岡山県内神社巡り(メイン)

片っぱしらからの神社巡り

津山市

神社廻り-岡山北方向

女房は今日から旅行、台風で中止、人数が集まらず中止の後での旅行、朝早く岡山駅まで送って行く、帰って寝直しと思ったが何故か眠くないので、ワンコと県北?の未参詣神社を目指す。
R53号で北へ進み、御津を過ぎた先、右手の橋を渡り457号へ左折して北へ進んで行くと前方にY字路を右手に取り、その先を右折して進んで行くと前方に大きなフジ寄生の榎、その下に祠が
不明祠とフジ寄生の榎
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鎮座地:岡山市北区建部町土師方
由緒、御祭神共に不明

西へ進んで行くと457号へ、そのまま進んで行き、左折する処を直進して行くと右手お寺(蓮光寺)の中に社
不明社(蓮光寺)
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鎮座地:岡山市北区建部町吉田789
由緒、御祭神共に不明

先へ進み、前方右折して坂を登り進んで行き、左手の道が悪そうなのでゴルフ場前まで進み、V字路を下って行くとゴルフ場の管理棟か?、断って車を置いて西側の坂道を-車でも行ける舗装された道だが神社近く倒木が
稲荷社
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鎮座地:岡山市北区建部町吉田590
由緒、御祭神共に不明

引き返してR53号へ、先へ進み左手30号を進み途中でR429号と合流、北東へ進んで行き休乢トンネルの手前を左折して進み前方V字に曲がって341号を進みその先のT字路付近に車を停め『休乢集会所』の右側の山道を登って行けば良いようだが不安、近くの人に尋ねると「17年前に廃社、長靴でも履いてないと無理」と言われワンコもいることだし今回は中止
多賀神社(多賀講社)跡:岡山県久米郡美咲町南

先に進んで行くと前方右手の狭い道を軽四が下りていく、ついて行こうと思ったが不安なので先に進んで行き、前方V字に右手を進みR429号へ-先程の軽四はやはりR429号へ、先に進んで行っても自然に合流するよう、新旧のR429号だから当然か?
更に進んで行った先、左折して159号を北西へ進んで行くと左手に17026_貴布弥神社:津山市桑上190の裏参道が、更に進んで行きゴルフ場への道の先にある十字路を右折して進んで行くと前方に墓地、その手前の空地に車を停め歩いて行くと右手に赤い鳥居
稲荷神社
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鎮座地:津山市神代
由緒、御祭神共に不明

159号まで引き返し北へ進んで行くとR181号、左折して進んで行くと中国自動車道に近接、川沿いに右折して進みその先に車を停め歩いて-今回工事中で自動車道の下が通行止め、本来なら、次の次の自動車道を潜った突き当り、車を停める場所は問題か?-自動車道の北側を西に歩いて行くと右手に鳥居
城山稲荷宮
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鎮座地:津山市坪井下
由緒、御祭神共に不明
亀山城跡でもあるようである

R181号を西へ進んで行き、前方左折して341号を進み集落を過ぎた先の森の中の左手-Uターン出来る程度の空地はあるが、300代の県道か、人家を外れると不安になる-特に先に人家が無い場合
七森宮
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鎮座地:津山市坪井下
由緒、御祭神共に不明
国道から入った直ぐ右手に石灯籠が

R181号を西へ進んで行き前方左折して411号を進むと『美作追分』ここに車を停め北側の小山(追分公園)、歩き易い道を登って行くと山頂に-駅で出会った人によると「近くの養蚕で儲けた個人が建てたよう、ようさん神社と教えられる」-石柱に神社名が刻まれているが分からない
養蚕神社
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鎮座地:真庭市上河内
由緒、御祭神共に不明
一度勘違いして行き過ぎて引き返す

411号を進んで行き『下河内神社』を過ぎた先、姫新線と接近するY字路付近に車を停め右手の道を登って行くと直ぐ左手にお堂?、先に進んで探すが何も見当たらない!、やはりお堂が目的の場所?
不明神社(神宮寺)
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鎮座地:真庭市赤野
由緒、御祭神共に不明
神社と云うよりお堂?

