岡山県内神社巡り(メイン)

片っぱしらからの神社巡り

矢掛

神社巡り-総社北西方面から矢掛へ

8月1日深夜、ワンコが亡くなった、17歳我が家ではこんなに長く生きたのは始めて、最近要介護犬だったので、何かポッコリ穴が空いた感じ、ワンコを偲びながら神社巡りを!

R180号で総社方面へ、高梁川に沿って北へ、豪渓から日羽の手前に、「妙見神社」を過ぎた先右折して北へ伯備線を潜った先、右手橋の手前、民家の間を左折して進んで行くと右手に、神社前の道路に車を停め参詣していると、軽トラが、前方左折して進んで行った線路の手前に路肩が広い場所が、ここに車を停めやり直し
荒神社(金毘羅宮)
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鎮座地:総社市日羽
由緒、御祭神共に不明
Googleマップには「金毘羅宮」とあるが神社には『荒神社神殿新築』の表示が

日羽駅前を通って左折して集落を進んで行くと前方に『山上大権現』の案内、不安ではあるが右折して山道を登って行く、途中に『平岩神社道祖神』あり、ここに車を停めこれから先は歩いて、右手に
山上大権現(平岩神社道祖神)
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鎮座地:総社市日羽
由緒、御祭神共に不明

更に進んで行くと前方に石柱がこちら側の集落の神社か、一度参詣しているが東側からは初めて?-あまり関係ないが!
日羽八幡神社:総社市日羽661
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R180号へ出て少し進んだ左手に池、土手に石灯籠が、路肩に車を停めて池の土手へ、更に南側に神社らしき物、池から南へ進み、2本目の道を左折して進んだ右手地蔵堂の後ろに
不明神社
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鎮座地:総社市日羽
由緒、御祭神共に不明

R180号を少し進んだ右手に『普門寺』の石柱、この道は狭そうなので、少し進んだ右手の坂道を登って行くと右折した先にお寺の駐車場に車を停め南側の鳥居の階段を登った先
不明神社(普門寺)
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鎮座地:総社市日羽
由緒、御祭神共に不明

最初に見た道を下ってR180号へ(やはり狭い)、更に進んで行って次の集落を進んだ先、右手線路前に空地-ここに車が停まっていたので歩道に車を停め、線路を2本越えて進んで行くと、西側採石場へ通じる道へその先左手に
両疫神社
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鎮座地:総社市美袋
由緒、御祭神共に不明
線路を二本越えることが無かったら未舗装だが広い道、中間辺りに鳥居在り、ここで昆虫採集をしていた人に、虫の生態をチェックしているよう

R180号を進み、前方右折して進み、最初の十字路を左折して進んだ先を右折して進み、線路を越えた先から曲りくねった山道へ、先程両疫神社で出会った人に、車で通行可能と教えられていたが不安になるような道の連続、途中脇道は見られるが進みたくなるような道ではないので、どんどん進んで行くとやっと集落に!
その先色々な方向への道があるが右折して登って行く道を進んで行くと前方にY字路、ここに車を停め南方向へ-Googleマップでは神社へは右手脇道を進む感じだが、神社へ至る道しか現在は存在しない-車でも一応は可能
六社宮(橘神社)
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鎮座地:総社市宇山1
由緒、御祭神共に不明

先に進んで行くと集落に、中程に左手コンクリート舗装の道が、少し進んだ右手にジグザグの山道が登って行った先に
木野山神社
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鎮座地:総社市宇山
由緒、御祭神共に不明

ここからが今日の大失敗!北へ進んだ前方Y字路を右手下り坂をイメージ的に納得できず左手の坂道を登って行く、前方Y字路右手が行きやすいが狭い、苦労してV字に左手に進んで行ったが広めの道を進んで行くと先程の集落へ、結局元の道を引き返すことに、しかも途中タクシーに出会う、タクシーがバックしてギリギリに通れるところへ、やはり山道はこういう場合を考えると行く気が無くなるが!しかし可能性は非常に低いことは分かっているのだが
出先ではストリートビューが確認しにくいので事前の確認が必要だが現状では確認しにくい-今回も北東へ大きく迂回すれば広い道を通れて楽だったはず(引き返すにも先へ進にも)
R180号を前方左折して166号を進む、前方左折して166号を進み、前方『清梁園』前の路肩へ車を停め、園と左手民家の裏側を探すが分からない。
園の西側の駐車場の裏側の細い山道を進んで行くと左手上に
不明神社
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鎮座地:総社市原
由緒、御祭神共に不明
背後の山頂に何か建物がありそうだが道が全く分からない、誰かに聞く必要が?

166号を進んで行くと民家が無くなった先、本当に県道か思うような道を進んで行くと前方に36号が、左折して35号を進み鬼ヶ岳ダムを過ぎ、左にカーブした先左手道路脇に壊れた鳥居
不明神社
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鎮座地:小田郡矢掛町上高末
由緒、御祭神共に不明
鳥居脇の急斜面を登れば先にあるようには思われるが、急勾配の道無しは不安で中止

35号を少し進んだ左手左折してかなり進んだ先、『吉備津彦神社』迄は前回来ているがその先に神社があるとは思わなかったので
稲荷神社
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鎮座地:小田郡矢掛町上高末
由緒、御祭神共に不明

35号迄引き返し南へ、右手に見える『諏訪神社』は記憶にあるが、更に南へ進んだ右手に見える鳥居は特に覚えがなく、路肩へ車を停め歩いた
荒神社:小田郡矢掛町内田
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この程度の神社はどうも記憶に残ってない?

