らかに御冥福を祈り願くば現世未来永劫に万民の幸福を得せしめ賜らんと乞願い昭和四十七年より参道建設に想をいたし発起人相計り田土氏子一同の協力を求め六年の歳月を経て遂に完成す
御祭神:多分上記御四方様
人物は未調査だが、何らかの義民蜂起

31号を西へ進んで行くと左手に階段(ここから登って行こうと思ったが道路工事中で無理)、更に進んで行き、前方を左手にとり、その先の十字路を右折して進み、その先を左折して進んで行くと左手に鳥居、脇を通って奥に車を停め参詣-実際は工事中のため行き過ぎる
村社八幡神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町黒土783
由緒:当社は、天応元年(781)に字中尾に創建され今宮八幡宮と称した。明暦元年備中国松山領主水谷公の祈願所となる。安永9年石川日向守本願主となり、現在の本殿を改築する。明治43年摂社を本殿に合祀する。明治39年4月に発せられた勅令第96号第11条第2項により大正6年11月12日に神饌幣帛料供進神社に指定される。昭和27年宗教法人となり神社本庁に包括される。
御祭神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后

元へ戻り、31号を西へ進んで行き前方右折して156号を北へ、『竹荘バイパス』を横切り、369号を北へ、豊野小横を通り更に進むと正面に鳥居、手前の路肩へ車を停め参詣、右手に進んだ『則安公会堂』前にも鳥居
東豊野神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町豊野1408
由緒:当社は天慶年中、備中国吉備津神社の御分霊を勧請した。吉備津彦命(五十狄芹彦命)は四道将軍の1人であり主祭神として祀っている。村社御前神社、中山神社の起源となり、村社天満神社、高靈神社、いずれも覚弘年中に勧請奉祀された。大正3年7月4日4社外無格社24社を現在の地に合祀移転、社号を東豊野神社と改称した。この合祀の大事業は多気郷の庄屋であった小出氏の熱意で達成され、その業績により当時の知事から表彰を受けた。大正6年神饌幣帛料供進神社に指定される。社殿は賀陽町重要文化財指定となる。歴代神職は田村家である。天正6年(1588)毛利輝元、吉川元春、小早川隆景が高田忍山城を攻め、天正7年(1559)落城した。この時小早川隆景、重藤の弓及び矢、又白猪空穂のえびらを当神社に奉納した。慶長6年(1601)足守藩主木下淡路守の所領にて代々足守藩の祈祷所の記録がある。社紋は16の菊と57の桐。大正10年(1921)4月出雲大社千家尊有氏が参向された。
御祭神:高オカミ 神、吉備武彦命、須佐之男命、伊邪那岐命、級長津彦命、仲哀天皇、神功皇后、豐玉彦命、吉備津彦命、猿田彦命

豊野小前を右折して156号を進めばいいと思われるが無難に『竹荘バイパス』迄引き返し、西へ進み、川を渡った先を右折して北へ、前方十字路附近に車を停め歩いて参詣(車でもう少し近くまでは可能)
峠大神宮
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鎮座地:加賀郡吉備中央町竹荘
由緒、御祭神共に不明
境内には内宮外宮二社の石碑があり、近くには貞徳寺跡があり往年の規模は?

ここからも分かり難いので『竹荘バイパス』まで引き返し、西へ進み、左に折れる処を右折して進んだ右手-前に駐車スペース十分あり
岩牟良神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町竹荘1074
由緒:当社は第44代元正天皇霊亀元年熊野三所権現を勧請した。多気郷の氏神、首神として竹荘総社権現と称し、国主歴代の祈願所として、松山城主から社殿の造営、神田、大刀、石灯篭を奉献された。文久年間火災により社殿のほとんどを失い、城主の祈願文、社領の下知文等、竹荘郷の文化財ともいうべき古文書が悉く焼失した。後冷泉院永承3年(1048)11月15日、主基の方備中国木工頭兼文章博士讃岐権介藤原朝臣家経が「君が代はまさごのなれる石村を、山のたかねにあふぐべきかな」と詠んだ。また、後醍醐天皇文保2年(1318)、主基方巳日楽破隆教が「道ありと木のもと草のかきはまで、我が代をいは村の森」と詠んだ。2首共この社地を歌ったもので齊邑の義である。明治初年神仏分離により、権現の称を廃止され、齊邑によって岩牟良神社と改称した。俗称竹荘総社宮という。竹荘15社の集う神集祭が平安時代から昭和22年まで10月18日に盛大に行なわれた。明治44年11月村社2社、無格社36社を合祀、昭和27年宗教法人となる。
御祭神:伊弉冉命、事解男命、速玉男命、譽田別命、仲哀天皇、神功皇后、素盞嗚命
総社宮と呼ばれ、大八幡神社、天神社、八幡神社、矢倉神社、東豊野神社、岩牟良神社の神輿が集まるのか