更に進んで行くと前方に旭川、渡って左折してR313号を南西に進んで行き、『ハピーマート落合店』先を右折して広い道を進み、前方Y字路を右手に進み自動車道を越えて進んだ先左折して進むと温室と広い駐車場(使用用途は?-奥に「JAまにわ農業センター」)ここに車を停め南側の小山を目指すが参道らしきものは見当たらず、更に南へ歩いて行くと集落が(ここはY字路を左手に進み、自動車道を潜った先右折し突き当り)西方向に歩いて行くと右手山の中腹に石柱、ワンコを連れているので強引に登るわけにもいかないので、前方の民家の裏側から廻り込んで-石柱の後ろに-最初の突き当り左手直ぐの山道を進めばOK-今回は強引に民家の中を
御崎祠
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鎮座地:真庭市木山
由緒、御祭神共に不明
地元の人に出会わなかったから良く分からないが多分元は山頂に在ったのでは?

他に道はありそうだが分かり難いので一旦R313号に引き返し、南へ進んで行き、前方右手の『木山小学校、保育園』方向へ右折してみちなりに進み自動車道を潜った先、左手に『14026_八幡神社:真庭市下方73』の鳥居が見える付近の路肩に車を停め、橋と反対方向ワンコとのんびりと進んで行く、途中で出会った人は在りそうと言われるが近くで聞いてくれとの事-進んで行った先、Y字路に石灯籠、誰にも会わなかったので左手をメインに探して-ワンコと一緒なので歩いたが車でも可能
不明祠
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鎮座地:真庭市木山
由緒、御祭神共に不明

次も良く分からないのでR313号へ引き返して西へ進み、北房JCTが見える手前を左折して『吉祥寺』を目指す、集落の手前に車を停め、今回も歩くことに、強引に進んで行くがお寺の隣りなので南側から廻り込むとお寺の前に駐車スペースがあり、少し急な坂道だが車でも可能
荒神社
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鎮座地:真庭市宮地
由緒、御祭神共に不明

『美川橋南詰』まで引き返し左折して84号を進み『醍醐桜』の途中にある御崎神社を目指すが『上諏訪神社』付近」手前で通行止めでう回路が、どの範囲が通行可能かどうか分からないので今日は此処までにして帰宅、この附近からは適当な道が分からないので結局、66号、31号、R429号から72号、R53号で帰宅、今日も時間が早かったので渋滞無し

神社廻り-勝田郡から津山方面

全然ブログは更新していなかったが神社巡りは天気の良い日を狙って進めている。今日は勝田郡から津山へのコースを!
R53号から52号で西勝間田駅方向へ

52号を進んで行くと西勝間田へ出る少し手前に石灯篭、奥の山際に赤い鳥居、前方の道を左折して進み前方山際を左折して進むと途中に、非常に道が狭いが、交通量が全くないと判断して急いで参詣
不明神社(金毘羅神社)
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鎮座地:勝田郡勝央町為本
由緒、御祭神共に不明

52号を進んで行き、前方R179号を左折して進んだ少し先の右手、何故かこれまで見落としているGoogle Mapに記載されて無いため、
八幡神社(遊屋八幡神社)
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鎮座地:勝田郡勝央町黒坂2-1
由緒:当社は大宅鷹取貞観元年神功皇后の御服帯及び忍熊皇子の千早の袖を戴き、貞観2年美作国勝田郡久魯佐佳の水清川の清野の山に宇佐八幡大神を祀ったのが始りとされる。応永31年赤松左京太夫満祐が弓矢を奉納したので弓矢八幡宮と改められる。天文16年神怒を慰めて弓矢八幡宮を改め遊屋八幡宮と改称される。慶長15年美作国津山藩主「森忠政」息女難産に悩み、当社神主水島岩見守に依頼、安産祈願を行い無事男子を出産することができたので、その御神徳を仰ぎ神領20石を奉納した。以後森家の祈願所と定められ、今日に至っても安産守護神として尊崇されている。創建以来、再建された記録が次の様に残っている。元徳2戌午年・永承3戌子年3月・建暦2丑年・弘安5午年・応永31年4月・天文15午年9月・慶長6年・天和3癸亥年2月・明治9年現鎮座地に移転され今日に至っている。
御祭神:譽田別尊、足仲彦尊、氣長足姫尊
神主さんらしき方が清掃を、今回最初で時間が勿体無いのであまりお話が出来なかった!