更に進んで行った右手橋を渡った左手に進んだ左手-手前に車を停めて
疫神社(+地蔵堂)
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鎮座地:小田郡矢掛町内田
由緒、御祭神共に不明

南下して矢掛へ、やはり暑くて疲れているので通常コースで帰宅-時間が早いのにかかわらず三門の所が渋滞していた。

神社巡り-県西方(矢掛)、未参詣神社

このところ暑いので、国土地理院の古い地図でまだ未参詣の神社を探している。-ストリートビューと航空写真を併用しながら-ある程度の神社の探索も進んだので近場から西方向へ

R180号を進み、270号で清音方面へ、備中国分寺を過ぎて暫く進んだ先、「西郡」信号で左折して進み前方十字路を右折して進んだ先、「林板金塗装」を過ぎた左手に
不明祠
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鎮座地:総社市西郡
由緒、御祭神共に不明

更に進んで行くと前方池の先で270号へ、左折して進んで行き高梁川へR486号を更に進んで行き、前方信号を左折して『備中呉妹』駅方向へ進み、右に曲がってカーブして小田川を渡り、右折、前方の橋を渡って左折した先に車を停め、川沿いに南へ「八高公会堂」方向へ左折、直ぐ先を右折して南の山際へ進んで行くと左手奥
疫神宮
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鎮座地:倉敷市真備町服部
由緒、御祭神共に不明

広目の道(集落の中)を西へ進み、再度橋を渡りR486号へ、更に進んで行った先、左に緩くカーブする手前の道路脇の公園?に車を停め、石燈籠とその先を右に、大きく右にカーブした先の石段の先に下道公の墓
不明祠(下道公の墓)
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鎮座地:小田郡矢掛町東三成
由緒、御祭神共に不明
古そうな址、昔からの神仏習合?

R486号を進み三谷駅の南で左折して282号進み、前方右折して35号を西へ進んだ右手池の奥に、『長屋集会所』の前に鳥居、その後ろに祠が二つ
三宝荒神社(稲荷・福頼大神、石割荒神)
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鎮座地:小田郡矢掛町東三成
由緒、御祭神共に不明

35号を西へ前方左手に地元特選のマーケット、ここに車を停め、前の田圃道を南へ進んだ先
三寳荒神社
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鎮座地:小田郡矢掛町中
由緒、御祭神共に不明
南方にも建物と祠がある

35号を西へ、その先Y字路を右手に更に進んだ前方Y字路を右手に進んだ方が都合は良いが道が狭いので先に進んで岩山神社が見える先を右折、左折して進んで行った右手奥(路肩広い)
國司宮
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鎮座地:小田郡矢掛町中
由緒、御祭神共に不明

西へ進んで行き、35号を横切り川を渡って進んだ先左手に石燈籠と地神碑、右手に祠群
不明祠群
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鎮座地:小田郡矢掛町里山田
由緒、御祭神共に不明
東側に石柱があり、こちら側が参道か

更に西へ進んで行って64号へ、右折して北へ、前方橋の手前、左手『長泉寺』の案内を左手に、その先お寺の南側に鳥居(早めに車を停めたがお寺の前に駐車場有り)
不明神社(長泉寺)
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鎮座地:小田郡矢掛町里山田
由緒、御祭神共に不明
扁額読めず

橋を渡りR486号を横切って進んだ先突き当りを右折、直ぐ先を左折して進んで行くと右手に『多聞寺』、そこを左折して進んで行くと右手に『金谷公会堂』奥に(道幅が狭そうなのでお寺の駐車場へ車を置き歩く)
御祓太神宮
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鎮座地:小田郡矢掛町矢掛
由緒、御祭神共に不明

車を停めたのでお寺にも、右手に
稲荷大明神(多聞寺)
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鎮座地:小田郡矢掛町矢掛
由緒、御祭神共に不明

お寺前の道を北へ、前方『矢掛高』前を右折して進み、線路を潜って進んだ先『三成陣屋址-正面』案内、下の道へ車を停め、坂道を登り、突き当りを右折、直ぐ左折して進んだ先の奥と思ったが、西へ進んだ左手に、参道は陣屋址の西側
不明神社
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鎮座地:小田郡矢掛町矢掛
由緒、御祭神共に不明

更に進んで行くと先ほどの広い道、少し先の左手の広い道の先の十字路の処に車を置き、左手の道を進んで行くと左手に『若林公會堂』、その先に、石燈籠、そこを左手に進んで行くと大きな木、その先を北方向へ進んで行くと、地蔵堂とその先に鳥居
荒神社
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鎮座地:小田郡矢掛町矢掛
由緒、御祭神共に不明

東へ進んで行き池の間を通って南東へ進むと前方に282号(手前に地神碑)、左折して北へ進んで行くと前方山際左手に
荒神社
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鎮座地:小田郡矢掛町東三成
由緒、御祭神共に不明

面倒だが引き返し、矢掛駅へ、西側の道を北へ進み、道が左に曲がる処で出会った人に尋ねると、左手に進み前方右手にお堂がある処登って行った先、四駆の車なら行けるらしいが歩いて行くことに、集落の辺りまで舗装されているがその先は未舗装、歩いて正解だがシンドイ、北側から南方向へ、先ほどの人が案内をと言ってくれたが、多分東側を廻って北側の同じ場所へ?
木野山神社
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鎮座地:小田郡矢掛町矢掛
由緒、御祭神共に不明
西方向の小山の上に建物が