31号へ戻り、南西に進んで行き『オートショップイシイ-自動車屋』の手前を右折、突き当たりに『村社天神社』そして右折した奥に『天神社』を参詣-神社前は駐車スペースあり、境内へは車止め
天神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町上竹761
由緒:当社は貞観3年9月25日竹荘津村の龍王山高峰に出雲の国から天穂日命を勧請し創建したと伝えられ、寛和2年9月25日現在地の惣道山をひらき新宮を造営し龍王山山頂山から奉遷して氏神として崇敬した。その後正暦4年一条天皇の勅命により北野天満宮から、菅原道真公を勧請して惣道天満宮と称した。元和2年9月25日小堀遠州により社頭修復され延享3年板倉周防守の崇敬篤く本殿を改造営し、明治6年天神社と改称。大正11年、昭和11年にそれぞれ大営繕を行い今日に至っている。
御祭神:天穗日命、須佐之男命、菅原道眞
村社天神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町上竹
由緒、御祭神共に不明
天神社も旧社格は村社であり違いが良く分からない

31号を南西へ進み、31号が南へ折れる処『シバムラ』を直進し、前方団地集落の前の空地へ車停め歩いて北方向を目指すが途中古道が塞がれており右手廻り道をして参詣(上竹荘小の先で右折、次を左折して北へ進んだ先-車でも可能だが駐車場所は?)
明剱神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町上竹
由緒:私たちの先祖は、自然の驚異、霊魂、病、死、大雨、干ばつなどの人間の力ではどうにもならない事象を大きな岩、高い山、大樹、雷などに神が宿り、その力で願いを叶えてくれるものとして、聖坊山のふもと、この地にいつの頃かから神が宿るものとして、現在地に地域の人々に信仰されるようになりました。当神社の御祭神は経津主命、武甕槌神、磐裂神、根裂神で武神、農耕の神としてこの地域一帯の人びとに信仰され、明治、大正、昭和三十年頃までは、にぎやかな祭礼もその後徐々に廃れていましたが、昭和六十年二月から七月にかけて当神社氏子、青年有志の力によりここに社殿が再建されました。
御祭神:経津主命、武甕槌神、磐裂神、根裂神

31号へ戻り、 31号南西へ前方を左折して進み石垣の白塀を左折して進むと『陰地公会堂』-此処へ車を停めた方が無難、しかし遠いが道幅も良く分からないので無難に-塀の右側を進んで行くと坂の途中左手に
陰地荒神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町上竹
由緒、御祭神共に不明

神社の側に山側へ登れる細い道、上の広い道に着いて左折して進むと山際に鳥居
御王神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町上竹4716
由緒:当社は天平宝字2年に奉斎した。平城天皇の御代大同年間大八幡神社勧請とともに向鎮護の神として鎮祭した神社である。興国4年11月23日麻留山の地に奉遷座。明治21年8月6日存置願許可。昭和17年10月13日社名復称許可 。昭和17年12月17日移転改築許可、昭和2年9日12月23日遷宮を行う。
御祭神:素盞嗚命、天兒屋根命、天鈿女命、高丘親王
下方向に先ほどの立派な建物、大月邸の酒蔵のようであり側に宗久稲荷大明神神社跡、亀山杉等も見られる。、