R179号を南東へ進み、『勝間田駅』を過ぎた先右手『大日化成』手前を右折して進み前方橋を渡って右折して進んだ先、公会堂の後ろ側
大崎神社
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鎮座地:勝田郡勝央町東吉田880
由緒、御祭神共に不明

少し引き返し『勝間田駅』の先から67号で北方向へ、前方にJA勝英の先を右折して東方向へ、前方右折して滝川を渡った先で355号へ、みちなりに進んで行くと前方に354号、横切った先を右折して進んだ右手(前に駐車スペース)
八幡神社
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鎮座地:勝田郡勝央町豊久田339
由緒:本神社は和銅6年に鎮座して美作国112社の1社である。明治4年に村社に列せられ八幡神社と改称された。
御祭神:譽田別命、高おかみの神、闇おかみの神
備前焼の狛犬を見ると、どうも盗難の事が思い出されつい念入りに(岡山南部での窃盗犯は捕まったのだが)

354号まで引き返し、右折して354号を北へ進み、R429号を越えた先の細めの道を更に進んで行くと前方右手に燈篭、そのまま北へ進んで行くと右手に鳥居、路肩に車を停め歩いて参詣
諏訪神社
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鎮座地:勝田郡勝央町河原1201
由緒:当社の創建年月は不詳であるが、河原鏡山に小吉野庄の総社として創建されたと伝われている。天平5年(733)9月20日庄内の住民が集合して大祈祷を行って以来、この日を大祭日定めたとされ、当日は縫い物、畑仕事を禁じられた。長久3年(1042)小吉野庄の氏子の総意により、信州諏訪大社の御分霊(建御名方命)を勧請し、合祀した。安元2年(1176)広戸風の大烈風で本社が大破したので、移転地を信州諏訪に似たところとして、風害の少ない現在地に再建した。神社の境内にある神木(びゃくしん・いぶき)は本社移転時に諏訪豊前守藤原安森宮司が手植えされたと伝えられ、樹齢800年の神秘な樹姿を見せる。また、十郎、徳丸(村人)の蛮勇で河原田圃開発の祈祷に使った伝承を持つ「雨乞い石」がある。
御祭神:建御名方命、速秋津姫神、素盞嗚命、譽田別命、大國主命、倭建命、大己貴命

みちなりに北から西へと進んで行くと前方に353号、右折して北へ進んで行くと前方にR53号、越えて更に北へ、前方Y字路を左手に進み、前方の突き当り(池の土手)を左折して西方向へ進んで行くと右手に石灯籠と建物(非常に何か分からない)
不明神社
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鎮座地:勝田郡奈義町成松
由緒、御祭神共に不明

更に西方向へ進んで行くと右手に石碑、ここで運よく地元の人に会い、宮内神社の位置を教えてもらうと、「このまま北へ進み、前方の自衛隊のフェンスを開けて進んだ先、案内板があるので間違えることはない」とのこと、実際に行ってみると鍵が掛かっており無理、少しバックして少し広めの処で何とかUターン。
元の処まで引き返し、未舗装の道を西へ進み、前方の橋を渡ったところに車を停め北方向へ歩いて進むと前方にフェンス(この奥に淡島神社があるはず)、左側のフェンスが開いていたので進んでみるがほとんど道無し、今度は右側から進んでみるがフェンスは太い針金で固定されており無理、諦めて東方向へ戻った処にあった広い道を南へ進んでR53号へ出ることに!

R53号へ出る手前に奈義町現代美術館と奈義町文化センター、美術館の方は何も催されていない感じ、文化センター前でここの職員の方と出会い、事情を説明したところ役場所職員に連絡をとってくれる、隣の役場を尋ねると出かける用事があるのついでに案内してしてくれることに、通常は番号合わせの鍵で、原則かかってない状態らしい
神社前まで案内して頂き、「フェンスを閉めること」と言われて別れる。
宮内神社
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鎮座地:勝田郡奈義町宮内639
由緒:本社は、昔那岐山頂に諾・冊の二尊が鎮座されていたが、なにしろ本国第一の高山であるから参詣するにも道は険しく、また冬季には寒風激しく、春になっても雪は消え残って御社の修理も思うに任せないので、和同三年(西暦七一〇)麓の村々に分霊を奉遷することとなり、諾の尊は成松村不老の森に、また冊の尊は宮内村字不老の森へ移って両村の氏神とした。諾の尊は男神であるから神山に女木を生ぜず、また冊の尊は女神であるから神山に男木を生じない。日本三代実録に五十六代清和天皇の貞観五年(西暦八六三)五月二十八日の項に、「廿八日庚寅、美作圀従五位下天石門別神・奈美神・大佐々神並従五位上」とあって、神階が一段んぼらせられたのであり、本国十三社の一社である。両村に奉遷の後、諾の尊を諾大明神、冊の尊を冊大明神と称していたものを明治四年、冊神社と改め、翌明治五年には北条県の成立に伴い、再び宮内神社と改めた。
御祭神:伊邪那美尊
Google表示は「那美神社」時々見かける間違い