前方へ進んで行き右手坂道を登って行くが、先ほどの建物への道は無い、坂道を下って行った先、振り返ると急な石段が、周りはお墓だし、神社っぽい物は見られないので登って確認はせず右手に進んで行くと前方に信号、右折して坂道を登り、峠の左手の木陰で休憩、ここに車を停め、歩いて先ほどの坂道を下って行き、中程の左手急な山道を登り、その先V字に曲がった先に
不明神社
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鎮座地:小田郡矢掛町小林
由緒、御祭神共に不明
峠近くに石柱が見られたが何か関連が?、今はその先通れそうな道は無いが

ここの西側の小山の上にも何かありそうだが人にも出会わず、南西の集落に行って尋ねるには少し疲れ気味、今回は中止

前方の道を左手、川沿いに進んで行くとこんもりとした処が、特に何もなく、前方左手の橋を渡り左手に進んで行くと前方Y字路、右手の坂道を登って行くと右手に、その先の墓地に車を停め参詣-此処でUターン出来なかったらバックで曲がった坂道を-ぞっとする
鷺神社(鵜江神社末社)
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鎮座地:小田郡矢掛町小林
由緒、御祭神共に不明

非常に暑いので既に思考はダメ、とにかく広い道とコンビニを、引き返し川沿いに進んだ先の橋を渡り35号へ、右折して南へ進み途中にあったローソンに、その先のR486号を西へ進み、『海洋センター』の案内を右折して進み、正面手前を左折、次を右折して池方向へ進んで行った左手山の中腹を探す-北側の池の西側中程に山道が、登って行った先
不明神社
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鎮座地:小田郡矢掛町西川面
由緒、御祭神共に不明

入る前の道まで引き返し西へ、2本目の斜めの道を入った先、直ぐ左の山道を進んだ先にある神社へ
不明神社
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鎮座地:小田郡矢掛町西川面
由緒、御祭神共に不明

更に進んだ先を右折し曲りくねった坂道を登った左手
安清大年神社
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鎮座地:小田郡矢掛町西川面
由緒、御祭神共に不明

元まで引き返し進んで行った正面突き当りの左手、道路脇の坂道を登って行った先
不明神社
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鎮座地:小田郡矢掛町本堀
由緒、御祭神共に不明
ここも釣鐘堂があり面白い!
車まで引き返した段階で右足が引き攣る!何とか治った感じだがこの先も小さな分かり難い神社続くはず、帰宅するつもりで左手に進んで行くと右手に鳥居と急な石段、ブッシュに覆われているし今日はとても参詣する気が起きない!

前方のR486号を通って帰宅

神社廻り-矢掛から鴨方方面

今回も岡山県の西方向の未参詣神社を廻ることに、R180号、270号、R486号で西へ進み、矢掛の先(川向うに矢掛浄化センターが見える)で小田川を渡り直進した突き当り附近に車停め、歩いて左折して進み突き当りを右折して進んだ先の左手(今回は歩いたが車で通行可能-コンクリートの舗装は少しガタがきているが)
荒神社
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鎮座地:小田郡矢掛町東川面
由緒、御祭神共に不明

川沿いに西方向へ進めそうだが、まずはコンビニで朝のコーヒー、一旦R486号迄引き返し、左折して西へ、前方矢掛町江良の信号で左折して川を渡って進み、前方広い道が右折する処を直進した先に車を停め、歩いて前方を左折、右折して進んだ先の十字路の処を左折して山道を進んで行った左手
荒神社
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鎮座地:小田郡矢掛町江良
由緒、御祭神共に不明

先ほどの十字路まで引き返し直進して進んだ左手
貴布禰神社
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鎮座地:小田郡矢掛町江良1807
由緒:当社は往古貴布禰大明神といったが、明治になって貴布禰神社と称するようになった。第113代東山天皇の御代、元禄3年(1690)に京都愛宕郡鞍馬村の貴船神社の御祭神雷神犬山祇神タカオカミを勧請したと伝えられる。まもなく板倉摂津守の御祈願所になった。御社殿は、棟札によると元禄7年1694)願主渡辺惟親によって建立され、寛政3年(1791)本願主渡辺統右衛門惟房によって再建、天保11年(1840)願主渡辺清左衛門源正明によって修復され、現在のものは明治13年(1879)本願主渡辺淡平によって三再建されたものである。境内には「貴船宮、明和8年卯10月吉日 施主末永善三郎秀勝」の銘のある石鳥居、「明治4年末正月吉日 当村願主時松松造」の銘のある百度石、「明治44年桂月 都窪郡清音村軽部江口虎太郎」の銘のある注連柱、「文化5戊辰 備前岡山信者中」、「文化2辰年十月吉辰 備前岡山佐々木氏」の銘のある石燈籠各1基があり、当病平癒にご利益がある神社として江戸時代から明治にかけて小田郡のみならず、岡山方面にも信者をもち、栄えていたことが知られる。当社のおつかいはキツネであるといわれ、本殿の横には出入りする穴が開けられている。高梁川が洪水で渡れない時には、キャンキャン鳴いて知らせたといい、握り飯が好物でお供えしておくと必ず次の日にはなくなっていたという。祭神のタカオカミは雨かんむりの下に口が3つ、その下に龍と書く。
御祭神:雷神、大山祇神、高オカミ神
この付近の道幅は結構広いが駐車には?、貴布禰神社は神社前は広いし左側に車参道がある。