31号へ戻り、南西へ、カーブして南へ進む手前(歴史の里の大きな看板の先)を右折して坂道を登った先、結構急な坂道だが登った先には公園、駐車スペース十分ある。
大八幡神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町上竹3268
由緒:旧郷社、社伝によれば、延暦二四(八〇五)年此地の空に八本の旗雲が現れたのを見て不思議に思い、平城天皇に奏聞した処、天皇の夢にも現れ、「吾は八幡神なり、この地より西の多気の里に止まらん」と奏したので、ここに神社を創建された。長保元年(九九九)花山院が高梁の安部に駐留された時再興されたという。又、寛永の頃、松山藩池田永幸は厚く尊崇した。当社には古代より伝えられた「八ッケ」の神事が行われる。
藤原時代末期の阿弥陀如来鎌倉時代初期の脇侍、室町時代の狛犬等文化財を保有している。
御祭神:応神天皇、他諸神

坂道を登った先、『大八幡神社』の手前に神社
淡島神社(広峰神社、大山祓神社)
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鎮座地:加賀郡吉備中央町上竹
由緒、御祭神共に不明

31号から直進して76号で南へ進み、前方カーブの手前を左折して進む予定にしていたが山道、中止して前方の広い道を左折して坂道を登り前方三叉路を左手に進むが狭そう、右手の民家へ間違って下りた為、下へ降りて高速上に架かっている橋の手前に車を停め歩いて参詣-車で行ける範囲だが無難は歩いた方が
猿目神社(須賀神社)
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鎮座地:加賀郡吉備中央町上竹
由緒、御祭神共に不明

坂道を下って行って高速を潜ると前方76号、左折して76号を南へ進むと484号、左折(賀陽工業団地の反対方向)して進み、前方を左折して道なりに進んで行くと左手に鳥居
荒神宮
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鎮座地:加賀郡吉備中央町西
由緒、御祭神共に不明

神社前を進み、前方右折、484号へ出る手前(左手に鳥居が見えている)
妙見神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町西
由緒、御祭神共に不明
鬼子母神と清正公も一緒に祀っているようであり不明

R484号を東へ進み、前方R484号が左折する手前(かよう高原マーケット)を左折して305号へ進んだ右手
大和山神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町納地130
由緒、御祭神共に不明

305号を北へ進み、北上する処を西へ、左折して進み前方右手の細い坂道を登って行き突き当りを右折して進んで行くと鳥居-前に駐車スペースあり-西側から廻り込めば車でも可能
矢倉神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町納地2043
由緒:御主神大山咋命は天台宗の守護神として大同弐年少なくも平安朝の頃に建立された大村考と共に祀らる。文正四年○○山中高地の玉依姫命-掲示されている表示読めず
御祭神:大山咋命、他諸神

今日も早いが上空の様子が不安、入道雲を久しぶりに見た気がするが、後が不安、早めに帰宅(カーナビ使用)
広い道を南方向へ進むと『道の駅かよう-1Km』-大和山入口の処のR484号へ出る-結構広い道-こちらから先に参詣した方が良かったか?
後は直進して道なりに進んで行くと前方右折して307号を進み、左折して進むと国立少年自然の家入口に、後は72号を進み是名でこれまでと同様に帰宅。

神社廻り-吉備中央町その2

非常に暑い日が続き、家でへばっている処へ兄が意識がはっきりしなくなってきたと連絡があり、急遽見舞いに、別れ際に笑って分かれたので安心していたが3日に亡くなってしまった。通夜、告別式と、本当にこんな時くらいか、兄弟等と会うのは、嫌にもなるはずだ。
と言うことで部屋の中での涼しい環境に別れを告げ久しぶりに神社廻りに出掛ける。今日は岡山県の真ん中の吉備中央町、以前1回廻っているが広いのと土地勘が無いのでどうも順序もちぐはぐである。
今回総社方面を避け、R53号から72号で岡山空港から北上してR484号『吉備高原十字橋』へ、東北方向で愛宕神社を探すが分からず、出会った団地の人に聞いたが駄目、仕方が無いので諦めてR484号を東へ、北から南へカーブする頂点を北上して進んで行き366号へ、左折して北へ進んで行き、前方左手に入って処に色々な方向への交差点に一番東側の道を南方向へ進むと途中で前方の右手の道が草に覆われていたので左手の道の直ぐ先墓地の駐車場に車を停め歩いて参詣-見た感じだけ十分車で通行可能、神社前まで駐車も含め十分可能
天満神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町上野69
由緒、御祭神共に不明