西にある淡島神社:勝田郡奈義町滝本に関しては詳しくは分からない、フェンスを乗り越えて行ったらと言われたが、この神社は多分性器信仰、参道もあるかどうか分からないので中止

日本原演習場北側にある滝神社はフェンスに関係なく行ける』と言う話し、那岐池の西側を北方向へ行けば良いとの事だったが実際現場へ行くと未舗装の道、近くで出会った人に尋ねると「脇道が多く、車で行ってもかなりの距離を登る必要があり」、近くの滝神社での遥拝を進められる。

R53号ローソンの処(滝本信号)を北方向へ、途中に奈義町観光案内図、更に進んで行くと『那岐池』堤防の下側へ、西方向からはフェンスで無理、少し南へ戻り、左折して橋を渡り突き当りを右折、次を左折して進むと十字路、左折して坂道を登って行くと左手に、前の空地に車を停め参詣
瀧神社
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勝田郡奈義町滝本1973
1.沿革:当社は今から1200年前の白鳳年間、藤原鎌足の孫 武智麿が中国地方平定のため、紀州熊野権現を当地に勧請し社殿を建てたと伝えられている。爾来北野村東西と近藤村の氏神として尊崇されてきた。近世、美作国津山城の鬼門の守護神として森公の信仰厚く鳥居や石の宝殿が寄進された。明治の末頃まで『お瀧参り』とよばれ、作州全域から多くの崇敬者が参拝し、例祭日には日本原から続く松並木は人の列で賑わった。
2.本社:滝山の中腹に位置し、原生林に囲まれた「奥の院」から「母御の瀧」に続く岩間の清浄な地に祀られ、ある時期には修験道の霊地として女人結界の地でもあった。明治42年滝山山麓一帯が陸軍演習場に設定され、近藤村の氏子は余儀なく移住する事となった。
3.遙拝所:参道が自衛隊の演習場のため、本社への参拝が制約された。従って、里宮としての遙拝所が大正4年に造営され、大正12年には郷社の格が与えられた。平成元年に遙拝殿を再建、平成3年社務所等の管理棟を建設、平成11年遙拝殿等の造営記念碑建立、平成12年国旗掲揚台・国歌歌碑を建立、平成13年玉垣建立によって一段と神域が整備された。
4.社地: 瀧神社創立以来172ヘクタールの社地は明治4年の上地令により、境内の一部を残して国に接収されたが、昭和26年神社の歴史的伝統が認められ大蔵省より山林33ヘクタールが無償譲与された。なお、本社参道周辺の原生林は永代保護管理を続けている。
御祭神:伊邪那美尊、滝大領権現

再度R53号まで戻り西へ進み、『日本原東』信号で右折して演習場沿いに北へ進んで行くと前方左手に
廣戸神社(御神幸所)
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鎮座地:津山市大吉
肝心のこの場所を忘れており、この近辺の荒神社参詣後に、
廣戸神社
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鎮座地:津山市大吉1017
由緒:当社は第49代光仁天皇宝亀元庚戌年(770)山城国男山八幡宮を廣戸村奥津川字宮谷に勧請し、廣戸八幡宮と称した。その後文治5年(1189)3月大吉字宮の奈留に社殿を移した。応永5年(1398)同地字平野の現在地に移した。天文3年(1536)正月16日尼子大将三好安藝守が廣戸矢櫃城を攻めた時、「大吉八幡宮を焼き払い此軍に利があれば新に建立し松藤を植奉らん」と祈願したところ霊験があり、忽ち落城した。よって社殿を新築し松・杉・藤を植えた。松は風の為倒れたが、杉・藤は現存しており、尼子杉藤と云えられ、現在も繁茂生長している。天和3年(1683)美作國主、森伯耆守長義から再建費及び琴一面を寄進された。明治5年廣戸神社と改称した。大正2年12月9日村社山神社、無格社風神社、境内神社9社を本殿に合祀し、更に境内神社無格社34社を無格社愛宕神社へ合祀した。大正3年8月神饌幣帛料供進神社に指定された。
御祭神:品陀和氣命、息長帶姫命、大山祇命、武内宿禰、須勢理毘賣命