車を置いた前方を右折して進み、前方のゴミステーション附近に車を停め左手階段を登って参詣、最初右手に荒神社、その奥に若宮神社
荒神社
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鎮座地:小田郡矢掛町江良
由緒、御祭神共に不明
若宮神社
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鎮座地:小田郡矢掛町江良603
由緒:この神社は往古若宮大明神または若宮宮といったが、明治のはじめから若宮神社と称するようになった。第109代明正天皇の御代、将軍徳川家光公の寛永14(1637)に願主当村庄屋渡辺拾良左衛門によって勘請されたもので、御祭神は神武天皇である。江良村(現在の矢掛町江良)の氏神として尊崇し、殊に秋の例祭は厳粛に執行された。氏神明若宮大明神当番牒によると、元禄16年(1703)より祭典に奉仕した当番名、御供物、祭具等が記載され、当時から氏子中の者達が氏神明を中心に生活したことが伺われる。御社殿は、棟札によると宝永2年(1705)本願主当村庄屋渡辺茂輔渡貴によって本殿と拝殿を再建、また寛延3年(1750)本願主当村庄屋渡辺宗兵衛亮雄によって再々建され、現在の御本殿は天保13年(1842)本願主当村庄屋渡辺清左衛門正明によって四建立ちされたものである。屋敷は、延宝5年(1677)の御検地役人水谷左京亮の検地帳によると、『若宮屋敷 但し宮建有7畝7歩半除地』の扱いになり、またその58年前元和年間の御検地役人花房志摩守の検地にも除地扱いの旨記載されており、当時から既に若宮屋敷は免租地であった。なおその後享保13年(1728年)には矢掛村(現矢掛町矢掛)の住人中西愛右衛門という人が、氏神の境内が狭小である由を氏子の市右衛門が話したとの噂を聞き、幸い持ち合わせがあるからと山壱ケ所を寄進したことが古記録にある。境内には、安永元年(1780)に石鳥居、嘉永2年(1849)手水鉢、仝3年には石唐獅子を、また仝6年に東参道に石段・翌7年石灯篭一対を氏子中が奉献し、最近では昭和18年(1943)正面に石鳥居を奉献して、氏神としての尊厳がいっそう深くなった。さらに、昭和60年(1985)に神楽殿控所を篤志家が奉献した。若宮神社は、矢掛町江良の宮山の頂きに鎮座し、氏子は朝夕これを仰いで家業に励み、平和の歳月に恵まれて今日に至っている。
御祭神:神武天皇
参道は南北にあり南側には車用の参道も

北へ少し進み左折して広い道を西へ進むと前方信号、右折して155号を進み橋の手前を左折して進んで行くと前方に鳥居が、土手を降りて進むと右手に
三宝荒神社
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鎮座地:小田郡矢掛町浅海2853
由緒、御祭神共に不明

引き返しR486号を西へ、小田駅先を右折して48号を北へ進み前方Y字路を左折し407号を進んで行くと前方池の土手、左手に神社、ゴミステーション脇に車を停め参詣
艮宮
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鎮座地:小田郡矢掛町小田
由緒、御祭神共に不明

R486号へ引き返し、右折してR486を西へ進み坂道を降りた先『小田西』の信号を左折して48号を進み『井笠鉄道記念館』を過ぎた先の信号を左折して168号へ新吉小学校横の坂道を登って行くと右手に尾坂ダム、その先右手に『たかたのたまご』の建物が、その手前を左折して進んで行き、突き当りを右折した辺りへ車停め参詣-神社前に駐車スペース有
艮神宮
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鎮座地:笠岡市尾坂2209
由緒:当社の主祭神は古事記、日本書紀などに記述されているように、古代大和政権と相対した勢力を持っていた土豪を破り、吉備の国を鎮定した大吉備津彦命と、異母弟の若建吉備津日子命の2柱を始め吉備津彦命の一族をまつり、吉備国の総氏神と称される吉備津神社の系に属する神社である。吉備津神社について記されているものの中に、平安末期の後白川法皇編著の梁塵秘抄(りょうじんひしょう)という当時流行した歌集の一節がよく紹介されている。即ち「一品聖霊(いっぽんしょうりょう)吉備津宮 新宮本宮内の宮 隼人崎 北や南の神客人(かみまろうど) 艮みさきは恐ろしや」この歌のように古い時代から都の庶民にもよく知られ、崇敬されていたことがわかる。勧請は後冷泉天皇の御代の永承元年(1046)である。寛文11年(1671)霜月、藩主池田光政公の崇敬により再建が行われた。明治40年5月神饌幣帛料供進神社に指定された。
御祭神:大吉備津日子命、若建吉備津日子命

168号を南東へ進んで行くと前方にY字路右手の狭い道を進んで行くと左手に
多賀神社
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鎮座地:浅口市鴨方町小坂西
由緒、御祭神共に不明

神社前の道を進み最初の三叉路を左手、東方向を目指すと行けそうだが先が狭そうなので先へ進み、次を左折して進んで行くと前方左手に丘、左折して坂道を登った先の右手に鳥居
荒神社
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鎮座地:浅口市鴨方町小坂東
由緒、御祭神共に不明
路肩への駐車は考慮する必要あり、狭くはない道だが適当な駐車スペースがない-神社横の入った道へ停め等とすると農作業の車が来て急遽交すハメに-おかげで聞くことが出来たがここの神社は公民館の中にあるようである。

荒神社の北側に行く狭い道の先(見えている)
若宮神社
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鎮座地:浅口市鴨方町小坂東
由緒、御祭神共に不明