歩いて参詣した後、車を停めた直ぐ近くの参詣道西側の少し入った処に
正一位大日稲荷神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町上野
由緒、御祭神共に不明
途中の広場の側にも祠が

参詣順を間違えたので元へ引き返し、366号を少し引き返し、前方三叉路を左折して道を確認していたら通りかかった人に神社近くまで案内してもらた-進んで行った前方3方向へ分かれて道を左手に進んで行くと、右手に道幅はあるが草に覆われた道、手前に車を停めて歩こうと思ったが案内してくれた人が車で十分行けると念押しされたのでそのまま進むが、道が悪く歩いた方が無難か?-結構車の底が擦れる感じ
正八幡宮
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鎮座地:加賀郡吉備中央町平岡
由緒、御祭神共に不明

366号を北へ進んで行くと途中『高谷住民会館』前で変わった建物で何か行事、取敢えず先へ進み、『吉備高原希望中学校』手前を左折して道なりに進み、前方三叉路辺りに車停め、前方の坂道を登って行く-神社前に中継基地と太陽電池パネルが設置されており十分車で通行可能
番神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町上野
由緒、御祭神共に不明

またまた順序を間違え先ほどの行事の準備を行っている処まで引き返す。ここで尋ねると親切に教えて頂き、自分の家まで案内され家の空地に車を停める。直ぐ裏が神社となっている-前方3本の道の真ん中を進み三叉路を右手に進むと民家、その前に車を停める
高盛神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町高谷1577
由緒:当神社は弘化三年村方中協議して愛宕山に勧請し玄猪天王宮と称し奉祀された後明治十年四月二日に現在地東盛山に奉遷し邑中各社を合祀して高盛神社と改称し本殿、弊殿、拝殿を造営した。
御祭神:御年命、大年命、若年命
行事と建物が気になったが忙しそうにしていたので聞きそびれた

少し引き返し右折して北方向へ道なりに進み前方ゴミステーションの辺りが広いので車を停め、歩いて北方向へ進み『長丸ふれあいセンター』先にある右手の坂道を登って行くと左折した進んだ先に-車でも可能であった
木野山神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町高谷
由緒、御祭神共に不明

元へ引き返し366号を北方向へ進んで行くと『總社』に
備前加茂総社宮
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鎮座地:加賀郡吉備中央町加茂市場1567
前回も参詣者はいなかったが今回も、やはり祭典以外はこのようなものか

31号を東へ進み北方向から南へ折れる処を左折して北へ進み『三納谷西』の標識を左折する処を行き過ぎて進む、右手に『三納谷良心直売所』の手前を左折し『三納谷西』方向へ道なりに進んで行くと前方に三所神社の標識、左折して進んで行くと『オーガニッククッキングサタケ』の前へ更に進んで行くと前方突き当りを左折して山道を進んで行くと前方左手に神社-ここも手前で草刈りをしていた人に確認していたのでOK、知らないと不安になる山道(予定の処を左折して道なりに進んで行くと同じ三所神社の標識の処へ出るようだがかなり遠回りした)
三所神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町三納谷1179
由緒:当社は円融天皇の天元2年、当山の麓の池に夜な夜な光り物が現れ、人々が怪しみ畏れ霜峯の強士老翁らが衣服を正し身を清め池に至り、熊野権現の神託を畏んで若宮の峯に守護神三所権現として鎮め祀ったと伝えられる。
備前藩主池田家の崇敬厚く毎年御供え米2斗1枡を奉献。明治2年三社権現を三所神社と改号した。大正10年9月、神饌幣帛料供進神社に指定せられた。
御祭神:伊弉那美尊、速玉男命、事解男命