更に基地沿いに進み、基地と離れかけた先を左折して基本的に西方向へ進むと前方に
荒神社
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鎮座地:津山市大岩
由緒、御祭神共に不明

神社前を北へ進み、前方の池を南から廻り込んで更に北へ進んだT字路に車を停め東方向へ(車で十分可能)
荒神社
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鎮座地:津山市大岩
由緒、御祭神共に不明

車まで引き返し、北へ少し進み、直ぐ左折、突き当りを左折、すぐ先を右折して進んだ右手
船尾荒神社
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鎮座地:津山市大岩
由緒、御祭神共に不明

此処で肝心の廣戸神社(津山市大吉1017)を忘れているのに気付き、先ほどの池の北まで引き返し東へ進んで行くと五穀寺の東隣に、前に池と小島に祠があるが不明

神社前の道を西方向へ進み450号へ左折して進んで行くと、前方左手に広戸小、その先を右折し、突き当りを左折して進み、次の三叉路を左手に坂道を登ると左手に石垣、此処を強引に登って行くと前方に神社-450号沿いから参道が在りそうだが未確認
天一神社
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鎮座地:津山市市場
由緒、御祭神共に不明

一旦R53号に出て西へ進み『工門』信号で右折して348号を進み、新野小先を右折して北方向へ進んで行くと右手に鳥居、路肩に車を停め畦道を歩いて参詣
三寳荒神社
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鎮座地:津山市西中
由緒、御祭神共に不明

更に北へ進み途中、前方に土手の処を左折して西方向を新野山形を目指し、途中右折して細い坂道を登って行くと前方に参道?、右手に民家-此処で尋ねるとこの道は車では無理、此処に車を停めて歩いて参詣しようと思っていると下の畑に居た人が左手の道を進み前方の道を北へ進んで行くと良いと教えられる。-駐車スペースも十分な処、鳥居も
八幡神社
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鎮座地:津山市山形2235
由緒:本神社は美作112社内の神社で、天平10年(738)字宮山に社殿を創立し、美作守大伴兄麿氏が宇佐八幡宮の御分霊を勧請し、上山八幡宮と称した。本神社は雅野郷の一宮で、旧八カ村の総社であった。寛文年中(1661〜1673)美作国主森長継公が武運祈願のため、甲冑一領・緞子・幡十二流を、元禄年中(1688〜1704)国主松平長矩公が剱一口・茶椀・三宝各一箇を、同6年国主森長成公が雨乞いのため、米六斗六升を寄進している。明治6年郷社に列し、八幡神社と改称した。
御祭神:品陀和氣命、天之御中主命、大雀命

深く考えなく南西を目指して広い道を進んで行くとスポーツ公園南でR53号へ、津山方面へ進み、手前の『天神橋』信号で右折し、2つ目の信号を右折して進むと左手に鳥居、とても車を停める場所はない、近くの私有地へ車を停め急いで参詣-西側から車でも行けそうだが?、高福寺の駐車場へ置くのが一番無難か!
大隅神社(大隅大明神)
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鎮座地:津山市林田755
由緒、御祭神共に不明

少し遅くなったので帰宅、コースとしてはR53号で、少し遅いせいかもしないが意外と空いていた!


神社廻り-津山近辺

昨日に続いて今日も出かけることに、どうも来週天気が悪い日が続くようなので!雪が降る前に県北をある程度は済ませたいが難しいか?
明日はまた運転手で明石の甥の処まで行かなければならないので、疲れても困るので近くも無いが津山近辺へ、この前時間的に無理だった処を重点的に廻る!