先ほど丘の手前左折した処まで引き返し左折して東方向へ進んで行くと60号と168号の交点へ、左折して168号を進み鴨方西小学校先の信号を左折して168号を進み、前方を川沿いに右折して進んだ先、左手に遊歩道の表示、整備された湿池の先に新しい小さな祠が見えるので、そちらから参詣し、車参道を通って境内に
小坂八幡神社
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鎮座地:浅口市鴨方町小坂東2936
由緒:創建は宝亀5年8月15日。寛文、宝暦年中の神社書上帳に、八幡宮とある。小坂、東小坂、西深田の3ヶ村の産土宮である。神功皇后の三韓征伐の供奉をした仕丁3人が、功労により大御盞をいただいたといい、その土器を摺子鉢という。現在に至るまで祭典及びおわけ祭のとき用いられている。寛文7年に神仏混淆が改められて八幡神社となった。その後元禄5年に本殿を改築。寛保3年に御屋根の葺替えを奉仕した。昭和31年に本殿、33年に幣殿、35年に拝殿、37年に社務所を改築した。
御祭神:足仲彦命、誉田別命、気長足姫命
北側の階段が木野山神社の参道?、八幡神社の参道は南側にありここを通って車まで帰る。
木野山神社
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鎮座地:浅口市鴨方町小坂東
由緒、御祭神共に不明

小学校先の168号へ出て『鴨方』方向を目指し(直進)、高速を潜って南側を並行に走って行くと前方に『本庄橋』の信号直進した先に神社
不明神社
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鎮座地:浅口市鴨方町地頭上
由緒、御祭神共に不明

引き返し南へ、鴨方IC西で左折して155号へ、その後60号で東方向へ、前方左手池の土手の東側を左折し進み、池の東端へ車停め参詣
磐岩神社
鎮座地:浅口市金光町地頭下1047
何か変?一度参詣した記憶ありGoogleMapの保存が消えている。前回は東側から参詣しており、入った道が一本南側のため、マイマップで確認、金光駅北側は参詣済であった。
どうも未調査で出掛けることが多く、神社の裏に『木野山神社』がなぜか有るようである。

早いけれど女房と約束あり帰宅することに、このまま60号を進み高梁川へでた処でV字に曲がり南へ、バイパスを潜った先から土手下を南へ進むと右手に、軽トラが何台も神社前に止まっており、境内の木々の剪定作業の真っ最中であった。
川添神社
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鎮座地:倉敷市船穂町船穂
由緒、御祭神共に不明

元まで引き返し60号、428号で帰宅、時間が早いと土曜日でも結構空いている

神社廻り-矢掛北方向

久しぶりの天気、今日は矢掛の北方向での参詣を目指す。コースとしては例のごとくR180号から270号で高梁川へR486号で矢掛の西『西町』の信号で右折して35号を進む。井原鉄道を潜って進むと前方に川、左折、右折して橋を渡って進むと前方右手に神社、路肩に車停め参詣
鵜飼荒神社
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鎮座地:小田郡矢掛町小林
由緒、御祭神共に不明

神社前の道を西へ進み突き当りを左折、次の三叉路を右折、次の右手坂道に石燈籠、坂道を登って行くと右手に階段、更に登って行くと神社の裏側に、駐車スペース有
中宮神社
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鎮座地:小田郡矢掛町小林
由緒、御祭神共に不明

更に進んで行くと奥に、手前に駐車場有
鵜江神社
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鎮座地:小田郡矢掛町小林1857
由緒:大同2年(1467)創立。本神社は吉備津彦を奉斎する。元小林村総鎮守である。文明2年(1470)の古書に(弘仁年中(810頃) 玄賓僧都曽って此の地に巡錫し鎮守の森に隣りて草庵を結ぶ)とあり、富札の信仰は氏子崇敬者はもとより庭瀬藩よりも度々御慕、神刀等の奉納があった。明治より大正に亘る合祀勧告により余儀なくも文書上の合祀整理をなしたが、年々の祭儀は往古より現在まで執行している。奉仕神職も創立当時より鳥越大宮司家の世襲である。
御祭神:吉備津彦命

最初の荒神社迄引き返し、東方向へ進み前方T字路を左折して進むと右手に広場、ここの入口に木野山神社の祠と金比羅さんの燈籠(たまたま出会った人に聞くと木野山神社は横手の道を登って行き、正面に牛舎-ここに車停め-横の道を登って行くと前方に墓地と池その先を登って行けばよいとのこと、しかし道は多分塞がれており蛇も出るので無理ではないか-地区の人も広場にあった社にお参りしているとのこと-雨上がりの跡でもあるので中止)
木野山神社
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鎮座地:小田郡矢掛町小林
由緒、御祭神共に不明

先ほどの道を東へ進んで行くと35号へ、左折して北へ少し進んで行くと右手に『井出ノ手公会堂』-ここにも金比羅の燈籠、更に進んで行くと右手道路脇に広い処、ここに車停め少し先の神社を目指す(車を停めた処の右手の道を進むと神社脇に出れる-結果論)
荒神社
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鎮座地:小田郡矢掛町小林
由緒、御祭神共に不明
物の見事に鳥居が壊れている

35号を更に進んで行くと右手に鳥居、右折し神社横の駐車場へ
三寶荒神社
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鎮座地:小田郡矢掛町内田
由緒、御祭神共に不明

ここからが今日の最大の難所、濡れた山道は避けるつもりだったが出会った人に聞くと、車で通行可能な道を教えてくれる、しかも何台かの駐車スペースもあるとのこと不安だったがとても歩ける距離では無いのでトライ
-三寶荒神社西側の道は車ではちょっと無理とのこと、少し35号を進み左折して橋を渡り前方の工場の建物(井上石材)を目指し、工場の裏を通って右手を進んで行く、一度道を間違え山の中の集落へ行き止まり、引き返して進んで行くがあと少しの処で車がスリップして進めない。前回と同様、一度冷静になるため歩いて参詣、歩いて分かったが濡れていてかなりの勾配、なるほど先には十分な駐車スペースは有る。
明釼神社
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鎮座地:小田郡矢掛町内田627
由緒、御祭神共に不明
石を咬ませながら、ゆっくりふかしバックで少し先の平たい処まで進み、切り返しで何とか脱出、山中の湿った坂道はしんどくても早めに車をを停め、とにかく歩くこと-これが大切!