元の道へ戻り北へ進んで行くと道が左右に四本分かれている処へ、手前の道を右折して道なりに進んで行くと前方にY字路、右手に取り道なりに進んで行くと前方に『』三納谷調圧槽が、右折して少し進むと右手に『火雷神社』と表示された石碑が、又未舗装の山道、強引に進んで行くが前方防護柵が見える辺りから草がすごいので手前に車停め歩いて参詣
火雷神社(摩法宮)
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鎮座地:加賀郡加賀郡吉備中央町上田西158
由緒、御祭神共に不明
今回は舗装されてない山道が多い、この地域は晴天の続いた後がいいか?

元へ引き返し、北へ、前方のT字路を右折して、ひたすら道なり(基本的に広い道を直進)に北上すると右手にJAの倉庫、左手にV字の坂道、登って行くとまず石柱、前方右手に神社-何故か神社前の階段に狸の置物が、これだけの規模の神社なら鳥居、狛犬は必須だが無い、帰って調べると、日本の民間信仰の一つで、備前加茂(岡山県)の化け狸として名高い伝説上のタヌキ「キュウモウ狸=魔法様(キュウモウだぬき)」を牛馬の守護神として祀る信仰のようであり、神社庁は民間信仰は無視か、「天津神社」として登録されている。また、前記の神社も通称名は『摩法宮』で同じ系列のようである。
天津神社(久保田神社)
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鎮座地:加賀郡吉備中央町細田
由緒、御祭神共に不明

元の道を東方向へ進んで行くと372号へ、右折して372号を進んで行くと左手裏参道、駐車場、鳥居が、そしてその隣には『円城尋常高等小学校』跡地の石碑が、何かこの呼び名の響きと小学校の跡地、特に田舎に引かれる。
松尾神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町上田東506
由緒:当神社は元明天皇の御代、和銅6年4月、厳島明神の霊験に感銘し、御崎山に小社を創始して御崎大明神と称した。後、一条天皇の寛弘5年に山城の国葛野郡松尾神社の大山咋命の御分霊を勧請して松尾大明神と称え奉った。その後藩主国老を始めて一般郷民の崇敬が厚く、逐年崇敬者が増加して郷土の守護神として鎮座している。
御祭神:市杵嶋姫命、大山咋命
直ぐ近くにが地神様の石碑も

372号を東へ進んで行くと前方左手に白い塀のお寺と国道429号と『ふるさと農道』の標識、その少し先を右折して進み少し坂を下った辺りに車停め、歩いて東側の道を進んで行くと左手に-十分車でも可能
荒神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町円城
由緒、御祭神共に不明

最初間違えた『ふるさと農道』まで引き返し道なりに進んで行くと前方に『アイボリー・flower・and・cafe・花空間』がコーヒーを飲みたい気はするがスイーツは?、左手に進んで行くと右手に、民間信仰の神社はこの程度でいいのでは
粟島神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町上田西
由緒、御祭神共に不明
全国的には分からないが婦人病に関する神社は結構多いような気がする

曲りくねりながらも南方向へ進んで行くと前方に31号、左折して31号を進み、前方団地の手前の道を右折して進んで行くと前方に草原、その左手に草ぼうぼうの山道、登って行くと神社が
森神社
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鎮座地:加賀郡吉備中央町高谷
由緒、御祭神共に不明
実際は神社の真北辺りの人に聞いて参道は教えてもらった、聞かないと参道口を探すのはかなり困難では?結果だが団地入口に案内表示有、『森神社の粥管(かゆくだ)まつり』は吉備中央町指定重要文化財のようだ

31号を東へ進んで行くと前方にR429号、右折して南へ進み、風神社の少し先、右手に広い路肩がある場所の右手に鳥居
八幡宮
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鎮座地:加賀郡吉備中央町広面
由緒、御祭神共に不明
今日は早いけどしばらく家でゴロゴロしていたので慣らし運転程度、ゆっくり帰っていたので見つかった神社か?

前方で72号へと進み、朝と同じコースで帰宅

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