ちょっと目先を変えて塩飽諸島の本島へ、大昔小学校の臨海学校で一度行った記憶が?、はっきりしないが通常は渋川の臨海学校のはずだが一度だけ、経緯は分からないが渋川が利用できない訳があったのか?
昔のことは全く思い出さないが本当に久しぶり児島から本島へ、今回児島観光港9時30分、朝の渋滞の程度が分からないので早めに家を出て、21号で、これまでも行き帰り『R2号から新の21号』か『旧の21号』かいつも悩むが、今回も旧21号で、R2号が混んでいる印象が強いのでこうしたが、間違いだったか?
早めに到着したが無事に本島に向けて出港、しかし帰りの便は16時45分、途中には便無し、瀬戸大橋の観光船の利用が多いのか?
30分弱で泊港へ、ここにレンタサイクルがあり、瀬戸内国際芸術祭の関係か結構な台数が置かれているが通常は暇そう、電動アシストの自転車もあるが運動も考慮して普通の五段変速の自転車に、
何も考えずに港の道を北東へ進んで行くと前方に『天理教本島大教会』の大きな建物が、更に進んで行くと『本島小学校』の先左手に鳥居、右折して進むと左手に『惣光寺』-廃寺?、突き当りに
鎮座地:香川県丸亀市本島町笠島1034
由緒:天平十四年(起源一四〇二)の創建といふ。社伝によれば、神功皇后征韓の御途次軍兵を従へて當宮島の原に御駐蹕あらせられたり。ここを以て土人附近の山を宮の山と称し、濱を宮の濱と呼ぶ。天平十四年三月十五日、豊前国宇佐八幡宮を勧請せりと云ふ。其の後天元三年本殿の再建ありて四百余年を経、正平二十四年再営、天文四年塩飽島の代官福田又次郎の後見村上六左衛檀主となり再建、慶長十三年本殿修営、寛文十三年内殿再建、元禄五年本殿再営、寛永三年随神門建立、宝暦三年幣殿、拝殿再建、元治二年本殿御屋根替、文化九年拝殿再営あり。ふるくより塩飽全島の産土神にして、玉藻集に「宮之濱八幡宮・・・・・・境内東西十二間南北十三間」とあり。
明治十年九月二十一日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。(香川県神社誌)
御祭神:仲哀天皇、神功皇后、応神天皇
引き返し更に進んで行くと左手に『史跡塩飽勤番所』、前方Y字路を直進し、墓地の先を右折して進んで行くと前方に鳥居、手前に自転車停め歩いて奥へ
鎮座地:香川県丸亀市本島町甲生字鶴ヶ浦275
由緒;本島村郷社八幡神社境外末社。(香川県神社誌)
御祭神:塩土神、綿積神
坂道を下った右手に石柱と階段、登って行くと
鎮座地:香川県丸亀市本島町甲生
由緒:本島村郷社八幡神社境外末社。(香川県神社誌)
御祭神:大山祇神、豊玉彦神
海沿いに進んで行くと左手奥に『東光寺』更に進んだ左手に
鎮座地:香川県丸亀市本島町甲生185
由緒:嘉永の昔源平二氏屋島に戦ひし時、平家の残党逃れ来たりて此の地を永住の所と定め、安徳天皇を奉齋せりと傳ふ。宝性寺保存の棟札によれば、文政十一年七月宮本清三郎、丸谷五左衛門、岡崎清左衛門檀主となりて再建のことあり。甲生浦一圓の産土にして、玉藻集に「氏神徳大明神 別當大仙寺」と見ゆ。(玉藻集、仲多度郡史)境内社として道祖神社(猿田彦大神)戎神社(事代主、蛭子神)(香川県神社誌)
御祭神:安徳天皇
神社左手を北へ進んで行くと257号(島一周道路)右折して進んだ先集落の外れに公衆トイレとその奥に祠
鎮座地:香川県丸亀市本島町笠島
由緒、御祭神共に不明
海沿いに進んで行くと笠島漁港へ、左手民家の間の狭い道を進むと右手に
鎮座地:香川県丸亀市本島町笠島388
由緒:本島村郷社八幡神社境外末社。仲多度郡史に「此の神は・・・笠島浦一圓の産土神とす。同浦の古記に「前殿貞享二年乙丑十一月再建す。此再興八百八十年目」とあれば延暦年代の鎮座なるが如し」とあり。玉藻集に「氏社尾上大明神 別當長徳寺」と見ゆ。正徳二年本殿の修築あり。大正五年幣殿、拝殿を再建す。明治二十四年豊日神社を合祀、大正八年大土神社を合祀す。(香川県神社誌)
境内に豊臣神社と荒神社
御祭神:日本武尊、倭比賣命
神社の左側に『遠見山展望台15分』の標識があったが、かなり急峻な九十九折り?先は長いので諦める
先に進んで行くと大浦に行けるがレンタルショップの人が北回りと南回りはアップダウンが激しく避けた方が善いと言ったので、集落の中を南へ進み、その先みちなりに南西に進んで行くと『山根文化センター』、ここで尋ねると前方の道を登って行った左手に
鎮座地:香川県丸亀市本島町笠島553
由緒:本島村郷社八幡神社境外末社。(香川県神社誌)
御祭神:奥津比古神、奥津比賣神
先へ進み257号を進んで行くと前方海岸出る手前右手に
鎮座地:香川県丸亀市本島町泊670