35号へ戻り更に進み、郵便局先の橋を渡り、川側の空地に車を停め歩いて正面に見える神社を目指す
荒神社
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鎮座地:小田郡矢掛町内田
由緒、御祭神共に不明

35号を北へ進み前方橋を渡り左折して進んで行くと、右手に石燈籠、左下に鳥居、道路脇に車を停めたが左折して下ると駐車スペース有
木花神社(若一王子宮)
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鎮座地:小田郡矢掛町内田1506
由緒、御祭神共に不明
鳥居の扁額には『若一王子宮』、手作りの紙燈籠の表示は『木花神社』、誰にも会えないので不明のまま

引き返し、35号を進んだ左手に、駐車場はあるがロープが張ってあり手前に停める
諏訪神社
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鎮座地:小田郡矢掛町下高末2896
由緒:下高末の氏神である当社は明応7年(1498)に信州の諏訪神社を勧請した。下諏訪神社の祝が戦争に負けて神霊を背負うてきたともいう。貞享元年に再建。元禄6年10月に鳥居を建立.明和7年炎上。同8年に再建。平成11年本殿前殿を再建。参道には、「天保11成子7月吉日」と銘のある手水鉢、「安政2乙卯11月吉辰」と銘のある石造唐獅子一対、「天保11庚子年孟秋吉日、願主惣氏子中、火袋寄附 兼帯庄屋長谷川氏」とある石燈龍一基がある。末社の荒神社には大正元年(1912)に下高末の各地に祭られていた寺原神社、水野山神社、稲荷神社、十二神社(二社)明剱神社、地神社、八坂神社、荒神社が合祀されている。御崎神社は王子宮 水分神社 国水分神社等を祭り、乳の神様で、神前には今も乳の出の悪い女性が奉納した乳房を型どった絵馬が供えられている。当社の氏子は70戸であるがもとは土高末字土井の全株、三谷の川上・岡田両株、高階の岡田株も氏子であった。農地改革までは神田1反5畝があり、当番組で耕作して祭りの費用にしていたが、現在は部落費より袖助があり、不足分は当番組が負担している。
御祭神:健御名方命、八坂入姫命
神殿に由緒等が掲げられており、八坂入姫命を祀る神社は全国でここだけ

35号を引き返し郵便局手前の道を左折して東方向へ、『鶴見化学工業』、『宇角公会堂』途進み先を右折して南へ進んだ突き当り(手前の広めの処へ車停め前方山際に見える神社を目指す-少し狭く、急な坂道ではあるが車で可能)
八幡神社
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鎮座地:小田郡矢掛町宇角1498
由緒:本神社の創建は正暦4年(993)8月というが不詳。延応2年(1240)、応永32年(1425)改築の木札が存している。口碑によると、昔、竜王山に鎮座していたが、500年位前に現在地に勧請した。当地方で一番古い神社である。明治4年7月村社に列格した。
御祭神:応神天皇、神功皇后、三女神 

元の道へ引き返し、東へ進んで行くと、『三ケ原』方向へ左折する少し手前の民家の後ろに神社、前にいた人に聞くと荒神社とのこと
荒神社
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鎮座地:小田郡矢掛町下高末
由緒、御祭神共に不明
明釼神社のことを聞くが前方を左折して進んで次の集落で聞いた方がいいとのこと

前方に標識、左折して『三ケ原』方向へ、峠を越えた先左手に神社、道路脇の空き地に車を停め歩いて参詣
木野山神社
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鎮座地:小田郡矢掛町下高末
由緒、御祭神共に不明

元の道へ戻り前方『三ケ原集会所』前に車停め、歩いて参道の確認に進むが道幅はあり、そんなに急な道でも無いので車をとりに引き返す途中、地元の人に出会ったので参道を尋ねると前方十字路、もしくはその先のポンプ室までは可能、その先は四駆でないと難しいと教えられる、ポンプ室まで車で、前に空地があるので車を停め歩いて参詣(此処に車を置いて正解、無舗装の急勾配、先に駐車場は有るがまず普通の車では無理)
明釼神社(明剣神社)
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鎮座地:小田郡矢掛町下高末1514
由緒:本神社は建久7年上(1196)よりこの邑でまつられていた妙見宮を、永正5年(1509)に現在の山上の社地に長代筑前守が建立したために近郷の崇敬者が増して社運が隆盛になった。境内の磐座(高さ約4m)には、江戸初期作と推定される約70cmの不動明王と役行者の2体が浮彫されており(矢掛町指定重要文化財に指定されている)往古の修験者の山上信仰祭祀跡を忍ばせている。氏子は下高末字上高階・下高階・平宇角・三ケ原の約53戸。秋祭りは10月19・20日であったが、現在は11月第1日曜日に行なわれている。古くは当番と総代が参拝するだけであったが、現在は氏子全員が参拝している。
御祭神:宗像三柱神

元へ引き返し北方向へ進んで行くと80号に出る、左折して進んで行くと35号へ出る手前に八幡神社
八幡神社
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鎮座地:小田郡矢掛町上高末2567
以前参詣したはず、参って初めて思い出す、前回は北から南へ、今回は東から西へ間違えやすいか

35号を北へ進んで行き前方35号が右に曲がった先、路肩に車を停め、一番手前の最初南方向へ登る坂道を進み、Vカーブして山道を登って行く
木野山神社
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鎮座地:小田郡矢掛町上高末
由緒、御祭神共に不明