R53号で津山へ、まだ津山駅の西側は工事中で通行止め、駅前を東へ進み26号から前方『福岡保育園』先を右折して進み、森神社の少し先に車を停め、南側山手を探す-近くまで車でも可能だが、近くの人が車で来て近くの公園でゲートボール、歩いて正解
八坂神社
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鎮座地:津山市横山
由緒、御祭神共に不明

26号へ戻り、南へ、前方『福岡米穀店』先を左折して、3本目の道を左折して進んだ先
榎稲荷神社
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鎮座地:津山市八出
由緒、御祭神共に不明

26号へ引き返し、更に進んで行き前方広い道を右折して直ぐの左手前方から川沿いに進んだ奥-上に登って行く階段があるが未確認
伏見稲荷神社
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鎮座地:津山市横山
由緒、御祭神共に不明

更に直進して少し下った先右手に、神社横に階段があるが未確認
稲荷神社(荒尾稲荷神社)
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鎮座地:津山市東横山623
由緒、御祭神共に不明

元へ引き返し三叉路左側の坂道を進んで行く、山道を登り切った手前に三叉路、右手に進んで行くと『龍ケ爪公会堂』この付近に車停め参道を探すが見当たらない、先ほどの三叉路まで歩いて戻り進んで行くと左手に石段と鳥居、山道を進んで右手に折れた奥-車は無理
八代神社
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鎮座地:津山市横山
由緒、御祭神共に不明

山道を下って行くと前方に広い道(広域林道)、右折して下って行った先(信号)右手に-449号
熊野神社
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鎮座地:津山市荒神山124
由緒:当社の創建は不詳であるが、古来出雲国から京都に通う道があり、出雲国意宇郡熊野大神の幣を山伏がこの地の山腹に勧請し、荒神社と称した。また村名を神名により荒神山村と名付け、一村の氏神とした。元弘の変に敗れた後醍醐天皇が隠岐に流された時、神社前で乗物を駐め参拝されたと伝えられている。元亀元年、宇喜多直家が美作地方を攻めるにあたり、神社の山頂に荒神山城を築き、武将花房助兵衛職之に600の兵及び供田等を寄進し、深く崇敬して城内の鎮守とした。文禄から元和年間には松江城主堀尾父子及び松平氏等参勤交代の往復には必ず乗物を駐め参勤の安全を祈ったとされる。寛永以来、津山の城下町ができ、山陰の人々は城下町を通行するようになり、旅客が絶えていった為、享保年間以降は神社を改築する毎に規模を縮小し、現在の規模になった。明治6年熊野神社と改称する。
御祭神:伊弉諾命

449号を北西に登って行き峠辺り(消防機庫)に車を停め、左手奥を目指す-手前の左手の中継塔の側の道が参道
夛祢神社
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鎮座地:津山市種717
由緒、御祭神共に不明

引き返し449号を南東へ下って行き、熊野神社先の集落の中程に車を停め歩いて北側の山中を目指す-近道はあまりにも急峻で車は難しいか?、東側から廻り込む道が見られるが集落を過ぎた先が、余り通行が無いのか問題、遠いけど歩いた方が賢明-ここも出会った人に確認していたのである意味で楽であった。
下種神社
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鎮座地:津山市荒神山336-3
由緒、御祭神共に不明

先に進んで行き、前方で吉井川、左折して26号を川に沿って溯り、前方477号への橋の先、前方の広い路肩に車を停め左手坂道を登って行くと左手に-車で十分可能(金屋公会堂の前)
金屋神社
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鎮座地:津山市金屋128
由緒:百済王敬福の末裔、百済源次家久が観応2年(1351)3月官命によって、長岡郷に移住し鋳工を始めた。世人はこれを釜屋と呼び、業が大いに盛んになり、人家が集合して一邑をなしたという。当時の釜屋が現在の金屋である。家久は猿田彦神を守護神として祀り金屋権現と称した。明治4年金屋神社と改称し、明治6年村社に列した。昭和24年摂社八幡神社を合祀して相殿に祀っている。
御祭神:猿田彦大神