由緒:泊地区一円の産土神で、祭神は大国主命外二柱の神を祭っている。一説に、昔、日本武尊が瀬戸内海を巡幸の際、濃霧のため迷っておられたところ一羽の烏があらわれて、水先案内を勤めた後、泊の島に飛び帰ったので、ここに祠を建てて祭ったのがこの神社であると伝える。(境内案内板)
讃留霊王封を當国にうけ、船に乗りて邦内海岸を御巡行の時風濤に遇ひ給ふ。時に小烏ありて王の船を導き泊浦に非難し給へり。依て泊浦に祠を立てて之を祀り小烏大明神と云ふと伝へり。(香川県神社誌)
御祭神:大国主神、大押立神、少彦名神
海沿いに小阪方面に進んだ右手
鎮座地:香川県丸亀市本島町泊
由緒、御祭神共に不明
更に進んで行った左手、スピーカーの付いた塔の下
鎮座地:香川県丸亀市本島町小阪
由緒、御祭神共に不明
更に257号を進んで行った右手、少し入った奥に
鎮座地:香川県丸亀市本島町小阪
由緒、御祭神共に不明
後で気付いたが『龍宮神社』はもう少し南へ進んだ左手海側に(海鮮亭の斜め前)
一本内側の道を北方向へ進むと左手に
鎮座地:香川県丸亀市本島町小阪1294
由緒:本島村郷社八幡神社境外末社。昔石工棟梁に九郎兵衛なる者あり。大阪石山城不審の節石材方を命ぜられ、笠島浦釜の峰の大岩を採掘せしに、岩に小坂浦山之神大明神と刻しありしかば、遂に手を下さずして止む。後九郎兵衛その石を祀り、神祇官領家に出願し、塩飽島の内小坂浦山神大明神と神明帳に登載を得て社殿を建立せりと云う。神祇官許可書今猶在り。明治十九年5月、今の地に遷座し小坂浦の氏神として奉崇す。(仲多度郡史)(香川県神社誌)
御祭神:大山祇神
先に進み前方左折して北側の海岸を目指して進む、1/3辺りが峠であり、左手に不動堂が、少し先の反対側に石柱が石段、かなり先が在りそうだが今回は登って行かない、更に下って行って『持寶寺』への参道の少し先の左手入った処に
鎮座地:香川県丸亀市本島町大浦
由緒、御祭神共に不明
道が左にカーブしている処を直進して細い道を進み右手進んだ先の左手
鎮座地:香川県丸亀市本島町大浦188
由緒:嘉永五年八月遍照院良圓別當なりて再建せりと云ふ。玉藻集に「氏宮大明神・・・・・別當遍照院」とあり。大浦一圓の産土神なり。(香川県神社誌)
御祭神:伊耶那岐命、伊耶那美命、市寸島姫命、武甕槌命
広い道(257号)を西方向へ進んだ右手に
鎮座地:香川県丸亀市本島町福田
由緒、御祭神共に不明
更に進むと海岸に、左折した直ぐの左手
鎮座地:香川県丸亀市本島町福田464
由緒:文化元年再建あり。明治二十五年春幣殿、拝殿を再築せり。玉藻集に「福田浦 大明神 境内東西十二間南北十五間」とありて福田の産土神たり。(玉藻集 仲多度郡史)(香川県神社誌)
御祭神:天照皇大神、大国主神、事代主神
257号を更に進んで行って次の集落に入って直ぐの道を左折して進んで行くと長命寺の御堂、その先に矢坂神社(遷座)を過ぎて進み地蔵仏の手前の道は入って行くと前方に廃屋、左手に進んで行った先-倒れた竹に阻まれと通行大変
鎮座地:香川県丸亀市本島町尻浜246-1
由緒:元禄七年本社再建、元文二年再営の棟札あり。尻浜部落の産土神にして、玉藻集に「氏社牛頭天王・・・・別當長命寺」と見ゆ。(玉藻集・仲多度郡史)(香川県神社誌)
御祭神:須佐之男神、稲田姫神
場所はたまたま出会った人に、教えられなければ先ず分からない
257号を更に進んで行くと左手に鳥居が
鎮座地:香川県丸亀市本島町生ノ浜635
由緒、御祭神共に不明
橘貫五郎の彫刻と見られる奥殿の彫刻は島内一と言われている。-出会った人の受け売り
更に進んだ夫婦倉の前
鎮座地:香川県丸亀市本島町生ノ浜
由緒、御祭神共に不明
最初のレンタル屋、そして先程の人教えられたように前方に進むとアップダウンで大変らしい、全く元の道を引き返すことに-機関車先生ロケ地によって-来る時と違って今度は勾配は少ないのだがシンドイ、のんびりと自転車を押して帰ることに!
『木烏神社』まで引き返し海沿いに進んだ途中の左手に
鎮座地:香川県丸亀市本島町泊
由緒、御祭神共に不明
やはり二時間ほど時間が余る、丸亀からはフェリーが就航されており車でも可能だが、岡山側からはせいぜい自転車を乗せる程度、便数も朝夕二便程度、以前北木島を真夏に自転車で回った時は気にならなかったが今回は足がガクガク、やはり年か?、よく廻るべき神社を忘れることが多いので再度、チェックすると一社忘れている。257号を笠島方向へ進み、手前の『新在家』集落へ、最初に立ち寄った海岸べりのトイレの処の道を内側に進んで行くとスピーカーのある塔の前に
鎮座地:香川県丸亀市本島町笠島
由緒:不明
御祭神:事代主神
やはり時間が残るので『天理教本島大教会』に立ち寄る、
本でも読みながら時間をつぶし16時45分の便で、児島からの帰りもどう通って帰ろうか悩み、考えがふらつき時間がかかった。