先ほどの右に曲がった処まで引き返し、右折して山道を登って行く、前方突き当りを左側に取り、道なりに進んで行くと右手に石柱、右折して登って行くと神社裏へ-対向車の件で階段を見落とし、手前に空きスペース有
正八幡宮
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鎮座地:井原市美星町宇戸739
由緒、御祭神共に不明

マップにこれまで参詣した神社の表示が何か変?、早いけど帰宅、車のナビは80号、総社を示すが、35号を矢掛まで下がり、R486号で帰宅

神社廻り-矢掛-小田川南

矢掛の小田川を渡った南側に結構神社が多くあるので、今回重点的に神社廻りをすることに、これまでと同様清音の先で高梁川を渡りR486号で一気に矢掛の手前まで、前方左手の横谷表示を左折して橋を渡り道なりに進んだ左手(橋の手前には福頼神社の表示もある)神社前に駐車場有り
福頼神社
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鎮座地:小田郡矢掛町横谷1535
由緒、御祭神共に不明

神社前の道を南へ進んで行くと右手に池、池側を右折して進み遠方282号を右折して少し進んだ路肩に車を停め人家の間を進んで行くと左手奥に
荒神社
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鎮座地:小田郡矢掛町横谷
由緒、御祭神共に不明

282号を北へ進んで行き、前方左にカーブする手前の奥に、路肩に車を停め山側へ歩いて参詣(この辺りの路肩広い-将来車線が増えるのか)
疫神社
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鎮座地:小田郡矢掛町横谷
由緒、御祭神共に不明

神社前の道282号を南へ引き返し進んで行くと35号へ直進して進んで行くと右手に鳥居が(北側に工場がありゆっくり走らないと見落とす-北へ向かって進むと良く見えるが-鳥居を潜って進む車道も有り)
萩原神社
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鎮座地:小田郡矢掛町横谷2331
由緒、御祭神共に不明
先ほどの福頼神社と言いこの神社も結構な神社、由緒、御祭神等どこかに記載があれば助かるのだが、動けなくなった調べてみるか?

神社前の道を北へ少し引き返し、前方を右折して南東へ進んで行くと35号へ『宝泉寺』を目指し右折、前方T字路右折して次の十字路を右折して進んだ左手に、参道口に車を停め参詣(道幅が良く分からなかったので無難な分かりやすいコースをとったが35号へ出る辺りで一度右手を眺めれば神社が見え簡単に参詣出来た)
青江八幡宮
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鎮座地:小田郡矢掛町横谷
由緒、御祭神共に不明

神社前の道を北に進むと前方左手に神社らしき木立が、突き当りが35号、左折して進むと右手に(此処もゆっくりと走っていれば簡単に分かった神社)
不明神社
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鎮座地:小田郡矢掛町横谷
由緒、御祭神共に不明

このような失敗をすると、どうもとんでもない勘違いを、何故か35号を南へ走っていた、急遽西へ向かおうと思ったが坂道をどんどん上がった先で道は無い、無難に最初の『萩原神社』の北側まで引き返し、神社前を南え進んで行くと前方に洞松寺の前門、前方に鳥居、直ぐ前の墓地の駐車場に車を停め、壊れかてて草が茂った階段を登って行く、平たい処暫く進むと再度前方に急な階段、その先に(当初地図にも参道らしきものはなく、山の中苦労すると思っていたが意外と簡単-確かめてないが東側『洞松寺』と西側にも参道が有りそうだが確かめてないが、修行僧らしき外人が休んでいたので寺側の道は確実)
金比羅神社
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鎮座地:小田郡矢掛町横谷
由緒、御祭神共に不明

お寺前の道を右折して道なりに進んで行くと右手『猪又公会堂』の後ろ側に
荒神社
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鎮座地:小田郡矢掛町南山田
由緒、御祭神共に不明

神社前の道を更に西へ進んで行くと前方に64号が見える坂道の途中、左手に小さな川と出会う附近に車停め、右手山中に見える鳥居を、民家を廻り込む感じで目指す
荒神社
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鎮座地:小田郡矢掛町南山田
由緒、御祭神共に不明

先へ進み64号へ、左折して64号を進んで行くと前方右手に、手前の道を右折し路肩に車停め参詣(64号と神社の間に十分の駐車スペース有り)
御崎神社
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鎮座地:小田郡矢掛町南山田1062
由緒:当社の創立は不詳。記録によれば慶長年間とされている。吉備津彦命が賊を退治して村人を救われたので命が御祭神として祀られている。参道には「宝暦11年辛巳11月吉日、願主広畑九兵衛」、「文化14年丑12月吉日、願主小川善三郎」の銘のある石燈箭各一基、「延享元年6月」の銘のある手水鉢、「天保10卯年氏子中」の銘のある唐獅子、「明治23年12月」建立の注連枝がある。祭日は10月21・22日であったが、現在は第4土曜と翌日曜に秋祭りが行われている。戦前にはお湯立て神事が行われていた。2月第1日曜日には「モモテ講」が行われる。(平成13年までは2月1日に行われていた。)竹で直径2メートルくらいの的を作り、境内に置いて、20メートルほど離れた拝殿からこれを射る。的には鬼の絵が描かれており、早朝6時半ごろ宮司が射初めをし、参拝した氏子が次々に的を射た後、当番から粕酒の接待を受ける。
大百手講の由来
大昔、この地方を温羅が支配していた。大和朝廷から派遣された吉備津彦命は温羅を征伐しようと戦ったが、温羅は傷つくと遙照山に逃げ温泉に入って傷をいやし、再び出てきて戦うので退治できない。そこで、命はこの温泉を止め、ようやく温羅を打つことが出来た。この時から遙照山の温泉は冷泉になった。伝説によると温羅は鬼であり、この地方を荒らし回ったので、吉備津彦命に討たれたということである。大百手講では、鬼の面を作り矢で射る行事がとり行われた後、一戸一膳づつの食事が接待される。食事の中身は大豆の粉に小麦粉を混ぜて薄くのばし菱形に切り焼いたものと、クサギの若葉の佃煮や大根の酢のものなどと、かす酒がふるまわれます。大当番があたると、家内安全、家は繁盛すると言われている。
御祭神:吉備津彦命、譽田別尊、猿田彦命