更に26号を進み、前方三叉路を左手に進み極楽寺前の空地へ車を停め、寺への道の先の民家の北側の道を左折して山方向を-車でも可能だが防護柵が設置されている。あらかじめ出会った人に聞いていたので問題なく参詣、防護柵もきちっとした扉状、開けやすいが参道は舗装はされているが落ち葉が多く車ではちょっと難しいか!
高富神社
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鎮座地:津山市小桁442
由緒:口碑によると、貞観年中(859〜877)小桁山極楽寺の僧円仁が、近江国日枝神社の御分霊を迎えてこの山に祀り極楽寺の鎮守としたという。作陽誌に、極楽寺の項の鎮守社山王十禅師とあるのは本神社のことである。最近まで極楽寺住職が例祭には必ず参列するのを例とした。本神仕はもと山王権現社と奉称したのを、明治4年高富神社と改称し、明治6年村社に列した。
御祭神:大山祇神

26号を進んで津山駅まで、R53号を西へ進み前方右折してR179号を進んだ橋を渡った先、突き当り手前を左折して進んで行くと右手に-道路と並行した参道が長く、出来るだけ西へ停めるか、西側の車参道から-実際は何故か大きな工作車が参道を塞いでいたが
高野神社
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鎮座地:津山市二宮601
由緒:当社は安閑天皇二年(534)の鎮座にして延喜式内社。美作国二宮として官民の尊崇厚く、源頼朝は神門を建立し、山名氏は社殿の修造、神馬の奉献、毛利元就及び小早川隆景は祭祀厳修を令し、社殿を修造した。国主森氏は代々深く崇敬の誠を尽して社領八十石を献じ、寛文三年(1663)長継公は現社殿を造営。松平氏もまた年々祭資を供進し、現在、社殿は岡山県の重要文化財に指定されている。
御祭神:彦波限建鵜葺草葺不合尊、鏡作命、大己貴命
境内に御先神社等がある

神社前の道を進み、前方三叉路を右手に進み踏切を渡った先を右折して、イズミ横を通ってR179号へ、左折して西へ進み前方右折して津山産業・流通センター方向へ進んで行き、トーヨータイヤ附近へ車を停め歩いて西側を目指す-少し前の三叉路を右手に進めば右手に
戸島神社
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鎮座地:津山市戸島232
由緒:創始は不詳であるが、元は山の上に国主神社を御祭りしていたのがはじまりとされる。寛文6年3月津山藩第2代森長継公の崇敬により村内の山へ社殿建立したとある。その後元禄6年(1693)3月8日津山藩第4代主森長成公崇敬により現在の場所に社殿建立し戸島神社となったと伝えられる。
御祭神:大己貴命、伊弉諾命

R179号まで引き返し、今度は東へ進み前方左折して338号を北へ進み高速を潜った先のY字路を右手に進み『廃棄物センター』先の交差点を右折し坂道を登って池の側へ、池の左側の道を北方向へ進んで行くと池の少し北、左手に
宗像神社
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鎮座地:津山市下田邑
由緒、御祭神共に不明
神社横の道を北へ進み登り切った先左折して進んで行くと前方に338号へ

338号を北へ進んで行くと前方左手に
田神社
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鎮座地:津山市下田邑1189-1
由緒:本神社は清和天皇の貞観年中に、村内田口山引き乗寺が僧行教法師と田口信濃守統範とが豊前宇佐八幡宮の御神霊を勧請して創建し、田神社と称した。神階は貞観6年8月に従5位上となる。六国史の三代実録に「貞観6年8月15日美作の国従5位下長田神、免上神、田加佐美神、形売神、壱栗原神、横見神、久止神、高野神等並授従5位上云々」とある。大正7年村内天剣神、千家里神、天津彦神等を合祀し、1村1社とした。
御祭神:応神天皇、神功皇后

R179号まで引き返し、再び東へ、R179号が南へ折れる処を直進して直ぐ横断陸橋の先の信号を左折、直ぐ坂道を登って行った先正面左手に鳥居
荒神社
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鎮座地:津山市小田中
由緒、御祭神共に不明

元の道を東へ進み、直ぐ先の小さな川を越えた先の信号を右折-この辺りにくるを停め、前方斜めの道を進んで行くと左手に鳥居と公会堂
荒神社
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鎮座地:津山市小田中新屋敷1438
由緒、御祭神共に不明

時間的には余裕があるが明日のことを考え帰宅の途に、東へ少し戻り、北側から廻り込む感じでR179号、吉井川を越えR53号で、土曜日早い時間?意外と空いている。
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