神社前を進み、突き当り右折してを進み、前方橋と祠が有る処を左折し、前方十字路を左折して進み、前方Y字路を左折して進んだ先(最初Y字路辺りに車を停め歩いて参詣と思ったが近くの人に聞くと車での参詣も可能、車も停めれる教えられる)
荒神社
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鎮座地:小田郡矢掛町南山田
由緒、御祭神共に不明

Y字路まで引き返し、左手をとり北西に進んで行くと右手に神社が、道が良く分からないので田んぼ道を歩いて参詣-田んぼの中に駐車スペースがある(少し先の未舗装の道を右折して進むと行ける-結果論)
荒神社
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鎮座地:小田郡矢掛町南山田
由緒、御祭神共に不明

元の道を先に進んで行き、前方左手に石の記念碑の少し先ゴミステーション手前の道を左折して進むと突き当りに『観蓮寺』と神社(一歩手前の記念碑の道を入ると、道は広いが曲りくねり厄介)
荒神社
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鎮座地:小田郡矢掛町南山田
由緒、御祭神共に不明

元へ引き返し進んで行くと前方左手に神社が、そして右手にも何か神社らしきものが見えるので近くの路肩へ車停め畦道を進むが、防護電線が張られている
不明神社
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鎮座地:小田郡矢掛町南山田
由緒、御祭神共に不明

今度は先に進み突き当りを左折して左手の神社を目指す(鳥居の道は車難しく、左手奥にある駐車場は施錠されている)
神前神社
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鎮座地:小田郡矢掛町南山田
由緒、御祭神共に不明 

神社前の道を北方向へ進んで行くと前方65号の横切った先、前方の山の中腹に鳥居、60号へ出る手前に車停め神社を目指す
荒神社
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鎮座地:小田郡矢掛町南山田
由緒、御祭神共に不明

64号を北へ進み山田小学校を過ぎた先、左手に石燈籠と奥に鳥居、見るだけで結構な距離、そして車での参詣も可能のようだが、途中の南側の山の中にある神社を目指すので歩くことに、こんなに遠くて良い道を歩いたことは、行程の終盤であり後悔はする
雷神社(雷師神社)
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鎮座地:小田郡矢掛町里山田2464
由緒、御祭神共に不明

先の神社に参詣する際、左手進む山道が二本、神社に近い道を進み参詣、帰りは違う道を-鳥居の横へ出れる
荒神社
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鎮座地:小田郡矢掛町里山田
由緒、御祭神共に不明

64号を更に北へ進んで行くと左手に鳥居、今回は迷わず車で参詣-神社前に十分な駐車スペース
崇道神社
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鎮座地:小田郡矢掛町里山田1684
由緒、御祭神共に不明

神社前の道を北にとり、池の間を進めば良いと思っていたが土手を工事していたので
一旦64号へ引き返し、北へ、前方の広めの道を左折して進み、『清水公会堂』前に車を停め歩いて参詣-先を左折しその先を右折して山道を登って行くと、左手に石垣と祠、近すぎるので先へ進んで行くと目的の神社が-『清水公会堂』へ行く途中にも祠が
荒神社
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鎮座地:小田郡矢掛町里山田
由緒、御祭神共に不明

64号へ戻り少し北へ進み、左折して一本中の道を走り出会った人に聞くと丁寧に教えて頂き、しかも車を自分の駐車場へ入れさせてくれた。
この神社も分かり難く道は狭いので歩いて木の鳥居を探し結構急峻な階段を登って行く
天神社
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鎮座地:小田郡矢掛町里山田
由緒、御祭神共に不明
この辺り社が二つある神社が多い気がして聞いてみると、一つは個人の神社とのこと-これまでも前々神社らしくない個人の神社に悩まされた事を思い出す

64号を南へ引き返し、前方右手の池の先を左折して田んぼの中の一本道を進み、右手工場(九州ジ-ジ-シ-)右折して進み池の土手の左手先の空地へ車停め、前方35号方向へ進んで行くと前方右手に-路肩は結構広いし車で行くべきであった
木野山神社
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鎮座地:小田郡矢掛町中
由緒、御祭神共に不明

先ほど右折した道まで戻り、東方向へ進んで行くと信号が35号、更に直進し、突き当りを左折して進んだ広めの処へ車停め歩いて参詣-神社前の道は狭くて車は難しい、南側に車道があるがあまり広くはなさそう、しんどいが歩く方が無難
岩山神社
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鎮座地:小田郡矢掛町中1912
由緒、御祭神共に不明

今日は後半かなりの距離と、急な階段を登ったので少し疲れ気味、それにしても竹林寺の天文台の北東、今回の神社廻りの地域は神社が多かった。
カーナビをセットして帰ろうとするがまたしても遠回り、高速のチェックを外すと一級国道優先か、距離数で選ぶ設定が無いようなのでやはり古すぎるのか?

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